噺家ものがたり ~浅草は今日もにぎやかです~


 先ほど渡った言問橋を越えて、浅草の町に出た。古びた長屋が軒を連ねている。縁側に寝転んで扇風機に当たっている人もいて、いかにも下町って感じだ。

 視線の少し先には、浅草寺がある。そこを左折すると、先ほど人力車に声をかけられた雷門の前に出る。

 大きな交差点に差しかかろうとしたところで、前を歩く破楽師匠と猫太郎さんが足を止めた。瓦屋根に囲まれた家屋に身を寄せ、おもむろに木戸を引く。

「入れ」

 師匠の呼びかけに、「創風茶屋」と書かれた木彫りの表札を目にしながら門をくぐった。

 あまりの広大さに、息を呑んだ。家屋と庭を含めて、三百坪はあるだろう。

 庭全体を覆うように、手入れの行き届いた松の木が聳え立っている。ツツジや梅、あれは山茶花だろうか。等間隔に敷かれた置き石の上を歩きながら、至るところから庭木の匂いが鼻腔をくすぐってくる。

「すごい庭でしょ」

 前を歩く猫太郎さんがそう言って、梅の枝に絡まっている蝉の死骸をそっと引き剥がした。手で地面に穴を掘り、丁寧に埋めてあげている。

「帰ったぞ」

 玄関先に到着し、破楽師匠が引き戸をガラガラと引いた。

 だが次の瞬間、玄関の向こうから和服姿の老人が倒れ込んできた。

「ウグッ、アウアウアウ、し、師匠」

「おい、どうしたクソジジイ?」

「しゅ、しゅいましぇん。も、餅を喉につ、詰めちゃいまひた」

「バカタレが! おい、晴子! 晴子はいるか!?」

 ほどなくして、奥から緑色の着物を召した女性が目をこすりながら現れた。ウゲッ、さっき演芸場で俺に膝蹴りしてきた女性だ。

「なんだい、騒々しい。せっかく気持ちよく昼寝してたってのに」

「クソジジイが、餅を喉に詰めやがった。掃除機持ってこい、晴子!」

 慌てる師匠とは対照的に、女性の目が吊り上がった。

「あぁもう、このジジイだけは! あれほど餅を食べるなって言ったでしょ! ほら! あぁもう、ほらっ!」

 女性は老人の首根っこをつかみ、腹に膝蹴りを連発した。三発目の蹴りで、口からネチョネチョの餅が飛び出してきた。ついでに入れ歯も飛び出してきた。

「ハァハァ、お、おかみひゃん、ありわとうございます」

「ありわとうじゃないよ! あんたはもう八十近いんだし、餅には絶対手ぇ出すなって言ったよね私?」

「す、すいまふぇん、おかみひゃん。餅が、大ひゅきなもんで」

「餅ぐらい我慢しなさい! ったくもう!」

 怒り狂う女性をよそに、猫太郎さんが入れ歯を拾い上げた。「何、この入れ歯。割れまくってるじゃないの……」と呆気に取られている。

「とにかくあんた、お説教するから奥の部屋に来なさい。いいからこっちに!」

 女性は老人の手を取り、引きずるように奥に連れていった。遠くから「あんた、冷蔵庫のプリンも勝手に食べたでしょ?」と聞こえてくる。

「オカアはん、今日も元気ですな」

 竹編みの草履を脱ぎながら微笑む猫太郎さんに、破楽師匠が言った。

「救急車呼ぼうと思ったけど、警察呼んだほうがいいかもしれねぇなこれ」