1(開始から〇分)


 インテリビレッジ納骨村。夕飯も終えたいい時間。具体的には夜九時前。そのかやぶき屋根の屋敷では、今年で六歳になる黒髪の小さな少年・陣内忍がパタパタと足音を響かせて走り回っていた。

「姉ちゃん、ねえちゃーん!」

「どうしたの、忍」

 赤い浴衣を着崩した長い黒髪のグラマラスな座敷童は、眉をわずかに上げて振り返る。

 幼い忍はなんか小さな両手で抱えていた。

 灰色の豚のぬいぐるみみたいな……ええと、何だ?

「こいつ捕まえたー」

「ぶー、捕まっちゃったー」

 相手は忍よりもさらに小さい。後ろから彼に抱えられたまま、短い両足を空中でパタパタ振っている。

「姉ちゃん、こいつなんていう妖怪?」

「うーん……、何かしら。カタキラウワではないようだし」

 長く艶やかな黒髪を揺らして、座敷童は困ったように小首を傾げた。こちとら数百年を生きる妖怪様のはずだが、持ち得る記憶や経験則がまるで通用しない。

 ビッ! と手足を全部突っ張って灰色の豚は言った。

「ぶーぶーはな、ぶーぶーって言うんだ!」

「それはもう分かってる」

 幼い忍は背丈の割にはやたらと大きなサッカーボールみたいにまん丸な豚の後頭部に顔をうずめ、

「……うーん、こいつちょっとケモノ臭いな」

「ケモノ臭いっていうかぶーぶーは誇り高いケモノだから。そう言うお前もニンゲン臭いぞ。というかちょっとチチ臭い」

「とにかくまずはお風呂だな。かあちゃーん!」

 幼い忍が一暴れすれば誰だって召喚されるのが陣内邸だ。栗色の髪を一本三つ編みにし、理知的なメガネを掛けた、『たとえいつ突発的に授業参観が迫り来ても決して人を困らせない存在』こと陣内母は我が子が抱えている灰色のぬいぐるみ系を見るなり、

「おおっと新種発見! この子何食べるのかしら。おつまみじゅーしーベーコンとかいけそう?」

 ……冷静になるとこれは豚に豚の肉を与えているようなもんなのだが、当のぶーぶーは自身が負ったカルマに気づいていないようで、割と呑気に餌付けされて短い手足をパタパタ振っている。

 だが忍がこんな事を言い始めた。

「そういうのは良いから。おつまみはほどほどに!」

「あらどうして?」

「お塩が多くてヤになっちゃう!」

「……ぶー、こいつオトナだなあ。ベアトリーチェもたまにそんな事言う」

 そんなこんながありつつも。

 緊急時にまつわるオペレーションお風呂だが忍の母親は特に慌てず、マニュアル通りの進行で準備を進めていく。

 待っている間、忍は傍らにいる例のモノが九八センチな座敷童にこんな事を言った。

「あと姉ちゃん、今日はお久しぶりにアレをやります」

「アレ?」

「分かって! ここちゃんと分かって!!」

 灰色の豚を抱えたまま、忍は座敷童のくびれた腰に横から何度も体当たりをかます。

 人様のやわらかーい脇腹に頭をぐりぐりしながら彼は言った。


「第一回寝ない王選手権をお久しぶりに開きます!!」


 うげっ!? と座敷童が声を詰まらせる。この際回数カウントが狂っているなどという初歩的なツッコミなどどうでも良い。抱えられたままのぶーぶーは首をひねって、

「何がつまりどういう事?」

「すぐ寝るなんてコドモのする事! 俺はもうずっと寝ないって決めたから!!」

 コドモも何も忍は六歳だっつってんだろなのだが、ここで議論を戦わせても意味はない。主観で言うなら誰だって自分が基準点なのだ。グラマラスな座敷童が自分の事を数百年級化石ババア(処女)とは思わないように、忍は自分を小さな子供とは認識しない。

 が、それはそれとして。

 広い居間にあるテレビは語る。

『いやあ、お酒? タバコ? 私みたいなのに言わせればですねえ、それよりまず睡眠不足でしょう。特に成長期の寝不足はありえない! 脳の神経回路を閉ざすどころかまんま脳全体が萎縮するって話でしてね、緩やかな自殺志願者でもない限りはまあ絶対にオススメしません。受験勉強で連日徹夜とかどこが教育じゃふざけてんのかー?』

 自説をとことんまで拡大解釈させる、嘘は言っていないが真実とも限らない、毎度のコメンテーターの例のヤツであったが、座敷童を震撼させるには十分なパンチが効いていた。

 つまり要約するとこんな感じである。


 一秒一瞬一刻も早く。

 いかなる手段を用いても、このやんちゃ坊主を可及的速やかに寝かしつけてネンネの時間にしなくてはならない……!!



2(開始から一〇分)



 そしてそんな居間の出入り口から静かに覗き込みながら、赤い鎧に白のミニスカートを足した【剣聖女】ベアトリーチェが無言で数回首を縦に振っていた。

「……うんうん。正直に言うとやや寂しいところも否定できないけど、でもそれ以上にぶーぶーにお友達ができたのは喜ばしい事よね」

「あ、あ、あのう、ベアトリーチェ? こっちはそれどころじゃないっていうか何だかここおかしくありませんかね。同じ日本に見えて全然違うっていうか、リアルの地球なのにグランズニール側の装備や目鼻立ちでパーソナリティ固まっちゃっているのがもうおかしいっていうか、みんなの言葉も何でか全員共通で通じちゃっていますし、これもう時空間がクラインの壺でコラボレーションしちゃっているような……」

 変な水を差すのはメガネ牛こと【白魔女】フィリニオン。ニットセーターとショートパンツにマントと魔女帽子で固めたむちむち系。どこから舐めてもバターの塊丸ごと頬張っているような濃密に体に悪そうな色香を振りまく天然系お姉さんである。

 そして【剣聖女】、【白魔女】と代表的なカンスト組が出揃ったのなら、もう一人を忘れてはならない。長いタイトスカートの両サイドにチャイナドレスもびっくりの太股の付け根以上にばっさりスリットを入れた緑色の僧服を纏う、回復魔法全くできない娘、そして体の一部人には言えないプライバシー保護の観点もあるしただ個人を特定されないでも敢えてボヤッとヒントを出すならそう胸だよ胸! とにかくうっすーい(笑)が特徴でお馴染み、【殴僧侶】ことアルメリナだ。

「あー……でもやっぱこの空気落ち着くわあ。ベッドより布団だよなあ。私、実家が畳職人だからもうこのイグサの匂いに弱くてさあ」

 そんなこんなで早くもぽやぽや体温を上げて小刻みに頭を左右へ揺らすアルメリナから少し離れた場所では、ツンツン頭の高校生、上条当麻が陰鬱な顔で俯いていた。

「はいどうも。みんなのアンラッキー避雷針こと上条当麻さんでございます。……今回何あった? ここ明らかに学園都市じゃないっていうか洗い物の途中で何あった水道の蛇口ひねったまんまだよう!!」

「そんな事よりとうまはまず私の身に起きた怪奇現象について調査すべきなんだよ。そう、具体的にはプリンの蓋開けてさあスプーン差し入れようとしたまさにその刹那に時空間を越えた件についてだ!」

「シャーラップ! だむいっとがっでむふぁっきんシスターべいべー!!」

「(びっびくっ!?)」

「会話に割り込むならちゃんと自分の説明挟んで! これは作法!! ほらほら真っ白な修道服とか長いストレートの銀の髪とか見るに堪えない絶望的なお胸様とか色々あるでぼぎょるわへ!?」

 目の前のシスターさんにお説教していたはずなのに、気がつけば横から特殊スーツを纏うお姫様がケツキックをかまし、アルメリナの鉄の杖が飛び、御坂美琴の『雷撃の槍』が放たれ、愛歌がソファ代わりにしていた全長五メートル以上の巨躯を誇るライオンとホワイトタイガーを強引に掛け合わせた自然界には存在しない猛獣・ホワイトライガーにゴーサインの指示が飛んだ。お嬢様学校の制服を着込んだ第三位や白と緑のシマシマビキニ一丁のひきこもりよりネコ科の最強猛獣の方がねちっこく説明多めとは何事かな状況である。

「……くっ。それにしても、このひきこもりを外に引きずり出しても気分が悪くならないとは。初めて来たはずなのにおかしな懐かしさに包まれた謎すぎる日本家屋なのです……」

 でもってついでに言えば、他にはクウェンサー、ヘイヴィア、緑娘藍、城山恭介なども同じ場所にいる。野郎と年増だらけだからこの辺はもう良いか。

 いいや。

「……忘れてはならない存在を忘れている気がする」

 一見不幸だ何だ叫んでいるツンツン頭もいるが、実際に真なる意味でろくでもない星の下に生まれたと言えばまさしくこいつ、城山恭介なのだ。

「何か僕の身におかしな事が起きて、あの極大の邪悪が、目が潰れるほどの白が関わっていないはずがないではないか。ふふっ、ふはふう! あはははははーちくしょー!!」

 なんだか笑いの発作みたいなのに襲われているようなので、自然と少年の周りからは人がいなくなった。

「はー、すっかりピカピカになってしまった」

「ぷきー……ぶーぶーな、あんまりポカポカすぎるとお鼻が湿って頭がゆだってしまいそう……」

 湯上がりでほこほこ頭のてっぺんから湯気が出ている幼い忍が、灰色の豚を抱えてやってきた。

 トリートメントがモイスチャーでビューティされてブラッシングがデトックスされたのか、何だかさっきよりもツヤツヤしているぶーぶーを抱き寄せ、忍は語る。


「それではルールを説明します!!」


 何だか大変な事になってきた。全員が六歳の忍の側に集まって正座で待機。まさに静聴の構えに入ると、

「第一回寝ない王選手権はとにかく寝ません! 寝たら負けです! 以上!!」

「早いな以上が!」

「つか寝るってどういう意味だよ巨乳ちゃんがたくさんいるけどそっちの意味での……あごぅあっ!?」

 クウェンサーが真っ当にツッコミ入れてヘイヴィアが無駄に上乗せしかけたところで、赤い浴衣の座敷童が彼のみぞおちに膝を入れて全身をくの字に折り曲げ、首の横に手刀を放ち、さらに脇腹から肋骨を抉るように急カーブを描くグーをお見舞いした。

 六歳児は抱えている豚と目を合わせて、

「そっちの?」

「ぷきー?」

 何でもないない、とベアトリーチェがアルカイックスマイルで流してしまおうと思ったが、

「んっ。分からない事はみんなベアトリーチェに聞けば良い! ぶーぶーは知ってる、ベアトリーチェは何でも教えてくれる物知りお姉さんなんだって!! えっへん!!」

「良いってここ掘るなよう! くっ、だが自分の事のように胸を張るぶーぶーを見ると『知らない』を使いたくはない……!!」

 一部混乱があったようだが、細部の詰めに入る。

 上条が片手を上げて、

「寝ない王って何で決めるの? みんなで布団に入るの?」

「お陽様が落ちたらすぐお布団だなんて! コドモのする事!! ……夜更かしはシンシシュクジョの嗜みってじいちゃんが言ってた」

 あいつが震源か、と座敷童が心の中にメモした事実を忘れてはならない。

「……自由に出歩くのは構わない、と」

 美琴が自分の細い顎に人差し指を当てつつ、そんな風に言う。

 幼い忍はほっぺたを膨らませて、

「でもお外に出るのはダメだからなっ! お風呂に入ったらもう遊びには出かけない。すぐ風邪引くのはコドモのする事!!」

「……ふうん。ようは、邸内敷地内を自由に陣取ってひたすら眠気と戦えば良いってだけですか。ひきこもりの深夜耐性を甘く見てはならんのです小僧……」

 シマシマビキニの愛歌がボソボソ声でまとめに入る。

 真っ赤な改造チャイナドレスの美女、緑娘藍も怪訝な顔で、

「でもこれ、付き合う事にどんなメリットが?」

「というか私はもう眠たくなってきちゃいましたよー。あふぁあ、あ……。やっぱり時空間転移って時差ボケ以上に体への負担がハードだったりするんでしょうかねえ? もう初っ端から二四時間完徹くらいの頭キリキリ度合いなんれふけどお」

 言いながら、ここは飴色板張りの廊下だっつってんのに【白魔女】が崩れ落ちて丸くなってしまった。この自堕落。この無防備。異性が見れば隙が多めの天然色香にドキリとでもするのかもしれないが、同性の【剣聖女】や【殴僧侶】からするとどこまでもイラッとする。蹴飛ばしてやりたい。

 ……そして内心、誰もが思った。

 この手の理不尽な『ゲーム』で最初に不参加を表明して流れを止めるヤツは大体見せしめ的にアレがああなっちゃうものと相場が決まっているのだが、さて六歳児が用意したソリッドシチュエーションではどんな『墓場』が待っているのか。この牛が教えてくれるのでは、と。

「むにゃ?」

 そしてそれは起きた。

 気がつけばフィリニオンの右足首に、柔らかな白い布が巻きついていた。だがもう片方の端は見えない。どこまでもどこまでも遠くへ伸びている。

 白い布。

 白い。

 女王。

 直後、

「わっわわっわわわちょっとこれなんか私引きずられベアトリーチェ私一体どこへ……」

 しゅるしゅるしゅるしゅるー!! と掴まれた足首を軸にいずこかへと引きずられ、困惑しながらこちらへ無意味に手を伸ばし続けるフィリニオンは、きっと自分では気づいていないだろう。アンタまるで得体の知れない八〇年代式人間捕食宇宙人に囚われていくようだぞ、と。

 そして忍が言った。

「あっ。あっちは開かずの間だ」

 不吉であった。フィリニオンが廊下の角に消えた。

 ドアの開閉音が聞こえた。

 でもって。


「んぎゅわあァァァ!? あばっ、あばばばば! なんっ、何これ、ちょお白が、白くそして形容しがたい何かが視界いっぱいに広がって私これちょっと私いっっっ!!!???」

『うふふあははあにうえもう逃がしませんわ倫理も規範も基準も正義もあったもんじゃないイソギンチャクが小魚に絡みつくようなウツボカズラが粘つく穴に落ちた羽虫を溶かして飲み干すように、あまあーく爛れて堕ちていきましょう?』

「ひいい何なんですかこの地獄のツインテールはやめて待ってそれもうくんずほぐれつとかそういう方向じゃなくてむしろダイレクトに圧さt……あどぶちゃべるげっっっ!!!???」

『……チッ、良く見たら金髪で巨乳でしかも女でございます。あにうえとは似ても似つかないじゃないですか、もー』


 ぺっ、と。

 何か吐き捨てるような音があった。

 そして廊下の角から何かが床を滑ってきた。それは使用済みのティッシュのようにくしゃくしゃになった、ある人物を象徴する器物。レンズも全部割れて鼻に当てる部分を軸に直角に折れたメガネであった。

 クウェンサーは顔の真下から懐中電灯の光をを浴びせるくらい陰影を強調させ、

「い、一体何をどうしたらあんな風になるんだ、メガネが!? たとえ、おでこに引っ掛けたままのメガネどこだっけ、鼻先に引っ掛けての明らかに目線とレンズの重なっていない上目遣い、慣れない手料理で生クリームと格闘してレンズが真っ白け、これら珠玉のメガネ芸を一万回繰り返したところであそこまではなるまいごくり……!!」

 そしてますます陰鬱な顔で俯く恭介が、誰よりも的確な助言を放った。

「神々の奥に潜む未踏級の中でも、最悪の頂点。直視しただけで発狂するような事実を、わざわざ自分から求めに行くとでも言うのかな。メガネ改めレンズを失った人のように」

 誰も何も答えられなかった。

 そんな空っぽの称号をもらうのは真っ平だ。義理も人情も存在しない。

 何だか知らんが開かずの間には白い闇がわだかまっている。それはもう人体をすり潰すただその一点のためだけに地球上にブラックホールを呼び出したが如く。何かと言うと人外系を引き寄せる幼い忍が仕掛けを作り、針の先に恭介という餌を付けて、竿を振った。さて何が起こるでしょう、その答えが破格のアレだ。あそこに触れてはならない。【白魔女】さんどうなりましたー? とか野暮な事を尋ねるのも禁止だ。

 とにかくみんなで共有できたのは一つ。


 寝たら死ぬぞ。

 それでは選手権☆すたーと!



3(開始三時間)



 初見のインパクトがあまりに強烈過ぎたものの、やっぱり一行の山場は確かに存在した。

 それが開始から三時間経った今、午前〇時の壁である。感覚的には二四時間+三時間と思ってもらって構わない。

 ちなみにこちらはお茶の間。

「……ぷきー。ぶーぶーはちょっと眠たくなってきた」

「うん? まあお前は仕方がないなー。コドモは寝る時間かもしれない」

「違うもん! ぶーぶーはもう一人で山菜を集められるようになったんだから。毒のあるのとないのも見分けられるし、自分のご飯を自分で採れたら一人前の証なんだって長老も言ってた」

 そんな風に言い合っているが、すでに幼い忍も灰色の豚も畳の上でごろんごろんしている。布団なんていらない、二つに折った座布団を枕代わりにしただけでスコンと落ちてしまいそうだ。

 そして赤い浴衣の座敷童と赤と銀の長髪のベアトリーチェはほとんど同時に思った。


 忍やぶーぶーは早く寝かしつけたい。

 だが寝ると開かずの間に引きずり込まれる。さあどうしよう?


「アルメリナ」

「どしたベアトリーチェそんな真顔になって」

「すまん」

 どはぁ!? と奇怪な大音声が炸裂した。【剣聖女】が腰から抜いたレイピアーーーいいやそういう形に加工された【魔法】の管理デバイス【兵輝】ーーーの先に炎を灯し、そいつをアルメリナの土手っ腹に躊躇なく叩き込んだからだ。もちろん平素であればそう易々とやられる【殴僧侶】ではないが、流石に敵はお布団の寝ない王選手権でしかも元来の身内から不意打ちを喰らうのは予想外だった。

 一発目でこれである。

 コーヒーやミントガムの奪い合いとか、エアコンの温度いじってライバルを快適空間に放り込むとか、そういうのもすっ飛ばしてだ。

 やはりバトル系は何かがおかしい。

「お、バカ、お前……?」

「ごめんなさいアルメリナ」

 ちっとも反省していない顔でベアトリーチェはビシッと決めた。

「だがこのままではぶーぶーが保たないの選手権って事は他がみんな脱落した時点で終わるはずだからぶーぶー以外みんな寝かせれば彼は助かるはず安心してぶーぶーと二人で生き残ろうなんて考えない最後には私もそっちに行くから……!!」

「くそうー! 独り身にヤンデレの瘴気だけ押し付けるんじゃねえよ!? しかも意識不明は寝るって言って良いのかぐぶるち!!!???」

 相手が肉体的精神的に立ち直る前にラッシュで畳み掛けるのが生き残るコツだ。さらに何発かお腹に叩き込み、『ゲスな山賊が姫をさらっていく時にやるアレ』のような感じで意識を落としていく。アルメリナ、墓場コーナーへゴー。足首に白い布が巻きつき、最後まで手放さなかった鉄の杖のヘッドが畳をガリガリ削っていき、そしてどこかへ消えていく。

 ついでに座敷童はフツーに寝ていた陣内家民間人(で不良高校生の)・隼をあっちに蹴り出した。何だかものすごい断末魔の叫びが響き渡ったが、全ては幼い忍のためである。

「いやいやいや、エントリーしてない人叩き込んでも意味なくない?」

「あら? ええと、まあ隼だし」

 愛する人のため、守るべき人のため……初っ端から人間狩りに走る愛の猟師達。次なる獲物を求めてお茶の間からよその客間にでも移ろうとした時、事態はさらに混迷を極めた。

「……、くー」

「ぶー。こいつ言い出しっぺなのにもう寝てるぞ」

「いっ、いやあ!! 忍ゥゥゥ!?」

 六歳児にとって午前〇時の境など異界に等しい領域なのである意味当然の結末なのだが、気になるのはそこではない。灰色の豚を抱き締めて寝息を立てる忍には、フィリニオンやアルメリナを襲った狂気の白リボンが巻きついてこないのだ。

 原因は開かずの間方向から聞こえてきた。


『むにゃむにゃ……うーん、一気に二つも三つもサンドバッグにしたら何だか疲れて眠くなってしまいましたわあ、くーすー』



4(開始から五時間)



 何だそりゃ。

 誰もが思った。この選手権、実際にはほとんどルール無用だ。つまり全部『白き女王』とやらの気分次第じゃねえか!? と。何でかノリにノッてる罰ゲーム係だが、よくよく考えたら仮に暴走してもホスト役の忍(六歳児)にどうやって止められるというのだ。

 皆が戦慄の事実に総毛立ったが、さりとて極大の白の肩を揺さぶって叩き起こし、真正面からちゃんとやれと文句なんて言えるか。でもって命を救われた者も確かにいた。

「ハッ!? ……あれ、今寝ちゃった?」

「忍。何だか良く分かんない内にノーカンになったみたいだから大丈夫よ」

 ……一方。

 陣内邸から表の庭園に向かったクウェンサーやヘイヴィア。理由は言わずもがな、和風のお屋敷の中にはとにかくお布団セットが多過ぎる。これならいっそ外で硬い土の地面と戯れていた方が睡魔を散らせると判断したのだ。とはいえあくまで移動範囲は庭の中だけ。垣根の外へは絶対に越えない。

「軽く居眠りしただけで白い地獄が待っているんだ。俺は絶対にルールは破らないぞ。敷地の外に出るのもアウトだ」

「折檻のレベルがうちの爆乳越えてやがるぜ、どうなってやがんだちくしょう」

 でもって。

 草木も眠る丑三つ時。ザ・午前二時! に次の動きがあった。

 きっかけは深夜の邸内を探検していた上条当麻だ。そこは腐ってもみんなのアニキ。女とあらば即参上。フィリニオンやアルメリナのその後が気になって(おや隼少年は?)ヤバいと知りつつも開かずの間とやらに匍匐前進でじりじりと接近を試みていたのだ。

 思ったよりも到達は容易く、しかしだからこそ怪訝に思った廊下の上条が引き戸の取っ手を掴む。鍵はかかっていない。そのまま真横にスライドしてゆっくりと開けていく。

 そして絶叫した。

「ぎゃーっ!?」

 罠だと思って警戒しているのか、他の人々が意外と集まらない中、やはり信頼あるインデックスや美琴がパタパタと近づいてくる。

「うー。とうま、どうしたんだよ。目がしょぼしょぼする」

「つか私達以外にも家の人は普通に寝てるんだから気を配りなさ……えっ、ちょっと何これ!?」

 ない。

 いない。

 フィリニオンやアルメリナはもちろん、彼女達を襲った白い災厄の痕跡一つない。ごちゃっとした古道具がまとめてあるだけで、とても人が隠れられるスペースがあるとは思えない。

「え? ていうか、え?」

 最初に発見した上条自身が一番混乱しているようだった。


「……じゃあ、ここにいたヤツは……一体、どこに行きやがったん、だ……?」


 決まっていた。

 そんなもんあの『白き女王』が持ち場を離れてルール無用でどこを目指すのかなんて分かりきっていた。

「……あにーうえー……」

 明かりの落ちた長い廊下が、ぎしりみしりと軋む。ふらふらと頭を軽く左右へ揺らすシルエットの口から、ぼんやりとした言葉が溢れる。

「むにゃむにゃ……あにーうえー……すう」

 そしてそんな彼女と紙の障子一枚挟んで客間の一つで体育座り、月明かりに浮かぶシルエットを背に、城山恭介は自分の口を両手で押さえつけてひたすら声が洩れないよう気を配り、しかしそれでもガクガクガクガクー! と縮めに縮めた全身の震えを止められない。

 目の前で展開中の理不尽に、彼は頭の中で文句をぶつけまくる。

(もう寝る寝ないとかどうでも良くなってしまっているではないか! あいつただ僕をふん捕まえて万力みたいな腕力で胴体丸ごと圧搾してねじ切りたいってだけだろおー!!)

 どれだけ嘆いても仕方がない。『白き女王』はルールを読んで流れに乗る天才ではなく、自前の力で全てを薙ぎ払って、世界のルールが後からついてくるようなカリスマであるのは間違いないのだから。彼女が決めたらそうなる。それが恭介の知る世界の導入にして真髄だ。

 彼は自分の口を手で押さえつけたまま、同室の愛歌や緑娘藍に目配せだけで合図を送る。

 召喚師は依代がいなければこの世ならざる被召物は呼び出せない。何はともあれ依代を確保する必要があるのだが、

「(……のー。ライガーは私と契約した依代なので安易に引き渡す事はできないのです……)」(愛歌)

「(……私はそういう依代の道に嫌気がさして暗殺術の道に足を踏み入れたからねえ)」(緑娘藍)

 イロイロ語っちゃっているが、ようは簡潔にまとめるとこんな感じだ。

 ……あんな勝ち目のない天敵の前に放り出されるなんて死んでもやだ。やるなら一人で玉砕してくれ。

「そっ、それは、そいつはあんまりにも、むごすぎるのではないかなあ……っ」

 思わず抗議しかけた恭介だが、彼は根本的な事を失念していた。物音一つ立ててはならないこの極限状況で迂闊に口を開けば何が待っているか。


 ズバリィ!! と。

 恭介が背にしていた障子の全部のマス目が勢い良く突き破られる。


 迫り来るは大量の白いリボン。もはや抵抗など無意味。次から次へと絡みつく女王の片鱗ががっちり恭介を捕縛して離さない。むしろズタボロになった障子の成れ果ての方へ引きずり出され、客間からいずこかへと消えていく。

『むにゃーあー……ふふふ、うふふふふ。この味、この匂い、ああ、ああ、もう間違えない☆ あーにうえーっっっ!!!!!!』

 おおおーん! おおおおおおーおおおおおおおおおおおおおおおーおおおおん!! おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーん!! と。

 何だがこの世のものとは思えない雄叫びが迸り、開かずの間に押し込まれ、そして誰も動けなかった。

 廊下の角、物陰からそっと見ていた上条は震える手で自分の目元を覆い、

「助けられ、なかった……。俺の馬鹿、臆病者……っ! すぐそこだったのに!!」

 美琴はそんなツンツン頭の肩に手を置き、静かに首を横に振った。

「馬鹿言っちゃいけないわ、あんなもん立ち向かえる訳がないでしょう?」

「ヤツの尊い犠牲によって世界の平和は守られたなんだよ」

 そうだ。

『白き女王』は初っ端から城山恭介を狙っていた。メガネ牛やうっすーい(笑)は悲惨な事故に巻き込まれたのだ。だとすると目的を果たした『白き女王』はここらで御役御免、後は幼い忍プレゼンツ安全な第一回寝ない王選手権に戻るのか?

 そんな淡い希望が漂い始めた頃、

「はっ!?」

 びくんっ、と廊下の真ん中で当のご本人様が軽く肩を跳ね上げ、そして目を覚ました。狂気の銀髪ツインテールはゆったりと辺りを見回し、全員が慌てて首を引っ込める。

「……何だかとても幸せな夢を見ていたような。いけないいけない、いつでも見られる夢よりリアルあにうえでございます。あにーうえー」

「(……まっまさか!?)」

 戦慄する上条はさらに歌うような声を耳にした。

「あにーうえー、どちらでございますかー。うふふ、もういーいかーい、ふふふ……」

「(きっ、気づいてねえーっ!? あんなにも鮮やかに当人やっつけた事実を、これっぽっちも!?)」

「(……ああ、これ絶対シロヤマとかいうのに教えられないわ)」

 絶望的力量差をありありと見せつけた女王は、何だか上機嫌で開かずの間へと引き返していく。

 とにかくゲームは続行だ。



5(開始から七時間)



 午前五時前。朝日が昇った。まだ始めてから七時間とはいえ、それ以前から全員『元の世界』で思い思いの一日を過ごしていたため、気分的には丸っ切り完徹、二四時間+七時間である。何だか一つの節目を超えてしまった感のある生存者達だが、ここで気を抜くとカクンと落ちる。今は山を乗り切ったのではなく、夜討ち朝駆けの片方だって事を忘れてはならない。まだまだ正念場だ。

「はー……」

 幼い忍は灰色の豚と一緒に窓の外のオレンジ色へキラキラした目をやっていた。彼らにとっては割と前人未到のレジェンド、南極点到達くらいの扱いなのかもしれない。

「……もう暗くない。んっ、おトイレに行っても怖くない!」

 とててと客間からお茶の間を渡ってお手洗いへ走る忍を見ながら、座敷童はそっと息を吐く。途中でわずかに寝落ちした程度だが、それでもやっぱりピットインの効果は絶大だったのかもしれない。

 一方、限界を迎える集団もあった。

 クウェンサー達は快適な屋内から逃げるように外へ飛び出し、土剥き出しの庭と向かい合う事で眠気を追いやろうと考えていた。根本となる理屈は間違っていない。だが他のメンツと距離を取った事でコミュニケーションが途絶したのはあまりに痛い。代わり映えのしない時間の流れが刻一刻と彼らの精神を蝕んでいく。

 クウェンサーはのろのろした動きで両手を挙げて、

「……古今東西、変態貴族のなまえー~~~」

「くー」

「呼びかけに応じてやれよお姫様! てかやべえ、完璧に寝てやがる!?」

 馬鹿二人の脳裏に真夜中にチラリと見た白い笑顔がよぎる。いくら核の時代を終わらせた全長五〇メートルの怪物兵器を生身で屠って回る彼らとて、あんなコケティッシュの塊相手ではどうにもならない。

 となれば乗り切るには一つしかない。

「ええいっ!」

「ああ!? クウェンサーテメェ一体何をっ」

 驚く悪友の前で学生は年頃の少女の無防備な寝顔を思いっきり汚しにかかる。より具体的には油性ペンを取り出し、可憐に瞑ったまぶたの上に新たな眼球を描いていく。

 すでに屋敷いっぱいから表へ出てきていた大量の白い布地が寸前で動きを止める。新しいおもちゃに鼻先を近づける子猫の尻尾のようにうねり、停滞し、ややあって。ゆっくりと布の群れが引っ込んでいく。

 我らが女王陛下はベタがお好きらしい。

「ホッ……」

「いやいやいや、あんなもんで良いならさ、あんなもんで誤魔化せるなら真面目にやってられるかっ! じゃあほら目玉模様のついたアイマスクつけるから、ふっへっへっ、時間になったら起こせよもーーー」

 キュパッ、という空気を破るような音と共に、くの字に折れるヘイヴィアの、いや、その残像みたいなものが見て取れた。おそらく彼本人はすでに屋内だ。開かずの間の方から戦場でも滅多に耳にできない壮絶な音響が流れてくる。『もう繰り返させない! 悲惨な戦争の記録展 ~戦場カメラマンシーワックスの歩み~』が霞んで消えていく。

 ガタガタ震えながらクウェンサーが叫ぶ。

「ベタとシュールの境目が分からん!」

 多分世界で唯一そのさじ加減が分かったであろう陰気パーカーウサギ野郎はすでにリタイア済みだ。時限爆弾を解除コードを持ったまま犯人に自殺されたような気分になるクウェンサー。

 でもって『表』の陣内家では陽が昇ると時間もまた動き出す。まずお年寄りの祖母があちこちの雨戸を開けていき、祖父があくび交じりで表の新聞を取りに出て、さらに時間が経過すると父と母が同じ寝室から顔を出していく。

「……ふぁあ、おあようひのぶー。てか隼君いないな」

「大丈夫、ヤツは剣と魔法の異世界に転生したから何も心配いらないもの。きっと大勢の一四歳を従えてウハウハよ」

「てかマジで忍夜明かししちゃったわけえー? ダメでしょうお姉ちゃん何してんの。ほらこっち来てお布団に入りましょうー」

「だっ、ダメよそれはあまりに危険すぎる……!!」

 わたわたとグラマラスな座敷童が六歳の忍(そうび、灰色の豚)をどうにかこうにか奪い返す。ここにきて忍の山場がやってきた。六歳児にとって母親の誘惑はあまりにも甚大だ。下手したら布団や枕なんかなくても軽く寝転がってお腹を優しくポンポンされるだけで意識が飛びかねない。

 が、忍の母親はさらに斜め上の爆弾を投げた。

「うしっ、じゃあ朝ご飯作るか! 昼夜逆転しそうでちょっと怖いけど、お腹いっぱいになれば忍もすぐ眠たくなるだろうし!!」


 ざわり、と。


 その瞬間、家に憑き家人の禍福を予言する妖怪・座敷童の脳裏に得体の知れないビジョンが浮かんだ。

 陣内忍、死亡確率一〇〇・〇%。

 そしてそのまんま百鬼夜行試製三九式座敷童が起動。何のこっちゃピンと来ない人はとりあえずナンカスゴイザシキワラシで問題なしだ!

 ぶっちゃけ世界全体の運命を操作する力でもって、忍の死を回避しようとするのだが、

(……うそ。あの白いの、全宇宙の運命丸ごとねじ曲げても揺らぐ気配が全くない……!?)

 ナンカスゴイシロキジョオウでオーケーだ!! とにかくどうにもならないので、元凶をどうこうするのではなく矛先を逸らす方向に考えを改める。忍と『白き女王』が接触してしまえばアウトだが、逆に言えば接触前に忍を他の誰かと交換してしまえば良い。

 うーん、むーん、と何だか出ずっぱりな座敷童はしばし思案し、あっちもこっちも見渡しながら、

「……、あいつで良いか。元が不幸だからスケープゴートにしやすいし」

「ぎにゃーっ!?」

 朝食どころか母親について台所に入り、目玉焼きに添える予定だったウィンナー一本もらっただけで軽めに寝息を立てた忍をよそに、遠方、客間の方からツンツン頭の絶叫が迸る。

 これでついに全陣営から犠牲が出た。誰も無傷では帰れない。

 そしていきなり御坂美琴の瞳の色が絶望的に濁った。

「……何が起きたか知らないけど、誰かが何かをやったはず。どりゃー! さっさと白状しないと全員超電磁砲で吹っ飛ばすぞー!!」

「男がやられた途端にこれだよ! ちょっと依存度が高すぎるんじゃないのかあいつんトコ!」

 余計な事を言ったクウェンサーが当然のようにロックオンされた。

「お前かこんにゃろー!!」

「あっ……!?」

 カッ!! という凄まじい爆音と共に庭先で一つの意識が消えた。一応覚醒状態が途切れたので、『白き女王』が出てきて開かずの間へと連れ去っていく。

 ちなみに油性ペンで瞼に目玉を描いてもらったお姫様は相変わらずの直立不動で、くーすーと規則正しい呼吸だけがあり、つまり見てもいなかった。

「ふっ」

 忘れているかもしれないが、この状況を乗り切るための方法は二つ。

 これは選手権。

 生き残るには自分が寝ないか、相手を寝かせるかだ。

「……愛を知りなさい。人は本当に大切なもののためなら、他の全てを捨てられるのよ」

 いつにも増して多い出番。グラマラスな座敷童が長い黒髪をたなびかせ、格好良く決めようとしたのが運の尽きであった。

 いつの間にか。

 それこそ時間でも盗んだんじゃないかという素早さで、ニコニコ笑顔の『白き女王』が真正面から座敷童の両手を包み込むように掴んでいた。

 同好の志を見つけたように彼女は笑って(顔が近いっ!!)大きく頷く。

「分かりますっ!! やはり殿方を愛した以上は世界や歴史の一つくらい壊してナンボでございますものねっ!? あなたは見た目は赤を装っていますけど表裏返すと同じ白の匂いを感じられますし、気が合いそうでございますわあ!!」

「あ」

 女王陛下におかれましては大変興奮しているところ申し訳ないのだが、この選手権において彼女に『捕まった』らどうなるんだったか。


 何かが開かずの間に投げ込まれた。


 そしてベアトリーチェは唇を噛んだ。彼女は心の中でこう思っていた。

(……あっ、危ない! 流れにノッて迂闊なコメントするトコだった……!?)

 が、これでグラマラス爆乳お姉ちゃんベイベー座敷童の加護は消えた。放っておけば次辺りやられそうなのはまあ忍だろう。ある意味陣内邸の存在する『この世界』全体が彼の味方と言えなくもないが、哀しいかな、普通の人は『善意から』幼い少年を寝かしつけにかかるはずだ。

 そしてベアトリーチェの最優先はあくまでもぶーぶーだ。状況は絶望的だがこのまま時間が止まっても良いくらいに今の丸っこいぬいぐるみは可愛らしい。そう、何だったら他の全てを犠牲にしてでも的大魔王思考に囚われかねないくらいに。

 しかし、だ。

「ぶー! これ何だ? ぶーぶーはこんな美味しいの食べた事ない!!」

「ん。これは目玉焼き。上から何をかけるかで無限に美味しさが変わっていく」

「ソースとしょうゆはどう違うんだ。どっちも黒いけども!」

「だけどツウはお塩と胡椒でいただいちゃう訳。ついてこいっ、早くお皿を並べれば早くいただきますできる!」

(……あーっ!! ぶーぶーの友達でなければさっさと見捨てているのに!!)

 片手で自分の髪をくしゃくしゃにしてベアトリーチェは息を吐く。何だか格好良さげだが、そのぶーぶーの友達ことアルメリナをその手で墓場へ送った事実はすっかり忘れているようであった。

 するってーとお前さん、彼らを守るためにできる事は何があるね?

 ベアトリーチェはアホ毛に炎を点火してゆらりとよそへ出向いた。

「数も随分減ってきた事だし、そろそろケリぃつけようぜ。まずは改造チャイナドレス貴様からだ……!!」

「チッ、人が気配を消して空気になっているのにロックオンかましてくるとは。にしても、あなた最初っから徹底してブレないわね。ある意味で尊敬するわ。だけど徒手空拳で召喚師を屠る『痩身暗器』に手を出すとは呆れ返った小娘ねえ!」

 めらっとする緑娘藍だが、そこでベアトリーチェは軽く人差し指を振った。

「周りを良く見る事ねお間抜けさん。ここに残った者達の特徴を」

「うん? い、いやまさか!?」


 愛歌。(←小さい)

 御坂美琴。(←小さい)

 インデックス。(←小さい)

 ベアトリーチェ。(←いじられ役)

 お姫様。(←意外にあるとか言われているけどどうなんすか)

 陣内忍。(←そういう問題じゃない)

 ぶーぶー。(←同じく)


 緑娘藍。(←警告! ただ一人爆乳)


 人は自分にないものを見た時、二通りの反応を示すという。つまり憧れるか、嫌悪するかだ!

「チィイ!! きっ、気がつけばとんでもないアウェイが形成されていたですってえ!?」

「ようやく自分の【ヘイト値】に気づいたようね。沈め奈落の底へ、その脂肪の塊の重さに押し潰されるが良い! であえーであえー! クセモノを斬って捨てるぞー!!」

 いかに純粋な格闘では最強を誇る緑娘藍とて、全方位から異世界産バトル娘達を一斉にけしかけられればただでは済まない。

 上条当麻や城山恭介が早々にリタイアした時点で何かの歯車が壊れたのだ。こんな世界に救いなんかありゃしねえである。全員でメインディッシュの改造チャイナドレスへ襲いかかる。小さーい(笑)と自販機の温度設定みたいに言われ続けてきた者達の恨み辛みは怖いのだ。ピラニアの如くやっちまって墓場送りに。

 そして罪を共有した貧乳どもは額の汗を拭ってこんな風に言い合っていた。

「……何だか今ならダンケツできる気がする。このまま力を合わせて『白き女王』と戦おうぜというのはどうでしょう……?」

「よくよく考えれば女王のヤツもかなりのものだもんね。その勝負乗ったわ」

(うーん、そう考えるとうっすーい(笑)には悪い事をしたかなあ?)

 何はともあれ、アルメリナの冥福を祈るしかない。



6(開始から一〇時間)



 朝ご飯タイムも終わった午前八時。やたら美味しそうなインテリビレッジ産食材をふんだんに使った朝食は丁重にお断りする形で、ようやっと夜討ち朝駆けの二つの山を乗り切った生存者達。

 ベアトリーチェと愛歌はこんな風に言い合っていた。

「まあ、申し訳ないけどそろそろインデックスか御坂美琴が脱落しそうだよね」

「……あそこだけ女の子の枠二つ分生存していますからね。あと食べたら寝落ちして死ぬぞっつってんのに真っ白シスターだけ誘惑に負けてばくばく食べていましたし……」

 ダンケツはどこへいったのやら。早速不吉な予言を放つ二人だったが、哀しい別れは別の方向からやってきた。

 シュルシュルシュルシュル!!

「……あっ、ああ!? ライガー!!」

「ああ、うん。ネコ科の猛獣なら一日二〇時間くらいウトウトしているんじゃない? 完全に熟睡する事はほとんどないみたいだけど」

「あーっ!」

 嘆く愛歌の前で、五メートルだろうが何だろうが大量の白いリボンが脱落者を開かずの間へと引きずり込んでいく。さよならホワイトライガー。顔は上げて行こうぜ。

 ちなみに陣内邸では食事の時間が終わると、掃除や洗濯が待っている。ぬいぐるみのようなぶーぶーは忍の母が使っている掃除機を追い駆け回していた。

「ぶー! 何だこれ、すごい音してるぞ。バクハツとかしないのか!?」

「んー? これは掃除機、何でも吸い取る魔法の箱だー。ほーらコブタちゃんのでっかい頭も吸い込むぞー?」

「あーっ、あーっ!?」

 掃除機のノズルでデコを吸ったり吸われたり。何だか楽しそうだが、ああやっている間は眠気はやってこないだろう。興奮が途切れた隙間にスコンと落ちそうで怖くもあるが。

 でもって。

(……しっかしまあ、あの女王を倒すって具体的にどうしたものか)

 その答えが出ちゃったらここでシリーズが一つ幕を下ろしてしまいそうな超難題なのだが、立ち止まっていても事態は好転しない。人はいつか寝て、そして白にやられる。

「ぶいーん……」

 両手を広げて飛行機みたいな効果音をつけた幼い忍が、ぶーぶー達のいるお茶の間を横切って縁側に向かっていく。ぶーぶーもそっちに興味を惹かれたようで、掃除機から一旦離れて庭へ出て行った。

 ぱんぱんと布を叩くような音が聞こえる。

「ぷきー、これは何をしてるんだ」

「布団叩きは俺の仕事な訳。こうしておくと今日のお布団がふかふかになる!」

 グランズニールでの暮らしぶりを見ていると、ぶーぶーが初見でこうまで生き生きと人にぶつかっていくのが奇跡のように思えてくる。

「お前も干したらふかふかになるのかなあ」

「やっ、やめてーっ。ぶーぶーは干し肉にしても美味しくならないぞ、ウマミは凝縮されないわけ!」

 何だか良く分からんがここは『異邦人』に対してやたら寛容な世界らしい。ベアトリーチェや御坂美琴なんかは明確な人外と呼ぶほどではないものの、【魔法】を使ったり前髪から落雷を落としたりとやりたい放題だが、しれっと受け入れられている節もある。そもそも【剣聖女】は【剣聖女】であって真っ赤なミニスカ鎧に腰へ佩剣までしているし、ぶーぶーは言い訳のしようがなく【亜人】だし、極め付けにあれだけ濃密な甘い死の匂いを振り撒く『白き女王』の存在に本当に気づいていないのか。案外気づいて放ったらかしだとしたらかなりのもんだが。

(……ふうー。いかんいかん、あんまり微笑ましくて前提を忘れそうになる。今は睡魔と戦うデスゲームの真っ最中。あんまりポカポカのんびりしているのも、それはそれでおっかなかったりするんだけど)

 やれやれと一人首を横に振るベアトリーチェ。魔法離殿で留守を任せているメイドの悠花達には申し訳ないが、こんな状況でなければしばらく長居したい光景だ。

 と。

 ほのぼのしていた彼女は、そこでとんでもないものを目撃した。

「ことん。ぐー」

 両目を開いたまま縁側で寝息を立てたお姫様が、ほっそりした白い影に肩を叩かれて地味に消え失せた。だが今はそっちに構っていられない。

「ぷ、ぷきー……」

 意識が【スタン】してる。眠りこけそうになっている。物干し竿にかかった布団の面倒を見ていたはずのぶーぶーが、両手で分厚い綿の塊に引っ付いたまましなだれかかっている。

「ぶっ、ぶーぶー!?」

 もはや一刻の猶予もない。大声を上げても効果が見られない以上、取るべき手段は非常に限られてくる。

 ベアトリーチェの脳裏に究極の選択が浮かんだ。


 ・ぶーぶーはかわいい。だから絶対に足蹴にはできない。

 ・蹴る。彼のために。


 体感時間が相対性理論の限界を軽々と超えていた。無限に引き伸ばされた一瞬の中で鼻血が出るくらい思考を連続させた。つまりベアトリーチェはすんげー考えた。

 だがぶーぶーのつぶらな瞳が半分以上閉じ、ちょっと瞼が上がり、そこからスコンと落ちるのを目の当たりにした時、赤い【剣聖女】は決断した。

(……ごめんぶーぶーっ!!)

 己の唇を目一杯噛み、彼女は命懸けで【迷宮】探索に挑む戦士の目つきで打って出る。

 具体的には、エースストライカーとサッカーボールの関係性で。

「ぷっ、ぷきぃーいいいッッッ!!!???」

 ノコギリ傷と一緒で下手に鈍いとかえって痛みが増す。ならばここはいっそ思い切りいってみるのはどうか。スパーンと決めてしまえばコミカルな感じでまとめられそうだし!

 正しい事をした。

 だってこうしないとかわいいぶーぶーが『白き女王』にがっつりホールドされてくっちゃくちゃにされて小部屋に投げ込まれていたから。

 が。

 逆さにひっくり返ってガタガタ震えるぶーぶーの瞳には、フッツーに恐怖の色が浮かんでいた。

「べっ、べあとりーちぇ……ぶーぶー何か悪い事したか? そしたらちゃんと直す……」

 我慢の限界タイムであった。

 その場で跪いたベアトリーチェは先も尖っていないレイピア状の【兵輝】を両手で掴み、無理だっつってんのに強引に自分のおへその辺りへねじ込もうとした。

「うっ、うおおおァ!? ごっ、ごごごごめんなさいぶーぶー、今すぐ詫びて地獄に落ちるからァァァあああああああああああああああ!!」

「ぷきー! ベアトリーチェちょっと情緒不安定すぎる。勝手に暴れたり死んだりしないでっ」

 とは言うが、よくよく考えてみれば彼女は大体いつでもこんな感じである。

 ともあれ再認識しなければならない。

 この場において生死に善悪は関係ない。あらゆる存在は時が来れば眠りに落ちる。引っ叩く、背中に氷を当てる、激辛料理を口の中に投げ込む。どれもこれも対症療法だ。根本的な解決にならない以上エスカレートする一方。しかもそれだっていつかどこかで限界を迎える。

 眠りに落ちるか、味方から殴られ続けて死ぬか。

 そんな選択しか残らない、破滅のボーダーラインが存在する。

(……いよいよ進退窮まってきた。状況を打破するためには)

 もちろん、方法は一つしかない。


『白き女王』を倒す。


 結論は分かりきっているが、だが具体的な過程が見当たらない。

 だが一つだけ勘違いしてはならない。

『ここ』は『あそこ』ではないのだ。

 ……抽象的かもしれない。だが真理だ。『白き女王』は『白き女王』の生まれた世界だからこそ絶対の頂点に立つ事を歴史に証明されている。天敵を全て殺し、自分にとって居心地の良い『系』を築いた場所なのだ。でもそれが、玉石混淆様々なものをもう一度ぶちまけたら? 彼女を押し上げ、祭り上げていた無数の柱は失われていると言っても良い。さながら、海では最強のシャチやホオジロザメへ殺人クラゲかダイオウイカを差し向けてみるように。

 許されないほどの禁忌。

 ありえないほどの確率。

 だけどここには揃っている。明らかにベアトリーチェの知らない、いいや、おそらくはあの『白き女王』さえ知らない世界の住人達が。

 一面から見て乗り越えられない断崖絶壁。ならばぐるりと回って反対から攻めてはどうか。案外裏側はなだらかな傾斜かもしれない。

 つまりは、

(……まずは元のスペックを知るために、同郷らしい愛歌とかいうのに話を聞いてみる)

 ぶーぶーキックの衝撃から(自分でやっておいて)じんわり回復しつつあるベアトリーチェは思案し、

(でもって私も知らない異形のテクノロジーと照らし合わせて、最強理論に抜けや穴がないか調べるのがベスト、か。とりあえず白いシスター辺りがクサいかな)

 目的が見つかるのは良い事だ。

 前に進み、上へ積み上げる事さえできれば人は伸びる。一番怖いのは、どこが前でどちらが上かも分からないまま目印のない宇宙空間を漂流するような迷走状態なのだから。

 すでに(貧乳達の恨みを一身に受けたスケープゴートの緑娘藍を袋にして全員共犯者になった辺りで)団結は済んでいる。とりあえずインデックスやミサカミコトと協議を始めよう、とベアトリーチェは最優先をまとめた。


 甘かった。

 陣内邸のどこを捜しても、二人の姿はなかった。



7(開始から一一時間)



 午前一〇時。テレビの中の教育番組が最高潮に眠気を誘う人形劇を展開している中。

 ベアトリーチェは広いお茶の間をうろうろ歩き回っていた。細い顎に指を這わせ、そして今この状況について考えてみる。


 インデックスと御坂美琴がどこにもいない。


「……、」

 考えられる可能性がいくつかある。

 一つ目はいわずもがな、単純に二人が寝落ちして『白き女王』の餌食となったパターンだ。この場合はもう手の打ちようがない。

 だがそれ以外だと厄介だ。

(……まさかこの状況で、仕掛けてきた?)

 寝落ちで消滅……に見せかけて、屋根裏やら床下やらどこかに隠れてこちらの様子を窺っている。そんな可能性もゼロではない。

 散々言っている通り、今回の事件(?)は選手権だ。最後に残った一人は勝者として生き残れる。仮にあの二人が絶望的な『白き女王』への挑戦を放棄している場合は、自分以外の全メンバーが脱落するのを安全圏から待ち続ける、という作戦もあり得る。

 もちろん勝者は一人だから、二人結託しても最終的には殺し合いになる。だけど、逆に言えば決勝戦までは確実に生き残れるのだ。策を弄して隠れ潜む本人だって、じっとしている間に寝落ちしないとも限らない。待つ側としても、相互監視のパートナーは欲しいだろう。

「……どうするのですか……?」

 背後からの声に、びくっとベアトリーチェは肩を震わせる。

 白と緑のシマシマビキニ少女、愛歌。

 お供のホワイトライガーがいなくなった辺りで存在感がなくなっていたが、ここにきて急浮上してきた。

 そう。

 何故今、ベアトリーチェは安堵ではなく肩を震わせたのか。そこにもう一つの可能性がある。

 選手権に巻き込まれているのは、もう、ベアトリーチェ、忍、ぶーぶー、そして愛歌の四人しかいない。

 インデックスと美琴がどこかで息を潜めていれば話も変わってくるが、ここで一つ、別の可能性が脳裏をよぎった。

 ……生存者の中で、絶望的な『白き女王』の強さを最も骨身で理解しているのは誰だ? それはもちろん、『白き女王』と同じ世界からやってきた誰か、ではないか。アレは城山恭介と旧知のようだった。であれば恭介と親しげに話していた愛歌もまた、恭介や女王と同じ世界の住人と見るのが自然だ。

 そんな人間が追い詰められたからって真っ向勝負で天敵に立ち向かおうとするか。むしろ行き止まりに追い詰められたからこそ、躍起になって脇道へ逃げ込もうとするのではないか。

 つまり。

「まさか、いや、まさかだよね……?」

「……何がですか……」

「インデックスに御坂美琴……。最後の鍵だったかもしれないのよ? 私達が力を合わせて、『白き女王』さえ知らないオカルトを複数集めれば、今この場に限りギリギリで押し返せたかもしれなかったのに……!!」

「……一つ一つ順番にお願いするのです……」

 元から『白き女王』に屈した愛歌の世界の情報は、どれだけ重ねても力の上積みにはならない。

 幼い忍もまた異世界の住人だが、六歳児から具体的な戦力を引き出せるとも思えない。

 ベアトリーチェとぶーぶーは同じ世界からやってきたから、順当な枠を超えた突然変異のような化学反応は期待できない。

 つまり、何だ?

 インデックスと御坂美琴。自分一人を残すがためにこの二人を闇討ちした愛歌のおかげで、状況は挽回不能などん詰まりまで追い込まれたとでも言うのか……っ!? ぶーぶーや、彼の友達になってくれた六歳の忍も平気な顔で巻き込んで……。

 これ以上の問答はいらない。

 この危険人物を、背後に庇うぶーぶーや幼い忍に近づける訳にはいかない。

「どういう世界に生まれたんだ、そなたはァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 ベアトリーチェの驚愕による空白が、怒りの色で塗り潰された。彼女自身も初期段階でアルメリナへ不意打ちを食らわしている以上、聖人君子ではありえない。だがあの時と今では状況が違う。場当たり的に生き残りを決めるか、力を合わせて全員で乗り越えるか。いったん条件が変わってから、わざわざ引っ掻き回してさらに元に戻す必要は全くないはずだ。

 いいや、愛歌にとっては変わらないのか。

 最初から最後まで、徹底的に『白き女王』には敵わない、の一択だったのか。

 腰の鞘からレイピア型の【兵輝】を抜く事に躊躇はなかった。装備の形を取った【魔法】、すなわち【パーセンテージ】系の数値補整がなければ刃の一振りで骨まで炭化するかもしれないが、意に介さなかった。

 今は一刻も早く。

 人の形を取ったリスクの塊を、小さなぶーぶーや忍から遠ざけるのみ。

「【鋼流メタルジェット】!!」

 胸の前に腕を寄せて剣を立てた赤い【剣聖女】が吼えると、彼女の周囲に複数、灼熱に輝く光球が浮かぶ。それらはコマンドに応じて指向性を獲得すると、一キロ先の戦車を輪切りにする勢いで解き放たれる。

 都合八本。いっそレーザービームじみた死の熱線。不意打ちで仲間の後頭部でも狙うならともかく、真正面から対峙しては水着の少女になど手も足も出ない。


 はずだ。

 なのに。


「なっ……!?」

 目を瞠ったのは渾身の一撃を解き放ったベアトリーチェの方だった。

 ねじれた。

 様々な角度から正確に愛歌の急所を複数狙い撃ったはずのオレンジの光条。それらが無防備なビキニの少女に当たる直前で大きく折れ曲がり、そしてあらぬ方向へと逸らされたのだ。

 数十センチから一メートルもあれば戦車を側面から貫いて焼損させるメタルジェットを、数キロ単位まで引き延ばした【魔法】だ。尋常な防御手段で凌げるものではない。

 事態が過ぎてから、ベアトリーチェは脳裏に残る記憶映像を必死に精査する。

(……っ?)

 結果見えてきたのは、直撃の寸前に愛歌が何かをしていた事だ。透明な盾を構えていた、とかではない。一握りの卵のような塊を自分の足元目掛けて叩きつけていたのだ。

(手榴弾っ? でも何か普通のものとは違う。あれは一体何をばら撒くための)

「確かに……」

 ヒィウン、と軽く風を切る音と共に、声があった。気がつけば愛歌の小さな手に一五〇センチほどの奇怪な棍があった。いや、あれは打撃用の武具なのか。質感だけ言えば、まるでバニラとミントで色分けされたシマシマのステッキキャンディだ。

「……確かに、今の私には依代たるライガーがいない。よってどれだけ気張っても最弱の『始祖シリーズ』さえ呼び出せない。それは真実なのです……」

 まずい、とベアトリーチェは本能的な警戒心を外から強引に吊り上げられた。インデックスに御坂美琴。てっきり仲間の顔で近づき真後ろから不意打ちで仕留めたかと思っていたが、そうではないかもしれない。

 真正面から声を出す暇もなく都合二人を始末するだけの何かを持っていたの、かも……?

「ふっ!!」

 ベアトリーチェは短く息を吐いて、さらにレイピア状の【兵輝】を振るう。相手は【魔法】に類する力を持ち、明確にこちらを害する気だ。背後に庇う幼いぶーぶーや忍も含めて。それだけ分かれば十分だ。驚きこそすれ力を抜く理由は一つもない。

 ヤツにはヤツの大切な自分があったようだが、こちらはこちらで大切な者が自分以外にある。

「【炎放ファイアスロア】!!」

 剣の軌跡に合わせ、世界の亀裂から鉄砲水を噴き出す勢いで。オレンジ色の業火を一気にばら撒く。先ほどの点と違って今度は面。そう易々といなせるものではないが、

「……ですが、そもそもブラッドサインとは文字の形で神々を記し、その力や存在を人間の都合に合わせた形に収めるもの……」

「っ」

「……この人工霊場の中において、たがたが人の起こす程度の奇術を横から奪う事など造作もないのです……」

 くるん、と愛歌の手の中でバニラとミントのステッキキャンディが回った。

 それだけだった。

 たったそれだけで一面を埋める炎は排水溝に飲まれるお風呂のお湯のように不自然な集約を遂げる。

 ようやく、ここまで来てベアトリーチェの記憶が事象の流れに結びつく。愛歌は手榴弾に似た何かを足元に叩きつけて特殊な場を展開し、さらには虚空へ手を振るった。キラキラと輝くのは砂糖か何かだろう。それらは瞬く間に溶けて形を失い、ねじれ、一本の杖を形成していたのだ。

 魔法の杖を手にした召喚師が、囁く。

「……お返しします……」

「くっ!?」

 杖の先端に炎を宿したままの、何気ない一振りだった。

 だが直後にベアトリーチェが放ったままの勢いで莫大な炎が噴き出す。【火力耐性】一〇〇%。炎によるダメージの完全無効化がなければそのまま消し炭にされていた。彼女はもちろん、背後に庇うぶーぶー達まで。

 そしてこれで終わりではない。

 炎が消える。いいや割り割かれる。借り物の炎など目眩し。例のステッキキャンディを手にしたシマシマビキニの愛歌が無造作に懐へ踏み込んでくる。

 この間合いでは、下手に反動や硬直の大きな飛び道具はかえって命を縮める。

「ッ、【溶断メルトカッティング】!!」

 レイピアの刃がオレンジ色に赤熱する。軽くなぞれば大金庫の扉を溶かし切る灼熱の刃でもって、単純に避けるなら最も難しい胴を狙って横薙ぎする。

 愛歌は避けなかった。

 とはいえ彼女の体術が追い着いた訳でもない。バニラとミントのステッキキャンディは全然関係ない所を泳いでいる。クリーンヒット、だが柔らかそうな愛歌のお腹は切り傷一つない。

 理由は明白。

 ベアトリーチェのレイピアは、あくまでもそういう形の【魔法】のデバイスだ。それ自体を研いで鋭い刃をつけているのではなく、やはり切れ味も【魔法】で生み出す。

 つまり基幹となる【魔法】を吸われてはどうにもならない。愛歌のお腹でも押さえつけられる。

 そして、これは単純な消失ではない。横から制御を奪っている。大金庫を破るほどの切れ味は、愛歌の手の中にある。

(……でも自分で放った火力系なら、自分の耐性でしのげ……!!)

 思考の速度を現実が上回った。

 直後にステッキキャンディが振るわれる。

 ベアトリーチェが放ったのとは真逆。至近から散弾銃のような勢いで、鋭く尖った氷柱を大量に。

「な……」

(エネルギーの形で吸い取り、【属性】の異なる別の【魔法】に変換してきた!?)

 当然それは【火力耐性】の外にある攻撃だ。一切無効化できず、そのままの勢いで胸から腹にかけて直撃する。

「かはあっ!?」

 軽装の鎧に火花が散る。呼吸困難に陥ったまま、一歩二歩と後ろへ下がる。愛歌は無理して追わない。余裕を見せているのではない。おそらく肉弾戦自体はさほど得意でもない彼女にとって、その付かず離れずの距離が最適なのだろう。

 受けたダメージよりも、【魔法】を使った応酬でこちらが押し負かされている事実にベアトリーチェは足元が揺らぐ。こちらの土俵に引きずり込んで、なお手玉に取られている。衝撃を受けないはずはない。

(……『白き女王』といい自称だけで何も呼び出さない召喚師といい、こいつらが生まれた世界は一体何なんだっ。どこまで殺伐とすればこんな技術を指先で覚え込む!?)

 歯噛みするベアトリーチェを特別にしているのは、まさにその【魔法】だ。直接コマンドを与えて解き放つのも、身に纏う軽装の鎧も。これを奪われてしまえば、彼女は当たり前の刃で当たり前に命を落とす少女に逆戻りしてしまう。

 その【魔法】を横から奪われてしまうのではどうにもならない。超常を奪われたベアトリーチェでは超常を使い続ける愛歌には勝てない。

 歴然とした事実。

 だがそれで良いのか。納得できるか。不毛な争いの果てにようやっと生存者達が一致団結しようとした段階で横槍の不意打ちを入れ、状況を逆戻りどころか悪化させ、自分一人が生き残るために幼い忍やぶーぶーまでも竃に放り込もうとする愛歌。それはそれは合理的で効率的で圧倒的なまでに正しいのだろうが、そんな正しさだけでこの状況を推し量れるか。

 できない。

 できる訳がない。

 自分は聖人君子ではない。だけどここまで到達したベアトリーチェには、今さらスタート時点の愚行を繰り返す選択はない。それを愛歌はやった。平然と。何としても食らいつきたい。

 まさしくないものねだりの境地に達したベアトリーチェだが、でも、だからこそ。彼女の脳裏にほんの小さな可能性がよぎる。

 そう。

 そもそも普通の人間は【魔法】なんか使えない。なら、その【魔法】を覚えるために何をしてきたのだ、と。



 一方の愛歌もまた、実は面白い状況ではなかった。何と言っても彼女は召喚師だ。搦め手で煙には巻いているが、本来なら一〇分限りの人工霊場の中で依代の肉体を借りてこの世ならざる存在『被召物』を呼び出すのが定石。単騎で様々な超常現象を使いこなすどころか、その体に常時纏い続ける魔導師など異形以外の何者でもない。

 長期戦になればボロが出るが、かといって不用意に懐へ飛び込みたくもない。先ほどの突撃は清水の舞台から飛び降りるようなものだった。短期決着を焦らなければ、わざわざあんなリスクは背負わない。

(……まったくこれだから『外』は嫌なのです。私の知らない状況が多過ぎる……)

 ひきこもりが心の中でぼやくが時間は止まらない。

 実は、愛歌の側には極端なダメージ源は存在しない。彼女にできる事と言えば、

(……無謀でも切り込んでパーソナルサークルを冒し、相手にプレッシャーを与えて、【魔法】を乱発させる。それを絡め取って、何故だか無効化される炎以外の方式に変換してからぶち当てる。これが最善ですか……)

 分かっていても避けられない動き、というものがある。目の前に野球ボールが飛んでくれば誰だって自分の顔を思わず両手で庇ってしまうだろう。それが大型ダンプであっても、防ぎきれないと分かっていても。合理や効率ではなく、体が勝手に動いてしまうのだ。

 とはいえ、一見【魔法】に対しては無敵に見える愛歌ではあるが、やはりこれも絶対ではない。ベアトリーチェと違って全身で炎無効化オーラを纏っている訳ではないので、タイミングを誤れば普通に消し炭。恐ろしいのは、だから警戒しろ、ではダメなところだ。むしろ向こう見ずくらいの精神状態で挑まなければ、足が震えて十分な力を発揮できず、出遅れて即死するだけ。

 高所での綱渡りをイメージすると分かりやすいかもしれないが、命の取り合いでは平時最高のパフォーマンスが求められる一方で、意識すればするほど自家生産の興奮や恐怖が邪魔してくる。実際に綱渡りを平時の心拍数でこなすには、元々の気質に加えて相当の場数も必要になってくる。それができるようになった人間は、おそらくその時点ですでに素人の領域から外へ片足を踏み出している。

 愛歌はできる子だった。

 だから躊躇なく、自宅でぼんやりネットを嗜むくらいの心拍数で死と隣り合わせの懐へともう一度踏み込む。

 生身一つで存分に超常を振るう人間など考えるだけで怖気が走るが、でも、だからこそ。相手が【魔法】頼みならこれで終わり。外から直接打撃を浴びせても効果は薄いようなので、次は内から毒や感電を見舞って確実に落とす。すでに二回も試しているため、為すべき事、その要点も把握済みだ。

 だとすれば、自らの口で回避方法をベアトリーチェに教える必要はなかったかもしれない。相手にヒントを与えれば、それだけ解決法を見出されるリスクも増すはずだから。

 だから、愛歌にはもう一つ、策とも呼べない保険があった。

(……ひきこもりの深夜耐性、眠りへの意識の高さを舐めないでもらいたいのです……)

 そもそも愛歌はライオンとホワイトタイガーを掛け合わせた、自然界には存在しない最強のホワイトライガーと共に暮らし、ソファ代わりにしている少女だ。そしてネコ科の猛獣は一日二〇時間近く微睡んでいる。どれだけ互いに信頼があろうが、この眠りの波を掴み損ね、不用意に起こしてしまえば突発的に襲われかねない。サーカスなどでも見られる基本だ。相手はイヌ科のように躾けられる訳ではないのだから。

 眠りの波については誰よりも機敏にできている。時にはライガーの感情や意識レベルを外から誘い、眠気で包む事で行動の制止を促す行為さえ。

 つまりは、

(……ここは寝たら死ぬ異空間……)

 バニラとミントのステッキキャンディを軽く指先でなぞり、

(……あの女王に寄り添うのは寒気がするシチュエーションですが、やろうと思えば外から誘える。超常に横槍を入れて倒せればそれでよし、ダメでも密かに織り交ぜた甘い匂いや視覚効果があなたの疲弊した意識に吸い込まれ、徐々に集中の拡散を促す。疲れ切った意識を興奮状態で回しているあなたは、自分で思っているよりはるかに眠りへ落ちやすい。激しい興奮で自らを消耗していく中、砂糖の甘さはそれはそれは染み渡っていくでしょう。こちらとて長期戦は望みませんが、何もないよりマシです。本命と保険の二段構えで封殺するのです……!)

 攻撃のために危険へ踏み込む。

 その行為で自らの意識は覚醒を促しつつ、愛歌は冷静に目的を確認する。

(……ここで確実にダウンを取る……)

 愛歌は手の中のステッキキャンディに似たブラッドサインを掴み直し、

(……取って、私は私の平穏を取り戻すのです……)

 だが、しかし。

 次の瞬間。


 ガッキィィィン!! と。

 ブラッドサインが弓なりに軋むほどの勢いで、真上へと跳ね上げられた。


 あれだけ鉄壁のように思えた愛歌が、信じられないものを見たような目をしているのをベアトリーチェは見た。

 無理もない。

 一瞬前までのベアトリーチェの動きとは明らかに違うのだから。愛歌のステッキキャンディを真上に弾いたのは、【魔法】ではなかった。そしてベアトリーチェの武器はそれだけではなかったのだ。

「そもそも私達がどうやって【魔法】を習得すると思う?」

「……っ……」

 愛歌は慌ててステッキキャンディを振り回し、ベアトリーチェとの間合いを測り直そうとしているようだが、もう遅い。召喚師の愛歌は超常特化で、それ以外の肉弾戦はさほどではないのは先ほど見ている。レイピアの横薙ぎに愛歌のステッキキャンディは追い着いていなかった。

「私達は異なる世界を渡って、そのままでは飲み込む事のできない異界の【経験値】を、機械を通して私達に分かる形に変換する。料理を作ってダンスを覚える事も、歌を歌ってマラソンの上達に結びつけるのも思いのまま。【魔法】なんていう存在しない技術はその最たるものよね」

 でも、とベアトリーチェは囁いた。

「……元来の意味を追求すれば、別に私は【魔法】にこだわる必要はない。陣内邸という異界で手に入れた【経験値】を全て別の場所に割り振れば、本来なら基本の習得に何年もかかる技術であっても指先一つでマスターできる。そう、例えば」

 愛歌のステッキキャンディを真上に弾いたもの。

 その正体は、


「生身の手足を使った格闘技、とかでもね?」


 パパン!! と弾ける音が連続した。

 先ほども言った通り、愛歌は超常の絡まない肉弾戦には心得がない。タップ一つでインスタントに上積みしたベアトリーチェの動きにはついてこれない。あるいは分厚い籠手で、あるいはブーツで、あるいはメリケンサックのように掴んだ剣の鍔で。鈍器じみた連打を受けるたびにステッキキャンディごと大きく後ろへ仰け反る。いいや、天井知らずの冴えを見せるその技はいずれ『痩身暗器』緑娘藍を越え、捌き切れなくなるはずだ。

 バニラとミントのシマシマステッキキャンディからの連想か、実際に何かを撒いているのか、並行して甘い匂いのようなものを鼻に感じるベアトリーチェだが、こちらは【火力耐性】一〇〇%に頼って自身ごと高温処理すれば本来の効果は発揮できなくなる。実際、大抵の毒ガスや生物兵器の除染方法にナパームなどによる爆撃が取られている事からも明白だ。

 本来の効果が失われれば、それは表面化の機会を失うか、したとしてもかなり後ろに倒れるはずだ。

 それを待つ必要もない。

 ベアトリーチェが備えているのは格闘技『だけ』ではない。相手がステッキキャンディを万全に使えず、無防備に体をさらしている状態なら、他の手段も普通に届く。

 つまりは【魔法】。

「【衝圧ショックウェーブ】」

「ッッッ!?」

 囁くような言葉に、今度の今度こそ愛歌の瞳に衝撃と恐怖が滲んだ。

 直後に、その水着姿でおへそも眩しい腹部へ爆音と共に重たい圧が突き刺さった。

 解き放ったのは炎や熱ではなく、あくまで爆発に伴う衝撃波に軸足を置いたものだ。

 だがその威力は施錠された鋼の扉をくの字に折り曲げ、太い錠前そのものを破断するほど。火薬を使ったマスターキーをまともに浴びれば、格闘家の足がめり込むよりは強烈な圧となるだろう。

 吹き飛ばされた愛歌はもんどりうって土の地面を転がった。バニラとミントのシマシマステッキキャンディが小さな手から離れて跳ねる。それでようやく、ひとまずの終わりをベアトリーチェは感じ取っていた。

 そして愛歌は倒れたまま、切れ切れに言葉を紡いでいた。それは意識の明滅と連動しているかのような、か細いものだった。

「……あ……」

 不安定で聞き取りにくい、その声。

 それが、一つの意味を形作る。


「……あくま、め……」


 言われた事の意味が分からなかった。

 しかし直後に、そんなベアトリーチェの背後から何か白いものが追い抜いた。それは長大なリボンの塊だった。腹部への衝撃で意識の途切れた愛歌の手足に絡み、一本釣りでもするように華奢な体が持ち上げられる。そのままベアトリーチェの頭上を越えて真後ろへと引きずり込まれていく。

「……、」

 いる。

 今、白を統率するあの女王が、ベアトリーチェの真後ろにいる。一体そこで何が起きているかは知らないが、後ろを振り返っても良い事は何もない。知っても後悔しかない。その場でレイピア状の【兵輝】を握り込んだまま、ベアトリーチェは自分の指先が不規則に震えているのを感じ取っていた。

 今の愛歌は、何だった?

 何故こちらを見て、悪魔と呼んだのだ。

『……何がですか……』

 最初耳にした時、全部分かっていてとぼけているのかと思った。

『……一つ一つ順番にお願いするのです……』

 だけどこれもまた、単純な疑問だったとしたら。彼女はインデックスや御坂美琴の末路を知らなかったとしたら。

 それはベアトリーチェ自身が『白き女王』を庇うような位置取りで戦い続けていたからか。愛歌はインデックスや御坂美琴の消失には関わっていなかったのか。結局あいつらは後ろ暗い陰謀なんて何もなくて、ただただ偶然『白き女王』とばったり出くわしたか、あるいは眠気に負けてリタイアしただけだったのか。

 だとすれば愛歌の件は冤罪になる。

 それも大問題だが、そんな重大事が霞んでしまうくらいの事態にベアトリーチェは直面していた。

 あの白が飛来した方向。

 真後ろ。

 そこにはついさっきまで誰と誰がいたはずだった? その位置に『白き女王』が立っているという事は、彼らは一体どうなった?

 愛歌が言ったあの言葉。

 彼女がこちらに喰らいついてでも排除したかった本当のところは、今まさにベアトリーチェの背後で行われていた『それ』を食い止めるつもりだったから、だとしたら。

 彼女の行く手を阻み、みすみす『それ』を許し、最後には悪魔とまで呼ばれた。これらの状況証拠が指し示す事は……。

「ぶー、ぶー……?」

 名を呼ぶ。だが返事はない。

 さらに続く沈黙自体が許せなくて、ベアトリーチェは危険を承知で勢い良く振り返った。これ以上は一秒も耐えられなかった。とにかく彼らの無事を確かめたかった。

 そこに。

 その先に。

 丸っこいぬいぐるみのような姿をしたぶーぶーもいなければ、彼の友達になってくれた幼い忍もいない。庭先に佇むのはただ一人。


 白。



8(開始から一一時間三〇分)



 ぬいぐるみのようなぶーぶーや幼い忍も含めて、もう誰もいない。陣内邸の一般人にすがっても事態は好転しないだろう。

 ベアトリーチェはたった一人で『白き女王』と向かい合っていた。

 絶対に倒す事のできない相手。その怒りに触れないように生きるのが最善であり、下手につつけばその分だけこちらの寿命が縮む存在。圧倒的なカラミティ、全大陸を沈める大洪水や惑星全体を氷河期に突き落とす小惑星よりなお不吉なモノ。

「……っ」

 思わず歯噛みする。対愛歌用に陣内邸で得た【経験値】を使い切ったのがつくづく痛い。あれで新たな【魔法】の習得で乗り切る道も途絶えた。元々、君臨する女王に手傷を負わせられる【魔法】があるのかどうかも謎ではあるが。

「あら」

 手持ち無沙汰な感じで布団叩きを弄んでいた『白き女王』は、道端に生える雑草でも見るような目をこちらに向けた。ベアトリーチェを最後まで残していた事に、何か特別な意味があるという線もこれで消えた。たまたまだったのだ。何かの偶然で、彼女だけが災厄の死角にすっぽり収まっていた。だがそれは決して自らの力で克服した事にはならない。

「そこのあなた、あにうえがどちらへ行かれたのか存じておりませんか」

「……、」

 なんて答えれば良いのかは分からなかった。ただベアトリーチェは頭の中でいくつかの候補を思い浮かべ、そして選択した。

「……昨日の晩に、寝ぼけたそなたが連れ去ったよ。開かずの間に」

「あら。あらあらあら。わたくしったら! 恋する殿方に寝相の悪さを見せてしまうだなんて、それは少々はしたない真似をしてしまいましたわね」

 くすくすと楽しそうに笑う女王だが、それだけだった。いきなり飛びかかってくる様子もない。放っておけば会話を切り上げてそのまま立ち去ってしまいそうな勢いだった。

 たまたまの偶然だろうが、ベアトリーチェは最後まで生き延びた参加者だ。にも拘らず、『白き女王』の瞳にベアトリーチェは入っていない。いいや、そもそも彼女の見ている世界は何色に輝いているのだろうか。

 油断なくレイピア状の【兵輝】を構え直し、しかし、ベアトリーチェはその心細さに怖気が走る。これまで全ての積み重ねをまとめて否定されかかっているような、そんな恐怖があった。

 そもそも同じ世界に属する人間の愛歌でさえ、ベアトリーチェの【魔法】を手玉に取った。さらに神々の奥に潜むなんて存在なら、どれだけの反則技を使ってくる? 相手が未知過ぎて怖い。それは包丁の切っ先を突きつけられる既知の恐怖ではない。底の見えない古井戸を覗き込むような得体の知れなさを感じる。

 声が震えないよう、努めてゆっくりとベアトリーチェは言葉を紡いだ。

「……始めない、の?」

「理由がありませんもの」

【剣聖女】と違って何を気負うでもなく、ごくごく自然にゆったりとした口調で女王は語る。

「あにうえとの素敵な一時を嗜むため、戯れに幼子のルールに乗っかってみましたが、すでにあにうえはここになく、何より生存者一名でゲームは閉じています。こんぐらっちれーしょーん。今回の第一回寝ない王選手権はベアトリーチェ選手の優勝で幕引きです。ぱちぱちぱちぱちー。……で? ここからさらに地獄の裏ダンジョンでもお望みでございますか? わざわざ???」

 一瞬。

 ほんの一瞬、ベアトリーチェの弱い心は楽な方へと流れそうになった。それは否定しない。

「……そっちにはなくても」

 だが踏み止まる。

 渾身の力でもって、【剣聖女】は己の心を支える。

「こっちには戦う理由が腐るほどあるんだッ! 他のみんなはどうなった。ついさっきまでここで笑っていたぶーぶーは!?」

「あら」

 持ち主不明の布団叩きを手の中でくるくる回し、『白き女王』はゆっくりと小首を傾げる。

 そして言う。

「わざわざ知りたいのでございますか、そんな悪趣味な事」

「……ッッッ!!!???」

 まるで深い山の中で、埋めた場所を指差すような物言いに、今度こそベアトリーチェの全身が沸騰した。

 ボッ!! と周辺で炎が酸素を喰らう不気味な音を響かせるベアトリーチェに、しかし女王の相好は変わらない。地上で燃やす焚き火は、扱いを間違えれば山火事に発展するかもしれない。だが地表がどうなろうが太陽の輝きに変化はないのだと言わんばかりに。

「一つ。愛しのあにうえと戯れるため、見知らぬ幼子から借り受けたルールの中とはいえ、最後まで残ったあなたに情報という名の褒美を授けましょう」

「……?」

「わたくしを倒すのは良いとして、あなたはその後どうするつもりでしょう。より具体的には、どうやって元いた世界に帰るのか、という話になりますけれど」

 襲いかかってきたのは画一的な恐怖心とはまた違う。

 広い広い宇宙で、船外活動中に命綱をゆっくりと切断されていくような、圧倒的な孤独感。

『白き女王』は気軽に人差し指を立てて片目を瞑り、

「そして、こちらは二つ目に見えて、実は地続きの提起でございます。消えていったあなたのご友人は、では具体的にどこへ行ったのか。あらあら、ストレートに開かずの間の壁の中だなんて考えてはいませんよね?」

「……まさか」

「わたくしがあなたを追うのではございません。あなたにこそわたくしを追う理由がある。陣内邸開かずの間。わたくしは扉の向こうにわだかまる異空間の門番として振る舞っております。言ってしまえば、わたくしが扉を開け、中に引きずり込んだ場合に限り、開かずの間は開かずの間として駆動するのでございます」

 つ・ま・り、と『白き女王』は柔らかい唇を誇示する格好で。

 告げる。


「元に戻りたければ、わたくしの手で開かずの間に投げ込まれるしかない。そういう話をしているのでございますわあ☆」


 ごくりと呑み込む分の唾さえ残っていなかった。ベアトリーチェの喉は完全に干上がっていた。

 それは究極の二択だ。

 もちろん『白き女王』が嘘をついている可能性もある。というか、その可能性の方がずっと高い。得体の知れない男がテーブルに拳銃を置き、これは自在に夢を見るためのパスポートだと説明されて、さて銃口を咥えて引き金を引けるか。無理だ。できないに決まっている。そこまで露骨なら、いっそ信じる方が馬鹿だ。

 だが正味の話、『白き女王』を倒した後にどうやって帰還するのかについては確かに宙ぶらりんだった。

 根本的に、今この状況を乗り越えて『白き女王』を倒せるのか、という段階からしてすでにクリア不能な気がしないでもないが。

「あなたにできるのは三つ」

『白き女王』は囁く。

「頑丈な案内人に激突してバラバラになるか、頑丈な案内人を自分から殺して永遠に迷うか、頑丈な案内人に手を引かれていくか。皆がそれぞれ元の場所へと戻ったのに、あなただけが足掻く理由はいまいち見えないのでございますけどねえ?」

 やってみるまで分からない。

 最悪の謎解きだが、ベアトリーチェには一つだけすがるべき光明があった。

「……なら、どうして元からこの世界に住んでいた座敷童や陣内忍にまで襲いかかる必要があったの」

「あら」

「全員が元に戻ったのなら、少なくともあの二人はそのままここへ落ちてくるはず。だけど実際にはそうなっていない。そなたの言い分には穴がある」

 ヒュン、とレイピア状の【兵輝】を軽く振り、構え直して、ベアトリーチェは語る。

「……ならば取るべきは四つ目。『頑丈な案内人を倒した上で、方法を吐かせる』とさせてもらう!」



9(開始から一一時間四〇分)



 宣戦布告はした。

 だがベアトリーチェ側の手札はほとんどない。火力系だけで一万四〇〇〇ほどの【魔法】を習得している【剣聖女】だが、こんなものをどう組み合わせてもあの白い災厄に擦り傷一つ負わせる事はできないだろう。愛歌の時と違って小手先の技術で【魔法】を逸らすのではない。単純な耐久力で弾かれてしまいそうな気がする。

 つくづく全ての展開が痛い。世界の何もかもが女王を祝福しているようだ。あるいは一番最初の段階から全員が一致団結していれば、複数の世界の秘奥を束ねて『白き女王』に一糸を報いる可能性もあったかもしれないのに。しかも笑えないのが、率先して結束の輪を引き千切った者の中には、当のベアトリーチェ自身も含まれている事だ。彼女は最初と最後に二回もやっている。これでは誰も恨めない。

 そして。

 考えてみれば、あの『白き女王』が愛する城山恭介以外の木っ端のためにかける時間など、総数合わせても一秒あるはずもなかった。


 ズボアッッッ!!!!!! と。

 容赦なく赤い【剣聖女】の胸の真ん中を貫く、その美しくも禍々しい細い手の先。


 一撃。

 何がどうなったかもベアトリーチェには理解できなかった。複数の【パーセンテージ】系……装備の形をした【魔法】の補強をどうやって貫通させたのか。そもそも真正面から最短距離で接近してきたはずなのに全く見えなかったのは。こうして胸から背中まで貫かれているのに、見惚れたように痛みの感覚が遅れている理由は。そう、何もかもが尋常な戦いから外れている。異常だ。女王自身もそうだが、こんな存在と真っ向から激突できる人間がいるとしたら、そいつもそいつで完全に壊れているに違いない。

 それでもレイピアが指から離れずに引っかかっているのは、自分でも笑ってしまいそうだった。

 だが体感世界がどれだけ狂っていようが、現実の時間は容赦なく進む。こうして胸の中心を背中まで貫かれている以上、ベアトリーチェの命はもう数十秒と保たないだろう。ここからの逆転は不可能。『白き女王』の言が正しければ開かずの間に放り込まれて元の世界に帰還させれ、嘘ならばこのまま死ぬ。いや、胸を貫かれたまま戻されても助からないか。何にせよ、『白き女王』は手の届かない場所へ逃げ延び、擦り傷、一糸さえ報いる事ができずに終わる。

 使える【魔法】はない。

 振り分けられる【経験値】もない。

 ぶーぶーや他のみんなをやられて、なのに何もできずに脱落を待つばかり。


 本当に?

 ベアトリーチェ、お前は今、誰にも真似のできない特別な経験を得ている真っ最中じゃないのか。


 例えば。

 人の死は、誰にでも平等に訪れるものだ。だがその瞬間に得られる経験を有効に扱える人間は極めて少ない。

 例えば。

『白き女王』の激震は全世界に及ぶかもしれないが、直接その手にかかる人間はやはり限られている。

 こうしている事、そのもの。

 たとえ敗北し、死んでしまうとしても。全ては最大最悪の強敵からもたらされた遊びのようなものだったとしても。

 それは。

 あまりにも強烈な、そして何にでも割り振る事のできる、究極の【経験値】とは呼べないのか。

「……ぁ……」

 血を吐く事さえ忘れ、体を貫かれたまま、濁りかけたベアトリーチェの瞳が力を取り戻す。

 できるかもしれない。

 倒せるかどうかは怪しい。『白き女王』が嘘をついていたらおしまいだ。だが、もしも女王がベアトリーチェにわざわざ嘘をつくほど注視、警戒していなかったとしたら。そしてその技術が本当に『ある』としたら、やはり話は変わってくる。

 それは、ベアトリーチェの知っている【魔法】ではない。別の世界の技術体系。普通に考えれば、大人になってから一輪車の乗り方を覚えるようなもので、途中参加の方がかえって手こずるくらいだろう。

 だが今なら関係ない。

 どんな秘奥だろうがタップ一つ。『「白き女王」の手で直接殺害された』というジャックポットのような【経験値】の山が、あらゆる技術の習得を一瞬で果たす環境を整える。

 そして。

 死に瀕したベアトリーチェが最後の最後に伸ばしたその技術とは、

「……たしは、信じるよ」

「うん?」

「凄まじく邪悪な敵であるそなたの、邪悪なまでの強さ、何でもありなところを信じる」


 陣内邸の開かずの間。

 今は異空間の門と化したその部屋の、管理者権限。


 ゴッ!! と。

 強大な圧があった。それは見えざる風の形を取っていた。発生源は陣内邸の内部、秘されし一室。

「……あら」

『白き女王』は哀れな生贄の胸を貫いた細腕を引き抜き、適当に放り捨てた。消えたはずの人の気配がする。それも複数。多くの傷も構わず近づいてくる者の中には、きっと女王の焦がれるあの人もいる事だろう。それだけで胸が高鳴る。たまらなく自分を抑えられなくなってしまう。

「最後の最後にやってくれましたわね。このわたくしの願望を満たすとは、なかなかどうして」

 ベアトリーチェが夢見た通り、そこには複数の世界の秘奥があって。しかも、それらを束ねて最大限に利用できる頭脳と肉体を持った誰かまで揃っている。

 一つの世界では最強かもしれない『白き女王』であっても、今日この瞬間だけはどう話が転がるかは分からない。

 しかし、『白き女王』はあくまでも愛しい人との再会に集中していた。それ以外の何も目に入っていなかった。

「今回は眠ったら死ぬ世界、という事でございますし」

 うっとりと。片思いの相手にどんなお弁当を作ろうか思案する乙女の顔で、

「全身で抱き締めていい子いい子して子守唄を歌って差し上げるのも、立派な攻撃になるはず。きゃっ☆ やはり幼子の戯れに付き合って大正解でございますわあ……!!」


 そうして激闘の第二幕が開く。

 かの存在はたとえ愛しき人を刺し貫き、相討ちで自らの血にまみれてでも構わず幸福に溺れる『白き女王』。であればやはり、今この瞬間を存分に楽しむのみ。



10(開始から一二時間)



 回復専門、【白魔女】フィリニオンの回復薬で案外何とかなってしまうものらしい。そういえば狙撃銃で胸をぶち抜かれた時も彼女の回復に任せて銃火の中を強行突破した事があったような……?

「いやベアトリーチェ、そんなに楽観できる訳がないでしょう。歴史の改変すら許さない女王の一撃ですよ。今回はたまたまパーソナルな症状に対応した激レアな【調合】素材があったってだけの話ですってば」

 メガネが不穏な事を言い始める。

「それにしても、まさかあんなものが回復に使えるだなんて驚きですよねえ。ジントニックの要領でベース変えてウォッカトニック作っちゃう、って言いますか」

 ……そういやこいつリアルでは大学生なんだっけ、とベアトリーチェは遅れて思い出す。いまいち【剣聖女】には実感の湧かないたとえ話だった。せめていちごミルクと抹茶ミルクくらいのたとえにしてくれれば良いものを。

「おい牛、私に一体何を呑ませたの!?」

「うふ。あの超絶バトルの中でしかもぎ取れないウルトラミラクルレアとでも」

 慌てて起き上がると、そこは行った事もないのに不思議と懐かしさを覚える陣内邸ではなかった。見慣れた異世界グランズニールの、ありふれた平原だ。

(……元に、帰っ)

 フィリニオンは普段なら絶対に手に入らない材料を使って特別な回復薬を作り、そのおかげで胸に拳大の風穴が空いたベアトリーチェは一命を取り留めた。こうして見る限り、傷らしい傷も見当たらない。

「フィリニオン」

 ただし。

 そうなると。

「……私達は、勝ったの?」

 恐る恐るといった質問に、馴染みのフィリニオンは小さく笑った。常識的に考えれば分かる。あの女王に対して、良心に訴えて見逃してもらえるなんて選択肢はない。こうして生きて帰ってきた以上、彼女の意にそぐわない結末を力技で納得させたに違いない。

「ありえる可能性は二つです」

 ところが、フィリニオンは明言しなかった。敢えての遠回り。まるで脅えるベアトリーチェをからかうように、こんな事を言い始めたのだ。

「一つ目は、言うまでもなく私達の総力を結集して『白き女王』を退け、回復薬の素材も奪っていた、というもの」

 では、もう一つは。

【白魔女】フィリニオンは少々悪趣味な趣向を滲ませた。その敬語の質が、わずかに、ほんの少しだけ変わっていったのだ。

 そう、白は言った。


「二つ目は、全員やられてみんな仲良く夢の中、という可能性でございます。さあて、あなたはどちらが現実的だと思いまして?」



Fin