この空の上で、いつまでも君を待っている


 翌日、一限後。

 いつものように教室の後ろで友人らの話を聞き流していた私は、最前列の机に突っ伏して寝る東屋に歩み寄り、後頭部に軽く手刀を落とした。

「いてっ」

 腕枕がずれ、東屋の額がゴチンと机にぶつかった。

 東屋は寝ぼけ眼で私を見上げ、呂律の回らない声で問う。

「……市塚さん、どぉかした?」

「どうかしてんのはあんたでしょ」

 私は種々雑多な思いを込めて言い返し、英語の授業後のまま放置されている黒板へ顎をしゃくった。

「日直。さっさと黒板消して」

 そこで目が覚めたらしい東屋は、機敏に立ち上がってにこやかに礼を述べた。

「あ、そっか。教えてくれてありがとう」

 私の手刀を意にも介していないことに罪悪感を覚え、私は目を背けて不愛想に一言。

「……別に」

 授業が滞るとこっちが迷惑なだけだ。ついでに何となくムカついただけだ。英語の授業中もほとんど寝てるみたいだったけど、最前列で堂々寝るとか普通有り得んわ。昨日の夜何してたんだ、お前。

 教室の後ろまで戻った私は、黒板消しと格闘する東屋の様子を観察した。小柄な東屋は腕を限界まで伸ばしても、黒板の高い所に書かれた字まで届かない。黒板消しの端っこを指先で持ち、どうにか消そうと躍起になっている。

 腕、めっちゃプルプルしてんぞ。そんなことしてたら落っことし……たわ。頭に黒板消しが落ちて河童みたいな見た目になってる、言わんこっちゃない。身の程を知れ、身長的な意味で。

 その有様が昨日のワンシーンと重なり、私は無意識に唸る。

「……むーん……」

 こうして見ている限りは、東屋の行動は普通だ。私に対して何か特別に警戒しているわけでもないし、一晩経った今、昨日のアレは全部ただの夢だったんじゃないかって気もしてくる。まぁそれはそれでヤバい気がしないでもないけど――

「……あの、美鈴?」

 そこで私はハッと我に返り、私を心配そうに見つめるクラスメイトの存在に気付いた。

「えっ? あ、ごめんココア、何の話だったっけ」

 高梨古虎亜、通称ココア。明るい茶髪といい短めのスカート丈といい広い交友関係といいよく通る声といい、まさにTHE・JKといった趣のクラスメイトだ。その派手な外見だけでも私とは相容れなさそうな気がするけど、彼女の誰彼構わず声を掛けてくる性格のお陰で絡みは結構多い。多少喧しく感じることはあるけど、最近の情報やクラスの立ち位置に困ることもないので、私は惰性で彼女のクラスタに所属している。

「ううん、別に何でもないんだけど……どうかした?」

「えっ、私、今どうかしてた?」

 思わず訊き返した私に、キラキラネームガールは全然キラキラしていない深刻な表情で頷く。

「めっちゃどうかしてたよ。確実に人一人殺ってる目ぇしてたもん」

「マジか……」

 思った以上にどうかしてたらしい。私は眉間に指を遣り、皺をグイグイと伸ばす。

 いやまぁ、どうかしてるのは私じゃないんだけど。東屋だけど。そして人殺しの目を知っているココアだけど。

「東屋の方見てたよね。あいつのこと気になってるの?」

「別に。恋愛とか興味ないし」

 ある意味気になっているのはその通りだが、私はココアの好奇心を敢えて冷淡にあしらった。

 昨日のガラクタ山の一件は誰にも話していない。男女二人で雑木林の密会など、字面だけで茶化されること請け合いだ。想像しただけでもかったるいことこの上ない。

「美鈴っていっつもそうだよねー。もしかして男より女の方が好きとか?」

「別に」

 ――恋愛に興味がないって言ってるじゃん。

 彼女らとの会話はいつもこうだ。事ある毎にクラスやテレビの誰それが気になるだとか好きだとか付き合い始めただとか、話題に挙げること自体が何かのステータスであるかのように語り出す。内輪で盛り上がる分には勝手にすればいいと思うけど、当事者や興味のない人間を巻き込んでの暴走は理解不能だ。経験値が貯まるわけでも魅力が高まるわけでもなし、誰にも何のメリットもない。少なくともココア、あんたは自分の成績と名前をもっと気にすべきだろ。

 ちなみに東屋の下の名前は智弘というらしい。普通すぎて感動すら覚えた。閑話休題。

 小鳥の囀りのような友人達のトークは、終わる気配がない。毎度のことながら、よくもまあここまで話のネタが尽きないものだと感心する。

 無益な情報の奔流を聞き流す私は、窓の外に目を遣り、恨めしげに小さな溜息を吐いた。

 ――人生って、つまんない。

 大嫌いな夏が終わるのは、まだまだ当分先になりそうだ。



 その日の放課後、私の足は昨日の雑木林に向かっていた。

 今月ピンチと言った手前、友人らと遊び歩くのは躊躇われるし、まっすぐ家に帰っても宿題くらいしかやることがない。答えの分かり切った問題よりも、私は未だ答えの分からない東屋智弘の奇行の方が気になった。

 しかし、辿り着いたガラクタ山に東屋の姿はなかった。東屋がいないガラクタ達は、まるで最後の拠り所を失ってしまったように見え、言い知れない寂しさが漂っているように思えた。

 私は涼しい木陰から抜け、ガラクタ山のふもとに歩み寄ってみた。何かお宝や掘り出し物でもあるのかと疑ってみるが、こうして見る限りは何の変哲もない粗大ゴミばかりだ。東屋が昨日分別し、地面に置かれっぱなしになっているガラクタも、特段代わり映えしたものには見えない。

 ジリジリと、直射日光が黒髪を焦がす。立っているだけでも億劫なのに、こんなガラクタのために少なくない労力を費やすなんて、どうかしているとしか思えない。

 彼の意図をどうにか測ろうと考え込んでいると、雑木林の中から葉擦れの音が聞こえてきた。

 無造作に音の方に目を遣ってみると、予想通りの人物が姿を現す。

「あ、今日も来たんだ」

 片手を上げて能天気に挨拶する東屋を見ると、真剣に思考に耽っていた自分がバカバカしく思えてくる。

 募る蟠りを発散させるように、私は敢えて少し高圧的に返した。

「来ちゃ悪かった?」

「そんなこと言うつもりじゃなかったんだけど」

 東屋は私のささやかな悪意など歯牙にもかけず、通学鞄を適当な場所に置くと、昨日集めたガラクタを一つ一つ検め始めた。

 太陽に翳したり指で軽く弾いたりを繰り返す傍ら、東屋は続ける。

「ただ、昨日はちょっと言いそびれちゃったんだけど、他の人には僕がここでやってることは話さないでほしいんだ」

「言われなくても、話すつもりとかないし」

 口が軽い女と思われたっぽいのが心外で、私はつっけんどんに答えた。話題に挙げるデメリットの方が大きいくらいだし、ゴミ漁りをする高校生に交渉の余地があるとも思えない。

 どこまでも打算的にそう結論付けただけの私に、東屋は検分の手を止め、屈託のない笑顔を向けてきた。

「ありがとう。優しいんだね、市塚さん」

「……別に」

 対照的なほどに純粋な東屋の一言で、胸の奥がチクリと痛んだ気がした。東屋と話していると、自分の性格の悪さが嫌になる。

 再びガラクタ弄りに集中し始めた東屋の背中から、私はストレートに尋ねた。

「楽しい?」

「あはは、昨日も同じこと聞いてたよね」

 カラカラと笑う東屋は、まるで他人事だ。得体の知れない掴みどころのなさが腹立たしい。

 東屋は答える代わりとばかりに、同じ質問をぶつけてきた。

「市塚さんはずっと見てるだけだけど、楽しい?」

「全ッッッッ然」

 待ってましたと言わんばかりの即答だった。

 その一言に留まることなく、私は気遣いの欠片もない率直な思いを捲し立てる。

「何が楽しいのかも何の意味があるのかも全く分かんない。ガラクタ集めしないといけないくらい貧乏なのかと思ったけど、そういうわけでもなさそうだし。どういう基準で分別してるのか分かんないけど、そもそも持ち帰るつもりないよね、それ」

「そりゃそうだよ、こんなもの家に持ち帰ったら怒られちゃう」

 東屋は尚も笑い半分にそう応じたが、言ってることが違う。昨日はリサイクルのようなものだって答えてたのに。

「じゃあ何のために――」

 私の問い掛けを受けた東屋は、唐突に立ち上がって両手を軽く払った。

「いいよ。本当はあんまり言いたくないんだけど、秘密にしてくれるお礼」

 言うが早いか、ガラクタ山を離れて何処かへと歩き出す。

「ついてきて」

 『あんまり言いたくない』と言った割には、その足取りは随分と軽やかだ。『ここだけの話だよ~』とか言いながら笑顔でベラベラ喋くり回す女子か。何ていうか、もはや東屋と私の性別入れ替えた方がちょうどいいんじゃないのか。

 訝しみながら後をついていく私に、東屋は伸び放題になった草の根の一点を指差した。

 指し示した先にあったものは、青いビニールシートで覆われた何かだった。膨らみ方はまるで人の形のようで、死体を連想した私は思わず身構えてしまう。

 息を詰める私に構わず、東屋はビニールシートを取り払い――現れた〝それ〟に、私は目を点にした。

「…………何、これ」

 無感動な私の問い掛けが聞こえていないようで、東屋はどこか得意げに語り出す。

「不格好だけど、ここまで組み立てるのは苦労したんだよ。まともな材料も道具も知識もないんだから、ある意味当然だけど。特に窓部分なんかは使えそうなのが見当たらなくて……」

「いや、だから、何なのこれ」

 何なの、と言いつつも、私は既に〝これ〟が何であるか予想が付いていた。

 長さは概ね2メートルといったところか。金属板や硬質プラスチックを継ぎ接ぎして作り上げた外装は見るからに頼りなく、私が爪先で蹴っ飛ばしただけでも壊れてしまいそうだ。形状は直径1メートルほどの多角形に近い円筒形で、先端が丸っこく収束している。これだけなら趣味の悪い棺桶かタイムカプセルに見えないこともないが、側面にご丁寧に搭載された一対の直角三角形の尾翼を見れば、結論は自ずと導かれる。

 硬直する私に、東屋は汗まみれの顔を綻ばせ、正解を口にした。

「ロケットだよ。僕は、これで宇宙まで飛んでいきたいんだ」

「…………」

 沈黙を縫うように、一陣の風が吹き去って行く。

 バカだバカだと思っていた。毎日毎日、このクソ暑い中でガラクタに埋もれているんだから、そう思って当然だ。それでも、この行動に実は何か深い意味があるんじゃないかという思いも、ないわけではなかった。彼は学校で素行が悪いわけでも、特段目立つ行動をしているわけでもないのだから。

 だが、その認識は今、綺麗に上書きされることとなる。

「……頭、おかしいんじゃないの、あんた?」

 東屋智弘は、ただの大バカ野郎だった。