木漏れ日のなか、ヨキはのんびりと山道をくだっていた。となりでは、シュカが鉱物を空にかざしながら歩いている。そして時折、「ぐへへ」と変な声をもらしているのだった。
「先輩、いつまでやってるんですか」
「いつまでだろうね。全然あきないんだな、これが」
今回の調査目的は希少鉱物の採取なのだが、その目的はすでに達成されている。山奥にあるうち捨てられた坑道に入り、トロッコに乗り、ちょっとした冒険をして最深部にたどりつき、珍しい鉱物を採取した。そして今、二人は街におりるため、山の小道を歩いている。
シュカが手のなかで遊んでいるのは、さっき手に入れた鉱物サンプルだ。
「すごいよ、ほら。今度は赤くなった」
鉱物サンプルというと味気ないが、いってしまえば宝石である。
ヤハトライトと呼ばれるその宝石は、研磨せずとも透明度が高く、見る角度や光のあたり具合で輝きが変化した。木陰にあるのにスカイブルー、陽光に照らされたときにエメラルドグリーン、下からのぞきこむとサンライトイエロー。まるで万華鏡のように色を変える。
「先輩も女の子だったんですね、宝石にときめくなんて」
「うん、飴細工みたいで、とっても美味しそう」
他愛のない会話をしていたときのことである。
山道のわきに、少女が座り込んでいた。黒い服に白いエプロン姿。どこかの屋敷の使用人のようだ。山に似つかわしくない格好に、ヨキは違和感をおぼえ、不審に思う。けれど、シュカはためらいなく話しかけた。
「こんなところでどうしたの? 道に迷った、というふうにはみえないけど」
声をかけられ、少女が顔をはねあげる。目には警戒の色が浮かんでいた。彼女もまた、こんな山中に突然あらわれたヨキとシュカに驚き、怪しく思っているのだろう。
「こわがらないで。私たちは旅の採掘師なんだ。ほら、この石を採ってきたんだよ」
シュカがヤハトライトをみせる。いいでしょ、と少し自慢げだ。右に倒したり左に倒したりして光彩を変化させる。それをみて、少女の表情は明るくなった。
「それで、どうしてここにいるの?」
シュカがふたたびたずねると、少女は目をふせ、
「お屋敷に帰れないの」
という。
じつはこの山はいわくつきで、一度入ったら二度と出られない。歩けども歩けども出口にたどりつかず、通り過ぎたはずの道に戻っていたり、くだっていたはずがいつの間にかのぼっているなど、不思議な現象が次々と起こる。少女もまた山にとらわれてしまった一人で、本当はもうすでに――。
などと、ヨキはとりとめのない想像をしたが、事実はちがっていた。
「旦那様にお使いを頼まれたのですけど、そのお金をなくしてしまって」
手ぶらで帰るわけにもいかず、ここで途方に暮れていたというのだ。
どこでなくしたのかもわからないという。
「ふもとの街にゆこうと山道を歩いていたんです。すると後ろから、足音がずっとついてくることに気がつきました。でも、何度振り返っても誰もいないんです。それで、まさかエレンスデビルなんじゃないかって思って、不安になって持ち物を確認したら、金貨が全てなくなっていたんです。それで、金貨を探して山の奥まできてしまいました」
「エレンスデビル?」
シュカが聞き返し、少女が説明する。
「この辺りに棲む悪い妖精です。山や街道を歩いている人から、気づかぬうちに、金目のものや食べ物をとっていくんです。厩舎から馬がいなくなったりするのも、エレンスデビルのしわざだといわれています」
「なくなったものはみつからないのかい?」
ただの泥棒ではと思い、ヨキがたずねる。
「馬であればみつかることもありますが、死んでいることが多いです。私も一度みたことがあるのですけど、肉が切り取られていて。断面が異様に赤かったことをおぼえています」
「なんとなく、その妖精が食べたって感じがするね」
「昔は子供をさらったりしていたそうですけど、今は金貨のように輝くものを好んで盗むといわれています。まさか、旦那様からあずかった金貨を盗られてしまうなんて」
少女はどうしようどうしようと、うろたえている。怒られるならまだしも、肉体的な懲罰を受けることを恐れているようだった。
「わかった」
シュカがいう。
「私が屋敷についていってあげる。それで、話をつけてあげるよ」
それを聞いて、少女は落ち着きを取り戻す。誰かと一緒なら、心強いと思ったのだろう。
「ありがとうございます。けれど、どうやって旦那様に許しを乞うのですか?」
「簡単だよ。約束するのさ。私たちがエレンスデビルをつかまえて金貨をとりかえす、ってね」
シュカがそういったところで、「先輩、ちょっと」とヨキはシュカの腕をひっぱった。
今回の調査はすでに終わっており、早々に空中都市セントラルに帰還しなければならない。
調査期間は限られている。しかしシュカは、まあいいじゃないかと、意に介さない。
「ちょっと寄り道するようなものだよ」
「経費もかかるし、始末書だって書かされますよ」
「でも、ヨキだって気になるでしょ」
「まあ、そういわれるとそうですけど」
ヨキは苦い顔をしながらも、うなずいてしまうのだった。
◇
少女の名はエリーゼといった。
彼女について山道をそれてゆくと、森がひらけ、街があった。
石畳の道を、幌のついた馬車で通り過ぎてゆく人がいる。身なりがいい。一方で、重そうな荷車をひいている人もいる。貴族と庶民がはっきりと分かれた、封建的な社会が形成されているようだ。
エレンスロッドという名の街で、エリーゼに案内されたのは領主館だった。
客間に通され、光沢のある木製の椅子に座って待たされる。しばらくすると、白髪の紳士がエリーゼを従え、ステッキをつき、足をひきずりながら入ってきた。
彼がエリーゼの主人であり、この街の領主だった。
「可愛い使用人を責めないであげて欲しいな」
開口一番、シュカがいう。
はっきりとした物言いに、ヨキは内心はらはらする。しかし領主に気にした様子はなく、エリーゼが金貨を失くしたことを咎める気はないという。
「エレンスデビルの仕業であれば仕方がない」
「ずいぶんと話がはやいね。そんなに、よくあることなのかな」
「わたしたちにとっては季節の雷や、台風のようなものだ」
森に入るときは何も持っていないふりをする。
この街の人々は幼いころからそう教えられると、老紳士はいう。
「エレンスデビルは光るものが好きでね。金貨や指輪がよく狙われる。森を歩いているうちに、いつのまにかとられているのさ。知らぬうちに指輪を抜き取るのだからたいしたものだ。人間のわざではない。猟師が山で仕留めた鹿を持ってかえる途中、気づいたら頭より下がなくなっていたという話もよくある」
「いたずら好きの妖精が人を化かしているといった感じですね」
ヨキがいうと、昔はもっと恐ろしい怪異の存在だったと領主はいう。
「かつては子供がさらわれた。遊んでいるうちに、いつのまにか一人だけ消えているんだ。私も何度か経験した。夕暮れどき、そろそろ家に帰ろうとしたとき、友人が一人消えていることにみなが気づく。あの空恐ろしい瞬間を、今でも時折思い出す。妙に風の音が大きく聞こえてね。木々の暗闇がこわくなって、走って逃げる。その友人がかえってくることはない。親たちは、消えた子供のことは忘れろという。まあ、いずれにせよ私が小さいころの話だ。今はそんなことは起こらない」
「エレンスデビルは街に入ってこないんですか?」
ヨキがたずねると、「入ってくることもある」と領主はこたえる。
「子供がさらわれることはなくなった。しかし、知らないうちに移動していることがある。家にいたはずが、いつの間にか離れたところにいるんだ。幼い子供が、山頂にいたりしてね」
「自分で歩ける距離ではないんですね」
「そうなんだ。かくいう私も先日やられてしまってね」
領主は椅子にたてかけたステッキを持ち上げる。それがないとうまく歩けないという。
「夜、屋敷のなかで寝ていたんだ。そして、なんだか苦しくなって目を覚ましたら、暗闇にいくつもの目が浮かび上がっていた。姿はみえない。光る瞳だけ。高さからすると子供くらいの身長だった。闇に浮かぶ無数の瞳というのは、凄まじく不気味なものだったよ」
そして意識を失い、気づいたときには平民街の路地裏にいて、足を骨折していたという。
「意外と恐ろしいやつらなのさ」
ヨキとシュカは黙っている。考えを整理していたのだが、二人が難しい顔をしていたため、話を信じていないと思ったのだろう。
「嘘だと思うなら、たしかめていくといい。部屋を貸そう。しばらく滞在していれば、事件のひとつくらいは起きるだろう。エレンスデビルに出会えるか、やってみるといい」
願ってもない申し出だった。
翌日から、二人は領主館を拠点に活動を開始した。
そして、まず、ある逸話にゆきあたった。
それによると、エレンスデビルは人が変異してできた化け物であるという。
◇
ヨキが最初にやったことは、古い伝承を集めることだった。そして年老いた人たちから、エレンスデビルの誕生にまつわる話を聞くことができた。
「口伝なんですけど、みな話す内容は一致しています」
夜、領主館の一室で、ヨキはシュカに報告する。
「エレンスデビルは人間だったそうですよ」
三世代前のある夜、農業をいとなむセレスト家で事件は起こった。
夫人は十三番目の子供を生もうとしていたのだが、ひどい難産だった。あまりの苦しみに、この子は悪魔ではないのかと口走った。するとにわかに外が嵐となり、雷が鳴った。そして生まれ落ちた赤ん坊は産婆の手のなかでみるみる肌が黒くなり、口は裂けて三日月状になった。そして背中から翼が生え、窓を突き破って飛び去ったという。
「妖精というわりにデビルという名がついているのは出自によるものだったわけだ」
「ええ。十三番目の子供が生まれてすぐ、様々な不幸にみまわれてセレスト家は断絶します。そして時期を同じくしてエレンスロッドで、子供が神隠しにあう現象が多発します」
「最後までみつからないんだね」
「ええ。死体もみつかりません。忽然と消えるんです。しかし、そういった神隠しはだんだんと鳴りをひそめ、光るものが盗まれるという話に変わってゆきます。それにともなって悪魔という印象が薄れ、悪戯好きの妖精になっていったんでしょう」
「セレスト家の伝承が真実なら、人の変異したものが森に潜んでいるわけか。仲間をつくるために子供をさらっていたなんて想像もできるけど、あまり意味はないね。実物をみてみないことには」
「姿は謎に包まれています。ただ、闇夜に光る瞳と、三日月のように笑う口元の目撃談は多くあります」
それからしばらくのあいだ、ヨキとシュカはエレンスデビルの観測につとめた。これみよがしに金貨をもって森を歩く。しかしエリーゼの身に起こったような現象に遭遇することはない。ヨキのかばんに入れていた塩漬けの熟成肉が減っていたことがあったが、後ろを歩くシュカの頬がふくらんでおり、妖精のしわざとはとても思えなかった。
エレンスデビルを捕まえるどころか、一目みることすらかなわない。
しかし街ではいくつか事件が起きていた。
領主館にいる、エリーゼ以外の使用人たちが被害にあったのだ。山ふもとの街にお使いにいった帰り道で、買ってきたパイプやお菓子がいつの間にかなくなっていたという。他の屋敷でも似たようなことが数件あった。
いずれも小さな出来事だったが、結婚を控えた貴族の娘が失踪したときは大騒ぎになった。
婚約者を先頭に住民総出の捜索となり、ヨキとシュカも参加したがみつからなかった。しかし三日経ち、いよいよダメかと思われたとき、娘は森のなかでみつかった。行方不明の間の記憶はないという。
住民たちは娘が無事だったことに胸をなでおろしつつ、エレンスデビルの悪戯と結論付けた。その表情はどこか明るく、ヨキは引っかかりをおぼえた。誘拐などの犯罪に巻き込まれるよりは妖精に化かされるほうがいいという気持ちはわからないでもない。しかし、超常の存在をすんなりと受け入れすぎではないだろうか。
「わかった」
貴族の娘が怪我一つせず戻ってきた姿をみて、シュカがいった。
「もしかして、エレンスデビルの正体ですか?」
「うん」
どうやらシュカは全てを察したようだ。ヨキは少しのあいだ考えてからいう。
「では、シュカさんの推理を聞きましょう」
「オッケー。じゃあ、順を追って百年前、嵐の夜からいこう」