エッセイ

エッセイ「電撃的 春夏秋冬」第7回

『宇野朴人と10月の滑らない話』 
宇野朴人

【プロフィール】2010年に『神と奴隷の誕生構文』(電撃文庫)でデビュー。現在は『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン』シリーズが鋭意進行中。待望の6巻は今月発売!

 北国生まれのクセに雪と折り合いが悪い私にとって、降雪を目前に控えた十月という時期は実に辛い。春から秋の間にやり残した様々な事柄を脳内で列挙して、その数だけもんどりうって絶望しながら、白い裁きが下る日を粛々と待つほかない――そういう日々だ。であるからして、この文章が思いっきり陰鬱な出だしなのも仕方ないことなのである。
 とはいえ、現代の我々には様々な文明の恩恵があり、積雪後も外界との接続はきっちり保たれる。しかしネットやらSNSやらがなかった時代、あるいは今もってないような地域を想像すると、冬の到来というのはとてつもなく重い意味を持つのだと思う。
 昔、「ロシアの名産は?」と問われた友人が「絶望作家」と答えていた。ロシア文学にまるきり詳しくない私でも、かの地にはこちらに輪をかけた厳冬が訪れる、ということぐらいは知っている。「雪に閉ざされる」のはたった数日でも辛いもので、それが何か月にも渡って、あまつさえ短い夏を挟んで毎年繰り返すような環境を想像すると、なるほど絶望の尻尾くらいは垣間見えるような気がする。
 ほどよく落ち込んできたところで本題に入るのだが、今年の始めは東京でも大雪が降った。また同じことがないとは言い切れないので、北国育ちでない人々のために、雪道で滑らないためのコツを伝授したいと思う。……しかし、はて。よくよく思い返すと他ならぬ私自身、毎年のようにつるつる滑って転んでいる。平均して一冬に十回以上は転ぶし、スパイクシューズを履いて細心の注意を払っても転ぶ時は盛大に転ぶ。それを踏まえると、私から言えることは一言「頭を守れ」だ。いやしかし、それでは「滑らない話」ではなく「滑った時の話」になってしまう……。
 発想を転換しよう。そもそも「滑る」ことの何が悪いのか? 滑ったということは足を踏み出したということで、それ自体が雄々しきチャレンジ精神の証明だ。我々はどんどん滑っていい。大切なのはやはり頭を守ることなのだ。
 よし、頭を抱えよう。滑らないオチはついに思い付かなかったが、これで安心だ。

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