明治あやかし新聞 怠惰な記者の裏稼業


 元々箱の中に菓子など入っていなかったのだろう。けれど香澄が芝居でなく驚いたことで、さも菓子が黒髪に変わったかのように見えたに違いない。

 実篤の取り巻きたちが、気味悪そうに輪を広げた。

「さっきの占術師のときも髪が……」

「実篤さん……」

 若者たちは小声でささやき合いながら、恐ろしそうに黒髪から目をそらし、救いを求めるように実篤を見た。

「馬鹿な」

 実篤がぽつりとつぶやいた。その顔は色をなくし、青を通り越して白くさえ見える。

 すっかり戦意を喪失したのか、久馬を囲んでいた若者たちは後じさっていく。

 久馬は落ちた黒髪に落としていた視線を実篤に向けた。

「これではまるで『髪鬼』にでも憑かれているようですね」

「髪鬼……だと?」

「ご存知ではありませんか? 近頃、招魂社で掛けられている芝居に出てくる妖怪ですよ」

 当然ながら、まるで驚いた様子もなく久馬は実篤に説明する。なるほど、棒読みではないけれど、たしかに大根役者だ。少しくらい驚いてみせねば胡散臭く見えるのではないかと心配になったが、実篤たちに疑う余裕はないようだった。

「女の嫉妬心や怨念がこもった髪が妖怪となったものをそう呼ぶのだそうです。恨みを晴らすまで、幾晩でも現れる。芝居では結局、相手を取り殺してしまうのですが」

 久馬は落ちた黒髪を一房拾いあげた。絡まり合ったそれは彼の手に持ちあげられ、ゆらりとゆれる。

「どなたかが、女性に手ひどい仕打ちをしたのでは?」

 久馬に見回された若者たちの視線がお互いの間を行き交い、最終的には実篤に集まった。手ひどい仕打ちをしたのが彼であるという意思表示だろうか。

 久馬も彼らの視線を追う。

「そういえば先日、あなたは若い娘さんの髪からかんざしを抜き取っていましたよね。かんざしや櫛には怨念がこもりやすいと言います。古いものには、とくに」

そう言った久馬はうっすらと笑った。

「どうぞお気をつけなさいませ」

「う、うるさい! 妖怪など迷信だ!」

 青白い顔で怒鳴った実篤に久馬は首をかしげる。

「妖怪は迷信? なれど、女の恨みがこの世に存在するのは真でしょう。その恨みが形となれば、ちょうどこのような姿になるのではないでしょうか?」

 彼の手で黒髪がゆれた。さながら蛇のようで、それ自身に命が宿り意思を持ってうごめいているようにも見える。

 怒りにか、それとも恐怖にか、身体の両側で握った実篤の拳がぶるぶるとふるえた。

「付き合っていられるか! 行くぞっ!!」

 勢いよく身をひるがえした実篤に、取り巻きたちが慌てて従う。彼らは残された黒髪を恐る恐るふり返りながらも去っていった。

 角を曲がってその姿が見えなくなってから、香澄は久馬に声をかける。

「真っ青でしたね」

「様ァないな」

 くくっと喉を鳴らした久馬に、香澄は唇をとがらせた。

「私もびっくりしたんですけど」

「ああ、なかなかいい悲鳴だった」

 反省の色もなく応じた久馬は、香澄が投げ捨てた菓子箱を拾いあげる。黒髪をひとつかみにして元どおり箱に詰めると、何事もなかったかのように風呂敷に包んだ。

「さて、髪鬼の記事を書きに帰るか」

 香澄は久馬と共に、来た道を新聞社へ向かって引き返した。



 数日後、日陽新聞の隅に、久馬の書いた記事が掲載された。曰く、

 ――おなごの恨みはいつの時代も恐ろしく、髪鬼なる妖怪もまた女の髪に恨みが宿ったものと言う。記者はこれまで怪異を記せしが、まさかこの目で見ることになるとは思いもせぬことであった。記者が九段へ往きし折、某なる華族の子息の前で菓子折の中身が女の髪に変化したのである。これはまさに髪鬼なる妖怪の仕業であろうと伝うれば、某、おなごの恨みに思い当たる節があったか、急ぎ去らん。早々に供養をせねば、命にも関わろうとは或る寺の住職談なり。

 とのことであった。

 華族の若君が小新聞など読むとは思われないが、そこはもちろん艶煙が協力者へ手を回している。必ず実篤も、この髪鬼の記事を読むだろうと久馬は言った。


「おい、誰かあれ!」

 実篤の呼びかけに現れた女中に、家令を呼ぶように申しつけると、しばらくして村中が彼の部屋までやってきた。

「お呼びでございますか、若様」

「これを寺に持っていけ」

 家令へ差しだしたのは、紺色の袱紗に包んだかんざしだ。丸く削りだされた赤い珊瑚がひとつ刺されている。金の細工は繊細で、高価なものであろうと一目でわかるものだ。だから取り巻きの一人にくれてやったのだが、こうなっては仕方がない。女から取り返してくるように命じて、今そのかんざしはこうして実篤の元に戻ってきた。

「かんざし、でございますか?」

 袱紗からのぞくかんざしに村中は怪訝そうだったが、それ以上の詮索を実篤は許さなかった。

「念入りに供養させろ。布施は多めに渡すのだぞ」

「承知いたしました」

 彼はかんざしを袱紗に包み直すと、実篤へ深々と頭をさげてその場から退いた。

 実篤は机に置かれた一枚の小新聞をぐしゃりとつかんだ。先日行き合った男が新聞記者だったとは思わなかった。知っていれば金で口を封じることもできたというのに。名前をだされていたら、つまらぬ醜聞になるところだった。

 だがひとつ、ありがたいこともある。供養をしろと、わざわざ解決策を示してくれていたのだ。妖怪の仕業であるならば、これであの気味の悪い黒髪に苦しめられることはなくなるだろう。そのためならばいくらでも金をだしてやるし、これで収まるならば妖怪なる不確かなものがまだこの世に存在するのだと信じてもいい。

 それにしても女の恨みとは厄介なものだ。しばらくは女に声をかけたくもない。たかだかかんざしを盗ったくらいで祟られていては身が保たないではないか。

 己の行いを省みることなく、実篤はそう思った。






 高梨家の家令によってかんざしは無事回収された。屋敷に艶煙を引き入れる手はずを整えてもらったり、実篤の行動を逐一報告してもらったりと、彼にはずいぶんと協力をしてもらったそうだ。

 その後かんざしは美幸の手元に戻った。からくりが露見してはいけないので、当分の間は身につけて外出することはできないが、美幸は涙を流して喜んでいた。

 母親の形見なのだ。香澄も同じ立場であれば、やはり泣いて喜んだだろうと思う。

 人を騙したのには違いないが、誰かに喜んでもらえるのは嬉しいことだ。

「香澄ちゃん」

 気分良く日陽新聞社の編集室の掃除をしていた香澄は、内村に声をかけられて手を止めた。

「はい。なんですか?」

「鼻歌歌ってご機嫌なところ悪いんだけど、久馬の奴を呼んできてくれないかな」

「またサロンで怠けてるんですか!? もうっ!」

 香澄がおりていくと、一人掛けのソファに座った艶煙が、煙管片手に新聞を読んでいた。久馬はといえば、その向かいの長椅子に、帽子で顔を隠して寝ころんでいる。

「久馬さん! 内村さんが呼んでますよ!」

 呼びかけると、横になったまま、久馬はひょいと帽子を持ちあげた。

「なんだよ。気持ちよく昼寝してるっていうのに」

「西班牙(スペイン)でいうところの『しえすた』ですね」

 久馬はとうとう、昼寝していることを否定しなくなった。このままさらに怠け者になってしまうのではないだろうか。

「もう、艶煙さんも見てないで協力してください」

「いやいや。今回は久馬さんの記事のおかげで、『髪鬼とはなんぞや』とお芝居のお客が倍増しましてね。恩を仇で返すようなことはできないんです」

 なるほど、そんなふうに裏稼業は艶煙の本業に好影響を与えることがあるのか。

 思わず感心し、久馬のことを忘れそうになったところで危うく思いだす。

「ほら、久馬さん! 早く起きて起きて!」

 ぐいぐいと腕をつかんで久馬を急かす香澄へ、艶煙が新聞を差しだした。

「はい、香澄さん」

 日陽新聞ではなく、他社の大新聞だ。サロンには他社の大小新聞や読み物、芝居の広告まで、多種多様の情報がそろっているのだ。

 何を読めというのだろうかとながめていると、

「ここ、ここ」

 と、艶煙が紙面の片隅のほんの小さな記事を指さした。香澄は久馬の腕をつかんだまま見出しを読みあげる。

「高梨宗典卿令息実篤氏、英へ留学?」

「留学と言えば聞こえはいいですが、実際のところ、厄介ばらいでしょうね」

「あの新聞を高梨卿も読んでくださったのさ」

 のそのそと起きあがった久馬が、あくび混じりにそう付け加えた。

「でも、だからって、『おまえ、しばらく帰ってくるな』なんてなるものですか?」

 これまで息子の悪行に目をつむってきたのに、日陽新聞のような庶民向けの新聞記事になったくらいで、追いだしたりするものだろうか? それこそ金で解決しようとしそうなものだけれど。

 それ以前に、高梨卿が小新聞を読むとは思えない。家令がうまく渡してくれたのだろうか?

 久馬たちの仕掛けに香澄の知らないことがあるのではないかと疑っていると、彼が上着のポケットから封筒を取りだした。

「なんてな。実はコレだ」

 封筒に差出人はなく、香澄は抜き取った便箋を広げて確認する。

「高梨宗典……高梨卿!?」

 声をあげた香澄の唇を久馬が押さえた。

「きょ、協力者って、家令さんだったんじゃなかったんですか?」

「江戸のころから高梨家に仕えていた家令の爺さんも、実篤の尻ぬぐいをしながら、主家の行く末にそうとうな不安を抱えていたそうなんだが、それよりも高梨卿のほうがもっと頭を痛めていたんだよ」

 すいと香澄の手から封筒と便箋を抜いて、久馬はそれをポケットへ戻す。

「それはまぁ、そうでしょうけれど。でも、父君の言葉を聞かないような問題児なのでしょう? よく大人しく留学することにうなずきましたね」

 海外へ行くよりも、国内で好き勝手していたいと言いだしそうなものだが。と、心配になった香澄が問えば、久馬と艶煙がとてつもなく人の悪い笑みを浮かべた。

「せざるをえませんよ」

「そう、あいつにはもう、海外に逃げるしか道がないのだから」

「まさか……」

 香澄はすっかり終わった気になっていたが。

「まだ毎晩脅しているんですか?」

 にやにや笑っている久馬たちに香澄はあきれた。実は純粋に実篤を追い詰めるのを楽しんでいるのではないだろうか。

「英国は紳士の国だと聞く。一から紳士のなんたるかを学んでくるがいいさ」

 それで実篤が改心するか、さらに慢心して戻ってくるか、先が楽しみである。いやもう、怯えてしまって日本へ帰りたがらないかもしれない。

 そんなことを考えていた香澄ははっとした。こんなところで油を売っていてはいけなかった。

「だから久馬さん! 内村さんが呼んでるんですってば!」

「そうだったかな」

 とぼけながらも立ちあがった久馬の腕を引っ張る。

「さあ、行きますよ!」

「いってらっしゃい」

 ひらひらと手をふる艶煙をサロンに残し、香澄は久馬を連れて二階へ続く階段へ足を向けた。