カレン
アークエネミー同士を戦わせる「コロシアム」の司会役。
井東ヘレン
アークエネミー【魔女】
黒山ヒノキ
アークエネミー【人魚】
第一章
1
いきなりの連続で頭の中はパンク寸前だけど、いつまでも惚けていられない。
初戦は一〇時スタート。
それは全国中継の公開処刑が始まる時間だ。
「今は……八時過ぎか」
もう開始まで二時間もない。
肝心の試合はどこで行われる?
井東ヘレンはついさっきまで表を歩いていた。光十字が連れ去ったにしても、そんなに遠くまでは運べないはず。それに青いバニーガールもホームグラウンドは供饗市だ、といった事を言っていた。だとすると近い。光十字は相変わらずこの街に根を張っている。
井東ヘレンはどこで捕まり、どこへ閉じ込められたんだろう。
「マクスウェル、警察に通報」
『ノー。どこへでしょうか。被害者か加害者、どちらかの位置情報が分からない限り、警察官を急行させる事はできません』
「テレビの中でこれだけの事が起きているんだ! 目撃者は一億人以上いるんだぞ。止めない方がおかしいだろう!?」
『ノー。これが中継のふりをした録画やまるっと全部フィクションであれば糾弾できません。日本国内のふりをして実は海外からの中継の可能性もあります。まずは「テレビの向こう側」が日本の法律の適用範囲にいるのかを調べる必要があります』
「あと二時間もないんだぞ」
『シュア。だからこそ、彼らも大々的に発表しても問題ないとみなしたのでしょう。今さら誰にも開催を止められないと』
「……くそっ」
頭のおかしい動画投稿バカでもない限り光十字だって保身くらい考える。
ここまでやるって事は、ここまでやっても罪に問われない仕組みを水面下で作っていたとでも言うのか!?
……待てよ、動画?
「マクスウェル、これまであった、正しい意味での『コロシアム』のデータをネットに流せないか。そうすれば『テレビの向こう側』がどれだけおぞましいかみんなに伝わるはずだ!」
『ノー。ユーザー様が得たのはシミュレーション上のデータであり、現実に目撃した情報ではありません。つまり証拠能力はありません。……現に、地下はもぬけの殻でもありますし』
現実で火消しをした光十字と、仮想で真実を暴いた僕達。
二つがぶつかると、光十字が勝ってしまう訳か。
ヤツらは都合が悪いと分かっているから地下を引き払って場所を変えたっていうのに!
警察は頼れない。
ネットに真実を流しても意味はない。
誰も味方がいない。
「……どうする?」
光十字は僕達のシミュレーションより先に行っていた。
残虐極まる『コロシアム』は全国公認の存在に格上げされた。
そこで戦わされるのは同じ学校の後輩、井東ヘレンだった。
「……ここから、一体、何ができる……?」
僕に何が。
非現実的なヒーロー妄想に用はない。無力だ非力だと嘆いて放り出すのも後回しだ。
実際問題、どこまで手を伸ばせるのか。自分の手の長さはどれくらいか。
こっちは光十字の新しい本拠地も分からない。あの後捕まったらしき井東ヘレンがどこに監禁されているのかも。
欲しいのは情報だ。
光十字と井東ヘレン。場所についてはどちらもイコールで結ばれる。魔女と呼ばれた後輩は光十字にさらわれたのだから、光十字の拠点や隠れ家に押し込まれているはずだ。
時間は少ない。
無駄弾は撃てない。
だからこそ、遠回りになってでも確実なコースを進むしかない。後になってから行き止まりにぶつかって、何度も何度も無様にUターンしないように。
だとすると、
「……姉さんやアユミなら」
あの二人は、かつて光十字の最終試験を乗り越え、人間社会に適応可能として自由の身になった経緯があったはずだ。つまり、無関係じゃない。相談すれば何か心当たりを教えてくれるかも。
でもって。
家まで戻って玄関のドアを開けたところで、いきなりエリカ姉さんと妹のアユミからダブルで襲われた。
「おらーっ! あたしのメロンパンどこ行ったか答えろお兄ちゃーん!? ふぐうー!!」
「あらあら困りましたねお姉ちゃんはしたない真似はあまり好まないんですけど」
そう。
我が家のメロンパン問題が割と宙ぶらりんだった!?
「ぎゃあああっ! 右の腕ひしぎ十字固めと左の腕ひしぎ十字固めが同時に来ちゃうともう永遠に脱出できない! タップもできないっ!!」
あとキサマら腕ひしぎって事は僕の腕を自分から女の子の股で挟む構図になるんだけど分かっててやってるんだろうなっ! 後になってからきゃーえっちーの追加ダメージは受け付けないぞ! 特にネグリジェ一枚の姉さん。この感触はもしやはいてない状態じゃないのかアンターっ!?
「あり? お兄ちゃんこのレジ袋なに?」
「この匂いは……どうして朝美屋さんのメロンパンがここにあるんです!?」
せ、説明せねばなるまい。
「朝美屋のメロンパンは確かに一日限定二〇個の激レア品だが、それとは別に地域物産店にもいくらか卸しているのだ。そして何故だかちょっとお高い有機野菜系コンビニのナチュラルセブンが物産店登録されていて朝美屋のメロンパンが流れてくる事がある! だってマクスウェルが全部教えてくれたもの!!」
魔法の言葉によりダブル腕ひしぎの呪いが解けた。
「おーっ! これが夢にまで見た限定モノ……」
「あら、しっかり二つ買ってきてくれたんですね。愛い愛い」
……姉さん達からすれば、一つしかないメロンパンがプロレス技をかけたら二つに増えたようなもんだ。変な味を覚えないように祈るしかない。
と、何やらエリカ姉さんとアユミがそれぞれメロンパンを二つに割り始めた。
「ちょっと姉さん達何してんの? 大きくて頬張れない派?」
「え、だって」
「二つしかないとお兄ちゃんの分がないじゃん」
むしろキョトンとされてしまった。
「いやいや、これは僕の罪を洗い流す禊の儀式っていうかすでに最初の一個を一人で食べているんだけど」
「そんなの関係ありませーん。器が大きくて美人で優しくて頭の良いおっぱいの大きなお姉ちゃんはサトリくんだけ置いてきぼりのままご馳走を頂戴するなんて選択を良しとはしないのでーす」
……なんか計算が合わない気がするんだけどな。姉さんとアユミから半分ずつもらうと、僕だけ丸々一つ分ゲットする事になるし。だっていうのに二人ともこれ以上ないってくらいの笑顔でメロンパンを頬張り始めた。
ひょっとすると、メロンパン横取りされたから怒っていたんじゃなくて、みんなで分け合わなかった事にぷんすかしていたのかな。
でも、ピリピリした感じがなくなった今なら、あの話を切り出せそうだ。
「姉さん、アユミも。ちょっと相談があるんだけど」
「ふぁにー?」
「アユミちゃん、飲み込んでから話しなさい。それでサトリくん、相談って何ですか?」
うん、と僕は頷いて、
「あのさ、光じゅう
ゾンッッッ!!!!!! と。
直後に、真正面から二対の眼光に魂を射貫かれた。
「かっ……は……?」
呼吸が、詰まる。
二人とも相変わらず寝巻きでメロンパン頬張っているだけなのに、完全に目の色が違う。
「……うーん、できればお兄ちゃんの口から『あの名前』は出してほしくなかったんだけどなあ」
「仕方ありませんよ。表の乱痴気騒ぎはリビングのテレビにも映っていましたし」
そうだ、『あれ』の開催はテレビで流れていたんだ。
だとしたら、姉さん達もまた知っているはずだ。地下深くで行われてきたレベル4、『コロシアム』の措置がいきなり突然変異で形を変えたって事くらい。
爛々と目を輝かせる姉妹に囚われながら、大蛇の正面で縮まるカエルの気持ちで正座開始。
「そ、そのう。例の『コロシアム』に学校の後輩が捕まっているようなので、試合開始前に何とかしてあげたい所存なのでございますが……」
「へえー。おもしろーい。あの超インドア派モヤシお兄ちゃんが天下の光十字にケンカを売るだって。一体いつからお兄ちゃんは天に選ばれし正義の戦士達になったのかなあ?」
「ですよねえ。だったらいっそ私とアユミちゃんが暴れ回った方がまだしも可能性がありそうだっていうのに。うふふ。供饗市が吸血鬼とゾンビで埋め尽くされたら流石の光十字もシナリオ通りに事を進めるのは難しくなりますし」
待て待て馬鹿野郎。
どうしようもなく本末転倒してないか!?
「今回は災害環境シミュレータが作り上げたバーチャルじゃないんだ! コンティニューなんかないんだよ!! リアルの世界を吸血鬼とゾンビで埋め尽くしてどうすん……!!」
叫びかけた僕の唇に、ピッ、と姉さんとアユミの人差し指の腹が触れた。
口止めして、そして彼女達は言う。
「……お兄ちゃんこそ分かってる? 今度はリアルで命の取り合いをするって、コト」
「っ」
「あらあら。吸血鬼やゾンビと違って、人間であるサトリくんの残機は待ったなしだと思うんですけど。『あの』光十字の案件に関わって、失敗が何を意味するか……想像が及んでいないんでしょうか」
そう。
姉さん達は、分からないはずがないんだ。
あの地獄の地下世界、本来の意味での『コロシアム』の中で生き残り続けた二人なら、光十字がどれだけえげつないか骨身に沁みているはずなんだ。
ヤツらが、相手は同じ人間だからで手加減してくれるか? 見逃してくれるか?
そんな訳があるか。
『何か』があった時、危害が及ぶのは僕だけか? 家にいる姉さんやアユミ、父さん母さんは? 学校や隣近所は? 委員長だって盾に取られるかもしれない。連中なら何だってありえる。
井東ヘレンは学校の後輩だ。
それだけなんだ。
姉さん達や委員長と天秤に掛けたら、結果がどうなるかは一目瞭然。
そこまでして助ける意義があるのか?
僕は何がしたいんだ?
思って。
考えて。
そして僕は、改めて顔を上げて、本物の地獄を知る二人と向き合った。
「だったらなおの事立ち向かわなきゃダメだ。そんな連中が僕の大切なものに指一本でも触れるリスクがあるなら、撃滅しなきゃダメに決まっているだろう」
そう。
そうだ。
光十字はすでに触れた。僕の生まれ育った街の足元に得体のしれない処刑施設を造って、無数のアークエネミー達を無慈悲に処分し、姉さんやアユミをまな板に載せて、そして今、同じ学校の後輩にまで手を伸ばした。
この手が、それで終わりなんて誰が断言できる?
明日には姉さんやアユミがテレビの中で脅えているかもしれない。僕や委員長だって光十字にとって都合が悪ければ、適当なアークエネミー『という事に』して不死者同士の殺し合いに紛れて死なせる事もできるはずだ。
「誰かを見捨てる人間は、誰かに見捨てられる人間だ」
ふつふつと、腹の奥から熱が沸く。
その熱に逆らわずに僕は言う。
「正直者が馬鹿を見る事だってあると思う。だけど、最初から誰も助けないヤツがいつまでも助けてもらえるなんて事は絶対にない。僕は、テレビの向こうの井東ヘレンみたいになりたくない。なりたくないから、同じ境遇の人を助けるんだ。助けなくちゃいけないんだ! どれくらい深い知り合いかなんて関係なく!!」
だって嫌だろう。エリカ姉さんやアユミが悪意満点のテレビで大写しにされるなんて。
オッズをつけられて賭け事のオモチャにされるなんて。
立場が逆だったら、井東ヘレンが僕達を助けに来てくれるかは分からない。
だけど、だからって見捨てる理由になんかならない。
胸を張って生きたいんだ。
井東ヘレンって名前がちらつくたびに、俯いて胃袋を片手で押さえるような人生なんて真っ平なんだ!
「……今度はリアルだ。やり直しもコンティニューもない」
ちくしょう。
口に出せば分かる。こんなにも簡単な話。
「だからなんだ。だからこそ失敗はできない! こんなところで見失ってたまるか、当たり前の道を踏み外してたまるか! 井東ヘレンを助ける? 当然だろって二つ返事で答えてやらなくて、一体何が『人間』なんだよっっっ!!!!!!」
エリカ姉さんと妹のアユミは、ぽかんとしていた。
あんまりにも具体性がなさ過ぎて、いっそ呆れ返ったのかもしれない。
「……世の中全部の人達が、サトリくんみたいだったらね」
「?」
姉さんが口の中で何か呟いたみたいだった。
「何でもありませんっ。ともあれ、お姉ちゃんとしては大事な弟を危険な場所へは連れていけません。だからノーヒント、光十字なんて連中に繋がる答えなんか教えてあげないんだから」
「っ」
「……って言っても、どうせお兄ちゃんは一人きりで井東ヘレンを助けに行っちゃうんだよね?」
「あ、ああ。そうだとも、アユミ達の協力がないならそれまでだ。僕は一人きりでもやる! 当たり前の事を!! だってあの子は僕達とどう違うっていうんだ!!」
「だったら勝手に調べなさい」
姉さんは息を吐いて、そう言った。
ただし、そこに留まらず、
「サトリくん。確かに光十字は大きい。途方もなく。だけど巨大組織には巨大組織なりの穴があるんですよ?」
「情報戦もイロハで種類が違うって事だよ、お兄ちゃん。情報っていうのは、集める、広める、そして隠し通す、って感じに分類される。光十字は世界中どこにでもいるから、集める、広める、は大の得意。だけど反面、隠し通す、は弱いんだ」
「あ」
言われてみれば、僕達は光十字という名前や存在を知っている。
世界最大の諜報機関であるCIAだって、本来は『世界一有名で誰でも知っている』じゃ困るんだ。彼らは有名になるよう努力したんじゃない。組織が大きくなりすぎて、有名になってしまったんだ。
光十字はどうして地下を引き払った?
それは、僕に気づかれたから。
膨大なシミュレーションデータに基づいて甚大な攻撃を受けるのを恐れたから。
恐れた?
あれだけの規模を誇る光十字が、僕を恐れていた……?
「……、」
煙に巻かれるな。
もう一度、状況を見据えろ。
井東ヘレンを取り巻く今回の一件には誰が、どこが、何が、関わっている? 一番深い闇は何だ? 姉さん達は言っていた。光十字は巨大過ぎるが故に、自分達の存在を隠しきれないって。だから、姿を捉えても手出しのできない状況を無理矢理セッティングしたんだ。
「……ありがとう。姉さん、それにアユミも。ようやくやるべき事が見えてきた」
やれやれ、と姉妹は二人して肩をすくめていた。
出来の悪い家族でごめん。
だけど僕は行かなきゃならない。立ち向かわなくちゃならない。この最悪の理不尽にして不条理と。
だから僕は。
家で待つ家族に背を向けて、こう告げた。
「行ってくる」
2
家を出る。
そこは剥き出しの夜気。
月の明かりさえ凶々しく映る、真なる夜。
「マクスウェル」
『シュア、命令待機を解除。ユーザー様、何なりとオーダーを』
「井東ヘレンの自宅周辺の通信をチェック。ひとまず警察への通報の有無から」
『本日午後八時三分、自宅固定回線から一一〇へ通報あり。二分四五秒の通話記録があります』
まあ、テレビでいきなり自分の娘がリングに上げられるだなんて話になれば当然、か?
いや。
「僕と違って、あれが本物の殺し合いだなんて事には気づきようがないはずだ。マイクパフォーマンスで遺体だの何だの言っていたって所詮は口先だし。いきなり警察は二段飛ばしな印象があるな」
『強引なスカウトや誘拐の線と考えたのではないでしょうか。警察の後は供饗第一放送の総合受付に掛けています。こちらも通話記録あり』
「テレビ局も知らぬ存ぜぬか? でもどうやって?」
『我々は海外のテレビプログラムを購入・中継しているだけなので番組構成にはノータッチ。意見があるなら社会主義カルナルグラード国営放送に掛け合ってくれ、と』
そんな訳あるか。
というかそんな国あるか。
「ならそこからだな」
警察が面食らうのはまだ分かる。光十字に抱き込まれた上層部ならともかく、末端の職員はまさかテレビ中継のど真ん中で堂々と人殺しをしようとしている大胆不敵な連中がいると信じられないのかもしれない。
だけど放送局のあしらい方は明らかに悪意がある。あらかじめ封殺するためのマニュアルがちらついている。
全員が全員、光十字の手先って訳じゃないだろう。だけど確実に根付いている。
供饗第一放送。
ここを叩けば埃が出そうだ。
……ドンピシャで井東ヘレンがいれば良いんだけど。それがダメなら放送機材をいじって事故を起こす方向でもヤツらの茶番劇を食い止められるかもしれない。
「マクスウェル、放送局へ行こう。中に入るためにはお前の力がいる。協力してくれるか?」
『シュア。システムの認めたユーザー様は一人きりですので』
二つ返事とはありがたい。
テレビ局襲撃って、もう新聞の見出しじゃテロリスト扱いされてもおかしくないっていうのにさ。
時刻は九時前。
まだ電車は動いている時間だ。
国際組織と戦おうっていうのに、ICカードがないと現場に辿り着けないっていうんだから笑える。
週末って訳でもないのに、夜の駅前は賑やかだった。
家電量販店のビルの壁にへばりついた大画面の中では密林の蝶みたいに青く輝くバニーガールがにこやかな笑みを浮かべている。
『いやーついに始まりましたね「コロシアム」。でもでもアークエネミーとか言われてもピンと来ませんが、魔女と人魚、どっちが恐ろしいものなんでしょう?』
『魔女は定義が広いので何とも言えませんが、人魚の方は分かりやすい。童話と違って史実の人魚はヒトクイですからな。岩に腰掛けて惑いの歌声で船乗りを海へ落とし、もがく餌を海底へ引きずり込んで捕食する。まさに典型的なアークエネミーですよ』
『おやおやあ。となると大方の予想通り、より化け物っぽい人魚の優勢って事ですかね?』
『これが何とも断言しにくい。聞いた話では井東ヘレンはギリシア式、もっと言えばキルケに基づく系譜の魔女であるらしい。すると最も恐ろしいのは……』
虫唾が走る。
だけど誰も彼も、大画面に石を投げる人はいない。それどころか、
「押さないでー! 押さないでください! チケットは九時五〇分まで受け付けています! まだまだ余裕はありますので皆さん落ち着いてー!!」
宝くじみたいなボックス状の売り場で年上のお姉さんが大声を上げていた。
「オールオアナッシング! 全ては二つに一つ、賭け事としちゃ初歩の初歩、競馬や競輪よりはるかに簡単さ。分からないなら予想屋のおじちゃんがコツを教えてやろう。楽して儲かる情報は欲しくないか!?」
売り場の近くの人だかりでは、そんな声も珍しくない。
ちらほらと見える制服警官にしたって、
『ガガッ! はいはーい、良い子の皆さんはルールを守って紳士淑女の遊びを楽しんでくださいネッ。ダンサーポリスは素敵な夜をぶち壊しにしたくはありませーん』
……どいつもこいつも。
おそらくこの全てに光十字が関わっている訳じゃない。正体不明の予想屋までこの日のために口裏を合わせて今まで黙っていたとは思えない。ダンサーポリスだの何だの、彼らにとっても寝耳に水だったはずだ。
『美しい日本のハイビジョン。新時代の「コロシアム」には新時代の高画質を』
『ハチマタはダイブデバイスのリーディングカンパニーを宣言します。次なる娯楽は観るから触れるに。ハチマタエレクトロニクスは「コロシアム」を応援しています』
その上で、順応した。
即座に波に乗って、盛り上げ役としての居場所に収まった。
「……ある意味じゃ光十字そのものより醜悪だ」
『周辺一帯の電源を落としますか?』
それをやったらさぞかし爽快だろう。だけど意味がない。
とにかく駅舎に入り、列車に乗る。
自動ドアの上にある電光式の広告にもこんな文字列が躍っていた。
『キルケの魔女VSヒトクイ人魚。億万長者のカウントダウンはあと四三分二〇秒。チケット購入はお早めに!』
……世界はいつから狂っていたんだろう。
最初から、とは思いたくない。
何かきっかけがあってほしい。壊れた歯車さえ直せば、全部元に戻るって。
電車を使って放送局の近くまで来ると、こっちもこっちで大騒ぎだった。
とはいえ、単純なギャンブル狂いとは違うみたいだ。一体どこから引っ張ってきたのか、井東ヘレンの写真を大きく引き伸ばしたパネルやプラカードを持った一団と出くわした。
「ヘレンたーん! 俺達のエールよとどけーっ!!」
「うおおっ! 僕らは君の味方だぞー!! 絶対勝利を祈願してーっ、さんさんななびょおーっし!!」
……何が味方だ。
本気でそう思っているなら、どうして本物の殺し合いへ背中を押せるんだ!?
『ユーザー様、放送局前まで行くのは容易いですが、どうやって中に入るつもりですか』
「他力本願」
そのまんま正面ゲートに向かった。
当然のように左右の警備員がこちらを睨みつけてくるが、
「お疲れさまーっす」
適当に言って、ガラスの自動ドアの横にあった認証パネルに掌を押し付ける。
……手の中のスマホごと。
本来は銀行ATMと同じ静脈スキャナなんだろうけど、マクスウェルのマシンパワーがあればお構いなしだ。
ピーッ、という定型の電子音と共に、パネル全体が安全を示す緑色の光を放つ。
ごつい警備員は会釈までしてくれた。
「ご苦労さん」
「どもども」
適当に言いながらガラスのゲートを素通りする。
『清掃バイトとして潜り込むのが最適です。労働基準法により一八歳未満の未成年は夜八時以降の労働は禁じられているため、童顔の大学生という事にするのが妥当でしょう』
「……マジかよ。データの上では姉さんより年上な訳? どんな世界に生きているのか全く想像がつかん」
必要なのは公開生放送の『コロシアム』についてのデータだ。
『局内イントラネットに侵入中……』
結果は三〇秒で開示された。
『七階、第二歌謡ホールに大量の資材の搬入記録あり。総合格闘技大会のフォーマットに似ています』
「選手の控室は?」
『記録を当たりましたがそれらしいものは。ただし』
「何だマクスウェル」
『……猛獣用の大型ケージが二つ、搬入資材リストの中にあります。獣医やサーカスなどで使われる、ベンガルトラを想定したものらしいですが』
「くそったれが!!」
兎にも角にもまずは七階だ。
そこに井東ヘレンや対戦者を詰めたケージがあれば僥倖、なくても関係者のPCやモバイルに触れられれば情報を集められる。
そんな風に思っていた。
実際にエレベーターで七階に到着するまでは。
「あ」
いっそ、ぽかんとしてしまった。
廊下の真ん中に、それはあった。
まるで引っ越し業者みたいに四角い箱にキャスターと手すりをつけて、檻の中の少女は運ばれていた。
周りに何人の男がいたのかなんて、数えていなかった。
ただただ、視線はうずくまる涙目の金髪の少女に吸い寄せられていた。
ついさっき見た白いぶかぶかニットやチョコレート色のミニスカートはどこにもない。
代わりに纏っているのは、丈の短い、黒のワンピース。とんがった唾広の帽子に分厚いマント。両手で抱き寄せているのは、いくつもの透明な管や瘤を複雑に寄せ集めたガラスの杖。まるで絵本の中の魔女。だけど、突然連れ去られた井東ヘレンが自ら進んであんな服に着替えるはずがない。
なら、ここでは何があった。
元あった私服はどうした。
答えは決まっていた。
奪われた。
寄ってたかって、無数の手で。
「お」
思考の連続性を保つのは、そこが精一杯だった。むしろここまで長続きした事に驚いてしまうくらいだった。
「おおおおおおおおァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
叫ぶ。
雄叫びを上げる。
何事かと今さらのように振り返る有象無象の無精ヒゲどもに、こっちから飛びかかっていく。その一人を床に押し倒し、顔を殴り飛ばし、横から伸びてくる別の腕に思い切り噛み付く。骨まで見えろと呪いながら。
「何なんだっ、このガキ! 狂ってやがる!!」
背中を蹴られた。
もんどりうって転がる僕の腹を、胸を、背中を、頭を、次々に靴底が押し潰しにかかる。四方八方から袋叩きにされる。
正直、体中が熱くて熱くて仕方がなかった。だからやせ我慢とかじゃなくて、本当に痛みは感じなかった。
その内に、甲高い絶叫を耳にした。僕のものじゃない。下衆な男達でもない。
檻の中の少女。
魔女に仕立てられた誰かがガラスの杖も放り出して、小さな両手で檻の格子を掴んで泣いていた。
自分の境遇よりも。
僕が殴られ蹴られるのを見て。
僕は。
怒りのギアがこれ以上上がる事を、生まれて初めて知った。
「マクスウェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええル!!」
『シュア』
応答の直後だった。
ぱぱん! ズパパン!! と。
僕を取り囲んでいた複数の男達の胸や腰から、何かが弾け飛ぶ炸裂音が響き渡った。
より正確には無線機や携帯電話に入っているリチウム電池。
ポケットの中、肌に密着する状況での爆発は骨さえ砕く。
絶叫してのた打ち回る男達の中心で、僕はのろのろと立ち上がる。
ケージの鍵は……アナログ錠か。ディンプルだの何だの詳しい話は知らないが、こうなるとマクスウェル任せにもできないだろう。
なら、誰でも良い。
男達の一人の襟首を掴んで、廊下の壁に背中を叩きつける。
「がうっ!?」
「……鍵はどこだ?」
「し、知らない。俺達は、っ痛、俺達は下っ端のADだよ! 鍵なんか知らねえ!!」
「マクスウェル」
『シュア。ユーザー様、そのままスマホを標的の耳に押し付けてください』
「超音波でも使うのか?」
『ノー。これはモバイル、もっとダイレクトにマイクロ波を使いましょう』
マクスウェルは冷淡にメッセージを返す。
『国際健康機関の報告では二〇分以上の通話は脳腫瘍のリスクを増大させるそうです。マイクロ波に指向性を与えて標的の頭蓋内部を集中的に狙えば、見えない死神の植え付けには事足ります。外科手術では絶対に切除不能な位置にガン細胞を誘発させましょう』
ハッタリだと思った。
でも、ハッタリでなくても構わないと思う自分もいた。
「お、おい、冗談だろ、おいって!?」
「信じる信じないは勝手にしろ。サイバー攻撃で足吹っ飛ばされておいて、まだ無邪気にイタズラだって思えるならな」
「し、しらしらほんとにほんおい悪かったっておいいいいいいいいいいいいいいいっ!?」
『ガン化リスク……三〇%……四〇%……五〇%……』
「まどろっこしい。マクスウェル、一気に一〇〇%にしろ。死ぬ事が確定しても口は動かせる。ギロチンで落とした首が瞬きするみたいにな」
ガタン! という大きな音が響いた。
両目をぐるりと白目に剥いた男が床に崩れ落ちる音だった。あまり詳細は説明したくないが、失禁までしている。
『ここまでやっても口を割らなかったという事は、本当に知らなかったようです』
「どうだかね」
鍵がないならそれでも良い。
ひとまずケージの中の井東ヘレンとは合流できた。『コロシアム』の試合会場であるスタジオに入れさせなければ彼女は助かる。このまま社屋の外へケージごと連れ出したって構わないんだ。
檻の中の井東ヘレンはぐずぐずと鼻を鳴らしながら、
「……あの、せんぱい、えと、その、どうして……?」
「さあね、何でだと思う。こんなとこまで『お兄ちゃん』にそっくりか?」
「……、」
「とにかく後は任せろ。テレビ局を出てしまえば……」
言葉が途切れた。
廊下いっぱいに放送機材の音声が響いてきたからだ。
『ぴんぽんぱんぽーん。公営ギャンブル「コロシアム」、中継開始まで一〇分です。関係各位はスタンバイ、スタジオに集合してください。繰り返します……』
スマホの時計を見ると、一〇時近くだった。
くそっ!
あちこちのドアが一斉に開く。男も女もいる。彼らは皆、ケージの中で脅えるようにガラスの杖を掴み直し、薄い胸の辺りで抱き寄せる井東ヘレンを見ている。こっちに近づいてくる!!
「マクスウェル」
『多勢に無勢です。バッテリー攻撃も万能ではありません』
「……そんな事は頼んでいない。テレビ局のシステムにはどれくらい潜り込んだ? 偽造のIDを一枚挟む事はできるか?」
『シュア。ただし時間がありません。オーダーはお早めに』
そこで僕は両手を挙げた。
やってきたスタッフ達に大声で叫ぶ。
「どういうつもりなんだこれは!? うちの選手のコンディションを考えているんだろうな!」
「……あなたは?」
「天津サトリ」
こんな外道相手に本名を名乗るのはもちろん抵抗があったけど、今からうんうん唸って格好良い偽名を考えている暇はなかった。
「必要ならそっちで勝手に調べろ。そこの魔女と同じ学校だ! セコンドとしてついているんだよ!! アンタはアンタで高い金払ってテレビ作っているんだと思う。でも忘れるなよ、デカい金が動いているのはこっちも同じなんだ! こんな雑な扱いしやがって、勝たせる気があるのか!?」
時間を稼げ。
マクスウェルが必要な手続きを済ませるまで。
「それとも何だ、最初っから出来レースだっていうのか? おーおーそうかいなら掲示板でもブログでもSNSでも何でも良い、ぜーんぶ暴露してやろうか! 公営ギャンブル一発目でヤラセ発覚なんてしたら、なけなしの金でチケット買った酔っ払い連中がまとめて暴動でも起こすんじゃないか!?」
ピピッ、とスマホから小さな電子音が鳴る。
同時、タブレット端末で身分照会していた他のスタッフが息を吐いた。
「……本当にアークエネミーのセコンドで間違いありません。入館記録もあります」
「それは失礼」
力を抜く女性スタッフに、僕は顔の前で両手を握ったり開いたりしながら、
「どもども」
「天津さん、中継の時間は差し迫っています。我々の後について速やかに会場入りしてください」
「良いとも。ただし! 今後は!! 金の卵を産む鶏に近づく時は僕の許可を取ってからにしてもらおうか!?」
形だけの謝罪をするスタッフ達からひったくるような格好で、井東ヘレンの詰め込まれたケージの手すりを両手で掴む。
訳が分からない、という顔をする金髪の小動物系魔女にこっそりスマホの画面を見せる。
そこにはこうあるはずだ。
『すまない、必ずここから出す。だからまずはこの一戦を生き残る事に集中してくれ』
そして、
『一蓮托生だ、僕は君を見捨てない。二人で生きてここを出よう』
スタジオは近い。
両開きの防音扉が開け放たれた途端、凄まじい音と光の洪水が襲いかかってきた。
『レディースアンドジェントルメン!! 良識あるオトナ達の血沸き肉躍るエキサイティングなお遊び、「コロシアム」のお時間がやって参りましたあー!!』
しばらく逆光で何も見えなかった。
やがて浮かび上がったのは、猛烈なスポットライトの中にある四角いリング。
ただしボクシングやプロレスのような、ロープに囲まれたものじゃない。一辺一五メートルほどの四角い透明な強化ガラスでできた、巨大な虫かご。それが殺し合いの舞台だった。
そして大歓声の音源。
雛壇のような段差式で設けられた、会場をぐるりと取り囲む観覧席。
それ自体はプロレスだの総合格闘技だのと大して変わらない。
だけどこいつら、どこから湧いてきた?
本物の殺し合いをする『コロシアム』だぞ。場所は秘密で誰も近づけないんじゃあ……。
疑問に対する答えを出したのは、虫かごの上のバニーガールだった。
長い髪もバニー衣装も密林の蝶みたいに青く輝かせる美女。
彼女はマイクを掴んで仁王立ちだ。突き刺すような照明の洪水に照らされて、目一杯の媚びを売る。
『チケット通し番号に基づいた厳正な抽選を勝ち抜いた会場の皆さんこんばんは! でもでも良いのかにゃー? 本番は試合内容、勝ち負けで決まるギャンブルです。ここに来るまでで運を使い果たすなんてのはやめてくださいよー?』
……なんてヤツらだ。
青いバニーガールも、嬉々としてのこのこ集まってきたヤツらもみんなおかしい! これだけいるんだ。メールだの何だので集合場所を教えられた段階で、誰か警察に駆け込まなかったのか? 本当に? たったの一人も!?
『片ややる気十分、魔女の認定を受けた井東ヘレン選手! 学校のみんなを今まで騙し続けてきた感覚はいかがかにゃ? 今夜は猫かぶりを全部かなぐり捨てて戦っていただきましょう、バケモノ達の戦いを!!』
……こいつ!!
ケージの中で、無数のストロボとカメラレンズを向けられてぎゅっと体を縮ませる後輩が、そんなに邪悪に見えるのか。
思わずギリッと奥歯を噛んで、
「マクスウェル」
『シュア』
「スマホの高解像モードオン。テレビカメラの前に立っておいて今さらだけど、あいつの顔を撮っておきたい。『忘れられる権利』だの何だので抹消させてたまるか」
『了解しました。立ち振る舞いや重心の傾き、顔周辺の色見本化も進めましょう。たとえ正面を向いていなくても、検索システムでいつでも洗えるように』
「後そっちがその気ならこっちも仁義を捨てるまでだ。上から見下ろす高飛車バニーの股間をローアングルから狙え!! いやあ不思議だなあ、オンナノコも股きっつきつに締めると膨らみができるんだなあ!!」
『ユーザー様、品性を問われます』
そうこうしている間にも状況は進む。
今さら逃げられない。ここは迂回ではなく乗り越えるしかない。
『片や人魚という華々しいイメージからほど遠い海のギャング、溺れ苦しむ人間に容赦なく牙を剥くヒトクイの怪物、黒山ヒノキ選手の登場だー!!』
四角い巨大な虫かごを挟んでちょうど反対側から、やはり同じようなケージが運ばれてきた。中に入っているのは、僕と同じか、あるいは年上か、とにかく長い黒髪の少女。いや、それにしたって長い。足首以上はありそうだ。そして大量の髪はぴっちり合わせた二本の生足をぐるぐる巻きにし、まるで魚の尾びれのようなシルエットを形作っている。
衣服らしい衣服はない。胸も下腹部も、胴体に髪の毛を巻いて対処している。
「何だ……あれ? あれが人魚?」
『シュア。人魚の出自も諸説ありますが、中には普段はアザラシの皮を被っていて、陸に上がる時は中から裸の美女が出てくる、といったものもあります。あれはその亜種ではないでしょうか』
あくまでも自分の体の一部。
でも肌や皮ではない異物で全身を覆い、水中行動という新たな機能を獲得したアークエネミー。
『ちなみに陸に上がっている間にアザラシの抜け殻を取り上げられると、人魚はその者と結婚しなくてはならないらしいです。裸のまま』
「くそう、とにかく対戦相手の分析だ。くそうー!!」
『ユーザー様。全裸髪束少女に向けて立て続けにシャッターアイコンを連打しないでください。とばっちりでシステムまで品性を疑われます』
複数のスタッフに囲まれた中、一人だけ顔がこわばっている青年がいる。
あれが向こうのセコンドか。
世界で唯一、檻の中のバケモノの味方になると決めた人間。童話の中の間抜けな王子様と違って、人魚の正体に気づいて認めてあげる事のできた者。
「……、」
「……、」
束の間、視線が合った。
どうしようもなく困惑し、しかし、それでも敵対の意思を示す目で。
『皆さん準備はよろしいですか? チケットは握り締めましたか? それでは始めましょう、時代を変える新しい娯楽と産業を! ニッポンの夜明けは近いぜよ。世界に羽ばたけ「コロシアム」! その輝かしいビジョンを示す第一戦を……ここに始めまっす!!!!!!』