タタの魔法使い



一章:異世界に来た直後


 窓の外に広がる景色が森に変わったとき、異世界に来たと実感した者はごく少数だった。だが、卒業文集の将来の夢や願いの欄に書いた内容が現実になったことを実感した者は多い。

 一年A組では突然、あるクラスメイトの姿がライフルを持った軍人になっていたのだから、見た目に分かりやすかった。生徒たちは軍人の存在を訝しむよりも先に、自分の願いも叶ったのかと思い思いの手段で確認する。

 川谷洋一は「外を気にしている人は、そんなに多くなかったと思うな。みんな自分やクラスメイトのことばかり気にしてたね」と他人事のように語っている。

 川谷は悪戯好きのわんぱく小僧だ。旅の道中ではあちこち走り回って、珍しい昆虫や植物を拾って遊んでいた。

「外を気にしていたのは、うちのクラスではせいぜい、5人くらい。上杉が軍人になっちゃったから、みんなそっちが気になってた。あとはやっぱ、うちのクラスって変な夢の奴が多かったから、多分、自分がどうなったか確認するのに忙しかったんじゃないかな。異世界に来たなんて気づいている奴はいなかったと思うよ」

 見慣れぬ景色やクラスメイトの変貌を目の当たりにしても冷静でいられた理由を尋ねると、川谷は目を逸らして頬をかいた。

「俺んち禿の家系でさ、俺もちょっとやばいんだよ。だから、文集には『禿げたくない』って書いたの。青木や小林もそうなんだけど、同中の同じクラスの男子って、ふざけたことばかり書いてたからね。で、俺の願いが叶ったかは分からないし、どうでも良いじゃん。いちおう髪の毛を触ったけど、別に何も変わってないの。両手で髪を触っているから、こう、うっきーみたいなポーズしてるわけ。そしたら急に馬鹿らしくなって。だから、周りの奴らよりかは、わりと冷静だったんだと思う」

 川谷のように、結果が分からなかったり、異世界では何の役にも立たなかったりする願いは多かったようだ。

 ほとんどの生徒が、自分が得た能力の価値も分からないまま、ただ騒いでいた。



 一年A組出席番号1、青木洋。

 将来の夢『魔法使いになりたい』

 同級生の顔から平均値を取り出し、内向的にすれば私の弟は完成だ。

 悪ノリして卒業文集を書いた弟は、半信半疑で魔法を試し、夢が現実になったことを実感した。洋は魔法使いになった感覚に慣れてくると、北方の彼方から巨大な魔力を感じ取り、危険を予期した。

「寝てて目が覚めたときに、目蓋を開けなくても、太陽の明るさとか暖かさとかで、朝か夜か分かるよね。ああいう太陽の存在みたいに、北の方に何か凄いのがあるって感じた。でも、途方もないから、まだそのときは怖くなかった。うん。太陽って喩えは良いかも。とにかく巨大な存在が世界を覆っているような感じ」

 そして、洋は誰よりも早く自分の居る場所が地球とは異なる世界だと確信する。

 洋が幼馴染の小林尚人の席に向かうと、先に声をかけたのは、横入りしてきた今井春利だ。

「お前たちの願いは秘密にした方がいい。人に聞かれたら何か適当な嘘をついておけ」

 今井は一年A組のクラス委員長を務めており、中学時代はバスケ部のキャプテンも務めていたスポーツマンだ。試験成績も良い文武両道の秀才。洋や小林のように悪ふざけをせず、将来の夢の欄に『バスケットボールのプロ選手』と書いている。

 彼は同じ中学出身の洋や小林の書いた願いを覚えており、周囲がざわついている中、まっさきに二人に声をかけたのだ。

 今井は、A組に居る南中出身者全員を集めた。青木洋、今井春利、川谷洋一、小林尚人、青木洋子、池田真由、佐久間康子、以上七名。

 青木洋子は私の弟そっくりの名前だが、別に妹ではない。偶然、字面が似ているだけで、血縁関係は無い。音にすると「ひろし」と「ようこ」なので、彼らが混同されて困ったことはないそうだ。

「これからきっと大変なことになる。僕たちは同じ中学出身だし協力しあおう。最初のうちはヒロと小林の願いはみんなで内緒にしよう」

 洋は今井の意図は分からなかったが、秘密の共有により片思いしている池田真由と親しくなれるチャンスのような気がしたから、提案に従うことにした。

 それよりも、今井以外の全員が、佐久間康子の様子を気にしていた。

 顔は青ざめて唇は紫になり、がたがたと震えている。見知らぬ景色や校内の騒動に不安を感じるのは当然だろうと、青木洋子や池田が励ますが佐久間は泣き出してしまう。

 佐久間が卒業文集に書いた願いは『いじめがなくなってほしい』だ。彼女は小学校の頃、虐めに遭っていた。だから彼女の願いは世の中から虐めが無くなってほしいという優しいものであった。

 しかし、彼女の願いは一年A組に在籍していたはずの岡本竜馬が居なくなるという形で現実になってしまった。小学校時代に佐久間を虐めていた者は他のクラスにも居たが、やはり岡本と同じように姿を消している。

 佐久間は自分のせいで岡本が消えてしまったと思い、自責の念で震えていたのだ。佐久間の願いが原因だとする証拠はないし、それに、責任は謎の魔法使いにある。けして佐久間が悪いわけではない。

 同じように、誰かの願いにより消滅してしまった者たちが最初の犠牲者だ。A組からは岡本の他に坂本淳が消えている。同様に、別の願い『成績学年トップ』によって、二年生からは成績上位者二十三名が姿を消していた。

 最初の願いが叶った時点で、456名いた全校生徒は420名前後まで数を減らしていたと推定される。



 さて、異世界で洋が最初に使った魔法がいったいどんなものだったのか、口を割らせるのには随分と苦労をした。

 私がさんざん正確な記録を残したいからどうしても知りたいのだと、食事で顔を合わせるときは当然、風呂や布団の中まで追い掛け回して説得して、ようやく弟は観念する。

「透視魔法を使って、池田さんを見たんだよ……。でも、すぐに魔法は解除したよ。本当だって。僕、後ろの席だったから背中を見ただけだって。でも背中を見ただけで凄いドキドキしちゃって。ブラジャーの紐がはっきり見えたから、これは駄目だ。やっちゃいけないことだって思って。そうしたら池田さんが振り返るから、慌てて魔法を解除した。絶対、顔まっかで変に思われたよ」

 まさかのスケベ目的だったから、なかなか口にはできなかったらしい。

 池田は洋と同じ南中出身で初恋の相手だ。

 これから先、悲惨な記録ばかりになるのだから、先に弟の赤裸々な初恋エピソードを記しておきたい。

 もともと二人は別の学区に住んでいたため小学校は別だ。二人は中学一年のとき同じクラスになり知り合った。

 初めはほとんど会話は無いのだが、洋がテストの問題用紙の裏に描いていた漫画を池田が見たのが切っ掛けで、少しだけ会話するようになる。

 池田は洋の漫画を見てなふーん」という反応をしただけだった。面白いと褒めてくれたわけではないし、かといって、オタクキモイと軽蔑してきたわけでもない。ただ、洋の漫画を見ただけだ。

 同じ小学校出身の男子が洋をあだ名でヒロと呼ぶのを聞いていたらしく、池田もヒロと呼ぶようになった。

 単に池田は、洋をあだ名で呼んでいるつもりはなく、名前が「ひろし」ではなく「ひろ」だと思っていたのかもしれない。もしくは、クラスに青木が3人も居たから混同を避けたかっただけかもしれない。何にせよ、池田は洋をあだ名で呼ぶ唯一の女子になった。

 洋は中学の三年間、ずっと池田を意識していた。

 切っ掛けは問題用紙の漫画だから、会話するのは月に数回だけ。池田は試験があるたびに、毎回、問題用紙を手にして漫画を読む。勉強嫌いの洋であったが、いつも試験が楽しみだった。

 感想はいつも「ふーん」とか「変なの」と、素っ気ない。「この展開はおかしい」「これは矛盾している」とダメだしをするときもある。一番発展した話題は、どんな漫画が好きなのかだった。恋愛みたいな話題は一切ない。同じ高校に通おうなんて会話することも無かった。

 だから、高校で池田の姿を見たときに洋は軽く運命を感じた。

 そして魔法使いになった我が弟は、ブラ紐を透視して、ますます意識するようになってしまったのだ。

 池田にとっては随分と失礼なことだが、ここで洋が使ったもう一つの魔法が後に彼女の命を救うのだから、我が弟の若さ故の過ちを許してほしい。