【第八章】



 実際に意識が飛んでいたのは、数秒くらいだろうか。

「く、ああ……」

 倒れたまま、のろのろと頭を振って辺りを見回す。ゾンビのアユミはとりあえず無事。水着委員長も心配だったけど、ぼくより先に身を起こしたところだった。こんな時にも紐が解けていないのは流石だ。

 そしてここは銀行の大金庫みたいな分厚い扉の、その先。

 奥に広がっていたのは……、

「痛てて……なっ、何だこれ?」

「……、」

 思わず素っ頓狂な声を出すぼくに、アユミは険しい目つきをするだけだった。

 部屋、というより通路かトンネルといった方が近い。剥き出しのコンクリートが、半球状、かまぼこ型の断面の通路をどこまでも伸ばしている。壁際には白々しい暗い無機質な蛍光灯の光がずらり。そして足元には金属製のレールが走っていた。普通の電車よりも幅は狭い。

 壁には大きく『228D』と印字されていた。

 国道とか県道みたいな、トンネルの番号なんだろうか?

「できるだけここには来たくなかったんだけど……でも背に腹は代えられないし」

「?」

 アユミはここに……扉の向こうのシェルターに入った事があるんだろうか。

 そんな疑問を抱きながらちょっと歩いてみると、トンネルは枝分かれしていた。単なるY字路という訳ではない。あっちこっちに短い間隔で分岐があり、レールも複雑に交差していた。一本道というよりも、蜘蛛の巣みたいに枝分かれしている。

「各家庭と接続している場合、上下水道や都市ガスのように入り組んだ構造になるのが自然かもしれません」

「そうなのか……。それにしても戦隊モノの秘密基地みたいな場所だな」

「そして」

 水着委員長は一度区切った後に、

「ユーザー様。何故この地下待避所は水没していないのでしょう?」

「何だって?」

「ダム破壊工作により供饗市の大半は水没しているはずです。そして各家庭の地下には同種の扉がある。システム達が入った高台病院のような例外でもない限り、どこか一ヵ所でも扉が開いていれば、そこから膨大な水が流れ込むと思われるのですが」

「……、やな予感しかないけど」

 そんなやり取りをしている最中も、アユミは無言だった。

 やがて彼女は噛んでいた唇から歯を離すと、ぽつりと切り出してきた。

「そんなの当たり前じゃん……」

「何が?」

「だってここ、そもそもトルネードシェルターなんかじゃないもん。どれだけすごい台風が来たって、一度も開放された事はないでしょ?」

 言われてみればその通りなんだけど、じゃあ何のためにあんな分厚い扉やトンネル網が街の地下に広げられているっていうんだ。安全に地面を掘って、出てきた残土を処分するだけで莫大なお金がかかるって話は聞いた事がある。伊達や酔狂で秘密基地ごっこなんてするとは思えない。

「ユーザー様、税金対策ではないでしょうか。年末に意味もなくあっちもこっちも道路を掘り返しているあの延長線上的な?」

「だとしたら最低過ぎるぞ」

「あっはっは。世の中なんて無駄と道楽で回っているものですよ。災害環境シミュレータなんて実生活で何の役に立つというのですか」

「サラッと自分の存在意義を否定するんじゃない」

「そうじゃないって。だからここは……!!」

 アユミが言いかけた、その時だった。


 パン!! パパン!! と。


 何かが弾けるような音が連続した。

 アユミはとっさにぼくと委員長の手を引いて、いくつも枝分かれするトンネルの一つへ逃げるように飛び込んでいく。

「んっ、何だ? 今の銃声!?」

「この状況で爆竹だのかんしゃく玉だのって考えているならよっぽど平和な頭だねお兄ちゃん……」

 皮肉っぽく言うアユミのおでこからは汗がじんわり浮かんでいて、しかも肩の辺りに赤黒い穴が空いていた。

 何か言う前に、ゾワリ!! と背筋に何かが走り抜ける。

 アユミが、何か、違う。

 口がパクパク動くだけで、ぼくは言葉を出せない。その横顔を見ているだけでチリチリとうなじの辺りから電気みたいなのが暴れ回る。

 一方、当の妹はこちらを見ないまま、ぼくの唇に人差し指を当ててくる。

 恐ろしく低く、そして冷たい声で彼女は言った。

「お兄ちゃん達はここにいて。ちょっとあいつら黙らせてくる」

「あっ、おい、アユミ……!!」

 引き止める暇もなかった。

 まさに疾風。あっという間に通路へ飛び出していったアユミの姿が消える。別のトンネルの方から怒号や絶叫、そして悲鳴と銃声が溢れ返ってくる。

「例の劇症型だ! ついに中まで入ってきやがった。撃て、撃てえ!!」

「緊急退避マニュアルはどうなったんだ、班長の指示は!?」

「いちいち待っていられるか、死の指先はもう目の前まで来ているんだぞ!!」

 ドパン!! パパパン!! タタンタタタタン!! と。

 連続的に鳴り響く爆発音は、どう考えたってお巡りさんが持っている小さな拳銃とは違う。アサルトライフル? サブマシンガン? 軽機関銃? 細かい分類はサッパリだけど、間違いなく軍用品だと思う。

 密閉空間だからか、花火のような匂いに鉄錆臭い匂いが混ざり、徐々に密度を上げていく。

 でも、何だあれ?

 アユミやエリカ姉さん、アークエネミーなんかよりよっぽどふわふわしていないか!?

 現実味が湧かずに、しばし置いてきぼり。でもおかしいんだ、ここはぼくの住んでいる街なんだぞ。何で地元のぼくが置いてきぼりにされるほどの乖離があるってんだ。

 そもそも『あいつら』は一体何なんだ?

 ぼく達の暮らすすぐ足元の世界には、一体何が根付いているっていうんだ!?

「ま、マクスウェル。これは供饗市をモデルにした災害環境シミュレータなんだよな?」

「シュア。与えられたパラメータは吸血鬼にゾンビと何考えてんだってレベルですが、与えられたタスクは全て精密に実行しています」

「じゃあ『本物の供饗市』にもこんな地下世界が広がっているっていうのか!? そこには銃刀法も何も全部無視したような連中がひしめいているって!?」

「シュア。あくまでも同地下は予測演算により構築されたデータ空間であり検証は不可能ですが、ビッグバン仮説と同じく、限りなく真実に近い予測であると断言できます」

「……、なんて事だ」

 改めて、呆然と辺りを見回してしまう。

「こんなの、もうゲーム感覚の話じゃ済まないぞ。ゾンビと吸血鬼のバトルとは違った何かが、リアル世界にまで侵蝕しているぞ。何で街のすぐ下に軍隊みたいな連中が……戦車も通れる東京の地下鉄トンネルじゃないんだぞ」

「戦車よりゾンビや吸血鬼の方が珍しいようにも思えますが」

 海も山も近くてイベントには困らない、そんな街だと思っていた。防災意識はちょっとうるさくて窮屈だけど、自分達の安全に跳ね返ってくるんだからそれくらい神経質で良いかと思っていた。ゾンビとか吸血鬼とか不思議な連中が歩いているけど、テレビの中のシブヤやアキハバラに比べれば特色はないんだろうってくらいにしか考えてこなかった。

 でも。

 供饗市って、何なんだ?

 根本的にこの街にはどれだけ巨大なものが横たわっていたんだ?

 あの分厚い地下への扉は、ぼくの家の内側にだって取り付けられているんだぞ!?

「ユーザー様」

 と、水着委員長がぐるぐる回る思考を遮った。

 思わず沈みがちな顔を跳ね上げ、彼女が見ている方へ目をやったその時だった。

「ひっ、ひい! ひい、ひい!!」

 別のトンネルからこっち側へ、すっかり腰が抜けた誰かが転がり込んできた。やっぱりその服装からして現実味がない。いやロサンゼルスとかデトロイトとかなら、こんな真っ黒なプロテクターだらけでマシンガンを抱えた兵隊だって珍しくないのかもしれない。でもここは日本だ。こいつらはどんなルールをこの国に持ち込んで来ているんだ?

 そして向こうもいちいち教えてくれなかった。

 腰が抜け、半狂乱のまま、手にした禍々しい銃器をこっちに向けてくる。マスクの中で自分の吐いた唾に溺れるような格好で何か叫んでいる。

「ばっ、ばけものっ、化け物があ! ちくしょおおおおおお!!」

 驚いて体が強張ったけど、不思議と恐怖感はなかった。

 鉄砲なんていう非現実的過ぎる凶器で狙われていたからかもしれない。

 しかも結局、一発も引き金は引かれなかった。


 ドォ!! と。

 別のトンネルから殺到した『黒いもの』が、一挙に兵隊の全身を覆い尽くしたからだった。


 鉄砲水のような奔流だった。

 でもその正体は液体じゃない。真っ黒なコウモリが数百数千と集まったもの。まるで大きな石をひっくり返したらたくさんの虫がひしめいているのを見たような、そんなゾワゾワ感が指先からにじり寄ってくる。

「あ、あ、あ、あ、あ、ああ……!!」

 何をされているんだろう。

 黒い群れの中、虚空を泳ぐ手が激しく痙攣し、やがて真夏の窓辺に置いたまま放っておかれた観葉植物みたいにくたびれていく。内側からベコベコとへこみ、枯れ木のように水分が失われていく。

 全てのコウモリが離れた時、そこにはズタズタの乾いたボロ布みたいなものが転がっているだけだった。コウモリ達はお腹を満たしていた訳ではないようで、そこらじゅうに血が飛び散っている。吸っては吐いてを繰り返したのか。

 そして無数のコウモリを束ねると、それらはゴスロリドレスの姉さんを形作った。

「うえっ、ぺっぺっ。アユミちゃん、良くこんな連中まで見境なしに齧れますね」

「ねっ」

「はいお久しぶりですっ☆ サトリくん」

「姉さん!?」

 思わず片手を水平に広げ、水着委員長を庇ってしまう。

 そんなぼくを見て、姉さんはちょっと寂しそうに目を細めると、

「ここはサトリくんにはあんまり知って欲しくなかった場所なんですけど……あの子も相当頭に血が上っているみたいですね。『上』だけじゃなくて、『下』まで使い切ってでも勝ちを取りにくるだなんて」

 パパン!! パンパパン!! と、別のトンネルでは今も銃声が連続している。だがさっきよりも勢いは弱い。というより、少しずつ音源の数が減っていくのが分かる。

 ちょっと何してんだアユミ?

 動きが鈍いでお馴染みのゾンビのくせにCG・ワイヤーなしのスタント一本勝負でもやってんのかあいつは!?

「光十字の連中は容赦がないから、サトリくんに流れ弾が当たらないよう必死なんですよ」

「光十字、それって……?」

 今さらのようにその名前を呟いてみる。

「冗談じゃない。レジ横に募金箱を置いているような人達が、どうして地下の秘密基地で鉄砲なんか振り回しているんだ。連中の正体はMIBだったとでも言うの?」

「うふふ、そんなそんな。目撃者を脅して回るなんて甘い話ではありませんよ? だからアユミちゃんも本気になっているんです。でも、ゾンビはわたし達吸血鬼と違って見境なしなんですから、こんなトンネルで数を増やしたらサトリくん達にも襲いかかるってところまで予測ができないのが、あの子の哀しい欠点ですよね」

「そりゃまあゾンビだからな」

「むしろ考え事ができるゾンビって魅力ゼロですし」

 気がつけば話の矛先を逸らされているけど、無理に戻すのも怖い。

 アユミの秘密もそう。

 それに姉さんの顔が不快に歪むのだって……。

 正直、ゾンビや吸血鬼の猛威さえ眩んでくる。

 この地下は、何なんだろう。

 姉さんやアユミはどう関わっているっていうんだ。

 パチン、とエリカ姉さんが指を鳴らすと、無数のコウモリが砂嵐のような密度で枝分かれするトンネルのあちこちへ突き進んでいった。奥の方からさらに悲鳴や絶叫が増えていく。

 くすくすと姉さんは笑いながら、

「長期的な思考ができないというのは、確かに戦略上大きな問題になっています。本質的にゾンビは腐敗の関係で人間社会に溶け込む事はできず、騙し討ちにも不向きです。ひたすら数で押して都市インフラを破壊するのが最良……ではあるんですけど、もう少し頭を使えば違った戦い方だってできたかもしれませんし」

 そうかもしれない。

 例えば初手で力技の襲撃事件なんて起こさずに、二、三体仲間のゾンビを作ってからディスポーザーで体を粉々にし、ダムや食品工場に骨肉を混ぜて汚染していったら? それこそ、ミミズバーガーだのジュース工場の炭酸タンクの中に落っこちた作業員なんて噂話みたいな感じで。ゾンビに噛まれた一般人が感染するルートの他に、倒した死体を動物が啄んでも感染していたはずだ。そうすれば、ゾンビと吸血鬼の勢力分布はかなり偏りが生まれたかもしれない。

「でも、その猪突猛進ぶりがあの子の良い所でもあるんですよねっ。正直、お姉ちゃんとしては羨ましくて少しヤキモチ焼くくらいに」

「うん?」

「くすくす。サトリくんには分かりません? 例えば今、リアル世界では自重していますけど、せめてヴァーチャルの中でなら思い切りサトリくんに噛み付いて同じ棺に入って昼も夜も四六時中密着状態でイチャイチャしまくりたいと思うでしょ?」

「思っちゃうのね。こっちはそんな姉さんにドン引きなんだけど!!」

「サトーリくーんっ?」

「やめて抱き着かないで真面目な空気が吹っ飛ぶああ柔らかいこれむぎゃるもぎゃぶる何センチー!?」

「真面目? はて一体どこのどの辺の事ですか?」

 ずずいと例によって姉さんは近づいてくる。

 為す術もないスキンシップの嵐。あっという間に両手で絡め取られて抱き寄せられる。

 首筋から牙まで三センチ。

 その大きな胸を押し付け、耳元に熱い息を吹きかけるような格好で、そっと姉さんは囁いた。

「でも結局、わたしにはサトリくんを噛めません」

 ちょっとだけ、寂しそうな声色で。

「そんな事したら絶対嫌われる、これまでの関係は台無しになる、ヴァーチャルから戻った後のリアル世界でも気まずくなる、そういう風に一人でぐるぐる考えてしまいますから。先の事まで考えるっていうのは悪い事ではないですけど、どうしてもわたしの場合は手が止まるんです。いっそ、あの子と同じくらい、考えるより前に手が出るような生き方をしていたら、もっと人生を楽しめたかもしれないのに、ね?」

 両肩に手を置いて、そっとぼくから離れる姉さん。

 もうその顔は、いつも通りの余裕たっぷりに戻っていた。

 直情径行でとにかく手当たり次第にゾンビを増やし、その数でもって都市インフラの破壊をごり押しするゾンビ少女のアユミ。

 人間社会の中に紛れ込み、少しずつ確実に手駒を増やして、吸血鬼を軸とした新たな秩序を生み出す事で街の乗っ取りに移るクイーンのエリカ姉さん。

「これって何も組織単位の話に留まらないんですよ」

「どういう事?」

「ゾンビは感染の過程で宿主の肉体を破壊し続けます。腐敗って現象に囚われ続けるんだから当然ですよね。一方で吸血鬼は宿主の肉体を最適化し、生前以上の肉体やスキルを与えます。こういう風に言うと吸血鬼の方がコスパが良くて便利に聞こえるかもしれませんけど、そうではないんです」

 姉さんはそんな風に言う。

「だって結局、わたし達吸血鬼がやっているのは最適化、つまりあらかじめ決められた枠の中でしか成長できないんですから。突然変異のように保有スキルは個体ごとに変質していきますけど、その振り幅だって最大枠の中からは出られません。……ゾンビのあの子のように、宿主自体を破壊してしまうほど劇的な変化を与える事はできないんです」

「ゾンビがそんな優性には見えないんだけどな……」

「いえユーザー様。種としてだけの話であれば、ゾンビはかなりのもののはずです。何しろ人間に限らず、あらゆる動植物を宿主にできるのですから」

「そう、これもまた枠の話。わたし達吸血鬼は人間っていう種が滅んだら共倒れするしかありません。何しろ血液の補給は必須条件ですから。でもこれも、ゾンビになると話は変わってきます」

 種として優れているからこそ思考を放棄しているゾンビと、種として劣っているからこそ思考を研いできた吸血鬼、か。

 なんていうか、恐竜と人間の違いみたいな話になってきてる……。

「さて」

 パン、と姉さんは大きな胸の前で両手を合わせた。

「それじゃあわたしもちょっとお片付けにお出かけしましょう。ほんとはサトリくん達を案内してあげたいですけど、ちょっとあの子が頑張り過ぎてゾンビの数が増えまくっているみたいですし。ここらでわたしも挽回しておかないと。お姉ちゃんが全部奇麗にしてあげますっ☆」

「姉さん?」

「そんな訳で、困った時は最寄の吸血鬼を頼ってくださいね? ゾンビは言う事聞きませんけど、わたしの配下は一応サトリくん達を襲わないように命じてありますから。ゾンビに囲まれそうになったら盾に使ってください」

 それから、と彼女は去り際にこちらへ振り返って。

 淡く笑った。

「わがままだとは思いますけど。『ここ』を見た後も、わたし達を嫌わないでいてもらえると助かりますっ☆」

 直後だった。


 ボンッ!! と。

 いきなりエリカ姉さんの頭がスイカのように真っ赤に割れた。


「あ……」

 直前まであった笑顔も、寂しそうな空気も、何もかも。

 パパン! という銃声さえ遅れて聞こえるほどに、意識から遠く。

 でも。

 だけど。

 弾丸をまともに浴びて宙に飛び散った姉さんの『欠片』は、そもそも地面には落ちなかった。空中でビタリと止まると、それらは無数の赤い蝶へ化ける。夜光塗料みたいにぬめった光を放つ蝶の群れは姉さんの傷口へ殺到すると、まるで割れた陶器の壺を修復していくように、あっという間に人の顔が組み上げられていく。

 そして。

 今まで見た事もないような、鋭い眼光の姉さんが目の前にいた。

「冷却処理の過程で聖水に浸して雑味を除いた聖別鋼。向こうも大盤振る舞いって感じですね……」

「ねえ、さん?」

「だいじょうぶですっ☆ 心臓さえやられなければ問題ないって前に言いましたよね。というかさっきの奇麗だったでしょ、同じ鱗翅類のくせに蛾から蝶に切り替えるのにとっても苦労したんですから。ネズミとかコウモリだけじゃ味気ないから色々頑張ったんですよ」

 ぱんっ、と改めてもう一度。両手を胸の前で合わせてにっこりと微笑むと、姉さんはこんな風に囁いた。

「けどまあ、うるさい小蠅を何とかしないとアユミちゃんとの決着に障りそうですね。せっかく数を減らしたのにゾンビ側に盛り返されても困りますし、ここはちょーっと本気出しますか」

 そこまでだった。

 姉さんもまた、常人には追い駆ける事もできない速度で別のトンネルへ飛び込んでいく。何人もの吸血鬼が合流し、支援に向かう。いくつもの銃声が出迎えるが、あっという間にそれらは沈黙し、代わりに絶望の声や無意味な命乞いに切り替わっていく。

「班長はっ、班長の指示はまだかあ!?」

「あんなヤツとっくの昔に食い殺されているよ!! くそっ、予備の弾がもう―――」

「いやだっ、死にたくない」

「何でえ!! あっちこっちの扉は開かないのよお!! いやああああああああああ!?」

 何となくそっちは覗きたくなかった。

 ゾンビと吸血鬼が街に溢れ返った時、彼らは決して扉を開けなかった。でも街が水没してからは、彼らも彼らが開かずの扉に締め出されてしまったらしい。そう、莫大な水圧のせいで扉が開かず、一度アユミや姉さんが入り込んだら最後、そこはもう巨大な死の迷宮と化してしまうのだ。

「やだなあ、絶好調だぞ」

「儚い顔してやる気満々みたいです」

「あの人実は哀しい顔する時は自分に酔っているんじゃないかなって睨んでいるんだけど」

「ご本人に聞かれたらフルボッコでは済まないでしょう」

 ぼくと委員長はそんな風に言い合う。

 この巨大な地下空間は一体何なんだ。ここには一体どんな秘密が隠されている。そして地下空間の秘密と、アユミやエリカ姉さんは、どっちが『格上』の存在なんだ?


 シェルターの扉には、こうあった。

 光十字減災財団って。


 蜘蛛の巣みたいに張り巡らされたトンネルを歩いていくと、あっちもこっちも阿鼻叫喚って感じだった。

 もう、いちいち身を隠す必要もない。

 映画に出てくるプロテクターなんて、あってもなくても同じだった。床どころか壁にも天井にも大きな塊を叩きつけたような血痕がびっしり。生き残り、なんてくくりの人物はほとんどいなくて、大抵はゾンビか吸血鬼かのどっちかに転げ落ちている。そいつらもそいつらで勝手に組み合ってガブガブやっているから、あんまりぼく達に注目しているヤツがいない。

 あちこちに使い古しって感じの鉄砲が落ちているけど、これを拾っていこうって気はしなかった。便利な武器っていうよりも、自分の足を撃ちそうで怖い。

 鉄錆臭い匂いをいったん我慢し、壁際に張り付くようにして食事に夢中な『群れ』の横をすり抜け、さらに奥へ向かうと、調子が変わってきた。

「鉄格子がある」

「ばっきり折れていますが」

「恐ろしい事に歯型がついているぞ。困ったなあ。アユミのヤツ、ここまできてもまだバカなのか?」

「別に吸血鬼だって普通に噛み付くアークエネミーのはずですが、問答無用でアユミ嬢を思い浮かべてしまう辺りが大変アレですね」

 刑務所なんかの通路を遮る、鉄格子の扉みたいなのがあった。ただ、よほど強い力が加わったのか、扉はぐにゃりと曲がった挙げ句、引き千切られて適当に放り捨てられていた。

「元々はあちこち色々調べてロックを外さなくちゃならなかったんだろうに」

「ばちばち火花を散らしている端末が夢の跡って感じですね」

 そして一歩潜り抜けると、空気がガラリと変わった。

 まず、その辺をまーまー言いながらふらついているゾンビ達の服装がインテリになってきた。白衣とかタイトスカートとかそっち系になってる。

 壁や床も打ちっ放しのコンクリートではなく、清潔な壁紙やリノリウムに切り替わる。床にあった謎の線路もなくなっていた。トンネルから居住空間に場所が変わった。そんな感じだった。

 ずらりと並ぶ扉はいずれも高度なロックが備わっていたようだけど、やっぱりどれもこれも強い力でねじ切るように破壊されていた。

「アユミも姉さんも親切心の塊だ」

「現在進行形でガブガブやられている方が聞いたらびっくりする意見です」

「というか逆に自由に入れる扉が多過ぎるよ。一本道にまとめてはくれないのか」

「何だ困ったユーザー様もバカ枠一直線ですか?」

 扉の一つを覗き込んでみると、手術室のような空間だった。ような、っていうのは、ぼくが本物の手術室を見た事がないからなんだけど。無影灯、だっけ? あのレンコンみたいに電球をまとめた独特の機材がそんな匂いを漂わせていた。

 他の扉には、診察室みたいな所もあった。

 鍵の壊れた戸棚には大量のカルテがあったけど、外国語の筆記体なので何が書いてあるかはサッパリ。確か医学関係は軒並みドイツ語なんだっけ?

 でもって、さらに別の扉を調べると、その先には巨大な冷蔵庫がいくつも並べられていた。

「検体保管庫ですね」

「というか、このラインナップってやっぱり病院なのかなあ?」

「疑問を感じるところでしょうか。かなり本格仕様だと思うのですが」

「本格仕様ならメガネの女医さんとか優しいナースさんとかいないのはどうして?」

「夢の産物だからでは?」

 バコリと冷蔵庫を開けると、二〇本ワンセットのケースに、いくつもの試験管が突き刺してあった。いずれもゴムのキャップで栓がされている。触れるのはためらわれた。中に入っているのは、赤黒い液体ばかりだった。

 試験管の側面にはラベルが貼られていた。その内の一つに見覚えのある名前が。

「……ゾンビパウダー劇症型」

「天津アユミ様が保菌しているものと同じですね」

 というか、アユミの血液を抜いて保管している、って方が正しいんじゃないか?

 他の冷蔵庫を調べてみると、やっぱりあった。

 東欧型クイーン級吸血呪因・A型Rh+。詳しい言葉は分からないけど、クイーン、吸血、A型って言えば姉さんの特徴と一致する。

「不思議には思っていた」

 自然とそう呟いていた。

「ゾンビや吸血鬼って、怪我や病気になったらどうするんだろうって。持ち前のタフネスとか回復力に任せるってのが普通なんだろうけど、それでもどうにもならない事態に陥る事だってあるだろうし」

「ここは病院なんでしょうか? 研究所とかではなく?」

「どっちとも言えないし、どっちも兼ねているのかもしれない」

 とはいえ、特にここから持ち出せるものは何もない。というか、下手に検体に触って感染とかしたら最悪だ。何のために頑張ってここまでやってきたのか分からなくなる。

 検体保管庫を出て、さらに施設の中を歩いていくと、またもや別のセクションに移った。例の破壊された鉄格子の扉と、壁紙や床の質感がガラッと切り替わるので分かりやすい。

 そして今度は、さっきの『病院』よりもちょっと分かりにくい施設だった。

「何だこりゃ」

「駅のようです」

 水着委員長の言った通りだった。

 分厚い扉を薄く開けると、その奥に待っていたのは電車の駅だった。大都会にあるような、いくつもの路線が交差する大きな駅だ。

 でも、何でこんな場所に?

 これ自体が地下鉄駅として機能している訳ではなさそうだ。壁に向かった線路は途中で切れ、列車を呼び込むための施設としては不完全。まるでこういう舞台セットのようだった。

 別の扉にはデパートの生鮮食品売り場。

 別の扉にはハンバーガーショップのテーブル席。

 別の扉にはプールの更衣室。

 極め付けに、学校の教室や体育館のような場所もあった。それだけが切り取られたような格好で精巧に再現されているが、まるで標本だ。リアルなのに本物としては動かない。

 学校の教室では、机の端や黒板消しにガジガジと大きな歯型がついていた。

 ハンバーガーショップのレジを開けてみると、中にはオモチャっぽいお札が何枚も入っている。

 更衣室の壁には、大変よくできましたというシールが貼りつけられていた。

「……だんだん分かってきたぞ」

「ここは日常生活のロールプレイをするための施設なのでしょうか?」

 所詮ネットや映画の聞きかじりだから信憑性なんて微妙だけど、立て籠もり犯から人質を取り戻す際は、交渉役が時間を稼いでいる間に精密なセットを作って何時間も何時間も突入訓練を繰り返すって言う。

 また、敵国に潜り込む諜報員は映画のセットのような場所で言葉や習慣の勉強をみっちり身に着けてから本番に移るって。

 ここの地下施設は、そういう匂いがする。

 だけど、根底にあるのはきっと軍隊行動と違って人を騙したり傷つけたりするためのものじゃないと思う。

 そうであってほしい。

 プールの更衣室にあった、大変よくできましたのシールを指先でなぞる。

「姉さんやアユミは、この地下施設と縁があるようだった。彼女達の口振りと検体保管庫の血液サンプルを見れば明らかだ」

「この舞台装置の意味は?」

「いきなり表の街へやってきた訳じゃなかったんだ。まずはここで適性テストみたいなのをやって、きちんと人間社会に溶け込めるかを確かめてからぼくの家へやってきた……?」

 そりゃそうだ。

 冷静になれば当たり前だ。アユミもエリカ姉さんも、本気になったら街の一つ二つ簡単に壊滅させられるんだから。我慢できなくて噛み付いちゃいました☆ では困るのだ。

 ここはリアルを極めた災害環境シミュレータ。

 条件さえ揃えば、現実世界でも全く同じ事ができるのは証明されているんだから。

「さっきの病院ブロックは何だったんだろう? 怪我や病気の時のケアか、それとも生態的に人間の手に負えるものなのかも審査対象の一つになっているのか」

「それも疑問ですが」

 水着委員長はプール更衣室のビニールカーテンに触れていた。

 カーテンの端は、ものすごい力で噛み千切られたように一部消失していた。

「もしも適性なしとみなされた場合、『彼ら』はどこへ行くんでしょうか?」

「……、」

 嫌な予感はした。

 これまでのゾンビと吸血鬼のごっつんことはまた違った、ねっとりした感覚。

 プール更衣室を出て、道なりに廊下を進んでいくと、やっぱりあった。別のブロックに行くための鉄格子の扉。

 ここもロックは破壊され、鉄格子自体もメチャクチャに歪んでいた。

 苦も無く潜り抜けると、その先に待っていた。


 レベル1


 壁に大きく印字されたそれ。

 最初は廊下沿いの扉を潜っても、意味が分からなかった。

 タイル敷きの床に、ステンレスの調理台がいくつか。規則的に並べられたそれらはレストランの厨房というより、学校の家庭科室に似ている。壁沿いには戸棚がびっしりと並んでいて、中には包丁やまな板、すりこぎ、肉叩きのハンマー、圧力鍋、フライパンなどなど、とにかく無数の調理器具が並んでいる。ジューサーや泡立て器、電子レンジやオーブンなども豊富だ。

 ただ、この時点で奇妙な点はいくつかあった。

「調理場なのに、お皿やカップなんかがないな」

「冷蔵庫もありません。どこに食材を保管するんでしょう」

「これじゃごっこ遊びしかできないぞ。……ハッ!? よもや裸エプロン遊戯的な―――」

「おい馬鹿野郎、本線に戻ってください」


 レベル2


 調理とは別のブロックにあったのは、ガレージというか、小さな町工場みたいな設備で埋め尽くされた場所だった。

 こっちには日曜大工で使うような道具が多い。金槌、鋸、電動ドリル、かんな、釘抜き、万力なんてホームセンターにもあるものから、金属加工用の旋盤やプレス台、材木を切るための台座に固定された電動鋸なんていうもゴロゴロある。うっかり事故で手足が切り飛ばされる大惨事になりかねないので、下手にスイッチに触るのはやめておいた。

 ただ、法則性が見えてこない。

 さっきのが家庭科室なら、今度は技術室か? 学校の特別教室繋がり??? でも、それにしては今度の部屋はちょっと専門性が高過ぎる気がする。まあ工業高校仕様って言われたら頷くしかないんだけど。


 レベル3


 おかしかった。

 流石にそろそろ変だって思ってきた。

 広い部屋にあるのはいくつものバスタブだった。金属製のもの、ガラス製のもの、プラスチックのお仲間みたいなもの。いくつもの巨大なケースがあり、そこから凄まじい臭気が放たれている。シンナーとかベンジンとか、あんなものじゃない。冗談抜きに、何分もここにいたらふらりと倒れてしまいそうな、凄まじいケミカル感だ。

 やっぱり壁際の戸棚には色んなボトルが並んでいたが、ラベルに書かれているのは特殊な記号ばっかりで何が何やらサッパリ分からない。

 ただ、傍らの水着委員長はこんな風に言っていた。

「メッキ加工用の薬品槽に似ていますね」

「何だって……?」

「ですがこのような使い方をするものではなかったはず。中に入っているのは硫酸や王水、フッ化水素溶液などです。まるでマフィア映画に出てくる恐怖のバスタブですね」

「……、」

 最初の部屋は、『何か』を叩いて柔らかくし、切り刻んで小さくして、煮て焼いて形をドロドロに崩すための道具は揃っていたのに、食材を保管する冷蔵庫や食事を盛りつける食器は全く用意されていなかった。

 次の部屋は、『何か』を切断して押し潰し、穴を空けて、バラバラに分解してしまう設備は揃っていたのに、材木や金属なんて材料はどこにもなくて、完成品の日曜大工の品だって一つも置いていなかった。

 最後の部屋は、『何か』を劇物に漬け込むための薬品槽が並べられているのに、メッキ加工された品はやっぱり影も形もなかった。

 一見して法則性のない三つの部屋。

 学校の特別教室っぽいって条件も、レベル3のメッキ加工工場で吹っ飛んだ。

 なら、ここにあるのは?

 全ての前提を取っ払って考えてみよう。三つの部屋にあるべき共通点は何だ? シェルターの連中は、供饗市の都市改造計画の段階から噛んでいたであろう光十字減災財団の連中は、一体何のためにこんな部屋を用意した。

 水着委員長は言っていたじゃないか。


 もしも適性なしとみなされた場合、『彼ら』はどこへ行くんでしょうか?


 う……っ、

「うおおおおおおおおァァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 頭の奥で電気のようなものが弾けた途端、ぼくは思わず絶叫していた。

 あちこちにゾンビや吸血鬼と化した犠牲者達が徘徊している可能性なんて、三千世界の向こうまで吹っ飛んでいた。

 何が起きていた?

 この供饗市で、ぼく達が普通にご飯を食べて学校に向かっている間、すぐ足元に広がっていた世界では何が起きていたッッッ!!!???

 いいや、本当は分かっているはずだ。

 ここは不死者、アークエネミーの総合デパートなんだ。まず研究し、人の社会と迎合の可能性があれば予行練習に移る。そこできちんと人間ルールを学ぶ事ができれば、後は晴れて表の供饗市が待っている。エリカ姉さんやアユミのように、人と同じ暮らしを享受できる。

 でも。

 もしも、どこかの段階で手が詰まったら?

 表の世界へ放り出すのは危険だと判断されたら? 決まってる。まるで無慈悲にレールを切り替えるように、もう一つの未来が不死者を待っている。

 それがレベル1から3。

 段階を踏んで行われる……アークエネミーの処分場だ!!

 ずらりと並べられたバスタブを思い出す。あれはもう死体洗いのアルバイトなんて次元じゃない、ホルマリンのプールなんて生易しいものじゃない。あるいは強酸で満たしたバスタブに死体をドボン、あるいは給湯器をつけたまま心停止した老人がぐずぐずに溶けて発見される人間シチュー。そんな悪趣味な噂を軽々と飛び越える『何か』が、平然と行われてきた!?

「……マクスウェル」

「シュア」

「この施設を全部スキャンしろ。どんな方法でも構わないから髪の毛一本残さずだ!!」

「現状、ユーザー権限の書き換えにより、管理者モードは一時使用不可となっております。目視による記録以外は不可能です」

「ちくしょう!!」

 頭がぐらぐらする。それが薬品槽から揮発する異臭のせいなのか、とてつもない事実を押し付けられたせいなのかは分からない。

 とにかく部屋を出て深呼吸した。

 改めて思い出す。日本の文化を無視した重装備に、街の至る所に張り巡らされた蜘蛛の巣のようなトンネルと、分厚い扉。あれは災害対策なんかじゃない。街のどこで不死者が暴れ出しても迅速に現場へ急行し、闇の奥へと引きずり込むための誘拐装置だったんだ。

 今回みたいな街を覆うパニックホラーと化す前に、初期段階の数名を確実に隔離する事で、被害を最小に留めるために。

 正しいか間違っているかなら、正論なのかもしれない。

 だけどこの街のやり方には、一切の優しさが存在しない。

『扉』は各家庭の地下にある。だから戸締まりをしたって無駄だ。本来だったら一番安心できる、ほっとできる自宅。そんな場所で、入浴中だろうが就寝中だろうがヤツらは家の内側から現れて迅速に人さらいしていく仕組みを作っていたんだ。

「ユーザー様」

「なん、だっ。はあ、はあ……。この期に及んで、まだ何か残っているっていうのか?」

「シュア。まだ調べていない通路と部屋があります」

 水着委員長はいつも通りだった。

「つまりユーザー様の言葉通り、『まだ』何かが残っています」

「……、」

 これ以上調べて何になる?

 本質からもズレている。吸血鬼の姉さんとゾンビの妹の姉妹ゲンカをどうするか、その問題に巻き込まれて水着委員長が殺害されるとレポートが外部送信されるから何とかしなくちゃ。そんな最初の目的から明らかに離れ始めている。

 でも。

 だけど。

 ……このまま放っておけない。アユミとエリカ姉さんのこれまでの道に何があったのか。それだけじゃない。この地下世界の呪縛は、今はもう断ち切れたものだと言い切れるのか。現在進行形で二人が巻き込まれている状態だとしたら……?

 それに、吸血鬼とゾンビ以外の不死者、アークエネミーの存在も気になる。彼らは無事に表の世界で大手を振って暮らしているのか、それとも暗い地下で順番待ちなのか、あるいはすでに処分されて……?

 もしも相手が情も言葉も通じない本物のモンスターだったら、気に病む必要はなかったのかもしれない。事実、この地下世界を取り仕切っている光十字とかいう連中はそういう風に扱っているのかもしれない。

 ところが、ぼくは知っているんだ。

 不死者なんて呼ばれている人達は、そういうのじゃないって。

 アユミやエリカ姉さんを見ていれば分かるじゃないか。彼女達と全く同じ人達が今も、リアルの世界で、絶対に開かない扉の向こうに押し込められているとしたら……?

「……、」

 見て見ぬふりなんかできるか。

 悲鳴も絶叫も届かない分厚い壁の奥。そこで今もなお行われているかもしれない真相とやらに、手が届きそうになっているんだから。

 この施設で、どれだけのアークエネミー達が人知れず処分されていったのかは、ぼくにだって分からない。

 でもその瞬間、きっと彼らはこう思ったはずだ。

 誰にも知られずに存在を消されていく恐怖。せめて一人でも届いてほしいと必死に絞り出した、その悲鳴。リアルの世界では間に合わなかったけど、方法だって徹底的に歪んでいるけど、ぼくは彼らが思い描いた誰かとは全然違うんだろうけど、それでも、その役を担えるかもしれない所に立っているんだ。

 この機を逃せば、多分この秘密は永遠に蓋をされる。

 それで良いのか。

 良い訳ないだろ。

 たとえ本筋から外れているとしたって、一番最初の目的を放り出しているとしたって、こんなのないがしろにしちゃいけないだろ!!

「マクスウェル」

「シュア」

「……先に進もう。全部の扉を開けてみるんだ」

 この時。

 ぼくの心を突き動かしていたものは、何だっただろう。

 あるいは、優しさ? あるいは、怒り? あるいは、探究心? あるいは、蛮勇?

 分からない。

 そして、結果として目の前に飛び込んできた、それ。

 本当に知るべき事だったのか。

 その評価さえも難しい。

 とにかく目の前の壁には、大きくこう印字されていたんだ。


 レベル4