君は月夜に光り輝く


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 それで僕は、日曜日に、知らない女子のお見舞いに行く羽目になったのだった。

 渡良瀬まみずの入院している病院は、終点の駅にあった。いつも学校に通うのとは逆の電車に三十分ほど揺られて、目的の駅についた。

 駅から病院へ向かい、受付で教わった通りにエレベーターで四階を目指した。リノリウムの廊下を歩き、病室の前にたどり着く。

 中に入ると、そこは相部屋だった。女性ばかり、二人の年輩の女性の他に、本を読んでいる若い女の子がいた。きっと彼女が渡良瀬まみずなのだろう。僕はゆっくり彼女に近づいた。その気配に気がついたのか、そいつは本から目を離して、顔を上げた。

 一目見て、どきっとした。

 たしかに、美少女だった。

 美人だけど、誰に似ているとかいうのが思いつかない。射抜くような目つきだった。濃い黒目を、自然に伸びた長いまつ毛や優雅な二重まぶたがふちどり、より印象的に見せている。そして、信じられないくらい真っ白な肌をしていた。微塵も日焼けしていないその肌のせいか、彼女はクラスの他の女子とは、まるで雰囲気が違った。別の国で生まれ育った人間みたいだった。

 綺麗な鼻すじにすっきりとした頬、小さく平行に結ばれた口元。すらりと伸びた背すじに、均整のとれた体つき。艶のある髪が、胸元にかかっていた。

 表情のどこにもズルそうなところがなくて、すごくまっすぐだった。

「渡良瀬さん?」

 僕はおずおずと彼女に声をかけた。

「そうだけど。あなたは?」

「岡田卓也。この春から、渡良瀬さんのクラスメイト」

 僕は簡潔に自己紹介した。

「そっか。初めまして、渡良瀬まみずです。ねぇ卓也くん、お願いがあるんだけど」

 彼女はいきなり僕を下の名前で呼んできた。

「私のことは、まみず、って下の名前で呼んで欲しいな」

 そんなファーストネームで呼び合うような習慣は僕にはなかったので、不思議に思った。

「なんでだ?」

「苗字なんて、すぐに変わっちゃうからさ」

 と彼女はそんなことを言った。親が離婚でもしたんだろうか? でも、いきなりそこに触れるのも少しためらわれた。

「じゃあとりあえず、まみず、でいくよ」

「ありがとう。私、名前で呼ばれるのって好き」

 そう言って彼女は、はにかむように笑った。笑った拍子に彼女の口元から、白い歯がこぼれるようにのぞいて、僕はその白さに少し驚いた。その、好き、って言い方は妙に人懐っこかった。

「それで卓也くん、今日はなんで来てくれたの?」

「ああ。なんか、渡すプリントとか、寄せ書きがあるみたいで。誰か生徒が届けた方が喜ぶだろうって、先生が」

「喜ぶ喜ぶ」

 僕が封筒を渡すと、彼女は、封筒からあの寄せ書きの色紙を取り出して、興味深そうに何やら眺め始めた。

「卓也くんのメッセージ、なんか冷たくない?」

 慌てて僕はその寄せ書きを覗き込んだ。自分の書いたメッセージが、色紙の隅の方に並んでいた。

 早く病気が良くなるといいですね 岡田卓也

「そうかな? いや……」

 別にそんなに酷いメッセージではないと思う。でもやっぱり少し短すぎるし、三秒で書いた適当さがにじみ出ていたのかもしれない。そして、それを見抜けないほど彼女は馬鹿じゃないということなんだろう。

「そうかもしれない。ごめん」

 僕は誤魔化すのはやめて、素直に謝った。

 彼女は少し驚いたような顔をして僕の方を見た。

「別に謝るほど冷たくもないよ」

 不思議なしゃべり方をする奴だな、と思った。

「もしかして卓也くん、本当は来たくなかった? 無理矢理先生に頼まれたとか?」

 実は香山が来るはずだったんだ、なんて本当のことを言うのはなんだか野暮な気がした。嘘も方便、というフレーズを思い出した。

「いや。僕の意志で来たよ」

「そうなの? よかった」

 本当にほっとしたように彼女は言った。頭は良さそうなのに、喜怒哀楽の感情表現がわかりやすいタイプだと思った。

「これ、何?」

 話題を変えたくて僕は言った。ベッドサイドのテーブルに、水晶のようなガラス玉が置かれていた。よく見ると、そのガラス玉の中にはミニチュアの家が入っていた。洋風のログハウスだ。窓から漏れ出る明かりの演出が、見る者にかすかな生活感を感じさせた。

「あ、スノードームっていうの。それ、私すごく好きなんだよね」

 彼女が色紙を手放して、「貸してみて」と手のひらをこちらに向けたので、僕はそれを手渡した。

「見て。ここに雪があるの」

 見ると、ガラス玉内部の家の地面には、雪を模した紙吹雪のようなものが敷き詰められていた。

「なるほどな」

「まだまだ、これからなの。これを、こうして、振るとね」

 そうして彼女はスノードームを振ってみせた。すると、紙吹雪がガラスの中で、ぱっと舞った。どういう仕組みか、その紙吹雪は舞い散りながら、ゆっくりと降り落ちていった。

「どう? 雪みたいでしょ」

 たしかに、雪みたいだった。

「昔、お父さんに買ってもらったんだ。…………もうお父さんには会えないんだけどね。だから、大事にしてる」

 やっぱり親が離婚してるんだろうか。そう思ったけど、聞けなかった。

「これを見ながらね、想像するの。私は雪国で暮らしててね、冬になると雪が降るの。吐く息はずっと白くて。暖炉で暖まりながら本を読んで暮らすの。そういうところを想像して楽しんでるんだ」

 ガラス玉の中では、まだ雪が降り続けていた。

 それからも、彼女の話は続いた。もしかして話し相手に飢えていたんだろうか? と思ってしまうようなしゃべり方だった。でもそんなに嫌な気はしなかった。話がそこまで退屈じゃなかったのもあったし、彼女の話し方も嫌いじゃなかったからだ。

 夕方になってやっと話が途切れた。それで僕は、そろそろ帰ることにした。

 帰り際に、彼女が僕に言った。

「ねぇ、卓也くん。またそのうち遊びに来てくれる?」

 そう言われて、僕は戸惑ってしまった。でも、彼女のそのなんだか寂しそうな顔を見ていたら、「いや、もう二度と来るつもりはないよ」なんて言えなかった。

「そのうちな」

 かわりに、僕はそんな曖昧な答えを返していた。

「それから、お願いがあるんだけど」

「何?」

「アーモンドクラッシュのポッキーが食べたくて」

 彼女はちょっと恥ずかしそうに言った。

「ポッキー?」

「本当は病院食しか食べちゃいけないんだよね。それに、お母さんも厳しい人だから、頼んでも買ってくれなくてさ。病院の売店にも売ってないの。頼める人いないんだよね」

 それから彼女は、ちょっと上目遣いに僕を見て、「ダメ?」と懇願するように言った。

「ん、まぁ、わかったよ」

 と僕はあまり深く考えずにそう返事をして、病室を出た。