濁流にまみれて横殴りの雨に打たれながら、僕は決断していた。

「……するもんか」

 自分の口から、改めて言葉を放つ。

 世界の全部に挑みかかるための儀式として。

「後悔なんかするもんか……!!」

 だって、これまでの行動のどこに間違いがあった。アナスタシアをジェルから助けたかった。委員長と一緒に逃げたかった。音信不通になったエリカ姉さんやアユミを見つけたかった。ジェルや爆撃を利用したネバダ空軍基地の陰謀から世界中のアークエネミーを守りたかった。アブソリュートノア04に逃げ込むVIP達が許せなかった。黙っていては本当に消えてなくなってしまうラスベガスの人達をジェルの中から引きずり出したかった。

 何が間違えているものか。

 誰に遠慮する必要なんてあるものか!!

「だから最後の最後にこんなキズをつけるなんて絶対に許さないぞ。僕は諦めない、絶対に諦めるもんか! お前を捜し出して、みんなで揃ってこんな悪夢から抜け出すんだよお!!!!!!」

 どれだけ無駄でも、何度だって金属パイプを濁流の中に突き入れて、感触の有無を確かめる。濁流や豪雨に体温を奪われて体の動きもぎこちなくなってきたけど、もうどうでも良かった。

 助ける。

 アユミを助ける。

 何としても妹を助け出す!!

 こんな水の流れの中じゃ階段も上がれない。

 だけど、パイプの先にわずかな引っかかりがあった。

 ほんのわずかな違和感。

 それは川の底に沈む砂金の粒にも等しい僥倖。

「アユミ?」

 返事はない。

 だけど信じるしかなかった。

「いいか。絶対離すなよ、アユミ!!」

 無我夢中だった。

 とにかく綱引きみたいに金属パイプを掴んで真後ろに引っ張る。引っ張り続ける。重たい感触があった。僕も疲労でボロボロだったけど、でもその重さだけがすがるべきものだった。

 最後はほとんど真後ろに倒れ込むようだった。

 茶色い濁流に空いた排水溝。その渦の中から、見慣れた頭が浮かび上がった。

「ぷはあっ!?」

 浮かびかけた頭が再び沈もうとして、僕は慌てて飛びかかった。水の流れに負けて再び地下に落ちそうになっていたその影を全力で引きずり上げる。

 アユミだった。

 強く強く抱き締めた両腕の中に、いつもの妹がいた。

 スマホがぶーぶー震えて警告を発してきた。

『ノー。まだですユーザー様。スタンドの構造全体にダメージが入り、濁流の上に虹色の油膜が広がっているのを確認。かなり危険な状況です』

「ちくしょう、最後の最後まで!!」

 まだ咳き込んで目を白黒しているアユミの腕を引っ張って、暴風に全身を叩かれて濁流に足を取られながら、躍起になって壊れたガソリンスタンドを飛び出していく。傍から見れば不器用な盆踊りにでも映っていたかもしれない。だけど僕達はとにかく必死だったんだ。

 どうにかこうにかガソリンスタンドの敷地から抜け出した時だった。

 直接の原因が何だったかはもう分からなかった。


 ドガッッッッ!!!!!! と。

 背後で大爆発が起きて、背中を叩かれた僕とアユミは濁流の中へ顔から突っ込まされる。


 多分鼻を打ったと思うし、背骨全体も激しく軋んだはずだった。

 だけど茶色い濁流から二人して顔を上げた時、もう笑うしかなかった。

「は、はは」

「ふふっ」

「あはははは!! くそったれが、生き残ったぞ! 僕達は生き残ってやったんだ!!」

「お兄ちゃっ、自分で作った人工ハリケーンに散々翻弄されといて何言ってんの、あっはは!!」

 二人して濁流の中で尻餅をついて、燃え盛るスタンドを眺めて馬鹿笑いしていた。

「マクスウェル、ハリケーンの様子はどうだ」

『シュア。経過良好です。ラスベガス市街への到達を確認。民間気象予報士サイトレベルですが、多数のジェルを巻き込み、引き千切りながら攪拌しています。効果あり。飲み込まれた人々が吐き出されていくのも確認。建造物は地下構造体レベルで倒壊していますから、屋内の取りこぼしもないでしょう』

 ……ああ。でも、それだとラスベガスのどこかにあるスパコンのメフィストフェレスはどうなったんだろう。地下まで掘り返す勢いって事は助けてやれなかったかもしれない。

 そんな風に思っていたけど、スマホ越しにアナスタシアからあっさり言われた。

『あん? メフィストフェレス本体がベガスにあるなんて誰が言ったのよ。本体はマサチューセッツの大学にある私の研究室よ。光ファイバーがあれば少なくとも地球上じゃタイムラグなんて認識できないもの。何光年も離れた銀河間で宇宙人とメル友やっているんじゃないのよトゥルース』

「……、」

 感傷を返せ馬鹿野郎と言いたい。

「でもお兄ちゃん、助かった人達がまたジェルに食べられちゃったら意味なくない?」

「ヤツらは空気の攪拌に反応するんだ。きっとハリケーンを追い駆けて街から出ていくさ。こいつは一過性のものだから、陽射しを取り戻した砂漠で立ち往生してくれる」

「その後は?」

「マクスウェル。近隣警察に匿名で通報。ジェルに速乾セメントの粉末なんかをぶつけて固める方法を知らせておけ。ヤツらは生物捕食がベースだ。あのぶかぶか作業服もやってただろ、ジェルはゴムやプラスチックは食べない。ヤツ自身の持つ水分を使って無機物と結合させてしまえば、それ以上は動けなくなるんじゃないか? ダメなら溶けた鉄やガラスと絡めてしまうのもありかもしれない」

『シュア』

「今度は軍を動かせなくたって、ここは小型飛行機で農薬ばら撒くような大味な国だ。民間レベルの力で安全な大空から砂漠を見渡してセメントの粉末で空爆する方法なんかいくらでもあるだろ。何だったらUAVやドローンでも構わない」

 明確に殺せるとは限らないから、核廃棄物最終処分場とかで永久保管してもらうのが妥当だろうけど。アメリカならそういう施設だって腐るほどあるはずだ。

 ……命を奪えない。

 僕はほっとしているんだろうか。ある意味でもっとひどい事を指示しているのに。

「はは」

 後悔は後で良い。とにかく気持ちを切り替えよう。

 ようやっと。

 息を吐いて、僕は妹に当たり前の事を提案する機会に恵まれたんだから。

「さあ帰ろう、アユミ」