タタの魔法使い



二章:モンスターとの遭遇


 弘橋高校の周囲を包んでいたのは、少数派である都会育ちの生徒からすれば物珍しい森だったが、多数派である田舎育ちの生徒には見慣れた森に過ぎなかった。

 小学生の頃に、たけのこを採るために竹林に入って迷子になった洋や小林などは、随分と明るく歩きやすかったと感じたほどだ。

 見たことのない植物があるわけでもなく、何処かで見たような細長い木ばかりが生えているのだから、異世界ではなくて地球の何処かではないかと思った者も多い。

 それどころか、木があまり密集せずに群生しており、低い位置の樹皮に苔が生えているのを見て、適度に日当たりがあり空気や水が綺麗な、自然豊かな土地だと感じている者さえ居る。

 みんなが遠足かキャンプ気分の中、ただ一人、彼だけは警戒心を抱いていた。

「隊長。自分に先行させてください」

「なんだ上杉。随分と雰囲気も喋り方も変わったなあ」

「どんな危険があるか分かりません。私が先に見てきます」

「そうか。そうだな。そうしよう」

 一年A組出席番号3、上杉大助。

 将来の夢『ドイツ軍人になりたい』

 上杉の外見は本人の願いどおり、WWⅡ時の軍服に身を包んだ屈強なドイツ人になっており、ライフルを装備している。後に上杉の機転は何度もクラスメイトの窮地を救うのだが、この時点では軍人になりきったイタい奴と認識されていた。

 森の中にススッと踏み入った上杉は数分後に音もなく戻ってくると、教師の須田と花井と、自衛隊員になっていた松谷を連れて、再び奥へと消える。

「隊長、見てください。道路です。我々4人が並んで通れるくらいの幅があります。それに、この二本の線、轍です。おそらく馬車が通った跡だと思われます」

「上杉、隊長というのは止めてくれんか。しかし、馬車か。今時、観光以外で馬車を使っている国なんてあるのか」

「司令部へ報告することを提案します」

「そうだな。よし、松谷、学校に戻って、馬車が通った跡を発見したと学年主任の竹田先生に報告してくれ。それから、残りの生徒たちと一緒にここに戻ってきてくれ。その後、少し先まで調べる」

 上杉の提言は適切で、また須田の対応も正しかった。松谷は須田の指示に従って迅速に行動した。

 しかし、この時点で全校の命を預かる校長と、校長を補佐し全体の意志決定に大きく関わっていた教頭や学年主任たちは、既に過ちを犯している。

 いや、松谷がもたらした情報により、彼らは失敗を挽回する機会を得たはずなのだが、失敗を上塗りしてしまったのだ。

 意志決定者たちはあまりにも情報を軽視していた。登校している生徒の人数や、体調を崩している者を真っ先に調べたのは間違ってはいなかった。だが、それは、データであり情報ではない。

 彼らにとって人数と健康状態の把握は避難訓練の延長でしかなく、異世界で発生しうる不測の事態へ対処しようとするものではなかった。

 松谷がもたらした「馬車の通った痕跡」という情報を、言葉のとおりに道が有ると受け止めただけで、何も判断しなかったのだ。馬車を作れるだけの知恵を持った存在を示唆する情報は活かされることなく終わる。

 犠牲者数を減らすだけの能力を彼らは既に持っていたはずだ。一年A組と同じように全校生徒から将来の夢を聞き出していれば、彼らの居る地が異世界だという憶測の真偽を確かめられたのではないだろうか。

 また、彼らに何ができるのかを把握していれば、徒歩で周辺の偵察に行かせるなどという判断は有り得なかったのだ。二年生に空を飛べる者が1名いた。夢を詳細に聞いていれば、この数字は増えていた可能性がある。青木洋が飛行魔法を使えたのだから、他にも飛行能力者はいたかもしれない。

 空を飛べる者が周辺の調査をしていれば、一年生は視界の悪い森に踏み入る必要はなくなるうえ、後に向かう街ももっと早く発見できていたはずだ。

 もしかしたら、危険なモンスターの存在を知ることもできたかもしれない。

 空に危険があったとしても、偵察する手段はあった。屋上に出れば東に存在する南北に走った山脈には気づけていただろう。天文部が所持していた望遠鏡を出せば、他にも有益な何かを発見できていた可能性はある。

 偵察の人選も考慮する必要があった。アニメやゲームのヒーローのような強さを望んだ者が何人かいたのだから。

 結局、旅の序盤では空を飛べる者もヒーローの強さを備えた者も、組織としては有効に機能しなかった。あくまでも、彼らの所属するクラスやグループにおいて、便利な存在として扱われただけに終わってしまう。

 一年A組の青木洋の他にも、学校全体の組織戦略として有効活用すべきだった者が居たはずだ。しかし、他のクラスに存在したであろう戦略的な価値を持った者の活躍は、この日、まったく聞かない。

 その結果、学校の周辺に偵察へ出た六クラスのうち、実に五クラスが三十分以内に、危険と遭遇する事態に陥っていた。



 A組は実に幸運だった。モンスターと遭遇したとき、17名いる彼らは二列縦隊で街道を歩いていた。光の届かない林の奥は、たとえ昼でも木の密集具合によっては夜のように暗くなる場所がある。もし、他クラスのように薄暗く見通しの悪い場所を移動中だったら、被害は大きかっただろう。

 ドイツ軍人の上杉は集団の移動する音が数百メートル先まで聞こえることをよく知っていたから、須田経由でクラスメイトに不要な会話をしないように指示していた。上杉は、道を移動してくる可能性のある馬車や人間のような存在を警戒していた。クラスメイトの大半は、道の先に見えてくるであろう新しい景色にばかり意識を向けている。

 だが、彼らが最初に遭遇した脅威は、木の上に潜んでいた。脅威は木の上で一行が通過するのをじっと待ち、最後尾に居た最も弱そうな獲物、女教師の花井二個に飛びかかった。

 頭上の気配に気づいたのは、自衛隊員になっていた松谷珊瑚だ。学年トップクラスの成績と剣道二段の腕を持つ好漢。

 花井と共に最後尾を警戒していた松谷は、上杉と違ってドイツ軍人のような戦闘経験まで得ていたわけではないが、枝の上を好む蛇が居ることを知っていたので警戒していた。

 松谷は咄嗟に、隣にいた花井を突き飛ばす。

「トラだ!」誰かが叫んだ。

 大型犬くらいの大きさで、長い牙を持った四足歩行の獣だった。トラとの違いは体がやや小さいことと、額に短い角が有ること。

 彼らの多くは突然現れた獣に怯え、列の先頭へと向かって走った。

 列の後方に居て獣を間近に見た吉田順一は「喰い殺されると思った。森の中に逃げたら迷子になるし、前に行けば先生や上杉が居るから助かるかと思った。上杉は鉄砲を持ってたからね。いや、本当はもちろん、僕だっていざとなったらモンスターくらい倒せるけどね」と調子よく笑う。

 ほとんど全員が道なりに前方へ進む中、剣道部だった松谷は持参した竹刀を構えて獣を牽制した。

 松谷がその日の夜、上杉に次のように漏らしているのを吉田が聞いている。

「あのときは、花井先生をかばおうとしたってみんなには言ったけど、本当は先生のことを考えている余裕はなかった。ただ、目の前の牙から垂れてる唾液を見たとき、目をそらしたら噛みつかれると思ったんだ。だから、必死に追い払おうとしただけなんだよ」

 しかし、松谷が稼いだ数秒が、彼らの命を救う。

 金属質なスーツに全身を包んだ豪速拳士デファイザーΩ。

「とうっ!」というかけ声と共に飛び込んできた特撮ヒーローは、安堵よりも困惑を彼らにもたらす。

「何の冗談かと思ったよ。テレビそのまんまのデファイザーが出てきて、目の前で大型犬みたいな獣を軽々と投げ飛ばして撃退したんだからね。あいつが森の中に姿を消すとき、何か言い残したみたいだけど、あぜんとしてて聞き逃してしまったよ。指をこめかみに当ててビシッてやる例のポーズしてて、何あれって思ったさ」と吉田が例のポーズにウインクのアレンジを加える。

「いきなり松谷君に突き飛ばされてびっくりしました。すぐ傍にでっかいライオンみたいなのが居て怖かった。先生なんだから生徒を護らなきゃって思ったんだけど、腰が抜けちゃって何もできなかった。情けない。もっと頑張らなくては」と副担任花井は日記に書き残している。花井の日記もまた、サーシャの日記と同様に数多くの情報を日本に持ち帰っている。

「松谷君は獣とにらみ合った直後だから余裕はなかったみたいだし、花井先生も怯えていて気づかなかったみたいだけど、僕は、すぐに気づいたよ。あれ、小林だろ? だって列から居なくなってたもん。上杉がドイツ軍人になってたんだし、デファイザーに変身したいって卒業文集に書いたら、やっぱ、そうなるんだよな」と戸田大地。

 戸田はクラス随一の巨漢で見た目は柔道部だが、囲碁部に所属し、抹茶や和菓子を好む渋い男だ。

「あのあと、小林が立ちションしてたって言いながら森から出てくるの。露骨だった。だから、正体には気づいていないフリをすることにしたよ」と目を細めて笑う。

 その後、彼らは担任須田の判断で学校に引き返した。

 危険な獣がまだ居るかもしれないのだから、周囲の探索は危険だと判断したのだ。学校に戻り、他の者たちにも急いで報せなければならない。

 引き上げる途中で洋は小林に「お前の願いで変わるのが、見た目だけだったらどうするつもりだったんだよ」と問い「なに言ってんの。俺の夢だぜ。強いに決まってるだろ」とのんきな返事を貰っている。

 小林は異世界での冒険中、常に危険を顧みず仲間たちのために戦い続けた。彼の拳が砕けるときまで、勇気が曇ることはなかった。

 最終的に多大な死傷者が出たハメルンの笛吹事件で、一年A組の死者が飛び抜けて少なかったのは、弟の幼馴染であり、私にとってももう一人の弟ともいえる小林の勇気が大いに貢献したからであろう。

 初日以降も豪速拳士デファイザーΩは相次いで目撃された。

 芝田涼子のスケッチブックには、デファイザーのイラストと共に小林の似顔絵が描いてあり、「正体ばれていないつもりらしいw」という一言が添えてある。

 花井二個の日記には「ヒーローが助けに来てくれるのは嬉しいけど、その度にクラスメイトが一人行方不明になるのは困ります」と猫のイラストと、大きな花丸。

 留学生サーシャの日記にも「デファイザーあらわれるとき、小林君のお腹がヤバイです」という記述があるから、小林が隠し通そうとした正体は、A組のほとんどが気づいていたであろうことが窺える。