明治あやかし新聞 怠惰な記者の裏稼業


 艶煙が案内してくれたのは、日陽新聞社からしばし歩いた先にある店だった。昔ながらのたたずまいの店先で、緋毛氈のかけられた縁台に並んで腰をおろし、香澄は甘辛いみたらし団子を頬張った。

「美味しい」

 ふっと眉間から力が抜けた。煙管の吸い口を舐めながら艶煙がのんびりと応じる。

「それはよぅございました」

 彼は煙を吐きつつ、団子を食べる香澄のことを愉快そうに見ている。本当に香澄の怒りをなだめるために、連れてきてくれたのかもしれない。

「落ち着いたら、あんなに怒っていた事情を少し聞かせてください」

 艶煙にそう言われ、香澄は口の中のものを飲み込むと縁台に座り直した。日陽新聞社に乗りこむことになった理由を、彼ならちゃんと聞いてくれる気がしたのだ。

「――私の父と桜野さんの父君は、同じ学問所で学び、同じ道場で剣の修行をした仲だったそうです。それで小さなころから私と桜野さんはよく一緒に遊んだりしていたんです。でも桜野さんの父君と兄君は戊辰の戦で亡くなられて、桜野さんは母君と妹君の生活を支えるために、二年前に浅田屋さんへ奉公に出たんです。私と同じ年なのに、桜野さんが背負っているものは多くて、だから桜野さんが家を出るとき、頻繁に会えなくなることは寂しかったですが、よい奉公先が見つかってよかったと思って、笑ってお見送りをしました」

 母を支えることができるのだと、彼女は嬉しそうに話していた。だからきっと桜野もよい奉公先が見つかったと喜んでいたと思う。

 香澄はそのときのことを思いだし、膝の上できゅっと手を組んだ。二年前の、桜のつぼみがほころぶ季節のことだった。

「浅田屋さんは大店で、桜野さんもきっと安心して奉公できると思っていたから、いとまをだされたと聞いて、私、悔しくて……」

 桜野の母に話を聞いたとき、香澄はただ悔しかったのだ。失敗をとがめられたわけでもなく、ただつまらない記事が新聞に掲載され、それに当てはまるのが偶然桜野しかいなかったという理由で彼女が辞めさせられたことが。

 目頭が痛み、涙がにじむ。たとえ次の仕事が決まっていたとしても、桜野だって悔しかったのではないだろうか。

「それでいてもたってもいられずに、新聞社に乗りこんできたというわけですか」

 艶煙の言葉に、香澄は黙ってうなずいた。涙がこぼれないように目を見張り、唇をかみしめる。

 ただ悔しくて、その記事を探して、まっすぐに新聞社へ向かった。記事を書いた記者を捜し当てて、責めたかった。他に悔しさの持っていき先がなかったのだ。

 それなのに、よけいに悔しい思いをすることになってしまった。あの、内藤久馬という嫌味な記者のせいで。

 悔しさが怒りにとって代わった。涙が引っ込んで腹が立ってくる。

 自分もたいがい礼儀知らずだったとは思う。けれどあの対応もひどかった。

 膝の上で拳をふるわせていると、艶煙がふいに問いかけてくる。

「あなたは、ご家族は?」

「私は、父と兄がいます。母は子どものころに亡くなりました。父は内務省に勤めています。兄も父の伝手で文部省に」

「それはそれは」

 艶煙はひょいと眉をあげた。香澄に自覚はあまりないが、家族が政府に勤めているというのは、大金持ちのお嬢様ではないにしろ、さほど悪い家柄ではないらしい。それにしては、香澄は男勝りに育ってしまったのだが。

「父は月に数度、書道の師範をしているので、私はその手伝いをしています。父は奥祐筆を務めていましたから、達筆なんです」

 奥右筆というのは江戸城で機密文書を作成し管理する役職だ。城でも大きな権力を持っていたと聞く。そのため、新政府からも声がかかったのだった。もちろんそれだけでなく、能力を買われてのことだとは思うが。

「おや、それでは生粋のお嬢様ではないですか」

「礼儀作法のなっていない、とおっしゃりたいのでしょうね」

「はい。いえいえ」

 深々とうなずいて香澄の言葉を認めた艶煙は、何事もなかったかのように首を左右にふって否定した。本音がまったく隠せていない。

「元気があってよいことです」

 言い訳のように付け足した艶煙は、煙管の灰を灰吹きに落とした。そしてふと視線をめぐらせると、店に近づいてくる和装の男に向かって手をあげる。

「あ、こっちです」

「……?」

 香澄は艶煙の知り合いらしい男に目を向けた。

 三十代前半くらいの男性で、青磁色の着物と羽織を身にまとっている。彼は艶煙を見つけると、表情を和らげて歩み寄ってきたが、その隣に腰をおろしている香澄を見て少しばかり怪訝そうに首をかしげた。

 しかし艶煙が、彼が口を開く前にそつなく説明する。

「こちらはあたしの弟子で、香澄さんです。こちらは浅田屋の番頭の三田吉蔵さん」

「え、あ、浅……?」

 艶煙の弟子だと紹介されたことよりも、浅田屋の名が出たことに驚いた香澄は、彼をまじまじと見つめた。

 番頭とは奉公人をまとめる長のことだ。大店の番頭になるくらいなので、きっと頭の切れる男なのだろう。

「吉蔵と申します」

「か、香澄です」

 艶煙の意図はわからないが、弟子だと紹介されたので、無難に名前だけ名乗っておく。吉蔵は団子屋の娘に茶を頼むと、艶煙にすすめられて彼の隣に座った。

 艶煙は煙管に煙草を詰めながら吉蔵に訊ねる。

「その後、浅田屋さんはいかがですか?」

「今のところはこれといって変わりはありません。桜野がいなくなったことで、少々主人の機嫌が悪いくらいです」

 吉蔵の口から桜野の名が出て、香澄はまたもや驚いた。しかし口を開こうとした彼女の前に、艶煙がひょいと煙管を差しだした。口をはさむなという意味だろうか。

 それに目を取られているうちに艶煙が話を続ける。

「次の被害者はまだ?」

「今のところ、好みの娘はいないようです。まぁ、十代の娘はもういませんからね」

「困ったものですねぇ。旦那さんにも同じ年ごろの娘さんがいらっしゃるのでしょう?」

 艶煙があきれたように言って煙を吐いた。

 香澄は質問したい気持ちを我慢し、けれどうずうずと身を乗りだして二人の会話に耳を傾ける。

「桜野は井筒屋さんで元気に働いております。これもあなた方のおかげですよ」

 香澄は彼の言葉にはっと息を呑み、慌てて口元を押さえた。吉蔵は桜野の現状を知っているのだ。しかもそれを艶煙たちのおかげと言った。

 艶煙は変わらぬ笑みで、謙遜するように手をふる。

「あたしたちは、たいしたことはしておりません」

「いえ。あのまま浅田屋に置いていては、どうなっていたことか」

「吉蔵さんも、一安心ですな」

「まぁ……」

 吉蔵が少々照れたように頬をかく。艶煙は煙管の煙をくゆらせながら、彼をからかうように横目で見た。

「いずれは自分の店を持って、桜野さんを迎えに行くのでしょう?」

「ええ、その。はい」

「いっそ、井筒屋さんの養子になられてはどうですか」

「いやいや」

 汗をかいてもいないのに、吉蔵は手で顔を拭い、しきりと照れている。

 香澄も年頃の娘だ。この話の流れで吉蔵と桜野の関係がわからないはずもない。

 彼女は艶煙の陰からひょこりと顔をだし、吉蔵に問いかける。

「えっと、あの、吉蔵さんは桜野……さんと、その……」

 恋人同士なのかと正面から問いかける勇気はなく、香澄が濁した言葉を艶煙が継ぐ。

「恋仲なのですよ。ね?」

「はい、まぁ。所帯を持とうと約束をしていまして」

 どうやら香澄の知らないところで、桜野は一足早くいい人を見つけていたらしい。それをうらやむ気持ちは……まったくないとは言えないけれど、幼馴染が幸せになってくれるなら喜ばしいことだと思う。

 けれどこれまでの話を聞いてきたところによると、どうやら桜野の奉公先が浅田屋から井筒屋にかわったのは、『艶煙たちのおかげ』であり、それによって恋人である吉蔵は『一安心』だというのだ。そして桜野以降『被害者』はなく、主人の『好みの娘はいない』。

 これは仕組まれたことであったのだと、さすがに香澄にもわかってきた。

 艶煙が細く煙を吐き、あきれたように話し始める。

「浅田屋さんのご主人はね、それはそれは女性が好きなんです。特に若い娘さんがね。気に入った女中に手をだすのもしょっちゅうだって話なんですけど、今回目をつけられたのが桜野さんだったわけです」

「え……!」

 思わず香澄は声をあげた。まさか彼女の身にそんな危険が迫っていたとは思いもしなかった。焦って問いかける。

「そ、それで、えっと、桜野さんは……?」

「貞操の危機の前に、吉蔵さんがあたしたちに相談してきましたから、ご心配なく」

 香澄は心底ほっとした。彼女の恋人が吉蔵のような、それなりに立場のある人でよかった。

「お妾になるように言い寄られたり脅されたりしていたようですけれどね」

「脅すって、そんな……!」

 香澄が憤っているにもかかわらず、吉蔵がふっと思いだし笑いをもらした。

「あの新聞記事の脅し効果は絶大でしたよ。旦那様は迷信深いところがおありだとは思っていましたが、まさかあそこまでとは。すっかり予言を信じてしまって、身代がつぶれるのは困ると慌てて、私がすすめる間もなく、桜野を井筒屋さんに奉公させる手はずをととのえてくださいました」

「女中など、代わりのきくものですしねぇ。桜野さんがいなくなればなったで、また別の若い女性を雇えばいいわけですから」

「本当に困ったものです。あれさえなければ、悪い方ではないのですが」

「ははは」

 艶煙は楽しげに声を立てて笑い、煙管の灰を吹いた。そして吉蔵の顔をのぞき込む。

「それで、今日は報告だけというわけではないのでしょう?」

「はい。実はもうひとつお願いしたいことがありまして……」

 吉蔵は何やら思案げな表情を浮かべて口を開いた。

「旦那様のあの女癖の悪さを、こらしめてやりたいのです」