タタの魔法使い



 最初に帰投したのは一年A組だった。一部の教師や二年生からは、早々に調査を打ち切ったことに関して、わずかにではあったが否定的な声がある。

「臆病者」

「協力しあう気がないのか」

 直接言ってくる者は居なかったが、A組の何人かはトイレや購買に行くときなどに陰口を聞いている。

 なお、未だ異世界に漂流した初日なので食料や水が尽きる心配をしているものは居なかった。

 生徒たちは水道から水が出るし、昼に購買で食料を入手できたから危機意識に欠けていた。学校の水は屋上にある貯水槽に溜めたものを使用する仕組みになっていただけだ。実際には水道管が切れているのだから、貯水槽の水を使い切ればそれまで。せいぜい半日分程度しかたくわえは無い。

 トイレの水も流せてはいるが、下水道管が断裂しているので地中に染みこんでいっているだけだ。いずれ詰まってしまうだろう。

 柔道部の林田光義が教室に情報を持ち帰ったときは得意げだった。事態の深刻さを未だ理解できていなかったのだから声は弾んでいる。

「おい、オマエら。凄い情報だぞ。知りたい? 知りたいか? B組もC組もとにかく他のクラスは未だ帰ってきてないってさ」

 林田の情報源が何処にあったのかは不明だが、彼の報告は全て事実だった。

 サーシャ・リーフはこのときのことを、「十五時です。空が薄暗くなってきているけど、他のクラスの皆さんは大丈夫でしょうか。森の奥は真っ暗です」と記している。

 サーシャや花井の日記により、異世界の一日は地球と同様に二十四時間だが、日本とは二時間くらいの時差があることが分かる。つまり、日没が二時間、早い。

 次に林田がA組に帰ってきたとき、彼は青ざめた顔で何度も言いよどんだ。

「B組の里谷、食われたって……」

 雑談が止み、A組は静まりかえった。誰もが口を開くのを躊躇い、林田が話を続けるのを待つ。

「蛇とかカバとか、ちくしょう、あいつら言っていることがメチャクチャだ。けど、とにかく里谷が怪物に食われたらしい。森の中でいきなり襲われて、気づいたら体が半分、無くなってたって。他にも、何人も大怪我したって」

 クラスメイトは堰を切ったように林田に質問を浴びせるが、彼の持っていた情報は少ない。ひととおり聞き終えたあとA組は職員室や保健室に向かい、詳細な情報を求めた。

 職員室も保健室も外に人だかりができていて近寄れない。ただ、保健室に向かった者は、室内に入れなかった怪我人がドアの横で血まみれのまま座っているのを目撃する。

 この時点で既に保健室のキャパシティはオーバーしており、養護教諭では十分な治療は行えなかったうえに、医療品も不足していた。漫画やドラマに登場する保険医という医療の担い手は、物語の都合で生まれた架空の存在である。あくまでも学校の保健室にいるのは養護教諭であり、応急処置以上のことはできないのだ。

 二年生と三年生のなかから『医者になりたい』『看護師になりたい』と願っていた者4名が選出され治療に当たっていた。調査に出なかった二年や三年の教師も、校内で一応の態勢は作っていたのだ。だが、道具も薬も限られているのだから止血程度が限界だ。

 治療のおかげで命が助かった者も居たはずだから、この対応は良策だったといえる。だが、どうしても、この段階でもっと生徒の願いについて詳細に把握していたらと思うと残念でならない。

 教師や大人は「現実を見ろ」という言葉で、子供の途方もない夢や憧れの進む先を塞いでしまう。確かに生徒の能力や成績により、選べる未来は限られてくるだろう。いつまでも理想を抱いていては、正しい未来へと進めないのかもしれない。

 もし、彼らが真摯に生徒と向かい合って夢を聞きだしていたのなら、きっと違う結果になっていたはずだ。

 一年生の男子は森の探索に出ていたが、女子は教室で待機している。もし、校内に残った教師の誰か一人でも、彼女の将来の夢を知っていれば、結果は違っていた。

 学年単位で作業を割り振るのよりも先に、生徒の願いを聞いていたのなら……。

 一年A組出席番号21、神谷耀子。

 将来の夢『どんな病気や怪我でも触れただけで治せるような凄いお医者さんになりたい』

 後にクラスメイトから女神ともてはやされることになる彼女は、自分の願いが文面どおりに叶っていることを、未だ知らない。

 神谷は教師の指示どおり他のクラスメイトと一緒に教室で待機していた。一年A組には、神谷の他にも学校が戦略に組み込むべきだった生徒が3名いる。

 未だ活躍の場がない異世界最高峰の魔法使い青木洋。

 既に仲間の窮地を救った豪速拳士デファイザーΩの小林尚人。

 最後に、疑いようもなく最も戦略的価値のある願いを持っていたサーシャ・リーフ。異世界に来る直前に「日本語、ペラペラ、なりたいです」と願い、魔法使いが「その言葉に込められた君の『本当の願い』を叶えてあげよう」と応じた。

 途方もない事件を巻き起こした張本人がサーシャに告げた言葉「子供はもっと我が儘で尊大なことを願わないといけないよね」は、あまりにも皮肉である。

 大人の常識が通用しない世界では、夢見ていた子供の方がよほど有益であった。魔法使いは夢を見ろと言ったのだ。