『やあトゥルース。ハッカーだからって理由でジメジメした部屋に閉じこもってられる時代は終わったのよ。アンタもスマホかタブレット抱えてお陽様の下に出てくるべきだわ』


 ベッドサイドの椅子に腰掛けている僕こと天津サトリに、スマホ越しの女の子がえらい陽気に話しかけてくる。

 やたら映像がブレるのは、テーブルの上に置いたペットロボットからの目線だからかな。確か小型犬の頭の部分に携帯ゲーム機を突き刺して演算を任せるオモチャがあったはず。おかげで焦点があっちこっちに振り回されて落ち着かない。

「あのさアナスタシア」

『メイデンよ。ハンドルで呼びなさい』

「メイデン。アンタ今年で何歳になるんだっけ? 一〇歳?」

『一一歳よっ、全然違うわ!』

 妖艶な赤のキャミソールにテニスみたいなミニスカートを穿いたちんちくりんが何やら画面の向こうでお怒りでいらっしゃる。生意気にも多分これ上から下まで総シルクだな。

 でもってどうやらヤツは屋外のカフェにいるみたいだけど……やっぱりすごいな向こうは。うっぷ、山盛りのフライドポテトと小海老の揚げ物見ているだけで胃袋が軽めにギブアップを申告してきてる。

「その一一歳が、何だって平日のラスベガスなんかでくつろいでんの。学校は? アンタの国って相変わらずどっかイカれてんじゃないのか」

『一ポンドのフライを眺めたくらいでそんな顔しないでちょうだい。それに忘れたのかしら、ここは自由と書いてクレイジーと読む超大国ステイツよ。このご機嫌な太陽を浴びてみなさい、人生の正解はすぐ分かるわ。こんな日はエアコン効いた講義室なんかにしがみつくよりも、カフェでくつろぎながら銀行システムの脆弱性でもつついて回るべきだってね』

 ……まったく、黙っていればお人形系というかお姫様系というか、とにかく透き通るような肌に白みの強いプラチナブロンドの長髪がトレードマークの、東欧系のスラっとした、そう、一一歳にあるまじき『かわいい』ではなく『キレイ』系だっていうのに、口を開けばすぐこれだ。

 ちなみに口振りの中に『わよわね』が多いのは、きっとマンガで日本語を勉強したからだろう。英語だと男性言葉も女性言葉もなかったからな。

「あのねアナスタシア」

『メイデンよ! あとお説教なら聞かないわ。ワタシは無害なテストウィルスをこっそりシステムのど真ん中に置いてきて、お宅のセキュリティをさっさと更新しろって優しぃーく警告してやってるだけだわ。むしろ正義の! ホワイト!! ハッカーなのよ!! ワタシみたいな個人ハッカーに貫かれるシステムをそのまま採用している行政の方がおかしいのよ。原発の制御棒に軍の宇宙部門まで入ったわ。いい、テキサスにあるミサイルサイロのフェイズ2までなの! 間に時代遅れの手動キーを挟んでなかったらそのまま発射できてたわ。つまりステルス爆撃機ならそのまま爆弾槽が開いて投下していたって訳ね。ふっふーう!!』

 何やらご満悦のようだけど、やたらぺらぺらしゃべるのはそれだけ後ろめたいからかな?

「その言い方差別表現になるかもしれないから気をつけなよ、じゃあヒスパニックハッカーはどっちなんだとか言われかねないし」

 マサチューセッツの大学で飛び級かました天才少女。まったく星条旗の国はこういうドラマの登場人物みたいなのが教室に一人二人くらいの感覚で普通にゴロゴロいるからおっかない。

 こんな変人との出会いは意外や意外、ネット麻雀だった。災害環境シミュレータ『マクスウェル』のベンチマークを兼ねてプログラムに牌の打ち方を任せていたんだけど、初見でいきなり見抜かれた。チェスやリバーシと違って麻雀でここまでやるなんてすごいわね、どこの研究所の競技マシンなの? って。

 当時の僕は知る由もなかったけど、アメリカってそういうボードゲームの王座を人間の名人から機械が奪い取るぞーって研究がメチャクチャ過熱しているらしくて、『まるで人間みたいに生々しく牌を切る』マクスウェルの戦い方が、アナスタシアの探究心をいたく刺激してしまったって訳だ。

 ちなみに、そのマクスウェルはさっきからだんまり。

 理由はいわずもがな。マクスウェルが一を話しかければアナスタシアが一〇〇の質問を返して収拾がつかなくなるからだ。過去にもアナスタシアからは『正式に』予告があった分だけで六五回もサイバー攻撃を受けている。あくまでも情報処理分野における学術的興味を満たすためとか何とかで。

「メイデン。その無害ウィルスを第三者に拾われて毒性を改ざんされたらどうする? 全く同じ経路で遠隔操作やランサムウェアの被害が出るかもしれないんだぞ」

『うっ。そ、その時は人様の専売特許を横取りしたふとい野郎を見つけ出してギッタンギッタンにしてやるわ。冤罪が起きたら踏み台にされたヤツも匿名できっちり助けるものっ。それで問題ないでしょう! ううー、がるがる!!』

 だから、その報復や救済の手段もコピーされて相手の手札を増やすだけなんだって……まあ、言っても駄々をこねるだけか。ただ実際、マクスウェルのファイアウォールは確実にこの小さなハッカーに鍛えられているんだよな。

『そうは言うけどね、みんなイカれているのよっ。軍も発電所も細菌研究所も一緒だわ。メインサーバーはともかくとして、末端の職員が何使ってるか知っているかしら。ヤツら専門家ぶってドヤ顔で、でも両手で抱えてんのは専用のケースに収めたフッツーのバイオロイドなのよ? 法人受付からセキュリティ会社と契約すれば自分は鉄壁だと信仰しているの。変わらないわよアンタが自宅で背中丸めてピンクなサイト眺めているタブレットPCと何もかも!!』

 とはいえ、真正面から感謝の言葉なんて投げたらそれこそ歯止めが利かなくなる。こりゃいったん別の角度から投げ込む必要があるな。

「メイデン。アンタがほんとにプロのハッカーを気取るなら、僕みたいな部外者にほいほい内情を話すのはやめた方が良いんじゃない?」

『ちょっと待ちなさいよマスターそれはあんまりじゃない!?』

「誰が師匠だやめてくれよ!」

『だって! アンタは「あの」光十字を単身で壊滅させたバケモンでしょ!? しかも理由に一切金も名誉も絡まない、ただただ弱り切ったアークエネミー達を解放するための戦いだわ。こんなにもパーフェクトなホワイトハッカーなんて他にいないわよ。ステイツじゃマスタートゥルースに弟子入りすれば宇宙で光る剣振り回して帝国を滅ぼす英雄になれるって話まで出てるのに!』

「やっやだ、丸っきり無駄な期待の圧がすごい……!」

『アンタがどう思っていようが、うちらの界隈じゃあトゥルースの話で持ちきりよ。それを今さら所属が違うだなんて哀しい事言わないでちょうだいよ!!』

 まずいな。

 そんな話になっているのか。

「となると、あのう、もしかして」

『ええ。今に血気盛んな命知らずが挑戦状でも叩きつけてくるかもしれないわね。ハッカーっていうのは登山家と同じで、高い壁を見るほど登りたくなるものだし』

 マジかよう。

 僕は委員長の水着ダンスファイルセットさえ緻密にシミュレーションしてくれれば、他にサイバー分野に期待する事なんか何もないっていうのに。

「そういう火遊びはそっちのフィールドで勝手にやっててほしいんだけど。何でよそ様を巻き込みたがるのかね、クラッカーってのは」

『ハッカーよ!! 孤高の技術者っ!! トゥルース、アンタわざとワタシを挑発してないでしょうね!? やんのか、条件を言え! どっちが早く指定のカジノの防壁を抜くかで勝負しようか好きな店を選びなさいよ!!』

「分かった分かったアンタは天才だよおみそれしました!」

 ああもう、ネットセキュリティの前にキャンキャン騒ぐこの大声で情報漏洩しているんじゃないか。アナスタシアがいるのは表に面したオープンカフェのはずだ。所詮は子供の言う事で、頭の代わりに携帯ゲーム機を差し込んだペットロボットに向かってエキサイティングしているとはいえ、周りの客はそんなに無頓着なのか?

『ともあれだわ。トゥルースももうちょっと外に出たら? インドアハッカーなんてジメジメしたイメージ、二人で一緒に変えてやりましょうよ』

「生憎だけどエアコンの効いた部屋から出るつもりはないんでね。大体、こっちは今委員長が珍しくダウンしているからそれどころじゃないんだよ。看病してあげないと」

『ふうん。やっぱり生体って面倒だわ。細胞っていうのは可愛げなくプログラムできっちり管理されているくせに、言語が違うからワタシ達じゃ扱いきれないし。……ん?』

 と、アナスタシアがどこかよそを向いた。

 そのまま横顔が凍り付いている。

 何かを見たまま動きが固まっている。

「おい、メイデン?」

 一瞬、ほんとにお巡りさんに聞き咎められたのかと思って焦った。

 でも違う。

 あの見開いた瞳に宿るのは、もっと純粋でどうしようもなく制御不能な恐怖そのものだ。

『何よ、あれ……?』

「どうしたんだ、何があった」

 月並みで安っぽい台詞だと自己嫌悪する。でも、いざって時、頭っていうのはそんなに柔軟に回ってはくれないものだ。

 そして僕もスマホ越しに耳にした。

 車のクラクションと金属のひしゃげる音。若い男女と思しき悲鳴や絶叫。何かがアナスタシアの背後を横切った。一体元が何だったのかは知らない。とにかくぐしゃぐしゃにひしゃげた太い鉄パイプ? 後は何だベーグルやコーヒーの紙カップ、テイクアウト用の袋に、とにかく色々。

「なあメイデン、アナスタシア! 聞くんだ!!」

『えっ、あ、ああ』

「事故? 爆発??? 何でも良いけど説明は後で良い、とにかく頭を低くするんだ! テーブルの下にでも潜るんだよ!! そういうのアメリカ育ちの方が慣れてるだろ!?」

 丸っきり別世界の、いっそ映画のような話だけど、一一歳の少女が今一人きりでいるラスベガスっていうのはつまりそういう銃社会の最前線だ。ずっと日本で生活してきた僕の常識では計れない事くらいいくらでも起きる。

 ところが、当のアナスタシアは心ここにあらずといった調子だった。椅子に腰掛け、首をひねったまま動こうともしない。

『悪い、トゥルース……』

「何が!? 何で謝る!?」

『なんかもうこれ、そういう事故とか事件とか言ってる範囲じゃなさそうだわ。これ、なんて説明すれば良いのかしら?』

 ?

 アナスタシアが何を言いたいのか理解できない。彼女も彼女で、チラチラと画面の外とペットロボットに連結した携帯ゲーム機のレンズを交互に見ている。今目の前で起きている事を本当に僕に見せても良いのか、そんなので悩んでいるみたいな……。

「メイデン、そっちで何が起きている?」

『……、』

「教えてくれメイデン、頼む!」

 アナスタシアの横顔、その小さな唇がわずかに震えた。

 後悔しないでよ。

 そんな風に言っているようにも見えた。

 直後にカメラがブレる。アナスタシアの見ていたものへと無造作に突きつけられる。

 僕のスマホいっぱいに広がったのは……。


 赤い半透明の粘液。

 そいつらが次々に通行人にのしかかって生きたまま消化していく、悪夢のようなビジョンだった。


 何が。

 起きているのか。

『ジェルだわ……』

 眼前に突きつけられても、僕だって言葉選びに困った。だけど繰り広げられているのは間違いなくリアルな死だ。

『アークエネミー、なのかしら? とにかく赤いジェルの化け物が、人をタベテル……』

 硫酸? 塩酸? 硝酸? あるいはレアなトコだと王水とかフッ酸とか???

 大きさは助走なしのジャンプじゃ飛び越えられない水たまり程度。何にしたって特濃の強酸をバケツで浴びたってあんなに綺麗に人体が消失なんかするもんか。アメリカンなXLサイズの大柄な人間一人が髪や骨まで消えてなくなるのに二〇秒もかかってないぞ!?

 そもそも生きたまま酸で溶かされる、なんていうのも死に方としても奇抜すぎる。どんな人生過ごしたらそんな末路がやってくるっていうんだ。

 でも。

 だけど。

 逃避している時間なんかない。こうしている今も遠く離れたベガスのカフェじゃ大の大人を丸呑みするほど巨大な赤い粘液があちこちひとりでに這いずり回って被害を広げている。このまま放っておけばアナスタシアも取り囲まれて逃げ場を失う。

 一一歳の少女が。

 骨まで形を失ってドロドロに溶かされるところを、目の当たりにしなくちゃならなくなる。

「あ、アナスタシア」

『メイデン、だわ。な、何よ?』

 息を吸って、吐く。

 今一度、僕のスマホが戦場を渡り歩くための武器になる。

 あの正体不明のアークエネミー・ジェルから。

 遠く離れた僕の大切な友人を守り抜くための。


「僕とマクスウェルが全力で支援する。だからそこから、生きて逃げろ!!」