第七章
1
あれだけ長かった一夜が明けた。
収穫はあったのか、なかったのか。
「……ふぐうー。おあよー」
廊下で鉢合わせたアユミも寝癖全開でまさに寝不足って感じだった。吸血鬼の姉さんに至ってはベッド下の棺桶に潜って爆睡してると思う。
まるで尻尾を噛む蛇、ウロボロスだ。
一番最初にあっけなく退場したと思っていたくそったれの『邪霊』が、ここにきてまた存在感をさらけ出してきた。でもって頭を抱えているのはカレン。何しろ自分の手で組織を壊滅して潜伏クラウドに繋がる決定的な証拠を潰してしまったのかもしれないんだから、当然と言えば当然か。
実際の総数は不明だけど、世界の誰にも監視される事なく一〇億以上のアカウントを捌いて回る巨大極まる機密サーバーシステム。そいつを保守点検している個人なり集団なりが、実質的なコアとみなせるはず。全ての答えを導くための鍵は、とっくの昔に壊滅した『邪霊』にあり、か。
「……空回りだよなあ」
やっちゃった。
軽量薄型が売り文句のスマホをズボンの尻ポケットに入れているのを忘れたまま、勢い良く椅子に腰掛けちゃった気分。
学校に行く準備をしながら思わず呟いてしまった。やる事がないからいつものサイクルを消化している。そんな感じだった。
……本来なら事件になんて関わらない方が良いんだけどね。正直に言って、今の迷走気味のカレンはいまいち頼りない。いや潜伏クラウド側から返り討ちにされるとかじゃなくて、羅針盤を見失ったヴァルキリーに状況を全部投げっ放しにしておくと冤罪魔女狩り血祭り大会に転がり落ちかねないっていうか……。
「おはよう、サトリ君」
「委員長」
玄関を出たところで幼馴染みのデコメガネとばったり遭遇。クソ女どもと『邪霊』のせいで魂丸ごと引っこ抜かれていたはずだけど、もう大丈夫らしい。
「うう、結構休んでいた気がするんだけど勉強置いていかれていないかしら」
「言うほどじゃないよ、インフルエンザならあれくらい珍しくないし」
「サトリ君が何かにつけてぶっちぎり過ぎなの」
でも、原因不明、意識不明、治療不可の重体なんてメチャクチャな状況だった割に、テレビやネットニュースで取り上げられなかったのもそういう理屈だ。あの程度の連続欠席で大騒ぎになるほど世界は頑固じゃないらしい。
……ま、その柔軟な世界でも僕やカレンのやらかしたカーチェイスはしっかりヘッドライン飾ったようだけど。顔や本名がさらされなかったのは僥倖以外のナニモノでもない。
当然ながら、あのトラック車列を今さら洗い直しても『邪霊』の核心には迫れないだろう。最初の始点、トラックが出てきた動物園も以下略。そもそもこれらはカレンが引き当てた情報だ。とっくの昔に戦乙女は再調査し、そして何も出なかったからこそ今現在頭を抱える羽目になってしまった。
が、委員長が思わぬ事を口走ってきた。
「うう、まだなんか手足の調子がおかしいのよね。脱臼癖がついたっていうか、変に力込めると幽体だか霊体だかが体の芯からすっぽ抜けそうっていうか……」
「こればっかりは何とも。むしろ魂だけってどんな気分になるんだか」
「なんていうか、記憶も曖昧なのよ。心とか曖昧なものじゃなくて、やっぱり頭や脳みそで保存するものなのね。それでも部分的に、氷山の一角みたいなのが所々残っているのが余計にぐるぐるする。夢の話なのに妙にいつまでも引っかかる感覚があちこちにある感じかなあ」
「ま、委員長の場合は夢と現実で線引きしなくちゃならないんじゃなくて、魂だけだった間もリアルの出来事を記憶し続けただけなんだから、さほど問題はなさそうだけど」
「全然違うわよ……。引っかかりの優先度が狂ってるっていうか、どうでも良い外国語のフレーズばっかり頭全体に広がるのよ。ほんとにこんなので勉強取り返せるのかしら」
「……何だって?」
「え? い、いや、そんなに深刻な顔するような話じゃないと思うわよ。別に頭痛がひどいとかそういうのを併発している訳じゃないし」
「ごめん、気を悪くするかもしれないけどそこじゃないんだ。……外国語っていうのは?」
「さあ。少なくとも日本語じゃないってだけよ」
……とは言うけど、ラスベガスへ行ってもコミュニケーションに不自由しなかった委員長は、実用レベルの英会話の使い手だったはず。だとするとこれも除外。
言われてみれば、横転した装甲トラックの荷台を検めた時も外国人が襲ってきたっけ。
そう。
そうだよ。
「『邪霊』の連中は動物園を汚染してから、希少動物や肉食獣のためのブロック肉の中に商品を詰めてやり取りしていた。世界中から商品をかき集めても不自然に見えないように……」
見誤っていた。
始点は動物園じゃなかった。あそこは言ってみれば安全な中継地点の配送センターだ。始点は別にある。
外国。
井戸の中のようなこの小さな島国の外。まさに膨大に広がる国際社会。
例えば世界中からブラックマーケット用の物品や代金が動物園に集まるとして、必ず通らないといけない場所はどこだ?
決まっている、ここは海に囲まれた島国なんだぞ。
「港、なのか? カレンが始末し損ねた、まだ活きた情報を握っている『邪霊』がそこに残っているかもしれない!」
2
……と、格好付けて叫んでみたのは良いけど、時間と場所と状況を考えてみるべきだった。
「サトリ君、あなた何かにつけてぶっちぎり過ぎって言ったよね? ほらこっち来る、一緒に学校行く! おーけー!?」
「くっ、ついに幼馴染みに耳を引っ張られて登校するような夢のシチュエーションが叶うとは!」
ズボンのポケットに突っ込んだスマホがマナーモードでぶーぶー震えて警告を放ってきたけど無視した。みなまで言うなマクスウェル、わざと煽ってるに決まってんだろ!
……それに正直、僕が危険な現場に出向かなくちゃならない訳でもないんだ。教室に着いてから、自分の席でスマホをいじくってカレンにでも港を調べろって一報を入れれば済む話だし。
だがマクスウェルはふきだしにこう表示してきた。
『ノー。ヴァルキリー・カレンとアドレス交換した覚えはありません。宿泊先も分からないため、固定回線も同様に不明です』
「……神出鬼没なカミサマはこれだから」
逆に今まで円滑にコンタクトを取れていたのが不思議に思える有り様だった。言われてみれば、ほとんどのケースじゃいきなりカレン側から訪問してきていたっけ?
人からの願掛けには応じず、神の都合があれば問答無用で降臨して神託をかます。あいつやっぱりワガママ奥さん過ぎやしないか。
となると、参ったな。
港を仕切る『邪霊』だっていつまでもこの街に残り続けるとは限らない。むしろ率先して出て行き、行方を晦ましたいはずだ。国外脱出待ち。ゾンビの妹や吸血鬼の姉さんのスケジュールを待って夜出撃、なんてのんびり言っている暇だってないかもしれない。
だとすると、仕方がないか。
朝のホームルームが始まる前に即行動だ。
……やだなあ委員長に隠れて何かするのに慣れてきてる自分ってのも。
「何がですか、先輩」
「わっ!?」
しれっと教室を抜け出したのに、昇降口の辺りで女の子の控え目な声に呼び止められた。
うちのデコメガネ委員長よりさらに小柄な小動物系。肩まであるウェーブがかった金髪に白い肌が特徴的な、可愛い後輩の井東ヘレンだ。
「ビビった……え、言葉に出てた?」
「いえ。ただ、スマホの画面の方にはマクスウェルさんのテキストがそのまんま映っていましたから」
「覗いていたのかスケベ」
「スケ……!?」
そして残念ながらむっつりちゃんの出番なんてないのだ。いや薬品使いであらゆる動植物の性質を体に組み込むアークエネミー『キルケの魔女』は超心強いんだけど、だから好きなだけ巻き込んでも構わないっていうのはちょっと違う気がする。
「先輩、また何かやってるんですか?」
「深掘りするでないわ小娘。僕とは違ってお前さんは優等生なんじゃから学校終わるまで外に出てはならんぞ決してな。何気に親衛隊とか組織されておるし、こんなのに引き込んだってバレたら大変な事になる」
「……、」
ではなー、とカンペキな『流し』で井東ヘレンの追及をかわし、とっととスニーカーに履き替えて学校を抜け出していく。道草なんぞ喰っている暇はない。港に『邪霊』の密輸グループがまだ残っているかの確証さえないんだし、何より校内でモタモタしている間に委員長に見つかったら元も子もなくなる。
が、校門を出てすぐにポケットのスマホがぶーぶー振動してきた。画面にはこうある。
『警告、周辺防犯カメラの映像分析。三、四〇メートル程度の距離をキープしつつ、井東ヘレンがこちらを尾行しています。指示を』
「そんな馬鹿な……どうしてついてくるんだ」
『むしろ誘っていたのではなく?』
「……脈絡がないっていうか、多少怪しかろうがわざわざ学校サボってまで危険な現場についてくる理由はほんとに一個もないはずなんだけどなあ」
『多分そのコメントも含めて全部ヘイト値のカタマリと化していますよ』
ともあれ放っておけないので、適当なビル角を曲がったところで待ち伏せ。小動物系の井東ヘレンが顔を出したところでわっと驚かしてやろうと思ったんだけど、
「来ない……。おかしいな。せいぜい三、四〇メートルくらいなんだろ?」
『警告』
マクスウェルからテキストが飛んできた直後、真上からなんか落ちてきた。
「わっ」
「うわあ!! ちょおなっ、上からァ!?」
びっビル壁に可愛い後輩ちゃんが逆さに張り付いてるっ。何だあれ、カエルかイモリか、どんな調合したのか知らんがとにかくその辺でも取り込んだのか!? スカートとか気にせんのか小娘ッ良いか逆さまだぞ!!
心臓がばっくんばっくん鳴りっ放しの僕の前でするすると井東ヘレンは降りてきて、
「先輩、何しようとしているか分かりませんが隙だらけなので見てられません。先輩が即死するところは想像したくないです」
「うっ……ちょっと見ない間に後輩ちゃんの言葉に圧が増してる」
「女の子の成長は早いんです。ほら、別に邪魔しないからどこへなりとも案内してください。アークエネミー戦力があって損する事はないでしょう?」
「いやでも今回は本当に危ないんだよ女の子連れていくような場所じゃないし何かあったらほら非公認で武闘派な親衛隊の皆さんがウルトラ面倒くせーし……」
するとスレンダーな後輩がいきなり抱きついてきてスマホで自撮りをパシャリ。
……。
あれ?
まずいっついつい流しちゃったけど出来上がった一枚見ると背伸びして瞼を閉じて細い顎をそっと上げる井東さんが口づけをせがんでいるように見える。そしてそんな初々しい後輩ちゃんの小さなお尻に僕の手がじんわり伸びてるように見えなくもない!? これ、こいつはっ、もはや冤罪もここまで来るとアートの領域だ。非公認で武闘派なあいつらに見られたらこりゃあほんとにどうなる!?
「さあ盛り上がってきましたね先輩」
……あの『コロシアム』を通して、どっかで後輩の育て方を間違えたのかな、僕。
3
犯罪集団がたむろする港湾地帯というともはや異世界に聞こえるかもしれないけど、僕に限ってはそうじゃない。何しろマクスウェルの本体はここのコンテナ置き場に置きっ放しなんだから。
警備員さんや作業員さんなんかとも顔見知りなので、勝手に敷地へ入っても摘み出される心配はない。
そんな訳で後輩の井東ヘレンを連れて、ひとまず『安全地帯』に身を寄せつつ、
「……さて、港って言っても広いぞ。『邪霊』が汚染しているとしたらどこだ?」
少なくともこのコンテナ置き場じゃない。だとすればもっと早い段階で異変に気づいていたはずだ。
『逆に、ユーザー様やシステムが未解析のまま放置していたセクションが怪しいのでは?』
「そんな所残ってたか? 僕が頼まなくたってお前が勝手に全部調べちゃうだろ」
『シュア。港湾施設と関係者については全て』
プログラムのくせに含みを持たせた言い方をするヤツだ。
「このもったいぶった感じ、先輩を見て学習したんでしょうかね」
「……井東さんも含めて心配だ」
『ようは、敷地内にありながら港湾施設に属していない事務所がいくつかあるのです。例えば環境保護団体の海洋汚染調査局。金銭関係や命令系統の外にある非営利団体なので、港のサーバーを中心に港湾管理イントラネットを調べても何も出てこないため、見落としていたようです』
いわゆる『力強い弱者』か。ペンは剣よりも強し、を最大限に活用しているというか。
さらには、そこを利用して『邪霊』は密輸基地を作っていたんだ。ハリネズミみたいにピリピリした空気を作って、おそらく防火設備の点検さえ応じて来なかったんだろう。
「標的が分かっているなら話は早い」
『邪霊』が人間、アークエネミー含めてどれくらいの戦力を確保しているかは未知数。なので手元に『キルケの魔女』があっても油断は禁物だ。港の利権を巡ってよその組織と小競り合いになる事まで想定しているなら、かなり強化されていそうではあるし。
逃げられるのが怖いから急いで取り押さえたいのは事実だけど、できるだけリスクは避ける。そのために欲しいのはまず情報だ。
「マクスウェル、その事務所のコンピュータには侵入できないのか? それともアナスタシアの手が必要になるレベルとか?」
『ノー。おそらくホワイトハッカーの手を借りても詳細は掴めないでしょう』
あのハッカー少女に聞かれたら小さな日米戦争でも勃発しそうな言葉だ。ただマクスウェルが『断言』するのにはそれなりの意味があった。
『……そもそも過去半年に遡った電力消費量から換算して、内部にまともなコンピュータがあるようには思えません。単に通信ケーブルを切断してスタンドアローンでデータ管理している訳でもないようです』
「冗談だろ、その事務所は港の警備に穴を空けてお金や物資をやり取りする汚染源のはずだ。当然ながら厳密なデータの管理は必須になる。じゃないとトラブルが起きた時に大事なお宝が消えた消えないで押し問答になるからな。『邪霊』は一人二人のコソ泥じゃない、大きな組織を束ねるにはサーバーシステムがいる。絶対に何かあるはずだ」
『例えば?』
「そうだな……。大規模なバッテリーや発電機を持ち込んでいるとか、あるいはキャンピングカーなりトラックなりに通信システムを積んで、定期的に事務所の横につけているとか……」
『ノー。なら事務所にこだわる必要はなく、その車が移動拠点で良いじゃないですか』
「うーん」
と、そこで門外漢な井東ヘレンが不思議そうな声を出した。小首を傾げる可愛いパツキン後輩はこんな風に尋ねてくる。
「先輩、そもそもの話なんですけど」
「なに?」
「……その、さーばーしすてむ? でっかいコンピュータの事だと思うんですけど、それってほんとに存在するんですか?」
言っている意味が分からなかった。
続きを促すと、井東ヘレンはこう切り込んできた。
「えと、そもそも全部紙のノートなんかに細かく数字を書き込んでいるだけなんじゃあって思いまして。それならどんな専門家がコンピュータにかじりついたって絶対データは盗めないような?」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「いっいえやっぱり違いますよねすみません私みたいなのが口を挟んでやっぱナシこれナシです聞かなかった事にしてくださいお恥ずかしい……」
「……いや、多分それで正解だ。そうだよ紙だったんだマクスウェル!」
『シュア。井東ヘレン嬢、あとで一杯奢るぜ(*´ω`*)ノ韭』
えっえっ、とあたふたする後輩ちゃんだったけど、彼女が最大の功労者で間違いない。
「井東さん、パンチって知ってる? パンチキックのじゃなくて、紙に穴を空ける方の。ほら、大昔の漫画とかアニメとかで、冷蔵庫みたいに大きなコンピュータから長々とした紙を吐き出すアレだよ」
「は、はあ。でもそんなもの、レコードみたいに消えていっちゃったんじゃないんですか?」
これまたオーディオファンから怒られそうな意見だけど、でも予備知識がなければそんなものなのかな。
とにかくだ。
「それがそうでもないんだ。今でもあるんだよ、穴空き式でデータ管理をするパンチカードが。しかも最先端の現場でね」
「えっ?」
『昔と違って今は印刷技術が格段に向上しましたから、厚紙の上に映画が何本も入る大容量記憶メモリを極薄のプリント基板ごと貼り付けてしまう事ができるんです。ぺらぺらで自由に折り曲げられるセロファンみたいなものが』
「その上でカードに規則的な穴を空けて、素のままじゃ機械で読み取れないようにしておく。データを見られるのは欠けた穴を埋められる『二枚目のカード』を持つ人間だけ。これならそもそも髪の毛より細い配線が切れていて物理的に通電できないんだから、外からのサイバー攻撃でデータを抜き取られる心配はない。実際、大企業の秘密の帳簿なんかはこういう手段で会社のサーバーから隔離しているらしい。単品じゃ絶対に中身を読めないカードを財布の中に入れて持ち歩くだけなら、落とし物に忘れ物、検問も職質も怖くはないしね」
「は、はあ。ハイテクなんだかローテクなんだか分からない話ですね。その、二つに割った木の板をくっつけて取引相手が本物か確かめるっていうか……」
発想はまさにそこなんだろう。テクノロジーの世界は過去から未来への一直線だけで全てが決まる訳じゃない。それでいて、基本の積み重ねがあるからこそ逆行も選択肢に並べられる。何とも学ぶ事の多い話だ。
さて、それじゃこいつを『邪霊』の密輸基地に当てはめてみよう。
「……図書館を圧縮していたんだ」
僕はこう切り出した。
「事務所の棚には穴空きカードでびっしり埋め尽くしたバインダーなりファイルブックなりが整列してる。アルファベット順だか日付順だか知らないが、中に詰めてる『邪霊』は棚、バインダー、ページ数なんかで住宅街の番地みたいにカードを整理整頓していて、膨大なデータを管理するのにいちいち検索用のサーバーシステムなんか使っていないんだ」
「でも先輩、それって二つに割った木の板とどう違うんですか? 結局カードの穴を見てから、それに合うカードを重ね合わせて取引相手を確認しているだけであって、中のデータって必要ないんじゃあ……」
「犯罪組織がハイスペックな演算機器を持ちたがるのは、絶対解けない暗号なんて夢を追い求めるため、円周率みたいに長々とした乱数化処理を施そうとするからだ。だけどパンチカードの場合、データの暗号化はさほど重要じゃない。そもそも物理的にプリント基板の穴を埋めない限り正しい形でデータを読み込めないんだから、この辺りのサイバー攻撃対策はばっさり簡略化できる」
「つまり?」
「型落ちのモバイル一つとケーブルで繋いだカードリーダーがあれば問題ない。内蔵バッテリー式だから事務所の電力消費量も変動しないって訳」
この時点で連中のアキレス腱もはっきりと見えてきた。
穴空きカードが山ほど詰まった事務所の棚を調べても、中のデータは読み取れない。凹のカードに対応した凸のカードはきっと外部の取引相手が持っている。ワンセット揃えるだけで二つの陣営と敵対しなくちゃならない。事務所の棚を全部となったらどうだ。こんなところを狙っていたってラチが明かない。
だとすると、
「……二枚のカードを組み合わせて読み取りに使っているモバイルかカードリーダー。ここに小細工を施して、合体したデータを横流ししてもらおう」
そう、カードが何千何万あろうが読み取り機は限られている。強奪リスクを考えるとおそらくメンバーが気軽に持ち歩く事もない。ここ一ヶ所を押さえれば全てのデータが手に入るはずだ。
4
港湾地帯は石油化学コンビナート、商業港、コンテナヤードで構成されている。これにカップル向けの水族館や夜景展望を軸にしたレストラン、お土産屋さんなどが軒を連ねれば一丁上がり。全体的にコンクリートで固めている印象があって、海水浴場や養殖場なんかはまた別の地区に切り分けてある。
問題の『邪霊』が汚染源として悪用している、環境保護団体の事務所があるのは商業港貨物エリアの第三ドック。近頃はコンテナに紛れた海外原産の害虫の問題でちょっとした話題をさらっていたっけ。
ともあれ、だ。
ちょっとした学校や病院くらいの鉄筋コンクリートの塊がいくつか並んでいるけど、それとは別にプレハブでできた二階建ての建物があった。サイズは大体コンビニを縦に二つ重ねたくらい。明らかに後付けで風景から浮いており、電気などは近くの建物から強引に電線を引き込んでいるらしい。光ファイバーだろうが核シェルターだろうが何でも地下に埋めたがるこのご時世に、ここだけ太い線が大空を泳いでいる。
「マクスウェル、周辺情報をチェック。特に外から内に向いたカメラやセンサーの有無を重点的に」
『シュア。コンテナとコンテナの隙間、建物の屋根、街灯の上にカメラを確認。いずれも家電量販店で手に入るペット用見守りカメラ程度のものですが、事務所に近づくと視野に入ります。処理しますか?』
「電源をカット。わざと警報に触れて様子を見たい」
遠く離れた場所を陣取ってカメラの映像を強引に切ってみる。
……。
そのまま三〇秒経過。
「……あの、先輩?」
「分かってる。反応がないのが一番めんどくさい反応だ」
あれで慌てて武装したマッチョ達がわらわら出てきてくれれば戦力調査できたんだけど、そんなに甘い話じゃないらしい。反応がないのは誰もいないからか、この程度じゃ動じないからか。これだと答えが出ない。
「そうじゃなくて、あの、例のプレハブってコンクリートの岸壁沿いに建っているじゃないですか」
「それが?」
「えと、カメラが『陸を歩いて近づく』事しか想定していないなら、海から進んでみるのはどうかなって。そのまんま水中に潜らなくても、クラゲやイソギンチャクを取り込んじゃえば地面より低い、それでいて水に濡れない程度の岸壁や堤防に張り付く事もできますし」
……まったく有能過ぎる後輩ちゃんであった。
そんなこんなで得体の知れない試験管の中身をぐびり、腰の後ろから半透明の触腕をいくつか出してもらって、井東ヘレンの提案した海沿い、地面より下ルートで『邪霊』の根城へ近づいていく。僕? 当然ながらお荷物だ。コアラみたいに華奢な女の子の胴にしがみついている。真正面からだぜ? イェアー!!
「せんぱっ、くすぐったいです」
「いやあ合意があるって素晴らしいなあ。やっぱり生きるか死ぬかの真面目な理由があると人生は違うなあ」
両腕どころか両足までがっつり巻きつけ真正面から頬ずり状態になってでも、それでも割と二の腕はぷるぷる状態なんだけど、うん、こりゃあエンドルフィンだな。可愛い後輩ちゃんパワーで完全に麻痺しているぞう疲労と苦痛ってヤツが!
波はかからない、でも地面より下。
コンクリートの壁に張り付くような格好で井東ヘレンはぐるりと事務所の裏手に回る。
『海と接するこちらの面はカメラやセンサーのサポート外にあるようです。歩いて近づく取っかかりがないためと推測。上に上がっても見咎められる恐れはないでしょう』
「……換気口の代わりかな。信じられないくらい小さな窓があるぞ」
「しっ。待ってください先輩」
にょきっと井東ヘレンの金髪をかき分けて、三角形のネコミミが飛び出した。パラボラみたいにあちこちへ向けられ、プレハブの壁に集中し、さらに可愛くなった後輩ちゃんがこう告げる。
「物音はないようですけど」
「……、」
可能性はいくつか挙げられる。
一つ目、『邪霊』はたまたま留守だったが、いずれ戻ってくる。
二つ目、『邪霊』はすでにここを引き払った後で、いつまで待ってもやってこない。
そして三つ目。
『邪霊』はこちらの索敵能力を超えている。つまり、息を潜めて僕達が踏み込んでくるのを待っているって線だ。
「……何にしても警戒だ。荒事になるかもしれないから気をつけて」
「一番心配なのは先輩です」
ばつばつとボタンが外れる音が響き、井東ヘレンのブレザーやブラウスがずり落ちて細い肩が露出される。はだけた背中側、左右の肩甲骨の辺りからさらに二本伸ばしたのは、カニ……いや、シャコの捕脚かな。打撃の速度は圧倒的だし、動体視力さえ追いつけば真正面からマシンガンの連射を叩き落とす事さえ手が届くかもしれない。
「行きます」
「うん」
コアラモードのまんま真正面から後輩ちゃんの肩に顎を置いて頬ずり状態の僕が言うと、いよいよ始まった。
シュシュッ! と井東ヘレンの口元からスプレーみたいな音が聞こえたと思ったら、透明な薄い膜を張った曇りガラスを躊躇なくシャコナックルで砕きにかかる。甲高い破砕音も刃物のように鋭い破片が飛び散る事もない。ぼずっ、というくぐもった、ビニールハウスの分厚いシートでも叩くような音だけがあって、窓枠から一塊のままガラスが取り外される。
やばいっやっぱり僕のせいでオドオド小動物系がたくましくなってる!?
後はもう急転直下だった。窓枠上部を両手で掴んだ井東ヘレンが、体全体を振子のようにスイングさせて揃えた両足からプレハブの中へと飛び込んでいく。しがみついて付き合っている側からするとジェットコースターそのものだった。
「先輩っ、離れないでください」
ようやっと靴底が地面の感触を思い出したのでコアラモードをやめたんだけど、それだけで井東ヘレンから軽めに怒られた。
……というか、
「何だ、この匂い……?」
古い紙、じゃない。
少なくともここに人の気配はなかった。そして僕達が睨んだ通り、内部はスチールラックとバインダーの山で埋まっていた。言うまでもなく、その全てが対サイバー攻撃に特化した穴空きカードの容れ物だ。
圧迫感で言うなら、小さな古本屋くらいの感じかな。あるいはちょっとした立体迷路にでも迷い込んだっていうか。
ただし、さっきも言った通りここには誰もいなかった。
一目で分かる。ニンジャだのスパイだの、そういう気配隠しの次元じゃない。なんていうか、そう、空気の淀み方が全然違う。随分前から時間が止まっているようだった。場違いな場所に踏み込んだ。そんな気がした。
「……先輩」
井東ヘレンが今さらのようにこちらへ身を寄せてきた。直接的な殴り合いとはまた違った、沈黙の圧。真正面に盾を置いて待ち構えていたのに、全く別の方向から脇腹を突かれた気分でいるんだろう。ある種、アドレナリンなんかで鈍化していた恐怖をじわじわ思い出していく過程が、瞳の揺らぎから見て取れた。
……でも、僕達は当初の読み取り機探しも放り出して、何に警戒しているんだろう? 少なくとも、ここには誰もいないって事は理解しているはずなのに、これ以上何が。爆発寸前まで追い詰めてくるモノの正体も分からないという理不尽。そこから無理にでも脱しようとしているのか、僕達はとにかく原因を求めていた。謎を解けば恐怖は薄らぐと、そう信じて。
世の中には、見てはいけないモノがある。
そういう可能性からは目を瞑って。
「あ……」
そして、等間隔で並ぶスチールラックの隙間、通路の部分をいくつか覗き込んだ時だった。僕は馬鹿みたいに口を開いて、思わず声を出していた。
カツオ節のような、干し肉のような、奇妙な匂いの漂う中。
それを見つけた。
スチールラックの一つに寄りかかるように腰掛ける、茶色い塊。人間と呼ぶには、一回りも二回りも小さな影。
僕はまた一つ学んだ。
人体から水分を抜いてカラカラに乾燥させるとあんなに軽く小さくなるものなんだって。
5
月並みな悲鳴なんて出なかった。
ただただぺたりとその場にへたり込む。息を吸う事も吐く事も忘れて、金魚みたいに口をパクパク動かすのが精一杯だった。
「せんぱ、なにが……?」
言いかけた井東ヘレンの動きも、中途半端な状態で凍り付いていた。おそらく僕と同じモノを見てしまったんだろうが、詳しく確認を取っている余裕もなかった。
茶色い塊。
あれがたった一個あるだけで、世界全体がずぶずぶに腐り果てていくようであった。
男か女かは分からない。おそらくは子供ではなく大人。死体というよりは、乾いた流木か何かで作った仏像とでも説明された方がよっぽど納得してしまいそうな、あまりにも人間性を剥奪された、一つの影。
「……でも、これ、どういうことだ?」
ここは『邪霊』の密輸基地じゃなかったのか。港の警備に穴を空けて商品を確実に出し入れするため、組織の精鋭が残っていたんじゃなかったのか?
考えろ。
思考を放棄するな。
……いきなり結論を出す必要はない。考えられる可能性を並べてみろ。これが、ここにある理由。一つも浮かばないなんて事はありえないはずだ。
「そうだな……」
可能性一。
『邪霊』は何でも取り扱う。梱包前か返品かは知らないが、これはブラックマーケットの商品だ。
可能性二。
『邪霊』はすでに引き払った後だ。ここに残されたのはスケープゴート、トカゲの尻尾に過ぎない。
可能性三。
僕達より早く第三者がここを突き止め、踏み込み、そして『邪霊』から返り討ちに遭った。
……正直、どれもしっくり来ない。
『警告、ミイラの具体的製法は不明です。毒物や感染症の可能性も考慮し、接触は控えてください。また、法的見地からも無闇に遺体へ接触して得する事はありません』
「……、」
いわれなくてもわかってる。
そう答えたかったけど、まともに唇は動かなかった。どうやら心の衝撃と体の衝撃との間に齟齬があるらしい。指紋、髪の毛、汗や唾液の飛沫……。どこにどれだけ残したか、もう直近の記憶を思い出せない。
「先輩」
こちらは途方に暮れたように、可愛い後輩が尻餅をついた僕の上着をくいくい引っ張っていた。
「どうしましょう、先輩。やっぱり警察に、えと、通報するべきなんじゃあ……」
気の利いた一言なんか出なかった。
随分長い間、へたり込んでいた気がする。
ようやっと、なめくじみたいな速度で舌を動かし、言葉を作る。
「……マクスウェル。非接触で行こう。レンズを使って、可能な限りこいつの分析」
『良い趣味とは思えませんが、シュアと答えておきます』
あのミイラは、何なんだ? あれもブードゥーのナントカ儀式にでも出てくるのか。くそっ、やっぱり妹のアユミを待つべきだったかも。後悔はいつもやらかしてから追い着くものだ。
しかし。
『警告』
「何か見つかったか、マクスウェル」
『口の端と首元にご注目ください』
スマホ越しに重ねた風景の中、ミイラの一部分に青白い光でマーカーが表示される。
そこにあったのは……。
口元の牙と。
……首筋の、噛み痕?
「待て……」
頭の中で猛烈な警告サイレンが自己主張していた。これまでの経験から、目の前の痕跡が何を意味しているかくらいは推測がつく。つかなくちゃならない。
「……じゃあ、じゃあ何だ? こいつはその、姉さんとおんなじ吸血鬼だっていうのか」
東欧一三氏族の誰か、なのか。
くそ、目の前にあるのが変わり果てたミイラなのと、フライやメスレエートを除けば吸血鬼の大部分は多目的ビルでチラッと見ただけだ。どれが誰か、いまいち一人一人の目鼻立ちまでは自信がない。
『吸血鬼、というだけでは被害者か加害者かははっきりしません。吸血鬼が「邪霊」を襲ったのか、「邪霊」が吸血鬼を返り討ちにしたのか。今のままでは判断がつきませんね』
「でも、ミイラ化だぞ。吸血鬼って、死んだら灰になるんじゃないのか……?」
『遺体が吸血鬼になるのを防ぐために首を落とす、火を点けるなどの損壊方法もあるようですが。肉体の瑞々しさや血色の良し悪しは血を吸って美を保つ吸血鬼の力を示すバロメータの一つらしいですし、その逆もありえるかもしれません。殺すつもりだったのか、殺さずに拘束するつもりだったのかは判然としませんが』
「えと……憶測も大きそうな意見ですね。急速乾燥も炎や熱を使ったものか、濃硫酸や塩化カルシウムなどの乾燥剤を使ったものかもはっきりしませんし」
横からスマホを覗き込む井東ヘレンからの薬品使いっぽい言葉にも、マクスウェルは正確に返答を続けていく。
『その辺りも含めてソースが欲しいところですね。あんな状態でも不意打ちで動く可能性もゼロではありません。正確な判断がつくまでは、やはり接触すべきではないでしょう』
吸血鬼が仲間を増やすには致死量相当の血液を吸い出さなくてはならないから、そう簡単な話じゃない、はずだ。
だけど取っ組み合いで床を転げ回るような応酬があったのなら、攻撃手段としての吸血もありえる、か? 手足で関節や頸動脈を締め上げるだけじゃなくて、口で噛み付くケースも。
ブードゥーのボコールの技はあの地下トンネル網で散々見せつけられてきた。
でも、吸血鬼が噛んでしまえばどんな人間だって吸血鬼になる。それはメリットばかりじゃない、共通の弱点を植え付けて両者のハンデを均すとも言える訳だし。ひょっとしたら、吸血鬼がボコールを『弱体化』させてから即座に自分自身も恐れる何かをやって、迅速に決着をつけたのかもしれない。
……ただ。
「ここにきて、『邪霊』からの、また吸血鬼……?」
何か引っかかる。
目の前に転がっているヒントを拾い集め、様々な敵対者の素顔を暴いて、戦って、生き残り、ついにここまでやってきた。
でも。
流石に、なんかおかしくないか……?
『この場に吸血鬼となった遺体があるという事は、東欧一三氏族の前提や安全性も崩れたかもしれません。メンバーの誰かがこれをやっておきながら隠していたり、吸血鬼となった「邪霊」の誰かが正規メンバーのふりをして入れ替わっているリスクも浮上してきました』
「まあ。大変な事じゃないですか、先輩。早くお姉さんにお知らせしてあげないと」
『ノー。天津エリカも含めて吸血鬼関係は平等に容疑をかけた上で、一人一人疑いを晴らして安全圏を再構築すべきです。幸い、今は昼時。まだ吸血鬼達は十分に活動できません。今日は長い夜になります、陽が暮れるまでに具体的な方針を決定しておくべきでしょう』
いや。
違うんだ。
誰が敵で誰が味方か分からない。それじゃフライ=ヴィリアスがゲームを仕掛けてきた時と同じじゃないか。大体、僕が引っかかっている違和感はそんな直近の問題じゃない!
「この流れは、本当に正しい流れなのか?」
「先輩?」
「だっておかしいだろ! 『邪霊』ときて、吸血鬼ときて、お次は何だ? まさかまた潜伏クラウドが出てきてハッカーと交渉合戦やってそいつの身柄を押さえるために『邪霊』が再浮上するのかッ。そんなの! 進んでいるようで全然進んでない。完全な輪っかとまでは言わないけど、渦巻きみたいに細部の半径だけ変えて同じ円盤の上をぐるぐる回っているだけじゃないか! 堂々巡りだよ!!」
『ノー。主観に基づく印象の話ではなく、客観の根拠に基づいた提案をお願いします。サイコロを三回連続で振って、出た目は全部六だった。人はそこに特別な意味や見えないルールを夢想しますが、実際には単なる確率の問題でしかありません。ユーザー様の違和感には根拠がないのです』
ああ。
だろうさ。
普通に考えたら僕の方がおかしい。一つ一つヒントを拾って前に進んでいるのに、いつまでも同じ所で足踏みしているだけなんて判断するのはナンセンスだ。
でも、あからさま過ぎるじゃないか。
まるで地面に蒔いた穀物を一つ一つ啄んで道順通りにちょこちょこ進む小鳥だ。本当にこれは、僕の意思で見つけた情報なのか? こんな視野の狭さで大丈夫なのか?
どこの誰かは知らない。
でもそいつがわざわざ身銭を切って地面に餌をばら撒いている以上、僕達をどこかに誘導したいはずだ。あるいは、気を逸らしたいのか。では、何故? 渦巻きの外側はどうなっているんだ。メリットとデメリットは。こんなのは安物の懐中電灯で一面の闇に挑むようなもので、案外、狭い視野のすぐ外に重大な何かが転がっているんじゃないか。
全体の明かりを落とし、心細いライトを渡し、光に反射する目印を置いているのも全部が全部、何かしら悪意が込められているような……とにかく居心地が悪い。新たな発見を、素直に喜べない。
「……本当の始まりはどこだった?」
呻く。
呟く。
光を消せ、闇に慣れろ。
安易な方向に導かれて逃げ続けたって何も見つからない。光を求めて走るな、挑むなら闇。絶対この違和感の先には何かがあるはずだ。
「『邪霊』、東欧一三氏族、潜伏クラウド。これで一サイクル。こいつらを三つ巴でぐるぐる追い回しているだけじゃ渦巻きから逃れられない。だったら、僕はどこからこの閉じた渦巻きに合流した。インターチェンジやジャンクションはどこにあったんだ?」
ビシリと、空間に亀裂でも走るような音を錯覚した。
すっかり伸びきった磁気テープみたいな言葉が溢れてきた。
「先輩、始まりなんてありませんよ」
『シュア。難しく考えすぎなのです』
「新しく分かった事があるなら良いじゃないですか。早く先に進みましょうよ」
『そうだそうだ』
村から東に進むと洞窟があります。そんな台詞でも出てきそうだった。会話になっているようで、積み重ねが全くない。ええい、お前らいつからそんなに薄っぺらくなった! ちょっと渦巻きの外を意識しただけでこれだ。流石に違和感くらい覚えるぞ、僕だって!!
世界が、全部おかしい。
でもこれだって、きっともう答えは出ているはずなんだ。
シミュレータ、せいれいさま、動物園、カーチェイス、ボコール、ゾンビ、ブードゥー、吸血鬼、ハエ、腐敗、多目的ビル、イベント化、廃工場、人狼、変化(へんげ)、複数アカウント込みで一〇億の広く浅い繋がり、ハッカー、VR。
材料が何もないなんて言わせない。
今はがむしゃらに前へ進むべきじゃない。むしろ立ち止まり、後ろを振り返れ。認識をロールバックしろ。渦巻きを意識して、その外へ。
敵味方の概念は横に置き、常識の枷は取り外して、現実すらも必要ない。
今回の一件。
そのどこかで、何かを、注入された。
ならタイミングはどこだ?
具体的な箇所を見極めろ。
一番最初の違和感は……。