ノートに書き込み、プロットもまとめて、いよいよ実際に原稿を書く段階になりました。
 では、まずはエモーショナルな話から。
 ここで真っ先にクリアするべき課題は『恥ずかしがらない』事です。
 これはプロでも一番手を止めてしまう難題です。四〇〇ページの小説は書けるけど見開き一枚のエッセイは無理、なんていうのはざらです。文章を書いている内に恥ずかしくなってしまったら、もうそれ以上は何も書けない。ひょっとしたら、そんな経験は皆様にもありませんでしょうか。
 これだ! という決め手となる解決方法はないのですが、分かりやすいところだと、

『最初から完成された作品はない、という事を理解する』

 ……辺りが基本かなと考えています。
 おそらく原稿を初めて書き始めた方がまず直面するのは、自分が頭の中で思い浮かべている完成形と、実際に打ち込んでいる文章との齟齬だと思います。こんなに面白いお話を考えているはずなのにどうしてそれが形にならないのか、頭の中では自由に動き回っているキャラクターが何でこんなにギクシャクするのか、と。
 ただ、作品作りとは言い換えてしまえば『いかに自分の作品を理想に近づけていくか』という行為です。荒い岩を削って彫刻を作るようなものでしょうか。なので、未完成の、作業中の段階のものを眺めて、この岩の塊は美しくない、と哀しむ必要は特にないのです。さらにたとえるなら冷蔵庫の中の鶏肉を眺めて親子丼の方が美味しそうだなと考えるのと一緒で、それなら美味しい親子丼を完成させるために手を動かした方が建設的だと思います。


 また、原稿を書くにあたって、自分自身の限界を知っておく、というのも重要なポイントです。
 ビギナーの方々が陥りがちな問題として、『いきなり長編を書くのは大変だから、まず短編から始めよう』というものがありますが、これは間違いです。ぶっちゃけた話、限られたページでテーマ、ストーリー、キャラクターをまとめなければならない短編の方が自由度は狭く、難易度は格段に高いのです。小説を書きたいけど始める方法が分からない場合は、まず『長編にしては薄い方(文庫換算一八〇~二五〇ページくらい)』から入ってみるべきだと思います。
 その上で、自分はどこまで書けるのかを試してみましょう。
 人間は、ある話を思い浮かべても、その話を永遠に一冊の本として書き続けられる訳ではありません。蓋を開けたサイダーから少しずつ炭酸が抜けていくように、自分で思い浮かべた話の熱さや面白さを少しずつ忘れていくのです。
 なので、『興味の持続時間』というのが実質的なリミットになります。
 この『興味の持続時間』は人によって様々ですが……私の場合は、一ヶ月が限界です。
 延々とただ時間をかけて一つの話を作ろうとしても、おそらく最初に思ったものはもうできません。たとえ既定のページを埋めて一冊の体裁を整えたとしても、どこかで妥協したものになると思います。
 なので、まずは一ヶ月から二ヶ月くらいを執筆時間に当てて、何ページまで書けるかを計測してみる、というのも有効なやり方です。
 その上で、文庫換算二〇〇ページに届けば長編向き、五〇ページに届かなければ短編向き、どっちつかずの場合はどちらかに伸ばす、といった成長計画を立てていくのはどうでしょう。……電子書籍化の流れで話は変わるかもしれませんが、現状では『中編小説用のメディア』は乏しいですからね。


 それから一点。
 原稿を書いている途中にやたら手が止まってしまう、という方向けに使えるテクニックを一つ掲載しておきます。
 やる事は単純で、その日一日で書き込む予定のシーンに必要な項目を、別のメモにあらかじめ控えておく、というだけです。
 手が止まる理由の筆頭は『恥ずかしがってしまう』事ですが、二番手には『書いている内に問題が発生し、その問題を解決するために頭を使う、つまりその間は執筆の手が止まってしまう』というものがありますので。
 例えば、『主人公とヒロインが携帯電話を使って話すシーンのはずだが、冷静になってみると電話番号を交換していない事に気づいた。さあどうしよう?』みたいな感じですね。
 逆に言えば、あらかじめ引っかかる部分をリスト化し、潰してから実作業に取り掛かる事で、この時間のロスを削る事に繋げられる訳です。
 また、メモには一日の目標が書いてあったとしても、必ずしも絶対に達成しなくてはならない訳ではありません。目標に届かなかった場合は、次の日に回してしまえば問題はありませんからね。
(当然、『一日の目標』を仮設定するには、自分が一日に何ページ書けるのかが分かっていた方がやりやすいため、いきなりメモを用意するのではなく、まずは自己テストで自分の作業ペースを把握しておく、というのが大切だと思います)


 ……ちなみに。
 これは基本中の基本ですが、ワープロソフトのデフォルトページと、文庫換算のページ数は異なるものです。各レーベルによって異なりますが、例えば電撃文庫の場合、

 42文字×34行

 これが見開き一枚となります。見開きとは文庫を開いた一面、つまり二ページ分の事ですね。大抵のワープロソフトはこの見開きを意識しているため、デフォルトのままページ数を数えていると、実は規定枚数の二倍近く書いていた、といったトラブルに巻き込まれます。
 そんな馬鹿な事が……と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、自分で思った事は何でも書き込む、という趣旨ですのでご容赦を。
 ……何より、かつて私自身が踏んだ事でもあります。ひょっとしたら、恐れ多くも速筆と評価される部類に入るのは、当時の凡ミスのおかげかもしれませんけど。


 ひょっとすると、ビギナーの方は文章を書く行為そのものが苦しいと思うかもしれません。頭の中に話はあるのに、それを実際に出力するのはこんなに大変なのか、と。
 ただ、前提として、文章を書くという行為そのものは苦しいです。
 日本には反省文という刑罰がある事からも、それは明らかですよね。文字書きはお絵描きや歌を歌うのと違って、まだ趣味というものを明確に持っていない小さな子供が自然と実行するようなイメージもありませんし、原始的、本能的な楽しみを感じるジャンルとは少し離れているのではないでしょうか。
 それでも文章を書き続けられるのは、苦しいと思う事よりも楽しいと思う事を見つけられるか否か、だと思います。
 そしてそれは、小説家を目指す人なら誰の心の中にだってあるものだと、私は信じています。
 加えて併記すると、この苦しさを取り除くのは才能や才覚などという曖昧なものではなく、明確な技術だと思っています。たとえるなら、操り人形の糸の動かし方が分かるようになって、初めて人形の素晴らしさが伝わってくる、といった感じでしょうか。


 それでは、エモーショナルな話はこの辺りにしておいて、そろそろ実際に文章を書く段階、テクニックの話をします。
 まずは自分自身へのおさらいの意味も込めて、基本的な書き方、最初の一文字目の話から。
 何百ページある小説だろうが何だろうが、基本は「 」でくくられたキャラクターの台詞と、それ以外の地の文の二つしかありません。
 そして『電撃文庫らしい話』の場合、主格となるのは「 」でくくられた台詞の方です。
 地の文は基本的にキャラクターの台詞だけでは表現できない箇所を補う、というイメージを意識します。そうする事で『一〇ページ以上延々と地の文で設定の説明が続く』といったありがちな問題を回避できる訳ですね。
 台詞と地の文の繋げ方としては、

 田中は言った。
「先輩、おはようございます」
(地の文の先出し)

「先輩、おはようございます」
 と田中は言った。
(地の文の後出し)

「先輩」
 田中は言った。
「おはようございます」
(地の文を挟む)

 などが基本中の基本。
 ここで気をつけるべきは同じパターンを繰り返さない、というのを意識しておく事です。
 例えば、

 田中は言った。
「先輩、おはようございます」
 山田は言った。
「うん、おはよう田中君」
 田中は言った。
「今日はどうしたんですか、こんなギリギリなんて」

 ……と同じパターンを続けると、英語の教科書のように見えてしまいます。
 この場合は、

 田中は言った。
「先輩、おはようございます」
 その声を聞いて先輩と呼ばれた女子、山田はゆっくりと振り返る。
「うん、おはよう田中君」
「今日はどうしたんですか、こんなギリギリなんて」

 といったように、パターンを散らします。地の文は、必要な時に必要なだけ挟むもので、必ず挟む必要はありません。今回の例で言えば、二回目の『田中は言った』は明らかに不要、という訳ですね。二人きりで会話している事さえ分かれば、口調の違いでどっちが何を言ったかは分かるだろう、と。
 また、どうしても連呼しなくてはならない場合、苦肉の策として言葉を散らすという方法も使います。『言う』の他に、『告げる』『呟く』『話す』『尋ねる』『問う』などなど。ただし、これらは前述の通り、苦肉の策でしかないのですが……。
 心の声、心理描写については色々な書き方がありますが、三人称の場合は、

(……センパイ何でこんなに眠そうなんだろう)

 ―――センパイ何でこんなに眠そうなんだろう。

 といったように、一つ作品内でフォーマットを決めてしまうのが得策です。


 まずはこんな感じです。ただ、キャラクターは口周りだけで感情を示す訳ではありません。体の動きでも表現できるのです。
 例えば、

 田中は無邪気な笑みを浮かべてこう言った。
「先輩、おはようございます」

 田中は舌打ちし、頭を掻き、重たい息を吐いて、逡巡の末に、そして言った。
「先輩、おはようございます」

 ……二つは、台詞は同じでも込められた想いが全く違います。台詞の字面だけでは分からない『感情』の部分を、地の文で補強している訳ですね。
 また、

 怒った田中は言った。
「先輩、ちょっと待ってください」

 田中は腕を組み、奥歯を噛んで、爪先でトントンと床を叩きながら言った。
「先輩、ちょっと待ってください」

 同じ感情表現でも、ストレートに感情の名前を出さない、という方法もあります。これもまたバランスの問題で、『怒った田中怒った田中』が連呼されそうな場合などには、手法を切り替えていきます。
 地の文は行動、台詞は感情を示すワードだと思っていらっしゃる方もいるかもしれませんが、このように、地の文は台詞に込められた感情をいじる、改変する、といった効果もあります。逆に言えば、『走りながら言った』『歩きながら言った』で、同じ台詞に込められた感情が変わってしまう、という弊害が発生するリスクも。『あれ? そんなニュアンスの台詞じゃなかったのにな』などとならないために、地の文が台詞に与える影響へ常に気を配ります。
 また、キャラクターの心情は全文長々と描写する必要はありません。
 例えばですが、田中がセンパイを助けに行くシーンにおいて、

「私は田中という者で、先輩とはこういう関係であって、あなたのやっている事はここがこういう風に間違っていますから、こういう手段であなたを止めに来たのです」

 ……全部話してしまうと胡散臭いというか、なんか機械的な検索条件に当てはまったから助けています的というか、じゃあその条件が一個でも揃わなかったらヒロイン助けないの? という事になってしまいます。
 なので、

「助ける理由の問題じゃねえ。先輩を見捨てる理由がねえんだよ!!」

 と、スパッと会話を切ってしまう事で、言外に『感情』を表現する、という方法もあります。これは、すでにヒロインを助けるというのが自明の理であり、いちいち改めて説明する必要がない場合などに有効です。
 ……故に、説明しないと分からない事柄にこういう手法を使うと逆効果ですので、使いどころに気を配る必要はあるのですが。
 他に、特殊な台詞の使い方としては、

「だから私が指を鳴らしたら世界が終わ
「馬鹿野郎」

「だから私が指を鳴らしたら世界が終わ 「馬鹿野郎」

 など、相手の台詞を途中で切ってしまう、という手法があります。
 あまり多用すると読みづらくなってしまいますが、敵ボスの一人語りを主人公がぶった斬る、など、ここぞという場面で使うと強い効果を得られる場合があります。
 こちらは敵側が理論武装していればいるほど、効き目が強く表れます。
 また、

 田中はゆっくりと一歩踏み出した。
「そんな事ない」
 いつしか彼は歩き出していた。
「そんな言い分は認めない!」
 そして気がつけば、全力で駆け出していた。
「先輩が死んだ方が良かったなんて、そんなのは絶対に認めない!!」

 など、台詞に伴う行動を徐々にエスカレートさせたり、

(……ふざけんなよ)
「分かったよ、先輩」
(先輩の意見なんてどうだって良い。先輩自身が死を望んでいたって構わない)
「もしもあなたが本当に殺し合いを望んでいるなら」
(それでも僕は、あんたを救う!!)
「受けて立つ。全力で来な」

 など、表面上の台詞と心の声を正反対にしてみたり、といった方法で感情を膨らませる事ができます。

 これがオーソドックスな『書き方』です。
 将棋で言うなら金や銀のようなものですが、駒は持っているだけでは意味はありません。次はその駒の動かし方についてです。
 台詞とは、基本的に『誰かが誰かに向けて放つ言葉』となります。
 つまり、『何を言うか』と同時に『誰に言うか』も意識するべきです。
 例題を一つ。

 田中は長い黒髪の後ろ姿を見つけてパッと表情を明るくした。
「あっ、ちょっと待ってください。センパ―――」
 しかし、振り返ったその人物の顔を改めて眺め、小さく息を吐く。
「チッ、妹の方か」

 こちら、同じキャラクターの台詞でも『誰に』言葉を放つかによって、口調や感情が変化していますよね。
 学園モノの場合、最低でも先輩、同級生、後輩にそれぞれどんな口調で話しかけるのかは決めておいた方が良いです。
 また、ありがちなミスとして、

 田中は廊下を走りながら叫んでいた。
「ヤバいヤバい、次は移動教室なのすっかり忘れてた」

 ……などの『状況説明独り言』がありますが、これは可能な限り避けるべきです。前述の通り、台詞とは『誰に』『何を』言い放つか、というものですので、この状況説明は『誰に』の部分が宙ぶらりん、あるいは読者さん『そのもの』を作中のキャラクターが書籍を飛び越えて認識している事になってしまいます。
『実はアカシックレコードと接続しているメタキャラで、そういう口調なのだ』など個性として使える場合は例外ですが、特に意味がなければ、別の方法でクリアできないか一通り努力してみるべきです。苦しければ使っても構わないけど、できるだけ頻度は少なくなるよう頭を使うべき、くらいの苦肉の策ですね。
 どうしても使う場合は『自分で自分に言い聞かせるようにボソリと話す』や『「 」ではなく( )などでくくって、心の声という事にする』など、ワンクッションを挟んでも損はないかな、と思っています。


 一方、「 」でくくられる台詞以外の、いわゆる地の文についてはどうするべきか。
 例えば、学校の教室の説明をするとします。

 正面の壁には一面深い緑色の黒板があり、その下には半端に縮んだ白いチョークと真新しい赤のチョーク、黒板消しはそれらの粉で汚れている。黒板の表面は乱暴に消されているだけでいくつかの数列がうっすらと残っていた。黒板の右端には今日の日付と日直の名前、その田中という文字は縦線と横線がくっきりと並べられた……

 はい、どこまでも丁寧に書き込んでいくと最初の黒板まわりから抜け出せず、いつまで経っても先に進めません。前述の通り、『電撃文庫らしい話』では地の文は台詞で表現できない箇所の補強であるため、不要な部分はザックリ削ってしまうのが得策です。
 では、どれくらいザックリやってしまって良いのか。
 大体こんな感じです。

 机の数は三〇個、正面の黒板はとりあえず乱暴に消してあり、真後ろにはロッカーと細長い清掃用具入れが並んでいた。窓側の一角では制服を着た男子生徒達が固まっており、その中に地味で目立たない少年、田中も必死になって会話に喰いついていこうとしている。

 ……ここでのポイントは、学校の教室という『すでに読者さんの過半数の頭の中にあるであろう風景』は可能な限り省略する点、そしてキャラクターまわりの説明に入った途端そこを重点的に書き込む事で、読者さんの視点を『寄せている』点です。こうやって文章の書き込み量を意図的に増減させる事で、『カメラをゆっくりと振って、ズームしていくような』効果を与える事ができます。その風景の中で最も重要な箇所はどこかを見定め、必要、不要を切り分けて考えていきます。
 時代劇などにおいて主人公のサムライが大勢の敵に取り囲まれるシーンがあると思いますが、あれも数十人の敵の目鼻立ちや指先の動きを細かく書いていてはいつまで経っても話が先に進みません。主人公を基準にどの方向、どの距離に脅威があるのかさえ把握できれば集団戦闘は書ける訳ですね。
 一方で、西部劇の古い拳銃を使った早撃ちのプロセスなどは、そのジャンルにとっては『基本』であったとしても、ある程度は始めにまとめて説明する事で読者さんの理解が早まり、結果として多少文章を増やしてもスルスル読んでもらえる、といった結果に繋がります。全ての読者さんがそのジャンルに精通している訳ではなく、中にはジャンルそのものに初めて触れる方もいると思いますし。やはりこの辺りはそのシーンを描写するにあたって必要、不要の切り分けが重要、という訳ですね。
 これを上手くできるようになれば、『話の後半での逆転劇に使う伏線をさりげなく配置する』といったテクニックに繋げられます。前述とは逆に、わざと文章を少なくし、さらっと流してしまう事で、フェアでありながらも読者さんの意識から『逸らす』、というやり方ですね。
 どうしても切り分けの方法をイメージできない場合、ひとまずは『主人公とヒロインの周辺(腰掛ける椅子や、手にしたマグカップなど)や、彼らの身振り手振り』に重点を置いてみるのも一つの方法です。
 ひょっとしたら、推理小説における密室の完璧さを紹介するシーンでは、こういった取捨選択はできない……とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。あらゆる扉や窓が施錠されている事を確認しないとアンフェアになってしまう、だからとにかく細かく部屋そのものを徹底的に描写しなければならない、と。
 ただ、このケースの場合重要なのは『密室が保持されている』という点だけです。つまり窓や扉の状態を重点的に書き込み、テーブルの上に何が何個置いてあるか、照明器具は電球なのか蛍光灯なのか、といった部分は省いてしまって構わないはずです(もちろん、それが『男性の寝室なのに口紅のついたマグカップがあるから、女性の来訪があったはずだ』など、次のヒントに繋がるのであれば話は別ですが)。
 ちなみに、神様目線の三人称の場合は『カメラ』を意識しますが、キャラクター目線の一人称の場合はそのキャラの目線の注目を意識する事になります。
 この一人称では、たとえストーリー上重要でも『主人公は女の子の事で頭がいっぱいなのに、部屋の隅にあるロープの束をねっとりじっくり説明する』といった事はできません。これだと心と体の動きが乖離してしまっていますからね。下手すると『女の子の事を思い浮かべながらロープの束にねっとり注目しているって、こいつ何をしようとしているんだ?』などと勘違いされてしまうかもしれません。
 一人称視点の場合は、主人公の目線をなぞる形で背景描写をする(例えば、教室を説明する場合は主人公が教室をぐるりと見回す、など)のが基本で、何か主人公の趣味嗜好から外れたものにフォーカスを当てたい場合は主人公が注目すべき事象を与える(部屋の隅のロープの束に猫がじゃれている、など)といった配慮をします。
 地の文には背景描写の他に心理描写にも使われますが、基本は同じです。その時、そのキャラクターが『何を』強く思っているかを意識し、その部分を特に強調するように文章量を増やせば良いのです。例えば強敵と遭遇した場合は『恐怖』『怒り』など様々な感情がまぜこぜになると思いますが、そのシーンが『絶対勝てないからひとまず逃げよう』なのか『ヒロインを傷つけられて怒っている』なのか、主人公の心の動きに合わせてフォーカスすべき感情を選択し、文章量を決めていくべきです。もちろん、他の感情がノイズとなってしまう場合は、フォーカスした一つの感情だけで埋め尽くすのも有効だと思います。


 台詞と地の文、二つの駒の動かし方は以上です。
 色鉛筆や絵の具のセットと同じで、これらを覚えていただければ、お手元にある自作のプロットをなぞって一通り作品の形を整える事はできると思います。
 なお、本当に最初の一文字目をどうすれば良いのかもう分からない方向けのアドバイスをしますと、最初の一文字目を地の文にするか台詞にするかで迷ったら、とりあえず台詞で書こう、というものがあります。
 前述の通り、『電撃文庫らしい話』では、「 」でくくられた台詞が主格で、地の文は台詞を補うものです。読者の皆様も、キャラクターの掛け合いを期待されています。最初の最初から長々と地の文が続くと、その時点で本を閉じられるリスクがありますので。
 ですので、例えば、

 そこは灰色の世界だった。あちこちで斜めに傾くビルや、半ばから折れてしまったものも珍しくない。完全な自然ではなく当時の人々の暮らしぶりが窺えるからこそ、余計に寒々しく感じられるのかもしれない。そんな廃墟の街を、田中は一人歩き、そして言った。
「そこにいたんですか、センパイ」

 とするよりも、

「そこにいたんですか、センパイ」
 そこは灰色の世界だった。あちこちで斜めに傾くビルや、半ばから折れてしまったものも珍しくない。完全な自然ではなく当時の人々の暮らしぶりが窺えるからこそ、余計に寒々しく感じられるのかもしれない。そんな廃墟の街を、田中は一人歩き、そして言ったのだ。
 そこにいたんですか、センパイ、と。

 ……としてしまった方が、読者さんの心を『掴める』可能性が増える訳ですね。
 ただし、これもバランスの問題です。四章立ての話の中で、全ての章全ての節で常に先頭は台詞から始まる、というのでは飽きてしまいます。これはあくまでも、最初の一文字目のためのもの、とお考えください。


 それから、ここで留意すべきは『奇麗な文章を作る』のが目的なのではなく、『文章を読んだ読者さんの感情を揺さぶる』のが目的だという事です。
 これはバトル系より推理系の方がイメージしやすいと思います。
 最初から淡々と時系列に従って容疑者全員の行動を描いた場合、当然ながら真犯人が誰で何をしているか全て分かってしまいます。
 犯人当てを最大限に楽しむためには犯人の行動は伏せなければならず、『情報の出し方』に気を配る事で感情のうねりを生み出す事ができる、という訳です。
『書き方』というツールの獲得と同じくらい、情報の出し方も大切な事です。
 例えばバトル系でも、『ヒロインが追い詰められている事を主人公がどの段階で気づくか』というだけで話の内容は一八〇度ガラリと変わってしまいますから。
 ストーリーを完成させるために、面白さを投げてしまっては何の意味もないのです。


 ……関連して、ビギナーの方が陥りがちな問題の一つに、『リアリティ』というものがあります。この作品はリアリティがない、だからつまらない。そんな風に扱われるからか、やたらとこれを気にして、作品の持ち味を殺してしまう、というパターンですね。
 作品設定、キャラクター、舞台、造語、ストーリー構成、そしてリアリティ。これらは全て一つの作品を作る部品でしかありません。『リアリティのためにストーリーを殺す』とは、言ってみればハンドルを買うために車を売る、と言っているのと同じで、本末転倒です。リアリティと面白さ、どちらを優先すべきかの場面に遭遇したら、私は迷わず面白さを追求します。
 もちろん、『リアリティを追求した方が面白くなる』という場合であれば、徹底的にリアリティを追求すべきだと思いますが。間違っても『リアリティが高ければ高いほど面白さを阻害している』と言っている訳ではないので、そこは履き違えないようにしてください。ここで言っているのは、精一杯リアリティの努力した上で、究極の選択を突き付けられた時にどちらを取るべきか、という話です。


 最初に告げた通り、小説は(基本的には)台詞と地の文の二つしかないメディアです。いかにこの組み合わせを楽しむか、という所に集約されます。絵具や色鉛筆のような基本セットを覚えたら、自分なりの色の使い方を開発していくのが大切だと思います。


 さて、実際の細かい文章テクニックについては後述するとして、ここでは一通り、がむしゃらに原稿を書き終えた後の話をします。
 たとえプロの作家でも、原稿を一回書いたら即出版、という訳にはいきません。何度も何度も手直しして、単純な誤字脱字や設定上の矛盾などを取り除いて、完成されたものを作っていきます。
 知り合いに原稿を見てもらうのが一番ですが、そうも言っていられない場合は、とりあえずその原稿を三日ほど寝かせておくのが有効です。できる事なら、自分で手掛けたジャンル以外の娯楽を徹底的に楽しんで、その原稿の事を忘れるくらいがちょうど良いです。
 そして三日ほど経ったら、改めてその原稿を読み直してみます。
 ……原稿データを衝動的に消去したくなったそこの方、ストップです。もしも恥ずかしさがぶり返したとしても、絶対にそれはダメです。そのデータはあなたの財産なのですから。
 なので財産の価値を高めるため、気になった点は徹底的に修正します。
 ただしここで重要なのは、今そこにあるデータに直接書き込むのではなく、別のファイル名(例えばタイトル名ver2など)を用意した上で修正します。色々修正したらにっちもさっちもいかなくなった、やっぱり元に戻したい、といった場合もありますからね。
 一度原稿を完成させてから本格的に修正作業へ入る時は、プリンターで原稿を印刷してから目を通し、気になる箇所に赤ペンなどで印をつけていきます。
 それができない場合は、原稿データへいったん【 】などで気になる箇所を書き込んでいく方法もあります。この時、修正箇所には〇や☆などを足しておき、後でファイル内検索できるようにしておくのも有用です。
 何にしても、『いきなり原稿へ修正を加える』のではなく、一度全部目を通し、問題点を列挙してから実作業に入る、というのが大切なのです。
 何故なら、一ヵ所を修正すると他の箇所にも影響を及ぼす、というケースもあるからです。例えばヒロインの髪を切るシーンを足したら、以降のヒロインは全て髪を切った状態になりますよね。そういった場合、あらかじめ影響の出そうな場所を全てピックアップしてから作業するように心がけておくとミスが少なくなり、また、文章Aを修正している間にBやCの何を修正するべきかを忘れてしまう、といった面倒な事態も避けられるのです。
 それから、どうしても変更不能で全没にしたい、などの時にも、原稿データを消去するのはやめておいた方が良いです。
 全体としては納得いかなくても、要所要所にキラリと輝くものが眠っていた、なんていうパターンもたくさんあります。バトルはつまらないけどヒロインのキャラは良かった、など。後日、全く別の原稿に挑戦している間にスランプに激突した場合、そうした没原稿の一部設定を引き継ぐ事でクリアできる可能性もあります。やはり財産は財産。自ら放棄する理由は一個もありません。


 プロでもこうした修正作業は何回もするものです。人によってまちまちですが、私の場合は、勝手が分からない内は五回以上もざらでした。
 はっきり言えば、この修正作業は創造性に乏しい上、自分で自分の失敗を見返す羽目になるので決して楽しいものではありません。
 ただし、やるかやらないかで原稿の完成度には雲泥の差が出るため、面倒でも最低三回は読み直すべきです。
 ……ちなみに、この一人きりの修正作業の中で一番陥りがちな問題が、

『説明不足を解消できない』

 です。作家当人は当たり前のように思っている場所でも、読んでいる方にはサッパリ分からない、というものなのですが、これは作家当人が自分の原稿をチェックしているだけでは把握できない事もままあります。
 その点、本当なら知り合いなど他の方々の目を通してもらうのが一番なのですが、そうした機会に恵まれない場合は、『自分が調べた豆知識、前提情報は、果たして読者さんの過半数が理解しているものだろうか?』というのを常に意識しながら原稿に目を通します。
 この場合は、検索すれば分かるだろう、では不親切です。パッと文字を見てパッと頭に浮かぶ、ページをめくる手を絶対に煩わせてはならない、とした上でチェックするべきです。


 特に原稿完成直後は、気分がハイになって自分の原稿が世界最高、もう一文字たりとも変更不能な黄金比で成り立っている、と思いがちです。
 ですが、原稿とは出版される瞬間までは未完成品でしかありません。いくらでも手直しが効くもの、とプライドは捨てた方が自由度は上がります。
 逆に言えば、どんな形であれいったん出版された原稿は(新装版や改訂版などの例外がない限り)、重版時の単純な誤字脱字訂正を除いてもう二度と手直しできません。修正は辛い作業ですが、逆にそれだけチャンスに恵まれているとポジティブに捉えるものと考えています。


 ……ただ一方で、自分で締め切りを決めない場合に陥りがちな問題として、

『何度も何度も何度も永遠に修正作業を繰り返していき、いつまでも原稿が完成しない。というか、完成させるのが怖くなってくる』

 といったものもあります。
 これは完全に個人差の問題ですので、『こうした前兆、あるいは不安』を感じるようになった場合は、『修正は何回までとあらかじめ設定する(例えば三回など)』事を強く心に決めた方が良いかもしれません。
 編集さんを介さずに直接発表するweb小説の場合はまた話が変わると思いますが、小説賞に応募する場合、入賞して出版が決まった後にも誤字脱字を修正する機会は残されています。一文字でも誤字脱字があったら即落選、という事はありませんので、変な『恥ずかしい』や『苦手意識』を湧き出させる温床にさせてしまうくらいなら、思い切って永遠修正地獄を振り切る方へ努力をした方が絶対に建設的だと思います。