第六章
僕とアナスタシアの二人きり。
いつ崩れるか分からないカジノの地下駐車場。そこに停めてあるセレブ向けの手術車の中で、アナスタシアは横になったまま、こう『答え合わせ』をしてきた。
「金って言えばウォール街だけど、あっちは派手にやり過ぎて色んな監査から睨まれているの。映画になるくらいにね。つまりステイツの中でも典型的な悪役だわ。今からあそこに潜っても、周囲に気づかれないよう工作するのは至難よ」
「だから、ラスベガスを拠点に……?」
「ええ。何しろ人類全体が持っている現金の二〇%はこの街を通って世界中に還元されていくのよ。カード照会だの何だので馬鹿でかいサーバーもゴロゴロあるわ。スロット、ルーレット、ビデオポーカー、電子制御のゲームも多いわよ。今はもうトランプだってディーラーが手でシャッフルしない店もあるのよ、イカサマ防止とかでね。つまり全自動の雀卓なんかと一緒だわ。この街を押さえてギャンブルの勝敗を操れれば、ドルや純金の為替だって動かせるのよ。まさにそのためのメフィストフェレスだわ。リビングで暇を持て余してる監視者の目線は毎度お馴染みウォール街に集めてもらいつつ、ワタシ達はこのベガスから世界の金融をじわじわ操れるの。小が大に勝つにはこういう搦め手が必要だったって訳よ、トゥルース」
無茶苦茶な話だった。
そして言っては何だがものすごくアメリカっぽいスケールだ。
「計画には、何人くらい参加していたんだ。その人達もアークエネミーなんだろ?」
「ねえトゥルース。ベガスは砂漠のど真ん中に作った不自然極まりない街だわ。ここに地元なんて考え方は存在しないのよ。人は常に流動的で、いつどこの誰が出入りしたっておかしくないわ。そういう意味でもウォール街より便利だったの。人種のサラダボウルだ何だと言っているけど、ニューヨーカーは田舎者には厳しい風潮があるからね。新参者は奥まで入りにくいのよ」
「いやちょっと待ったアナスタシア、話が逸れてる」
「逸れてはいないわよ」
にやりと一一歳の少女は笑って、
「ラスベガス滞在者の半分。『ワタシ達』が占めているわ」
絶句した。
僕はこれでも同じ屋根の下で当たり前のように吸血鬼の姉やゾンビの妹と暮らしている。義母さんもリリスとかいうのらしいから、我が家は人間よりアークエネミーの方が多いくらいだ。
「少しずつ引っ越しを繰り返す格好でね。元々ベガスはお金諸々色んな事情で頻繁に人が出入りする街だから、こういう事が起きても分かりにくいのよ」
それでも、街一つ。
五割達成って事は、おそらく金づるの観光客やハーバルサイエンスみたいなのを除いた、全員。ここは暮らしている人より観光客の方が多い街だから、住人レベルだとおそらく独占に近いはずだ。
丸ごと人口比率が逆転して乗っ取られた大都市っていうのは、なかなかに衝撃的だ。アークエネミーに縁のない普通の人が聞いたらどれくらいショックを受けるんだろう。
「それじゃ、ここには……推定で二〇〇万人近いアークエネミーが隠れ潜んでいたっていうのか……?」
吸血鬼伝説の聖地のルーマニアとか、ゾンビの源流のハイチだってそんなに大々的じゃないはずだ。アークエネミーは一般社会にも受け入れられているけど、それは少数派、マイノリティを保護する意味合いも決して少なくないんだから。
逆に言えば。
これだけの事があっても、人間側の被害は丸ごと半減したって話になってくる。
ホッとしたか?
ふざけるなと言いたい。
「『ワタシ達』は、ここから世界全土を変える。……はずだったんだけどね。今じゃ地上はジェルにやられて天空から爆弾が降ってくる始末だわ」
「っ!? そうだ、あのジェルは何だったんだ! 結局あれもラスベガスに流れ着いたアークエネミーだったのか?」
「トゥルース。アンタはご自慢の姉か妹にこんな話は聞かなかったかしら?」
アナスタシアは息を吐いてから、
「ジェルなんてアークエネミーはいない。実際には粘液系の神話伝承はなかなか見つからない。あれはファンタジーよりUFOやUMAに近い存在だってね」
「……、アークエネミー、じゃ、ない?」
「少なくとも、自然発生した天然モノって意味では」
待てよ。
待て待て。
アークエネミーにひっそりと支配されたラスベガス。それを襲ったジェル災害。さらには強引な解決法を提示して爆撃を続ける軍。
何か。
とてつもなくキナ臭い話になっていないか?
「もしも人間側がベガスの真実に気づいていたら、これ以上のチャンスはないわよね」
アナスタシアは言う。
「アークエネミーのジェルからベガスを取り戻せ。そんなお題目でバカスカ爆弾を落としながら、実際にはワタシ達アークエネミーに空爆してる。お茶の間の奥様は気づかないわ。見るからに化け物なジェルが人の形をしたシルエットに次々と襲いかかり、爆弾でバケモノ共々逃げ惑う影が人間火柱になっていくのをケーブルチャンネルのテレビ越しに眺めて、さあどんな風に思うかしら?」
人間がジェルに喰われているように見える。
人間が燃えているように見える。
……アークエネミーが人間に悪さをしたように見える。実際には、人間がアークエネミーに空爆しているのに。
人間側は加害者なのにその事実にさえ気づかず、被害者の側からアークエネミーを糾弾する羽目になる。死人に鞭を打つように。
「……じゃあ、それじゃあジェル自体も軍が用意したっていうのか? ラスベガス空爆を正当化するために!」
「ワタシだって最初は面食らったけど、あとあと思い返せばね。ねえ、ここベガスがどこの州に収まっているのか知らないの、トゥルース」
引きつった笑みを浮かべ。
アナスタシアは今世紀最悪のジョークを飛ばす。
「ネバダ州。位置関係を考えれば明白だわ。あの爆撃機編隊はUFO研究だの宇宙人の解剖だので悪名を極めたエリア51の空軍基地から飛んできているのよ」
ファンタジーよりUFOやUMA。
天然モノではありえない異質極まるアークエネミーの、真の出処。
胡散臭くて馬鹿馬鹿しくて、だけどこれ以上に説得力のある候補地なんか他にない。
言われてみれば、軍はどうして最初から焼夷弾を積んだ爆撃機を飛ばしたんだ。もっと言えば、ジェルは熱に弱いと知っていたんだ。直接対決はこれが初めて。機関銃や戦車で挑んだっておかしくはなかったのに、どうして。
決まってる。
自分自身が出処なら、それはそれは適切に対処だってできただろう。
思わず頭を抱える始末だった。
「なんて事だ、くそっ!!」
「世界的な観光地がアークエネミー・ジェルの暴走で地図から消えた。事態を鎮圧するにはもはや爆撃機を飛ばすしかなかった。こんな情報を退屈な野球の中継を潰して臨時速報にでも載せてみなさい、世界中のアークエネミーが弾圧されるわよ。人間至上主義者にはまさに理想の展開だわ」
狂ってる。
頭がおかしい。
確かにアナスタシア達だってやりすぎたかもしれない。自分の権利を求めすぎて他人を振り回そうとしていたかもしれない。だけど、いきなりここまでやるか。人間とアークエネミー合わせて四〇〇万人だぞ。僕達と同じように泣いたり笑ったりする四〇〇万人を、どうしてこんな目に遭わせられる!?
人間じゃないから。
同じ存在じゃないから。
もう食われて誰も残っていないだろうし。
たったそれだけで、こうまで箍が外れるものなのか!? アンタ達の大好きな人間だって半数くらいはいただろうに!!
「……何とかしないと」
「今さらどうやってよ、トゥルース」
「ジェルの出処を証明するんだ、何としても! 何の罪もない四〇〇万人を呑み込んで焼き尽くし、さらに世界中のアークエネミーに石を投げる時代を作る? ふざけるな! 絶対に止めるぞそんなもの、そうでなくちゃ歴史はここで終わりだ!!」
手術台の上のアナスタシアは、小さく笑った。
だけど、それは決して人を小馬鹿にするようなものじゃなかった。
「相手は軍なのよ」
「ああ」
「しかもハーバルサイエンスに届いたメールを見る限り、天津ユリナの名前が見え隠れしているわ。どういう経路から議会やエアフォースを汚染しているのかは見当もつかないけどね」
そっちもあったか。
またの名をアークエネミー・リリス。アークエネミーがアークエネミーを襲うのは不思議に見えるかもしれないけど、実際には光十字のトップだってヴァルキリー・カレンだった。人が人を殺すように、アークエネミーもアークエネミーをやる。お互いの所属は必ずしも身の安全を保障してくれるものじゃない。
だけど言った。
「許せるか、こんな事」
「なら決まりね」
輸血の効果か、シルキーとしてのしぶとさか。ようやっと体を動かせるようになってきたアナスタシアと、軽く手を叩き合う。
「ジェルについて調べるならやっぱりエリア51が一番臭いわ。だけど世界で一番厳重な空軍基地よ。表向きはステルス機とか空軍関係の研究開発をしているせいだなんて言っているけどね。落とすのは容易じゃないわよ。マクスウェルの力があったって、ごり押しでサーバーをこじ開けられるとは思えないわ」
こっちは伝説の忍者だのスパイだのじゃないんだ。黒装束に着替えて砂漠の基地に乗り込むなんて、いくらなんでも考えない。
「仮にジェルがエリア51から散布されたとして、野放しにはできない。どこかで終息させないと、無秩序に他の街に移動してしまうはずだ」
「高温の嫌いなジェルが砂漠に囲まれた街の外を這い回るかは微妙だけど、まあ夜の砂漠を越えたり送水管を潜ったり、って可能性もゼロじゃないだろうしね。だけどそのために空爆して封じ込めているんでしょ」
「その封じ込めはどうやって成功失敗を観測してるんだ。衛星から、爆撃機のカメラから? それだけじゃ足りない。黒煙と熱風だらけの市街の状況は上から見るだけのカメラやセンサーとは相性が良くないんだ。絶対にラスベガスの地上に観測手を置いてる」
「あ」
「そして観測手の抱えた大きな大きな通信機は親玉とのホットラインを構築してるはずだ。アナスタシア、お前はさっき言ったよな。アメリカは通信傍受の最先端だからネット越しに真実は話せなかったって。向こうの上も派閥同士で足を引っ張り合ってるはずだ。同じ穴の狢に尻尾を掴まれたくなかったら、絶対に普通のインターネット回線なんかに相乗りしない。軍事衛星だか早期警戒管制機経由だか知らないけど、専用のホットラインに決まってる」
「じゃあ、その観測手の大型通信機を手に入れれば」
「親玉の喉元まで一直線。僕とアナスタシアの技術も足して、エリア51のサーバーをこじ開ける算段がつく。観測手のふりしてアクセスすれば、親玉相手にメール標的型攻撃で流出ウィルスを撃ち込めるはずだからな。後は企業のサーバーと同じさ。ジェルの詳細データを引っこ抜けば、ツケを払わせる事だって」
「トゥルース、アンタ最高だわ! やっぱり光る剣を腰に差しておくべきよ!!」
「僕は変人が作った空飛ぶタイムマシンの方が好きなんだけど」
だけど当然、向こうだって現地に観測手を送り出すリスクは承知のはずだ。つまり精鋭中の精鋭チームを選抜しているはず。並大抵の事じゃ見つけられないだろうし、真正面からぶつかっても勝てる見込みがあるかは分からない。
何しろ街の半分、二〇〇万人のアークエネミーがひしめく巣穴に少数チームで飛び込んでくるんだ。
ジェル災害の時だって、自分の身は自分で守るしかなかったはずなんだ。
最初からそれを覚悟で志願したって事は、こいつら相当だ。人間相手にこっちは吸血鬼とゾンビの二人がいるんだ、くらいじゃ安心は勝ち取れないかもしれない。
楽観は禁物。
やるからには命を賭けて挑むべきだ、僕も。
「姉さんとアユミにも話をしておこう。忙しくなるぞ」
「あの、トゥルース、ワタシだってっ……」
「いくら正体がアークエネミーだからって、お腹を貫通したんだぞ。現場まで連れていける訳ないだろ。サポート頼むよ」
「こんな時だけ女の子扱いしないでよね」
「何言ってんだ、アンタはいつでも女の子だろ、キレイ系の」
「うっく……。と、とにかく絶対だからね。抜け駆けはナシよっ!」
さあ、大詰めだ。
結局始まりには間に合わなかったけど。右往左往している内に四〇〇万人が犠牲になってしまったけど。
だけどせめて、後始末くらいは関わらせてもらう。