明治あやかし新聞 怠惰な記者の裏稼業


無事役目を果たし、十円を持って約束の小料理屋へ向かった香澄は、合流した久馬と艶煙に事の次第を伝えた。話を聞き終えた艶煙は、くっくと喉をふるわせて笑い、久馬は額を押さえ、大きく溜息をついた。

 そして、

「おまえって、やっぱり馬鹿なのか?」

 と、しみじみとつぶやいた。

「な、なんでですか……!」

「馬鹿だと思っていたが、本物の馬鹿だったんだな。誰が女中奉公をしろと言った? 俺たちは掛け軸を売ってこいと言ったよな?」

「と、とにかく掛け軸を買ってもらわないといけないと思って……」

 もごもごと言い訳した香澄にもう一度深く溜息をついた久馬が、音を立てて卓を叩く。 

「だからってな! 浅田屋の主人の女好きも、これまで何人も泣かされてきたことも知っていて、そのうえで奉公しようとか、馬鹿以外、なんて言えばいいんだ? 大馬鹿か?」

「…………っ!」

 ぐっと言葉に詰まった香澄は、悔しまぎれに子どものような反論をする。

「ば、馬鹿とか、言うほうが馬鹿なんですからね!」

「なんだと!?」

 大人げなく反応して腰をあげかけた久馬と香澄の間で、艶煙が両手を挙げた。

「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」

 その仲裁に香澄は唇をとがらせ、久馬は鼻を鳴らし、ひとまず口を閉じる。努力を認めてもらえずにむくれる香澄に、艶煙は目を細めて笑った。

「香澄さん。これでも久馬さんはあなたのことを心配しているんですよ」

「え……?」

 想像もしていなかった言葉に、香澄は驚いて久馬を見た。すると彼はばつが悪そうに視線をそらして短く吐き捨てる。

「よけいなことを言うな」

 どうやら本当に、香澄の身を案じてくれていたようだ。それならばそれで、もっと言い方があるだろうとは思ったが、こことは大人しく折れることにする。

「あ……りがとうございます。ごめんなさい」

 実際、香澄自身、女中奉公を決めたことは少々早まったと思っているのだ。浅田屋のお内儀が「また後日」と言ってくれたのだから、一度相談しに戻ってくるべきだったのだ。

「とにかく、女中奉公すると約束してしまったのですから、仕方がありません。香澄さんは全力で、浅田屋のご主人から逃げてください。あたしたちもできるだけ早く仕掛けをすすめます。とっとと終わらせて辞めさせてあげますからね」

「はい!」

 香澄はこれでもかとばかりに深くうなずく。

「まあ、この跳ねっ返りだ。浅田屋のほうから願い下げかもしれないけどな」

「な……んですって!」

 またよけいなことを言ってくれる久馬に、香澄は卓に身を乗りだしかける。

「ほら、久馬さん。香澄さんが可愛いからって、からかっちゃいけませんよ」

 ふたたび喧嘩になりそうになったところに、艶煙が愉快そうに割って入った。

「とにかく香澄さん。お父上にちゃんと許可をもらってくるんですよ」

「う。はい。わかりました」

「おまえのような娘を持ったお父上は、それはそれは苦労人なのだろうな」

 香澄はぎろりと久馬をにらみ、けれど今度は何も言わずに、「ふん!」と彼から顔を背けた。



 その晩、香澄は早速浅田屋へ戻ることになった。

 父に、桜野が奉公していた店を手伝いに行くと言ったところ、放任主義の彼に反対されることはなかった。むしろよい社会勉強だと思っているようだった。

 明治となって世の中が変わったとはいえ、娘はよい家へ嫁ぐことこそ大事とする家長が多いというのに、娘に社会勉強を勧める彼は香澄から見ても変わり者である。女中仕事はもちろん、嫁入り修行のひとつではあるのだけれど。

 さておき、浅田屋の敷居をまたぎ、案内された女中部屋で荷物を片付けていた香澄は、今日から住み込みの仲間になるのだろう四十歳ほどの女性に小声で話しかけられて顔をあげた。

「あんたが新しい子かい?」

「はい。香澄です。よろしくお願いします」

 正座をし、ぺこりと頭をさげて挨拶すると、彼女はじりじりと近づいてきて、さらに声をひそめる。

「いくつなの?」

「一六です」

 彼女は意味ありげにじろじろと香澄を見た。今日はそんなふうに観察されてばかりいるような気がする。

「そうだろうねぇ」

「あの?」

 もっともらしくうなずく女に、香澄は先をうながした。すると彼女は膝ですり寄り、なおいっそう小さな声で香澄に耳打ちする。

「うちの旦那様は若い子がお好きだから、気をつけなよ」

 耳をそばだてていたのか、部屋にいた別の女性も心配そうに話に加わってくる。

「そうそう、あんたの前に辞めた子もねぇ、旦那様にちょっかいだされて困ってたから」

「は……あ」

 香澄は少々怖じ気づいた。浅田屋の主人の女好きは、この店の奉公人で知らない者はないようだ。

 ――これは、そうとうなんじゃないの?

 香澄は乾いた笑みを浮かべ、久馬を見返すためとはいえ、自ら貞操を危機にさらすことになった己の軽率さを呪った。

 しかし、後の祭りだった。