第三章
1
宣告と同時だった。
モトクロスに攻撃ヘリの懸架翼を取り付けたような無人兵器が一斉に僕を取り囲もうと動く。対して、右と左の両隣に立ったのは、吸血鬼の姉さんとゾンビの妹。
「あゆーみちゃん?」
「うっ、わ、悪かったよ、ふぐうー。でもお姉ちゃんもお姉ちゃんでほんとにイインチョを独占してたじゃん! ダンピール化した!!」
「だあって『亡霊』側からすれば対アークエネミー理論の完成は悲願な訳だし、サトリくんはどこかに消えて行方不明だし。可愛い弟を人質に取られたケースでのカウンター材料くらい手元に置いておきたいと思うものでしょう?」
つまり、その、何だ?
「色々分からないけど、『亡霊』って何!?」
「見たまんま、この廃病院を管理しているシステムエージェントです。こんなになって、人がみんな出て行っても、プログラム通りに理論の完成を求め続けてきた。SFなら泣ける話になるんでしょうけど、現実だとひたすら迷惑なものなんですねえ」
「じゃあ、姉さん達が無理矢理持ち込んだディーゼル発電機で電気を賄っているって話は」
「信じるに足る根拠、何か見つかりました?」
「い、委員長がダンピールになっているっていうのは!?」
「そっちは本当。『亡霊』からすれば高品質の人造ハンターの完成は悲願の結晶、絶対に手放したくないんでしょう。でも一方で、まだこれは偶然たまたまの成功に過ぎません。向こうとしては、全身バラバラに解剖してでも成功例を調べ尽くして量産化の目処をつけたいんでしょうね」
くっ……。
頭がクラクラする。本当に僕は現実に足をつけているのか? 合わせ鏡みたいに延々とゲーム世界を彷徨っているような気分にさせられる。
一方、スマホのマクスウェル、いいやそう装っていた『亡霊』からはもはや一言もなかった。正体が露見したか、僕という人質が姉さんやアユミに渡った時点で演技の必要性を見失ったからか。
ゴッッッ!! と。
躊躇なく破壊の嵐が席巻する。
片や感染リスクの高いアークエネミーに対して機関銃やガス圧杭打ち機などを使った二輪無人兵器の物量で押し流そうとするホースナイト。
片や取り扱い次第によっては大陸単位の汚染をばら撒きかねない吸血鬼とゾンビの二大スター。
全方向から迫る鋼の尖兵達に、アークエネミー達は僕を中心にして互いに背を預けるように、踊る。踊り狂って狂い咲く。肩や腰が回り、手や足が唸るたびに、軍事規格の精密工業製品が次々に割れて砕けてひしゃげていく。
……姉さん達って、こんなに強かったっけ?
複数の機関銃持ちに取り囲まれながら、ひ弱な僕を庇って戦い続けて、それでも圧倒するくらいに?
「っ」
そこまで考えて、僕は額に手をやった。
呑まれるな。信じろ。自分の常識で計れない事が起きたからって現実を否定するな。ここはバーチャルじゃない。
姉さん達が戦っている間、僕は身を屈めて小さくしながらスマホを操作していた。とはいえ一般的な人差し指すいすいとは違う。システム開発者用のモードを呼び出し、裏側のチェックに入る。
……どこでマクスウェルと入れ替わった?
調べてみれば簡単だった。マクスウェル本体は供饗市の中に置いたコンテナを目一杯使ったハンドメイドだけど、僕の手元にあるのはあくまで市販のスマホだ。コンテナからスマホに送られる電波を傍受して、もっと分厚い電波で上塗りしているヤツがいる。
こんなのはテレビやラジオの混線みたいなものだ。システムが貫かれたり、ウィルスを流し込まれた訳じゃない。
周波数帯をランダム変更、乱数パターンはひとまず円周率で。マクスウェル側が状況を打破しようと全周波数総動員で対処しているなら、必ずサンプル信号の尻尾を掴んでくれるはず……。
「マクスウェル! 僕の性癖を言ってみろ!!」
『シュア。デコメガネ水着ダンス幼馴染みクラスメイト委員長です、この変態』
良かった、いつものマクスウェルと接続できたみたいだ。廃病院と一体化した『亡霊』側も再度締め出しにかかるだろうけど、もう遅い。そっちが使用帯域のスキャンを掛けている間に、僕達は一〇〇通りでも二〇〇通りでも次の帯域候補を決めて細かくジャンプし続けている。大元の乱数パターンを読まれない限り永続的な介入はできない。
「暗号同期はDr09で。それ以外の信号は全て遮断だ」
『シュア』
そして、万一混線した場合もこれである程度は区別がつけられる。ただ、こういうハンドメイドのモードに切り替えると市販のアプリはほとんど応答しなくなるから、セキュリティの高さも良し悪しなんだけど。会話に使うSNSだってかなりギリギリだ。
「マクスウェル、廃病院の『亡霊』に短期記憶を厚塗りされた関係で直近の記憶があやふやなんだ。サポート頼む。サイバー戦で勝ち目はありそうか」
『システム全域の支配という意味でしたらノー。ただし、対症療法で言えばイエスです』
「具体的に」
『シュア。スマホレンズを介する限り、エリカ嬢とアユミ嬢がユーザー様にイイトコ見せようとえらい勢いではっちゃけていますが、その無人兵器の制御を妨害して棒立ちさせるくらいなら』
「実行」
魚の背骨に沿って太い針金を差し込むような、そんな劇的な変化だった。びくんと跳ねた殺人モトクロス達は自分のバランスも保てず、次々とバタバタ倒れていく。
「あら?」
「いてててて……。お兄ちゃん、なんかやった?」
かえって髪を撫でたり両手をぷらぷらさせている姉妹の方がキョトンとするほどの鮮やかな手並みだった。
当座の危機は去った。
情報や相関図も大分シンプルに整理されたと思う。
つまり、
「廃病院のシステム相手にダンピールになった委員長争奪戦、か」
2
おどろおどろしい廃病院を探検して囚われの委員長を助け出し、お姫様を蝕む呪いを解除しよう。
何だか本当にゲームみたいな話だ。ひょっとしたら事件の構造を組み立てている首謀者のホスト自身がプログラムだからかもしれないけど。
「姉さん。問題の委員長はどこにいるの?」
一応、バーチャル内でも秘密の小部屋みたいなのは見つけているけど、あれは『ポーランドの吸血王女』の呪いの棺桶の隠し場所だった。
安寧会静養病院の『亡霊』が大量の全自動ヒャッハー(仮)を溜め込んでいた事からも分かる通り、おそらくあれ以外にも大規模な隠し場所があるんだとは思うけど。
「最上階ですよ」
「うん? また目立ちそうな場所だな……」
「あらそうでしょうか。サトリくん、この静養病院が全部で何階建てか分かっている?」
あれ。
そういえば……。
「四階か五階建てくらいじゃないの?」
「でも、正確なところは誰にも分かりません。エレベーターが止まらなくたって誰も気にしない。きっと院長室とかだよ、いやVIP様用の個室じゃない? 色んな憶測を並べているだけで満足しちゃう、近くて遠い異界ですよね」
「……、」
僕達も、『亡霊』に導かれていたとはいえ、屋上に来るまで寄り道なんてしなかった。階段途中の最上階フロアなんて気にしていないし、防火扉なんかが閉まっていても違和感は覚えなかっただろう。
みんなで揃って屋上から一階下、廃病院最上階に向かう。みんな夜目が利くようで、スマホのバックライト頼みなのは僕だけだった。ゴミの山で邪魔された防火扉に取り付く。ドアを押さえるためのスプリングに仕掛けがあるらしく、背伸びした姉さんが鉄扉の上の方にあるアーム付きのギアボックスをいじると、鍵が開くような小さな金属音が響き渡る。……普通の防火扉とは錠の仕組みも扉の素材も違う。どうやらこれは防火用に取り付けられたものじゃないみたいだ。
その先にスマホの光を向けると、いやに奇麗な廊下だった。
年月の風化だけは避けられないけど、それだけだ。ゴミは散らばっていないし埃も積もっていない。まるで誰かが機械的に延々と掃除を続けてきたみたいだった。
足元に青い人魂みたいなのがあった。
慌ててスマホを向けると、フライングディスクを分厚くしたようなモノがでっかい虫みたいに床を這っている。
「お姉ちゃん、ここって掃除ロボットとか動いているの?」
「そうみたいですね。充電ボックスまで辿り着けずにお腹見せちゃってる子も結構いますけど」
何となく、人類滅亡後も接客アナウンスを続ける寒々しいショッピングセンターを思い浮かべる。
「ん? 病院の電気って外から来た人が……つまり姉さんやアユミが小さい発電機持ってきたんじゃないの?」
「あれだけ騙されておいて、まだ『亡霊』の言う事なんか信じてるのお兄ちゃん」
「アユミちゃんも込みでな。話を戻すと、廃病院にはいくつかの発電システムがあるみたいです。太陽光や水力、風力なんかの。森の方、所々が不自然に切り開かれてそういう設備が点在していますよ。全部でいくつあるかは追い切れませんけど」
何のために、って疑問はあったけど、少し考えれば分かる事だ。
……公的な記録に残さないために。いくら秘密の小部屋や地下室を作っても、水や電気の使用量が筒抜けなら隠した事にならない。市政と施設ががっちり癒着していればデータの方を隠蔽できるかもしれないけど、そうでなければ情報的な自衛手段が必要になる。
「でも、なんか光十字の時と印象が違うような。向こうはもっと堂々とやってたよね」
僕の口から光十字って言葉が出たのが気に入らないのか、姉さんもアユミも揃ってため息をついた。
「ふぐうー。ま、『地下』のトンネル網で繋がっていない事、供饗市ギリギリの森の中にある事からも分かるよね。ここは光十字の競合他社が置いた、データ収集のための前線基地だったんじゃないかな」
「対アークエネミー業界も一枚岩ではないという事です。とはいえ実質的には具体的な抹殺方法を確立できた光十字の一強で、他はテクノロジーかおまじないかもはっきりしないものにしがみついているような印象でしたけど」
そう。
ここにあるのは人のいなくなった抜け殻とはいえ、対アークエネミーの研究機関だ。なのに姉さんもアユミも悠々と廃病院の中を歩き回っている。無人兵器の殺人モトクロスだって、機械なら噛みつかれても平気って理屈自体は間違っていないんだろうけど、実情に追い着いていない。あれならバーチャル内で戦った生身の光十字戦闘員の方が強かった。少なくとも、姉さんとアユミのどっちも被弾はしていたんだから。
……大丈夫、かもしれない。
ここにはあの暗いトンネルにあったような、奥を覗き込むだけで溺れてしまいそうな、あの粘つく闇の気配はない。常識さえ呑み込み、熱狂と興奮の中で不死者同士を殺し合わせて楽しませる、コロシアムのような人の醜さは見当たらない。
こっちには、『あの』光十字さえ手を焼いた吸血鬼とゾンビがセットで揃っている。静養病院が光十字以下の規模なら、『亡霊』だって手も足も出ない可能性もある。そういう正攻法が効かないからこそ、マクスウェルのふりをして僕を振り回し、場を引っ掻き回す役割を与えようとしていたのかもしれないし。
「あ、そうそう」
ぱんっ、と大きな胸の前で掌を合わせて、エリカ姉さんは何か思い出したように口を開いた。
「さっきも言った通りこのフロアに委員長ちゃんはいると思うけど、そのう、気をつけてくださいね?」
「?」
最初、姉さんの言っている意味が分からなかった。
けど……、
「今の委員長ちゃんかなーり暴走しているから。きっと鎖でベッドに手足くくりつけても引き千切って逃げ出しちゃうだろうし」
何か大きな破壊音が真横から響き渡った。驚いてそっちに光を放つスマホを突きつけると、今まさに飛びかかってきたのは、むせ返るような薔薇の匂いに真っ赤な色彩の塊、まさに血染めのドレスを纏う、いや、いいや、これは……!?
「委員長!!」
3
本当に隅から隅まで赤一色で埋め尽くされると案外分からないものらしい。バーチャルで見た時より何か違和感はあったけど。それはスカートの長さだ。こっちの方が大分短い。おかげで分かった。真っ赤なドレスのように見えた衣装の正体はいつも見ている女子の制服だったんだ。そして一つ違和感があれば引きずられるように次々気づく。こいつの髪は銀色じゃないし、メガネもかけている。
そして首筋に牙を立てて血を吸うどころか肉も骨もごっそりやりかねない勢いで飛びかかってきたお隣さんのデコメガネ委員長に対し、僕の両隣にいた姉さんと妹が取った行動はシンプル極まりないものだった。
蹴った。
二人同時に、ドアでも破るような格好で。
身の丈より大きな太鼓を思い切り叩くような、凄まじく低い音の塊があった。くの字に折れた委員長の小さな体がそのまま真後ろへ吹っ飛ばされる。ナースステーションというよりは物騒な国の銀行みたいに透明なアクリル板で区切られたカウンターを破壊する形で、委員長が奥へと転がされていく。
「いっ、いいんちょーっっっ!?」
思わず絶叫するけど人間らしい返答はない。ついでに空中を舞っていた時にこれまたえらい勢いでスカートが翻ってパンツが大盤振る舞いだったけど、やっぱり気にしている素振りもない。……ううん、でもあれは何色だったんだろう? ぐっしょり真っ赤で埋め尽くされていたけど、あれは絶対元の布地の色じゃないだろうし。なんていうかサッカーで得点を決めたのに審判の誤審で受け入れてもらえなかったような理不尽な気分だ。下着自体はがっつり見ているのに……。
でも、これでちょっと分かってきた。
バーチャルの中では委員長と血染めドレスは別々の人物だった。安寧会静養病院跡地を管理する『亡霊』が繰り返し短期記憶に間違った情報を書き込み続けてきたって事は、あいつはこの事実を隠したかったんだ。最大の研究成果であるダンピール、委員長を独占して、解剖してでも量産化の目処をつけるために。
「あーらら。結局廃病院の歯抜け資料じゃハンターの完成には程遠い、ですか」
「ね、姉さん。委員長って、その、戻るの? どうやったら人間に戻れるの!?」
「委員長ちゃんの生まれは純粋一〇〇%の人間です。にも拘わらず吸血鬼とのハーフ扱いされているのは、人為的に調整された呪いを浴びているから。だとすれば大元の元栓を閉めてしまえば良い」
あっ、と声が出そうになった。
そんな話を他ならぬ姉さんから聞いた事があるじゃないか。
「『ポーランドの吸血王女』……呪いの棺そのものだったのか!?」
あのバーチャル自体、ダンピールの委員長と血染めドレスの吸血鬼を意図してバラバラの存在と誤認させるための反復書き換え、という意味合いもあった。荒唐無稽なデータを次々に投入するんじゃなくて、既存の材料を出し入れ、切り貼りした方がより混乱が激しくなると静養病院の『亡霊』は考えたのか。
……バーチャル内での院長の私物には被験者らしき女性の写真もあったけど、あれは今日より昔に棺に触れた誰かだったのか、完全に架空の情報なのか。流石にそこまで調べようはない。
もぞもぞと、叩き割られた分厚いアクリルの向こう側、しっちゃかめっちゃかになったカウンターの奥で赤黒い闇が蠢く。時間はない。委員長はすぐにでも起き上がりそうだ。
「どどどどうしよどうしよう姉さん委員長助けなきゃ棺がああだこうだでもまず確実に委員長の動きを止めないとパンツ見えているし端から端までみんな真っ赤にぐっしょりだし!」
「サトリ君? 何だか色んな願望が混線しているように聞こえるんですけども」
「ふぐうー。それにお姉ちゃんばっかり頼って! あたしもいるのに……」
「がくがくだって委員長のパンツだしアユミは食べて寝るくらいしか得意技なさそうだしあわあわわ!」
「「だってじゃねえよ受け答えになってねーだろ」」
ズダン!! と黴びた布団を棒で思い切り叩くような太い音が全ての流れを断ち切る。メガネにおでこの委員長が猛獣のハードル越えみたいな格好でカウンターを飛び越え、頭から僕達へ飛びかかってきたんだ!?
姉妹は目配せすると、アユミが僕の手を引いて後ろに下がる。代わって一歩前に踏み出したのはエリカ姉さんだった。
委員長と姉さんが正面から激突する。
血や肉がぶつかったとは思えない轟音が僕達どころか壁までビリビリと振動させた。
あくまでも獣のように直線的に迫る委員長に対し、姉さんはぐるりとその場で回る円の動きだった。ゴスロリスカートや豪快な金髪縦ロールが大きな花のように広がり、まるで闘牛士のように委員長の力に対応する。
正直に言って、間近で見ても何が起きているのか完全には把握できていなかった。
目の前で繰り広げられる乱打や轟音に、スマホのマクスウェルが後から演算して『その時、何が起きたのか』を補足してくれる。まるで海外のスポーツ中継で接続の悪い現地のレポーターの返事を聞いているようだった。こんなの直に差し向けられたら、僕なんて棒立ちのまま顔でも胴体でも好き放題貫通されてしまうだろう。
……僕は、本当にリアルに帰ってきたのか? また別のバーチャルへ飛んだんじゃなくて???
僕はカチューシャみたいなダイブデバイスを掴み直して、
「ま、ま、まくすうぇーる。お荷物な僕はもういっぱいいっぱいだよう。今度は委員長の水着ダンスパラダイスで時間を潰させておくれよう……」
「オラ! もやしお兄ちゃん!! この一大事に真正面から逃げてんじゃないよ!! こんなのは没収っ!!」
「やめろ怪力バカダイブデバイスは繊細でしかもお高いんだ離せ返せこいつぅ!!」
「ふぐうー!」
「あっ!?」
なんか姉さん達とは全然別次元で妹と掴み合いになった上、肝心のハイテクカチューシャがバカのアユミの手からすっぽ抜けて宙を舞った。
くるくると回転するデバイスを、姉さんのしなやかな手が掴む。
そのままエリカ姉さんは猛獣のように突っ込んでくる委員長に向き直り、
「必殺!! ダブルカチューシャ!!」
がちこーんっ! と委員長の頭に嵌めてしまった。最初からカチューシャしてる娘にさらにもう一個とは何たる邪法。何だかメガネ掛けてる娘のおでこにサングラスを追加するみたいに落ち着かない。そしてふとスマホの画面に目をやると、シミュレーションスタートという文字が躍っている。
そして意識をバーチャルに引きずり込まれた委員長の体が棒切れみたいに床へ転がった。
そのまま彼女は動かない。
手足どころか指一本まで。
「……もしかして僕達は対アークエネミー戦最強の拘束具を見つけてしまったんじゃないか」
「んー。脳を持っていない種や無意識攻撃してくる種には通用しませんから油断は禁物ですけどねえ」
「てかお兄ちゃん、シミュレーションの中じゃイインチョは水着でハッスルしまくる自分自身と永遠に向かい合っているんだよね。だいじょぶ? ゲシュタルト崩壊とか起こしてないと良いけど」
ぎょっとした。
「ま、ま、マクスウェルしゃん!?」
『ノー。シミュレーション参加者のプライバシーは適切に保護する所存ですのでシステムは質問への回答を拒否します。……ただ体育座りでうずくまっていた委員長にユーザー様の身体データを使ったNPCを投じたところ、それはそれは筆舌にしがたい事態に……』
「うわあーーーん!?」
叫ぶがどうにもならない。別のシミュレーションセットに切り替えるには委員長をログアウトさせて再準備期間を空ける必要があるけど、そうなったらもちろん暴れん坊委員長が再び野に放たれる。残念だけど委員長にはもう少し(水着で踊り狂う)自分自身と向き合ってもらおう。
「ねっ、姉さん。委員長は『ポーランドの吸血王女』の棺の呪いを上手いこと薄めてハーフのダンピール化しているんだよねっ?」
「それがどうかしましたか、ドスケベサトリくん?」
「こっちからも刺しに来やがった……!? そ、そうじゃなくて、地下って調べている? 放射線医療科のええと、廃棄資源ナントカ保管庫の奥に、地下に続く急な階段があるかもしれないんだけど」
「ふむ」
姉さんは細い顎に手をやって、
「でも、そこに生身のままサトリ君くんが向かうのは難しいんじゃありません? 廃病院の放射線医療科って言ったら、かなーりまずい化学物質が飛散していそうな感じですけど」
「うっ!?」
言われてみれば廃病院の『亡霊』が見せていたバーチャルの中じゃ僕はでっかいにんにくだった。今はあんな姿じゃないし、防護服だってない。……仮にこんな廃病院のハンガーに掛けてあったとしても絶対信用しないけど。
「それにお兄ちゃん、あたし達もあちこち調べたけど、結構開かない壊れない分厚い扉ってのも多くてさ。地下フロアなんてその最たるもので、ほとんど開かない扉ばっかりだったよ?」
……そうか。扉の位置が分かっていたとしても、今の僕には鍵がない。
「ええと、小児科かリハビリ室に院長先生がぶっ倒れているって事は? 半開きのブリーフケースの中に鍵束とIDカードが入っていれば完璧なんだけど」
しどろもどろで言葉を絞り出すけど、エリカ姉さんも妹のアユミも顔を見合わせて軽く肩をすくめただけだった。流石にそこまでピタリと一致している訳ではないらしい。
「ともあれ、ろくに調べが進んでいない地下フロアが怪しいという話は良く分かりました」
「ふぐうー、やっぱり最後は力業か。でもあたしはお姉ちゃんと違って血肉が再生するアークエネミーじゃないからなあ。どっかで『バールのようなもの』でも拾うしかないか」
……鍵を探す、って選択肢はアークエネミーの皆さんはお持ちでないのですねまあ確かに死地のど真ん中で『鍵がないから後回しにしよう』『暗号が分からないからいったん他を当たろう』なんて悠長な事やってられないだろうけど。
「お兄ちゃんはここにいて。イインチョの意識を捕らえているダイブデバイス、スマホからのレッドトゥース経由でしょ。お兄ちゃんが離れると接続が切れてイインチョが起きちゃうだろうし」
「おっ、おいアユミ。でもさ……」
「大丈夫です。サトリくん、あんまり人生の黒歴史はひけらかすものではありませんけど、お姉ちゃん達は泣く子も黙る光十字の『コロシアム』さえ生き延びた猛者ですもの。ちょっと行って調べてくるくらいなら楽勝ですよ」
「あの、鍵は」
「冷静になったら、棺の呪いの場合はイインチョが定期的に棺に帰らないといけないんだよね。パワーを補給するためにさ」
「つまり、ガッチガチに施錠されていたら委員長ちゃんも締め出されてジ・エンドなんです。でも実際にはそうなっていない。おそらく私達が見過ごしているだけで、棺の保管場所までのルートは開いているはずなんですよ」
言って。
彼女達へ笑いながら去っていった。
大丈夫かな。任せちゃって。いいや大丈夫だろう。ていうか全力全開のゾンビと吸血鬼が立ち向かってどうにもならなかったら、生身の人間の僕がどれだけ気張ったってダメに決まってる。今の僕がアユミ達についていっても足手まといにしかならない。
世の中には、知略なんか通じないどん詰まりの力量差ってものもある。例えば一〇〇対一〇〇の戦いで、剣や槍を磨いて事前に地図を広げて入念に策を練ったところで、一〇〇人の武士に向けて一〇〇頭の人喰い虎が一斉に迫ってきたらどうにもならない。アークエネミーとガチでかち合うっていうのはそういう事なんだ。
「それはさておき委員長は寝顔も可愛いなあ今は何をやっても絶対に起きないって分かっていると背徳的だなあ身体中についている誰のものなんだか分かりゃしない血はやっぱり拭いてあげた方が良いのかなあうふふ」
……。
……。
……。
そして、僕はいつまでも眠り続ける委員長のすぐ横で頭を抱えていた。
すぐ帰ってくるって約束したはずの姉さんやアユミがじぇんじぇん戻ってこにゃい。
「くそ……」
やっぱりそんな簡単な話じゃなかったか? もしもリアルの放射線医療科に極悪な罠が仕掛けてあったとしたら、バーチャルで得た情報を元に調べ物をした姉さん達はまんまと引っかかった事になる。
でも。
もしも、罠なんてなかったら?
それ以外に吸血鬼やゾンビに深手を負わせられる存在なんてそう多くない。おそらく普通の兵隊なんかじゃ無理だろうし、屋上で戦った殺人モトクロスなんかが束で来ても姉さん達はやられない。
僕は分厚いカーテンで遮断された窓の方に目をやる。がっつり夜。深夜。どれだけ文明の光が惑星を覆い尽くしても、それでもやっぱり身の危険が増大する、死に寄り添う時間帯。
目には目を。
蛇の道は蛇。
……まさかと思うけど、ここまで来て全く新しい未知のアークエネミーのご登場なんかじゃないだろうな?
どっちみち、姉さん達も放っておけない。マクスウェルのバックアップだってもちろん欲しい。でもって極め付けに委員長の頭に嵌めたカチューシャ型のダイブデバイスはスマホから距離が開くとバーチャルの檻から意識が解放されてしまう。
となると……。
「身動き取れない委員長を担いで行くしかないか。道中ですりすりしたってそれはもう仕方なくな!!」
『ユーザー様、先ほどから笑いが止まらないご様子ですが』
殺人モトクロス『ホースナイト』
マクスウェル:市販と思しき軽量オフロードバイクに各種の通信設備と電子制御系を加えた遠隔操縦システムを搭載し、前後輪にジャイロを噛ませる事でバランスをキープ、トドメに座席に可変式の懸架翼を取りつけ、各種兵装を換装した対アークエネミー無人兵器となります。完全無人機にしては不要なレバーやペダル、計器類など有人前提の部品が一部残っているのはご愛嬌。
質より量で押し切る傾向が強い、非常に『工業力がモノを言う』発想の兵器と言えるでしょう。実際の制圧力は決して高くありませんが、人的損耗率の観点で言えばパーフェクトです。
なお、カーブ時には懸架翼も真上へ逃がすように折り畳む事で地面すれすれまで車体を倒す事ができます。サスペンションを利用したジャンプも含め、意外とすばしっこいので不意打ちに要警戒です。
ダイブデバイス『ドリームケース』
マクスウェル:市販のVR機器で、オープン価格とありますが市場平均では三万円弱。人間の脳が夢に用いる演算領域を利用して現実さながらのビジョンを見せる方式を採用しています。よって徹夜プレイは厳禁です。
短距離無線通信を使ったインカム同様、演算については親機のモバイルやゲーム機が行うため、ダイブデバイス自体は非常に簡素な造りをしています。これは頭に装着するデバイスの重量を可能な限り軽量化する事で、筋肉疲労を抑える狙いがあるのだとか。……しかし、だとするとこの値段の根拠は一体……?
使い方次第ではスイッチのオンオフで強制的に相手の意識を『突き落とす』事ができるため、何気に対アークエネミー用の『手錠』としても優れたスペックを有しています。