第二章
翌日。
学校が終わって夕暮れ。放課後になるのを待って僕はアナスタシアと合流した。
場所は彼女の泊まっているビジネスホテルのカフェラウンジ。ぱさぱさのサンドイッチと何倍薄めたんだか分かりゃしないコーヒーくらいしか並んでいないような場所だ。それでも高校生の僕からすれば、ホテル自体がちょっとした異次元だけど。
「おーそーいーわー!! 出席日数なんてデータをいじれば良いじゃない」
「マクスウェルはそういう事をするために組んだんじゃないんだよ」
「……あの馬鹿げたスペックを委員長の水着ダンスとやらのためオンリーってのもなかなかにかっ飛んでいると思うんだけど」
げふん。
文句ばっかりのアナスタシアだけど、昼の間に一人で街を回ったりはしなかったらしい。わざわざ僕達と合流するのを待っていてくれた辺りは素直に可愛い。
そう、アナスタシアは基本的に可愛いのだ。ちんちくりんで極悪なハッカーだけど。白みが強くて長い金髪に透き通るような肌。ワインレッドのドレスや腕に抱える小型犬を模したお高いペットロボットも背伸び感全開。所々のミスマッチなセレブ感も微笑ましく映る。デメリットがチャームポイントに変換されているって事はいよいよ彼女の輝きは本物だ。お人形さんみたい、という月並みな言葉がこれほどカッチリはまる子も珍しい。
「昼の間は何してた?」
「うん? ホテルでごろ寝して時差ボケを治していたのと、後はワイルド@ハントで買い物かな」
「……海外旅行に来てまでネット通販かよ?」
「今はもうGPSを預ければ世界中どこだって届けてくれるのよ。備え付けの石鹸とかシャンプーとか気に入らなかったからお風呂セット全部揃えちゃったわよ」
そりゃまた何とも微笑ましい、なんて思っていたら、
「そうそう、暇潰しがてらにマクスウェルちゃんの本体をどこに隠しているか、モバイルいじって探りも入れていたわ」
……ほんとに特定されていたらどうなっていた事やら。さっきからマクスウェルは借りてきた猫みたいにだんまりだし、例のお祭りが終わるくらいまではちょっと真剣に警戒しておいた方が良さそうだ。
「夜になったら姉さんとアユミも合流するよ」
「ふうん。ゾンビはともかく吸血鬼っていうのも大変そうだわ。地味に足枷の多いアークエネミーって印象だし、そのくせ変に知名度が高いから専門のハンターがあっちこっちうろついてるし」
まあそんな話は当の本人が一番良く分かっているだろうから、僕達がとやかく言うような事じゃない。
「それじゃあお目付役が到着する前に怪しげな買い物は済ませておかないとだわ」
「おい」
「トゥルースだって分かってんでしょ。これだけ同業者が集まる機会なんて滅多にないわ。それにあらゆる監視の網から逃れる方法はじかにやり取りする事よ。ハッカー御用達の道具をかき集めるなら今しかない。でしょ?」
まあ確かにそういう一面もあるけど、やっぱり専門的な知識は不可欠かな。そもそもハッカー同士で中古のパソコンやモバイルを売買するなんて、どんなバックドアで情報洩れするか分かったものじゃないし。市販のセキュリティソフトにかけて脅威はゼロ件、安全ですって出た時にそれ以上調べようがないやと思うくらいならやめた方が良い。ぶっちゃけ僕だっておっかないからやりたくない。
「出るわよ」
「目星は?」
「当然ついているわ。この日のためにどれだけリサーチを重ねてきたと思ってんの」
二人してビジネスホテルを出ると、早速正面にあるディスカウントストアの壁一面の巨大な液晶モニタがおかしくなっていた。店頭CMはすっかりなりを潜めてずらずらと人名リストがスクロールしているだけ。タイトルには明日の犠牲者とあった。どこかのバカが街中の脆弱スマホをクローラー検索して、いつでも侵入可能な持ち主達へ警告を飛ばしているらしい。
「センスないわね」
「あれ全部アナスタシアのチルドレンだろ。フリープレイフリーアクセスとか、ハックオアスレイブとか、デジタルライフセーバーとか」
「トゥルースそれはあんまりよ。ワタシは警告に自己顕示欲は織り込まないわ。警告なら本人のマシンにひっそり無害ウィルスを打ち込めば良いでしょ。大衆に広める意味が分かんないわ」
「すっかり蜘蛛の巣が張った公衆電話のアクセス速度が最適化されてぶっ飛んでいるし、頭の上でケンカしてるドローンは複数の人間で制御奪い合ってんのか? 何にしても危ないなあ」
『ノー。コントロールを人工知能に任せ、効率良く供饗市内全域を回ってプロアマ問わず全てのwi-fi通信を盗むよう自律飛行させているのでしょう。機械が自発的に行う犯罪に法的責任は問えません』
「今すぐ遮断」
『シュア。一名様、ハッカーの祭典へご案内です』
よそ様の情報犯罪者の遊びに横槍を入れたので、すぐさま辺り一面に胡散臭い電波が飛び交った。だけど甘い、今から通信経路を逆探知するんじゃ遅すぎる。
遊ぶならあらかじめエリア内の通信基地を押さえてからスタートを切るべきだったな。騒ぎが起きてから慌てふためいても後の祭りだっていうのはお互い良く分かっているだろうに。
『匿名化サーバーを特定、IP乱数表の解析完了、個人特定終了しました。該当者を地方警察生活安全課サイバー犯罪係に通報しますか?』
「今日はお祭りだからそこまでしなくても良い。ランサム攻撃開始、ヤツのハックツールをルート三でランダム暗号化作業開始」
「あっはは、トゥルース! それじゃ誰かさんのマシンを石化しちゃうのと同じじゃない!!」
「何も五万年かけて自力で暗号を解けとは言わないさ。マクスウェル、ICカード対応の自販機のどこかに正解の乱数表ファイルを埋め込んでおけ。ヤツには死に物狂いで宝探しをしてもらおう。健康的に、リアルの街を散々走り回ってな」
一応テクノパレードはホワイトハッカーの祭典って触れ込みなんだけどな。結局、白も黒も厳密な線引きなんかないのか。アナスタシアも正義の心でやってるっていうより、そういう縛りを設けた方が楽しいって感じだし。
「お見事トゥルース、でも順調すぎるのが逆に引っかかるわね。相手は市販品だった?」
「ウィナーズ10リビングプロフェッショナル。通信関連は有線ポートなし、グラボとマザボが融合していたからキーボードと切り離せるタブレットPCかな」
「わお、とびきりのバカ!!」
アナスタシアはアメリカ国籍を存分に活用して自己表現していた。
「もしも一線のハッカーが家電量販店に並んでいる八九九・九九ドルのパソコン相手にかじりついて胡散臭いフリーウェアを落としているだけだと思ってんならその時点で失格だわ。ソフトとハードは表裏一体。売り物のパソコンでつつける脆弱性なんてたかが知れてるもの。ほんとに魔法を使いたければまずステッキにこだわる必要があるっていうのに」
一口にハッカーって言っても色々いるとは思うけど、今はお祭りの真っ最中だ。地元民でもない限り、大きな機材を抱えた部屋の中でキーボードに向かっている人種は少ないだろう。光ファイバー通せば地球の裏側にハックマシンを置いて信号を往復させたって速度ロスはないし、最低限のモバイルや携帯ゲーム機だけ持って会場入りした人の方が多いはず。例外は、自作のハードウェアを見せびらかしたい人がキャンピングカーとかで乗り込んでくるケースくらいかな。
「マクスウェルはそういう不正なサーバーシステムじゃないんだけど」
「でも現に勝ってるじゃない、圧倒的な勢いで」
まあ、ハッキングとかサイバー攻撃とか言葉にすると難しそうだけど、ようは開発者が想定していなかった方法で信号を通す、これだけだからね。
テレビゲームで言うと、スタッフがあらかじめ埋め込んでおいた裏技を見つけるのが市販パソコンのハッカー。スタッフも想定していなかったバグ技を見つけるのがハードウェア込みのハッカー。これくらい差がある。
例えばバーコード一つだって、レジの読み取り機を持っているかいないかだけで選択肢は変わってくる。アナスタシアみたいな本職のハッカーはあらゆる信号方式を読み取りたいと願っていて、新しいものが出るたびにその読み取り機や解析機にあたるでっかいサーバーシステムを組み上げて悦に浸っている。
当然、バーコードのタテジマを目で見て必死に解き明かそうとしている人とは五歩も一〇歩も先を行く。プログラムはコードや数式が全てで、厳密に言えばあらゆるファイルは暗算でだっていつか解ける。でも一つの数式を解くのに一〇〇年かかる人と〇・〇一秒で済ませられる人とでは生きている間にやれる事で幅が出るのも分かるだろう。
さぞかし難攻不落に見える暗号ファイルやファイアウォールだって、ようはCDの溝みたいなものだ。普通の人はキラキラ光る盤面と睨めっこしてもデータを引き出せないけど、安物のコンポを一つ持っていればボタン一つで音楽を垂れ流せる。それがものすごい勢いでいたちごっこを繰り返していると思えば良い。
もちろん。
実際のサイバー攻撃では一〇〇万回成功を重ねようがたった一回失敗すれば逆探知されて警察に自宅のドアを蹴破られる、というリスクも込みで。
「けど、アナスタシアってマサチューセッツの大学で飛び級してるんだろ。はんだづけの基板工作だってあそこより詳しいトコなんかあるのか?」
「ちっちっちっ。素人発明家の狂ったインスピレーションを馬鹿にすると痛い目見るわよトゥルース」
「……それは手作りシミュレータを独学で拵えた僕に対する嫌味かよ」
「最大級の賛辞よ」
アナスタシアは即答だった。
彼女は小型犬ペットロボットの頭として連結した携帯ゲーム機とは別に、わざわざノートサイズのタブレット端末を取り出して、
「ともあれ、ワタシが狙っているのはこれだわ、クアッド浮動演算基板。こいつがあれば未来が見えるはずなのよ」
「……ガワとかコントローラに関してだけなら、大昔のゲーム機のエミュレータに見えるけど?」
「ええ。四つの安いICが互いの負荷を読み取りながら互いの計算を肩代わりする最適化回路よ。でも別に四つにこだわる必要なんかない。これ、コードをいじって大規模化すれば一億台でも一〇億台でもマシンを繋いで並列演算させられるかもしれないの。電子の交通整理がとにかく狂ってて信号ロスは限りなくゼロに近く、全ての参加マシンの力を万全でプロジェクトへ活かせるくらいにね。そのマシンパワーがどれほどのものになるか、分からないとは言わせないわよ?」
「……おっかない。今度はヒトゲノムでも解析するつもりか?」
「そんなのもう半年以上前に終わってるわ。あ、これオフレコよ?」
アナスタシアは冗談なんだか本気なんだか分かりにくい答えを返しつつ、
「ワインで金属を煮たら常温超伝導の突破口が開けたじゃないけど、ほんとハードウェアに関してはイカれたインスピレーションが時代を切り開くからね。一人で災害環境シミュレータを組み上げたトゥルースもそうだけど、こればっかりは一からテキスト開いて知識を積み重ねるだけで手に入るような安いギフトじゃないわ。だから純粋に羨ましいのよ、目に見える学歴以外何も与えてもらえなかったワタシからすればね」
「隣の芝生が青く見えているだけだろ。学歴社会の端っこに追いやられた側からすればやっぱり嫌味にしか聞こえないぞ」
「トゥルース、確たる力を持つ者が無理解な周囲の評価にビクつくほど無意味な行為はないわ。いいえ、いっそビッグデータだのAI予測検索だのが幅を利かせる時代になっても未だ盛大に間違える余地が存在するって事にワレワレは希望を持つべきかしら?」
まあ、お互いの見解はさておき。
「その基板を作った人もお祭りに来てる訳?」
「わざわざ偽名で新しいアカウント作ってそいつのフレンドやってんの。『無二の親友』扱いの許可をもらうまでに一万六〇五四字も打ち込んで信頼を得たわ。クソそのものの日記だの自作小説だのを全部追い駆けて星五つつけてね。まったくIMFのメインフレームに潜って一ドルの価値を八九エンまでズラした時だってハックツール任せでこんなに指動かさなかったこのメイデン様がよ! だからまず間違いないわ。基板そのものが手に入ればベストだけど、ベターでも図面くらいは欲しいわね」
「吹っかけられるだけ吹っかけられて逃げられたらどうすんの?」
「まず代金は言い値で払う用意はあるわ、最高にクールで頭のイカれた孤独な発明家に最大級の敬意を評してね。ただ、それでも手に入らなければ物理接触してストレージを漁らせてもらう事になるわね。払った分だけ」
「……そりゃまた何ともお祭りらしい」
「もちろん暗闘にならない事を祈っているわよワタシだって」
「アメリカ人って何でそう自前の正義の押し売りが大好きなの?」
「そんなのハリウッド映画観れば分かるでしょ、むしろ生まれてこの方押し売りしないヒーローなんて見た事ないわ。あっ、ほら来た!!」
大通りを挟んで向かいの歩道を歩く誰かさんを見て急にこそこそし始めるアナスタシア。こうして見る限り、相手は上から下まで全部合わせて一万九八〇〇円って感じにてかてか輝くグレースーツで身を固めた、くたびれたおじさんにしか見えない。……ひょっとしたらうちの学校の制服ワンセットより安物かも……?
「なあアナスタシア、なんかいかにも会社に居場所がなくて公園でお弁当食べてる感じなんだけど。あのおじさんがゾンビマシンウィルスとかに感染して哀れな中継地点にされているなりすまし被害者って可能性は?」
「何言ってんのトゥルース、時代の波でも観測されない本物のオーラを感じない? いやまあトゥルース自身が大物過ぎて自分の体臭に気づいていないようなものかもしれないけど」
「後で話し合おうアナスタシア。誰と誰を同じ引き出しに入れているんだ、まったく」
と、そんな風に言い合っていた時だった。
再びディスカウントストア壁面の巨大液晶モニタが沈黙を破ったんだ。
『先日供饗第一放送で発生した情報漏洩事件に対する続報です』
歩行者信号が青に変わるのを待ちながら、アナスタシアはくつくつと意地の悪い笑みを浮かべていた。
「まさか自分の放送電波を使って捏造虐待の事件について報道しなくちゃならない日が来るだなんてね。こんな皮肉が他にあるかしらトゥルース!?」
「……ここで笑ってしまう辺りがほんとにハッカー向きだな、アナスタシア」
「あれだけド派手にやっておいて、自分だけは無関係と断言しちゃうトゥルースも立派な資格持ちだわ」
しかし話はそこで終わらなかった。画面の中のアナウンサーは淡々とこう続けたんだ。
『怪情報の真偽はさておいて、その方法の是非を問えば紛れもなく情報犯罪です。弊社では被害届を提出すると同時に保安部門と警察とで連携を取り、本件の加害者を必ず見つける事を表明し……』
「おいおいおい」
「チッ、安い手で情報操作に走ったわね。トゥルースを責める事で自前の虐待騒ぎから目を逸らそうと必死だわ」
信号が切り替わったので横断歩道を歩きつつ、そんな会話を交わす。
だけどテレビはマスメディアだ。イマドキは倫理委員会とかがうるさいから根拠のないニュース原稿なんて読ませない。茶番は茶番なりに、大々的に仕掛けたからには水面下の下拵えを済ませているはずだ。
「マクスウェル、周辺情報チェック。僕の個人情報、あるいは被疑者進藤マツリの件を調査しているデータ上の痕跡を当たってみろ」
『これはまた随分と漠然としたコマンドでシステムはげんなりですが、有象無象の三流スポーツ記者やネットニュース投稿者以外でよろしければ、もっと先にお耳に入れるべき案件をキャッチしております。大変失礼ですがそちらを優先させていただいても?』
「……相変わらずすっごいわね。〇と一の羅列が滑らかに皮肉を返しているわよ」
横から画面を覗き込んで純粋に目を丸くしているアナスタシアはさておいて。
横断歩道を渡って例の冴えないサラリーマン風の方へ。向こうもこっちに気づいたみたいだ。
たすかるよ、とそのおっさんは苦笑していた。
……アナスタシアが買い物に僕を引っ張り込んだのは、小さな子供が道端でたくさんの紙幣を取り出していると、大変大人気ないカツアゲに見えかねなかったからかな。
しかしそんな風に考えている暇もなかった。
『テレビカメラを担いだ一団が当システムの物理本体を保管している湾岸のコンテナ置き場に踏み込んできました。狙いが何であるかは言うに及ばずでしょう』
「逆探知されたっ? 使ってる演算機器を取り上げてデータの流れから僕の素顔を暴く気か!」
『付近に停車中の放送車から、生放送のスタンバイを確認。緊急特番を挟み、放送電波に乗せての公開処刑が目的でしょう。必要であれば、全データの物理削除も可能です。指示を』
「それってお前を形作っている並列機器をまとめてショートさせるって事だろ。誰がこんなつまらない話で手放すもんか」
『感動的な話は結構ですが、システムには物理的な手足はありません。相手がこちらのコンテナ番号を把握している場合、見過ごされる事はないでしょう』
おっと、とトラブルの気配を感じ取ったのか、ビニールパッケージされた絵ハガキサイズの基板をアナスタシアに手渡したおっさんは速やかにその場を離れていく。
……立ち話で済ませられる感じでもなくなってきたな。僕達はすぐ近くにあったオープンカフェのテーブルに注文も取らず勝手に腰掛けながら、
「トゥルース、偽の配送リストを挟み込みましょう。コンテナを移動させるのよ!」
『ノー。すでにコンテナ置き場に捜索者が踏み込んでいるため、今から物理本体を動かせば不自然な注目を浴びるだけです』
僕とアナスタシアは二人で一つの画面を覗き込みつつ、チューナーアプリを起動して、
「……マクスウェル、まだ放送自体は始まっていないらしい」
『シュア。時間の問題でしょう。確実にハックマシンを押さえてから発見の報を飛ばす予定のようです』
言うまでもないが、マクスウェルを押さえられたら僕は終わりだ。犯罪の凶器は裁判が終われば返却される事なく破棄されるから、マクスウェルにも未来はない。
かといって今からヤツらの目と鼻の先でコンテナを大きく動かしても悪目立ちするだけなので、それはそれで意味がない。
『接触まで約二分。打開策がなければユーザー様の承認がなくとも全データの物理削除を実行します』
これで万事休すか?
いいや、ちょっと冷静に考え直してみよう。
僕はいったんスマホを丸いテーブルに置くと、そのテーブルの表面を指先でこんこん叩きながら、
「マクスウェル、ヤツらの移動拠点である放送車には侵入済みなんだよな。だから特番の放送スケジュールなんかも掴んでいる」
『シュア』
「……つまり引くに引けない状況じゃない。トカゲの尻尾はまだ効くな」
「?」
すっかり椅子を寄せてきたアナスタシアが小首を傾げていたけど、今は細かく説明している暇はない。
「じゃあ放送車にあるホストのコンピュータ経由でコンテナ置き場に踏み込んだ実働隊のモバイルにアクセス。今すぐ内部のファイルを書き換えろ」
『具体的に何を?』
「標的のコンテナ番号をDの一九からFの九二へ変更。前に偶然見つけて頭を抱えたアレだ」
『シュア、そういう作戦ですね。では善意の通報もセットでしておきましょう』
「頼む」
何が結局どうなったの? と小型犬ペットロボットを抱えて身構えている幼い戦友の頭を片手でぽんぽんしながら、僕はヤツらの通信の傍受に入る。コンテナ置き場は固定だ。防犯カメラの映像やエリア近辺を飛び交う電波を味方につけるため、保管場所の通信基地には最初から細工を施してある。
『ディレクターのキューはいらない。合図を出したらすぐに放送を切り替えろ。誰に手を出したか骨身に刻んでやる』
『目標のコンテナを発見』
『確認するぞ、「Fの九二」。これから中を検める!!』
窓拭きのために外へ出てきた店員さんが怪訝な顔をするのも構わず、アナスタシアは甲高い声で叫んでいた。
「トゥルース!!」
「大丈夫、Fの九二は差し替え済みのデータだ。Dの一九、マクスウェルのものじゃない」
「そんな一時しのぎをしたって連中はすぐにでも周辺の捜索に戻るわよ。ノーヒントだってしらみ潰しにやられたらいつか正解に辿り着いちゃうわ。早く次の手を考えないと!」
「だからそんなチャンスをヤツらに与えないさ。馬鹿どもがデコイのコンテナに触れた時点でチェックメイトだ」
「っ?」
アナスタシアは僕の言葉の内容よりも、顔色そのものに困惑したようだった。まあ、全く焦りがないのもおかしく見えるか。
傍受先からはこんなやり取りがあった。
『アナログ錠を確認。バールでこじ開けるぞ。せーのっ!』
『開いた。カメラを入れろ。ハックマシンを押さえ次第放送開始!!』
『……ちょっと待て。何だ、この白い粉が詰まった袋の山は……?』
よし。
僕は思わずテーブルの下でグッと拳を握って、
「マクスウェル、適当な警報にわざと接触!!」
『すでに通報済みです、陸路と海路の双方から現着を確認』
パチン、と思わず意味もなく指を鳴らした直後、スピーカー越しに今世紀最高の喜劇が始まった。
『止まれ馬鹿ども! 海保だあー!!』
『えっ、なん……?』
『密輸物資の情報を聞きつけて横取りにでも来たか。残念だが指定薬物は理由の如何を問わず触れた時点でご法度だ。全員ここで拘束する!! ……今夜は長い夜になるぞ』
『ちっ違う、私達はテレビ局の人間で……!!』
最初、訳が分からずキョトンとしていたアナスタシアは、状況を理解するにつれてじわじわと笑いの衝動に襲われてきたようだった。
それは膝の上に小型犬ペットロボットを置き、小さな両手でお腹を押さえての爆笑へと膨らんでいく。
「ぷっ、くく。あははは!! トゥルース、アンタいつから安っぽい火災報知機に落ちぶれたの!?」
もちろん押してはいけないボタンじゃなくて、イタズラ電話やホームセキュリティを利用して一般家庭に警察官を送り込む悪質なハッカーを指す。
まあそれはさておき……そろそろ店員さんの目が厳しくなってきたな。結局何も頼んでないし。アナスタシアと二人で椅子から腰を浮かせつつ、
「マクスウェル、コンテナ置き場全景をチェック」
『シュア。放送中継車が立ち去ったのを見て衝動的に逃亡を図ろうとした一名が押し倒されています。これで公務執行妨害がついたので逮捕拘留は確定でしょう。彼らが立ち去り次第、偽りの配送票を差し込んでシステム物理本体のコンテナ位置を移動させます』
四本足のペットロボットを抱える事なく歩道に置いてカメラやセンサーで追従させながらアナスタシアは小首を傾げていた。
「そういえば、テレビ局側はあっさり末端を見捨てたわね。報道の自由とか振りかざせばもうちょい粘れたものを」
「あくまでも生放送の準備中だったからな。これがすでに放送電波に乗っていたら、引くに引けずに徹底抗戦していたかもしれないけど、水面下で処理できるならトカゲの尻尾を切ってしまった方が波風は立たない」
そういう意味では助かった。
おそらくプログラムをいじって出力リミッターを切っているんだろう、高速道路みたいな勢いで車道端をぶっちぎっていく電動アシスト自転車の一群を目で追い駆けながらそっと一息つく。
『しかしユーザー様、だとすると』
「ああ、コンテナ置き場に来たのは少なくとも一蓮托生の正社員じゃない。知らぬ存ぜぬが通じる、おそらく外注のセキュリティ部門として雇っていた連中だろう」
つまり有名企業が表立って採用する事のできない、職業的なハッカー集団って訳だ。そんな連中が弔い合戦と称してコンテナ置き場までやってきた事を考えると、この件はちょっと面倒かもしれない。
「ふうん。企業お抱えのハッカー集団ね。親日派っていうのを込みにしても、これだけじゃ絞り込みできないわね」
こっちはテレビ局の暴走を防いで作られた虐待を止められればそれで良かったんだけど、思ったよりもアングラで大きな敵が芋づる式に出てきてしまった、とでも言うべきか。
すでにケンカは売った後だ。
やった事に後悔もしていない。
セレブなママ友みたいに道行く女子大生とペットロボット同士でご挨拶させているアナスタシアを横目で見ながらそう思う。……いやアナスタシアもちんちくりんながら肩書きは女子大生だったんだっけ。
その上で重要なのは、
「マクスウェル、地方警察周辺をチェック。例のハッカー集団はすぐ釈放されるだろうけど警戒を解くなよ。まだ終わりじゃない」
『シュア。連行された実行犯そのものはどうしましょう』
「別に釈放されても構わない。連中の帰り道を防犯カメラや衛星で辿って、他の仲間が潜んでいる隠れ家まで案内してもらえれば儲けもんだ」
気になる点が一つ。
顔の見えない相手とケンカをするのは構わない。コンテナ置き場にテレビカメラを持ち込まれた時点で、すでにこっちは火の粉を振りかけられている。ただし〇と一で殴り合う前に、これだけは絶対に押さえておきたい事があった。
「……いくら何でも、マクスウェル本体のコンテナ番号まで詳細に辿られるのがあまりにも早すぎるんだよな」
『単に相手を過小評価している可能性は?』
「そりゃもちろんこの広い世界のどこかには映画みたいな夢のミラクルハッカーがいるのかもしれないさ。ところでマクスウェル、コンテナ置き場の貨物リストの管理コンピュータは知っているよな。常に流動的に入れ替わる海運側じゃなくて、半ば物置化している死蔵側の方だ」
『シュア。ウィナーズ三・一フューチャーエディションです』
ペットロボットのご挨拶(まあ水面下では冗談半分で赤外線や近接電波を使ったサイバー攻撃でも繰り広げていたんだろうけど)をやっていたアナスタシアが思わず噴き出した。
「ぶっ!? 何ビットマシンよ、もはや博物館に展示すべき化石じゃない!!」
「あそこに詰めてるじいさんがレトロな囲碁ゲームマニアで絶対譲らないんだ」
僕だって肩をすくめてしまう。
処理の速さ柔軟さを求める僕達とはまた違ったこだわりの持ち主だ。それであれだけ長い間丁寧に扱い続けてきたんだから、十分に尊敬に値する。
「なんとびっくり五インチのフロッピードライブのついた、電話線に直接繋がった黄ばんだデスクトップ。まあテキストデータの検索をするだけなら十分なんだけど、これじゃあ逆にイマドキの侵入手段は使い物にならない。細い細い電話線は必要な時以外はジャックから外れてるし、メモリも少ない、ドライバだって古すぎるからマルウェアも走らないんだ。しかも企業の誰も面倒見なくなったOSにあのじいさん毎月自分で書いたセキュリティパッチを当ててる。だから、並のハッカーが自作のマルウェアに任せて広く浅い高速インターネットからデータを収集しているだけでランダムアクセスされるとも思えない。最初からピンポイントでレトロマシン用の侵入ツールを構築し直さないと無理なんだよ。なのにヤツらはそれをテレビ局の件からほんの一日二日でやってのけた。一体どうやって?」
あ、とようやくアナスタシアは合点がいった声を出した。
模擬戦というかベンチマークというか、とにかくご挨拶を済ませた女子大生とは別れつつ、僕達もあてどもなく歩を進める。
……そう、じいさんのオリジナルパッチで独自の方向へ勝手に伸びてる化石マシンへ侵入する事はできるかもしれない。でも標的が化石マシンだと分かる『気づきのきっかけ』が存在しないんじゃどうにもならないはずなんだ。
『当システムは開発段階では複数の企業や大学からのデータ協力があったはずです。そちらのサーバーに不正アクセスがあったのでは?』
「電子回路の図面のやり取りがあっただけで、彼らはマクスウェルがコンテナ型になっている事も知らないはずだ。ましてどこに安置しているかなんて分かるはずもない」
小さな公園までやってくると、そこらを四駆っぽいRCカーが走り回っていた。てっぺんに丸い的がついているけど、コルクの銃を向けると自動的に逃げ回るようプログラムされているらしい。
『以前は定期的にシミュレーションデータも提出していました。発信電波の位置を特定された可能性は?』
「データについては面白がって毎度地球を三周くらいさせてたろ。そんなやり方で見つかるとも思えない」
今はもうプログラミングなんて学校の授業でも出てくるくらいだ。逃げ回るオモチャのオフロードカーにタブレットを突きつけ、赤外線ハックを仕掛けて動きを止めようとしている子供達を横目で見ながら考える。
単に僕が自意識過剰なのか。
相手は僕より腕があって、すでに情報の海は顔の見えない誰かの掌の上なのか。
もしも、そうじゃないとすると、
「……面倒な相手かも」
「んっ? まさかトゥルースひょっとして」
うん、と僕は頷いてから、
「今度の相手はアークエネミーとしての『力』を利用したハッカーかもしれない」
例えば、だ。
人の心を読めるハッカーがいれば、未発見の脆弱性を探し回ったり標的のパソコンをキーロガーで汚染させたりする手間を省いて、ダイレクトにパスワードを打ち込んで秘密のシステムにログインできる。
あらかじめ未来を予測する瞳があれば、毎回百発百中で逆探知完了二秒前に痕跡を消して逃げ延びる事もできる。
エンジニアの心を操れれば、開発中のシステムに内側から意図して脆弱性を埋め込ませる事だって。
そんな馬鹿なと笑い飛ばしたいけど、生憎今はもうゾンビとか吸血鬼とか、人間を超えたアークエネミー達が我が物顔で闊歩する時代なんだ。そしてコンピュータネットワークは何も力を持たない人間だけの特権じゃない。現にアナスタシアだって正体はメイド妖精のシルキーなんだし。
古来からの『力』と惑星を埋め尽くす未来のネットワークが結びつけば、そこには新たな可能性が芽生える。僕みたいな一山いくらの人間には逆立ちしたって届かない、生まれや血統が直接モノを言う特権だ。
おそらく世界で一番厄介な、異能ハッカー。
断線していようが孤立していようが問答無用で秘密のコアへ押し入ってくる、スタンドアロン侵入者。
「親日派で企業お抱え、しかも異能ハッカーを擁しているですって……?」
……もしもそんな個人なり集団なりが敵側にいれば、化石となったウィナーズ三・一の壁だってお構いなしだ。一発で正解を引き当ててこっちの本丸に手勢を差し向けてくる。その場しのぎでマクスウェル本体の位置を移動させたって隠した事にはならないかもしれない。
相手は誰だ。
どんなアークエネミーだ。
そして具体的な『力』の正体と、その応用力の幅は?
これが分からない事には安心なんか得られない。そのためには逃げているだけじゃ突破口は開かない。こっちから攻めて攻めて攻め抜いて顔の見えない相手の正体を暴かないと……。
『ユーザー様、供饗第一放送周辺でおかしなデータを見つけました』
「今さらだな。今度は一体何だ?」
公園を抜けて路上で色んなアンプやスピーカーなんかを並べている露店の横を通り過ぎながらそんな風に言い合う。……あれスタンガンに使う部品取り用のジャンクショップか、危ないなあ。
『大量の返金記録です。供饗第一放送からネット通販大手の株式会社ワイルド@ハント日本支社に向けて。通常、この手の支払いはスポンサーからテレビ局への一方通行ですので、返金が発生する事自体かなり稀な現象と言えるでしょう』
何故だか露店に近づこうとするアナスタシアの首根っこを押さえると、彼女はそのまま首を傾げて、
「んっ? んん? 放送事故でもあってCMを流せなかったとかかしら」
「マクスウェル」
『顧問弁護士の事務所にある本年度中の記録を洗いましたが、ワイルド@ハントがスポンサー契約を結んでいる番組でそのようなトラブルはありませんでした。つまり、考え方が逆なのです』
「……何故テレビ局から返金が発生したかじゃない。何故そもそもワイルド@ハントは大量の金をテレビ局に送りつけていたのか、か」
本当に銀のアクセサリみたいな感覚で色んなジャンクが並んでいる。完全なオフラインの安全を手に入れる鉛の内張で補強した電波遮断スマホケースとか、自撮り棒に見せかけた高感度アンテナとか、手製のオモチャも多い。
『調べてみたところ、ワイルド@ハントはちょうど今、この時間帯の放映権を購入していたようでした。ただし水面下スポンサーとして』
ようはCMを流さずにお金だけ払うスポンサーだ。ビジネス上全く意味はないんだけど、スポーツ中継や地方ローカルのお笑い番組など、番組自体を支えたいという願いからたまにあるらしい。
ただ、四半期単位で二つも三つもCMを撮り下ろしているワイルド@ハントならその必要はない。
『美術関係の下請け業者経由で供饗第一放送の資材を確認すると、記者会見用のバックボードとしてワイルド@ハントのスポンサー名が入ったものが見つかりました。過去の映像記録と照らし合わせても、使用された痕跡はありません』
……つまりこれから使うために温存していた。そして僕が邪魔しなければ、今頃緊急生放送に切り替わってマクスウェルの存在が暴かれていたはず。
ワイルド@ハントのロゴがデカデカと入った背景を背負ってテレビ局の重鎮達が僕を糾弾するような画を作りたがっていた。
道端にしゃがみ込み、小型犬ペットロボットに着せる服を見ていたアナスタシアは訳が分からないといった困惑しきった顔で、
「ハックオアスレイブだわ」
「何だって?」
「ワイルド@ハントの他、何社かと組んでいる企業契約専門のハッカー部隊! 確かに親日派で異能ハッカーを抱えてるって噂もあったわね。自分じゃホワイトハッカーなんて名乗ってるけどとんでもない、ようは企業や警察へ協力する代わりに悪さをしても顔馴染みって事で捜査リストから外してもらえる『クソ有毒な漂白剤まみれのハッカー』よ! あんなのがワタシのチルドレンだなんて呼ばれているのも腹立つ!」
ただ、アナスタシアもアナスタシアで、どうしてここでハックオアスレイブが顔を出したかまでは分からないらしい。目を白黒させながら、
「じゃあ何かしら。今回の騒動はハックオアスレイブの雇い主、むしろワイルド@ハントがテレビ局の背中をつっついてやらせていたっていうの。でもどうして!? あの特番は作られた虐待の追及をかわすための茶番劇だったはずだわ!!」
「……エルフのアークエネミー、酒井イオリの周囲には何があった? あの虐待から出戻りする必要がありそうだ」
僕はメガネ用よりも細かい、スマホ分解用のドライバーセットなんかを見て回りながら、ゆっくりと息を吐いた。
「ひょっとすると今回の図式と同じで、供饗第一放送は手足に過ぎず、頭の部分はワイルド@ハントなのかもしれない。あんな大企業が個人宅の閉じた事件を操って何を得ようとしているかなんてサッパリ分からないけど」
アークエネミーの『力』さえ利用した異能ハッカー集団、ハックオアスレイブ。そんな凄腕が地方のテレビ局と外部契約を結んでくすぶっているのは妙だと思っていたけど、それだって世界的企業ワイルド@ハントが自前のトラブルシューターを貸し与えていた、と考えれば分不相応な高火力も納得できるんだ。
……だけど、もしもそうなら厄介だぞ。
ネット通販なんてそれこそ日々サイバー攻撃の脅威にさらされている。特別な思想や信条なんてなくても、ちょっとでも悪知恵があれば支払いを免れたいって欲に駆られるからだ。そんな中でも滅法危険の高い案件を処理する専門スタッフだとしたら、ハックオアスレイブの実戦経験は僕達の比じゃないはずだ。蛇の道は蛇。その中には反則だらけな異能ハッカー同士の殴り合いだってあっただろう。
人材だけでこれだ。
そこへさらに、何十億人レベルのビッグデータ、配送トラックのドライブレコーダーや無人配達ドローンに使われる大量のカメラレンズ、世界中にくまなく敷き詰めた拠点に置いた大規模通信機材を並列に繋いだ危ないオモチャなどなど……。そういうワイルド@ハントの『装備』を貸し与えたら、それこそハックオアスレイブは電子の網で戦争を起こせるくらいの大戦力になるんじゃないのか!? 冗談抜きに、後先さえ考えなければ国がなくなるレベルのだ!!
ジャンク露店を見て回りながら、アナスタシアはやや青い顔に自分から血色を通すようにわざと大きな声で言ってきた。
「で、でもトゥルースはかわしたわ。現に生放送は潰れてワイルド@ハントの思惑は崩れてる。ワタシ達は勝ったのよ!」
「いや、あんなのはイリーガルな方法で見つけたデータは公に提出できないから辻褄を合わせるために用意した茶番みたいなものだろう。平たく言えば公的機関はどうあれ、ワイルド@ハント内部では天津サトリが最重要容疑者……つまり倒すべき敵として登録されたままだ。こいつを何とかしない限り永遠に狙われ続ける羽目になる」
つまり、だ。
「……こっちからワイルド@ハントのシステムへ仕掛ける以外に安心は得られない。誰でも知ってる、それこそ下手するとそこらの国より知名度の高いあの巨大企業相手にだ。くそ!」