タタの魔法使い



 生徒たちが異世界に来たことを身にしみて実感したのは、二日目の朝であった。

「体育館って、全校生徒に行き渡るだけのパイプ椅子あるよね。夜中、あれが配られて、いざとなったらこれで身を護れって……。無理でしょ。もう怖くて震えてた。夜通し女子の泣き声も聞こえてた」と川谷洋一。

 最初に襲撃してきたモンスターのうち校内に侵入したものはニチアサコンビが撃退した。しかし、超人たちも夜通し戦い続けるわけにはいかなかったので、他の生徒たちと同じように体育館に避難した。

 鉄製扉に体当たりする音が夜通し鳴り響く中で、災害時に備えて用意してあった毛布に包まり生徒たちは恐怖で眠れない夜を過ごした。

「朝が来るまであと一時間あったら、俺らも死んでたのかな」

 鉄製の扉がひしゃげていて崩壊する寸前だったのを目にした誰かが呟く。モンスターは夜行性だったらしく、朝になるとすっかり姿を消していた。

 芝田涼子のスケッチブックには何枚かモンスターのイラストが有る。どれも、そのままファンタジー漫画に登場しそうなものばかりだ。哺乳類と爬虫類を組み合わせて、特徴を際立たせたものが多い。

 生存者のスマホには画像データは残っていなかった。避難している際に撮影する余裕などなかったから当然だろう。

 真偽不明だが、ハメルンの笛吹事件が解決して数ヶ月後、犠牲者の遺品とされるスマホに残っていた画像データがインターネット上に出回った。

 ピントがボケていたがトカゲのような表皮をした犬みたいな生き物が映っている。スマホの持ち主は、もし撮影せずに避難を優先していれば助かっていた可能性もあったのではないだろうか。

 弘橋高校は災害時の避難場所に指定されていたため、体育館には非常食が備蓄してあった。朝食は、教師が配布した乾パンと缶詰。

「これっぽっちかよ、ふざけんな」と怒鳴ったのは二年F組の加藤幸平。

 加藤は地元の暴走族に所属しているし授業態度は不真面目で、いわゆる問題児であった。

 教師は「我が儘を言うな、我慢しろ」と説得するが加藤は引き下がらない。

「じゃあ、何でお前らだけは美味いもん食ってんだよ」

 加藤の追及は説得に当たっていた教師も知らないことだったのだろう。「田中先生は呆気にとられた感じだったから、知らなかったんじゃないの?」という証言がある。

 しかし、加藤は家庭科室で料理を担当した生徒から話を聞いていたのだ。

 家庭科部に所属していたある生徒は、わずかではあるが部活用の食材が部室の冷蔵庫に用意してあることを思い出した。

 今朝、その生徒は教師には無断ではあったが、クラスメイトのために何か料理を作ろうと思って家庭科室へ向かった。この際、生徒は渡り廊下を使って家庭科室の有る北側校舎に向かっているため、南側校舎の様子に気づいていない。

 あくまでも部員8名の家庭科部が煮物を作ろうとしていただけの材料で作った、わずかな量だ。彼女が調理を終えたとき、教師が現れ煮物を全て持っていってしまったそうだ。

 もし、この話が真実だとするなら、加藤の糾弾には義があったかもしれない。

 しかし、和を乱す行為ではあった。上の者だけが良い思いをしていたとしても、下の者が我慢しなければ、400名近い集団は組織として活動できないのだ。

 早朝の体育館で加藤は教師を責める。

「少ししかない貴重な食料だって言うんなら、怪我して保健室で苦しんでいる奴らに優先しろよ」

 けして人気取りや周りの賛同を得たかったわけではない。保健室には加藤の後輩が居たはずなのだから。

 しかし、ここで誰もが失念していたことを誰かが口にしたため、いったん体育館での騒動は打ち切りとなる。

「そういえば、保健室に居た奴らって、いま、何処に居るの?」

 教師たちは前日の夜に生徒たちを避難させはした。しかし、扉の前に跳び箱や平均台を移動してバリケードを作ることに専念しており、点呼を徹底していなかった。そして、あろうことか、保健室に居た者たちを避難させ忘れていたのだ。

 教師が保健室へ向かうため、慌てて体育館のドアを開ける。軽率な行為ではあったが、周辺に危険は潜んでいなかった。

 しかしドアを開けた瞬間、体育館に居た誰もが、むせ返るような臭いに刺される。

「南側校舎の一階は地獄だったよ。何処を見ても死体ばかり。まともに形が残っているのなんて、ほとんど無かったよ。みんな凍りついていた。すぐに体育館の方に引き返して端っこで吐いたり泣いたりしてた。あんなの、まともに見られる光景じゃないよ。教師がドアを閉めようとするんだけど、歪んでいたからもう閉まらなくて……。みんな目を逸らしていた」

 このときの様子を語るときは、陽気な小林も随分と暗く声を落としていた。

「事情を知らない奥の方の奴らが外に出ようとして、退けとか道を空けろとか言って、中に戻ろうとする奴らと揉めてて騒然としてた」

 川谷洋一も二日目の朝については多くを語ろうとしない。

 惨状を目の当たりにして誰もが目を背けて呆然とする中、最初に動いたのは自衛隊員の松谷珊瑚だった。

 彼は、玄関の前でドアに向かい手を伸ばして事切れていた亡骸を抱えると、どこかへと運び始める。

「このままじゃ可哀相ですよ。せめて屋根のあるところに連れて行ってあげましょうよ」

 原形を留めていないくらい肉片が飛び散った中を、血にまみれながら体の一部を集めていく彼は、周りの目にはあまりにも異質に映ったのだろう。

 悪質な誹謗中傷があった。「人間じゃない」「気が狂っている」という声さえあった。

 一年A組出席番号14、松谷珊瑚。

 将来の夢『自衛隊員になって災害で困っている人を助けたい』

 松谷は幼い頃に震災で両親を失っている。多くの遺体や苦しみもがく人を見てきた。だから自衛隊員になって、いつか自分を助けてくれたような人と同じになりたいと願ったのだ。

 だからといって、彼が同じ学校の生徒の遺体を目にして平気だった訳ではない。彼だって辛かったはずだ。しかし、彼は涙や愚痴を、一滴たりとも零さなかったそうだ。

 芝田涼子のスケッチブックには、血で顔を汚し悲しい目をした松谷のイラストに「一番、辛かった人は、もう辛いなんて言えませんから。自分が辛いって弱音を吐くのは間違っています」という彼の言葉が添えてある。残念なことに松谷からはもう話を聞けないので、芝田の残した彼の言葉やイラストは貴重だ。

 最初に松谷に駆け寄ったのは、クラスメイトの神谷耀子であった。スケッチブックの隣のページには、隣の松谷を労わるような優しい表情の神谷が描いてある。

 芝田は「んー。神谷っちが女神って言われるようになったのは、このときが切っ掛けかも。後から治療能力でたくさんの人を助けたのとは、関係ないと思う。みんな後になって、自分もすぐに松谷を手伝ったって言っているけど、結構長い間、ただ2人を見ているだけだったよ」と当時を振り返っている。

「んー。松谷も立派だったと思うけどさ、やっぱ、こういうとき美人って際立つんだと思う。入学して直ぐ神谷っちが男子の間で噂になっていたのは知ってたし。私、美人は性格ブスみたいな偏見を持ってたけど、この日から結構、神谷っちと話すようになったよ。やー。お高くとまった美人かと思ってたけど、聖人みたいな性格していて完璧人間かって……。でも話してみると、けっこう抜けているとこあって、ゆるキャラっぽい存在だった」

 松谷のもとにA組の担任須田が駆けつけ、続いて、体調を崩して休んでいた2名を除く一年A組の全員が手伝い始める。

 遺体は松谷の提案で武道場に運んだ。校舎から離れていて屋根があるから遺体の安置所として使用するのに適していると判断したのだ。松谷は武道場で神棚に深く礼をしてから、収容を始める。

 ハメルンの笛吹事件が全て終わった後、校舎が日本の元の位置に戻ったときに彼の判断が正しかったことが証明される。少なくとも、武道場に安置された生徒たちは家族と再会できたのだから。

 これから彼らは高校を後にし異世界を旅するのだが、武道場の遺体が数奇な運命を手繰り寄せるとは、まだ誰も知らない。最初に行動した松谷の尊い姿勢が、後に彼らを救う奇跡に繋がったのだ。

 さて、彼らがどんなことを思いながら遺体を片づけたのか聞いたときの返事がある。

「最初に全部、吐いちゃったし、あんまり食べてなかったし……。男子が頑張っているのに、女子が何もしないってのは、やっぱ、ないし。やらなきゃって思った」と岡村愛。

「蘭ちゃんが『女子は男子よりも血を見慣れているでしょ、頑張るよ』って大声で言ってたのが、凄く恥ずかしかった。お料理するってことだと思うんだけど、蘭ちゃんが言うと別の意味みたいで」と青木洋子。

「爪の間が真っ赤で、水が使えなくなってたからこすって血を落とそうとするでしょ。そうしたら乾燥したあと、手の皺に沿って赤い線ができちゃった。手、洗いたかったなあ」と蘇我蘭。

 女子生徒は男子に比べると早い段階で、自分なりに心の整理ができていたようだ。後まで引きずった生徒は少ない。一方で男子は随分と打ちのめされ「もうやだって思った」「早く家に帰りたかった」と弱音が目立つ。

 彼らが凄惨な血の海を渡るのに、青木洋が密かに使用した魔法が幾分か貢献していただろう。

「池田さんが片づけをしないで泣いていたから……。血で汚れた地面に膝をついて、両手で顔を覆って泣いてた。悲しいのはみんな一緒だし、周りが頑張っているときに何もしない人じゃないし、どうしたのかなって。多分、池田さんの傍にあったのが、バスケ部の先輩だったんだと思う。見かけたことあるし。だから、僕は魔法を使って弱い風を起こしたんだ。血の臭いが少しでも紛れたら良いなって思って。見た目も辛かったけど、それは、嫌なことなんだけど、慣れた。でも、臭いだけは最後の最後まで慣れなかった」

 生存者の証言を集めると、モンスターは人間の息の根を止めるために首筋を噛み切ってから、柔らかい部分つまり腹から内臓を食い漁ったことが窺える。だから、顔は残ってしまった。

 恐怖や苦悶に歪んだ最後の表情は、生前親しくしていた者を特に強く打ちのめす。何もできなくなってしまった池田を責める声はなかった。

 一年A組の献身的な態度を見るにつれ、次第に他のクラスの生徒たちも手伝うようになり、全校総出になった片づけは約二時間で終わった。

 彼らは水が貴重だと理解していたが、残りわずかな水を遺体の顔を綺麗にするために使っている。

 保健室には食い散らかされた惨状が待っていた。怪我人が居たのだから、モンスターは血の臭いに惹かれたのかもしれない。三つしかないベッドのシーツも仕切り用のカーテンも赤く染まりきっていて、濡れていない場所を探すのは困難なほどだった。

 不幸中の幸いだが保健室に1名だけ生存者が居た。掃除用具入れのロッカーに入って難を逃れたのだ。ロッカーの傍らには、箒を握り締め最後まで生徒を護ろうとしたのであろう養護教諭の腕だけが落ちていた。

 一通りの清掃を終えた後、体育館で教師を糾弾した不良、加藤幸平は学校を離れている。元もと集団生活を苦手としていたところに、教師への不信が募ったのが原因だろう。教師に従っていては命を落とすという彼の考えに賛同する者は多く、実に20名近くが学校を後にした。

 彼らの中にどれだけ有益な夢を叶えた者が居たのかは分からない。加藤の夢『喧嘩最強』がどの程度の力を彼にもたらしたのかも不明だ。バレーのネットを張るための支柱を軽々と担いで持ち出していたのだから、それなりに身を護る力はあったのかもしれない。だが、この20名は事件後も消息不明である。

 既に学校には370名(生徒340名、教師30名)程度しか残っていなかった。