ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン 猛暑撃退! 地獄のクイズ大会

 ――氷菓がないなら昼寝に限る。

 常夏のカトヴァーナでもとりわけ暑い一日に出くわした時、黒髪の少年が取る行動はおおむねそれになる。

「ふー……まだ朝の十時だってのにこれかぁ。いやぁ、参る参る」

 今日も例外ではなく、基地の各所にいくつも張ったハンモックから、いちばん涼しい場所を見繕ってごろりと横になっている。出席を義務づけられた講義も訓練も何のその。

「んぐんぐ」

 あまつさえ、果汁入りの氷水を水筒に入れて持参するという図々しさ。早朝の時点でハロに頼んであったものだ。何かをサボった時間を快適に過ごすことにかけて、イクタ・ソロークは掛け値なしの玄人である。

「ぷはぁ……ん?」

 すでに氷はほとんど溶けていたが、心地よい冷たさが喉を滑り落ちていく。それで人心地ついて視線をふと横に向けると、地上から三メートルばかり高い位置に張ったハンモックの上から、講義中の士官候補生たちの様子が見晴らした。

「……」

 皆、額に汗の玉を浮かべながら頑張っていたが――その中に見知った金髪の少女の姿を認めたところで、少年は途端に渋面を浮かべる。

「イクタ? どうしましたか」

 唐突に昼寝を切り上げて、イクタはハンモックからするりと降りていく。腰のポーチからパートナーのクスが問いかけてくるのに、彼は憮然とした声で応じる。

「どうにもこうにも――あの娘には余裕ってものが足りない」



 焦熱の砦と化した講義室の中、シャミーユ殿下は刻一刻と暑気に蝕まれていた。

 ――今、何と言った?

 教官の声がひどく聞き取りづらい。耳の問題ではなく、耳に入ってきた音を分析する頭のほうが暑さにやられているのだ。延々と続く説明が汗でにじんだインクのようにぼんやりと意味を半ば喪失して聞こえる。いつもの明晰さはもはや見る影もない。

 ――いかん。集中、集中せねば。

 かぶりを振る。周りの生徒たちも多かれ少なかれ似たような状態だったが、彼女がとりわけ不運なのは席が窓際だったことだ。講義の開始からこの方、容赦を知らない太陽に直火で炙られ続けている。

 ――呆けていてはいけない……集中……せね、ば……。

 だが、その忍耐も、いよいよ限界を迎えつつあった。彼女に自覚はないが、白く明滅する視界と断続的な頭痛は熱中症の兆候だ。刻一刻と手足の感覚が薄れていき、やがて視界がぐらりと傾いて、

「はい、失礼しますよっと」

 黒髪の少年が堂々と講義室に割り込んできたのは、そんなタイミングだった。

 教官と士官候補生たちからいぶかしむ視線が集中する中、イクタはそれを意にも介さず一直線にシャミーユのもとへ向かっていく。当の少女は朦朧とした瞳で彼を見てつぶやく。

「……ソローク……?」

「こんにちはお姫さん。頑張ってるところすみませんが、お休みの時間です」

 言うなり問答無用で少女を抱き上げるイクタ。シャミーユはぐったりと抱かれたまま困惑する。

「え、あ……? だ、だが今は、講義中で……」

「講義中だろうが会議中だろうがダメなもんはダメです。あなたの気持ちはともかく、体のほうはそういう理屈じゃ誤魔化されませんよ」

 そう言い含めて身をひるがえし、イクタはおもむろに講義室の出口へ歩いていく。教官の声が慌ててその背中を追った。

「ま、待て貴様! 何をしておるか!」

 制止を受けたイクタが出口のところで足を止め、横目でぎろりと相手をにらみ返す。

「――見て分かりませんかね、あなたの首がすっ飛ぶのを防いでやってるんだ。この場の全員に対して監督義務のあるあなたが、同じ講義室にいるこの娘の変調に気付かないってのは節穴が過ぎるでしょう」

「なっ――」

「他にも何人か怪しくなってる者がいますから、とりあえず日陰に入れてやってください。今日の猛暑は尋常じゃない。下手すりゃ死にますよ」

 言うだけ言ってすたすたと去っていく少年。残された教官と士官候補生たちは、ひたすら呆然とその背中を見送るしかなかった。



 三日後の夕方。起きて歩ける程度までシャミーユ殿下が回復したところで、イクタを除く騎士団の面々はその居室に集まっていた。

「殿下――申し訳ありません」

 寝台の傍らにひざまずき、深々と頭を下げるヤトリの表情には強い自罰がにじんでいる。それを受けた姫君は慌てて首を横に振った。

「頼む、ヤトリ、どうか頭を下げてくれるな。自分の体調を管理出来なかった余が悪いのだ。そもそも同じ講義室にいなかったそなたに何の責があろう……」

「いえ、気付いて然るべきでした。あの日の暑さは尋常ではなかった。殿下が暑気に当てられる可能性に思い至っていれば、騎兵訓練を中断してでも駆け付けられたはずです」

 少女を守る騎士としての立場を自認しているからこそ、今回の顛末を受けた彼女は自分を責めること甚だしい。それを見かねたハロが務めて明るく言葉を挟んだ。

「でもでも、大事にならなくて良かったです。眩暈も頭痛もすっかりなくなったみたいですし、明日からは普通の生活に戻れますよ、殿下」

「うむ……しかし、己一個の体調管理すらままならぬとは、我ながら情けない。出会ってから今日に至るまで、そなたらには迷惑をかけ通しであるな……」

 そう言ってうつむく少女。かける言葉に迷った四人の間に沈黙が下りた瞬間、彼らの背後で居室のドアが勢いよく開いた。

「だーかーらー、子供はそんなこと気にしないもんですー」

 そう言いながら、一抱えほどもある大鍋を抱えて部屋に入ってくる黒髪の少年。トルウェイが首をかしげた。

「イッくん……? その鍋はなんだい?」

「はいはい、いいから部屋の真ん中からよけてよけて。はーいテーブル入れちゃってください」

 彼の指示に応えて、姫君の親衛隊の面々が、もうひとつ腑に落ちない表情のまま大きなテーブルと六脚の椅子を運び入れる。蓋のされた大鍋はテーブルの中央に置かれ、次々と整っていく何かの準備。ヤトリが言葉を挟んだ。

「ちょっと。何を始めるつもり?」

「回復祝いの食事会だよ。暑気払いも兼ねた、ね。――さ、みんな席に着いて」

 促された五人が顔を見合わせて席に着く。一方のイクタは、最上座のシャミーユ殿下と向かい合う位置に陣取り、そこでおもむろに口を切った。

「このクイズ大会、ルールは実にシンプル」

「クイズ大会!? 食事会はどうした!?」

「テーブルを囲んだ六人がひとりずつクイズを出して、一巡後にもっとも正解数が多かった人には氷菓をプレゼント。ただし、ひとつも答えられなかった人には、真ん中の鍋をお椀一杯食べてもらう」

 説明を途中で切ってテーブル中央の大鍋に手を伸ばし、黒髪の少年はその蓋を取ってみせる。中では真っ赤に染まった液体が大量に煮えたぎっていた。

「ちなみに、中身はこんな感じだよ」

「あ、赤い……」

「ひぇぇ……ぐつぐついってます~」

 鍋を覗き込んだトルウェイとハロがごくりとつばを飲む。と、ここまで無言だった金髪の少女がふいに声を上げた。

「……ひとりずつクイズを出すということは、その内容は各々が自分で考えるのだな?」

「ええ。ただし、自分以外に答えを知りようがないタイプの問題は禁止です。僕たちが共有していてもおかしくない知識の範囲で出題してください」

「となると、軍事関係以外にもかなり幅広いわね」

「歴史や詩文、なんなら算学でも構わないよ。高等士官試験を受けるまでに、それらは全員が学んできているはずだからね」

 それでルールを飲み込むと、ヤトリはシャミーユ殿下に向き直る。

「殿下、いかがなさいますか? なにぶん急なことですから、気が乗らなければお断りくださってもよろしいかと」

「……いや、受けよう。ソロークを見よ。あれは余を挑発している顔だ」

 そう言う彼女の視線の先で、イクタはのけ反り気味の姿勢で薄笑いを浮かべている。

「嫌なら参加しなくても構いませんよ? これを見ての通り、病み上がりのお子様には厳しい戦いになるでしょうからね」

 煮えたぎる大鍋を視線で指して、なおも少女の感情を煽っていくイクタ。一方、その芝居がかった振る舞いに悪ふざけ以上の意図があることを見て取って、炎髪の少女は鼻を鳴らした。

「殿下がこうおっしゃっていることだし、私も受けるわ。みんなはどう?」

「や、やるに決まってんだろ。……でも、先に鍋を一口味見しときたいかも……」

「ぼくもやるよ。辛い物はあまり得意じゃないから、ちょっと怖いけど」

「楽しそうだしわたしもやります! 辛い物も大好きですしね!」

 次々と参加を決めていく騎士団の面々。それを満足げに眺めて、イクタは再び口を開いた。

「決まったね――それじゃあ始めよう。問題を出す順番は、お手本も兼ねて僕から時計回りで構わないかな?」

 特に異論も上がらず、黒髪の少年は上機嫌に語り始める。

「第一問。軍閥時代の武力衝突、ダーナック紛争の直接の原因となったのは――」

「領土の割譲を巡るヘイセン家の二枚舌外交!」

 先手必勝とばかりにマシューが叫ぶ。イクタは彼を見てにこりと笑った。

「――ですが、逆に紛争が終結した最大の要因は何でしょう?」

「おいっ!? いきなり引っかけ――」「戦闘の長期化に伴う穀倉地帯の荒廃」

 間髪入れずに姫君が声を挟む。聞いたイクタがむむっとうなった。

「肥沃な土地を巡って戦っているうちに、その土地の価値そのものを壊してしまったという愚かしい紛争の一例であるな。細かい理由なら他にいくらでもあるが、最大の要因となればこれを置いて他にはあるまい」

「正解です、お姫さん。答えられたこと自体には驚きませんが……よく引っかかりませんでしたね?」

「そなたの出す問題にいじわるな落とし穴がないと考えるほうが無理であろう。ああも分かりやすい引っかけだと、今回はむしろ拍子抜けであるがな」

「くぅ……」

 その分かりやすい引っかけに見事にはまったマシューは地団太を踏むしかない。と、そこでさりげなくイクタの手が伸び、小太りの少年の椀にさらさらと木匙一杯の粉末を注ぎ入れる。

「……おいイクタ。いま何をした?」

「ああ。言い忘れてたけど、解答を間違えるたびに、その人のお椀に木匙一杯分のこれが投入されます。一巡の間に一問も答えなかった場合も同じね」

「いちばんおっかないルールを後出しするなよ! なんだこれ、香辛料の粉末か!?」

「一巡するまで手を付けちゃダメだよマシュー。はいハロ、次の問題をどうぞ。最初だしゆっくり考えていいからね」

「わたしですか。うーん――」

 顎に人差し指を当ててしばらく考えてから、ハロはぽんと両手を合わせた。

「――そうですね。じゃあ、帝国じゅうで広く飲まれている液状の発酵乳について。内陸で飲まれるものと海の近くで飲まれるものとでは違いがあります。それは何でしょう?」

「それは分かるぞ。海の近くじゃ――」「塩を入れるか否か」

 マシューの回答に姫君の声が覆いかぶさる。小太りの少年は口を開けたまま硬直した。

「塩を入れるのは、主に海岸沿いの肉体労働者が好む飲み方であるな。汗で失った塩分を補給する目的が大きい。内陸と比べて塩が安価に手に入るのも理由のひとつであろう」

「せ、正解です! 殿下すごい、また即答です~」

「お、おい? 今のはおれも分かってたんだけど……」

「要点を答えたのはお姫さんが早かったね。よってポイントはお姫さん」

 あっさりと判定を下すイクタ。マシューは悔しげにうなって頭を抱え、トルウェイが次の順番を受け持つ。

「次はぼくか……じゃあ武器の歴史から出すね。風銃の原型となった武器の中で、もっとも原始的なものといえば?」

「吹き矢であるな。かつて狩人が風精霊にやらせたところ、人が吹くよりもまっすぐ遠くまで飛んだという話が伝わっている」

「正解です、殿下。これも即答でしたね……」

「ふふん――では、次は余からの出題であるな」

 この時を待っていたとばかりに、シャミーユ殿下は唇を釣り上げて深い笑みを浮かべた。



 姫君に続いてヤトリとマシューが出題を終えたところで、最初の一巡が終了した。

「むむむ……一巡して、正解がいちばん多いのはダントツでお姫さん。正解なしはマシューとハロか。……じゃ、ふたりともお椀を貸してね」

「ぐぐぐ……」「盛り付けはほどほどにしてください~」

 悔しさと怯えをそれぞれの顔に浮かべて、マシューとハロが震える手でイクタに椀を差し出す。すでに謎の粉末が敷かれている椀の中に、真っ赤なスープがどろどろと注がれる。

「うぅ……なんだ、このぐらい! さっさと食ってやる!」

 意を決して椀を手に取り、マシューは中身を一気に掻き込んだ。向かいのハロもこわごわ木匙を口に運び、

「――――――――――ッ!!!!????」

「~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 目をかっと見開いて、ふたりは同時に悶絶した。口内から喉までを蹂躙する未曾有の辛み――を通り越した痛みに、マシューは両手で喉を押さえながら涙目でイクタを凝視する。

「い、イクタ……おまえ、これ、何入れた……!」

 問われた黒髪の少年は無言で懐に手を差し入れ、そこからツヤのある植物の実をひとつ取り出してみせた。ほか五人の視線が一点に集中する。

「……赤紫色の唐辛子……い、いや、まさかそれ……!」

「君は知っているよね、マシュー。伝説の船乗りキャプテン・ガルシエフが世界一周の航海から持ち帰った土産のひとつ。口を焼き喉を焦がして脳天まで突き抜ける地獄の唐辛子――通称『竜の鉤爪』とはこれのことさ」

「さ、さっきの粉末……!」

「お察しの通り、これを砕いて粉にしたものだよ。出来れば味わってくれると嬉しいな。このゲームに使うだけの量を買い求めるのに、俸給がひと月分ふっ飛んじゃってね……」

「どういう金の使い方してんだ――うぁあ、喉が、喉が焼ける! なんかもう頭まで痺れて……!」

「もうだめ! ミル、水をちょうだい~!」

 悶え苦しむふたりの様子を眺めつつ、黒髪の少年はにやりと笑みを浮かべる。

「勝てば天国、負ければ地獄――いま鍋を食べたふたりは次の巡目で罰ゲームを受けないから、そこは安心して欲しい。次に火を噴くとすれば、僕を含めた他四人の中の誰かだ」

 ワンサイドゲームにならないための采配だが、シャミーユ殿下はそれを聞いてもなお余裕の笑みを浮かべた。勝者の立場で悠然と氷菓を口にしながら、少女は不敵に言ってのける。

「ならばソローク。次こそ、そなたが喉を押さえて悶絶する姿が見たいものであるな」

「僕のほうは困っていますよ。子供を泣かせて楽しむ趣味はないんですがね」

 売り言葉に買い言葉で互いを挑発し合い、ここに地獄の争いが幕を開けた。


猛暑撃退! 地獄のクイズ大会

 ――そして一時間後。

互いの味覚神経を痛めつけ合う壮絶な戦いの末に、姫君の居室には死屍累々の光景が広がっていた。

「あ……がが、が……が……」

 度重なる誤解答の末、マシューは今や思考まで辛さに漂白されてテーブルに突っ伏している。意識を失ってなお手放さなかった椀と木匙が、彼の最後の意地の表れだ。

「―――――――――」

 トルウェイは椅子に座ったまま真上を仰ぎ見て、その姿勢でこれまた気絶していた。失神に至るまでの過程はマシューと違って静かなもので、それだけに彼が限界に近付いていく過程は鬼気迫るものがあった。辛さの極北で何らかの境地を垣間見ているのか、今、口元にはうっすらと笑みさえ浮かんでいる。

「うぇぇ~ん! もう許してください~~~!」

 下手に辛さに強かったことが災いして、ハロは最後の一杯を完食出来ないまま未だに苦しんでいた。そんな主のために、パートナーのミルは懸命に氷を作ってやっている。

「……とんでもないものを帝国に持ち帰ってくれたわね、キャプテン・ガルシエフ……」

 同じものを口にしながら平静を保っているヤトリはさすがと言うべきで、それだけに、彼女と同等の克己心を持ちえない他の面々が惨憺たる有様なのは当然の結果なのだった。

「……ひゅー、ひゅー……」

 それは彼でさえ例外ではない。瀕死の動物のような弱々しい呼吸音はイクタの口から漏れている。ぽってりと腫れたくちびるのせいで、意図せず口笛のような音が鳴ってしまうのだった。すでに顔の下半分の感覚はないに等しい。

そんな彼の姿を、今に至るまでただひとり一度のミスも犯さなかった金髪の少女が、正面の席から満面の笑みを浮かべて眺めている。

「困ったものであるな。こうも氷菓ばかり続くと、涼を通り越してお腹を壊してしまうではないか」

「うぬぬ……」

「しかし、美味であるぞソローク。宮中で供されたどの料理も、いま口にしている氷菓の妙味には及ばぬ。これぞ甘露というものであろう」

「……そりゃどうも……僕としても、企画した甲斐があるってもんです……」

「そうであろう、そうであろう。――ところで、まだ椀の中身が残っているようであるが?」

「………………ええ、ちゃんと食べますとも。なにせ僕が始めたことですからね、一滴残らず飲み干しますとも……!」

 情け無用の催促を受けて、黒髪の少年が椀の中身を一気に飲み干し――その直後、糸が切れたようにばったりと机に突っ伏した。

「ご、ごちそう、さま……。……クイズ大会終了。鍋の残りは優勝者に差し上げますから、好きに食べていってください――ぐふっ」

 そんな言葉を最後に死屍累々の光景と同化し、もはや彼はぴくりとも動かなくなった。ヤトリがため息をついて、空になった椀をテーブルに置く。

「この有様ですので、殿下の勝ちということでよろしいかと」

「そのようであるな。うむ、まこと楽しい催しであった」

 自分の圧勝に気を良くした少女。が――そこでふと、視線を目の前の大鍋に向ける。

「しかし――こうなると、逆にその鍋が気になってくるな。今となっては一口も食べていないのは余だけではないか」

「でしたら一口召し上がってみては? もうゲームは終わったのですから、舐めてみる程度でも構いませんし」

「うむ……では、少しだけ」

 半ば怖いもの見たさの心境で、シャミーユ殿下は自分の椀にほんの少しよそった真っ赤なスープに口を付ける。こわごわ口に含んでゆっくりと飲み下し、

「――ッ…………む? それほど辛く……ない?」

 その結果、思いも寄らない肩透かしを食っていた。ヤトリが苦笑気味に肩をすくめる。

「はい。口にしてみて分かりましたが、我々を苦しめたのは主にあの粉末で、スープ自体の赤みはトマトによるものです。辛さは控えめながら代謝を促す香辛料が多く入っており、具はよく煮込まれた豆と芋。食欲を誘う酸味もあって、病み上がりにはうってつけの料理かと」

 その説明通り、病み上がりの体が栄養を欲するに任せて、姫君は真っ赤なスープを口に運び続ける。途中で投入された焼き石のおかげで温かさも失われていない。ヤトリの手に二杯目をよそってもらいながら、少女はふと思い至る。

「……もしや、これを余に食べさせたいがための催しであったのか?」

 そう口にしてすぐ、思えば最初から、何もかも自分にとって有利なゲームだったのだと彼女は気付く。国政データの生き字引を辞任する姫君にとって、細かな知識を競うクイズはまさに独壇場だ。黒髪の少年にそれが予測出来ないはずもなく――騎士団の年長者たちを相手に勝利を重ねたことで、クイズの前に姫君が感じていた引け目は、いま少しだけ薄らいでいるのだった。

「どうでしょうか。真意がどうあれ、本人はもう喋れる状態ではありませんので」

 どこまでが黒髪の少年の目論見であったのか――それも炎髪の少女なら正しく察しているのだろうと、シャミーユ殿下はひそかに思う。胸の内にちくりとした痛みを覚えつつ。

「いずれにしても、氷菓ばかりでは体が冷えてしまいます。今後の回復のためにも、ここでしっかり食べていかれるのがよろしいかと」

「……うむ……」

 言われるままに木匙を動かす。あれほど禍々しく見えた真っ赤なスープは、口に含むと弱った体に染み込んでいくように美味しかった。さっきまでの少年の挑発的な言動を思い返しながら、少女は深くため息をつく。

「……この男は、なぜもっと素直な形で人を気遣えんのか」

 そんな彼女のつぶやきに、同意を込めてうなずく炎髪の少女。テーブルに力なく突っ伏す少年の、そのぷっくりとくちびるの腫れた顔を眺めて、ふたりはくすりと笑みを交わし合うのだった。


〈了〉