噺家ものがたり ~浅草は今日もにぎやかです~



 演芸場をあとにした俺は、目的もなく北のほうに向かった。歩を進めながら腕時計に目をやると、時刻は十時になろうとしている。

 泊まるあてなんてない。視界に入ってきた雑居ビルにネットカフェを発見したけど、残金を考えると簡単には行けない。明日からどうなるかわからないのだ。

 路地裏を縫うように歩いていたら、遠目に朱色の鳥居が見えた。近づいていくと、最上部の柱に「浅草下平神社」と額が掲げてある。

 仕方がない。今夜はここで野宿するか――。

 鳥居をくぐって、だだっ広い境内に足を踏み入れた。人気のない敷地に、大小様々な社が点在している。ほの暗い闇の中、寝床を探しながら砂利をざくざくと踏みしめていく。

 手水舎で口をゆすいでいたら、ふと思い出した。さっき裸楽さんが高座中に口にしていた神社の名が、浅草下平神社だったことに。

 ここか、裸楽さんが嫁ぐ神社ってのは。フィアンセの太一郎さんは、この神社の人なのか。

 首に巻いたタオルで口元を拭き、柵のある社の前に移動した。木の柵の外から賽銭箱に五円玉を投げ入れ、破楽師匠の弟子にしてもらえますように、と手を合わせる。

 柵を背に、地面に尻をついた。うとうとしていたら、砂利を踏みつける音が近づいてきた。

「おい。おい!」

「……はい?」

 目をこすりながら起き上がると、鼠色の作務衣を着た男が不審そうにこちらを眺めている。太一郎さんかな、と思ったら違った。目の鋭い、初老の男だ。

「はい、じゃねぇよてめぇ。人の気配がするんで来てみたら賽銭泥棒かコラ」

「違います。お金がないんで、ここの境内で野宿させてもらおうかなと思いまして」

「誰がそんなことしていいって言った!」

 白髪頭の男は、血相を変えた。

「勝手なことしてんじゃねぇよ!」

「すいませんっ」

 すぐに出て行きますんで。そう付け加えて背中を向けようとしたら、離れのほうから誰かがすたすたと近寄ってきた。太一郎さんだ。

「何かあったのか、親父」

「こいつがここで勝手に野宿してやがんだよ」

「いいだろ別に野宿ぐらい。誰にも迷惑かけてないわけだし、って君はたしか、昼間の」

「こんばんわ。今日はありがとうございました」

 俺は頭を下げた。太一郎さんが「よかったら、うちに泊まっていくかい?」と提案してくれたが、父親である隣の男が「勝手なこと言うな!」と顔を紅潮させた。

「お前はあめぇんだよ。だからあんな裸娘に騙されんだよ」

「騙されてねぇわ! そもそもいまその話は関係ねぇだろ!」

「言っておくが、わしはあんな女と親子になるつもりはねぇからな。ご先祖様に申し訳がたたねぇんだよ、あんなのを身内に迎えたら!」

「妙な偏見持つなよ! いい子なんだよ、ララちゃんは!」

「すいません、僕は大丈夫なんで。ご迷惑をおかけしました」

 口論が終わりそうにないので、話に割って入った。

 なおも言い合う二人に一礼し、そのまま神社をあとにした。


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