この空の上で、いつまでも君を待っている


 嫌なことは重なると言うが、何も四時間後に重なる必要はないと思う。

 その日の夜。風呂上がりに髪を拭きながら自室に戻った私は、ベッドの上に鎮座するデカいゴミの存在に顔を顰めた。

「何で私の部屋にいんの、お姉ちゃん」

 着古したスウェットでベッドに寝転がり、スマホを眺めながらビールを呷る姉――市塚美典は色気も何もなく、完全に中年のオッサンそのものだ。これで彼氏持ちの大学生というのだから、つくづく世の中には特殊な性癖の持ち主がいるものだと思い知らされる。

 姉は私の方を見ることすらせず、スマホ片手に白々しくうそぶいてみせた。

「あー、わざわざ寝る間を惜しんで布団を温めておいた私の気遣いが分からないかぁー」

「ほほう、猿の分際で気が利くではないか」

「ウキキー愛しのお姫様に褒められて嬉ちいウキー」

 クソ猿が、と私は舌打ちした。こっそり動画撮影してYouTubeにでも流してやろうか。タイトルは〝猿の飼育日記〟で。

 ビール溢したらマジであのロケットの錆にしてやるからな、などと邪念を送りつつ、私は酒臭さから逃れるべく窓を開けた。夜風に乗り、夏の匂いが部屋に流れ込む。

 何気なく見上げた空には、夏の大三角形が浮かんでいる。

「……ねえ、お姉ちゃん。例えばの話だけどさ」

 ふと姉が出す答えに興味を持った私は、敢えてそう前置きしてから質問した。

「高校生がロケットを打ち上げて宇宙に行くことって、出来ると思う?」

 姉はスマホから目を外して私を一瞥し、答える代わりに短く一言。

「何あんた、宇宙に行きたいの?」

「別に行きたくないし! 例えばの話って言ったじゃん!」

 何のためにわざわざ前置きしたと思ってんだ、このバカ大学生。

 番犬のごとく威嚇する私を歯牙にもかけず、姉はスマホに目を戻して容赦なく地雷を踏み抜いていく。

「だっておかしいじゃん、何でいきなりそんなことが気になんの」

「もぉーもぉぉー! だぁーかぁーらぁー!」

 犬がダメなら牛だ。近所迷惑にならないギリギリのラインを守りつつ、私は焦れったさに声を荒らげた。

「出来るか出来ないかって訊いてんじゃん! 無理でしょ!? 無理だよね! はいはい無理無理ありがとうごめんね変なことに付き合わせて――」

「いやー、無理とも言い切れないかもよ? ちょっと待ってて」

「――えっ」

 極めて平然とした姉の答えに、私は素っ頓狂な声を上げた。

 姉は何やらスマホの画面を凝視したかと思うと、唐突に私に投げてよこした。

「ほら、見てよそれ」

「ちょっ……とっ」

 辛うじてキャッチに成功した私は、姉に言われるまま表示されているニュースを見る。

 わざと落としゃよかった、という後悔は、その内容の衝撃でたちどころに消え去った。

 少し古い二〇一一年のニュースだった。要約すると、アメリカのネバダ州でアマチュアのロケット技師が自作ロケットを宇宙まで飛ばし、成層圏を撮影ののち地球に帰還したロケットを回収したという主旨だった。

 本人が発射や観測の様子を動画サイトに投稿しており、記事中にリンクが埋め込まれていた。それらをざっと流し見た私は、言い訳がましい言葉を並べながらスマホを突っ返した。

「いや、そりゃ大人なら出来るかもしれないよ? 実際この人、本職がエンジニアか何かみたいだしさ。だけど高校生が、しかも人一人を乗せて宇宙まで行くなんて……」

「もう一個のタブ見てみ」

 姉は私の言葉を遮り、スマホを指差した。言われるままにスマホを操作し、タブを表示する。

 先程のニュースから二年後の、二〇一三年。これまたアメリカのカリフォルニア州で、ホームセンターの材料で作ったロケットを宇宙まで飛ばし、地球を撮影したという内容だった。

 製作者の当時の年齢は、何と十三歳。私より三歳も年下の中学一年生相当、それも女子だ。

「マジか……」

 年齢も然ることながら、てっきり打ち上げには厳しい規制があるものだとばかり思っていたから、無人とはいえ民間人が結構軽いノリでポンポン打ち上げているのには少々度肝を抜かれた。流石は宇宙開発の総本山と言うべきか。

 ――生まれる国を間違えたな、あいつ。

 日本でそんなことをしでかそうものなら、〝お騒がせ者〟として個人情報を拡散されて社会的に抹殺されることは明らかだ。合法にせよ違法にせよ結末は大して変わるまい。

「まぁ、どっちもカメラで地球を撮影しただけだし、人を乗せてってのは許可の問題もあるから難しいと思うけどねー。四、五年前の技術レベルと中学生の知識でそこまで行けるなら、その気になれば出来ないこともないんじゃないの? 知らないけど」

 今度こそスマホを受け取った姉は、もう一度ニュースを眺めながら結論付けた。

 つい納得しかけた私だったが、すぐに我に返って反論する。

「いや、でも帰って来れないし死ぬでしょ。そんなリスク冒すくらいなら、倍率高くてもとりあえず宇宙飛行士目指すでしょ、普通」

「さっきからあんたは私をどこに誘導したがってんの?」

 終わらない水掛け論を不服に思ったのか、姉は呆れた表情で溜息を吐く。私は少しだけ迷ったが、恐らく姉が東屋と関与することはないだろうと考え、東屋智弘の奇行について簡単に説明した。

 話を聞き終えた姉は申し訳程度に黙考し、至極軽々とした結論を弾き出す。

「私はその子のこと知らないけど、今やることに意味があるんじゃないの? 欲しいものとかやりたいこととかって大抵は突発的じゃん。ほら、ガチャガチャやりたいやりたいって子供が駄々こねるアレとかさ」

「マジか……」

 あいつの行動、アレと一緒か。当て嵌めて想像すると秘密基地以上にキモい。

 まぁ、秘密基地やガチャガチャと同類なら、そのうち飽きてくれるだろう。奇行改善の見通しに多少なりとも安堵した私は、同時に今更のようにある疑問が浮かんだ。

「っていうか、お姉ちゃんやたらとロケットに詳しいんだね」

「いや、あんたの話を聞いてスマホで調べただけ。私もさっき初めて知った」

 あけすけに真実を語る姉に肩透かしを食らい、私は真顔で頷く。

「……ああ、うん。だろうね」

 グーグル先生は何でも知っている。最善の人生を指一本で検索できる日もそう遠くなかろう。

 益体のないディストピアに思いを馳せていると、踏み抜くだけでは飽き足らなかったのか、姉が最大級の地雷を油断した私に投げ付けてきた。

「で、何? あんたは彼と一緒に宇宙まで行きたいわけ?」

「行きたくないし! クラスメイトが意味不明なことやってるから止めたいだけだし!」

 どこをどう勘違いしてそうなった。ガラクタロケットでイカれたクラスメイトと宇宙旅行とか、罰ゲームどころか普通に死刑だろ。

 いきり立って歯を剥く私を、姉は冷静に観察するばかり。

「そっか、あんたって変なところでバカだからちょっとびっくりした」

「私はバカじゃないから! 私以外が全員バカなだけだから!」

 姉にビール缶を押し付けた私は、背中を両手でグイグイと押し、強引に部屋から追い出した。

 二度とウチの敷居を跨ぐな。あんたなんかお姉ちゃんじゃないわ。姉だ姉。

「もう寝るから! 明日も早いから! さよなら! おやすみ! シーユーグッナイ!」

 頭に血が上った私は思い付くままに喋りまくり、有無を言わさずピシャリとドアを閉じた。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 廊下に追い出された姉は、子鼠のような妹の剣幕を思い返し、肩を竦める。

「……私以外が全員バカ、ねぇ」

 僅かに残ったビールを口の中に流し込むと、憂いを帯びた表情で小さく呟き、自室へと戻って行った。

「バカは決まってそう言うんだよ、美鈴」


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇