第七章
僕達がいるのはカジノ・デザートドリームの地下駐車場だ。
表は爆撃で酷い事になっているけど、すでに僕達はジェル災害の時にもカジノの地下から脱出している。探し回ってみると、予想通りだった。大金をやり取りするためか、あるいは強盗なんかに遭った時の脱出用か。分厚い金属扉に守られた秘密の地下通路を見つける。
「……やっぱり、こっちまでは被害が出てないな」
術後のアナスタシアは瓦礫で段差だらけの表を連れ回せない。だけどあの半分崩れかけた地下駐車場に置いていくのも不安だった。その点、この地下通路なら焼夷弾も生き埋めも大丈夫そうだ。ドアの密閉がしっかりしているから、ジェルの生き残りなんかもいないようだし。
「アナスタシア、ここにいてくれ。すぐ戻るから」
「早くね。意味はなくてもメールするかもしれないけど、笑うんじゃないわよ」
「あと一応、そこらの車の中にあった馬鹿でかいボトル持ってきたぞ。封はしてあるから飲みかけじゃないと思う。水は何かと入り用だろ」
「グラスゲイザーか。ちょっと硬度が高いわね、ワタシはもうちょい柔らかい水が好きなんだけど」
せいぜい水道水かミネラルウォーターかくらいしか区別のない僕にはちょっとイメージが追い着かないこだわりだった。紅茶に詳しい姉さんとかなら理解できそうだけど。
密閉された地下通路。でも日本に本体を置いたマクスウェルと正常にコンタクトが取れるところから分かる通り電波状況は良好みたいだった。テレビのアンテナ線を屋内まで延ばすのと一緒で、わざと壁に金属テープを貼って地上から電波を拾えるようにしているのかもしれない。何しろ秘密の地下通路だ。外の様子が分かりません、で待ち伏せにも気づかず扉を開けてしまったら一巻の終わりでもあるんだし。
「マクスウェル。僕達が出たら扉のロックの番号を変えておいてくれ」
『シュア。この状況下なら過保護なくらいでちょうど良いでしょう』
そんなやり取りを挟んで、僕達は再び地獄のラスベガスに舞い戻る。
ぶわりと顔全体を炙る熱風。
夜は深まっているはずなのに、さっきよりもオレンジが強い夜空。それだけ地上の街が念入りに焼き上げられているって事なんだろう。
ジェルはどこだ、空爆の状況は。見逃したら一発で全滅だ。それに、
「アユミ、気をつけろよ」
「あのねお兄ちゃん、こんなトコで火傷するほど間抜けじゃないって」
「そうじゃなくて、サトリ君はラスベガスはあっちもこっちも街中で花火パレードするから瓦礫に埋もれた不発弾が怖いって言っているんだと思いますよ?」
「ふぐう!?」
でも、このラスベガスのどこかに軍の精鋭、観測手がいる。ジェルも焼夷弾もものともせず、風景そのものに溶け込むような格好で。
「ん、う……」
姉さんにおんぶしてもらっていた委員長の口か呻き声が聞こえてきたのはその時だった。
「おはよう委員長。いきなりの焦熱地獄だけども」
「えっ、えっ、サトリ君? うへえ!? ちょ、何これえっ!!」
コールドスリープで憧れの一千年後の未来を見ようとしたら原始時代まで文明レベルが戻っていたような声を上げる委員長。自然な反応だ、心を洗われる。やはり普通は良い心が落ち着く委員長可愛いもうどうしようちょっとその辺で踊って良いかな。
「ふぐうー。それよりお兄ちゃん、プロの観測手を見つけるってどうやって。多分そういう人種って待てって言われたらジャングルの中で狙撃銃抱えておむつ付けたまま丸三日とか普通にじっと息を潜めていると思うよ」
「マクスウェル、民間衛星サービスで良い。リアルタイムの衛星画像は手に入るか?」
『今までできなかったはずなのですが、スムーズなくらいアクセスできます』
「あら。こういうのってむしろ軍の特権で締め出してしまいそうなものですけど」
「悪のアークエネミー・ジェルを正義の空爆で仕留めているって絵面は欲しいはずだ。だからミラーサイトを増設してでも対応するだろうさ。それよりマクスウェル、上から覗けるなら手っ取り早い、タイムスケジュールごとに爆撃行程を逆算して、一発も落ちていない場所を検索。そこが観測手の潜むバンカーだ」
『解析中……。評価は微妙です。特定の箇所を絞るのは難しいですね。ただし、台風の目のように、爆撃の嵐の中で空白地帯がゆっくりと動いている印象があります』
「ふうん。固定のバンカーじゃなくて常に移動する方法を取ったのか。ならマクスウェル、その台風の目が観測手の位置だ。予測ルートを演算してくれ。待ち伏せしてコンタクトを取る」
『シュア。ただし、相手が精鋭だとすると、居場所を特定しても強行突破されるリスクはかなり高いです』
「分かってる」
軍なんて言葉は映画の中でしか耳にしない僕なんかじゃ、実際のところどんな装備で身を固めるべきかさえ答えは出ない。少なくとも、服の下に漫画雑誌を詰めた程度でどうにかなる相手じゃないってくらいだ。
「とにかく行こう。姉さん、アユミ、あと委員長も」
「分かったけど、道中で何があったのか説明してもらえる……!?」
悲鳴のような委員長の言葉を耳にしながら、僕達は瓦礫だらけのラスベガスを歩いていく。
爆撃は第一波を越えたのか、さっきまでみたいに所構わずバカスカ爆弾を落としている感じでもなかった。焼き上げられた夜空にはV字を描く複数の影がゆっくりと移動し、散発的に投下しているけど、最初に見た時より明らかに勢いが弱い。
「そんな、それじゃあ……!!」
事情を聞いた委員長は、道を塞ぐ瓦礫の山を乗り越えながら、変わり果てた街並みを見渡していた。無理もないだろう、こんな盛大な茶番劇に付き合わされて言葉を失わない方がおかしい。そして実際にこんな事をやらかした特大の馬鹿がいる。
「サトリ君、爆撃が小康状態になったのは決して喜べる話だけとは限りません。つまり軍の作戦全体のフェイズが次に移行している可能性もあるんですから」
「分かってる。大規模な地上部隊が投入されたらアナスタシアの待つ地下通路の扉をこじ開けられるかもしれないし、観測手が役目を終えて引き上げてしまうかもしれない。何にしても時間との戦いだ」
幸い、こっちにはマクスウェルがいる。向かうべき先はナビゲートしてもらえるので、変わり果てた街の中で同じ場所をぐるぐる回るような心配はしなくて済む。
『警告、目標まで四〇〇メートル。標準的なアサルトライフルでもギリギリ当たる距離です。辺りに激しい炎があるとはいえ、そろそろスマホのバックライトに警戒すべき段階に入りました。ご注意を』
「っ」
マクスウェルからのサポートは欠かせない。掌でできるだけ画面を覆いながら、一旦その場で身を低く落とす。
風上風下は……多分関係ない。そこかしこが焼夷弾で燃え上がって空気が膨張し、あっちこっちから熱風が吹き荒れているからだ。こんな状況では訓練された警察犬だって焦げ臭い匂い以外何も感じられないだろう。
「こっ、このまま行くの、お兄ちゃん?」
アユミが若干怯えたように言う。
四〇〇メートル。焼夷弾で焼けた街を見渡せば、おそらく観測手がいるのは半壊した劇場のはず。カジノの街で有名なラスベガスだけど、映画関係でも聖地の一つとして数えられているんだ。
どれだけ目を細めても、それらしい影は見えない。
向こうにはこっちが見えているんだろうか。
すでに銃口も向けられている?
まるでジャングルの地雷原みたいに身動きが取れない。僕はじっと留まったまま、手の中のスマホに語りかけた。
「マクスウェル」
『シュア』
「爆撃機と観測手は何かしらの方法でリンクして、仲間を誤爆しないよう手を打っているはずだ。方法は分かるか?」
『カメラのモード切替で確かめた限り、赤外線の反射テープではありません。地上から五秒に一度の感覚で電波の放射を確認。おそらく電波式で居場所を伝え、オンラインの地図に位置情報を添付しているのでしょう』
「思った以上にザルだな、観測手。マクスウェル、その地図を書き換えよう。ヤツらを爆弾の真下まで引きずり出す」
『ノー。曲がりなりにも世界最強の空軍勢力です。当システムでも力業での突破はできません』
「それはどうかな。アナスタシア」
『んえっ? 何よ何なのお呼びかしらトゥルース』
もうメイデンだハッカーだはどうでも良くなっているのかもしれないな。こいつは僕の粘り勝ちだ。
「昼間に軍のミサイルサイロまで潜ったって話をしていたよな。フェイズ2まで。ハッタリじゃなければ手を貸して欲しい」
『ワタシを誰だと思っているのかしら? 間に手動キーを挟まない爆撃機ならそのまま核を落とせたわよ、あれ』
姉さんとアユミが思わず顔を見合わせていた。
今まさに僕達の頭上を飛び交っているのは、ずばりその爆撃機だ。
「風景に紛れた観測手を炙り出すために、爆撃機と観測手のリンクを断ちたい。ヤツらの地図にイタズラする方法は思いつくか?」
『なるほどねえ。距離は? テザリングは使えるわよね。そのスマホから発する電波が届く範囲に標的がいれば、面白い事ができそうだわ』
『ノー。衛星画像からの縮尺で見る限り、爆撃機は最低でも高度九〇〇〇メートル以上を維持しています。垂直方向だけで一万メートル近くあり、さらに水平方向への広がりも含めればそれ以上になります。モバイル規格の電波がそのまま届く距離ではありません。また、リミッターを強引に解除した場合、突発的に機材が破損するリスクが上昇します」
「そっちじゃないんだ。観測手まではおよそ四〇〇メートル。あいつらを狙えばおそらく大丈夫」
アナスタシアはアナスタシアで呆れたように、
『だからフィートかマイルで言ってくれない?』
「自分で検索してくれ」
『はあ。まあそれなら、距離の近い観測手の方の地図を書き換えましょ。どうせ背中でおぶった大型通信機はともかく、手元の端末は耐衝撃ケースに詰めたフッツーの洋梨フォンかバイオロイドよ。ヤツらテレビでCM流してる大口と法人契約を結べば無敵だって信仰しているもの、何度警告したってハッカーの言葉なんか聞きやしないわ』
「ともかく観測手の地図だ。任せて良いか?」
『ええ。実際には安全圏にいたって、それがヤツらに分からなければ慌てふためいて飛び出していくわよ。トゥルースのスマホと同期したら、カウント三〇ちょうだい。かわゆい猟犬が叢からウサギを追い立ててあげるから、目を皿のようにして人探しに励む事ね、トゥルース』
〇と一の引き金が引かれた。
ざざっ!! と。
それこそ背の高い茂みから野鳥が飛び立つようだった。あれだけ完全に浸透していた黒の夜戦服の男達が、面白いように物陰から転がり出る。ボロを出してくれる。
『ははっ! よりにもよって世界のウィルスがそのまま走るウィナーズフォンなの!? 基本OS自体が個人情報盗む公式ウィルスとか呼ばれているのにご苦労な事だわ!!』
「なんかウィナーズに恨みでもあるのか!?」
『同意も得ないで勝手に人様のOS丸ごと入れ替えてくれたせいで危うく自作の逆探ソフトがご臨終するとこだったのよ! ふざけんじゃないわよウィナーズ、知財だって立派な資源だっていうのに!!』
生憎と一方的な恨み節に耳を傾けている暇はない。あと多分残念だけどハックツールは知財と認めてもらえない。
「ぎゅ、」
突然だった。
真横から腰にとんでもない衝撃が突き抜けた。冗談抜きに体全体がくの字に折れ曲がったと思う。アユミのバカがゾンビの馬鹿力で全力の体当たりをぶちかましてきたって認識さえ置いてきぼり。
「。ぶっ!?」
チカッ、と。
遠くの方で何かが瞬いた。風が顔のすぐ近くで唸る。タァン!! という乾いた音が鼓膜を打つ。
銃声!? いきなり撃ってきた!!
ブレまくるというか首が折れそうな視界の中、かろうじてエリカ姉さんが委員長の体を抱えて逆サイドに跳んだのだけは見て取れた。
それぞれ瓦礫を遮蔽に弾丸をやり過ごす。
だけどこんなのじゃ終わらない。ヤツらは潜入潜伏が第一。一発撃ったって事は、もう何があっても殺して口を封じるってサインだ。
「次はどう出ると思う?」
「距離四〇〇で失敗した、事実はそれだけだよお兄ちゃん。なら認識を改めて、確実にやれる距離まで近づいてくるはず」
どこまで行っても日本人な僕は、正直に言って撃ち合いには詳しくない。何でも再現できる災害環境シミュレータを持っているけど、そういえばUFOとか巨大ロボならともかく、マッチョ火力を振り回すFPSの真似事はあんまりやってこなかったような。
ただ、そんな僕にも分かる。
プロの撃ち合いはきっと詰め将棋みたいなものだ。複数の駒を動かして、相手がどう逃げても必ず討ち取れる状況を作る、位置取りの戦い。いったん完成してから手足を振り回したって挽回はできない。そうなる前に何とかしないと。
つまり踏み込まれたらおしまいの、デッドラインが存在する。
それが具体的にどこなのかは、素人の僕には分からない。
三〇〇メートル?
二〇〇メートル?
一〇〇メートル?
それとも、至近〇メートル???
ザッ!! と視界全体が大きく変化した。
左上の方から黒い闇が覆い被さるような感じ。
「っ!?」
同時にアユミの輪郭がブレる。誰も彼も半径一〇〇センチ以内にいるはずなのに、激しくぶつかる両者の体が見えない。
でも観測手はゼロ距離まで接近して現実に仕掛けてきた。これはアクシデントじゃない、すでに向こうの詰め将棋は終わっている。このままじゃ遅かれ早かれアユミや姉さんは撃破される!?
「(……マクスウェルっ、リクエストするからアレが近場にないか検索!)」
『シュア。ですがこんなもの何に使う気ですか』
「(説明してる時間がない。とにかくオンライン制御だ。あと僕の台詞を英語に同時通訳!)」
そしてスマホをバスガイドさんの四角い車内マイクみたいに口へ当てて僕は叫んだ。
『「爆弾だ! 空から降って来るぞお!!」』
ドガッ! と、鈍い音を立ててアユミが背中から地面に落ちると同時だった。シミュレータの中じゃ光十字戦闘員を立て続けに仕留めてきたゾンビのアユミが赤子の手をひねるように、だ。委員長を庇いながらの姉さんでも援護は間に合わない。声を発したのが二秒遅れていれば、大柄な男は握り締めた手斧みたいに分厚いコンバットナイフで妹の喉を真横に切り裂いていたはずだ。
動きを止めた男の視線が動く。
こっちに向けて銀の輝きが突き出される直前で、僕はもう一度喚いた。
『「外から地図を書き換えられた事くらい分かっているだろう! アンタ達はもう致死圏内にいる、残念だったな!!」』
『……、---』
男が何か言った。しまったな、素早い英語は聞き取れない。相手の声を翻訳するようにはオーダーしてなかった。
だけど顔や目の色で大体分かる。
できっこない、軍のデータリンクは鉄壁だ、素人に書き換えられるようなものじゃない。
そんなところか。
強く否定したいって事は、疑惑を捨てきれていないって事だ。その脅えがあればそれで良い。
僕は空いた手で真上を指差して、そして言った。
『「なら味方の爆弾が当たっても文句は言うなよ」』
直後だった。
ドゴゥアッッッ!!!!!! と。あまりにも分厚い閃光と爆音の壁が、僕達全員の五感を真っ白に飛ばした。
しばらく何もなかった。
得体のしれない浮遊感だけが全身を包んでいた。
「くっ……」
最初に呻き声を上げたのは、きっと委員長だ。そう、事前に何をやるか知っていた僕以外なら、間違いなくダメージは一番低いだろう。
何故なら戦闘の素人で、航空爆弾のダメージなんて想像もつかないんだから。
「いっ、一体何があったの、サトリ君?」
「頭痛や吐き気は? 大丈夫そうならこれお願い。今の内に倒れた観測手の手足は全員縛っておきたい」
その辺で千切れていた電気ケーブルを放り投げ、僕も僕でコンバットナイフの男の両手を後ろにねじって縛り上げながら、
「空包で人を殺す方法がある、って話を聞いた事がある」
「?」
「手足を縛って身動きの取れない人間の頭に、たっぷり時間をかけて見せつけながら拳銃を押し付ける。そのまま引き金を引くと、間近の爆音と閃光で『撃たれた』って思い込んでショック死しちゃうんだって」
「じゃ、じゃあ、今のって空爆とかじゃなくて……?」
『シュア。ラスベガスはリゾートホテル主催で毎日花火パレードをしている街です。瓦礫の中にも電気着火、プログラム制御の打ち上げ花火がありましたので、掌握して彼らの足元で炸裂させました』
「爆弾の怖さを知っているプロフェッショナルほど心理効果が強くなるって訳。だから、何が何だか分からない高校生の僕達は、逆にこうしてさっさと回復できたんだ」
にしても、エリカ姉さんやアユミまで本格的に目を回すとはな。寝転がっている様子は可愛いけど、これまで歩んできた道のりがちょっと気になる結果だ。
『トゥルース、ついに超常現象なの? 次は手で触れないで物を浮かばせるとかどうかしら』
「アンタの国はほんとに光る剣が好きだな。っと、それより。姉さん、アユミ! ほら、いい加減に起きるんだ!! こんなドッキリで心臓止めたら不死者の名前が泣くよ!」
うぅう……と二日酔いみたいな呻き声をあげて汚い地面をのたくる二人。ちょっと真相を話すのが怖くなってきたな。事前に言えとか怒られそうだ。
ともあれ。
軍の観測手は無事に捕まえた。彼らが背負っていた大型無線機も手に入れた。これでエリア51とかいう物騒な場所でくつろいでいる親玉まで直通だ。アナスタシアの手を借りて、観測手のふりをしてコンタクトを取れば、高度なメール標的型攻撃に結びつけられる。
「マクスウェル、接続頼む。アナスタシア、どうだ? 始められるかな」
『待て待て待ちなさい。今、内部メモリにある過去五〇件分の報告ファイルを復元して文面の特徴を自前の書式変装プログラムに洗わせているわ。きちんとVIP様を騙しおおせるにはこいつらの細かい癖も再現しておかないとね』
「助かるよ」
何しろこっちは一人では電話でピザの注文もままならない。軍特有のスラングや符丁を織り交ぜた長文メールなんて完全にお手上げだ。
『ぃよし! ここまで学習させればオーケーだわ。始めましょトゥルース。観測手の報告に化けて、エリア51の心臓部から機密データを丸ごと引っこ抜くわよ。宇宙人の解剖映像とか出てくるかもね』
「僕にはアークエネミーと宇宙人の定義の違いが見えないんだけど、これ笑って良いジョークなの?」
あらあらふぐう!! と美しい姉妹から劇的な反応があったので、どうやら一緒にされたくないみたいだ。スマホの向こうのアナスタシアも頬を膨らませて、
『……覚えてなさいトゥルース』
「まだまだ琴線とか逆鱗とか分かんないなアークエネミー! 後でいくらでも異文化交流するから、今はちゃちゃっと始めよう」
『ええ。正義のハッカーの腕の見せ所だわ』
やってしまえばあっさりしたものだった。
一体どれだけ積み重ねて、一体どれほど隠し通してきたのか。エリア51に溜め込まれていた膨大な資料が次から次へと海外のサーバーを経由して使い捨てのフリーストレージに投げ込まれていく。
「まともに目を通していたら、それだけで何十年もかかりそうだな……」
『あっさりしすぎてつまんないわね。やっぱり祭りってのは準備している間が華なのかしら』
向こうが聞いたら泣き崩れそうな言葉だ。軍の機密情報なら文字通り命がかかっていてもおかしくないのに。
さて。
「マクスウェル。全部眺めている暇はない、必要項目だけ検索」
『シュア』
『えっ? そんなアバウトな注文でプログラム走るの!?』
ふっ、演算速度だけがコンピュータじゃあないのだよ。
『まずはメール標的型攻撃に使用した送り先から洗ってみます。ジェームズ=ウィリーウィリー。性別男性、年齢五二歳。米空軍ネバダ空軍基地司令官で階級は大佐。同人物と関連の深い資料をピックアップ』
「プラス、ジェルについてだ。正式には別の名前かもしれないけど」
『五四件の資料がヒットしました。開発コード・スレーヴX。要約しますと、南極クレーター跡より発見されたアークエネミー・ショゴスへさらに薬学的、外科手術的に人為的な調整を施した変異種だそうです。凶暴性を抑えるため、思考のブリッジを物理的に切除して単純反応に特化。「空気中の塵や埃の動きに反応して飛びかかる」捕食サイクルのみ追求させる事で、反乱リスクを排除した不死兵器だとか』
聞いていて楽しい話じゃない。
アークエネミーの人為的な兵器化。完全な人間側の都合。そのために人で言えば脳にあたる部分まで手を加えられ、思考を奪われた不死者。
……あれだけの事があった以上、今さら無条件で仲良しこよしはできない。だけど、ある意味じゃジェルだって被害者だ。
『プラス、こちらはシステム達にとって有益な情報です』
「何だ?」
『ジェルは獲物を捕食後、七二時間以内であれば被害者を吐き出させる、救出する事が可能なようです。一見、完全に溶解、吸収されているように見えますが、遠心分離機にかける等で九・五G以上の重力エネルギーを加える事で、人とジェルを切り分けられるのだとか』
『ほ、ほんとなの!? それじゃあみんなはまだ助けられる見込みがあるのね、死んでいないのよね!! やったわトゥルース、アンタは何から何までクールでイカれてるわよ!』
「……、」
素直に喜べなかった。
何故、アークエネミーから思考を奪うほど非道なエリア51の研究者はそんなオマケのような救済機能を残しておいたのか。
……運用者から罪悪感を奪うためだ。
これは殺しているんじゃない、無力化しているだけ。ジェルに喰われるって言ってもまだ死ぬと決まった訳じゃない、遠心分離機にかければ良いんだ。そんな『言い訳』ができたら、それはそれは引き金だって軽くなるだろう。実際には上層部が再分離の指示を出す可能性なんて欠片もない事を心のどこかで知っていたって。
「義母さん、天津ユリナとの関連性は?」
『ノー。該当資料にはありません』
「なら、アークエネミーがアークエネミーを襲う理由やメリット」
『アークエネミーの派閥は一つではないようです。ラスベガスに拠点を設けメフィストフェレスで支配し、金融経済の間接操縦によって自らの安全圏を構築しようとする勢力が邪魔だと考える勢力もあるようで』
『誰よそいつら……。同じアークエネミーなんでしょ。ワタシ達は同族なら誰でも受け入れてきたのに』
「マクスウェル」
『シュア。アブソリュートノアという単語が頻出します』
……っ?
廃病院を舞台にした前の事件でもそんなフレーズが出てきた。間もなく地球にはとてつもないカラミティが襲いかかるから、その前にどこかへ逃げ込もうとする集団。ある意味で自家生産の終末論を信仰する者達。ただし恩恵を受けられるのは、七〇億人の中でわずか数千人程度だという。残りは遺伝子サンプルのみ冷凍保存するのが精一杯だとかで。
『アブソリュートノア側からすれば、地球での地位向上に興味はないはずです。各界のVIPを選抜して「船」に乗せる事を前提にしている以上、予定者との人脈構築は完了しているはずですので。また、真偽はどうあれ彼らの中では間もなく文明社会が崩壊すると確信しているため、これから新たな人脈を構築する事に意義を感じるとは思えません』
「向こうは人間とアークエネミーの混成組織って感じだったよな」
『シュア。暴走を続ける光十字を抱え続けていたのは、恐怖と交渉、緩と急で世界中の不死者達を従える材料にできると睨んでいた可能性も高いですが』
「つまり、アークエネミー全体のリソースを余計な事に消費しているラスベガスサイドを邪魔者扱いして掃討したがっていたのか。不死者全体の意思統一を果たすために。しかもそうまでして従わせても、結局方舟に乗せる気があるのかどうかは微妙だな」
『よっ、余計な事ですってえ!?』
そりゃあアナスタシアからすれば激昂して当然だ。
「でも、エリア51の機密サーバーにアブソリュートノアに関するデータが眠っていたって事は、米空軍とも繋がっているって話になってくるのか?」
『シュア。複数のペーパーカンパニーを経由していますが、軍からアブソリュートノア側へのネット送金や機密情報のやり取りに、ジェームズ=ウィリーウィリーのPCが使われています。パス認証にユーザーの虹彩を使用。認証機材であるウェブカメラ映像を見る限り、特になりすましや物理的な強要などがあった訳ではなく、本人がPCを操作していたと見て間違いなさそうです』
つまり、アブソリュートノアからのリクエストを受けてエリア51が動き、ジェルやステルス爆撃機でラスベガスを襲った。そうしなければ、乗船チケットを失ってカラミティの時に取り残されるから。そんなところか。
シビリアンコントロールって言葉がある。軍の兵器は現場の持ち主が勝手に使える訳じゃない。となるとゴーサインを出した議会の方も怪しいな。誰も彼もカラミティとやらに抗う事を諦め、乗船チケットを掴むのに必死らしい。水面下では一体どれだけ汚染が進んでいるのやら。
「アブソリュートノアについては? 義母さんに関する情報はないって話だったけど、組織の他のメンバーの名前や資金源なんかはないのか?」
『シュア。基本的にエリア51は外郭組織に過ぎず、アブソリュートノアそのものの直接運営には食い込めなかったようです』
『……世界一謎めいた軍事基地だっていうのに、ガキの使いなの。とんでもないわねアブソリュートノア』
『ただしそれとは別に、アブソリュートノアという単語がヒットする資料があります』
「それは?」
そもそも僕達は便宜上『船』って単語を使っているけど、実際のアブソリュートノアが何なのかも分かっていない。巨大な地下核シェルターかもしれないし、海に浮かぶメガフロート都市かもしれないし、地球脱出用の大型宇宙船かもしれない。
とにかくマクスウェルは言った。
『シュア。フーバーダム。砂漠の街ラスベガスの貴重な水瓶の底に、アブソリュートノア04というピンが立っています』