ここでは、私が実際に使っている具体的な文章テクニックをいくつか掲載しておきます。説明パートが長すぎて手が止まる、ひとまず完成したんだけどケレン味が足りない、などの問題にぶつかった際に活用していただければと。
『実際に起きた現象と描写する順番を変える』
特に不意打ちを受けた時など、当人の混乱も含めて表現するための手法です。
例えば、
1『山田先輩は鉄パイプを振り下ろした』
2『田中の後頭部に直撃した』
3『鈍い音が響き、田中は崩れ落ちた』
とするのが順番としては正しいですが、これを敢えて、
2『ゴンッ!! という轟音が炸裂した』
3『気がつけば、田中の視界は横倒しになっていた』
1『そこまでされて、ようやく田中は自分の後頭部を山田先輩に殴られたのだと気づいた』
と入れ替えてしまう方法ですね。
あまり多用すると訳が分からなくなるので、ここぞという場面を選んで使います。
『最初の20ページ以内に明るいシーンを挟む』
必ずしも全ての作品で踏襲している訳でもありませんが……。のっけから複雑極まる世界観やバトルの説明が何十ページも続いてしまうと、読者さんが本を閉じてしまいます。それを防ぐために、ページを開いた瞬間に最も読みやすい、するっと呑み込めるシーンを挟む、というやり方です。
例えば食事シーン、女の子との会話、猫や犬などのマスコットと戯れるシーン、などなど。これは『複雑なシーンを省く』というよりは『安心して読める、とりあえずいきなりキャラが死ぬとかそういう不安を省く』という方が近いかもしれません。
キャラクターの説明もできていない内からそんなのできるのか? と疑問にお思いの方は、何だったら思い切って時系列を入れ替えてしまう方法もあります。のちに仲良くなる主人公とヒロインの日常会話シーンを一部切り取って、一番最初に持ってくる、というパターンです。
具体的には『未踏召喚://ブラッドサイン』一巻でこの方法を使っています。複雑怪奇なブラッドサイン式召喚バトルを一番最初に持って来たら全員本を閉じるなと思いまして、時系列をずらしてでも城山恭介、愛歌、緑娘藍の会話シーンを挟む、という形でやっています。
……ちなみに、全く正反対の方法として『ページを開いた瞬間に殺人事件、戦争、災害などのまっただなかに放り込まれる』というものもあります。
ただしこの場合は複雑な設定乱舞でいきなり読者さんの頭をパンクさせてしまう、などでは意味がなく、『印象的なシーンを写真のように一枚切り取り、その鮮烈な「画像」を読者さんの頭に叩き込む』という方に寄せるべきです。
(例えば学校の校舎より巨大なドラゴンが容赦なく襲いかかってくる、高台から街を見下ろすと絨毯みたいにびっしりとロボット兵器が敷き詰められている、など)
ようは、膨大な設定はいきなり呑み込めなくても『その一枚』さえ頭に浮かべばツカミを取れる、三〇〇ページなり四〇〇ページになりに立ち向かえる、と思っていただくための仕掛けです。
ネガティブな入りは一見理解するまでに時間をおかけしてしまう、と思われるかもしれません。ですが『その一枚』に留意すれば、実はポジティブな入り同様、するっと呑み込めてしまうものなのです。
逆に最も怖いのが、ポジティブでもネガティブでもなく、感情面の薄い平坦な序章がずーっと続く事。『最初の一ページ目からこれって事は、あと三〇〇ページも続いたらどうなるんだ……?』と危惧されてしまう事です。
ポジティブとネガティブ、どちらにしても本質は同じなのです。最初から人をうんざりさせるような仕掛けはやめよう、という感じでしょうか。
この小説は二〇〇ページ目からが本番なんだよ、では、二〇〇ページに届く前に本を閉じられてしまった場合、その努力は報われない事になってしまいますからね。
『小さな目的で大きな世界を救おう』
いきなり世界を救うとか人類を守るとか言われると、そのスケールに読者さんがついてこられなくなる場合があります。これもまた、一〇〇万円と一〇〇億円の問題ですね。
なので、『目の前のヒロインを救うと、結果として世界も救われる』といったバランスを取ると、スムーズに感情移入が進む事があります。
『説明パートでは身近な行動を重ねる』
魔法や超能力の説明は、それ自体にケレン味があればぐいぐい人を惹きつけますが、そうでない場合は読者さんが飽きないように工夫する必要があります。
一番分かりやすいのが『食事』です。
言葉では世界の裏側の仕組みなど複雑怪奇な事を延々としゃべりながら、行動では目玉焼きに醤油をかけたり黄身を潰したりしている、というパターンですね。
「タロットとトランプの最大の違いは、上と下の概念が存在する事なの」
先輩はお箸を使って目玉焼きの黄身を潰しながら、
「正位置、逆位置と言うんだけど。例えば同じ『愚者』でも、逆さになっているかどうかで意味は全く変わってくる」
「正反対の賢者にでもなるっていうんですか?」
追加の野菜炒めの皿を置いた田中の言葉に、先輩はくすりと笑って醤油の小瓶を傾けた。
「そこまで単純じゃないよ。この醤油がソースになるように、微妙に捻じれた意味が与えられるかな」
などです。
説明そのものをいきなり呑み込む事はできなくても、その微笑ましい行動が見たくて先を読みたくなる、そしてどんなきっかけであれ、説明パートを一通り乗り越えればきちんと中身を理解してもらえる……という効果を生み出す事ができます。
食事の他にも、ペットと遊びながら会話する、テレビゲームをしながら『実際の魔法はこんな簡単じゃないんだけどねえ』などとぼやくのも使えます。
『説明パートは心のマラソン』
これは、特に『地の文で』説明を行う時に強く意識しなければならない項目です。よほどケレン味のある情報でない限り、基本的に説明パートは書いている方は楽しくても、読んでいる方は苦しいパートです。
なので、説明パートが長すぎると感じた場合は、
『すでに愛着を持たれているであろうキャラクター、特にヒロインの口から説明させる』
『説明パートが立て続けに連打されないか意識する。可能ならほのぼのしたシーンや、女の子の頻度が高まるシーンなどを挟んでいったん休憩できないか考慮してみる』
などの努力をするべきかな、と。
『上げて落とすを意識する』
主人公がピンチになる、というシーン作りは、ストーリーの最初から最後まで強敵が出ずっぱりでは緊張感がなくなってしまいます。
なので、主人公がピンチになるシーンの直前にラブコメなど微笑ましいシーンを挟んでおいて、いったん緊張の糸を緩めてから強敵の不意打ちでズドンと落とすなど、読者さんの感情の起伏を意識した構成を心掛けます。
『一人称と三人称のメリット、デメリットは?』
『僕は言った』が一人称、『田中は言った』が三人称です。さて、どちらの方がお話を作りやすいのでしょうか。
一人称の最大の利点は、視点となった人物の心理描写をたくさん書き込む事ができる、という点です。特に恋愛モノやサスペンス色の高い作品で威力を発揮します。
一方で、『自分以外のキャラクターの心理描写を描けない』『隣の部屋で起きている事など、自分の視界外で起きている事を説明するためには、自分がそこへ行くしかない』『自分の知らない情報は出せない。例えば自己紹介のない敵キャラの名前とか』などなどのデメリットがあります。
三人称は逆に『全員の心理描写を描ける』『隣の部屋で起きている事も描ける』『主人公が自己紹介されていない人物の名前も出せる』といったメリットがあります。
……こう書くと三人称の方が便利に思えるかもしれません。しかし逆に、三人称視点は『神の目』とでも呼ぶべきか、とにかく一人のキャラに肩入れするのが難しいやり方でもあります。
まずはこれを理解していただいた上で。
特に『とある魔術の禁書目録』では、普段は三人称でありながら、キャラの心情がヒートアップしていくと一人称に近い文体へシフトしていく、という手法を使っています。本来ならご法度なのですが、上手に機能させられれば、読者さんの視点をぐぐっと主人公に合わせてしまう、注目を集めさせる効果を作れます。
また、『インテリビレッジの座敷童』では、普段は主人公の一人称視点ですが、複数の主人公が合流した際は、
1(陣内忍)
といったように、節番号にキャラの名前を書いてしまう事で、『この一人称は誰の視点なのか?』という疑問を払拭させています。
『擬音は使う? 使わない?』
ドカッとかバキーンとか、こういうのが擬音です。
使うととにかくイメージが湧きやすい一方、あまり多用すると安っぽくなる、という弊害も出るこの擬音。使うかどうかは各人の判断にお任せなのですが、私の場合はあまり遠慮しないで使っています。
テクニックとしては、
『理論が複雑で分かりにくい攻撃に、擬音を使って分かりやすくさせる』
『不意打ちなど、読者さんをとにかく驚かせるのが優先の場合に擬音を使う』
などがあります。
特に前者については、あらかじめ理論武装によってある程度重厚さを確保できている場合、安っぽくなる問題は無視して構わないので、擬音を乱発しても大きなデメリットはありません。
また、『キャラによって擬音が出るキャラと出ないキャラがある』といった風に定義づけてしまうのもアリです。
ちなみに、擬音についてはシンプルに使う、使わないの他に、双方の表現を組み合わせたハイブリッドもあります。
例えば、
体感的には止まった時間の中で、田中が水平に振るった日本刀が真珠のように輝く雨粒を一つ一つ切り裂いていく。その終着点にあるのは迫りくる弾丸。ライフリングによって錐をねじ込むように迫る、死を内包する鉛の塊が、恐ろしく鋭利な刃へ接触する。
オレンジ色の火花が散る。
直後に、時間が戻った。
ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!! と、立て続けに放たれた弾丸全てを叩き落としていく。おののく山田先輩へと、その切っ先をゆるりと回して突き付ける。
といった感じですね。
最初の一発目をねっとり説明した上で、続く連射は全て擬音で省略してしまう、というやり方です。
『伏線って何?』
伏線とは、ある答えを導くために、事前に明記しておく情報の事です。
例えば、モンスターは火に弱い、という展開を作る場合、その情報が明かされるより前に、『煙草を吸っているキャラからモンスターが離れる』などのヒントをちりばめておく訳ですね。
伏線は必ずしも必要な項目ではありません。
例えばどんでん返しなど、『ただ文章を流すだけでは段差が際立つ』場合に、その段差を均してスムーズに読んでいただくために必要なものではないでしょうか。
ちなみに伏線は『後で言われてもどこにあったか分からない』位置に置いては意味がないため、作中で答え合わせをした段階で『ああ、言われてみればあそこにあったな』と思い出していただけるくらいの温度感を大切にします。
本当に初歩的なところですと、
『各章の始まりと終わりの辺り』
『主人公とヒロインの関係性が切り替わる辺り』
『作中で常識と思われていた設定が覆された辺り』
はインパクトが強く、長いページを挟んでも比較的覚えていただける事が多かったりします。
『バトルにおける感情移入のタイミング』
銃や刀、魔法や超能力が飛び交うバトルシーンはとにかく派手で、『電撃文庫らしい話』に憧れている方の中には挑戦してみたい人も多いのでは?
ただ、実際にはバトルシーンそのものと同じくらい大切な事があります。
それはバトルの直前。
主人公とライバルのバトルとは、実は『戦っている姿が格好良いのではなく、実際にぶつかる直前にはすでに主人公の格好良さがインプットされている』んですよね。
ヒロインを助けるために全てをかなぐり捨てて強敵に立ち向かう主人公の決意が、リスクを負ってでもリングに上がっていくのが格好良いのであって、リングに上がってから格好良さを組み立てようとしても周回遅れ、という事です。
起承転結の四章立てで、四章の結で主人公とライバルが衝突するとします。その場合、一から三章までは全て、『その戦いのための準備期間。チェスや将棋をするために一つ一つ盤上へ駒を並べていく行為』とするべきなのです。そして万全の準備を整えた上で、いざ四章のラストバトルへ向かう。これで銃弾一発、拳一つに込められた価値は無限に高まるのです。
逆に、バトルが始まってから格好良くしよう、だとどうしてもモタついてしまうというか、バトルの前半部分が『何をやっているんだか良く分からない、せっかくのド派手な魔法や超能力の単価がゼロに近い状態で乱打される』といった弊害が発生する懸念があります。
漫然とバットを振るのではなく、病気の子供のためにホームランを打つと約束したとか、そういうエピソードを紹介してから打席に立ってみよう、という感じですね。どちらもバットを振るフォーム自体は同じでも、見る人の印象はガラリと変わるはずです。
『人を驚かせる上での注意点』
作り手側の楽しみの一つに、読者さんを驚かせる、といったものがあります。
ただ、その驚かしが読み手の側にとって気持ちの良い裏切られ方であるかどうか、をちょっと考えてみるだけで、作品の親切度はかなり変わってくると思います。
これは悪趣味の極みですが、ただ人を驚かせるだけなら簡単なのです。ラスト五ページで主人公が唐突に敗北し、目の前でヒロインが無残な方法で殺されてしまえば、誰だって驚きます。……ただし、本当にその展開が望まれていたかどうかはまた別の話ですよね。
『数の飽和数を考えよう』
これは一〇〇万円と一〇〇億円の違いを思い浮かべていただければ分かるのでは? 少なくとも私には、一〇〇億円という数字をリアルに想像する事はできません。どれくらいの山になるんだろう……?
どれくらいの数が『想像できる範囲のリアル』で、どこから先がイメージの外へ逃げてしまうかは、それぞれ物によって変わると思います。
その上で、
『あまりにも残酷な場合は、いっそ数の飽和量を超えてみる』
といったテクニックがあります。
実は『とある魔術の禁書目録』三巻であった、軍用クローン二万人殺害を旨とした『実験』は、最初期は二〇〇人くらいの計画でした。
この方法は、特に巨大ロボットものでしょっちゅう使われています。『あの戦争で地球の人口が一割に減った』とか、サラッとした感じでとんでもない事言っていますよね。
……一方で、リアルな数字、リアルな怖さを演出しなければならない場合は、たとえ数を増やす事はできたとしても、『想像できる範囲のリアル』を追求します。
刑事モノで『伝説の殺人鬼』と戦う話なのに、そいつが過去の悪行で一億人殺していました、と紹介してしまっては『おいおいおい』となってしまいますからね。
他に、似たような効果として『音速を超えてみる』というのもあります。
肉体の挙動にしても、砲弾の速度にしても、『音速に届く』『音速の何倍』と表記するやり方ですね。合理性ではなくいわゆるロマンの話なのですが、でも当然、音速に届いたからには音速に届くとどうなるのか、の部分に留意する必要はありますので、そこだけはご注意を。
あ、さらに桁を飛ばすと、『光速の〇〇%』という表現もあります。
『ホラーやサスペンスでは、主人公以外の登場人物の心の中を書かない』
ホラー作品に登場するからと言って、なめくじを食べるとか自分の手首を切るとか、エキセントリックな行動をさせる必要はありません。
その代わりに、読者さんが感情移入する主人公以外のキャラ全員の心を読めないようにしてみましょう。仮に『怖がっている』『怒っている』という感情を表現する際も、『主人公から見て、そういう風に推測される』という形に置き換えるのです。
一番怖いのは人間です。極限状況に追い詰められた一般人が汗をだらだら流しながら小刻みに震えているだけで、十分に怖いのです。たとえその人物が人畜無害で、本当に怖がっているだけだったとしても。そして周囲の誰も信じられず、自分の身は自分で守らなければならなくなれば、スリルは飛躍的に増すでしょう。『この人なら大丈夫』という安全地帯は作らない、あるいは途中でわざと裏切らせるために用意する、くらいの気持ちがベストです。
逆に言えば、サスペンス系の話でキャラクターの『本音』を全て開示してしまうと、誰が安全で誰が危険かが分かってしまうため、あまり好ましい状態ではありません。三人称視点で他のキャラの内面を描く場合でも、『その人物を信用しても良いのか、悪いのか』の部分は徹底して隠すべきではないでしょうか。
ちなみにこれはホラーやサスペンスだけでなく、例えば、
『異能力バトルにおいて、敵が無敵に思えている間は敵の心理描写をしない』
『ギャンブル系やデスゲーム系において、腹の探り合いをする』
といったように他ジャンルに組み込む事もできます。
また、ジャンルは全く違いますが、恋愛に主軸を置いた作品、特に片想いから告白までを描く作品の場合、意中のヒロインの心中は徹底的に描かず、顔を赤くする、目を逸らす、などの態度で示した方が効果的になるようです。『見た目は仲良しだけど、本当に心を繋ぎ止める事はできているのかな?』という疑問を生む事で、ヒロインを高嶺の花にする訳ですね。
『困ったら学園モノにできないか考えてみる』
例えば原子力空母や潜水艦を使った手に汗握る海洋バトルがやりたい! ……でもそうなると登場キャラはむさ苦しいオッサンだけになる。さあどうする!? といった問題が発生した場合などの対処策。
空母でも潜水艦でも空中大陸でも飛行城でも、それは何かしらの『学校』にできないか。すると、乗組員の大半を学生、つまり少年少女に変更する事はできないか。中高生ターゲットの場合は、こうした努力によってメイン層へ近づける事はできないかな、と。
もうちょっと年齢層を高くする場合は、『企業化』してしまう、という手もあります。
……これ、実際に学校化する、企業化する、という単純な効果の他に、凝り固まっていた作者の頭をほぐすためにも有効な方法です。
ようは『この話はオッサンだらけじゃないとできないでしょ!』というガチガチのイメージを、『いったん学校や企業に組み替えても何とかなったって事は、こことここは変更できるんじゃね?』と態度を軟化させるきっかけにもなる訳ですね。感覚的には、日本語を英訳ソフトにかけて、出てきた英文を和訳ソフトにかけるとデタラメな文章に組み替えられている、あのイメージに近いでしょうか。
『超常の破壊力を現代兵器に置き換える』
特に魔法や超能力などを説明する際に有効な方法です。光の盾で戦車砲を防げるから彼女はすごい、というやり方ですね。
ただ、あまり頼り過ぎると『現代兵器に置き換えられるなら、現代兵器で良くない?』という弊害も発生するのでご注意を。
この方法のメリットは、
『なんだかんだ説明しておきながら、超常の方が現代兵器よりちょっぴり便利』
『一切道具に頼らず、生身一つで再現しているからすごい』
のどちらかに寄せる必要があります。
ちなみに、全く逆のプロセスで、『真正面からでは現代兵器に勝てないが、搦め手を使うと現代兵器を覆す可能性を持つ』という説明の仕方もあります。
例えば、
『ステルス戦闘機には勝てないが、パイロットを遠隔洗脳してしまえば制御を乗っ取れる』
などですね。
『作中ブラックボックスを作ろう』
世界観を一通り作ったら、ストーリーの本筋とは関係ない箇所をピックアップします。そしてその内の一ヵ所を徹底的に隠し通し、読者さんの想像にお任せする、という手法です。
『ヘヴィーオブジェクト』における『北欧禁猟区』『安全国』などが当てはまります。
このメリットは『想像の余地を残す事で、作中設定に深みを与えられる』事と、『外伝を作るなどの非常措置を講じるためのスペースを確保しておく』事、二つの強烈なメリットがあります。
ただし注意しておきますが、これはあくまでも『すでに固めておいた設定を隠す』行為です。設定そのものを用意せず、『面倒だからブラックボックスしちゃえ』では、自らバグを呼び込むようなものにしかなりません。
……ちなみに『ヘヴィーオブジェクト』では、マリーディ=ホワイトウィッチを主人公にした北欧禁猟区でのストーリーが丸々一冊分、印刷所入稿レベルで存在します。果たして公開できる日が来るのかは限りなく未定ですが……。
やろうと思えばそこまでできる、でも敢えてここは伏せる。
それくらいの遊び心をもって、ブラックボックスを作りましょう。
もちろんブラックボックスに指定したからと言って、もう二度とその情報を開示してはならない、という訳ではありません。
少しずつ情報を開示していく楽しみ、外伝枠として一挙にドバッと提示する楽しみ、満を持して本編の中へ合流させる楽しみ。扱い方は色々あると思います。
(補足。ただし『出し惜しみ』しすぎて作品の魅力が伝わらない、では本末転倒です。ここで重要なのは、『物語の本筋とは関係ない、説明されなくても先に進める』設定を『一ヵ所だけ徹底的に隠す』事です。
つまり、主人公やヒロインの秘密、ラスボスの目的などはストーリーの進行に直結するため、ブラックボックス化できない、一時的に隠す事はあっても後で一〇〇%明かす事が決定しているためブラックボックスとは呼ばない、という訳ですね)
『受け入れがたい行動を取るキャラはブラックコーヒーと考えてみる』
暗殺、陰謀、裏切りなど、普通の読者さんの感性では受け入れがたい言動を繰り返すキャラクターを投入しなければならない場合、その印象を少しでも打ち消す要素を投入するなどの配慮をします。ブラックコーヒーの横にミルクや砂糖を置くのと同じ努力ですね。
例えば究極の暗殺者なんだけど、今は子猫の体に魂が入っている、とか。
例えば国を滅ぼす妲己だけど、今は弱体化して美少女になっている、とか。
ただし、そのキャラクターの本質、性格、魂の部分までいじるのはかえって逆効果かもしれません。コーヒーをオレンジジュースに交換するのと同じで、それはそれで本末転倒になってしまう、とも思いますので。まずは『受け入れがたいキャラクターと分かっていて登場させる事自体が、ある種読者さんに対するわがままである』という事を自覚した上で、それならせめて少しでも苦味を消す努力をしよう、と意識するのが大切だと思うのです。
具体例だと、『インテリビレッジの座敷童』の菱神舞や、『簡単なモニターです』のバニーガールなどが当てはまります。
ただし、この値は『一〇〇%消去』ではありません。
どれだけミルクや砂糖を入れても、コーヒーがサイダーになる訳ではありませんからね。
肝試しやお化け屋敷において、驚かす側と驚かされる側の許容量はそれぞれ違うと思います。そして普通なら、驚かす側の方が値は大きくなってしまうはず。安全策を取るならば、作り手側がいったんここまでと決めたリミットギリギリより、一回り二回りソフトに仕上げる癖をつけるのも一つの手です。
『四人一組の魅力』
……どういう訳か、四人一組の少女グループ、という組み合わせがやたらとヒットするのです。『とある科学の超電磁砲』の美琴、黒子、初春、佐天しかり、『とある魔術の禁書目録』の『アイテム』の麦野、絹旗、フレンダ、滝壺、または『新たなる光』のレッサー、フロリス、ランシス、ベイロープしかり。
二人でも、三人でもなく、四人。
これは男二人女二人ではなく、女だけで四人、というのが良いみたいです。私自身、未だに完璧な分析ができている訳ではないのですが……男の影がないというか、四人のキャピキャピを神様目線で楽しむというか……?
もしも敵グループなどで存在感をアピールしたい場合は、女の子四人組にしてしまうのもアリかもしれません。ただし、『全員をちゃんと使う』という縛りが発生してしまいますが。
『特殊記号の使い方』
いわゆる『!!』『!?』『……』『―――』など、文字以外の記号ですね。
使用そのものに賛否があると思いますが、ここでは使う場合のテクニックを。
『!!』と『!?』については、自分の場合は疑問的な言葉の場合は『!?』、それ以外の叫びは『!』や『!!』を多用しています。ちなみに自分ルールで『?!』は使わない、といったものも。
何にしても、この作品の中ではこういうルールがある、と決めて書いた方が統一は取れてすっきりすると思います。
『……』『―――』は最もシンプルな使い方として、
「……センパイ、一体どうしたんですか?」
(口調を控え目に、静かにする)
「―――田中君、私は感情を凍結したんだよ」
(ロボット的な、無機的な印象を与える)
といったものがあります。
また、『……』は単純な沈黙の他、『!!』と組み合わせる事で『あまりの爆音で聴覚が吹っ飛んだ』という表現にも使えます。
『―――』については、間に単語を挟む事で、説明の繰り返しに使えます。
例えば、
田中は取り出した棍棒―――そう、先日山田先輩の頭をぶん殴ったゴム製のあれだ―――を手の中で軽く回した。
などですね。
他にもインタビューの質問文として、質問者の名前を隠す意図で、
―――では田中さんは、山田先輩の頭をぶるんぶるんのゴムの棍棒で殴る事に躊躇はなかったと?
といった使い方もできます。
『……』『―――』を通常の台詞に織り交ぜる事で、破れた日記やノイズの酷い通信など、とぎれとぎれの情報にする処理もできます。
『聞こ……すかセンパイ! 頭殴っ―――反省し……ますからガトリング……やめ―――うよー……!!』
などです。
コツとしては、『まずノイズに冒されていない普通の文章を書いてから』ノイズ表現を足す事。そして『……』『―――』を挟むため、原文は同じ文字数だけ削る、という事です。
例えば『……』を重ねる場合は二文字分削ってから差し込む、という訳で。『田中君の……馬鹿野郎!!』ではなく、『田中……馬鹿野郎!!』にするのです。
文字数を合わせる事で、『そこには何文字分入るから、前後の文字と合わせてきっとこんな文字があるんだろう』とヒントを残してあげる訳です。
また、『―――』は頻繁に場所移動をする際の、地の文の先頭につける事もできます。
―――校門前には田中が立っていた。
「さて行くか」
―――昇降口には田中が立っていた。
「それなら僕も」
―――廊下には田中が立っていた。
「なら僕も」「僕も」「僕も」
「ちょっと待て、田中君。君は数の概念を超えたのか!?」
などですね。
『最後の最後にテーマ全否定』
これは、弱肉強食など特にシビアなテーマを取り扱う際のテクニックです。
一~三章まで徹底的にシビアな話を繰り広げた上で、ラストの四章において、主人公がそのシビアなテーマの対となる答えを突き付ける、といったものですね。
例えば殺人鬼ばかりが活躍するストーリーにおいて、他の全ての殺人鬼を殺して最強の座を手に入れたラスボスが、何の力も持たない主人公と対峙したとします。ここで主人公が『殺し以外の解決方法』を提示する事で、『殺しなんか良くない』という正反対のテーマを投げかける形になります。
この場合、主人公の実質的な台詞回しはラスト四章にしかないにも拘わらず、『きっとこれまで長々と積み上げてきたものと同じだけの物量が、主人公の心の中にあるんだろう』という美味しい効果を生み出せます。
復讐劇やデスゲームなど、後味が悪くなりそうだけど挑戦してみたい、というジャンルに向かう場合、こういう掌返しで読後感を爽やかにしてしまう、終わり良ければ全て良しという形で印象を整える、などもできるという訳です。
『バイオレンスはボスキャラに任せる』
主人公にだって不良をぶん殴らせたいし、ガキンチョだろうがジジイだろうが常軌を逸したルール違反には制裁を加えたい。でもそれやったら博愛主義の主人公としての持ち味が死ぬよね……という場合は、ボスキャラにその役を任せてしまう、というのも一つの方法です。
また、主人公にできない事をボスキャラに、ボスキャラにできない事を主人公にやらせると、『主人公とボスキャラは表裏一体=互いに決着をつけられるのはこいつだけ』なイメージを強く出す事ができます。
『復讐劇のお約束』
復讐のターゲットについては一人も許さない、何があっても絶対に皆殺しにする。……そんな主人公も格好良いのですが、ここでさらにアクセントがありまして。
『復讐のターゲット以外は絶対に傷つけない。そのためなら回り道も許容する』
『復讐のターゲットに近づくのに必要はないのだが、たまたま見かけた一般人の危機に思わず助けてしまう』
といった演出を加えると、ダークヒーローとしての魅力がぐっと上がります。
これを行う事で、
『主人公は本来ならヒーロー側で、その技術を使って復讐をしている』
『あの悲劇さえなければ、主人公は立派なヒーローだったのに』
感を増す事ができる訳ですね。
……逆に、一人のターゲットを仕留めるために一〇〇〇人の一般人ごとビルを爆破する、といった形の復讐者は、正しいけれど受け入れられない、となるリスクが出てしまいます。
この復讐者と似たような法則として、『裏稼業の人間は陽の当たる世界の一般人に迷惑をかけない』といったアクセントもあります。
『重要な役には枠を設けよう』
学園都市でも七人しかいない超能力者、世界でも二〇人もいない聖人、百鬼夜行の五本指、などなど。最強クラスの戦力を登場させる際、『一人きりしかいない』よりも『何個かの枠しかない』の方が箔がつくというか、ぐっと生々しくなる場合があります。これは全世界統一政府か国連常任理事国かの違いかもしれませんが。
もちろん設定してしまった以上は全ての枠を埋めなくてはならないのですが、ケレン味が足りないと感じられた場合は、こうしたデコレーションを施してみるのもいかがでしょう?
また、設定したからと言って、一冊の中で全員を登場させる必要はありません。大事なのは、枠を用意したからにはきちんとそれを埋めておくフェアな心構えだと思います。
『パソコンのスペック自慢は危険』
ケレン味を足す手段として、とにかく優れたスペックを書き連ねる……というものがありますが、パソコンや携帯電話などについては例外。これらは数年単位、下手すると半年単位で新機種が出てくるため、自信満々に書いた『当時の世界最先端』が、あっさり型落ち扱いされる事も珍しくありません。
書籍は一〇〇年残るメディアとも言われているくらいですし、この辺りは意図的にボカした方が安全なのです。
『殺伐とする場合はマスコットを用意しよう』
例えばサスペンスやホラーなど、人間同士のコミュニケーションが容易に取れず、しかし会話劇でなければ話を先に進められない場合などは、キャラクターを仲立ちしてくれるマスコットを用意するのも一つの手です。
犬や猫といったペットから、妖精、AIまで何でもオーケー。ただし留意していただきたいのが、これらのマスコットとは一〇〇%完璧には意思疎通ができないくらいが望ましい、という点です。
犬や猫の場合は、人語を話す事はできません。しかし身振り手振りで何となくペットが望んでいる事が分かる、それが妙に人間臭いから可愛らしい、という心の動きに繋がる訳です。これが人語を話して一〇〇%理解できてしまうと、『妙に人間臭い』の部分が消えてしまい、『マスコットというより、そういう形のキャラクター』になってしまいます。
例えば、『とある魔術の禁書目録』に出てくる三毛猫スフィンクスはマスコットですが、『インテリビレッジの座敷童』に出てくる小型犬に似た妖怪すねこすりはキャラクターだと思います。
『五感にはイメージしやすいものとしにくいものがある』
個人的にはイメージしやすい順番で並べると、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚かなと思っています。
小説を書く上で最も難易度が高いのが味覚です。甘い、辛い、酸っぱい、塩辛い……まあ色々ありますが、これをそのまま書くのでは『田中が怒った』『田中は喜んだ』と同じで味気ないですしね。これだけ並べて『美味しい料理がどれだけ美味しいか』を表現するのは至難です。
かと言って、『夏の陽射しを詰め込んだようなオレンジ』『口の中に入れた途端消えてしまうような脂肪』といった『ようなような』の連呼もまたいただけません。
こういった場合、味覚や嗅覚といった難易度の高い感覚を、視覚や聴覚といった別の感覚に置き換えて描写する、という方法が有効です。
例えば血の匂いを表現する時に『鉄錆臭い』という言葉を使うのはあまりにも有名です。あれ、もちろん錆の匂いそのものにも言及されているのですが、実は『赤い錆』というイメージそのものが、乾いた血液に似ているという視覚的な連想も与えているんですよね。
また、前述の料理の場合は、『コリコリした感触』『口の中で弾ける音』など、味以外の触感の部分をねっとり描く事で乗り切る、といった方法もあります。
加えて、視覚や聴覚で表現不可能な情報は、キャラクターの表情や態度で示す、といった方法もあります。
例えば料理を食べたキャラクターがにっこりと笑うとか、形のない幽霊を描くのではなく、それに追い詰められているキャラクターの汗まみれの顔を重点的に描くとか、ですね。
『背景に象徴を織り込む』
土砂降りの雨の中でキャラクターが泣き崩れている……というのは定番中の定番。キャラクター重視の作品の場合、背景描写などがおろそかになる事もままありますが、使える場合は積極的に使っていくのもアリです。
『ヒロインとの別れのタイミングを夕暮れにする』
といった天気や時間の問題から、
『ちょっと近未来な感じを出すために、街中に風力発電のプロペラを立ててみる』
などのロケーションそのものまで、まあ色々です。
これはシーンごとか、あるいは作品全体のテーマに合わせて行います。
重苦しいディストピアの話をする場合は、舞台も分厚い岩盤の下にある地下都市にしてしまう、などです。