チョコレート・コンフュージョン 電撃文庫MAGAZINE VOL.48掲載 書き下ろし短編『莉衣奈のパンプス大作戦 』

※本ページは、電撃文庫MAGAZINE VOL.48に掲載された書き下ろし短編となります。


電撃文庫MAGAZINE VOL.48掲載 書き下ろし短編『莉衣奈のパンプス大作戦 』


「えー、もうそんな時間ー?」

 リビングのソファに転がってスマホを見ていた莉衣奈(りいな)は、つけっぱなしのテレビから流れ始めた二二時のニュースに、思わず声を上げる。

 さっき晩ご飯食べたときは、まだ二〇時前だったのになー。ここでダラダラしてたら、いつのまにか二時間もたっていた。

 ヤバい、早く片付けなきゃ龍生が帰ってきちゃう。

 そばにあるローテーブルを見渡した莉衣奈は、大きくため息をつく。

「我ながら結構散らかしたなぁ……」

 大学が春休みに入ってから、リビングでゴロゴロしてばかりだった。テーブルの上には、読みかけの雑誌やマンガ、それに、見終わったけど億劫でそのままにしていたDVDが散乱している。随分前に遊んだゲーム機も出しっぱなしだ。

 さすがに今日は片付けないと、大目玉くらっちゃうかも。龍生ってば、異常なくらい綺麗好きだからなぁ……。

 龍生(たつお)というのは、一五も年の離れた兄で、現在三五歳――そこそこ大きな日用品メーカーで経理の仕事をしている。

 が、兄というよりは父親に近い存在だ。もう二十歳の莉衣奈を未だに子ども扱いして、あれしなさい、これしなさいと口うるさく指示してくるのだ。

「げっ、そういえばお皿も洗ってない! 朝ご飯のときも、昼ご飯のときもなんか面倒で、晩ご飯食べてからまとめてやればいっかーって思ってたんだけど……」

 そろそろやらなきゃマズいよね……。

 反省しつつ、キッチンの方をチラ見した莉衣奈だったが、

「ま、後でいっかー! 龍生、もうちょっと遅くなるかもだし?」

 と、再びスマホに視線を落とす。そうそう、ファッション系の情報サイトでこの春のトレンドチェックしてたとこだったんだ。

 春物って、パステルカラーとかマカロンカラーとかの可愛い色合いが多くて、見てるだけでウキウキしてきちゃう。

 憂鬱な片付けを始めるためにも、これ見てパワー充電しなきゃだよね……って何これっ!

 莉衣奈の目を釘付けにしたのは、一足のハイヒールパンプスだ。

 ミッシェル・ロザリーというブランドのもので、ライトピンクのエナメル素材がツヤツヤと品良く輝いている。付属のリボンで、さらにキュートにアレンジすることもできるという。

「うわぁー、超可愛い! もうこれ絶対買いだよねー! えーっと、値段は……げっ、三万超えって、そんなの買えるわけないじゃーん!」

 ビジュアルに反して全然可愛くないお値段に、ぶぅーっと口をとがらせる。せっかく上がっていたテンションが急降下してしまった。

「むー、パンプス欲しいよぅー。でもお金ないよぅー」

 ――と、悶々とする莉衣奈の耳に、つけっぱなしのテレビから、バレンタインに関する話題が聞こえてきた。

 今年は休日と被っているために、会社で配る義理チョコはなし、というところもあったとか。

 前倒しでもらった人もいれば、今年はもらえなかった人もいたらしく、街頭インタビューでサラリーマンのオジサンたちが悲喜こもごものコメントをしている。

 そんなこともあるんだぁ……と納得するも、うちの兄――龍生には関係ない話だ、とも思う。

 というのも、龍生はある事情から周囲の人間に避けられている。そんな兄が会社でチョコをもらうなんてことは、たとえバレンタインが平日だったとしても難しいことなのだ。

 もらえるにしたって、毎年、明らかにおかしな渡し方をされるという。

 小分けの義理チョコが、はるか遠くの席からバケツリレーのように回ってきたり、同じ部署の人から社内便経由で届けられたり――絶対に、面と向かっては渡してもらえないのだ。

 他の男性社員は、ちゃんと手渡ししてもらえるのに……と嘆く龍生の姿は、我が家におけるバレンタインの風物詩だ。

 なにも、龍生が近寄りがたいほどに不潔だってわけじゃない。むしろその逆、引いちゃうくらいに潔癖だ。

 性格だって妹には小言が多いけど、基本的には温厚で、人から嫌われるようなタイプじゃない。

 見た目の方も、ある部分を除けば決して悪くはないのだ。中年太りもなくシュッとしてるし、背なんて一八〇センチ超えの高身長だし!

 顔立ちも、日本人にしては彫りが深くて、すっと高い鼻や、形のいい口が、ルネサンス期の彫刻みたいだなって思う。寝顔とか写真撮ってルーブル美術館に寄贈したいくらいだよ!

 ――ただし、寝顔だけね。

 起きてるときは、問題の『ある部分』の迫力がハンパなくて、他のプラス部分を全部打ち消しちゃうんだよ、残念ながら……。

 はてさて、今年はどうなったんだろう。また変な渡し方で義理チョコもらったのかなぁ。それとも、ニュースで言ってたみたいに、単に休日と被ってるからもらえなかっただけ……?

 そんなことを思いながらも、再びスマホの画面に視線を落とす。

「やっぱ可愛いなぁ~~、ミッシェル・ロザリーのパンプス。でも今月お小遣いピンチだし、来月だっていろいろあるし……。むぅー、でもでも欲しいよ~~!」

 画面の中でツヤツヤと輝く高嶺の花に、はぁっと吐息をもらす。手が届かないとわかると余計に欲しくなる。

 どうしたものかと考えあぐねていると、玄関の方で物音がした。どうやら龍生が帰ってきたらしい。

 ヤバい、結局まだ片付けてないや。でもま、今さら慌ててもしょうがないし、後でいいよね、後でー。

「あー、龍生おかえりー」

 リビングに入ってきた兄に声をかける。が、視線は相変わらずスマホに向いたままだ。

 キラキラと輝く春色パンプスが、目線とハートをがっちり鷲掴みにして離してくれないのだ。

 そんな莉衣奈に龍生は、

「こら、テレビがつけっぱなしじゃないか、見ていないなら消しなさい。それにテーブルの上も相変わらず散らかったままだ、早く片付けなさい」

 うわぁ、早速、小言が始まった。もー、超うざ~~い!

「テレビは見てないけど聞いてるのぉ! テーブルは後で片付けるよー」

「後でって、昨日も一昨日も、その前もそう言ってただろう。お前の後ではいつだ? 来世か!」

 あーあ、今日もまた長くなりそうだなぁ、お説教……。

 語気を強めてグチグチ言ってくる兄に適当に返事をしながらも、瞳は依然としてスマホに釘付けだ。

 はぁー。何度見ても、この靴、神懸かり的に可愛い……! わ、なんかヨダレまで出てきちゃったよ~~。

 口を半開きにしてパンプスに見惚れる莉衣奈。一方の龍生は、「大気が腐るっ!」なんて、わけのわからないことを言いながら、窓を全開にして部屋の換気を始める。

 ううぅ、寒いよぅ。

 ようやくスマホから顔を上げた莉衣奈は、窓辺で仁王立ちする龍生を見やる。

 仁王立ちっていうか、誇張抜きでリアルに仁王像みたいだ。

 今日は一段とギラついてるなぁ……。

 我が兄ながらヤバすぎる目元だ。日本人離れした彫りの深い顔の中心で、名刀のように研ぎ澄まされた三白眼が、ギラギラと恐ろしげに光っている。

 そう、迫力がありすぎて、他のプラス要素を全て無に帰してしまう『ある部分』が、この三白眼だ。

 極道感溢れる、鋭すぎる眼光を放つ龍生は、その双眸で見る者全てを圧倒――決して近付いてはいけない危険人物だと皆に誤解され、恐れられている。

 故に常に人から避けられ、義理チョコすら手渡ししてもらえないのだ。それも、幼いころから三五になる今の今まで、ずっとだ。

 その筋の人だと疑われることは日常茶飯事で、家に遊びにきた友達に『莉衣奈ちゃんのお兄さんって、殺し屋なの……?』なんて、とんでもない質問をされたこともある。

 それほどまでに、龍生の三白眼は迫力満点なのだ。

 しかも困ったことに、身内以外に対しては超がつくほど口下手な龍生は、あらぬ誤解に対して一切の弁解をしない。結果、おかしな噂は広がるばかりだ。

「んもー、そんなに怒ってばっかだと、怖い顔がますます怖くなっちゃうよー?」

 ギンっと目を細めて見据えてくる兄に、肩をすくめながら忠告する。

 血の繋がった兄妹ではあるが、二人は周囲が驚くほどに似ていない。龍生の鋭い顔立ちとは反対に、莉衣奈は丸みを帯びた、愛嬌のある顔をしているのだ。

 兄に似なくて良かった、と莉衣奈は心底思っている。あの凶悪な目元が自分のものだったらと想像するだけで……わ~~無理無理、龍生には悪いけど絶対ヤダよ、耐えらんないっ!

 思わず身震いするも、龍生は相変わらず、何か言いたげな顔でこちらを見ている。またガミガミうるさく言ってくる気かな?

 察した莉衣奈は先制攻撃をしかける。

「龍生はさー、昔っからパパ役で融通がきかなかったけど、最近は小言まで増えて、ママ役まで兼任してるみたいになった。もううんざりだよー」

 莉衣奈の父は、莉衣奈が生まれる直前に事故で亡くなった。そのため、年の離れた兄である龍生が、忙しい母を手伝う傍ら、父親的役割を担ってきてくれた……のだが、三年前に母が病気で他界してからは、母親役までこなすようになり、今では嫁いびりする姑のようにウザい。

 小さいころならまだしも、もう二十歳なのだ。そろそろ本人の意志に任せて、自由にさせてくれたっていいと思う。

 それなのに龍生は、「莉衣奈が立派な大人になれるよう、監督するのが私の務めだからな」と、鋭い目つきとお堅い姿勢を崩さない。

 いつまでも人を子ども扱いして、「夕飯は? ちゃんと食べたのか?」なんて聞いてくるのだ。

「食べた食べた。ほらっ!」 

 その証拠に使用済みの食器が山積みだよーん。

カウンターキッチンへ視線を送ると、

「うわぁぁぁぁっ、なんて恐ろしいことをするんだお前はっ!」

 仁王顔から一変、血相を変えて台所に飛び込んだ龍生は、怯えをはらんだ叫び声を上げる。

 潔癖症の兄には、朝食時から溜めている洗い物は刺激が強すぎたらしい。

 だからって、そんなこの世の終わりみたいな声出すことないのに……。

 己の食事も忘れて食器洗いを始めた龍生に、莉衣奈は呆れながらも、

「置いといていいよ、後でやるからー」

「だからお前の『後で』はいつなんだ! 今際か? 死ぬ前にふと思い立って片付け始めるのか? 夏休み最終日になって宿題を始める子どもじゃないんだぞ?」

 洗い物を進めつつも、グチグチと小言をやめない龍生はさらに続けて、

「だいたい、どうして用意してあるものを食べないんだ。冷凍庫にストックがあったろう。片付けられもしないのに、料理などするからこんなことになる」

 う……。そういやコンロ周りも結構派手に汚しちゃってたんだっけ……。

 確かに潔癖症的には我慢のならない状況なのかもしれないけど、こっちだって耐えられなかったんだからね?

「だって龍生のごはん、どれも地味なんだもーん。ひじきの煮物とか、きんぴらごぼうとか、里芋の煮っ転がしとかー。黒と茶色ばっかり。メインだって、ぶり大根とか豆腐ハンバーグだしー」

「母さんの残したレシピだぞ?」

「ママはちゃんと若向けのとバランスよくローテしてたー! 毎日おばあちゃんみたいな献立じゃ飽きちゃうよ! たまには全部お肉でできたハンバーグが食べたかったのーっ! 口に入れた瞬間、肉汁がじゅわぁぁぁっと滴ってくるやつー!」

 健康志向の龍生が作る料理は減塩、油抜きが基本で、出てくるおかずはもれなくババくさい。

 肉料理といえば決まって、ささみの蒸したのとか、ささみの蒸したのとか、ささみの蒸したのとかが出てくる。

 大げさに言っているわけではなく、本当に毎日ささみばかりなのだ。

 脂質が低く、良質なタンパク源でもあるささみを重用したい気持ちはわかるが、こう毎日ささみ推しでは気が滅入ってしまう。

 ああ、もっと肉らしい肉が食べたい――!

 この時期に欠かせないお鍋だって、うちではただの湯豆腐になっちゃうし、文句を言ってもストックのささみが追加されるだけだし……。

 ヘルシーどころか枯れてるメニューに対抗して、ハンバーグの一つや二つ、豪快に焼きたくなっちゃう妹心も理解してほしい。

 もし槍が目の前にあったら、それ持ってうっかり狩りに出ちゃいそうなくらい肉に飢えてるんだよ、私っ! 

 そう思って、兄のささみ信仰にイヤミを言ってやるも、龍生は真顔で、

「蒸しささみだけじゃないぞ、飽きないように、ちゃんと鶏そぼろも用意してある」

「だぁーっ、もう、そーゆーのじゃないのっ! 私が食べたいのは、同じ鶏でも唐揚げとか照り焼きとか、部位で言えば、ぷりっぷりジューシーなモモ肉が食べたいのーっ! 龍生の料理、口の中乾いてきちゃうもんばっかで、このままじゃ心までパッサパサに枯れてきちゃうよー…………って、そうだっ!」

 文句をぶつけながらも、ふっと、スマホに視線を戻した莉衣奈は名案をひらめく。

 わわっ、こうしちゃいられないわっ――!

 瞳を爛々と輝かせた莉衣奈は、ぴょんと立ち上がって自室へと直行、コートを羽織って財布を握り締めると、家を飛び出して近所のコンビニへと急いだ。