明治あやかし新聞 怠惰な記者の裏稼業


 江戸の町が名を東京と変えたのは九年前、戊辰の戦の最中、慶応四年夏のことだった。その年の秋には元号が明治と改元され、明治六年には、欧米に合わせて暦も太陽暦に変えられた。

 それからさらに三年がすぎた現在――つまり明治九年、世の中は欧米化の波にのって浮かれている。

 とはいえすべてが変わったわけでもない。銀座のような街の風景には煉瓦の建物や歩道、瓦斯灯が見られるようになったが、そこに住む人々の装いは半数以上がまだ和装だ。街を離れれば、御一新前とさほど変わらぬ風景が広がっている。声高に欧米化をうたいながらも、いまだ日本的な――いわゆる古い文化も残っていた。

 香澄が握りしめている『小新聞(こしんぶん)』と呼ばれる新聞は、まさに今の時代を象徴している。

『小新聞』とはその名の通り、小さめの紙に刷られた新聞だ。徳川時代の瓦版に似ている。庶民に読みやすく、巷の出来事や読み物を中心に書かれた娯楽新聞である。漢字にはすべてふり仮名がふられ、挿絵もあり、知識人でなくとも読めるものだ。新時代の情報誌でありながらも、記事の中には旧時代の遺物になりつつある妖怪変化による眉唾物の怪異な事件なども掲載され、子どもたちや噂好きの女性に人気がある。

 小さい新聞があれば、もちろん大きい新聞もある。その『大新聞(おおしんぶん)』は小新聞よりも大きな紙に刷られている。内容も政治や国際情勢などが小難しい漢文口調で書かれていた。読者は男性が多く、特に官吏や学者などに好んで読まれている。

 明治三年に横浜毎日新聞が日刊の新聞を発刊してからというもの、情報に飢えていた人々はこぞって新聞を読むようになり、東京日日新聞や読売新聞など、次々と大小の新聞社が立ちあがった。

 明治政府に勤める香澄の父と兄は、もちろん大新聞を読んでいる。そのため香澄が目を通すのも大新聞だった。つまらないと思っていても、わざわざ小新聞を買い求めてまで読むことはなく、だから桜野にかかわるとんでもない記事がその小新聞に載ったことに気づかなかったのだ。

 まさかそこに、そんな記事が載っていたなんて。

 香澄は銀座の一角、街中ではめずらしくなくなった煉瓦造りのビルの瀟洒な扉を力一杯ひき、道場破りがごとく声を張りあげる。

「たのもぉぉ――うっ!」

 手に長刀でも持っていれば様になっただろうが、香澄が握っているのはあくまでも新聞紙だ。

 香澄の声に、テーブルを囲んで何やら話し込んでいた洋装や和装の男たちの視線が集まった。

 ビルの一階にある広間は、サロンとして開放されているようだった。丸いテーブル席が五席あり、壁際には長椅子がしつらえられている。西洋風の細工の施された窓枠や家具はどれもお洒落だ。

「……………」

 男たちは扉をふり返った姿のまま固まり、唐突な闖入者が言葉を続けるのを待つ。

「この! 浅田屋さんの《件(くだん)》の記事を書いたのは、どなたですか……!?」

 沈黙していた彼らは、同時に壁際へ目を向けた。その視線を追えば、茶色いベストとズボンの洋装をまとった青年が、長椅子の肘掛けから長い足を投げだして寝転がっている。

 香澄は大股で長椅子に歩み寄った。帽子で顔を隠した男は、この騒ぎの中いまだうたた寝していたが、香澄はかまわず彼に声をかける。

「日陽(にちよう)新聞社の方ですか?」

「――ああ?」

 長椅子に寝そべったまま呼び声に反応した彼は、眠そうに声をあげ、顔の上から帽子をよけた。

 年の頃は二十代後半。長めに切った前髪をゆるくかきあげている。吊り気味の目は眠そうでぼんやりとしているが、全体的に整った顔立ちだ。

 のそりと起きあがった彼は、くいと顎でサロンの奥を示す。

「新聞社なら二階ですよ」

「ありがとうございます!」

 ぺこりと頭をさげて礼を言い、さっそく二階へ向かおうとする香澄の背中を声が追いかけてくる。

「まぁ、その記事を書いたのは俺だけどな」

「あ、そうなんですね!」

 軽く同意した彼女は、二歩踏みだして足を止めた。勢いよくふり返る。

「って、そうなんですか!?」

「おう」

 眠そうな顔でくしゃりと前髪をかきあげる男を、香澄はきっとにらみつけた。

「私、井上香澄と申します! この記事に物申したいことがあって参上しました!」

「へぇ?」

 香澄は男の気のない返事に、彼の鼻先に新聞をつきつける。それは散々探し回って見つけた、一月ほど前に日陽新聞社が発行した小新聞だった。

「これ! これはどういうことなんですか!?」

 香澄はつきつけた新聞に躍る見出しをひとつ指さした。

「どうもこうも、書いてあるとおりじゃないか。読みあげようか?」

 口の端を歪めて笑った男は、香澄の手から新聞を抜き、彼女が指さしていた記事を音読する。

「田瀬村の百姓家の飼い牛、人面牛身の《件》なる獣を産む。《件》は生後三日目に『東京浅田屋呉服は桜を井筒屋方へ植えかえねば、じきに身代をつぶすことになる』と云うと死んだとの話。此の《件》という獣は先を予言し、《件》の云ったことが間違うことはないと云われている。さて、浅田屋の身代やいかになるらん」

「それです」

 すらすらと読みあげられた記事に、香澄はうなずいた。要約すれば、『《件》と呼ばれる、顔は人、身体は牛の妖怪が言ったとおり、浅田屋の桜を井筒屋に植え替えなければ、浅田屋はつぶれる』ということだ。

「なんですか、このふざけた記事。今時妖怪だなんて!」

「俺は記事を書いただけだよ、お嬢さん。信じる信じないは、読み手次第さ」

 香澄が差し戻された新聞を受け取ると、男は長椅子の背に引っかけた上着から煙草の箱を取りだした。最近よく見かけるようになった輸入物の紙巻き煙草だ。煙管よりも便利だが、値段は高いと聞いている。

 彼は煙草をくわえると、燐寸をすって火をつけた。燐寸もまだ一般的に広まってはおらず、めずらしいものだ。こちらも安いものではない。

 煙を吐いた男は、煙草をはさんだ指先で新聞記事を示す。

「で、そのふざけた記事がどうかしたのかな?」

 まるで小さな子どもに問いかけるように訊かれ、香澄は苛立ちを隠さず、強い口調で説明した。

「この記事のせいで、浅田屋さんに奉公していた私の友人がいとまをだされたんです!」

「ほぅ? それはまたどうして?」

「浅田屋さんには桜はないからって、桜野って名前だという理由で店を追いだされたんですよ!」

 桜野の母から聞いたところによれば、新聞に書かれた《件》の予言どおりに桜を植えかえようにも浅田屋に桜の木はなく、桜に関わるものといえば女中の桜野の名前だけだったらしい。それで迷惑千万なことに、彼女は浅田屋を辞めさせられてしまったのだ。

 彼の書いた、妖怪の予言などというつまらない新聞記事のせいで。

 青年はひょいと眉をあげて煙を吐いた。

「それで、その桜野さんは?」

「井筒屋さんで働いているそうです」

「それなら何も問題はないじゃないか」

 青年は罪悪感などこれっぽっちも感じていない様子で煙草をくゆらせている。

 けれど同じく予言に名前の出た井筒屋が、彼女を雇ってくれたのは不幸中の幸いだったとしか言えない。もし井筒屋が「自分たちには関わりの無いこと」と言えば、彼女は奉公先を失ったかもしれないのだ。そうしていたら、彼女と彼女の稼ぎを頼りに生活している家族は、路頭に迷ってしまったところだった。

「こんな記事を載せて、井筒屋さんが桜野を雇ってくれなかったらどうするつもりだったんですか!? だいたい、浅田屋さんのほうが大きなお店で、お給金だってよかったんですよ!? 井筒屋さんは小さな茶店なんです!!」

「知ってるよ。不忍池にある老夫婦が切り盛りしている美味しいお茶をだす店だ。安心するといい。あそこは色茶屋じゃない」

 色茶屋とは女性が身体を売る店のことだ。頬がかっと熱くなり、香澄は叫ぶように応じる。

「そ、そんな心配をしているんじゃありません!」

 嫁入り前の娘になんてことを言うのだ。

 熱くなった頬を押さえる香澄に、男はひょいと眉をあげる。

「おや、それなら、ただ給金の心配をしているだけなのかい? それとも桜野さんとやらが、井筒屋さんの仕事が辛いと言っているのかな?」

「……え?」

 言われてみれば、桜野は奉公先を失ったわけではない。仕事が厳しいかどうかも知らない。現状の問題は、おそらく給金が安くなったことだけだ。いや、店が小さいから給金が安いとは限らない。それさえも香澄の思い込みかもしれない。

 だいたい、香澄はまだ桜野に会っていなかった。もしかしたら彼女は今の仕事に満足しているかもしれないのに。彼女の母から奉公先が変わった理由を聞いて、その理不尽さに勝手に怒ってここまでやってきただけだ。

 先ほどまでの怒りは急速にしぼみ、声からも力が抜ける。

「だ、だって……桜野のお母様が心配していたから……」

 そうは言ってみたものの、桜野の母親もそこまで心配しているようではなかった。

 ますますいたたまれなくなっているところに、青年は身を乗りだして追い打ちをかけてくる。

「あんたが、ではなくて?」

「私も! ……心配してます。あの子にはお母様だけじゃなく、妹も二人いるんですから」

 青年は煙草をはさんだ手を顎に当て、短く思案する。

「なるほど。桜野さんのご家族の生活が心配なんだな」

 このサロンの扉を開けたときには、たしかに桜野の心配をしていた。彼女は妖怪の予言なんて不確かなもののために仕事を辞めさせられたのだから。

 けれど彼女は今もちゃんと働いていて――。

 一体、何をしにきたのかわからなくなり、香澄はただ小さな声で否定する。

「…………違います」

「それならば、こんなところへ飛び込んでくるよりも、桜野さんを訪ねたほうがいい。彼女からの文句でしたら、私もお詫びしましょう」

 彼はしごくまっとうなことを言うと、灰皿に煙草を押しつけて立ちあがった。

「それでは、失礼?」

 端正な顔に小馬鹿にするような笑みを浮かべると、慇懃に頭をさげた彼はサロンの奥へ歩いていった。二階にあるという新聞社に戻るのだろう。

 煙草の残り香の中に立ち尽くしていた香澄は、彼の姿が見えなくなったころ、やっと両手をぎゅっと握った。手の中で新聞紙がぐしゃりと音を立てる。

「な……」

 なんなのだ、一体!

 青年の小馬鹿にした笑みが脳裏によみがえる。

 桜野が奉公先を変わらなくてはならなくなったのは、彼が書いた真偽の不確かな新聞記事が原因であることには違いない。たしかに桜野自身に話も聞かずにきたことは、早まったかもしれないけれど、何も香澄の友人を心配する気持ちまで踏みにじることはないではないか。

 言い負かされたことが悔しい。

 子どものようにあしらわれ、言い返せなかったことも。

「何よ、あの嫌味な笑い方!」

「まぁまぁ、落ち着きなさい、お嬢さん」

 ぎりぎりと奥歯をかんで地団駄を踏んでいた香澄は、横から声をかけられて、怒りのままに声の主をにらみつけた。

「おっと。そんなににらまないでください」

 そう言って両手を挙げ軽くのけぞったのは、短髪の男が大多数を占めるようになったこのご時世、未だ長く伸ばした黒髪をひとつにまとめ、髑髏と柳の絵が染め抜かれた奇抜な着流しを身にまとった男だった。ひょろりとした長身に色白で、やたら目が細い。

 彼は細い目をさらに細めてにこりと笑う。

「あたしは芝浦艶煙(しばうらえんえん)と申します。しがない役者崩れです。先ほどの彼は、日陽新聞社の記者で内藤久馬(ないとうきゅうま)。あたしの友人です」

 嫌味な青年の名を教えられ、しかもその友人だと言われ、香澄は思わず眉間の皺を深めた。しかし艶煙はさほど気にした様子もなく、にこにこと笑っている。

「そう怒らないで。可愛いお顔が台無しですよ。さあ、お団子でも食べにいきましょう」

 唐突なお誘いに毒気を抜かれ、目をまたたかせた香澄はがくりと肩を落とした。あまりに邪気の無い彼の様子に盛大な溜息がもれる。

「はぁぁぁ――――っ」

 すかした嫌味な新聞記者の次が、得体の知れない格好をした胡散臭い役者崩れだ。しかも妙に軽薄な。この状況が自業自得であると自覚はしているが、ひどい疲労感に襲われている香澄に、艶煙が袖をふりながら問いかける。 

「名前をうかがっても?」

「――香澄です。井上香澄」

 何故だか彼に逆らっても意味が無いような、そんな気がして、香澄は大人しく名を名乗った。父兄は官僚だが、今のところ名のある地位に就いているわけでもなく、隠すような名ではない。

 愉快そうに笑った艶煙が、香澄の背中に手を添えて、サロンの扉を指さした。

「香澄さん。美味しいお団子をおごりますよ。ですから、ね? 機嫌を直してください」

 美味しいお団子は魅力的だが、今さっき出会ったばかりの怪しい男と一緒に食べに行くのはどうかと思う。どんな返事をするべきか考え込んでいる香澄に、艶煙がさらに魅力ある提案をする。

「《件》の記事について、知りたくはありませんか?」

 香澄は派手な装いの男を見あげ、彼の表情をうかがった。貼り付けたような笑みからは、彼の考えを知ることはできない。

 あの記事に、新聞に書かれていたこと以上の秘密でもあると言うのだろうか。

「――でもあなたはさきほどの方のご友人なのでしょう?」

 友人を裏切るつもりなのだろうかと思って問いかけると同時に、久馬の小馬鹿にした笑みを思いだし、眉間に力が入ってしまう。

 何故自分の味方をしてくれるのかと疑いの眼差しを向ければ、彼は楽しげに声を立てて笑い、片手を胸元に当てると深くお辞儀をした。

「あなたのようなうら若き女性が、友人のために男の職場へ飛び込んできたことに、感服したのですよ」

「そ、それは……っ」

 つまり、女らしくないとか、可愛げがないとか、そういう意味なのではないだろうか。

 わかっている。そのとおりだ。けれど、いざ言葉にされれば恥ずかしい。自分で言うのもなんだが、なにせ嫁入り前のうら若き乙女なのだから。

「いやぁ、久馬さんも吃驚したんでしょうねぇ。あれで女性に対しては紳士的な男なのに、思わず地をだしてしまうくらいには」

「ぐ……」

 何も言い返すことができないまま熱くなった頬を両手で隠そうとした香澄だったが、艶煙に腕をとられ、なかば無理矢理その場から連れだされる。

「さあさあ。久馬さんのことなんて忘れて、行きましょう」

 笑う狐面をかぶっているような男に腕を引かれ、香澄は強引に団子屋に連れて行かれることになった。