この空の上で、いつまでも君を待っている


※本ページは、試し読み第1弾の続きとなっています。


 今日は一学期最後の日、即ち終業式だ。

 会場の体育館にクーラーはない。そこに約六百人もの全校生徒が集うのだから、会場はもはや地獄と言うより他ない。セイロの中の肉まんか茶碗蒸しにでもなった気分だ。

 校長先生の話って、何で大体長いんだろう。どうせ誰も聴いてないんだからさっさと切り上げてくれればいいのに。

「えー皆さんですね、楽しい夏休みに心躍らせていることだと思いますけれどもね、くれぐれもですね、高校生らしくですね、節度ある生活をですね、心掛けるようにですね……」

 その台詞、東屋に名指しで言ってやってください。ついでに先生……じゃなくて笠本にも。

 まぁ、大人の言う『学生らしい』というのは、概ね『我々に余計な面倒を掛けるなよ、小童共』の意だ。雑木林の奥でガラクタ遊びをする分には誰も問題にしないだろう。

 かったるい終業式が終われば、あっという間にお開きの時間だ。教室へ戻る道すがら、遠慮なく両腕を伸ばして凝った体を解す私に、ココアが背後から声を掛けてきた。

「美鈴、国道沿いに新しいケーキ屋が出来たらしいんだけど、美鈴も行く?」

「そうだね、せっかくだし私も行こうかな」

 スマホで何でも調べられる時代だけど、こういう見逃しがちな情報が入ってくるのは有り難い。いい店だったら私の贔屓にしてやろう。

 ケーキ屋調査隊は最終的にココアと私を含めて五人が集まった。他愛のない会話をしながら目的の店へ向かう最中、私は真昼だというのにやけに暑さを感じないことに気付いた。

 神様が私の夏嫌いにようやく対応してくれたか、などと呑気なことを考えながら空を仰いでみたら、いつの間にか空一面に暗灰色の雲が立ち込めていた。そして嫌な予感を抱く余地もなく、ポタッ、と私の頬に水が滴る。

「あっ、雨降ってきた」

 頬に付いた冷たい雨粒を拭うも、雲から吐き出される雨は留まるところを知らない。

 とは言え、ケーキ屋まではもう百メートルとない。比較的小雨であったこともあり、私達は示し合わせることもなく一斉に駆け出した。

 大して濡れることもなく軒下に滑り込めたが、ココアは恨みがましく曇天を見上げて言った。

「もー最悪、予報じゃ晴れだったのになぁー」

「まぁ、ちょうど着くタイミングでよかったよ。入ろ入ろ」

 ハンカチで髪や服の雨を軽く拭い、私達は店内に踏み入った。

「いらっしゃいませー!」

 鈴の音と若い女性店員の声に迎えられ、私達は窓際の六人掛けテーブルに案内された。平日の昼ということもあり、店内は閑散としていた。シックな色合いで落ち着きがあり、ケーキの品揃えもなかなか豊富だ。隠れ家的な雰囲気で結構いいと思う。

 チーズケーキとカフェオレを注文し、窓際に座った私は、友人の談笑もそこそこにぼんやりと窓の外を眺めていた。

 突然の雨に大人達はバッグやハンカチで頭を覆い、右へ左へ走っていく。急ぐ理由は分からないけど、呑気に雨宿りをしている余裕が誰にもないことだけはひしひしと伝わってくる。

 小雨如きに翻弄されるその姿に、未来の自分自身を幻視した私は、タイミングを図って隣に座るココアに質問した。

「ねぇ、ココアって将来の夢とかやりたいことって、何かある?」

「えっ、いきなりどうしたの、美鈴?」

 私が将来について訊くの、そんなに意外か。そこまで驚かれるとちょっと凹むぞ。……と思ったけど、これまでほぼ会話に不参加だったからある意味当然の反応か。

 私はチーズケーキにフォークを入れながら、努めて何でもない口調で補足する。

「ううん、別に大したことじゃないんだけど、何となく気になっただけ。答えたくないならそれでもいいんだけど」

 ココアのベリータルトも少し分けてもらったけど、ここのケーキはなかなかイケる。これでも私は味にうるさい方だ。まぁ、だからと言ってケーキになりたいとは思わんけど。

 ココアはこめかみを指で弄びながら、気恥ずかしげな微笑を湛える。

「うーん、そうだねー、ないってわけじゃないんだけど……誰かに話すってのはちょっとハズいかも」

「へー、どんなことなの?」

 安心して、ケーキになりたいとか言い出さない限り笑わないから。多分。恐らく。メイビー。

 いつになく真剣に答えを待つ私に、ココアは控えめな声で言った。

「子供を助ける仕事がしたいんだよ」

 普段のココアからは想像できないその答えに、私は僅かばかり目を丸くした。

 ココアは頬杖をつき、マグカップの中のココアを覗く。甘い食べ物に甘い飲み物で口の中がベッタベタになりそうだけど、彼女の語りに甘さは微塵も感じられない。

「家が貧乏だったり養護施設に入ってる子ってさ、大学に進学できない子が多いんだよ。それで結局大人になってもいい職業に就けなくって、半永久的に貧困が再生産される……っていうドキュメンタリーを前に見てさ。そういう状況を何とか改善していければいいなって思うんだ。……まぁ、具体的にどういう仕事に就けばいいかってのは、まだよく分かんないんだけどさ」

「へ、へー……結構考えてるんだね、ココア」

 てっきりココアは『今が楽しければそれでいーじゃん』的な能天気タイプだと思っていたから、ここまでしっかり将来のビジョンを固めているのは正直意外だった。しかもテーマも結構堅めなものだし。

「失礼なー。そりゃー私だって考える時は考えるよ、バカだけどバカなりにね」

 自虐するココアは明るく笑っていたものの、私の心には対照的に暗雲が立ち込めていた。

 身の丈に合わない夢を見るのは、みっともないことだと思っていた。はっきり言って、移り気で成績の悪いココアが今語った夢を果たす未来は想像できない。以前までの私なら、今ココアが言った通り、バカが何を真面目ぶっているんだと内心鼻で笑っていたことだろう。

 だけど、今の私にはそれが出来なかった。たとえ成績が悪くとも、身の丈以上のことに挑まんとするココアの姿勢が、私には眩しくて仕方なかった。

 私の様子に気付いてか気付かずか、ココアは逆に問うてくる。

「美鈴はどうなの? 将来やりたいこととかって」

「……私は……」

 予想はしていた。この手の質問はそのまま返しが基本だ。だから一応、聞く前に適当にでっち上げた答えを用意してはいた。

 けれど、いざ答える段になり、私の口は動いてくれなかった。心にもない答えでその場を凌ぐのは、恥を忍んで答えてくれたココアに対する不義理だと思ったのかもしれない。

「何がしたいんだろうね。自分でもよく分かんないや」

 私の声は自嘲気味ではあったけど、顔で笑っていないことは鏡を見るまでもなかった。

 私以外が全員バカなんて、何を偉そうに言えたんだろう。私はまだ何者にもなれていないどころか、何者になりたいかさえ決められないというのに。

 ――人生がつまんないっていうか、私が人生をつまんなくしてるんじゃないの?

 ココアは切り分けたベリータルトを豪快に呑み込み、あっけらかんとした口調で一言。

「そっか、まぁ気にしなくていいでしょ。まだ高校生だし、美鈴は頭いいから何とでもなるよ」

「……そう、かな」

 慰めるようなココアの台詞は、むしろ私の不安を煽っただけのように思えた。

 まだ中学生。まだ高校生。まだ大学生。そうやって人は今ある問題を未来の自分に丸投げし、その度に過去の自分の無責任さを後悔するのだろう。そして多くの人は後悔しても尚、その行動を改めない。生き方というものは基本的に癖になるから。

 ロケット作りに励む東屋の気持ちが、少しだけ分かったような気がした。あいつはいつかの自分がどうにかすることを期待してるわけじゃなくて、今の自分が出来ることに必死に取り組んでいるんだ。……その時間で宇宙飛行士の勉強しろよって気はするけど。

 ふと、窓の外に目を遣ってみる。

 雨脚は若干ながらも強まっており、店の前のアスファルトには水溜まりが出来ていた。

「……雨、やまないね」

 私の呟きにココア達も釣られて窓の外を見て、一様に渋面を作った。

「このまま降り続けたら嫌だねー。コンビニも微妙に遠いしさ、ここ」

「折り畳み傘、学校のロッカーなんだよなー」

「ウチに誰かいるかもしれないし、電話して迎えに来てもらおうか?」

 彼女達が口々に雨への不満を漏らす中、私は憑かれたようにじっと一点を見つめていた。

 何かを見ていたわけではない。唐突に覚えた胸騒ぎの原因を、私は無言で考えていた。

 ――まさかとは思うけど、あいつ。

 その結論に至るや、私は弾かれたように立ち上がり、テーブルに千円札を叩き付けた。

「ごめん、洗濯物干しっぱなしにしてるの思い出したから、先帰るね! これお代!」

 言うが早いか、私は脇目も振らず出口に向かった。

 店員や他の客が驚いたように私を顧みるが、構わずドアを押し開け、雨の中に躍り出る。

「あっ、美鈴!?」

 ――ごめん、この埋め合わせはいつかするから!

 ココアの呼び止めに、私は脇目も振らず思念だけで応じ、ゆえに気付かなかった。

 取り残されたココアは、テーブルに置かれた千円札を見下ろし、呆然と呟く。

「……お金、足りてないんだけど……」



 真っ先に目に付いたコンビニに飛び込んだ私は、暇を持て余していた若い男性店員に猛然と尋ねた。

「すいません、ここタオル売ってますか?」

「えっ、あ、はい、ハンドタオルならトラベル用品の所に……」

 店員が指差した棚にあったピンクのハンドタオルを引っ掴み、ついでに傘も一本引っこ抜くと、私はレジに千円札を叩き付けて一言。

「お釣りいらないんで!」

 唖然とする店員が二の句を告げるより先に、私は嵐のようにコンビニから走り去った。

「あっ、お客様!」

 店員の呼び止める声も、もう聞こえない。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 レジを外して追い掛けようとした店員を、壮年の店員が呼び止めた。

「いいんだ、行かせてやれ」

「えっ、いいんですか、店長?」

 店長は顎髭を撫で、しみじみと呟く。

「構わん。俺にもああいう時代があった。ああいう若いのは、立ち止まらせたらいかんのだよ」

「店長……」

 店員は釣り銭トレーの千円札をじっと見つめ、肺の奥から絞り出すような声で言った。

「お支払い、足りてなかったんですけど」

「えっ、マジで?」

 素っ頓狂な声を上げた店長に、店員は傘とハンドタオルを棚から取ってレジに通し、仮清算して尋ねる。

「百八八円の不足分、店長の自腹でいいんですよね?」

 レジのデジタル表示を凝視した店長は、自動ドアを険しい目付きで睨み、しみじみと呟いた。

「……時として若者を立ち止まらせるのも、また大人の務めなのだよ」


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇