明治あやかし新聞 怠惰な記者の裏稼業


 主人と一悶着あったような店には居づらいだろうと、多恵が計らってくれたおかげで、めでたく浅田屋を辞めて早三日。蕎麦屋の座敷で香澄は久馬と艶煙の二人と向き合って座っていた。

 吉蔵に依頼されたとおり、首尾よく浅田屋の主人にお灸を据えることができた。香澄が売り込んだ掛け軸がそのために利用されたのは理解しているが、どんな仕掛けがあったのかは、今もわからないままだ。

 食べ終わった蕎麦の器を脇によけ、香澄は艶煙に訊ねる。

「どういうことだったんです?」

「はい?」

 さっそく食後の煙管に火を入れようとしていた艶煙が、ひょいと首をかしげる。

「だから、どうして画が変わったんですか?」

 真剣に訊ねる香澄に対して、久馬がくっと喉を鳴らして笑った。箱から煙草を取りだしながら、あきれたように口を開く。

「あんなもの、毎日すり替えていたに決まっているだろう?」

「すり替えるって……」

 毎日少しずつ違う画に取り替えていけば、たしかにじわじわ変化していくように感じるかもしれない。だが香澄が持っていったのは一幅だ。もちろん浅田屋の主人に売り渡してから一度も手を触れていない。

 ということは。

「協力者がいたってことですか? 吉蔵さんとか?」

「いいや。どの部屋にでも自由に入ることができる人だ」

「まさか」

 そんな者は多くはない。その中でも一番あり得そうなのは。

「多恵様?」

「そのとおり」

 久馬は燐寸をすって煙草に火をつけると、美味そうに煙を吐いて続ける。

「お内儀が旦那への恨みを込めて、毎日毎日掛け軸を変えていたのさ」

 香澄はあの美しい多恵が暗い笑みを浮かべて掛け軸を交換する様を思い浮かべた。

「そのほうが怖い」

 やはり生きている女の情念のほうが、恨めしげに見つめてきた画の中の女よりも恐ろしく思える。我慢の限界を超えた妻に包丁で刺されなかっただけでも、浅田屋の主人は幸運だったのかもしれない。

 掛け軸に隠されたお内儀の想いに想像をめぐらせていた香澄は、もうひとつ気になることを思いだす。

「あ、それなら、最後に目が光ったのは?」

「雲母ですよ」

 艶煙が煙管の先を小さくふった。

「雲母?」

「きらきら光る石です。それをすりつぶして粉にしたものを、画を見るふりをしてちょいとつけておいたのです。香澄さんも旦那さんも、気味悪がって画をまじまじと見たりしなかったでしょう? けれど、あえて指摘したことでそこに目が行き、突然目を光らせたように見えただけですよ」

 つまり、横井也有の句『化物の正体見たり枯れ尾花』と同じだ。恐れが強すぎて、ただの石粉の輝きが女の目の光に見えたのだろう。艶煙がそこに注意を向けさせたから、よけいに。

 久馬はくわえ煙草で愉快げに笑いながら、上着のポケットから紙を一枚取りだした。彼の勤める新聞社の小新聞だ。

「まぁ、これで、浅田屋の主人もしばらくは身を慎むだろうさ」

 差しだされたそれを受け取り、香澄はそこに躍る見出しを読みあげる。

「浅田屋の生ける幽霊画?」

 どうやら、あの掛け軸についての記事らしい。

「呉服商浅田屋源助方に持ち込まれた掛け軸の娘、日に日に姿を変え陰惨な幽霊となり。拝み屋いわく、奉公先の主人から手ひどい仕打ちを受けた娘の描かれた掛け軸、男のみを祟り、一度手にすれば死ぬまで離れぬものだが、おなごに無体を強いねばなんら恐れるものではないとのこと。浅田屋の主人がなんの不安もなく手元に置けるのは、彼が清廉潔白であるがゆえであろう」

 つらつらと記事を音読した香澄は、目をすがめて久馬を見た。

「なんですか、この記事。清廉潔白な浅田屋のご主人って」

 これほど嘘くさい記事もない。彼の女好きを知っているのは浅田屋の奉公人だけではないだろうに。

 あえてそんな書き方をしたのであろう久馬は、人の悪い笑みを浮かべている。

「誰もそんなことは思ってないだろうな。だが、そう笑われていることを知りながら気づかないふりをするのも辛かろうよ」

「意地悪ですね」

「これまで泣き寝入りしてきた娘さん方の敵討ちさ」

 ふふんと鼻を鳴らした久馬を、艶煙が横目でながめてほほえむ。

「ふふ。久馬さんは女性におやさしいですから」

 香澄は彼の言葉に久馬をまじまじと見た。自分への対応にはそのやさしさが感じられない気がする。

「どこが?」

「うるさい、小娘」

 久馬は犬でも追い払うようにしっしと手をふった。やはりやさしさが足りない。

 むぅと膨れた香澄に、煙管の灰を吹いた艶煙が改めて向き合う。

「さて。今回はご協力ありがとうございました。これで我々が詐欺師だという疑いも晴れたことですし、よかったよかった」

 そう言った彼は、香澄の前に小銭を置いた。十銭硬貨が三枚だ。一週間ばかりの働きに対する報酬にしては少々多い。

「お金を……もらっているんですか?」

 依頼人から高額の報酬を受け取っているのかと思って訊ねれば、艶煙は首を左右にふった。

「いいえ。今回は掛け軸のお金をいただいたくらいですが、あれも絵師にほとんど渡してしまいましたしね。ですからいくらも差しあげられませんけれど。それは口止め料ということで」

 口止め料などもらわなくとも、誰かに話すつもりはない。それよりも、彼らが報酬も得ないでどうしてこんなことをしているのかが気になった。

「お金にならないのに、どうして?」

「あたしは芝居の醍醐味を味わえますし、久馬さんは記事が書ける。損はしてないですよ」

 そう言われればそうかもしれないが、もし彼らがしていることが世の中に知られれば、好意的には受け容れられないのではないだろうか。

「でも……もしバレたら、損、ですよね?」

「バラすつもりなら」

 すっと艶煙が懐に手を入れる。冗談めかして笑っているが、まさか匕首でも忍ばせているのではないかと思わせる仕草だ。ぶすりと刺されてはたまらないので、香澄は慌てて両手をふった。

「そういうことじゃなくて」

 どうしてそこまでして誰かのために人を騙すのか。それが知りたいだけだ。

 香澄がそう訊ねる前に、艶煙は察したように口を開いた。

「世の中にはね、妖怪や怪異現象のせいにすればうまくいくことがあるんですよ。桜野さんのように、伯父の顔をつぶせない、けれど店は辞めたい。浅田屋のお内儀のように、旦那をこらしめたいけれど、夫婦仲を壊したいわけではない、とね。だからそれをなんとかするために知恵を貸す。妖怪や怪異現象を利用すれば、誰も悪者にならなくていいでしょう? それだけのことです」

 香澄は黙って煙草を吹かしている久馬に目を向ける。

「あなたも?」

 人助けを好んでするような男には見えない。むしろ冷たくつき放すような印象さえある。

 ――けれど。

「……俺も、救われた一人だからさ」

 彼は香澄を見ることなく、ささやきに近い声で答えた。

 恩返し、のようなものなのかもしれない。

 意地が悪くて、嫌味で、女性に優しいと言われているのに香澄には冷たい彼に、一体何があったのだろうか?

 口止め料を受け取り、ここを立ち去れば、彼らとの繋がりは消える。

「私……」

 人を騙す。

 正しいこととは思えないが、誰かを救えるならば悪いことではないのかもしれない。彼らを手伝い続けていれば、彼らがこんな《裏稼業》を続けている気持ちも理解できるようになるのだろうか。

 騙された一人として、それを知りたかった。

 香澄は口止め料を押し戻し、身を乗りだして二人に訴える。

「私。手伝います。手伝わせてください」

「はぁ?」

 目をむいた久馬が煙草を落としそうになりながら声をあげる。

「おまえまさか、俺を見返すためにとか言うんじゃないだろうな?」

「えっと、それは八割くらいですよ?」

「けっこうでかいな」

「でも、女手があるほうが都合がいいでしょう?」

 女にしかできない役目もきっとあるはずだ。だから彼らの役に立つことができるに違いない。

 久馬とは対照的に、艶煙は楽しげに笑っている。

「それはいい。そうしましょう」

「ふざけんな、艶煙」

 もう少し説得しなければならないようだったが、香澄は引くつもりはなかった。

 久馬を見返すため、いや、彼らの心の在処を知るために。

 久馬には迷惑だろう決心を固め、香澄は彼の攻略を開始した。