タタの魔法使い



 異世界に来てしまったという噂が広がるのは早かった。

 どのクラスでも誰がどんな夢だったのかが話題に上り、ある生徒Nの『異世界を旅したい』が明らかになったのだ。

 学校ごと移動してしまったのは、文面には表れていないがNが願いを書いたときに「学校ごと」という思いがあったためだろう。彼の自室に有る本棚からは、学校ごと中世ヨーロッパ風の異世界を漂流する漫画や小説が見つかっている。

 タタの魔法使いが叶えた願いはこのように、文面そのままではなく、それを書いたときの想いが反映されている。

 他にも『遠くを旅行したい』『世界一周したい』といった近似する夢もあるため、必ずしもNの夢だけが原因になったとは限らない。

 多くの夢や願いが混ざった結果、タタが住む異世界に彼らは移動することになってしまったのかもしれない。

 Nは異世界に漂着して数日後に、クラスメイトに責任を追及され吊るし上げられてしまった。それ以降、Nの目撃証言はなくなっており、彼が異世界でどうなってしまったのかは分からない。

 責任を感じて仲間たちから離れてしまったのだろうか。



「ここ、異世界だってよ」

 廊下から誰かが叫ぶ声が聞こえ、一年A組でもにわかに外を気にしだす生徒が増える。

 異世界という言葉は大半の生徒に通じた。だが、あまりファンタジー作品に興味が無い生徒は意味が分からなかったようだ。けど、誰かが「ホリー・ピッターの世界に入った感じ」と説明すれば、理解は早い。

 校内放送が「教室内で待機して外に一歩も出ないように」と告げている。職員が対応を協議してから指示を出すので、それまで待つようにと。放送設備が使えたのは、停電時の一時的な予備電力があったためだ。

 サーシャは日記に「異世界に来たのが十二時三十分ごろです。最初の放送があってから、一時間くらいして担任の須田先生と副担任の花井先生が教室に来ました。十三時三十分でした。待っている間にみんなお弁当や、購買で買ってきたパンを食べていました」と丁寧な字で記している。彼女は元々、日本語を練習するために日記を習慣づけていた。日記は彼女が残してくれた非常に重要な情報源である。

 教室に入ってきた教師の表情から生徒たちは深刻さを感じ取り、みな無言で着席した。自分たちも窓の外を眺めて森しか見えないのだから、良い情報は何もないのだろうと薄々察している。

 須田が疲れた様子で発した第一声は「電話が繋がった者は居るか」職員室の固定電話が繋がらないことを暗に意味していた。

 お調子者の吉田順一が「スマホの持ち込みは禁止じゃないんですか」と教室内に笑いを誘うと、随分と雰囲気は良くなったようだ。

 吉田は高校デビューを果たした雰囲気イケメンだ。知り合いを避けるために、市外の中学から進学している。

 吉田の『女の子にもてたい』という願いが、彼の好感度を上げていたのだろう。インタビューに応じてくれた女子は口を揃えて「吉田の一声がなかったら、暗い雰囲気のままだったと思う」と彼がムードメーカーであったことを教えてくれる。

 須田は笑いながら「よし。家族や警察に繋がるスマホは校則違反で没収だ。それ以外は、そうだな、ガチャでレアが出たら報告しろ。先生のコモンモンスターとトレードだ」と、珍しく冗談で場を和ませる。

 戸田大地などは、願いに『ガチャでレアモンスターばかり引けますように』なんて書いてしまった男だから、ここぞとばかりガチャを引こうとした。だが、異世界ではゲームサーバーに繋がらないのだからガチャは引けない。

 須田は職員室で話し合ってきた内容を生徒に説明した。

 電話の類は一切使えないから警察には連絡が取れない。教師が学校周辺を調べてみたが、森が続いているため一旦調査を中止し、態勢を整えてから再度試みることになった。

「異世界だとかタイムスリップだとか変な噂が広がっているが、まだ何も分かっていないから、ほどほどに。まあ、キャンプが一年早くなっただけだと思おうか。何が役に立つか分からないから、みんな将来の夢になんて書いたのか教えてくれ。あ、違うな。私から言おう。私の中学の卒業文集に書いた願いは、教師になることだ。既に叶っている」

 副担任の花井も「先生も教師になりたかったから、願いは叶っちゃいました」と続いた。

 この両者の発言は、厳密には間違いである。

 須田浩一、三十七歳の願いは『教師になる』ではなく『厳しくとも、生徒から頼られる立派な教師になりたい』であった。

 花井二個、二十四歳の願いも『教師になる』ではなく『優しく、生徒から好かれる教師になりたい』であった。

 教師二人の願いは、異世界の冒険で常に先頭に立ち危険に遭いながらも、一年A組の生還率が最も高かった要因の一つだろう。

 数ヶ月ぶりの自己紹介は全員、初めてのときよりも饒舌だった。

 ここで洋は、今井春利が指示したように「お小遣いアップという願いは叶いました」と嘘を告げる。

「嘘をついたことに罪悪感はなかったのか。お前が本当の願いを教えて有効活用していれば死傷者を減らすことが、いや、使い方さえ誤らなければ犠牲をなくせたかもしれない」と、私は弟を追及した。

「勘弁してよ。あの後、いっぱい人が死ぬなんて知らなかったんだよ。まさかモンスターとか軍隊が襲ってくるなんて思いもしないんだから、しょうがないでしょ。それに……正直に言うと、最初、モンスターを見たときは怖くて、とてもじゃないけど戦うなんて思えなかったよ」

 この時点で本人に自覚はないし誰も知らないことだが、青木洋は異世界において最高峰の魔法使いになっており、また弘橋高校の抱える最強の戦力であった。

 問題用紙の裏に描いていた魔法使いと同じ魔法が使えるようになっていたのだ。怪物を一撃で殺したり隕石を破壊したり、中学生らしい発想の最強の魔法使いである。

 私が事件の後に集めた生存者の証言で、最も信じられなかったのが、皮肉なことに肉親の語る内容だった。

 私は弟のノートに書いてあった妄想漫画や設定資料を内緒で盗み見たことがある。あの設定どおりの能力が使えていたのなら、異世界では敵無しだっただろう。

 A組には、願いを偽って紹介した者が弟の他に5名いた。

 弟と同じように便利な能力を得ていた小林尚人と、『いじめがなくなってほしい』と願った佐久間康子。他に、宮下光秀、吉田順一、蘇我蘭だ。

 小林尚人は今井に指示されて嘘をついたのではなく、彼なりの美学として夢の能力を隠した。彼は能力を偽りはしたが、惜しみなく行使し続けた。

 佐久間康子は岡本の消失が自分の願いのせいであることをクラスメイトに隠したかったため、偽りの願いを告白した。

 宮下光秀が『女子限定の透視能力が欲しい』という願いを隠した理由は想像しやすい。後に、同じ中学出身だった別クラスの生徒に暴露され、女子から軽蔑されている。

 吉田順一は『女子にもてたい』という願いを偽ったが、同じ中学出身で『美容師になりたい』という願いの縫口美々に、その場で本当の願いをバラされてしまった。

 しかし吉田の願いが効果を及ぼしていたのか定かではないが、嫌悪感を示した女子は一人もいないどころか、彼のおちゃらける態度を好意的に見ていたようだ。

 蘇我蘭が願いを隠した理由は、女の子らしく可愛いものだった。彼女は願いの紹介がひととおり終わった後すぐに、副担任の花井に本当の願いを教えている。

「にこちゃん、ごめん。私、嘘ついた。お花やさんっての嘘。文集の原稿を書くとき生理痛が酷かったから、私、頭痛や腹痛が治ってほしいみたいなこと書いちゃったの」

 願いが影響したのかは不明だが、慣れない異世界の環境下で多くの生徒が体調を崩す中、蘇我は一度も病気を患わなかった。

「いいか、みんな。一年生の男子は二時になったら、学校の外を捜索する。クラスごとに方向が決まっていて、A組は南だ」

 学校周辺の捜索を決めたのは校長で、一年生男子の担当になったのは学年主任の立場が弱かったからだ。

「俺、授業中によく居眠りしていたから、正直、夢を見ているんだろうなあって。ちょうど、そんときって異世界転生モノの漫画が流行っていたし。次の日にテニス部の先輩から告白されて、それを切っ掛けにマジでモテ期到来で、あ、やっぱ、これ夢だって」と吉田順一は思い出し笑いで頬を緩める。

「みんな口だけは嫌がっていたけど、内心では見知らぬ世界を冒険できるっていうんで、浮かれていたと思う。俺? 俺ももちろん早く外に行きたかったよ。席が窓際だったから、待っている間も勝手に外に出て行った生徒を何人か見かけてて、先を越されたと思って悔しかったし。あとさ、綺麗な花でも咲いていたら、落ち込んでいる佐久間に採ってきてあげようかな、なんて思ってた。あれ。俺って、キザ?」と鼻を擦った小林尚人のように、好奇心が勝っていたものが大半だ。

 彼らは危険があるとは露にも思わず、ただ遠足に行くくらいの心構えだった。