第九章
決着はついた。
一日経ってしまえばそんな一言でまとめられてしまう辺り、僕はたくましいのか鈍感なのか。
結局委員長は魂を抜かれずに済んだし、あの三馬鹿も仲間割れしたりボコールの手で怪物化されたりせずに済んだようだ。……もっともあのまんま野に放つと心配だから、何かあれば即座に地獄を見せると伝えてあるけど。
彼女達は、立ち位置的には加害者だ。容赦をする理由は特にない。
カレンはカレンでかなり具合が悪いのか、あるいは単に合わせる顔がないのか。ずっと頭から布団を被って小刻みに震えている。隠れ家もアドレスも分からないのにどうやって知ったのかって?
「……サトリさーん。冷蔵庫からプリン持ってきてもらえますー……?」
「人ん家上がり込んで怪我人のベッド不法占拠するなよな! ここは思春期男子の寝室なんだよ未亡人!!」
まあ、いきなり失踪とかされたら面倒臭い事この上なくなりそうだから仕方がないんだけど。
ちなみに東欧一三氏族はもうちょいお行儀が良いらしく、頃合いを見計らって日本を脱出したようだった。
……潜伏クラウドはどこにでもいる。例えば仲良しこよしな『この中』にも。
『邪霊』のボコールが残した言葉は真実を突いていたのか、はたまた言霊でも使った呪いだったのか。
そんな訳で、放課後。
三角巾で片腕吊ったまま、僕は港のコンテナ置き場に預けているマクスウェル本体の方まで足を運んでいた。
『わざわざここまで来なくても、スマホを経由すればどこからでもシステムのサポートを受けられるはずですが』
「……相手はあのアナスタシアだぞ。平和的なふりしてどんな手を使ってくるか分かったもんじゃない。できるだけ不測の事態に備えておきたいんだよ」
でもって、そもそもアメリカにいるホワイトハッカーと連絡を取り合わなくちゃならなくなった理由っていうのは、
『トゥルース。とりあえず事後報告しておくわね』
『警告。この一言をやり取りするだけで、すでに一六九種のサイバー攻撃を検知し水際で防いでいるのですが』
『結局潜伏クラウドの始まりってのは何だったのかって話よ』
長い金髪に真っ赤なシルクのドレス、一一歳のメイド妖精シルキー。彼女は大学の研究室にいるのか、キャスター付きの椅子に腰掛けてくるくる回りながら、
『トゥルースからのデータを匿名の通報って形に置き換えてから警察に投げ込んでみたんだけどさ、SWATが突入したのってデトロイト郊外のヤードだったのよね』
「ヤード?」
『錆びた車をぺしゃんこに潰して置いておくアレよ』
おおよそ精密機器を設置する環境とは思えないな。実数は知らないけど複数アカウント込みで一〇億以上のアカウントの背中を無責任に押したシステムなんだから、もっとこう、軍艦丸々一隻とかジェット機を改造した早期警戒管制機なんていうスペシャルなものをイメージしていたんだけど。
『とりあえず、潜伏クラウド自体は壊滅しているって事実は分かっているんだから、このハードウェアも物理的に破壊されたってトコまでは想像ついてるわよね』
「まあ、何となくは」
『……じゃあそのハードウェア、具体的に正体は何だったと思う?』
スマホの向こうのアナスタシアは声をひそめて、
『電卓、万歩計、カーナビ、ボイスレコーダー、携帯CDプレーヤー、PDA、電子辞書、デジタル温度計、腕時計……』
「ちょっと待ったアナスタシア。何の話をしているんだ?」
『冗談じゃないのよ、ほんとにそれこそ天を衝くくらい山盛りに積んであったのは、そんなガラクタばっかりだったの。言ってみれば、スマホの登場で役割を奪われて用済みになったゴミの山ね』
「……、」
『それをどこかの誰かがご丁寧に一つ一つ並列で繋いで膨大な演算領域を確保していた。そいつが潜伏クラウドの真実だったのよ。何かの皮肉か、教訓でも喧伝したかったのかしら』
捨てられた機材の集積体。
一つ一つに害はなくとも、一個の巨大な塊となる事で全く異なる顔を見せる。
『製造地域や年代は見事にバラバラ。「邪霊」とかいうのはそれこそ世界中の埋め立て地から電子ゴミを丸ごとすくって、誰かさんにどっさり渡していたみたいね』
思い当たる節が、一つ。
そう。何も特別な事じゃない、少なくとも僕にとっては。
「……マクスウェルと同じだ。こいつだって最初からシミュレータ用に開発されたチップを使っている訳じゃない。元を正せば初期不良で投げ売りされていたタダ同然の携帯ゲーム機を一四〇〇台ほど繋いで災害環境シミュレータに作り替えたんだ」
当然、元の開発会社や製造工場にこんな意図があったはずがない。すでにマクスウェルは一番大元の創造主の手を離れ、今の形に作り替えた僕を作り手として認識している。
まるで何かの意趣返し。
いいや。僕個人だけが分かれば良い、メッセージのつもりなのか?
『トゥルースがそうやってワゴンセールに埋もれていくはずだった機材に新たな命を吹き込んだように、こいつは一〇億アカウント以上を突き動かして始まりも終わりもない潜伏クラウドを回す事で意味を与えようとしていたのかしら。まだまだ使えるのに、用済みだって事にされた有象無象の道具達に』
「……ちょっと待て。だとするとこのデータサイエンティストの目的は何なんだ? 神に仇なす潜伏クラウドなんてどうでも良くなってないか?」
『ベンチマークのつもりなのかもしれないわ』
アナスタシアは慎重に言葉を選んでいるようだった。
『データサイエンティストにとって重要なのは、自分が組み上げた演算機器をどれだけ世界の中枢に食い込ませられるか。神への反逆はその分かりやすい指標の一つに過ぎなかった。ここまでやれば世界も認めざるを得ないだろうっていう……金字塔のつもりだったのかもしれないわね』
ブラックマーケット『邪霊』は壊滅した。
潜伏クラウドだって始まりも終わりもない円環を絶たれて空中分解していった。
だけど。
まだ終わらない。
「……こいつにとっては、複数アカウントありとはいえ一〇億を揺さぶる潜伏クラウドさえ、ものは試しに過ぎなかった」
『データサイエンティストはまだ続けるはずよ。自分の手による作品が世に認められるまで。そのためだったらカラミティを起こしても構わないとまで考えているはずだわ』
神への反逆さえ、証明手段の一つに過ぎない。
そちらが順当に進まなければ、他のアイデアを形にするだけ。赤のクレヨンで塗ってみたけどいまいちパッとしなかったから、今度は黄色のクレヨンに持ち替えてみる。それくらいの感覚で。
何が起きる?
カラミティ、人類滅亡の人災。それと肩を並べるほどの偉業って何だ? もはやどっちに盾を構えれば良いのかも想像がつかないぞ。
『データサイエンティストはまたすぐにでも胎動する。いえ、ひょっとしたら次を見据えてもう動いているかもしれないわ』
「……、」
『常に備えよ、安寧の中に活路はない。……ってところかしらね』