• シルフィード

    シルフィード
    サトリたちに襲い掛かった風の妖精のアークエネミー。


第七章



 こればっかりは不幸中の幸いだけど、アブソリュートノアがあるのはおそらく山中の供饗ダム、その底だ。同じ立地の通信塔からはさほど離れていない。

「とっ、トゥルース。それほんとに大丈夫なの?」

「僕だって諸手を挙げて喜べないけど、でもシルフィードが一番アブソリュートノアの情報を持っているんだ。仕方がないだろう」

 その史上最悪の体当たり狙撃妖精はと言えば、相変わらず小指大のサイズのまんま僕の周りを飛び回っていた。

「お前元素さえ集めれば人間大にもなれるんだよね?」

「妖精なんてのはカワイイ内が華なのよ」

 アブソリュートノアの扉をどうにかしてこじ開け、中にいる人達を助ける。利害が一致している間なら何とか共闘できそう、か?

「ダムの底までなら案内できるけど、私の権限はそこまでよ。アブソリュートノア本体の扉の開け閉めはどうにもできない」

「でも必ずあるはずなんだ」

 僕はそう答えた。

「アブソリュートノアがいつから計画されて、いつから完成されて、どこまで死蔵されてきたかは分からない。だけど造ったまんま『来たるべき日』まで放ったらかしって線はほぼない。古い廃屋なんかと一緒でさ、人の住まなくなった建物や機材はすぐ傷む。保守点検の意味でも平時だって絶対に人を住ませているはずだ」

「トゥルース、それがどうしたの?」

「……その下っ端管理人が周りを裏切って一人でひきこもったらどうするんだ。アブソリュートノアを取り上げられて泣き寝入りか? 絶対にない。何かしら、外から扉をこじ開ける緊急手段があるはずなんだ」

 そんな風に言い合いながら僕達は山道を歩き、森の木々が途切れた大きな水辺に到着する。

 供饗ダム。

 ……なんか地元じゃ心霊スポットみたいに扱われていたっけ。自殺者が多いとか、写真や動画が不自然にブレるとか、取材クルーが紆余曲折あって精神科病院に入ったとか。何代か前の市長が飛び込んだって記事は確かにあるらしいから、そこから尾ひれがついて名所化したのかもしれないけど。

 ダムといえばラスベガスでのフーバーダムを思い出す。ただ、あっちとも大分趣が違う。もちろん砂漠のど真ん中で琵琶湖に匹敵する人造湖を作っちゃったアメリカンサイズには全然勝てないんだけど、そういう意味でもなく。

 鬱蒼と茂る森に、じめっと漂う湿気。落ち葉という落ち葉を浮かべてどこか澱んだ膜を連想させる水面に、緑っぽいカビだかコケだかに嬲られる古ぼけたコンクリート壁面。

 ……これが蛇口から出てくる水道水の源なんだよな。単に怪談話の印象に、かつてここに人が浮かんでいたってデータに引きずられているだけなのか? 別に健康志向でヨガと温野菜が大好きな若奥様って訳でもないのに、何故だか無性にペットボトル詰めのミネラルウォーターが恋しくなってきた。

「なるほど、こりゃ確かにアークエネミー向きだわ」

「アナスタシア?」

「忘れたのトゥルース。ワタシは元々古い屋敷に憑く不死者なのよ」

「……小生意気にも総シルクなちんちくりんメイド妖精くらいしか覚えてなかった」

「ばうわう!! がるるる……!!」

 危ねっ!? なんかアメリカンな吠え立てられ方で威嚇されたのでちょっと距離を取る。こいつ変に味を覚えて噛み癖とかできてないだろうな!!

「セクションは大きく分けて三つ」

 辺りを飛び回る小指大のシルフィードが呆れたように言う。

「アーチダムを中心とした貯水湖、高低差を利用した水力発電、そして水質や貯水量なんかのデータをやり取りする通信施設」

「とはいえ実際にはそれだけじゃないんだろ。供饗ダムを守るために大量の人員機材が持ち込まれ、しかも書類上では違和感なく誤魔化せるようなブラックボックスがあるはずだ」

「ダム貯水湖を利用したレジャー化工事があるの。内容は湖面に向けた釣り堀とゴルフの打ちっ放しだけど、水質影響調査とか自殺者の報道とか保護動物の目撃情報とか紆余曲折あって一〇年経っても終わらない。役所じゃあ年末の道路工事みたいな感覚だろうって思われてて書類の山に埋もれてる。おかげで正規職員以外の作業員や重機が敷地を出入りしても怪しまれない」

 ……実際には現場を覆うビニールシートの中は傭兵や山岳装甲車で満杯って訳か。しかも人間も不死者も込みで。幽霊話とは違った怖さが滲み出てくる。

 アナスタシアも呆れたように、

「敢えて外郭扱いにして、ダムそのものから関係を切る事で悪い注目を避けたのね。ほとんど『議会とギャング』のやり口だわ」

 案外、ダムの表面で働いている『だけ』ならアブソリュートノアって単語にも触れないのかもしれない。でも、それはそれで不憫だ。

「確認するけど、お前の顔パスがあればアブソリュートノアの扉の前までは行けるんだよな。いきなり撃たれるとかじゃなくて」

「……というか、天津サトリ名義なら扉を開けて最深部まで行けるはずなんだけど」

「ほんとにそれができれば苦労しないけど、あそこまで派手にやった以上は勝手に登録されてたIDが凍結されているかもしれない。シルフィード、権限についてはお前を軸足にするぞ。それで良いな?」

「という事は、トゥルース」

「ひとまずアブソリュートノアだ。モノを見てみようじゃないか」

 ラスベガスのアブソリュートノア04がここを模して造られた疑似餌のトラップだったとしたら、ある程度は構造が似通っているはずだ。おそらく本体はダム湖の下だと思う。

 分厚いコンクリートの建屋に入る。

 小指大の妖精に先導され、童話と呼ぶには邪悪な悪夢の世界を歩いていく。

「……人の気配がするわね。ここの職員はあれだけのドローン禍があっても逃げ出さなかったって事?」

「単に元々分厚いコンクリの中にいたから逃げ出す必要がなかったんじゃないか?」

 途中で作業服の男女ともすれ違ったけど、特に反応はなかった。指先大の妖精がどうしたって話以前に、水道インフラの要なんだから部外者の立ち入りは硬く禁じていないとおかしいはずなんだけど……やっぱり何かしらの暗黙の了解を感じる。

 狭い階段や作業用のエレベーターをいくつか乗り継いで下へ下へと下降していくと、

「ここ? ごちゃごちゃした機材の山しかないんだけど」

「S字にひねった順路があるのよ。配管の蒸気については心配しないで。見た目と違って熱くないから」

 そうと教えられなければ絶対に近づきたくない感じだ。身をひねって機材の隙間を縫っていくと、曲がり角から大通りに合流する感覚で奥へ出た。

 開けた空間。

 銀行の大金庫みたいな分厚い円形の金属扉。やっぱりフーバーダムの底で見たのと似ている。

「……アブソリュートノア」

「正確には、その00」

 ただし今度はブラフじゃない。一面は分厚い壁だ。手で触れても04のような、薄っぺらなドアみたいに奥へ開いてしまう事はなかった。

「マクスウェル、大扉のロックを外すため、配線網に割り込みを仕掛けたい」

『行動の指針が少なすぎます』

「外から扉を開けるための手段は必ずあるはずだ。つまり配線は扉から外に延びている」

 僕は少し考え、

「耐震または免震構造をチェック」

「どういう事、トゥルース?」

「地震の少ない欧米育ちじゃ実感ないかな。地震みたいな大きな揺れは単なる硬さ重さで抑え込むんじゃ逆効果だ。ダンパーやガイドレール、振り子なんかで自分から動いて揺れを逃がした方が効率は良い。でも壁の中を光ファイバーが走っているとしたら、この壁と壁の揺らぎに噛ませたり、引っ張らせたりする訳にはいかない。壁の中には絶対に余裕を持った空間が広がっているはずだ」

『発見しました』

「どこまで延びているか調べてくれ。そこに緊急解放用のコンソールがあるはずだ」

 カードサイズの画面に表示された図面が命綱だ。案内に従って全員で来た道を戻る。

 それは当たり前のようにあって、でも誰もが素通りしてしまう窓口。

「……なるほど。防犯カメラ、か」

 通路の角、天井辺りを見上げて呟く。

 意外と知られていないけど、こいつだってスマホやケータイと同じネット機器だ。いわゆるIoTってヤツで、つまりここからメールや通話の送信もできるし、ウイルスにも普通に感染する。何百台何千台ってまとめて乗っ取れば、大量のデータを一斉送信してサイトをダウンさせるDDoS攻撃なんかの尖兵にもできるんだっけ。

 元がカメラなら、近づいてくる人間の顔を記録するのも難しくないし、怪しまれない。配線図が多少ずれていたって普通の人はカメラの裏まで回ってプラグの接続状況なんか確かめたりしない。警備室で大量のモニタを睨んでいる監視員も、画面に異状がない限りは個々の機材の様子なんて気に留めたりするもんか。カメラの背面に細工があっても分からないのだ。

 身近なようで誰も見ていない、ていうかそもそも正しい配線なんて誰も知らない。何ともおあつらえ向きだ。

「ここに何かを挿せば良いのね」

 シルフィードは僕の顔の近くを飛び回りながら、

「でも具体的に何を? ハードウェアキー、指紋認証パッド、それともオシロスコープや陰極管? 電気にまつわる機材なんてそれこそ星の数ほどあるじゃない」

「マクスウェル、カメラの記録自体は警備室のアーカイブだ。『表』のセキュリティなら対処できるか?」

『シュア。過去の映像を洗った限り、半年に一度のペースで定期的にカメラへの接触があります。全て同じ人物で、手にしたケーブルを伸ばしているようです』

「ケーブルだけ? ……肝心の機材は?」

『それが、反対側の端を掌に握り込んでいるだけで何とも。もちろん切手大の小さなデバイスを掌の中に隠している可能性も否定はしませんが』

 アナスタシアが自分のおでこをぺちりと叩いて、

「生体電流かあー……」

「認証としては不確実じゃないか? 剥き出しの導線握り込んだくらいで、そんな個体識別できるほど分かりやすい信号が取れるかな」

「ならハンドクリームなんかで掌の伝導率上げてるかもよ。個人の生体信号と特製のクリームの調合含めて、二重のアナログロック。ワタシ達みたいなハッカーを警戒してるとしたら考えたものだわ」

「……、」

「指紋や虹彩と違って生体電流は千切った部品からは採取できないわ。ま、それでも万能細胞とか使われたら危ないけど、そのための特殊配合クリームでしょ。ほんと、良くやるわよ」

「しかし、そうなると」

「ここから解錠するにはご本人様と魔女の軟膏がいるわ。もちろん生きた状態でね」

 ……さて、そんなに都合良く全部揃っているか。

 こいつが非常勤ならダムにはいないかもしれない。アブソリュートノアの乗船チケット持ちなら扉の向こう側かもしれない。いいや、正規メンバー達が眉間に一発撃ち込んでから扉の向こうへ消えていった可能性だって。

 確実な線はどこだ?

 どこから調べれば鍵は手に入る?

「……そうか」

「トゥルース?」

「マクスウェル、管理者の顔を記録して顔認識にかけろ」

『できますが、アブソリュートノア内にいる可能性もあるため、現在地の特定については確約いたしかねます』

「今のアリバイはどうでも良い。そいつの普段の生活サイクルが知りたい。例えばこのダムではどのセクションに勤めていてデスクはどこにあるのかとか」

 答えが近づいているからか、僕は自然と早口気味になって、

「そんなに大事な秘密を任されているなら、こいつだっていつ上役から口封じされるか気が気でなかったはずだ。つまりいざという時の保険を作っている可能性がある」

『顔認識による追跡開始。免許証のデータから銀俵升像(ぎんだわらますぞう)、男性、五四歳と特定。供饗ダム水質課貯水量管理セクション担当、デスクトップのシステム領域や一時ファイル保存領域よりゴミに擬態して三つに分割されたパスコードを発見しました』

「ひっどい規約違反だわ、何のためのアナログロックなの……」

「一応、統合したら反撃用の木馬に化けるなんて可能性に気をつけろよ」

『銀俵は鍵に過ぎません。この場で解錠しても一八〇秒で再施錠されます。つまり銀俵一人で謀反を起こして内部へ突入するのは不可能、という設計ですね』

「で、たてこもり鎮圧のケースに備えて複数行動を前提にしていた訳か。そんな風に不信の塊だから保険が必要だって思われるんだ」

 今回は掌から生体信号を読み取らせるんじゃなくて、最初から〇と一のデジタルなパスコードだ。なので入力ジャックである防犯カメラの裏面に簡単な細工をすれば、離れた場所から電波で打ち込む事もできる。

 ひとまず丸い大扉まで戻って、マクスウェルの合図を待てば良い。

『カウント開始。扉の緊急解放を始めます。一八〇秒で再閉鎖プロセスに入りますので、速やかに通行してください』

「分かった」

 ガコガコガコンッッッ!! と円周上に敷設された僕の腕より太い金属ロッドが何本も動き、ロックが外れていく。派手なブザー音と共に何トンあるかも分からない扉がこちらに向かって開いていく。

 この先に何が待っているのか。

 カラミティとは具体的に、実感としてどんなものなのか。

 ごくりと喉を鳴らして待つ。


「アナスタシア、シルフィード、気をつけ

「トゥルース前っっっ!!!???」


 アナスタシアの叫びも最後まで聞こえなかった。

 がぁっっっ!! と。

 獣が吼えるような音が耳に刺さった途端、真正面、開かれた大扉から見目麗しい金髪の吸血鬼がその牙も剥き出しにしたまま飛びかかってきて……。