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春は花、花は桜木、桜といえば吉野が名所。
しかし春ならずとも吉野ならずとも、見られる花が江戸にある。
そこは江戸幕府が許可した花街(かがい)・吉原。
言わずと知れた、遊女三千人がひしめく、江戸最大の歓楽街である。
時は天明元年(一七八一)。将軍は十代徳川家治公の世であった。老中・田沼意次が権勢をほしいままとしている時代。
外(と)つ国に目を向ければ、中国・清朝ではのちに中国最大と謳われる漢籍叢書の『四庫全書』が完成し、文化の爛熟を迎えた時代。一方、アメリカは独立戦争の真っただ中にあった、動乱の時代。
しかしそんな時勢に関わることなく、人は生きていけるものだ。
この男の場合も、例外ではない。
未来の天下がどうなるかより、明日の天気を案じるような。そんな生き方しか知らない。
歴史書に名を残すこともなければ、人の口に語り継がれることもない。
滄海の一粟、大海の一滴――されど一寸の虫にも五分の魂。一途に懸命に、心を傾けて生きることを知っていた。
――美味しい!
甘いものを口にして花のように笑った幸せそうな少女の顔を、大切に胸にしまった男は、そのとき心に決めたのだ。
――俺はこの先、一生ずっと、この笑顔のために菓子を作るんだ。
吉原の中で暮らすその男の名を、太佑(たすけ)という。