タタの魔法使い


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※実際の作品には挿絵が入ります。


 はじめに


 二〇一五年七月二十二日。

 夏休みを目前に控えた公立高校の校舎が、生徒と教職員ごと消えてしまうという不可解な事件が起きた。敷地内には、校舎の有った位置に深い穴が残るだけ。

 事件は世間の注目を浴び、緊急報道の視聴率は戦後最高とされる浅間山荘事件にも匹敵するほどであった。だが、多くの生徒や教師の身にいったい何が起きたのか、分かっていることはあまりにも少ない。当初はUFOの仕業だとか、米軍が秘密の地下実験をしたのだとか、某国の地下トンネルに繋がっているとか、突拍子のない憶測があっただけだ。

 小型の無人航空機(ドローン)で捉えた穴の底では、側面から零れ落ちた土砂や水道管から漏れた水の他には何も見つからなかった。ただ、こつ然と、二〇一五年七月二十二日に一つの高校が姿を消してしまったのである。

 後に童話になぞらえ「ハメルンの笛吹事件」と名付けられる出来事は三十日後、失踪者数494名のうち、死傷者数200名超の犠牲を出し、何の前触れもなく解決した。

 事件の始まりと同じように、ある日、突然、校舎が元の位置に現れ、生徒と教師が帰ってきたのだ。

 教職員を含む全ての生存者は、地球とは異なる世界を旅してきたと証言している。彼らの明かす真相は『得体の知れない魔法使いによって異世界に連れて行かれた』というものであった。当然、警察や政府はおろか、生存者の家族でさえ信じなかった。警察は、行方不明者が何者かに捕まっており、生存者は虚偽の証言をするように脅されている可能性が高いとして調査した。

 マスコミは高校の付近を流れる川の上流に化学薬品工場があることに目を付け、何かしらの薬品が流出し幻覚を見たとする説や、パニック障害で集団が同じ幻覚を見たとする説、宗教団体に洗脳されたとする説を報道した。

 しかし、いずれの説も校舎ごと姿が消え、再び元の位置に現れたことを説明できなかった。

 事件後、教職員は生徒を護れなかった責任をとり辞職した。一方で生徒たちは大学へ進学したり就職したり、それぞれの道を歩み始める。意外なことに、生徒たちは過去の傷をいつまでも引きずったり、引きこもりのように閉じ籠ったりしなかった。

 それどころか、卒業後の進路について真剣に考え努力し、大勢が希望する大学や就職先へと進んだのだ。

 この前向きな姿勢は、彼らが異世界で得難い経験をした証明だと私は信じる。異世界を旅した一ヶ月間が、彼らを大きく成長させたのだろう。彼らは異世界でいったいどのような経験を積んだのだろうか。私が三年間にわたり生還した弟やその知人から聞いた話を、纏めようと思う。

 生き残った者たちのうち、私の弟が所属していた一年A組の結束は強く、事件から三年が過ぎた今でも互いに連絡を取り合っている。私が弟に頼み込むと、瞬く間に多くの協力者が現れた。

 事件発生時、弟の友人といえば隣家に住む幼馴染の小林尚人くらいのもので、他にはろくに交友関係はなかったはず。だが、私が誰それの話を聞きたいと頼めば、弟はすぐに気安い調子で電話をして相手を呼び出してしまうのだ。ファミレスの女性店員にすら緊張してしまい注文で口籠もっていたはずの弟が、なんと女子の連絡先まで把握していた。

 本著『タタの魔法使い』では、弟の所属する一年A組に焦点を当て、異世界の過酷な冒険で常に先頭に立ち続けた彼らが、いったい何を思い何をしてきたのかを明らかにしていきたい。

 取材に応じてくれた全ての皆さんに感謝します。特に一年A組の生徒には特別な感謝を伝えたい。愚弟、青木洋を連れ帰ってくれて、本当にありがとう。




プロローグ:事件の発端


 弘橋高校は二〇一五年の四月に152名の新入生を迎え、生徒数は456名になった。近隣の中学校からの卒業生が八割を占めており、偏差値は中の上。

 部活動が盛んで、いくつかの運動部は大会で好成績を残している。海外交流に力を入れていて、留学生が多いのも特色だろう。

 夏休み直前で身の入らなくなった授業が終わり、教師が退室した直後に、それは起きる。

 七月二十二日十二時二十分。一年A組の教室に異世界の魔法使いが現れた。

 証言者の全員が「突然現れた」「気づいたら居た」入室する姿を見ていない。

 A組だけでなく他の全学年全クラスでも、同時刻に同じ人物の目撃証言がある。中肉中背、白いローブを纏い、フードを目深に被り顔は分からない。多くの生徒は声から女性だと判断した。

「私は異世界の魔法使いタタです」との名乗りを真に受けた生徒はいない。

 クラスのお調子者やアニメオタクが悪ふざけを始めただけだろうと思い、魔法使いに意識を向ける者はごくわずかだった。彼女を無視して弁当を用意する者や学食に向かう者が大半だ。

 青木洋はオタク友達がふざけているだけだろうと思い「ナオ君、やめなって」魔法使いのフードを捲りあげた。

 現れた顔は、洋曰く魔法騎士リヴァリアリス。

 彼のお気に入りゲームに登場する北欧美少女そっくりの容貌は、洋から言葉を奪う。

「私は、この学校という閉鎖空間の中にいる全ての人の願いを叶えることにしました」

 手ぶらだったはずの魔法使いの手に、さまざまな冊子が現れる。

「卒業文集という書物には貴方たちの将来の夢や、なりたい職業、幼かった頃の願望が書かれているようですね。私の魔法がそれらを現実のものにしましょう」

 生徒たちは魔法使いの発言を信じたわけではないが、卒業文集が宙に浮いて光を放っているのだから興味を持たざるをえない。スマホで謎の少女を撮影する者も何人か居たようだ。しかし後に彼らのデータを見る限り、画像には教卓や黒板が写っているだけで魔法使いの姿は確認できない。

「留学生の貴方。貴方の国には卒業文集がなかった。ですね? 何か願い事はありますか」

 サーシャ・リーフは目鼻の形が整った、イギリスからの留学生だ。

 男子はサーシャを目が澄んでいて綺麗、おでこが広くて可愛い、考え込むときに指で鼻を押さえる仕草が萌えると、具体的に表現する。

 だが、魔法使いのタタに関してはゲームキャラや海外の女優の名を挙げて、誰それに似て綺麗だと例えるが、けして、当人の容姿そのものを褒めてはいない。

 留学生サーシャと対比すると、魔法使いは何処か非現実的な美しさだったようだ。

「日本語、ペラペラ、なりたいです」

 サーシャは本心で願いが叶うと信じたわけではなく、雑談感覚で返事をした。

「なるほど。その言葉に込められた君の『本当の願い』を叶えてあげよう。子供はもっと我が儘で尊大なことを願わないといけないよね」

 無表情のままだが、サーシャの肩に手を置き気安く語りかける態度から、何人かの生徒は二人が知り合いだろうと推測する。

 事件後に芝田涼子から、彼女がスケッチブックに描きとどめてきた異世界のイラストを見せてもらった。芝田はイラストを描くことが趣味の、クラス内での大人しい子筆頭だ。

 景色のイラストは草木が風にそよぎ、香りが漂ってくるかのよう。見慣れぬ生物たちはどういう骨格をしていて、どのような動きをするのかがありありと分かり、今にも飛び出してきそうな迫力を纏っている。

 私が芝田に「中学校の卒業文集に書いた将来の夢はイラストレーターだったよね」と尋ねたとき、彼女は指先で頬をかきながら苦笑した。

「んー。でも、まー。私の場合、あくまでも絵を描く職業になりたかったってことで、絵が上手になりたいって思ってたわけじゃないの。だから、絵は上手くなってなかったよ。私みたいに、願いが叶ったんだか叶ってないんだか分からない子が大半だったけど、うちのクラスには分かりやすく願いが叶っちゃった子が多かったなー。けっこう笑えた」

 魔法使いのイラストは一枚も存在しない。

 芝田は「アレは人間じゃないよ。んー。私に描ききれるとは思わないなあ。多分、アレを描いたら、私は他の絵が描けなくなっちゃう。今でも描くのは怖いし」と声のトーンを落とす。

 魔法使いは弘橋高校に現れてから約十分後に「よし。全員の願いが出そろった。幼い夢は残酷だね」無表情のままそっけなく呟き、一瞬で消えた。姿が薄くなるとかぶれるとか、そういった予兆は一切ない。

 直後、床が揺れるほどの悲鳴がわき起こった。

 何人かの生徒が教室から消え、窓の外にあったはずの景色は一変する。友人の姿や格好が変わってしまったクラスもある。

 何もかもが一瞬のうちに起きた。

 こうして弘橋高校の生徒や教師は、唐突に異世界を旅することになってしまったのだ。