噺家ものがたり ~浅草は今日もにぎやかです~




第一席『裸一貫』


「すいません、創風亭破楽師匠はいらっしゃいますか?」

「はい?」

「創風亭破楽師匠ですっ!」

 大学に退学届けを提出した翌日、俺は浅草に足を運んだ。

 ここは、浅草創風演芸場という寄席小屋だ。昨晩ネットで色々と調べた結果、この演芸場にたどり着いた。破楽師匠は連日ここに出演し、経営者も兼任している。

「誰ですか、あなた?」

 券売所のブースの中で、若い女が眉間に皺を寄せた。俺と同い年ぐらいの小柄な女性だ。

「ちょっと、邪魔だからどいてください!」

 険しい顔のまま、その女は俺を手で追いやった。入り口からやって来た二人組に、高座は途中からになりますがよろしいでしょうか、と確認している。

「僕は、千野願(せんのねがう)、と申します。破楽師匠に弟子にしてもらいに来ました!」

 ロビーのほうに去った二人組の客と入れ替わるように、再びブースの前に立った。長い髪の女は俺を一瞥し、だるそうな手つきで固定電話のボタンをプッシュし始めた。

『あ、もしもし、小夜です。すいません警備員さん、入り口に変質者が――』

「ちょ、ちょっと待ってください!」

『手に出刃包丁を持っていま』

「持ってません!」

「ちょっと、どうしたの?」

 女から受話器を引ったくるのとタイミングを同じくして、奥のほうから和服を身につけた女性が近づいてきた。

「あ、おかみさん!」

「どうしたの、小夜。てか誰、こいつ?」

 後ろから駆けつけてきた警備員を手で制し、初老の女性が鋭い目つきで覗き込んできた。怖い。顔立ちの整った、妙に色気のある女性だけに、その落差の分だけ余計に恐ろしく感じる。背も百七十ぐらいあって、俺とほとんど変わらない。

「おかみさん、あたし、この男にナンパされてたんです」

 瞳をうるうるさせながらブースを飛び出し、小柄な女が和服の女性に腕を絡ませた。

「ち、違いますよ!」

「さっき急に襲ってきたんです、この人」

「んなわけないでしょ!」

「なかなか大胆な子ね。嫌いじゃないわ」

「だから違いますって! 破楽師匠の弟子になりに来たんです!」

 俺は事情を説明した。すると、おかみさんと呼ばれたその女性は、「なんだい、また弟子っ子希望者かい」とため息をこぼした。

「またって、よく来るんですか?」

「しょっちゅう来るよ。でも、ほとんど追い返されてるけどね」

「そんな……」

「いずれにせよ、出直しな。破楽は今日、出番は夜の部だけだから」

「……待ってたら、破楽師匠を紹介して頂けますか?」

 俺は目の前の女性に、詰め寄った。

「はぁ?」

「夜までここで待たせてくださいっ! 僕は破楽師匠のもとで落語を学びたいんですっ! 人生をかけてここに来てるんで、ってウグッ!」

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 静かにしなっ。その怒鳴り声と同時に、眼前の女性からミゾオチに膝蹴りをくらったのだ。

「大きな声出すんじゃないよ、あんた! ぶっ殺すよ!」

 呻きながら立ち上がると、女性は鬼の形相で仁王立ちしている。

「ここをどこだと思ってんの! いま高座中なの! 噺家がネタやってんの!」

「す、すいません!」

「帰りな。いいから帰りな!」

「うるさくしたのは謝りますっ! でも帰りませ、ウグッ」

 言い終わるのを待たずして、「その声がもう大きいの!」と二発目が飛んできた。あなたの声が一番大きいんじゃないですか、なんて言えるはずもなく、腹を押さえて再度うずくまる。

「はいはい、おかみさんに殺されないうちに帰った帰った」

 背の低い女が、倒れ込む俺の両腕をつかんで床を引きずっていく。ガラガラガラ。入り口の扉が閉まる音を、俺は外でうつ伏せになりながら聞いた。



「すいません、写真撮ってもらっていいですか?」

 雷門の前で、観光客らしき集団にお願いされた。

 昼どきなこともあって、辺り一帯は賑わっている。視線の先にある仲見世をセンターに、手渡されたスマホのボタンを押した。

 いまこんな悠長なことしてる場合と違うんだけどな。まぁでも、夜まで待つか――。

 先ほど寄席小屋から追い出される際、券売所の壁に、夜の部は十八時?と貼り紙がしてあった。始まる少し前に行って、破楽師匠が小屋に入るところを突撃しよう。今度は裏口のほうに行かないとな。もうあの膝蹴りはごめんだよ。

 通っていた大学が台東区と近いこともあって、この浅草には何度か足を運んだことがある。ちなみにいつも一人で。勉強とバイトしかしなかったから、友達はほとんどできなかった。

 九月に入ったとはいえ、外はまだ日差しが強い。首に巻いたスポーツタオルで額の汗を拭っていたら、「お兄さん、よかったら人力車に乗っていきませんか?」と後ろから声をかけられた。

「結構です」

「そんなこと言わずに。なんだったらスカイツリーのほうまで行きますよ」

「申し訳ないですが、無理です。なにしろ全財産が六千円なんで僕」

 不機嫌そうに返すと、紺色の法被を着た男は引いたような顔をして立ち去った。

 さっきから腹がぐーぐー鳴ってるけど、こちとら昼ご飯食べるかどうかも躊躇する懐具合だ。練馬にあるアパートは昨日で引き払ったし、テレアポのバイトも無理言って昨日で辞めてきた。服もいま着てるこのTシャツだけだし、裸一貫で落語をやるつもりでここに来たのだ。

 ひとまず牛丼でも食べようと、スマホの地図アプリを開こうとしたが、ポケットにスマホがないことに気づいた。

 そういやケータイも解約したんだっけな。母さんが連絡してきたら困るから。

 茨城で暮らす母親には、昨晩電話した。受話器の向こうで呆気に取られていたけど、居場所も言わずに強引に電話を切った。

 いずれにせよ、もう決めたことだ。

 希代の天才落語家、創風亭破楽――。

 高校を中退して噺家の道に進むやいなや、たった六年で、三十八人抜きで真打ちに昇進した怪物。二十三歳での真打ち昇進は、いまだに戦後最年少記録らしい。

 昨晩ネットで詳しく調べたところ、創風亭破楽を評す者すべてが賛辞の言葉を並べていた。

 時代を越える大名人、落語をテレビの世界に引きずり込んだ鬼才、創作落語の神。

 なかには、百年に一人の噺家、と評す者もいたぐらいだ。

 テレビではあまり見かけないが、落語に疎い俺でも、顔は知っている。もちろん、その名前も。

 俺がいまから会おうとしている御仁は、そんな唯一無二のカリスマなのだ。

 

 

 隅田川に架かる言問橋を越えて、コンクリートで舗装された川辺に移動した。花壇が整備され、ベンチに腰掛けた人達がランチを楽しんでいる。

 かなり歩いたものの牛丼屋は見つからず、結局コンビニでホットドッグとコーラを買った。水際の鉄柵に両腕を預け、隅田川をぼうっと眺めながら食べることに。

 地下鉄の浅草駅のほうから、大きな屋形船が近づいてきた。真紅の提灯が、等間隔で吊り下げられている。右に旋回したところを見ると、行き先はおそらくスカイツリーだろう。

 ホットドッグをかじる俺の足元に、小さな野良犬が纏わりついてきた。お腹が空いているのか、目に覇気がない。残ったソーセージをパンからはずし、愛らしい口元に近づける。よほど空腹だったのか、指ごとかじりついてきた。

 日が照りつけてきたので、首都高速の高架下に移動した。

 辺り一面に、ダンボールが敷き詰められている。ボロ着を纏ったホームレスが寝そべっていて、そこかしこから饐えた匂いがする。薄暗いことも相まって、ここだけ別世界のようだ。

「昨晩、テレビで仮装大賞ってのを観てたんだけどよ」

 飲みかけのペットボトル片手に行き過ぎようとしたら、大きな話し声が耳に届いた。見てはいけないと思いつつも興味本位で目を投げると、十人ほどのホームレスが酒盛りをしている。

「仮装大賞の審査員にカツラの奴がいて、実質的な優勝者はそいつだと思ったんです私」

 敷かれたブルーシートの中央で、朱色の和服を着た男が胡座をかいている。どこかで見たことのある顔だなと思いつつも立ち去ろうとしたが、足が止まった。そして、二度見した。いや、三度見した。

「で、その審査員が司会者にコメント求められて、よくできた仮装ですねとか言ってやがんだけど、一番よくできてるのはお前だろと。お前が最優秀仮装大賞だろと」

 淀みのない口調で繰り出される話に、場がどっと沸く。

 縁が欠けたグラス片手に、中央に陣取る男。

 光が届かない空間の中で、一人だけ目映いオーラを放っている男。

 その男こそが、俺が探していた唯一無二のカリスマだったのだ。