1


 ……どういう状況だ?

 冬晴れの突き抜けた青空の下。ガソリンや煙の匂いのする中で、ひしゃげたパトカーの側面に張り付きながら、俺は痛む頭で必死に考えていた。

 ここは市ヶ谷。

 駅前の釣り堀や某放送局の支社なんかのランドマークでお馴染みだが、なんと言っても大きいのは防衛省の施設だろう。軍用の大きなアンテナ塔は街にいればどこからでも見えるくらいだ。

 この日はちょっとしたパレードのはずだった。新しく来たどこぞの大使が平和ボケした軍事マニアで、各国の拠点を歴女感覚で見物に出かけるのが趣味らしい。

 当座の警備を自衛隊でやるのか警察でやるのかはかなり揉めたみたいだけど、現場としては気楽なものだった。まあパレードに参加できるのは警護課を中心にした、厳しい身辺調査をクリアした連中だけだから、建前ではパレードのコースに従って、たまたま似たような道をなぞるようにパトロールしている事になっているんだろうけど。

 末席、妖怪絡みの事件を専門に扱う零外係(れいがいがかり)。いるのは民間出向の推理マニアの菱神艶美(ひしがみえんび)とか、八河巴(はちかわともえ)さんとか、まあ何故だか女子中学生ばかり。流石に車の運転をできない、そもそも民間出向の人達まで駆り出される事はなかったけど。

 そんなこんなで俺、内幕隼(うちまくはやぶさ)だけが零外係から回されてきた。

 それだけだった。

 ほんの二、三時間の拘束程度のはずだった。

 なのに、だ。


 いきなりだった。

 封鎖しているはずの交差点から別の車列が突っ込んできたんだ。


 これが武装集団とかだったら大事件だ。

 だけど真実はもっと面倒臭かったんだ。

「……くそ、何でジャングルカラーに塗った自衛隊の四駆が突っ込んで来るんだ!?」

「警備取られた腹いせとかじゃねえだろうな。てかありゃ何だ、女の子!?」

 同じ車で仲良く身を隠しながら、組織犯罪対策部の重戦車、外堀岳(そとぼりがく)が素っ頓狂な声を上げる。

 辺りは警察と自衛隊、双方のひしゃげた車の群れ。

 ガシャガシャガシャ! と短い距離を挟んでお互いに銃口を突きつけ合う中心地点に、一際異彩を放つ影があった。

 例の大使じゃない。

 外堀は言った、女の子だと。


 それはまるで白い魔女。


 一八歳くらいの少女だ。ざらりとした長い白髪に、足首まであるワンピースを簡略化したような衣服。手首や足首には革のベルトが巻いてあり、短い鎖や……その先にあるのは、ソフトボール大の、鉄球か?

 混乱する俺達に、両陣営の間で指揮者のように緩く両手を上げる少女は大きな声を張り上げた。

 「よっぽど私にご執心のようだが、流石にまずいんじゃないか! 国際問題だぞ、自衛隊!!」

『黙りなさい!』

 応じたのは軍用四駆の屋根についたスピーカー。

 実際に話をしているのは、迷彩服よりも高級スーツを纏って社長秘書でもやっていた方が似合いそうな女性だった。

『パレードの中に逃げ込めば安全上の理由から銃を持った私達は近づけなくなるとでも? あるいは警察関係との縄張り問題? 私達はそんなものはどうでも良い! 菱神天(ひしがみあま)、ここであなたを取り逃がすよりは!!』

 心臓が跳ねた。

 ひしがみ? 菱神!? あの推理マニアの艶美や、もっとヤバい舞(まい)のヤツと同じ……『菱神の女』ってヤツか!

 対して、白髪の少女は気軽なものだった。

「暴走自衛隊都内で乱射事件。明日の新聞が楽しみだ! いや臨時速報レベルかな。ともあれそこまでして『菱神の男』のご機嫌が気になるのか。そりゃあ菱神グループは装備品調達先の最大手だ、揉み手で今後ともよろしくって感じなんだろうが、私は哀しいよ! 国民放ったらかしで企業の走狗になるとはな!」

『菱神は関係ありません!』

「どうでも良い。そして悪いがここで捕まる訳にもいかないんだ、特に『男達』とつるんでいるお宅らとはな。そんな訳でもう少し引っ掻き回させてもらおうか。具体的には……民衆のために戦ってくれる警察官の手を借りてな!」

 ギョッとした。

 思わず外堀と顔を合わせる。

「おいやべえぞ、なんか知らねえけどこっち来る……うごっ!?」

「外堀!?」

 何だ、何が起きた!?

 まだ白い魔女との距離はあったはずだ。なのに気がつけば白い布がひらりと目の前を舞って、そして柔道何段か忘れた重戦車がぐるりと投げ飛ばされて目を回している。

 まして、俺達は拳銃を持っているのに!

「っ、動く、な……!!」

「よせ、よせ、よせ」

 赤子の手をひねるようだった。

 やられても何をされたのか分からない。拳銃をあっさり奪い取られ、片手一本で後ろ手に関節を極められる。鉄球付きでこの動きか、くそ!

 俺を盾にするつもりなのか、そのまま後ろから密着された。

 背中に柔らかいものが当たり、耳に甘い吐息を吹きかけられる。

「地下で耳栓しながら紙の的にパンパン撃つ程度の腕ならグアム辺りで遊んでろ。似合わないぞー刑事さん」

「くそ、艶美じゃなくて舞に近い菱神か!?」

「おや、私達の名前を知っているか。しかも恐怖がこびりついている訳でもない。興味深いな、その『希望』」

 ガシャガシャ! と警察に自衛隊、両方の銃が一斉に集中する。

 俺の体を盾にし、背中に拳銃を押し付けながら、菱神天は笑っていた。

「やめておけ、全周包囲で一斉に発砲しても同士討ちになるだけだ。君達は所属は違ってもこの国の平和のために働いているんだろう? そんな哀しい結末は似合わない!」

「うぐっ……! だからお前のせいでそうなっているんだろうが!」

「黙るんだ刑事さん。言っておくが、これは君達のためでもあるんだぞ」

『一〇数えます』

「向こうもやる気だし。それで! こんな美味しい状況で、わざわざ人質を手放すとでも!?」

『彼も公僕でしょう。社会安定のため、職務に殉じてください』

 ぶっ!?

「まともなヤツは一人もいないのか! VIPの大使が霞んでいるとかお前ら全体的に濃すぎるぞ!」

「まったくだ。そしてブラフに付き合っている暇もない」

 菱神天は囁いて、

「来るぞ。私の本当の追っ手がだ」

 直後の出来事だった。

 『それ』は来た。


2


 まるで隕石だった。

 ドゴア!! という爆音。少し離れたパトカーが押し潰され、勢い良く爆発する。続いて自衛隊の四駆も。慌てて退避する自衛官が爆風に体を叩かれて昏倒する。

 でも、具体的には何が?

 菱神天に片手をひねられたまま真上を見ると、太陽の光が遮られた。

 青空にいくつもの塊。

 あれは、

「なん、だ!? コンクリート!?」

「知らないのか、竜巻が起きれば建材は数千メートルまで舞い上げられる。当然、上がったものは再び落ちてくる。たっぷり重力加速を得て、パチンコ玉一つで人死にが出るレベルでな、伏せろ」

 ゴン! ガン!! と次々に重たい音が響く。

 そのたびに心臓が縮む。

 見ればビルとビルの合間にある遠くの空で、濁った灰色の柱みたいなものがゆっくり移動しているのが分かる。まさかあれが……例の、竜巻……?

「おそらく天狗(てんぐ)の扇などの伝承を組み込んで人工的に竜巻を起こしている。これは失(しつ)辺りかな。教育を破壊するとか何とか言っているが、ベースに牛若丸(うしわかまる)の伝承を利用していたはずだし」

 脆いものだった。

 警察にしても自衛隊にしても、最初の前提として車を盾にしている。だけどその盾を次々に押し潰されてしまえばどうにもならない。統率を維持できず、右往左往の壊走しかない。

「あまり狙いが正確でないからやめろと言っているんだが……さて刑事さん、君はどうする」

「な、に?」

「他にも何人か『菱神の女』が私を狙っている。私がここを離れない限り、哀れな同僚の命が危ない。君も私を野放しにしたくないだろうが、だったらそっちがついてくれば良い」

「……、」

「そして何より、君の仕事はどこぞの大使の身を守る事ではなかったかな? 立ち振る舞いを見るに警護課の人間ではなさそうだが、だからと言って職務放棄もしたくはないだろう」

 くそ。

 選択の余地なしか。外堀は目を回しているし、大使がどこ行ったか把握できないし、そもそも腕を極められている。

「分かったよ、それで行こう」

「決断の早さは評価しよう内幕刑事。だがもう少し注意力を身につけるべきだな」

「あっ、俺の警察手帳!?」

 白い魔女は背中に回した俺の手を離すと、警察手帳と拳銃を放り投げてくる。

 驚いた。

 てっきり拳銃はキープしたままだと思ったが。

「良いのか?」

「そんなもので私は殺せない。他の『菱神の女』もな」

 天の白い頭が揺れた。

 直後。


 ドッパァァァン!! と。

 とんでもない爆音が炸裂し、パトカーの扉に握り拳大の風穴が空く。


「こん、どは何だ!? 狙撃、自衛隊か!」

「音で気づけよ、一九四一なんて骨董品をヤツらが使う訳ないだろう。早速もう一人、別口が来てるな。それより走れ、私の後についてこい。そのリボルバーで対戦車ライフルと戦うつもりがないならな」

 もうメチャクチャだった。

 相変わらずの竜巻に大型の狙撃銃。都合二組の刺客に追われっ放し。

 とにかく大混乱の中、菱神天の背中を見失わないように走る。相手は鉄球付きなのに全然追い着けない。ドゴン! バギン!! とその間も不定期に破砕音が追い掛けてきて足がすくむが、立ち止まっても事態は好転しない。あんなクラスならパトカーは盾にならない。まとめてやられる。

「はっは! 信じられるか内幕刑事、私達は今! 七〇年も前に戦車をぶち抜いたデカブツライフルで命を狙われている訳だ。歴史を感じるなあ!」

「うるさい変態ども! あれは何なんだ!?」

「『制度を破壊する由(ゆう)』。ご覧の通りの旧ソ連ゲテモノ兵器マニアでガチムチの武闘派。失が大雑把にやって由が仕上げか、生意気に連携なんぞ覚えやがって」

 車両が爆発して黒煙が立ち上っているのも少しはプラスに働いているのか。

 俺達はメチャクチャな車列を脱し、何とかしてまだ使えそうなパトカーまで辿り着く。

 運転席のドアを掴んだが、ガギッ! と硬い感触が返る。ああもう、律儀にロックしやがって!

 窓に肘を叩き込んだが、亀裂も入らない。

「防弾かよ……! パレード仕様め、肘じーんとする……!!」

「じゃれている暇はないぞ、由に撃たれる。なのでちょいと失礼」

 注意力を身につけるべきとは言われた。

 でも、流石に片手一本でネクタイをするりと抜き取られるとギョッとする。

 そしてそれどころではなかった。


 ゾン!! と。


 刺さった。

 天の振るったネクタイが、パトカーのドアの隙間へ。いいや、そのまま真下に引かれる。内部の金具が破壊される音が響く。

 嘘だろ。

 斧みたいに、潰し斬っ、た……?

 白い魔女はガパリとドアを開けながら、

「返す。何だ、不思議そうな顔して。髪の毛一本あれば虎くらい殺せるものだろう。ましてネクタイだぞ」

「いや、ちょっと待てどんだけ達人なんだおま……!!」

「話は後だ、一九四一でやられたいのか。ほら乗った乗った!」

 拘泥する前に開いた運転席へ蹴り入れられた。さらに天が乗り込んでくる。

 ……俺の膝の上に、だ。

「お前ふざけているのか!」

「いちいち助手席に回っていられない。このまま出発進行だ」

「道交法!」

「なんだー男の膝の上に乗って運転してはならないなんて条文はあったかな」

 もうどうにでもしてくれ。

 ほとんど投げやりになっていると、天はハンドル下のイグニッションを素手で破壊しながら、

「いやーそれにしても、一度で良いから握ってみたかったんだ。ハンドル」

「やっぱダメだ! それだけ自信満々で無免なのかよおー!!」

 とはいえ、もたもたしていると菱神由とかいうのの一九四一でやられる。

 そんなこんなで世にも奇妙な二人羽織スタイルで本当に出発進行。

 ……こんなので公道走るだなんて、ほんとに刑事人生に黄色信号が点いていないか?

「では改めて、お気に入り君。私は天、菱神天だ。年齢一八歳、性別女性、学歴なし、学校教育は一度も受けていない。うん、国民の義務に反しているな。周りからは『希望を破壊する天』などと呼ばれているぞ。個人でも集団でもどんとこいだ、どうぞよろしく」

「次々と俺の呼び名が変わっているけど内幕隼だ。ていうか紹介されても何にも分かんないとかどうなってんだ!?」