• アジャスト・レックス

    アジャスト・レックス
    ネット通販大手の株式会社『ワイルド@ハント』社外取締役幹部


第五章



 スマホは失ったけど、マクスウェルはまだ生きている。あいつの本体は遠く離れたコンテナで、スマホはコミュニケーションを取るためのツールに過ぎないんだから。

 アジャストの術中にはまるな。

 IoTのオーブン、壁にかかった内線電話、正確に時間を刻む電波時計……。どこに潜んでいるかは知らないけど、今もマクスウェルの耳目は僕に寄り添っているはずだ。ただ口がないから、その言葉を聞けないだけで。

「諦めろ。結束バンドは両手を揺さぶったくらいじゃ千切れない。無駄な努力を繰り返しても手首を痛めるだけだぞ」

「……、」

 こいつは何で今すぐ僕を殺さないんだろう。

 より大きな苦痛や恐怖を与えるため? 何か聞き出したい事があるから?

 そうでないとしたら。

 外から攻めても手に入らないものは、中から本人に持ってきてもらえ。

 ……くそ、僕だって何度もやってきた事じゃないか!

「どうしようかな」

 床の僕からは見えない位置にある調理台の上を、アジャストの太い指が這い回る。

「どうすれば効率的に悲鳴を引き出せる? 包丁や肉叩きではワンパターンかな。全身くまなくフォークを突き刺したりフライパンでフルボッコというのも工夫がない。おっと、この店はポテトが美味いんだった。油は良い温度になっているかな」

「……狙いは義母さん、アブソリュートノアの乗船チケットか?」

「言っておくが、先に仕掛けてきたのはお前だろうゴキブリ野郎! オレはただ、自分の損害に見合った賠償を求めているだけだ。基本的人権ってヤツだよ」

 ……そのためにカメラの前で僕に煮えた油を浴びせて交渉に入りたい訳か。

「ワイルド@ハントがそんなの許すのか? アンタ一人が生き残るために、会社の看板を背負ったままここまでしたんだ。絶対に見逃されるはずがない!」

「ワイルド@ハントの経営陣なんて! どうだって良いんだ!!」

 叫び返されて、思わず思考が空白に埋まった。……こいつは今、なんて言った? これは単なる狂人のたわ言なのか???

「オレは社外取締役だった。親の金で飯を食ってるガキには分からんだろうが、ようは同じテーブルに着けなかったんだ。あのモンスター企業を一代で急成長させたのはオレだったのに!」

「……、」

「金の作り方も分からない、人脈も作れないで恨みを買うばかり。そんな連中がどうして大企業のトップに立てたと思う? ……ペンシルバニアのレストランで予約が取れるからだそうだ」

 意味が分からなかった。

 だけど余計な一言を挟む余地もない。冷静なようでいて、いつ何がきっかけで爆発するか分からない不吉なさざ波を秘めていた。

「ジャズステージなんかもう何年も使われず埃だらけ、ゴルフシミュレータも黄ばんだ型落ち品。八人も座れば満席で、何よりとにかく料理がまずい。……だけどいつでも予約で満席の店へ自由に入れる人間だけが、勝ち組の星を手に入れられるんだとさ」

 それはきっと、方舟とも違うルール。

 どこまでも不毛で、僕達なんかには届かない世界の話。

「世の中こんなのばっかりだ。実力も資金もどうでも良い。スーツの仕立て屋、高級外車のカーディーラー、ヨットクラブ、WQF航空のロイヤルファーストクラス、ライフル同好会……。決められた狭い枠に収まれば星が手に入る。それを州の数だけ、五〇集めなくちゃ本物の特権階級にはなれないんだと」

 こいつはきっと、そこまで届かなかった。

 ……のか?

「ラスベガスのフーバーダムにあったアブソリュートノア04の顛末は知っているか?」

「……、」

 義母さんが、誤って選抜テストをクリアしてしまった腹黒い重鎮達を始末した、浄水器のフィルターみたいな施設だ。

「うちの経営トップは誘いが来た。オレはきちんと警告したんだ! 結果何が起きたと思う? みんながみんな恨み節さ、よくも救いのチケットを奪ってくれたなって!」

「アンタ……」

「かといって慣れない手つきで手提げの金庫から拳銃を取り出す事もない。殺し屋を雇うでもない。……こんな世界の終わりに何をしていると思う? 相変わらずペンシルバニアのレストランの扉を叩いているだろうさ、それ以外に何もないからな!」

 本当にそうなら、流れ着いた無人島で必死になって札束の詰まったジェラルミンケースを抱えているようなものだ。滑稽なくらい環境に適応するのを忘れている。

「つくづく失望した」

「……、」

「抜け殻はもう良い。背中を追い駆けるのももうやめた。オレは一人でも先に行く。方舟さえ踏み台にしてな」

 ……マクスウェルはこの事態に気づいているか。

 いいや、気づいていたとしても僕の命を助けるために他者とコンタクトを取ってしまう可能性は高い。

 義母さんの天津ユリナはもちろん、吸血鬼の姉さんにゾンビのアユミ、後はハッカーのアナスタシア、何だったら魔女の伊東ヘレンやダークエルフの村松ユキエなんかだって。

 誰が釣り餌に引っかかるか予測がつかない。人質は僕だ。だからこそそんな真似はみすみす許さない!

「……諦めろ、アジャスト。義母さん達は絶対に来ない」

「方舟はペンシルバニアのとにかく料理の不味いレストランよりはまともなルールで動いているだろう。天津ユリナがお前を方舟に導こうとするなら、何かがあるはずだ」

「義母さんは家族を守りたいだけだ! でも僕一人のために総倒れになるなら、父さんや姉さん達を守ろうとするはずだ!」

「さあてどうかな。その情を周囲に納得させるためには、どんな利があったのやら。あるいはそれは方舟全体のマスターピースかもしれんぞ」

「興味がないって……言ってんだ!」

 両手をついて足のバネを使い、一気に伸び上がるようにタイル敷きの床から飛び起きる。

 そう、後ろ手で結束バンドで縛られていたっていう前提を無視して。

「な、っ……!?」

 アジャストは訳が分からないといった顔で後ろに下がろうとしたけど、なんて事はない。結束バンドは金属でできた手錠じゃない。合成樹脂、プラスチック系だから熱に弱いんだ。鋭いハサミやナイフがなくたって、適当な壁の突起なんかに何度も何度も擦り付ければ摩擦熱を利用して強度をヘタらせる事ができる。あまりにも地味だから映画やドラマじゃまず出てこないけど!

 そして後ろに下がったのは間違いだったな。

 アンタ自身がオモチャ選びのためにポテトを作る揚げ物用調理槽に近寄っていたんだ。こっちは調理台から武器を取るまでもない。そのまま全体重をかけて分厚い胸板に体当たりをぶちかます!!

 ……後ろに下がった、っていうのがアンタの敗因なんだ。地に足をつけて受け止めようとすれば、体格差にものを言わせて踏み止まれたかもしれなかったのに。

「ぎゃっ」

 スタンガンの出番なんかなかった。

 アジャストがバランスを崩す。ぐつぐつに煮えた油の海へ、そのスタンガンを掴んだ片腕ごと突っ込ませる。

「ぎぎぎぎゃぎゃぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 これが火事場の馬鹿力なのか、残ったもう一本の腕を振り回されただけで僕の体が宙を舞った。真ん中の調理台を超えて背中から壁にぶつかり、思わず呼吸が詰まる。

「あ、あが、あぐががが……」

 たっぷり油で満たされた揚げ物用調理槽からようやく腕を抜いたアジャストだったけど、もうまともに肘や手首の関節を動かせるようにも見えない。熱で溶けた衣類が絡みつき、揚げ物とプラスチックの溶ける匂いが壮絶に混じり合っていた。

 そして、アジャストも意図してやった訳じゃないだろう。指先がケイレンしたか、熱で筋肉が収縮でもしたんだ。とにかく手首と一緒にこんがり素揚げにされたスタンガンのスイッチが反応し、油まみれのまま青白い火花を散らした。

 劇的。

 それくらいしか言葉が出ないくらいの勢いで、まず赤い炎がアジャストの腕を伝った。さらに揚げ物用調理槽全体に火の粉が落ちて一挙に火柱が上がる。

 ドワッ!! と。

 ほとんど見えない壁みたいなのに顔を叩かれるような熱風があった。

「ぐ……」

 ここにいたら僕も炎に巻かれる。

 熱、光、煙。様々なものに追われながら、でも僕は思わず業務用の冷蔵庫に飛びついた。何故だか見当たらない店員、アジャストが意味深に視線を投げていた場所。息を吸って、止めて、それから一気に扉を開く。

 ほとんど凍りかけた誰かがいた。

 バイトらしい青年はやっぱり結束バンドを使って後ろ手で両手を縛られているけど、まだ生きている。アジャスト側にここから出す気があったのかは果てしなく疑問だけど。とにかく肌が壁に癒着していないか確かめながら引っ張り出し、今度こそ厨房を飛び出す。

 すでに一般フロアにまで黒煙は雪崩れ込んできていた。

「げほっ、ごほっ!」

 飛び出すというより二人して転がり出るようにして、とにかく店の外へ。

 だが、危機はまだ終わっていなかった。

 大空を何かが駆け抜けていた。

 旅客機かと思っていたけど、冷静になれば近い。ゴッ!! と真上を突き抜ける衝撃波に身をすくませた。

「……今の、ワイルド@ハントの無人輸送機?」

 バイトの店員のつぶやきに背筋が凍る。

 そしてメチャクチャな航路をなぞって飛行機雲でも残すように、後には何かがあった。多い。六枚羽にクレーンキャッチャーみたいなツメを繋げた、配送用ドローンだ。それにしたって多い!! 一〇〇機一〇〇〇機じゃ済まないぞ!?

 一つ一つは無害なオモチャのようでも、数が集まれば話は変わる。慌てふためいて煙だらけの店内に逃げ戻る僕達目掛けて羽虫の群れみたいに大量のドローンが迫り来る。屋内に入った事で難を逃れた僕達に代わって狙われたのは、火事の現場に近づいて呑気にケータイのカメラを向けていた野次馬だった。

「えっ?」

 肩を掴まれていた。

 胸、背中、頭、太股……。次々に配送ドローンのクレーンアームに肉や服を掴まれ、そして呆気なく天上に舞い上げられる。

 視界から消え、声だけが残った。

「うそだろっ、何だよ、ふざけんな!?」

 配送用だと一機辺りは五キロが限界だったか。でもそれだって数を集めれば人間一人を持ち上げるパワーを得られる。

 ごんっ!! と。

 鈍い音と共に、大きな塊が路上駐車してあった車の屋根に落ちた。空中で暴れたからっていうのもあるけど、あれがドローン達の武器なんだ。あいつらは高さを凶器に変えている!?

「なあアレ、逃げてくんじゃね……?」

「僕達だけが狙いじゃない? 表を歩いている人なら誰でも良いのか!?」

 とにかくバイトさんの両手を縛る結束バンドを火の点いた木片で溶かして切ってやりつつ、僕達はそんな風に言い合う。

 ……店内まで入って来ないのは、やっぱり炎や煙を見て危険エリアと判断しているからか。あるいは配送ドローンは自由な大空を飛んで番地単位での運搬をベースに設計されているはずだから、屋内移動のためのルーチンが組み込まれていないのか。……確かあれ、マンションや団地だと管理人室一極扱いで、オートロックのゲートを潜って階段やエレベーターを上って個別のドア先まで訪問するほどの性能はなかったよな。

 ただ、答えは意外なところからやってきた。

 炎で埋め尽くされた厨房のドアから誰かがぬっと現れたんだ。

「ああ、元々何もしなくたってカラミティまでは秒読みだった」

「アジャスト=レックス……」

 信じられない。

 こうしている今も右半身を丸ごと炎に包まれ、溶けた夏用コートや高級スーツを肌に張り付かせるくらいの大火傷なのに。何でこいつは平然と立っていられるんだ!?

「だが世界を支えるワイルド@ハントが意図してバランスを崩せば、こちらからリミットを縮めてしまう事だってできる」

「世界の、バランス? 意図して崩すだって!?」

「目に見える範囲が世界の全てとでも思ったか。ああそうだ、こんなもん同時多発的に起こして今じゃ地球儀は丸ごと新サービスのドローンで埋め尽くされているさ、オートメーションでな!!」

 意味が分からなかった。

 青い顔で狂人を見やる僕達なんて、こいつは気にも留めていないようだった。人間松明のように燃え上がりながら、両腕を広げて天を仰ぐ。

「聞こえているか天津ユリナ、アブソリュートノア!! さっさと方舟を用意しろ、マスターピースを入り口まで導け! 閉じた救済のためにはこれが必要なんだろう、世界はもう秒も保たんぞ!!」

 何が真実かは分からない。本当に世界中がワイルド@ハントのドローンで埋め尽くされ、人も車も羽虫のようにたかられて天から突き落とされているのかなんて。

 でもとにかくこいつが全部の元凶なんだ。僕は近くにあった消火器を掴んでぶん殴ろうとした。

 実際には触れた途端、焼けたフライパンに掌を押し付けるような痛みが走り抜けた。

「熱っつ!?」

「そうだ天津サトリ、現実とは非情なんだよ」

 そしてその一瞬で全部失った。アジャストの腕一本、燃えていない左の方で首を掴まれて持ち上げられる。頭に回る血の量の問題なのか、一気に視界が狭まった。

「かっ……!?」

「今、無事な左手を使ったのは交渉のためだ」

 情けない悲鳴を上げて、バイトの青年はドローン禍の屋外へと飛び出していった。彼がどうなるかはもう把握できない。今の供饗市はもはやゾンビや吸血鬼が闊歩する街並みと何も変わらないんだから。

「これからゆっくり時間をかけて、右手を押し付けていこう。この燃え盛る右手を使って、末端からじわじわとだ。マスターピースの破壊は方舟の破壊だ。どのタイミングで天津ユリナが動くか、祈っていると良い」

「アジャスト……!!」

 直後にそれはやってきた。


 ドガシャアア!! と。

 店の全てをぶち抜く勢いで、大型トレーラーが突っ込んできたんだ。


 常識も何もあったもんじゃなかった。そもそも入り口を壊すんじゃなくて横合いの壁を突き破ってのご登場だ。でもおかげで吊り上げられていた僕は無事だった。棒立ちのアジャストだけを狙って、奇麗に大型特殊のバンパーの端が怪物を吹っ飛ばす。

「うえっ、げほ!!」

 首を抑えて咳き込む僕をよそに、車内で何かがもぞもぞ動き、そして助手席側のドアが勢い良く開かれた。

 そこにいたのは、

「サトリ、早く乗って!!」

「義母さん!?」

 早いな、挑発から何秒あった!? まさに何とも大人気ない美人の義母であった。詳しい話は後、くらいの分別はあるつもりなので、僕は混乱した頭を引きずったまま助手席へと飛び込んでいく。

 フロントガラスの向こうで、何かが蠢いていた。

「アジャスト=レックス。う、嘘だろう!?」

 後部のコンテナ込みで二〇トン近くあるんだぞ。別に天津ユリナに人殺しをして欲しい訳じゃないけど、何で直撃しても起き上がれるんだ!?

「……格下のハックオアスレイブでさえ、異能ハッカーを抱えていたんだ」

 炎と衝撃でズタボロの夏用コートや高級スーツが、崩れる。その奥で何かがばらりとほどけていく。

 待っていたのは、あまりにも大量の包帯? いや、いいや、ひょっとしたらあれは……!?

「ミイラ……アークエネミーだったのか!?」

 人間もアークエネミーも同じか。不死者は人と変わらないってだけで、悪事を働かないって訳じゃない。

「だとすれば分かるな。オレの肉体は元を正せば王の転生を見越して容れ物を永劫に保つための全てが注がれている。俗世の熱や衝撃程度でどうにかなるとでも思ったか!!」

 しかし義母さんは意に介さなかった。

 彼女の中での一仕事は、息子の僕を取り戻した時点で終わっていたらしい。形の良いお尻を浮かして運転席に戻りつつも額の汗を気持ち良さそうに拭って、

「でもミイラがわざわざ面倒な作業を挟むのは、遺体保存に際して『あるもの』がとっても怖かったからよね」

 冷酷極まる顔で笑っていた。


「つまり水分。そろそろ一般フロアもスプリンクラーが動くんじゃない?」


 ザザッ!! と。

 大粒の雨がフロントガラス一面を叩いた。

 そして義母さんは相手の反応なんて見なかった。シフトレバーを乱暴に掴んだかと思ったら、あろう事か全力全開で馬鹿デカいトレーラーを前に突っ込ませたんだ。

 水で弱体化する。

 それを宣告してから、弱ったところへ容赦なく。

 派手な音と共に入ってきたのと反対側の壁をすっかりぶち抜いて大型トレーラーが表へ飛び出した。邪魔な路上駐車の軽自動車をいくつか弾き飛ばしつつ車道に出る。アジャストがどうなってしまったのか、そんな確認なんて誰も挟まなかった。

 ブゥ、ン!! と。

 プロペラの唸りがあった。すぐ横、ドアの窓をもう大量のドローン達が埋め尽くそうとしている。

「うわっ!?」

「大丈夫よサトリ。一般の4ドアくらいなら危ないけど、いくら何でもこのトレーラーまでは持ち上げられないわ」

 このハリウッドみたいな馬鹿げたスケールにも一応意味があったらしい。

 でも、安心なんかできやしない。

「……頭の上が覆われていくぞ」

 まるでラスベガスで見た砂嵐だ。今に陽の光さえ遮りそうな勢いで、黒い点の集合が青空を端から蝕んでいくのが分かる。

 恐ろしい話だけど、投げ出す訳にはいかない。僕は僕でスタンドに固定されたカーナビを見つけた。ここ最近のは本体がカーステレオのスペースを埋め尽くしちゃうようなものじゃなくて、画面と本体を合わせてもカードサイズでしかない。ちょっと指の反応が鈍いスマホって感じだった。……じゃあスマホのGPS地図アプリで良いじゃないかと言われると反論が苦しくなるけど。

 ともあれ、ネットに繋がる通信機器があるなら僥倖だ。

「マクスウェル、聞こえているなら返事をしてくれ。追跡機能を全部切ってこいつに常駐」

『シュア、了解しました』

「えっ? これってまだ位置情報垂れ流してたの? だってオプションでGPS機能はオフっていたのに」

「おっとり義母さんめ……」

 世の中にはGPS以外にも位置情報を特定する手段はいくらでもあって、スマホの地図アプリに押されがちなカーナビ業界じゃもう素人相手っていうより少しでも精度を上げてタクシードライバーやトラック運転手なんかのプロ向けに血道を上げて努力するため、複数方式を積んでいるんだけど……まあこの辺は詳しく話をする必要はないか。

「マクスウェル、周辺の無線ルーターを片っ端からジャック。全周波数帯で放出」

『ドローンの挙動に変化なし。妨害電波の効果は見られません』

「くそっ。いったん異変が起きたら後は自律で飛び回るのか。飛行制御から地図ソフトまで全部突っ込んでおくとは太っ腹だな」

 まあ、本来ならネット通販の商品を運ぶ機材だ。電波が悪いからGPSが切れて迷子になりました、じゃ商品が届かなくてクレームの嵐になるし、航空機にレーザーと一緒で悪意ある妨害だって否定できない。石を投げてドローンを落とせば商品は盗めるんだから。そうなるとマップや機体制御に複数方式が採用されてもおかしくはないんだけど。

「ちなみにそもそもの情報共有は必要か?」

『ノー。馬鹿のおねだりで世界が大変、というところまでは店内各所に潜って把握しております。おそらく全世界のセントラルサーバーではなく、普段は陰に隠れがちな最終バックアップ施設が悪用されたのでしょう』

「一四〇基で構成される重要ネットワークに致命的な問題があれば最終バックアップに権限が移る。……だけどそこがアジャストのウィルスの巣窟になっていた? いや、いくら何でも悪意あるコードを置きっ放しにしておくかな」

『そんなリスキーな行動を取る必要はないかもしれません。何しろ最終バックアップ施設は普段は完全に切断されてその存在を忘れられているのですから』

「セキュリティ競合、か……」

 ビギナーあるあるとして、複数のセキュリティソフトを同じパソコンに入れたらどうなるか、っていうのがある。より安全になる、と考えるのは間違い。セキュリティソフト同士がケンカをして致命的なエラーが起きてしまう。

「一四〇のセントラルサーバーはセキュリティA、最終バックアップはセキュリティB。個々のファイルを調べても悪意は見つからないけど、同じネットワークでかち合わせると深刻な競合が起こる。そんな風にアジャストがセッティングしていたとしたら」

『人を襲わせるのだってそう複雑な操作ではありません。元々配送ドローンには人を認識して安全に回避する機能があるはずです。そこをひっくり返せば良いのです、人を認識したら接近して「荷物」を持ち上げろと』

 バックアップはどこまでいってもバックアップで、よほどの事がなければ顧みられる事はない。年に一度の定期メンテナンスくらいしかしていなければ、誰も『怪物の待つ非常口』の存在には気づけない。

 そして誰かが鍵を外してドアを開け、安全な世界に怪物達が雪崩れ込んだ。

「……それじゃあ僕が引き金を引いたのか。セントラルサーバー経由でワイルド@ハント内部から無害なウィルスを撒いて反応を伺うなんて方法を取ったから!」

『ノー。アジャストの言動から推測すると、元々天津ユリナ夫人を揺さぶる策の一つとして使用する予定だったものでしょう。ユーザー様はあらかじめスケジュール通りにボタンを押す手はずだったリモコン式の爆弾へうっかり早めに触れてしまったに過ぎず、どちらにせよ被害状況に違いが出るとは思えません』

「でも……!!」

「はいはいそこまで」

 大量の羽虫のようにドローン達が飛び交う混乱下の街中をトレーラーで突っ走りながら、義母さんは気軽に割り込んできた。

「ドローンは大勢で人を無差別に掴んで一〇メートル、つまり三階くらいまで持ち上げてから落とす仕様みたいね。実際には空中で激しく暴れればそこへ届く前に切り離されるから、死亡率はさほど高くはなさそうよ」

「それだって放っておけない。どうせ一人一回でおしまいなんてルールはないだろう。弱ったところで何度も何度も捕まったら原形も残らなくなるよ」

「そうね。それに問題なのはドローン禍そのものより、強いストレスが原因で悪意が増幅され、大規模なモラルハザードが進みかねないって事よ」

 爆撃は爆弾に当たる事だけが問題なんじゃない。安全なシェルターにいても激しい音や振動に長時間身をさらす事になれば、この上なく濃密な死の恐怖が人の精神を蝕み深刻なPTSDを生み出すきっかけになりかねない。

 草の根を分けて全てを殺すような、完全な戦争機械なんていらない。

 ある程度歯抜けであっても、十分に心を冒す兵器になる。

「これだって世界規模で燃え上がれば大変な事になるわ。どんな政治システムだって小が大を管理するようにできているから、逆に言えば大の民衆が暴れた場合、小の軍や警察が対処不能に陥る一線ってものが必ずあるの。それに、むしろ軍や警察が率先して壊れていくケースだってあるでしょうし」

「たまに聞く軍のクーデターってヤツ?」

「警官でも銃乱射は起こすしね」

 人が人を壊し、自ら文明を否定して幸福を手放していく時代。

 カラミティ、人類滅亡クラスの大規模なモラルハザードは刻一刻と近づいている。

「大体、ドローン禍を終息しても問題は終わりじゃないの」

「?」

 それでも、だ。

 あのドローン達はバッテリーで動いているから、楽観的に見れば何時間かすれば勝手に終息する。悲観的に考えて自動的に充電まで行うとしても、そのソケットを持つステーションを全て封殺してしまえばヤツらは補給手段を失って『餓死』する。

 仮に全ステーション破壊となれば世界中でそのための戦いが必要になる。でも少なくともゴールは決まっているんだ。大停電まで覚悟すれば先に根負けするのは機械のはずだ。希望はある。そう思っていたんだけど……、

「これだけ世界を支える大企業が全ての黒幕って事で叩き潰されたら、待っているのは未だ経験もないほどの莫大な経済ダメージによる世界恐慌よ。どっちみち社会レベルでのストレスは鎮まらない。解決してもしなくても、カラミティまで発展する可能性が極めて高いの」

「……それじゃ八方塞がりじゃないか!」

 かといって、世界の安定を図るためにワイルド@ハントはお咎めなしとか、見え見えのトカゲの尻尾に全ての罪を押し付けておしまいなんて話になったら、それこそ全世界は再沸騰する。どこに何を落とし込めば膨大なストレスがなくなってくれるのか、まさに出口が全く見えない状況だ。

「そうよ、サトリ」

 あれだけ散々世界を表から裏から引っ掻き回してくれた大魔王リリスが、珍しく弱気な調子でそんな風に追従してきた。

 いいや、

「だからサトリ、お母さんはあなた達を回収したらいよいよダムの底にあるアブソリュートノアに向かおうと思う」

「なっ」

「元々そのための方舟だし、乗船チケットだわ。カラミティを止められないならスケジュールを切り上げてでも早めに乗り込むべきだしね」

 そりゃあトレーラーはこうしている今も大混乱の街中を走り回っているんだ。時には立ち往生して乗り捨てられた軽自動車なんかを弾き飛ばしながら。つまり義母さんには義母さんの目的地がある。

 でも反撃するためだと思っていた。暴走するドローン禍を食い止め、世界の問題を解決するために乗り出してきたものだとばかり。

「……逃げ出すっていうのか、自分達だけ」

「生き残るのよ。最初から想定されたコンセプト通りでもあるわ」

「まだ何とかなるかもしれないんだ! この街にだって知り合いはたくさんいる!! 起きてしまった大災害から身を守るならともかく、まだ起きてもいない終末から逃げ出すために、そいつが発生するのをみすみす流すっていうのか、義母さん!?」

「人口爆発による食糧難、温暖化による災害極大化、地下資源の枯渇、孤立主義者による世界の分裂……。元々、全世界に許容不可能な社会ストレスを与えるカラミティのきっかけはいくつも想定されていたの。モンスター企業の肥大化、いえガン化だってその一つ。いつかどこかで破裂すると宣告された脳の血管が、今日になって限界を迎えただけ。サトリはまだ起きていないと言ったけど、世界の死亡宣告なんて冷戦時代にはとっくに済んでいたのよ。もっとも、私達みたいなアークエネミーからすれば何千年も前から予言の形で伝えていたはずなんだけどね」

「……受け入れられるか」

「陽射しの中を歩けないエリカもそんな事を言っていたわね。後はお父さんも。相当抵抗されたけど、今は後ろのコンテナに詰めているわ。サトリも拾ったし、残るは頑丈な私立に通うアユミを回収すればゲームセット。お母さんの勝ちだわ」

 義母さん、天津ユリナにとってはそうかもしれない。いつか来る日に備えて莫大な準備を進めてきた側からすれば、ある意味で一番のクライマックスに映っている可能性もある。平和ボケした群衆を見渡し、それ見た事かと。

「受け入れられるかそんなもの! ここにはアナスタシアが遊びに来てる。伊東ヘレンや黒山ヒノキ、それに委員長だって!!」

「ならどうするの?」

「全世界の暴走ドローンはセントラルサーバー全体を汚染されたと判断したワイルド@ハントの最終バックアップ施設の切り替えのタイミングで、セキュリティ競合を利用して悪さをするようねじ曲げられたんだ。なら逆を辿れば……」

『ノー。一四〇の国や地域にあるセントラルサーバーにある全グループ情報を調べても最終バックアップ施設のデータはありませんでした。世界のどこにあるかも分からない、いいえ最悪衛星や宇宙ステーションに搭載されているかもしれない代物を今から特定するのは現実的ではありません』

「アジャスト=レックスだ!」

「どういう事?」

「ワイルド@ハントの社外取締役が、僕一人を迎撃するためにこんな極東の地方都市まで足を運ぶか? そもそもワイルド@ハント自体にも失望しているようだったし。あいつに他の目的があったと考えるべきだ。そして最終バックアップ施設が普段ネット上から消えているように振る舞うなら、アジャストは物理的に施設へ足を運んでセキュリティ競合の仕込みを済ませたって予測もつけられる」

 つまり、だ。

「……ワイルド@ハントの最終バックアップはこの供饗市に隠されている」

「……、」

「セントラルサーバーはワイルド@ハントのサポートエリアには必ず一つあるはずなのに、何故か日本だけよその国の余剰スペースを間借りしていた。これは単なる噂話じゃなくて、現にマクスウェルがニューデリー局を突き止めたはずだ!」

 じゃあそもそも何で日本のセントラルサーバーは動かないのか。

「ネットワークから切り離された日本のサーバーが、そのまんま最終バックアップに化けていたんだ」

『仮にそうだとして、都合良く供饗市にあるという根拠は? 言ってはなんですが特色の乏しい地方都市に』

「ここはあらゆる災害研究に特化した街だぞ、『保険』を置くにはぴったりだろ。デブリだ太陽風だで結構簡単に制御を失う衛星よりはるかに安全で信用できる。最終バックアップ、いいやセントラルサーバー日本エリア担当はこの街にある。そうだろう!?」

「よしんばワイルド@ハントのドローン禍をしのいだとして、経済ダメージから連鎖しての世界恐慌は避けられないわ。どっちみちカラミティは起きるのよ」

 確かにそこまでの答えは出ていない。

 下手に手を出してしまう事で、僕は見殺しにした傍観者から直接の加害者に転がり落ちてしまうかもしれない。

 でも。

 だけど。

「……僕は見捨てないぞ」

「サトリ」

「光十字の『コロシアム』の時と一緒だ。あれだって青いバニーガールがホストを務める娯楽番組を潰したからって絶対にアークエネミー達が救われる保証なんか何一つなかった。体裁を変えてすぐにでも別の殺し合いショーが再開されるだけかもしれなかった。それでも動いて! 結果を出したからこそ!! 今日まで繋がっているんだろう!? あそこで諦めていたら伊東ヘレンも村松ユキエも、姉さんもアユミもみんな巨大な虫かごの中で共食いを繰り返して殺されていたんだ! こればっかりは一〇〇・〇%確実に!! だったらやるしかないんだよ、人の手で積み重ねて奇跡に手を伸ばすために!!」

「……、確かに、感動的な話ではあるわね」

 天津ユリナはポツリと言った。

 だけど、

「これが赤の他人の話なら無責任に拍手喝采して送り出していたかも。でもサトリ、私はあなたの母親になるって決めているのよ。たとえどんな大罪を背負ってでもね」

「っっっ!?」

 僕ももう迷わなかった。

 ドアのロックを外し、走行中なのも無視して迷わず助手席の扉を大きく開け放つ。派手にやりすぎて開けた途端に道路標識にぶつかってドアがもぎ取られたけど、気にしていられなかった。

 男気溢れる決意で道路へ飛び出したから、じゃない。


 べだんっ!! と。

 いきなり血まみれの男が開いた助手席へと這い上がってきたからだ。


 這い上がって? だとすると下から? もはや訳が分からず頭が真っ白になる僕より、腰から信号弾みたいに太すぎる銃身を備えた単発バケモノマグナム銃を抜いた義母さんの方が的確な答えを放った。

「アジャスト=レックス!!」

 アークエネミー・ミイラ。

 この干物野郎、二〇トンのトレーラーに轢き潰された後もそのまま車体の下に張り付いていたっていうのか!? 王様がどうとか自慢してたけど、感染力はともかくとして単体の頑丈さならゾンビや吸血鬼を軽く超えているじゃないか!!

「まだだ……。オレにはお前の舟がいる。このガキがそのためのマスターキーなんだろうがあ!?」

「……っ!!」

 義母さんも義母さんで、間に僕を挟んでいると大胆に発砲するのは躊躇われるようだった。

 現実は非情で、どれだけの想いを込めて一つ一つを積み上げていっても、ほんの些細な不注意で全てを失う。

 だから、

「あっ」

 変な声が聞こえた。

 僕じゃない。

 表に張り付いていたアジャスト=レックスの肩に、配送ドローンのクレーンアームが噛み付いていた。

「あっ、ああ、あああああーーーっっっ!?」

 後はもう海鳥が群がるようだった。

 標的の除外設定をしていなかったのか、大きな怪我や火傷のせいであらかじめ登録していた顔認識データと適合されなかったのか。

 とにかく馬鹿が自分で世界に放った終末に全身まとわりつかれて、そのまんま空高く舞い上げられていく。

 ……ま、ハッカーとスナイパーが神のように振る舞えるのは居場所と素顔を知られるまで、か。

 そして僕も呑気に見送る暇はなかった。

 ドローンの群れがアジャストに注意を向けている今はチャンスだし、改めて義母さんの単発バケモノマグナム拳銃を突きつけられて脅されたら動けなくなる。

 飛び降りるなら今しかない。

 躊躇ったら逆に恐怖で絡め取られる。スタンドで固定されていたカードサイズのカーナビ機器を引っこ抜き、壊れて全開になっていた助手席から今度こそ身を乗り出す。

「サトリっ!?」

 義母さんの悲鳴じみた声を最後まで聞いていられなかった。姿勢とか受身とか考える暇もなく、高速で流れるアスファルトに触れた途端にごろんごろんと体が転がる。全身の肌の下に爆竹を束で突っ込んだように痛い! 骨という骨がバラバラになっていないのが逆に不思議なくらいだ。

「あがっ、あがが、がががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががーっ!!」

 自分の絶叫で舌を噛みそうだ! くそっ、映画とかドラマとかで良く見るごろんごろんってあれで正解なのか!? ごろんごろん歴が浅いって笑いたければ笑うが良い。でも僕にはプロと素人のごろんごろんは何がどう違うんだかさっぱり分からん!!

『急いで離れなければドローンや天津ユリナ夫人がやってきます』

「分かって、る!」

 僕は痛む身体を引きずるようにしながら、近くの細い路地へ滑り込んでいく。

 まずドローンは番地単位で住所検索して大空を飛び、目的の商品を玄関先や庭先に届けるシステムを悪用したものだ。屋内空間や極端に狭く入り組んだ路地までは対応していない。

 そして天津ユリナのトレーラーは一定以上広い道でなければ通れない。多少の壁ならぶち抜いて強引に進めるだろうけど、やっぱり道幅を押し広げながら突撃し続けるほどのパワーはないはずだ。

「ここはどこだっ? 学校の近くだとは思うけど」

『供饗第一高校まで五〇〇メートルほどになります』

「お前カーナビだとサマになるな」

『何なら女性らしい合成音声をつけましょうか?』

 ……となると、まずは魔女の伊東ヘレンや委員長からか。

「マクスウェル。アナスタシア、黒山ヒノキ、村松ユキエ、火祭アサミ、それから実の母さんの禍津タオリ。他にも誰でも良いからとにかく知り合い全員に通達。ドローン禍が終わるまで屋内から出るなと知らせておけ」

『屋内は安全という仮説を一般論化させられれば世界的に被害を減らせそうですが』

「これだけの騒ぎだと掲示板やSNSはもうデマだらけだろ。サバイバルの達人とか『肩書き』を持たない人間の言葉なんか誰も信じないよ」

 唯一の例外は直接の知り合いから連絡が来た時くらいかな。

 元凶は機械だけどカテゴリとしては世界最大規模の災害だ。イナゴの大発生とかが近い。そして人間の嫌な部分をこれでもかってほど引き出すのは、何もリアル世界だけとは限らない。

 むしろ仮初めの匿名性に溺れた連中からすれば、ネット世界の方がタガが外れやすく、疑心暗鬼に陥りやすいんだ。

 ブゥ、ン!! という不気味な羽音の集合。頭上、ビルとビルで切り取られた狭い空を多くのドローン達が飛び交う中で僕は首を縮めて、

「っ。行くぞマクスウェル、ひとまず学校までだ」

『シュア』

 そろそろと狭い路地を進む。

 ヤツらは無差別に人間を襲うよう命令されているみたいだけど、どうやって風景の中から標的を見分けているんだろう。顔認識、歩行パターン、あるいはもっと大雑把に人型のシルエット? 条件が分かればかわし方も導き出せるんだけど、流石に細かく実験している暇はないか。

 わずかでも道幅が広くなって配送ドローンの姿勢制御でも壁にボディをぶつけない、と判断されたらその時点で寄ってたかって嬲り殺しだ。嫌でも緊張が高まる。

 ……でも、逆に言えば自分から幅を狭めてしまう事でも安全を確保できるのか?

『どうなさったのですか』

「路地って色んなものが落ちてるな。ビニールロープをビル壁の雨どいなんかに通して頭の上に張り巡らせるだけで良いんだ。『屋根』を作ってヤツらを締め出そう」

 やっぱり流石に片側何車線もある大通りを全て埋め尽くすのは無理だけど、ちょっと広めの路地くらいなら努力はしてみるべきだ。

 気持ちだけは焦るけど、実際にはじりじりと時間をかけて迷宮を進んでいく。

 いつもと違う道を使っているからじゃない。ビニールロープで細工をしながらだけでも足りない。体感時間は明らかに引き延ばされていた。絶叫がもうバスで峠を走るみたいに喉元まで込み上げている。よく、ホラー映画なんかで絶対助けの来ない山奥で女優が叫びながら逃げ回るシーンを見るとこれを書いた脚本家は疑問を抱かなかったのかと呆れる事があったけど、今なら分かる。意味がどうとか関係ないんだ。叫ぶってのは具体的に助けを求めるんじゃなくて、パンク寸前の内圧を下げるストレス解放行為に近い。

 それでも、僕は搾り出すように呟いていた。

「……ようやっとの到着だ」

 学校。

 いつもの高校。

 上から下まで全面窓でびっしり、昇降口だってガラスのドア。はっきり言って籠城先としては最悪に近い建物だけど、配送ドローンのコンセプトがミスマッチだったのはやっぱり救いだった。やろうと思えばどこからでも侵入できるはずなのに、羽虫の群れみたいなドローン達は決して窓の一線を越えようとしない。

 ただ、そのルールが分からなければ校舎の中は死のストレスの塊に陥っているはずだ。蒸気機関の中の石炭が互いを熱し合うように、集団心理が負の方向に働けばどんな暴挙が起きるか分かったもんじゃない。

 現に今も、校庭から敷地外まで聞こえるスピーカーを通じて堂々とこんな声が響き渡っていた。

『生徒会長に代わって執行の任を務めます、副会長の浅鞘カクゴです。レディファーストの精神に則り、我々生徒会はまず女子生徒から頑丈な体育館に案内したいと思います。男子の皆様は別命あるまで……』

「マクスウェル、今すぐ放送室を電気着火。変態ハーレム願望丸出しのクソ野郎にこれ以上一秒も群衆のハンドルを握らせるな」

『せめて感電くらいに留めましょう。まあ確かに全校女子だけ集めてオレ一人状態で体育館を締め切るつもりなのは見え見えですが』

 ガガッギィィィーン!! という激しいハウリングみたいな轟音と共に全ての放送機材が黙った。

 ……災害現場の恐ろしさを語る言葉に、横柄な救助者ってのがある。助けを求める人に法外な見返りを要求するクソ野郎で、残念ながらこれは素人のボランティアのみならずプロのレスキューや軍人でも陥る現象だ。

 大勢からすがられる全能感。

 自分がいないとダメなんだ、という寄りかかられる事での依存の強さ。

 銃を持つと気が大きくなると一緒で、絶対的優位っていうのは人間の本質を浮き彫りにするものなんだ。

 あいつはすでに兆候が出ていた。

 生徒会長に代わって。さて、本来の会長さんはどうしてリタイアしたのか、いいやどさくさに紛れて何をやらかしたのか。是非とも話を伺いたいところだ。

 とはいえ学校にはどう入ろう。

 表の開けた校庭から昇降口に向かうのは愚の骨頂。裏手の駐車場から職員玄関に向かうのでもまだ心許ない。

「マクスウェル、侵入口を検索。ああ物理の方でな」

『あのう、大変申し上げにくいのですが』

「八方塞がりなので諦めてくださいはナシだ。あそこには伊東ヘレンも委員長もいるんだから」

『そうではなく、供饗市の地下全域には光十字が敷設した誘拐インフラの地下トンネル網が蜘蛛の巣のように広がっていたのでは? 加えて配送ドローンは屋内侵入を避ける動きを見せていたはずです。つまり超安全地帯』

「僕のバカーっっっ!!」

 もう両手で頭を抱えて絶叫してしまった。真剣に、失った時間と緊張がドッと疲れに変換されて襲いかかってくる。

 普通の人にはこじ開けられない凶悪な電子ロックでも、僕達なら何とかなるじゃないか。

「……マクスウェル、むしろ僕にハードルをくれ。ここまで命懸けで表を歩いた意味をくれ」

『シュア。供饗第一高校の場合、地下トンネルへの大扉は校舎地下から直通ではなく校庭の倉庫などと併設されています。つまり地下へ生徒達を逃がすには地獄の校庭を何とかしないといけません』

「よっしゃやる事できた!!」

 超絶不謹慎なのは自覚があるけど、エンジニア系の人間は難題を前にして己を奮い立たせるみたいなところもあるのだ。……逆に、見るからに状況が悪化していくのにやれる事はない、のデスマーチ状態が一番キツい。

「マクスウェル、地下トンネル網全ての大扉のロックを解除。デマと思われても良いから掲示板なんかに逃げ道を書き込んでおけ。最初は半信半疑でも良い、これは単なるきっかけ作り。自分で動いて開いた大扉を見れば目が覚めるはずだ」

『シュア』

「ドローン禍は世界規模で起きているけど、まずは地盤固めだ。供饗市は助かるなら助けておきたい。……当然、学校のみんなも」

 強度は関係ない。

 ようは校舎の出口から校庭の端にある地下への大扉までを、ドローン目線で侵入不可の屋根付き一本道に見せかけられればそれで良いんだ。

 つまり商店街のアーケードのようなイメージだ。

 問題なのは、狭い路地と違ってだだっ広い校庭だとビニールロープを引っ掛けるようなモノが何もないって事なんだけど。

 大胆に踏み出す事ができないまま、僕はいったん狭い路地に引き返す。壁に立てかけてあった放置自転車を手に取った。

『全力疾走でも捕まりますよ。ワイルド@ハントのドローンなら時速五〇キロ前後は出るでしょうし』

「そうじゃない。タイヤチューブを抜いて自転車のフレームをバラせば、巨大なパチンコが作れる。ヤツらを一機撃ち落とそう」

 宣言通り、真上を飛行するドローンに小石をぶつけて墜落させた。当然ながら配送用には迎撃兵器なんてついていないから、安全地帯にいる限りは反撃の心配もない。

 僕は身を屈めて残骸を掴みながら、

「さあ、こいつがどうやって外界を認識しているか、カメラやセンサーを調べてみよう」

『シュア』

 最近のカーナビにはカメラレンズもついているらしい。おそらく飲酒運転防止のため、ドライバーの顔の赤みや目線の揺れ方を調べるものだ。

 それを近づけてマクスウェルに調べさせる。

『全体の位置情報はスマホと同じくGPSとwi-fi電波の二段構え。画像処理については六枚羽の内前後二つから真下に伸びたバーについたカメラで下面三六〇度対応、補助として球状全周対応のマイクロ波レーダーを備えているようです』

 二つのカメラは動かせるってだけで、常に全範囲を撮影できる訳じゃない。つまり扇風機の首振りと一緒で死角がある。それにカメラが透明な窓ガラスや磨いた鏡なんかを誤認したらそのまま激突してしまうんだし。そういうトラブルを潰すために反射波を使ったレーダーを併用しているんだろう。

 とはいえ、

「レーダー波をかき乱したくらいじゃダメだよな。無線ルーター使ったジャミングはもう失敗してるんだし」

『シュア』

「じゃあ完全自動運転車と同じだ。実験用サーキットで白衣組の顔を真っ青にさせたアレでケリをつけよう」

 材料は……うん、何も職人の扱う旋盤で金属加工なんてこだわりは必要はない。浸食が怖いけど短時間なら大きめの消しゴムがあれば十分か。マクスウェルの計算を頼りに細かく表面を削って形を整えたら主役の出番だ。

「マクスウェル、学校敷地内で一番近くにある水道を検索」

『シュア。屋外の水飲み場ではなく、職員駐車場脇にある花壇の中に埋め込み式の散水用蛇口があります。共にまとめてあるホースの長さと直径も確認済み。直線距離で二〇メートルですので四、五秒程度。ユーザー様の身体測定データに誤りがなければ配送ドローンの群れに組みつかれる前に到達可能です』

「……間にフェンスあるんだけど、それも込みで計算してる?」

『当然。現在地から散水蛇口までの直線経路上にご注目ください。猫用の出入り口なのか、フェンス下方が意図して丸く切断されています』

 ……あんなの誰がやったんだろう、ここの生徒か用務員さんか。まあ猫が傷つかないようにかなり余裕を持って切り取ってあるけど、あれ、針金の先に衣服を引っ掛けたら身動き取れなくなって人生即ゲームオーバーっぽいな。

 ドローンだらけの青空を確認しつつ、路地の出入り口辺りで軽く準備運動。緊張しているからこそ、こんな所でアキレス腱がどうのこうののトラブルは絶対に避けたい。

「マクスウェル、ドローンの分布を追い駆けてくれ。走り出しのタイミング頼む」

『今ですなう』

「早いなタイミングがっ!!」

 ほとんど見えない手で背中をどやしつけられるように前へ。路地から飛び出して高校へ向かう。ブゥ、ン!! と。真上から複数の羽音が鳴り響いて心臓が縮む。

 最短距離を突き進むとなると裏門は無視だ。そのまま背の高いフェンスに向かって突っ走り、激突寸前でヘッドスライディング的に猫用の玄関から敷地内部へ滑り込む。穴空きフェンスをレーダー波が上手く反射しなかったせいか、真後ろで複数のドローンがぶつかってプロペラを破損させている。

「っ!」

 こっちもこっちでまだ安心できない。

 散水用に土の中に埋め込まれていた蛇口とドラムで巻かれていたゴムホースの接続を確認すると、ホース先端に消しゴムを削って作ったハンドメイドのアタッチメントをはめ込む。

 すでに無数のドローンが天空からこっちに急降下してくるところだった。

 僕は蛇口を目一杯回すとゴムホースの先を掴んで天に掲げた。


 ざざっ!! と。

 そういう噴水であるかのように、透明に輝く水のパラソルが僕の全周を取り囲んでくれる。


 まるで結界だった。

 あれだけ猛威を振るった羽虫のようなドローンの群れが、水のパラソルが描くラインでぴたりと食い止められる。小型の軽自動車くらいなら集団で掴んで持ち上げていたはずの兵器達は、シャボンのように薄い膜を超えられずにいるのだ。

「上手くいった、みたいだな」

『シュア。ドローンはカメラとレーダーで複合的に安全な針路を決定させます。双方問題なければ素通り、双方問題ありなら迂回行動を取るだけですが、双方で意見が食い違うのが一番危険であるとみなすはずです。場合によっては迂回ではなく、一時停止で現状を崩さないよう配慮し、マニュアル操作ができる管制センターに指示を仰ぐレベルで』

 ここで重要なのは、ただのシャワーやスプリンクラーと違って、隙間のないパラソル状に水の形を整えている事。おかげでドローンのカメラは透明物体を認識できず、でもレーダーは水を反射して障害物だと認識してしまう。高層ビルの分厚い窓ガラスのように。

 ……そして当然、アジャストのセキュリティ競合で暴走している今の配送ドローンはおそらく手動操作を受け付けない。管制センターの指先一つで騒ぎが終わってしまったら意味がないんだから。となるとつまり指示待ち状態なのに決して他者にコントロールは預けないって話になるから、空中で永遠に待ちぼうけに陥るのも当然だ。

「カメラやレーダーを併用する自動運転車でも、対向車線のトラックなんかが水たまりを踏んで左右へ大きな翼みたいに大量の泥水を弾き出した時に『目の前に壁がある』って誤認が起こって緊急ブレーキがかかってしまう、みたいな問題があったようだしな。かといってどこから人が飛び出すか分かんない商店街なんかを考えると緊急ブレーキの精度は甘くできないし、割と大きなボトルネックになっていたはずだ」

 ともあれ、これで手持ちの聖域が完成した。ドラム状にまとめたゴムホースの長さ限定だけど、ドローンを気にせず開けた場所を歩き回れるのは大きい。

 後はこの繰り返しなんだ。

「いったん校舎の中に入るぞ」

『大量の消しゴムが必要になります。購買部が一番の近道です』

 ……これくらい学校のみんなに協力してもらいたいけど、まあ非常時だからって言葉を盾にするのもアレか。

 レジを守るつもりだったのか、こんな時にもきっちり店番を続けていたエプロン姿のお姉さんから買い物を済ませると、僕は校舎の中にある物置からドラム状のゴムホースを取り出し、廊下の水飲み場の蛇口と接続させる。

 今度はホースの先に細工をするんじゃない。

 大蛇みたいなホースの側面に工作室にあったキリや彫刻刀で等間隔に穴を空け、消しゴムのアタッチメントを取り付けて、窓から外へ。自分の身を散水蛇口からのホースで守りつつ、校舎から校庭端の地下大扉までの道のりを校舎水飲み場からのゴムホースで結びつけていく。

「左右で二本くらいは欲しいよな、ホース」

『この道を歩くとずぶ濡れになりそうですが』

 まあ、複数の噴水がぶつかり合っても水は下に落ち続けるからな。僕みたいに手持ちで持ち歩く方式じゃないと水の方が奇麗に避けてくれる事はなくなる。

 ちなみに詳しい説明なんかしなくても、教室の窓から戦々恐々と校庭を眺めていた連中は、僕が安全に校庭をうろちょろしているだけで特大の異常事態を察知してくれたらしい。

 校舎の方に戻って水飲み場の蛇口をひねっていると、何人かが廊下に顔を出してきた。

「先輩、あの、一体何があったんですか」

「伊東さんか。細かい説明できるか分かんないけど、とにかくドローン達は水の壁と入り組んだ地下に弱いから。全校生徒を光十字のトンネルに案内したいから協力して。ああ、街中の大扉は全部開けておいたから、家や仕事場にいる家族も大丈夫だって伝えておいてほしい。直接のメッセージなら届くはず、そうやって確度の高い情報を広めていこう」

「せ、先輩、相変わらず何と戦っているんですか、もう!」

「何なんだろうな、実際。ちなみに伊東さんって世界の破滅とか言われたら素直に信じる方だったりする?」

「……ひょっとして馬鹿にしてます?」

「そうか。その反応だと残念だけど、説明の機会はなさそうだなあ」

 後輩ゾーンは彼女に任せよう。僕は僕で委員長の無事をこの目で確かめておきたい。これはもう作戦とか合理性とか関係なく。

 階段を駆け上がっていつもの教室へ。途中で先生に呼び止められた気もしたけど放っておいた。

 引き戸を開け放って叫ぶ。

「委員長!」

「はい私服で土足で大遅刻で悪びれる様子も全くないサトリ君はここで正座ーっ!!」

 スパーン! と出会い頭に本気のビンタを喰らって首を持っていかれた。あ、あうう。とにはふ委員長が無事で良かったでふ……。

 一方、両手を腰に当てての仁王立ちデコメガネ委員長はと言えば、

「で、今何してるのサトリ君」

「……と、とりあえず安全な脱出口作ったんでみんなでそっち行ってくれませんかね」

 これだけで危険な外へ命を懸けて出て行けっていうのは無理難題だけど、現に僕は『ドローンまみれの校庭を無傷でうろつく』って行動で安全を証明している。校舎から屋外にある開けた地下大扉に向けて一足早く後輩達がおっかなびっくりぞろぞろ歩いているのも窓から見える。こうなると不思議なもので、誰も一番手は嫌だけど誰も最後の一人にもなりたくないらしい。割と流れに乗っかるようにみんな廊下に出てくれる。

「サトリ君はどうするの?」

「あたくしは委員長の無事を確認したし超絶やるべき事が溜まっているのでそろそろこの辺で」

「言うと思ったけど逃がすと思う?」

「にんにん!」

 委員長が委員長過ぎたのでこっちは適当な事言って忍者ごっこをかまし、すっかり人のいなくなった校舎を爆走する羽目になった。まちなさーい、という叫びに追われてあっちこっち逃げ回り、最終的に女子更衣室の縦長ロッカーの一つにすっぽり収まって地獄の追っ手をやり過ごす事に成功。ふふふこれぞ見事な心理戦、男子の僕が女子の方に紛れ込むとは思うまい。それにしてもこんな時まで僕を心配して叱ってくれるとは。まったく委員長の優しさも使いどころだ、今ここじゃない。

「さてマクスウェル本題だ、全世界のドローン禍を何とかしよう」

『ウルトラシリアス顔を決めるのはロッカーを出てからにするべきです』

「とりあえずアナスタシアとコンタクト」

 状況を整理しよう。

 まずカラミティとは人類全体が同時多発的に深刻極まるモラルハザードを引き起こす人災の事だ。リミットは流動的で、社会的なストレスが増加するほど早くなる。

 ドローン禍は国際企業ワイルド@ハント社外取締役にして異能ハッカーのアジャスト=レックスが引き起こした世界レベルの大事件だ。

 彼は意図してカラミティのリミットを縮めた上で僕を人質に取り、災厄を乗り越えるために義母さん、天津ユリナが秘密裏に建造していたアブソリュートノアへ案内させたがっていたようだ。

 アジャストの本当の目的は分からない。方舟に救われたかったのか、骨抜きにされたワイルド@ハント経営陣と同じ枠にいたくなかったのか。

 なお、ドローン禍は世界一四〇基のセントラルサーバーで異状があった際に切り替わる最終バックアップ、いやセントラルサーバー日本エリア担当を利用して異なるセキュリティAとBをぶつける事で一気に広まった。

 アジャストが僕を迎撃するためだけに極東の地方都市まで足を運ぶのも妙な話なので、普段はオフラインを維持する日本エリア担当に小細工を弄する目的も兼ねていた可能性が高い。

 つまり。

 全ての元凶、競合基地と化した最終バックアップ施設はこの減災都市・供饗市にあると見て良い。

「……後はその場所を特定して、世界中のドローンに停止信号を一斉送信すれば問題は解決するんじゃないかな」

 こういうのに慣れているアナスタシア相手だからわざわざ説明はしないけど、ネットワークを使って外からハックするやり方は推奨しない。大ボスだったアジャストさえわざわざ日本まで来て物理的にハードウェアへ接触していたんだ。高度な異能ハッカーでもあったアジャストにもできなかった事を僕達が今ここから短時間で方法を見つけて突破するのはちょっと難易度が高過ぎる。

 持ち主のアジャストに従い、素直に施設へ近づくのが一番の近道だろう。

 カードサイズのカーナビを掴み直して、

「セキュリティ競合自体は一度ドローンのファイル構成を崩した後は単機で独立行動を取らせるけど、最終バックアップ施設、セントラルサーバー日本エリア担当との窓口は開いたままだと思うんだ」

『おーけーボス。一人で突っ走らずにワタシへ話を持ちかけた点は褒めて遣わしましょう』

「てかアナスタシア今どこにいるの? そっちは安全?」

『路駐の車の下から車の下へ。あいつら数が集まると日本のカワイイ軽くらいなら普通に持ち上げちゃうから安心はできないけどね』

「何とも小柄なアナスタシアらしい経路だけどふざけてんのか。屋内なら安全って言ったでしょ!?」

『ハッカーの本分は抜け穴探しなのよトゥルース』

 わざわざ安全地帯から抜け出したアナスタシアはそんな風に言いながら、

『街中の無線ルーターをキャリア会社ごとに分類して一つ一つ切っていくと、面白い特徴が分かってきたわ。当然、一社のルーターを潰してもドローン達はすぐに別口に乗り換えるけど、その間に必ず新しいIPアドレスに切り替わるの』

「各機体が自前のIPを管理している訳じゃない?」

『再発行されるIPアドレスはランダムだけど法則性があるわ。地球と月とハレー彗星の三体問題かしら。つまり世界で展開されるあらゆるドローンは全く同じサーバーを経由しないとよそに移れないのよ。無駄の極みだわ』

「そいつがワイルド@ハントの最終バックアップ施設、セントラルサーバー日本エリア担当だ。全ての配送ドローンを暴走させて凶器化させた競合基地!」

 アナスタシアからデータを送ってもらうと、うん、意外と近いな。ここから直線で一キロもない。表向きは実験用ガスタービン発電施設って事になってる。ようは病院の地下とかにある非常電源なんかの実験施設。大量の電気を自前で用意できる環境を作っても違和感が出ないよう書類を整え、巨大なコンピュータや冷却施設を設置しても馬鹿げた消費電力の記録なんかで外部から兆候を掴まれないようにしているんだ。

 ……対テロだか情報盗難防止だか知らないけど、本当に書類も誤魔化していたんだな。

 外から見ればコンクリートでできたでっかい箱だ。災害研究に詳しい供饗市ならどこにでもある風景の一つに過ぎない。

「よし、よし、よし」

『ですがこの一〇〇〇メートルをどう進むのです。外は相変わらずのドローン禍ですし、散水ホースも無限に延ばせる訳ではありません』

「……、」

『一度地下通路に潜り、可能な限り該当エリアに接近してから再び地上に出るのが妥当でしょうか』

「いや、街の人間が揃って逃げ込んでるなら、いくら光十字の巨大施設でもぎゅうぎゅう詰めだぞ。街に住んでる人達だけで八〇万人はいるんだから。そんな中を進むのもそれはそれで時間がかかる」

『シュア』

 忘れちゃいけないのは、当面の避難先を確保しているのは供饗市の人間だけって事。ドローン禍は世界中で起きていて、電車で一駅進めばもう阿鼻叫喚が広がっているはずだ。

 今は一分一秒を無駄にできない。

「……しかも地下にはご立腹な委員長もいる。捕まったら今度こそおしまいだぞ。お久しぶりに両足掴まれて委員長のおみ足で金的ぐりぐりされるかもしれん。う、うああ。あれは遠い昔に封印されたはずだが……」

『早くちゃんと謝れよとしか助言のしようがありません』

 そうなると、だ。

 僕は天井を見上げて、

「トリモチ作戦で良いか……」

 いくつかの仮定の話があるから、まずはその具体的な証明をしなくちゃならない。そうなるとコピー機があるのは、職員室か生徒会室かな。

「マクスウェル、GMT+9で一二〇度、垂直三万六〇〇〇キロ弱のアンテナを検索」

『その辺の屋根やベランダに固定されてる衛星放送のお皿が全部当てはまりますが』

「使えそうな脆弱性を見つけてくれ、IoT狙い、そうだな。we-zapかHEARTcrashが走るものは何基ある? 今月『発見』されたものだし、この段階でまさかゼロ件とは言わせないぞ」

 適当にディスカッションしながら廊下を歩き、ひとまず職員室へ。こっちもこっちで大慌てで出て行ったせいか、ドアに鍵もかかっておらずパソコンの電源も点けっ放しのままだった。

 ……さて。

『ユーザー様、何をしているのですか?』

「自分の複製」

 コンビニなんかに置いてあるのと同じ業務用レーザープリンタの上面にあるスキャナの蓋をバコリと開くと、ガラスの読み取り面に自分の顔を押し付けて印刷ボタンを押す。うわっ、目を瞑っていても眩しいな!

 吐き出されたA4のコピー用紙にはのっぺりした僕の顔が写っていた。それを手にすると今度は窓際に寄り、薄っぺらなガラス窓に押し付ける。

 途端に、ブゥン!! という大きな羽音がいくつも重なり合った。窓を突き破る事はないけど、複数のドローン達はしっかり反応を示している。

「……何だ、シンプルに顔認識か。これならストッキングとかフルフェイスのヘルメットなんかでも何とかなったかもしれないな」

『ノー。複数統合方式の場合は顔認識に当てはまらなくても次点の歩行パターンや音声認識などで標的識別が行われるリスクもあります。ソフトウェア解析が終わらない内からルーチンを推測するのは危険です』

「分かってるって。ようはこいつに群がる事さえ証明できればそれで良いんだ」

 念のためこのでっかい顔写真を一〇枚、いや二〇枚はコピーしておくか。それが終わったら次の材料を探しに行こう。

「やっぱり頑丈素材だと青いビニールシートかな、あれ何にでも使えるし。でもそれだけだと隙間を埋められないから、ゴミ袋とダクトテープなんかもあれば完璧かな」

『ユーザー様、クイズ形式はコミュニケーションツールとして非効率です』

「そんなつもりはないんだけどな。ちなみにマクスウェル、脆弱性の方は?」

『該当五〇二件』

「……自分で指示を出しておいてアレだけど、意外と多いな」

『リリースした当人が存在を忘れているケースもありますから。中には一〇年以上セキュリティの更新が止まったままのものも見受けられます』

 階段下にある物置から青いビニールシートやゴミ袋なんかを取り出す。

 まあ、サイズはあんまり気にしない。ある程度の大きさがあれば十分だ。

「マクスウェル、この学校って都市ガスだよな。プロパンじゃなくて」

『……、』

「おい、テンテン表示してムクれるなよ」

『……システムにはそのように高度で無意味な機能は実装されておりません』

「まだテンテンついてるぞ。とにかく家庭科室で使われているガスは?」

『実習テーブルにある元栓という意味でなら都市ガスです。ただ、携帯コンロ用のカセットボンベとしてプロパンも常備しているようです』

「なら問題ない。マクスウェル、都市ガスとプロパンの成分はどう違う?」

『液化天然ガスとプロパンガス、読んで字の如く原材料が違います』

「そう」

 僕は笑って、

「だから都市ガスは空気より軽くて、プロパンは空気より重いって違いが生まれるんだ」

 ……具体的な工作は家庭科室で良いか。

 両手で材料を抱えて廊下を歩く。

 家庭科室の鍵はかかっていたけど、まあ仕方ない。引き戸状の扉を派手に蹴破って中に押し入る。

 ガスの元栓は、よし、問題なし。

「それじゃアドバルーンを作ろう。マクスウェル、球面を作りたいから型紙を計算表示」

『構いませんが、アドバルーンですか?』

「そうだよ。空気よりも軽い都市ガスを詰めて表面に僕の顔写真を貼り付ければ、外を飛び回っているドローン達を引き付けられるだろ。誰もいないはるか上空にだ」

 ハサミやテープを頼りにビニールシートやゴミ袋と格闘し、どうにかこうにか形を整える。

 屋上まで上がるのも面倒臭いし、このまま窓から青空に解き放つか。

 ドローン達は窓辺に群がっているけど、たとえ目一杯ガラスを開け放っても屋内にまでは侵入してこない。

 ぎゅうぎゅうと押し出すように可燃性のアドバルーンを外へ流すと、早速数十ものドローン達が群がった。とはいえ、痛みも苦しみも感じない顔写真付きアドバルーンはそのまんま優雅な遊覧飛行を続けていく。

「よしよし、陽動役にはぴったりだ」

 第一段階は終了。

 でも第二段階に入る前に、確認を取っておかないとな。

 僕はカードサイズのカーナビに向けて、

「アナスタシア、まだ車の下か?」

『トゥルース……正直ワタシもクイズ形式にはうんざり気味だわ』

「もう終わるよ。それより今から一〇分で良い、絶対に車の下から出るなよ。さもなきゃガラスの雨を浴びる羽目になるからな」

 さて。

 下拵えは終わった。それじゃあメインディッシュに入ろうか。

「マクスウェル、脆弱性確認の取れた人工衛星の中で大質量のものをピックアップ、上から順に三つまで候補を並べておけ」

『シュア。第一候補はロシア製コピー衛星のニェートスキー。米製衛星に寄り添う形で地上施設からの電波情報を掠め取る目的で打ち上げられた偵察機材の一種です』

「……ロシア製か。原子力電池とか使ってないよな?」

『図面を見る限り問題ないようです』

「じゃあその衛星で供饗市全域の写真と熱源を調べて表で動く人影がいないか調べろ。確認次第衛星を墜落。ああ、軌道計算もお願い。大気圏で燃え尽きさせるなよ」

 しれっと言ったら画面の向こうのアナスタシアが噴き出した。

『ぶふっ!? なんっ、ちょ、トゥルース!!』

「別に衛星の乗っ取りなんて難易度だけなら大した事はないだろ。巷のイメージよりも簡単に故障して地上管制の言う事を聞かなくなる割に、太陽光発電ベースだから意外とシステムがそのまま生きているって話も多い。そんなのが冷戦当時から時代時代で捨て置かれている訳だし選り取り見取りだ。それに地上で馬鹿でかいクレーターを作るつもりはないよ。マクスウェル、上空四〇キロで空中分解するよう軌道負荷をかけておけ。欲しいのは衝撃波だ」

『……なるほど、CM直前のヒントでようやく答えが分かったような感じです』

 わざわざ手製のアドバルーンで学校周辺を占拠する大量のドローンを天高くに誘い出したのもこのためだ。

 ツングースカ大爆発って大事件がある。

 今から一世紀以上前の話。ロシアの人里離れた森林地帯を直径十数キロ単位で吹き飛ばした謎の大爆発だ。当初はUFOの墜落とか色々囁かれていたけど、実際には地表落着前に隕石が空中分解した事で四方八方に撒き散らされた衝撃波が原因だった。

 同じ事は、人の手でも起こせる。

 そして空中分解によって巻き起こる衝撃波なら当然、地上にいるより空中にいる物体の方が強く影響を受ける。

 だからこうなった。


 ゴッッッ!!!!!! と。

 あまりにも巨大な天からの鉄槌が、供饗市上空に誘い出されていた数百機以上ものドローンをまとめて噛み砕いていく。


 街中のガラスというガラスが砕け散り、高層ビルから落ちたそれらは透明な刃の雨となって地表へ降り注いだだろう。だけど街のみんなはすでに旧光十字の地下トンネル網に逃れているから、被害らしい被害はないはずだ。

「アナスタシア無事か?」

『トゥルース、ここまでド派手にやっておいて僕ハッカーじゃありませんは通じないと思うわよ!?』

「僕は単なる下手の横好きだよ」

 学校周辺のドローンはやられたはずだ。このタイミングで外に出て、一キロ未満の位置にある非常用ガスタービン発電実験施設……に偽装したワイルド@ハントの最終バックアップ施設、セントラルサーバー日本エリア担当に乗り込もう。

 一見すれば派手にやってはいるけど、世界を覆うドローン達に比べたら撃墜数なんて微々たる変化に過ぎない。彼らが抜けた穴を補うような格好で全体分布の再調整が行われる前に、さっさと空白地帯となった学校周辺を走り抜けるべきだ。

 時間は限られている。

 急いで家庭科室を飛び出して誰もいない廊下を走り抜け、階段を駆け下りて、昇降口から外へ出る。こういう時、車やバイクの扱い方が分からないのがもどかしい。ろくに自転車を盗む事もできず、結局現場までは息を切らせながらのマラソン大会になってしまった。

「ひい、はあ。し、死ぬ、死んじゃう……」

『ユーザー様、しゃべりながらの運動はかえって逆効果です』

 分かってるけど愚痴を言いたい気持ちを汲み取ってくれるほどの柔軟性はなかったか……!?

 どうにかこうにか目的の四角いコンクリートの箱の前までやってきた時、またあの不気味な羽音が耳に障ってきた。

 ドローン!?

 意外と早かったな!!

「マクスウェル、ゲートの正面警備は!?」

『見れば分かる通り誰もいません。雇われの警備員は自分達が何を守っているかも教えられていないようですので、命を懸けて職務を全うする気概も生まれなかったのでは?』

 ドローン禍の発生か、地下大扉の一斉解放か。どのタイミングで職務放棄したかは流石に分からないけど、とにかく今なら踏切みたいなポールを乗り越えても咎める人はいないらしい。

 こっちも余裕はない。さっさと屋内に引っ込まないと羽虫に群がられるように全身を掴まれて天高くに舞い上げられてから地上に落とされる。

 ……最悪、カメラに押さえられても死にたくないから助けを求めた、で通るか。緊急避難や正当防衛の範囲は意外と広い。人が人を傷つけると過剰防衛との壁があやふやになりがちだけど、相手はドローンやゲートなんだからハードルは随分低く抑えられるはずだ。

「このまま入る。マクスウェル、サポート頼む」

『シュア。それがシステムの存在意義ですので、わざわざ口に出して仰る必要はありませんよ』

『ひどいわっ! ワタシもレジェンド作りたいのに!!』

「そもそも今どこにいるんだよアナスタシア。計算のできない因子は作戦に組み込めないの」

 誰もいなくなった機密施設の正面ゲートを乗り越え、敷地の中を走る。ドローン達が明確にこっちを狙ってきた。捕まったら嬲り殺しだ。恐怖と焦りにすくむ足を無理矢理に動かして、四角いコンクリートの箱って感じの建物へ向かう。

「電子ロックの方式は!?」

『ノー。検索範囲に答えがありません。腐ってもワイルド@ハントの機密施設という事でしょうか。ひょっとするとメーカー施工ではなく完全な自作の可能性もあります』

「ああそうかい!!」

 どんなに複雑なロックがあろうが扉自体は透明なガラスドアだ。硬化不純物なんかで多少は強化加工されていたんだろうけど、肩から全体重をかけて思い切り体当たりしたらあっさりぶち抜けた。

 屋外、屋内の線引きで無数のドローン達は僕から逸れていく。

「……乗り切った、か。くそ」

 ジャリジャリ細かいガラスにまみれながら、僕は呻いて起き上がる。

 一体こんな場所に一年で何人が足を運ぶのかは微妙だけど、こうして見渡す限りはドラマなんかで見るオフィスとそう変わらない。つまり普通に受付カウンターがあって、待合用のソファがあって、奥にはエレベーターホールが見える。壁際のパネルには偽装用のものだろう、ガスタービン発電機に関するいくつかのプロジェクトが掲示されていた。……つくづく徹底してるな、平素なら意味もなく受付嬢が座っているんだろうか。

 やっぱり、屋内にも誰もいない。

 警備員も職員も、みんな僕が解放した近くの地下大扉へ逃げ込んだんだろう。ワイルド@ハント機密施設を守る連中が知らずに僕達へすがってきたって考えるとちょっと不思議な気分だ。

「施設はどれくらい掌握してる?」

『残念ながらほとんど成果なしです。職員が残っている可能性も考え、武器や防具で武装する事を推奨します』

 さて。

 ……勢いで入っちゃったけど、これからどうしよう?

 ここのボスだったアジャストさえ直接ハードウェアに触れて小細工していたくらいなんだから外のネットワークから侵入口を探すのは確かに絶望的なんだろうけど、マクスウェルの力を使ったって表のドア一枚開けられないんだ。セントラルサーバー日本エリア担当を流用した最終バックアップ施設の核となる通信機材、ストレージ、電源施設なんかの分厚い鉄扉はもっともっと頑丈だろうから、体当たりくらいでどうにかできるとも思えない。

 ……言ってみれば、深夜の銀行に押し入ったは良いけど肝心要の大金庫が極悪過ぎて手が出せない、って状況に近いかな。

『いかがいたしましょう?』

「基本に則る。マクスウェル、この日本エリア担当の防災体制をチェック」

『だからドア一枚開けられないっつってんだろです。データの取得もできません』

「僕は何も言わないぞ。だがもう少し頭を柔らかくするんだマクスウェル。防災マニュアルがあるのは何もガッチガチに防備を固めた当人の施設だけとは限らない」

『……、』

「あれあれー、もう答えを言って欲しい? いやあ流石のマクスウェルでも万能じゃないか、ちょっとシミュレータに期待を持ちすぎちゃったか、悪い事しちゃったかなあー」

『ノー、待ってください! ……思考処理中……出ました、地元の消防に事前提出された分が存在します。侵入して要求データを抽出中! システムは決して負けていません!!』

『……ねえトゥルース、このイチャイチャワタシも聞かなきゃダメ?』

 そんなこんなで消防署に提出されている防災マニュアルを手に入れた。

 建物の内部情報を網羅している防災マニュアルが何故外部に明け渡されているのか。そこまでのリスクを負っている理由は一つで、『我々は自前の強力な消防部門を備えているから、たとえ火事の通報なんかがあっても絶対敷地に入ってくんな』っていう圧を押し付けるためだ。

 自分で外から火を放ってから偽装制服に着替えた不審者なんかに中へ出入りされちゃ困る美術館や博物館、それから原子力発電所とか細菌研究所とかもそんな感じかな。

 当然、地元消防を納得させるための資料とは言っても全てが網羅されている訳じゃない。余計な事に首を突っ込むなと釘を刺すための資料に知られたくない事を全部書いたら意味がないからだ。それを元に綿密な襲撃計画を立てられたら一巻の終わりでもあるんだし。

 でも、ここにある資料だけでも緊急時の人や物の流れを断片的に知る事ができる。

 そして学校の非常口なんかを想像してもらえば分かる通り、緊急システムはそのまま裏口の数を増やす事も意味する。

「さて、火事が起きた時はどうなるのかなと」

『異状を検知次第、窒素ガスを送り込んで消火するシステムのようです。通常の炭酸ガスでない事にも意味がありそうですね』

「それだけじゃあないだろう。ここは世界的企業ワイルド@ハント最後の砦だぞ。おそらくこの階を除く全部が全部、業務用冷蔵庫より大きなサーバーシステムをずらりと並べて段々に積んだデータの宝庫だ。そのたった一つがトーストみたいにこんがり焼けただけで何億の損失になる? 延焼が広がったら倍々でどこまで膨らんでいく? 火が消えないから指を咥えて待っていてくださいなんて、そんな真っ当な防御システムにはしていないはずだ」

『指示を出してください具体的にどうすりゃ良いんですかこんにゃろう』

「あれあれえー? マクスウェ

『ノー!! 自力で算出しますからお静かに!! ……仮想スケジュールの数字がかなり楽観的に設定されています。つまり火災発生から解決までの時間が極端に短い。また非常口の数も職員数と比較すると多過ぎる気もしますね、つまり』

「メンドクサイからもう答え言っちゃうけど、多分トロッコみたいなレールが各階層の床や階段に敷き詰められているんだよ」

『あっ』

「火災が発生すると燃え上がった『冷蔵庫』だけ切り離して外へ放り出すか、あるいは間に合わなければ施設内の無事な『冷蔵庫』の方を全部缶詰工場のコンベアみたいにずらずらずらーっと外へ流し出す仕組みになっているんだろ」

『あー! あー!! あーっっっ!?』

「何だよそんなに悔しがるなよ、ただのナゾナゾだろ?」

 今はもう大きな工場でロボットカートの群れが材料や商品を出し入れしたり、そろそろ公道を自動運転車が走り回るような時代だ。一基一〇億、全部でいくつあるかも分からない機材の山を守るためにそうした無人退避システムが構築されていても特に不思議はない。

「……じゃあ後は簡単だ、どうにかしてデータ上で『消えない火事』を誤認させよう。こっちから侵入できなければ向こうから外に持ってきてもらえば良いんだ」

 火災報知機の仕組みは大きく分けて二つ、熱で感知するか二酸化炭素で感知するかだ。

『ぷっぷくぷー……』

「一体どこからダウンロードしたんだその感情表現」

『……ユーザー様は紳士淑女としてもう少しテーブルマナーを学ぶべきだと進言させていただきます』

 でもってこの手の大型コンピュータ施設は大抵機材が生み出す高温と冷凍倉庫みたいな冷却システムとがせめぎ合っているから、熱感知との相性は良くない。おそらく使っているのは二酸化炭素検知だ。

 電気火災の消火システムに炭酸ガスじゃなくて窒素ガスが使われていたのも、火災検知に使う二酸化炭素と消火用の不燃ガスとでごっちゃにならないようにするための配慮だと思う。……当然、こいつは逆手に取れる。

「じゃあマクスウェル、いったん屋上に上がろう」

『ぷー』

「なんか可愛いからこのままにしておこうかな」

『警告、ここで処理を誤るとシステムは本格的にメンドクサイ子になりますよ』

 前代未聞の脅迫を受けたので僕もクイズ方式を改めた。

「オフィスのエアコンだろうが大型コンピュータの冷却システムだろうが原理は同じだ。屋上に巨大な室外機があるから、ダクトを通じて小細工すればあっという間に全棟へ望みの気体をばら撒ける。毒ガスや細菌なんかの攻撃方法の一つだな」

 言いながら、カウンターの奥にあった受付嬢の私物と思しきハンドバッグを拝借させてもらう。中を漁るとヘアスプレーに制汗剤、簡単エスプレッソセットまで、まあ出てくる出てくるスプレー缶の山が。そして側面にある成分表示の細かい文字を目で追い駆ければ目的のものかそうでないかはすぐに区別がついた。

 そう。

 フロンガスや液化天然ガスは危ないという事で、スプレー缶の中にも炭酸ガスを使っているものがあるのだ。

「こいつを屋上の吸入口でまとめてガス抜きすれば一丁上がり、と」

『しかし全棟へ希釈させるんですよね、火災報知機が作動するほどの濃度を維持できるのですか』

「ダメなら屋上に七輪を置いてサンマでも焼いてみよう。まあタバコの煙一つで誤作動するようにできているだろうし、そんなに肩肘張る必要はないと思うけど」

 この最終バックアップ施設、セントラルサーバー日本エリア担当はコンクリートでできた巨大な箱だ。受付ロビーの一階を除いて大きな機密エリア、そこに業務用冷蔵庫みたいな大型コンピュータをずらりと敷き詰めている。中が何階構造かまでは見えないけど。

 ……ただ、その箱に入ろうとしない限りは自由に動ける。例えば非常階段なんかもその一つ。ここらへんは刑務所で火事が起きると全ての牢の鍵が開くのと同じ人道的見地なんだろう。非常ルートを使うのにもいちいち煩雑な許可を求めていたら、いざ火事が起きた時に炎に巻かれる職員を増やすだけなんだし。

 階段はざっと数えても一〇回以上折り返した。単純計算で五階以上、か。

 屋上のドアの前まで辿り着くと、流石に緊張がぶり返す。

「……ここから先は、また暴走ドローンの支配圏だ」

『通常、ドローンは標的を三階分ほど持ち上げてから地面に叩きつけるようですが、今回のケースですと建物分の高さが加わる可能性があります』

「分かってる」

 つまり運が悪ければ一発で即死と考えて良い。

 一応こっちもここまで生き延びた身なので、何の準備もしないで突き進むほど命知らずじゃない。単に屋上を突っ切るだけじゃなくてダクトの吸入口のカバーを外してスプレー缶でイタズラしなくちゃならないんだから、それなりに一ヶ所で留まって作業を続ける必要もあるんだし。

「……始めるぞ」

『シュア』

 幸い、ドローン禍でも電気は通っている。そしてここは莫大な知財を抱える重要施設だ。窒素ガスの消火装置やトロッコ型の機材脱出機構が示す通り、防災設備は一際拡充させてるはずだ。

 電気火災には使えないけど、でも火災原因はそれだけじゃない。普通に考えればこういうものだって備わっているはずなんだ。

「せーのっ」

 バン!! と足で鉄の扉を蹴り開ける。当然のようにこちらへ反応する羽虫の群れのようなドローン達に、僕は両手で抱えた『それ』を突きつけた。


 どこにでもあるありふれた消火ホースを。

 

 金属製ノズルをぐるりと囲むリング状のバルブを回した瞬間だった。取り扱っているのは水のはずなのに、鼓膜を打ったのはほとんど爆音だ。独立した生き物みたいにうねる太いホースを必死になって掴み、火炎放射器でもぶち当てるような気持ちで直線的な高圧放水を空中のドローン達にぶつけていく。

 元々、一機一機は小石を投げれば撃墜される程度の『オモチャ』だ。しかも配送ルーチンの関係でヤツらはドアを開けておいても屋内までは入ってこない。

 攻撃は一方的だった。

 外に何十何百集まっていようが、こっちは安全地帯から延々とアタックを続けられるんだから当然だ。

 アリモノを凶器化したに過ぎないドローン達は、冷静に観察して対処を誤らなければ怖い相手じゃない。ゾンビや吸血鬼なんかと違って汚染エリアや絶対数が爆発的に広がっていく訳じゃないから、まだしも可愛い方だ。

「なんか溜まってきたな」

『数が数ですからね』

 こっちは活路が開ければそれで良かったんだけど、それこそ誘蛾灯にやられて墜落する蛾の群れみたいだ。濡れた屋上にちょっとした小山ができてしまっている。

 そして変化があった。

 バヂッ!! という嫌な音と焦げ臭い匂いが出てきたんだ。

「うわっ!?」

『警告、電気火災発生。配送ドローンには元々雨風程度の防水加工は施されていたはずですが、高圧放水の衝撃で樹脂製ボディが破損した際に防水性も損なわれたのでしょう。また、長時間機体を飛ばすドローンは意外と大電力を抱えていますので、基板等などがショートした場合は火災のリスクが発生します』

 プラスチック系のものが焼ける嫌な匂いも漂ってきた。ドローンの死骸(?)は一面足の踏み場もないくらいだから、今に大きく燃え上がるだろう。

「……でも、見ようによっては手間が省けたのかな?」

 これなら炭酸ガスを使ったスプレー缶でダクトの吸入口に小細工なんかしなくても、本物の火事の煙をたっぷり吸い込んでくれれば当初の目的は達成されるんだし。本気で世界的企業の最終バックアップを担うなら高品質の耐火コンクリートくらいはデフォルトだろう。表面が焦げた程度で建物が丸ごと焼け落ちるとも思えない。

『そんなに上手くいくのトゥルース?』

「普通なら警報が鳴っても職員が手動で止めるかもな。でも今は誰もいないんだぞ。自分達で蒔いたタネとも知らずにさ」

 ガゴンッ!! という重たい金属音が下の方から鳴り響いてきた。トロッコレールのような脱出装置に支えられた冷蔵庫みたいな大型コンピュータが次々に排出されていっているはずだ。

「さて仕上げだ。ああなっても多分各々の接続は維持してる。短距離無線通信とロボットカートのバッテリーを併用すれば、短時間ならイントラネットを維持できるだろうし」

 何かの演算をするってよりも、安全に電源を落とすための時間稼ぎって方が近いだろうけどね。

 僕達はいったん屋内に引っ込み、非常階段を通って地上へ。やっぱり消火ホースで表のドローン達と格闘しながら中庭らしき場所へ向かう。

「マクスウェル、あまり時間は稼げない」

『シュア。耐電磁シールドのない屋外で緊急用の短距離無線をバカスカ打ち合っているのでしたら問題ありません。並列機材へ一定距離まで近づいていただければそのまま電波をキャッチして仕掛けられます』

「よし」

『あっあっあー!? またもやそんなレジェンドを!』

「何だよ。トドメのウィルス、アナスタシア製にしてほしいとか?」

『ワタシはガイド付きの旅行なんて真っ平だわ。ぷんぷーん!』

 ……なんか流行ってんのかな、こういう空気。

「マクスウェル、ドローンのセキュリティ競合は無視して良い。とにかくヤツらの動作を止めろ。何なら新しくウィルスを作っても構わない」

『シュア』

『うげっ!? ウィルスを作れ、だけでほんとに未知のマルウェア作成しちゃうの!?』

「ウチの娘を舐めるでないわ」

『……いつの間にか性別が固定されている事に驚きを禁じ得ません』

 ともあれこれで終わりだ。

 消火ホースの高圧放水だって無敵じゃない。僕の腕じゃ数分の抵抗が限界だろう。だけどそれだけあればむき出しのサーバーシステムを好きなだけラクガキで埋め尽くせる。

『日本エリア担当、最終バックアップサーバーよりドローン仕様書から姿勢制御プログラムを取得、コードを書き換えて自律飛行を困難にする墜落マルウェアを自動作成。バックアップ内に投入、行動中のドローン全機への感染行動開始』

 劇的だった。

 バタバタボタボタボタ!! と。

 歪な空からプラスチックとレアアースでできた雨が降り注ぐ。いきなり大空から大量に落ちてくる小魚やカエルの怪現象のように。

『効果を確認、マルウェアは無事に全世界へ拡散しました。ドローン禍へ実質的に終止符を打ったと判断して問題ないでしょう』

「……ひとまずは安心、ってトコか」

『あん? トゥルース、ひとまずって冠を付ける意味は?』

「これはあくまで義母さん、天津ユリナの予測でしかないって前置きさせてもらうけど」

『……ノストラダムスより聞きたくない名前が出てきたわね』

「ドローン禍が終われば責任論の追及に発展する。ワイルド@ハントが責任を認めれば莫大な補償で破産は確実、つまり世界の柱が折れて大恐慌の時代が来る。かといってワイルド@ハントの責任をあやふやにすれば不公平感に見舞われた世界中の群衆が沸騰して暴動の嵐が起きる」

『おいおいおい、ねぇちょっとそれってまさか!?』

「……つまりどっちに転んでも人類全体を圧迫して多大な社会的ストレスに見舞う、カラミティの火薬庫に火種を投げ込んでしまうって訳だ」