噺家ものがたり ~浅草は今日もにぎやかです~



「お、お取り込み中すいません。そ、創風亭破楽師匠でしょうか?」

 後ろから回り込み、網の上でスルメを焼いている男に詰め寄った。緊張で声が上ずっている。

「違います」

 丸坊主の男は鋭い目で一瞥し、俺をしっしっと手で追い払った。「で、話変わるけど、こないだ千葉にある伊能忠敬記念館ってとこに行ってきたんだけどよ」

「は、破楽師匠でしょ?」

「行き方書いてる地図がムチャクチャわかりにくいんだよ。これじゃ、あの世で伊能忠敬も浮かばれないと思うんですよ」

「破楽師匠ですよね!?」

 失礼だと思いつつも、顔を近づけて大きな声を出した。

「……誰ですか、あなた?」

 不機嫌そうにぎろりと向けられた目に、たじろいだ。

 だが、ここで引くわけにはいかない。大きく息を吸い込み、投げるように叫んだ。

「僕は千野願と申す者です! 破楽師匠の弟子になるために練馬から来ました!」

 言ってみて、口の中がパサパサに乾いていることに気づいた。

 ダメだ、緊張しすぎて混乱してる。てかこの人、存在感がすごすぎる。

 背は低いけど、全身から放たれる威圧感が半端ない。殺気だけで体が消え去りそうだよ。

「あぁ、そうでしたか。それはご苦労さんです」

 俺の焦燥とは裏腹に、坊主頭の男は飄々としている。素知らぬ顔をしてスルメをひっくり返し、背中越しにぼそりと告げた。

「けど私は残念ながら、その『シルベス亭スタローン』とやらではございま」

「創風亭破楽です!」

「いい反応だ。筋は悪くない。いいだろう、話ぐらい聞こう。あなたのおっしゃる通り、私が創風亭破楽です」

 焦って、脳の処理が追いつかない。遅れて届いたシルベス亭スタローンという言葉の面白さに笑う暇もなく、男はここに座れと、地面をちょいちょいと指で叩いた。俺は失礼しますと告げて、破楽師匠の対面に正座した。

「カズオ、注いでやれ」

 破楽師匠が、長いあご髭を蓄えた男に目で促した。カズオと呼ばれた男が、ほれ、とグラスを差し出してきた。受け取ると、コップに一升瓶の先を当ててなみなみと注いでくる。お酒はあまり強くないけど、無理して半分くらい呑んだ。

「オヤジさん、マヨネーズ買ってきましたー」

 つと、背の高い男がコンビニの袋片手に近寄ってきた。ほっそりとした人で、パーマのかかったロングヘアがよく似合っている。

「お、すまねぇな、猫。いまちょうどスルメ焼けたから、お前もこっちに来て食え」

「あいあいさー、って誰、この子?」

「あ、どうも初めまして、千野願と申します。破楽師匠の弟子になりに来ました!」

 隣に来た着流しの男に、立ち上がって腰を折った。

「随分と威勢のいい坊やだね、って、あらー、よく見るとキリっとしたいい男じゃないの。あたし好みだわ。もっとこっちにおいで。いいからもっと近くに。四十を過ぎた男は嫌いかい?」

 細身の男はそう言って、俺の右手をさすってきた。紙皿にスルメを載せ、はいこれ食べなと、急かすように渡してきた。ボロ着を着た周りの人達がケラケラと笑っている。

 何なんだよ、この人。でもこの人、テレビで何度か目にしたことがある。たしか、落語家の猫太郎とかいう人だ。ホームレスの人達も猫さんって呼んでるし、おそらく間違いないだろう。

「まぁ、それはいいとして――」

 焼けたスルメを口に運ぼうとしたら、破楽師匠が紙皿に箸を置いた。不意に、空気が変わる。

「問題は、こいつの処遇だな」

 背中を丸めて胡座をかく男が、ゆっくりと俺に視線を移した。グラスの酒を音を立てずに一口喉に通し、続けざまに訊いてきた。

「まず伺いたいのはお前さん、右腕のその大きな傷はどうしたんだい?」



「――これは中学一年の時に、住んでたアパートが火事になって火傷しました」

 俺は正座しながら破楽師匠に目を注いだ。

「背中にも、大きな火傷の跡があります。でも全然気にしてないんで、どうか気を遣わないでください。この程度のことはどうでもいいことですので」

「…………お前、いくつだ?」

 ゆっくりと間を取ってから、師匠が尋ねてきた。二十二です、と答えるのと被さるように、「おい掃除屋ども、スルメ食うのやめろ」と師匠。

「二十二か。お前、家族は?」

「僕は一人っ子で、母親は茨城で一人で暮らしています。父親はそのときの火事で亡くなりました」

 楽しい宴のはずだったのに、空気を重くしてしまった。

 その雰囲気を察知したのだろう。隣の猫太郎さんが「あんた、大変だったんだね。今夜、あたしの家に来なさい。たっぷり慰めてあげるから」と場を和ませてくれた。

「…………うん、わかった。わかりました」

 組んでいた腕をほどき、破楽師匠がグラスに口をつけた。悟ったような顔をし、俺にゆっくりと視線を向けた。

「けぇんな」

「えっ?」

「帰れ、と言ってる。お前はこの世界に来ないほうがいい。親に心配かけんな」

「ちょっと待ってください、師匠!」

 思わず、腰を上げてしまった。

「聞こえなかったか。俺はお前に帰れ、と言ってる」

「帰りません!」

 俺は立ったまま、声を張り上げた。

「僕は昨日、大学に退学届けを出してきました。就職も決まりかけていましたが、ラジオで破楽師匠の『千歳飴』を聴いて落語家になることに決めたんです!」

 口から、透明の液体が飛んだ。お酒を呑んだこともあって、頬が異様に熱い。

 破楽師匠は、何も言わずにじっと俺を見据えている。値踏みするような鋭い視線に身震いするけど、俺も引くわけにはいかない。

「……そうかい。あんた、『千歳飴』を聴いたのかい」

 口を挟んだのは、猫太郎さんだった。あごの先を指でさすり、神妙な顔をしている。

「大学を辞めてまで噺家になりに来た。あたしはその気概、嫌いじゃないねぇ」

 長い髪をかき上げ、促すように、斜向かいに座る師匠をチラリと見た。

 だが、眼前の男は首を縦に振らない。吐き捨てるように再び「ダメだ、帰れ」と言い放つ。

「帰りません。僕は落語家になると決意したんです!」

 俺は間髪入れずに言った。

「決意?」

「はい。落語家になれるんだったら、何でもするって決めたんです。それぐらい、あなたの『千歳飴』は強烈でした。だから師匠お願いします、僕を弟子にしてください!」

 俺は背筋を伸ばし、上体を深く折り曲げた。

「……何でもするんだな?」

 ややあって、破楽師匠が下から睨め付けてきた。

「はい!」

「落語家になれるんだったら、何でもするんだな?」

「何でもします! そこの川に飛び込めというなら飛び込みますし、その石を呑み込めというなら呑み込みま――」

 突然、師匠がブルーシートの上にあるものに前腕を叩きつけて全部はじき飛ばした。グラスが激しい音を立てて割れ、スルメを焼いていた網とコンロが川辺にころころと転がっていく。

「カズオ、包丁持ってこい」

「へい、師匠」

 俺は何がなんだかわからなかった。唖然とする中、あご髭を生やした男がダンボールハウスから出刃包丁を持って来て師匠に渡した。

「何でもできるんだったら、この包丁で小指落としてみろ」