【第十章】
「……ふう」
二階の寝室でぼくは目を覚ました。
ヘッドフォンのような意識投入型デバイスを頭から外して、額の汗を拭う。市販品のハードと違って安全装置もまたお手製だから、こういう結末が待っていると流石に胸がドキドキしてくる。
下の階では早速ドッタンバッタン激しい物音が響いていた。
きっと結果に納得していないのだろう。
やがて荒々しく階段を駆け上がる音が近づいてくると、ノックもなしに涙目のアユミが飛び込んできた。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃーん!!」
「何だ結局どうなったんだ、アユミが泣きついてくるって事は負けたのか?」
「ふぐうー! 違うもん、絶対あたしが勝ってたもん!!」
アユミは面白いくらいほっぺたを膨らませると、
「なのに途中でお兄ちゃんが死んじゃったの! ゾンビか吸血鬼か、どっちかになり切る前に!!」
「……、あちゃー」
となると結局ドローか。
机の上に置きっ放しのプリンの容器に気づいている様子もないし、こりゃ相当頭に血が上っているな。
そんな風に思っていると、金髪縦ロールに透け透け桜色のネグリジェを纏うグラマラス姉さんが開きっ放しの扉の前までやってきた。
「あら失礼ですね。十中八九吸血鬼側に傾いていたところに、アユミちゃんがサトリくんの首をがっくんがっくん揺さぶったのが死因でしょ?」
「ふぐっ!?」
「ただでさえ両サイドから噛み付かれて取れかかっていたんです。そこでさらにアユミちゃんが強い負荷をかけたから首がもげてしまって……」
「ふぐうー!! 違いますう!! あたし知ってるんだからね! お兄ちゃんが生きるか死ぬかの瀬戸際だって感動的な場面で、お姉ちゃんがこっそり追加で何度もあちこち噛み付いてたの!!」
「な、何の事ですかサッパリ分かりませんほほほ」
「どっちが強い感染力を示すかって勝負だったのに後から後から追加でドバドバとー!! あんなの無効試合だもん! もっかいやったら絶対あたしが勝つんだから!!」
「そうですね。シミュレータを再起動してもらって今度の今度こそ、初手から完封試合でぶっ潰すっていうのも悪くないのかもしれません」
「言ったなこの!!」
「言いましたが何か?」
待て待てこいつら。
ここで二周目とか始めたら、何だ? 振り出しに戻るで無限ループコースまっしぐらか?
冗談じゃない!!
「こっちの意見も聞きなさいな。ケータイアプリじゃないんだから、マクスウェルはそう簡単に再起動とか二周目とかできないんだ」
「ええー!?」
「サトリくん、どうしてもダメ? 甘えてもダメ? ちなみにお姉ちゃんはお風呂に入ったら右の腋から洗いますっ☆」
「何だそのいきなりの告白っ……いや覚えていたのか例のアレ!? でも何を言われようが、できないものはできないよ。ただでさえハンドメイドで冷却系とか怖いんだから。立て続けにあんな大規模システム回していたら、熱暴走どころかコンテナ火災でも起きかねないよ。ほら今日はここまで、こういうのは一回に一時間って相場が決まってるの! はい解散、帰った帰った!!」
「ふぐうー……」
「もう寝ているサトリくんを使ってこっそりキス勝負するのもありかもしれませんね」
一部不穏な物言いもあったが、ともあれ今日の所はお開き。
無事に問題は解決したし、水着委員長は守り抜いたし、光十字減災財団に秘密のファイルセットの存在が洩れる事もなかったし、まあまあ良い事ずくめではあった。
二人の姉妹を部屋の外へ追いやった後、一度だけ大きく息を吐くと、それから手元のスマホに向けてこう言った。
「マクスウェル」
『シュア』
SNSのふきだしの中に文字が躍る。それを確認しながら、ぼくは音声でリクエストを飛ばす。
「例の財団へのリザルト送信、こっそり阻止するか内容を書き換えてデコイを送信するように仕組みを変える事はできないか?」
『システムは要求されたタスクに従うのみです。ユーザー様がそのようなコマンドを書き込んでいただければ、すぐにでも』
「……ああ、やっぱり機械任せで組んでもらう事はできないか。だとすると徹夜かよう」
『例の水着委員長問題ですか?』
「二〇〇〇年問題とかAI逆転問題みたいに言うなよ。まあぼくにとってはカタストロフと同じレベルだったけど」
しばし沈黙する。
今回のゾンビと吸血鬼の大暴れの一件は、当然ながら例の光十字にも送られている。自分達の万全の体制が崩されていく様をデータで眺めて、彼らは何を思うだろう。あるいは開かずの扉を開けて、コロシアムを中心とした闇を眺めてしまったぼく達に対して。
「マクスウェル」
『シュア、命令待機を解除。何でしょう』
「リザルト送信への細工の目途が着いたら、新しいシミュレーションセットの作成を頼みたい。デフラグとかハード冷却とか必要な作業があったら今の内に片づけておいてほしい」
『シュア。ちなみに新規ファイル名はいかがいたしましょう』
「そうだな」
考えるふりはしたけど、最初から決まっていた。
後は覚悟の話だけだ。
吸血鬼の姉にゾンビの妹。……ぼくは、ぼくの家族のために何をどこまでやれるのかっていう。
それを示すため。
階段の最初の一段目へ踏み出すため、ぼくは自分の口からこう切り出した。
「光十字減災財団の壊滅シナリオなんてどうだ?」
嵐の夜は終わらない。
次の戦いなんて、とっくの昔に始まっている。