キラプリおじさんと幼女先輩 特別版


※本ページは、「電撃文庫MAGAZINE Vol.55」に掲載されている短編を一部抜粋したものです。


自転車と幼女先輩


「は? 自転車に乗れるようになりたい、だって?」

 俺が聞き返すと、千鶴はむっつりした表情でこく、と頷いた。

 冬休み。下関のスーパー『マルワ』に併設されたゲームコーナー『わくわくらんど』で、俺がキラプリをやっていると、少し遅れてやってきた千鶴が「私に自転車の乗り方を教えて」と話しかけてきたのだ。

 冬休みに入ってから、千鶴は毎日私服でわくわくらんどにやってきている。あいかわらず今日も、キラプリで使用している本人のアバターの〈ちづる〉とは正反対の、落ち着いた雰囲気の黒いドレスに身を包んでいる。ただし、毎日微妙にデザインの異なったものを選んでいるようだ。近所のゲーセンに遊びに来るだけなんだから、そんなに気合い入れなくていいのに……不思議な奴だな……。

「てか、どうしていきなり自転車に乗りたい、なんて言い出したんだ?」

「だって、前に、小倉に行く時に……色々迷惑かけたから」

「なんだ……おまえ、そんなこと気にしてたのか」

 千鶴らしくない、なんともしおらしい発言だ。ちょっとかわいいところもあるじゃないか。

「それに、自転車に乗れないなんて、私のプライドが許さないわ」

「あ、うん……やっぱいつものおまえだわ」

 あいかわらずの高慢な発言。むしろちょっと安心したよ。

 俺は腕を組んで安っぽい蛍光灯の吊るされた天井を仰ぎ、

「まあ……たしかに小学五年生にもなって自転車に乗れないのは恥ずかしいかもな……」

「わ、わざわざ口に出して言わないでっ」

 今の小学生ならだいたい低学年で自転車は乗れるようになる。運動神経の良い奴なら幼稚園や保育園の頃から乗れる奴もいる。

「だって……いままで住んでいた場所では自転車なんてぜんぜん必要なかったし……」

「ああ、なるほど……田舎と都会の違いかもしれないな」

 ここみたいな田舎は交通機関が発達していない。どこへ行くにも大人は自動車、子どもは自転車を使う。なので、自転車に乗れるようになるのも、田舎の子どものほうが早いのかもしれない。

「まぁ、たしかにおまえも自転車に乗れるようになれば、行動範囲が広がって……引っ越してきたばかりで不慣れなこの土地をもっと楽しむことができるかもしれないな」

「う、うん……」

 ちょっと遠いけど、頑張ればこの市内唯一の大型デパートのシーモールにも自転車で行けるようになるし。頑張ればな。

「つっても……なんで俺が、わざわざおまえが自転車に乗れるようになるための練習に付き合ってやらなきゃなんないんだ?」

「ぐっ……に、2位は1位の言うことを黙って聞きなさい」

「いやだね。俺はキラプリがやりたいんだよ」

 せっかくの冬休みである。学校生活という軛から解き放たれて、思う存分キラプリができるパラダイスのようなひとときなのだ。〈みゆ〉のアイドルランクを上げて、さらに可愛くさせるためには、キラプリ以外のことにかまけて弛んでいる暇などない。

「さ、俺は忙しいんだ。他を当たりな」

「っ……」

 俺がそっけなく答えると、千鶴は悔しそうに俺をじっと睨み続ける。……まぁ正直、多少心は痛む。が、それよりもやるべきことがある。俺が筐体に百円玉を投入しようとすると、

「うぅぅっ……」

 千鶴の声に反応してちらりと横目で見る。大きな瞳にじわりと涙が滲み、きつく結んだ唇からかすかにうなり声が漏れ始めた。

「うぅぅ……っ」

「あーあー、ちょっと待て」

 また始まったよ……なんでこいつ拗ねたりいじけたりしたときいつもこうなるんだ……? 

 俺がおろおろしていると、

「翔ちゃん!」

「うわ、びっくりした……か、會田さん?」

 まったくすごみのない、ゆるふわでおっとりした怒声に俺が振り返ると、両手を腰に当てて、眉をひそめる會田さんが立っていた。

「なんで千鶴ちゃんにそんないじわる言うの?」

「なんでってそりゃ……俺キラプリやりたいですし」

「え~? クリスマスのイベントのときは、二人であんなに仲良く協力プレイしてたのにぃ」

「そ、それはそれ、これはこれですよ」

 あのときは――そう、たまたま、お互いの目的が一致しただけだ。こいつと馴れ合うつもりなんて毛頭ない。あくまで千鶴は俺のライバルだ。

「そんなにかわいそうなら、會田さんが手伝ってあげればいいじゃないですか」

「ほんとはわたしも千鶴ちゃんを手伝ってあげたいんだけど~……手取り足取り♪」

「ひぅ……」

 妖しくうねる會田さんの指が千鶴の小さな身体に向けられる。千鶴は身の危険を感じて反射的に身体をすくめる。會田さんが身体をぺたぺた触りまくるから猫みたいに警戒してるな……。

「でもぉ……今日は遅くまでお店を抜けられないんだよねぇ……残念~……」

「ほっ……」

 千鶴が胸を撫で下ろした。よかったな。てか會田さんの性別が男だったら完全に事案になってるな……。

「だ・か・ら♪ ね? 翔ちゃん。いい子だから、千鶴ちゃんのお願いきいてあげて♪」

「い……いやですよ。こいつがどうなろうが知ったこっちゃないですよ」

「も~、口ではそんなこと言って。ほんとは手伝ってあげたいんでしょ♪ 素直になりなさい♪」

「す、素直にって……」

 會田さんが俺にぐっと身体を寄せてくる。ち、近い近い! 腕に当たりそうになってる! ふたつのふくらみが……! くっ……! 

「空即是色、鎧袖一触、縷縷綿綿、飛燕鳳凰脚……」 

「あれー? 話きいてるー? ……むー。強情な翔ちゃんだなぁ……あ、そうだ♪」

 會田さんはポンと手を打ち、

「知ってる翔ちゃん? わくわくらんどではねぇ、お友達と仲良くできない子は……出禁になっちゃうんだよ♪」

「えっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ!?」

 くっ……! とんでもない切り札を持ち出してきた! 

「どうするの~? キラプリできなくなっちゃうよ~? これから毎日電車に乗って小倉までいくの~? 遠いよ~? 電車賃かかるよ~? ワニ●ニパニックもできなくなっちゃうよ~?」

「わ、ワニ●ニパニックはべつにいいです……」

 だってあれ、會田さんか、たまにふらっとやってくるサラリーマンぐらいしかやってないし……大人にはなぜか人気なんだよなぁ……。

 俺はちらりと千鶴に目をやる。

「うぅぅぅぅ………!」

 物も言わずに、瞳にうっすらと涙を滲ませて、俺を上目づかいでずっと睨み続けている。

「うーむ……」

 ……まぁ、こいつも、なんか親が忙しいみたいだし、引っ越してきたばかりで、学校に友達がいないんだろうし。俺を頼るくらいだから、本当に他に頼める人もいないんだろう。それに、小学五年生にもなって自転車に乗れない自分が、やっぱり悔しいんだろうな……。

 俺はため息をつき、

「わかりましたよ……」

「うんうん♪ えらいえらい♪ さすが翔ちゃん! ほら、二人でお外にいっておいで♪ 暗くならないうちに帰ってくるんだよ~♪」

「母親じゃないんだから……しゃあねえ、ほらいくぞ、千鶴」

「……ん」

 俺はブスっとむくれている千鶴とともに、わくわくらんどの外に出た。


     ***


「じゃあ、自転車取ってくるから」

「おう……………まったく、なんで俺がこんなことを……」

 わくわくらんどの扉の外に設置されたベンチの前で、駐輪場へ自転車を取りに行った千鶴を待つ。田んぼのむこうに広がる山だらけの風景に視線を投げて、ため息をつく。

 とっとと一人で自転車に乗れるようにして、キラプリやろう……。

 ……ん? なんか、駐輪場のほうからガラガラと音が聞こえてくるぞ……?

「おまたせ」

「お、おまえ、それっ……!」

 千鶴が自慢げな表情を浮かべて乗ってきた自転車を見て、俺はおもわず笑いを噛みころす。チェーンケースにキラプリのキッコのイラストが施された、ハンドルから泥除けまで全部ピンク色の、キラプリの自転車なのである。

「なによ? にやにや笑って」

「い、いや、べつに……っ!」

 ていうか、こんな自転車が公式から販売されてたんだな……。

 しかも、バッチリ補助輪が付いている。まあ、乗れないんだから補助輪が付いてて当たり前なんだけど……なんつーか、ビジュアル的に、生意気な千鶴と補助輪という幼児性あふれるアイテムのギャップがすごい。一周回って微笑ましいな。

「それより見てよこれ、このハンドルの横についているボタンを押すと、主題歌が流れるのよ」

「おっ……すげぇじゃん!」

 千鶴はおもちゃを自慢する幼稚園児のような顔で、キラプリのオープニングの電子音が流れる自転車を俺に見せびらかす。

 ほう……最近の女児用自転車はクオリティ高いな……。

「いっておくけど、あげないわよ」

「べ、べつにいらねーよ」

 ぐっ、正直ちょっとだけ、欲しいと思ったじゃねーか……まぁ、さすがに高校生だから女児用自転車には乗らないけど。

「で? どこで練習するの」

「うーむ。地面がアスファルトだったらコケたときにケガしちまうからな」

 どこかいい練習場所はないかな……。

「あ、そうだ。よし千鶴、俺についてこい」

「ま、待って」

 俺は自転車のハンドルを押す千鶴を伴って、マルワの駐車場を出て、県道を歩いた。


 ***


 二分後、俺と千鶴は練習ポイントに到着した。

 千鶴は入り口にある立て看板を見て、怪訝そうに眉をひそめた。

「あ、綾羅木郷、遺跡……? 遺跡というよりも……ただの草原じゃない」

「まあそうだな。下関に住む小学生が社会科見学で一度は訪れる鉄板スポットだ」

 学校のグラウンドほどの広さのある敷地内はすべて芝生になっていて、自由に散歩やボール遊びができるようになっている。まあ有り体にいえば公園というか、千鶴の言う通り、デカイ原っぱだ。

「よし、じゃあさっそく補助輪外してみるか」

「……」

 千鶴はハンドルを握ったまま、不安げな表情を浮かべて押し黙った。

「大丈夫だって。最初は俺が後ろから荷台を掴んで支えててやるから」

「……わ、わかった……」

 俺はわくわんらんどを出るときに會田さんから受け取ったスパナで補助輪を外す。

「さあ乗れ」

 千鶴はおずおずと小さな足をペダルに乗せると、ゆっくりとサドルにまたがった。

「……って、おい、緊張するなよ、肩の力を抜け。そんなにガッチガチでハンドル握ったら逆に危ないって」

「う、うるさいわね。緊張してないわよ」

 左右のペダルに据えた小さな足はぷるぷると震えている。大丈夫かこいつ。

「よし、とりあえず、ペダルを漕いで前に進め」

「う、うん……っ」

 千鶴は自転車を漕ぎ始めた。ハンドルがふらふらしているが、かろうじて前進はしている。

「よし、そろそろ荷台から手離してみるぞ」

「え? え? ちょっと待ってっ」

 俺が荷台から手を離すと、千鶴の小さな背中がビクリ! と震えて、

 ガシャン。

 千鶴は俺が手を離して一秒でコケた。こいつ、キラプリ以外は、ほんとどんくさいな……。

「お、おい、大丈夫か」

 地面が芝生だからケガはしていないだろうけど……。

「触らないで、ひ、一人で起きられるわよ」

 千鶴は俺が差し伸べた手を振り払い、自転車のハンドルを握って起き上がった。なかなか根性があるな。持ち前のプライドの高さを遺憾なく発揮して、自らの弱点を克服しようとしている。

 千鶴は黒いドレスについた草をパンパンと払い、着衣の乱れを正すと、ムスッとした表情で自転車にまたがり、

「……もう一回」

「……大丈夫か?」

「早くして」

 こちらを振り返った千鶴にギロリと睨まれ急かされる。ホントに大丈夫かな……。


※この続きは発売中の「電撃文庫MAGAZINE Vol.55」にて!