境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅠ
第三章『神の場でセーフ』
●
円柱シリンダーの上面、鳥居型のハンドルの上には、やはり鳥居型の表示枠が出ている。円を描く矢印は、ハンドルをどちらに回せばいいかを記したものだ。
ゆえに脚を開いたまま己は身を倒し、

「――さて」
ハンドルを握ると、グラブとハンドルの間に光が零れた。
流体の漏出だ。
自分は知っている。この調整器の役目は、神とのアクセスを行うものだと。

……音楽と祭で神を格納器の中に呼び、そこから周囲を整調して貰うのですわね。
極東、そして世界各国においては、古代、音楽は神の為すものであり、演劇も神や精霊に捧げ、彼らを己に宿らせるものであったという。
欧州や中東では、Tsirhc やムラサイ教譜の台頭以降、自然信仰が薄くなったためにそのような風潮は少なくなり、アジア圏でもそれらは為政者の権勢のためのものとなっていったが、

「極東は、未だ、神との繋がりをこういう場に持っておりますのね」
祭事を行う際は成功を神に祈願し、終わった後は神に終了を告げる”締め”を行う。
そして雅楽も演劇も、祭好きの神が降りる神事であり、その成功は場が持つ不浄を禊祓ぎ、消し去る事となる。
流体調整器は、神が降りる現場において、神の存在を安定化させ、場の整調を進めるものだ。
御輿と同じで、地脈を制御して場の不浄を溜め、神に消して貰う機構とも言える。
神の降りる清らかなる場であるとともに、不浄の集まる危険な場。
その初期整調作業を扱うのは一般学生に出来る事ではなく、

「ミト! 安定しました! 地脈の抽出された格納器を上げて下さい!」

「Jud.!」
浅間の指示に合わせ、自分は格納器のハンドルを握った。
重い、と半人狼の自分に思わせる手応えだ。本来ならば武神が専用装備をつけて回し、引き上げるのだから、人が扱えるものではない。しかし、己にとっては、

……いいですわね……!
思い切り力を込めて良い仕事など、武蔵上では月に一度あるか無いか、だ。
すると表示枠が出た。

《操作指示:まわしてまわして~》
何ですのコレ、と思うが、IZUMO 製品だ。気にしない。
自分は右手一本、ハンドルを捻って指を絡め直して回し、三回転。
最後の一回転。ネジを切っているような感触を経て、最後に何かが強くハマった手応えが来た。
その上で、操作指示の文言が変わる。

《操作指示:母のように優しく押し込んで下さい》
●
自分は、敢えて笑顔で考えた。
ややあってから、ゆっくり押し込む。

《操作指示:違う》

「…………」
自分は改めて考えた。ええと、と口にしながら、先程とはアプローチを変え、撫でるように押し込む。すると、

《操作指示:愛が足りぬ》

「曖昧過ぎますわー!!」

「ネイト! こうですのよ! こう!」
ふふ、私、疲れてますのね。母が己の両胸をリフトしている幻覚が見えますの。

「ミト! ミト! ボケてないで早くしないとグラブの賞味期限が!!」
確かに、手の甲の書式メーターを見れば、使用量が半ばを超えている。
急がねば、と思うが、己は動きを止めた。
何しろ今のは、結構優しく押し込んだつもりだったのだ。
だから自分は、他にどうすればいいかを考え、

……まさか、うちの母のような豪腕的優しさが必要ですの?
さっきの幻覚には意味があったということか。
ゆえに己は息を吸い、母が笑顔で叱る時のようにハンドルを下にぶち込んだ。

「……ふん!!」
●
艦の底まで届くような轟音が通り、足場が全て揺れた。わあ、と浅間が膝を崩しそうになって喜美に抱きかかえられ、

「ちょ、ちょっとミト! って、喜美は何コネてんですか!?」

「え!? 何言ってるの浅間! 抱いたらコネる! これがバックアタックの基本で兵法書”孫子”のバージョンアップ版”孫親父”にもあるわよ! 脇の間からガバってやったら『すいません、脚がもつれたアルよ』が行けるって!」

「ミト、変なの放置するつもりで問いますけど、今のフルパワー打撃は何なんです?」

「え? いえ、あの、今の七割方なんですの、よ……?」
三年生が引いた。
浅間と喜美が成程ー、という顔をしているのは友人甲斐があると言って良いのだろうか。
しかし、格納器の表示枠は、

《操作指示:……そのくらいで赦してやろう》
格納器が上がってきた。
円筒形の金属シリンダーだが、内部には符が分厚く塊のように重なっている。
符は発光していた。
その密度は流体の蓄積量に比例するという話だが、安定状態にある今は、符の全体が鈍く光っているだけだ。
後はこれを、四隅分全て引き上げた後に、

「喜美が舞を、そして智が音楽を奏じる事で、格納器全体を均等整調ですのね」

「ええ、本番の時に神を降ろすためにも、ここで淀みがある場合はそれをまず表に出す事になるので、注意して下さい」
浅間の言葉は、自分達だけではなく、周囲にいる三年生にも向けられたものだ。

……流体、地脈の淀みは怪異となりますものね。
それはラップ音や発光現象といった軽い怪奇現象だけではなく、妖物としての実体を持つ事も多い。三年生の多くはこちらに対して気を払う動きをとり、一部は符や短刀などの装備を腰に提げた。
そして自分も、術式防盾の符を用意し、次の格納器を上げようと、足を向けた。
と、浅間がこちらに視線を寄越す。
彼女は自分用の楽器である強化琵琶を掲げ、

「あの、御祓の時、ミトも楽器を弾いてくれないと駄目ですからね?」
●

「は!? ……き、聞いてませんわよ!?」

「だってトーリ君が言ってました。騎士連盟の年末宴会で、ヴィオラとかチェロ弾いてたって。だからそっち系の用意しておきましたんで。ええ」

「あ、あの人は、肝心な事をせずにどうしてそういう余計な事を……」
肝心? と二人が首を傾げるが、答える気は無い。一言で言えば、

……騎士として、扱って頂けるかどうか、ですわね。
〇

「言う気が無いと言いつつダダ漏れ! いい企画ですなGTA!」

「まあ! 御母様、この頃はまだ御父様の専属騎士という位置づけではありませんでしたのね!」

「マア――――――――!」

『まー?』

「気にしちゃ駄目だぞツキノワ。違う動物だからな?」

「な、なかなか厳しいですね副会長!」

「モ、モノローグだから仕方ありませんのよ!?」

「ハイ、じゃあミトっつぁんの恥ずかしい話、スタート!」
●

……まあ仕方ありませんわねえ……。
それは中等部時代の彼との約束だ。自分の、思い出すだに赤面してしまうような”当時”の出来事であり、今の自分の起点となる事だ。
だが、このところの彼は、

……そういう約束も忘れてしまったようで……。
己としては、自分の多くが空振りになったような、そんな気もしている。
しかし、騎士としての自分を彼に預けるというのも、彼がその約束を忘れているならば、一方的なものではある。
ゆえに、忘れられているのかどうか確かめる事も怖くて、言い出して迫る事も出来ぬままでいるが、

「……そのままずるずる現状維持で時間が過ぎていく、というのも、普通にありそうですわね。今の時勢だと」

「けしからん輩ですねえ、あの男」
その声に振り向くと、見知った顔があった。それはパン籠を両肩に下げた人影で、

「オッス! ホライゾン、さりげなく青雷亭からの食料補給でやってきたものであります!」

「さりげなく?」
問うと、横から手が上がった。浅間だ。彼女はこちらから視線を逸らしながら、こう言った。

「……あの、ホライゾンじゃなくてP-01sです」
●
告げられた言葉と名称に、P-01sがしばらく空を見上げた。ややあってから彼女は視線を戻し、こちらに視線を向ける。そして深い頷きと共に、

「――幻影です」
消えた。後には何も残らないが、しかしそこに素早く飛び込んで来た人影があった。それはパン籠を両肩に下げた人影で、

「オッス! ホラ――」
と言いかけたP-01sが、動きを止める。背後、アデーレの声が、

「ミスのリピート。急いでるとよくやりますよね……」

「アデーレ様! フォロー有り難う御座います。しかし大丈夫です。何故なら――」
言って、ホライゾンがゆっくりと両の手を左右に広げた。

「……最後まで言ってないからセーフ……!」
〇

「セーフなのであります?」

「全開にアウトだえ?」

「一体どこまで戻せばいいんですかねコレ……」

「寧ろ、”居たこと”にしてしまったら?」
●
浅間は、P-01sに問いかけた。

「あの、P-01s、何をしにここへ?」
食料補給と言っていたから、つまりは配達だろう。するとP-01sが、

「Jud.! ――アデーレ様が残飯うめえうめえ言って食う動画が編集できたので、皆様に御確認をして頂こうと」

「さっきと説明違いますのよ――!?」

「い、今、自分の名誉毀損がリアタイで進行してますね!?」
動画を見せて貰う。すると画面の中で、アデーレが青雷亭の前で、P-01sを横に置いて大きめの寸胴を抱えていた。
●

「うわ! 美味いですねコレ! 何ていう料理ですか!?」

「いや、アデーレ様、流石にそれを言うのは控えたいというか……」

「え!? 教えられない!? そんなもったいぶらずに教えて下さいよ! 再現レシピとか作りますから!?」

「……そこまで言うならこちらも覚悟を決めましょう。今度、動画でまとめておくことにします」

「おお! いいですね! お願いします!」
〇

「コレ、結局誰が悪かったので御座る?」

「本多・二代、もう少し解釈の余地がある疑問を……」

「アルェー!? 何か自分の記憶にあるけどそのつもりじゃなかった証拠が出てきてるんですけど!?」

「ネタは何だったんですかよう?」

「ホワイトシチューが底の方でダマになってたのと、そこに売れ残りのパンをぶち込んで、やはりピザ用で賞味期限の切れたアンチョビを叩き込みまして」

「意外と行けそうに聞こえるから怖いよね……」

「だが何でバルフェットはソレ食ったんだ?」

「Jud.、それでまあ、捨てようと表に出たら”新メニュー、お試し無料解禁!”と書かれた札の横に立っているアデーレ様が居まして。
”それが新メニューですか!”と、持ち込みのスプーンを出されたもので」

「バルフェットさあ……」

「か、確認義務があった筈だと主張します!」

「結局、品名は何かしら?」

「残飯はどう頑張っても残飯じゃないですかね」

「浅間さん! とどめを刺しに来ないで下さい!」
●
やや考えてから、浅間はP-01sにこう言った。

「アデーレの名誉のためにも、フォローをしようと思います」

「おお、どのような?」

「…………」

「えーと……」

「浅間さん! 浅間さん! 考え込まずにお願いします!」
急かしに来ましたよ?
ただまあ、動画のアデーレを見ているとこう思う。

「――他人の味覚にケチつけちゃいけませんよね」

「真顔で何言ってますの?」

「じゃ、じゃあ、ミトの方からフォロー御願いします」
言うと、ミトツダイラが口を横に開いた。だが彼女は、ややあってからP-01sの掲げる動画を見る。そして一息と共に深く頷き、

「――他人の味覚にケチつけちゃいけませんわよね」

「天丼オチどうも有り難う御座います! 有り難う御座います!」
ともあれ、と己はP-01sに言った。

「アデーレも反省してますので、その動画は事故だったということで……」

「Jud.! これからはアデーレ様に料理をお出しするとき、残飯かどうか宣言をしてからにしようと思います」

「宣言しなくていいです! いいです! というか残飯出さない判断はないんですか!?」

「アデーレ様。人生、一度はこう思ったことがありませんか?」

「何です?」
Jud.、とP-01sが静かに頷き、言葉を作った。

「――ウケをとった方が勝ち」
●
敗北して倒れ伏したアデーレを余所に、ミトツダイラは話を戻す。
自分の王たる人。そのことを、いろいろ思っていたのだ。
王と騎士。
これから、世は動いていくというのに、

「そうですわね、今の時代の肝心といえば、――末世の調査と解決の模索でしょうね。それに対し、あの人は……」

「フフ、アンタ、うちのトーリにそんな事任せるの? 最近は母さんの店の方にまた行くようになって、かなりヌルくなってるのに」

「……本舗の方のパンを朝食に頂けるのは当分先になりそうですわね」
言って、己は調整器四隅に展開している格納器の鳥居型ハンドルを見た。
そして浅間が掲げている琵琶ヴィオラのケースに視線を向け、一息を入れた。
思うことはいろいろあるが、

「ともあれこちらは神を降ろす準備として、やる事をやってしまいましょう。……そうしたら、安芸を見ながら軽く御褒美の御茶というのも有りですわね」
○
はい、と上がる手があった。
クリスティーナだ。

「そろそろ、あの人が出て来るのではありませんか?」

「安芸と言えば、教皇総長か」
Jud.、とクリスティーナが頷いた。

「だとすると、誰がK.P.A.Italiaを担当しますの? 私も、出来ないものでもありませんけど」

「当時のK.P.A.Italiaとは私の方でも付き合いがありました故、ここは私が担当するでありますよ」

『あ、じゃあ、こちらの方としてもいろいろ御願いしたいことがありますねー。瑞典総長の方、進行宜しく御願いします。適時、言葉を挟んで行ければ、と思うので』
●

「何やら音が聞こえるなあ、おい」
空の中から空を見上げられる場所。
安芸中心部にある都市、ローマの中央で、呟く声があった。
それは市の中心部にある教導院兼大聖堂の前、昇降口となる石段に座り込む人影だ。彼は、後ろに立つ魔神族の老人に対し、

「ガリレオ、なあ、この音は、何に聞こえる?」

「インノケンティウス、君は自分が知っている答えを聞きたがる少年……、否、元少年だな」

「俺はあまり自分を過信しないようにしてるんだ。昔にそれで痛い目にあわせたからなあ、この K.P.A.Italia を」
と、そこで顔の横に表示枠が来た。
前教皇総長、ウルバヌス八世だ。少女姿の前任者は、こちらに細目を向けて、

『おや、反省文を書く踏ん切りがついたか? この私が積んだ砂糖の山をヘッドスライディングで吹っ飛ばすようなことした話、改めて聞いてみたいぞ?』

『蟻どもが運んで崩すよりも、解りやすくていいだろうが? なあ?』
確かにな、と画面の向こうの姿は笑う。

『”有る物”は使える内に、目減りしない内に、その価値を解ってる者が使うべきだ。それによって”有る物”が減ったとしても、それは赤字ではない。なすべき事をした結果として、”回った”だけだ』
さて、

『お前にとって、”極東”はどうだ?』

『砂糖ではない』
断言した言葉に、ウルバヌス八世が応じた。

『重奏統合争乱が終わった時点であったら、どうであるか、という処だがな。――時代は変わった。これからも変わり続ける』
いいか。

『――先に来るのは足音だ。それが聞こえてるなら手指をとって確信に行け』
●
じゃあな、と通神が切れたのを確認して、教皇総長は吐息した。

「応援のつもりか? 今のアレは」

「何分、複雑な方だ。――しかし、充分に自信を持っている者が、他者からの確信を得てどうするつもりかね元少年」
ただ、とガリレオが言った。彼は大きな腕を組み、

「極東の雅楽は、天球音楽に似ているものであるな。幾つかの音が無いが、周期の緩やかさや、変動の少なさは近しい」

「ガリレオ、お前は自分が語るべき事を難しく言いたがる教員……、否、元教員だなあ、おい。もっと解りやすく言ったらどうだ」

「君には充分通じているだろう? ギリシャの時代に求められ、好事家が今も持ち出す天球音楽の研究理由を、極東は原始的なままに既に内包していると、そういう事なのだから」

「どいつもこいつも異端スレスレの遊びをしたがる」
全く、と教皇総長は呟いた。
極東の音楽が持つ特性。聖連国家が、天動説をベースに作る天球音楽が、求めたくても求めきれないものとは、

「……音楽による地脈の調整。下手すると神降ろしまでする。そうだなあ? おい」
Tes.、と言うガリレオから、インノケンティウスは視線を外した。

「――異教はこれだから嫌だ。天を近しく、しかし機能的に利用しようとするからなあ」
Tes.、とガリレオがまた言う。彼は、ほ、ほ、と長い息で笑いを作り、

「音楽や舞、演劇を神に納めるなど、未開民族の教譜にはよくある事。暗黒大陸や新大陸でも、そのようなものばかりだ。……つまり、文化の交流が少なく、未熟であればあるほど、人々は神や精霊、自然を近しいものとして捉えていくのだな。そして音楽や踊り、劇などは、全てそれらを題材にしたものとなっていく……」

「音楽や踊り、劇などを出来る”異能”は、皆が持つものではない。つまり”天からの授けもの”だ。
だからこそ、ヤツらは自分達の力で神や精霊を作り続ける訳だなあ」
だが、とインノケンティウスは空を見上げた。
東の空に、二つの劇場艦がある。そこから響いてくる音は、

「俺達とは相容れないものだなあ、おい」

「Tes.、……Tsirhc教譜は、自然神や権力者を神として崇めるのをやめ、一人一人が内なる神を信じるようになった……、そんな”人”の教譜であるからな。神も聖歌も何も、戒律を守り、その内容を聖なるものと信じる事で、”人”である自分を聖なるものとしていく。
……極東の、まるで免罪符のように祭を起こして神を呼び、共に騒いで穢れを浄化などと、相容れぬだろうよ」

「違う神だ。だから異教だ。それでいいんだろう、あいつらは」

「認めるのかね?」

「異端は認めないが、異教は認める」

「ならば何が相容れないと、今更に言うのかね? 元少年」
Tes.、と、インノケンティウスは応じた。そして、

「俺達と、あいつらの長所は、噛み合うものなんだろうか」
●
インノケンティウスは、脚を組み、夏服仕様のマントの裏から水の瓶を取り出した。コルクの栓を指で抜き、口に水を横から入れて、

「俺達は古い神々への信仰を捨てて、”人”になった者達だ。
神を自分の内なる中に信じる事で、神は自分を常に見守っていると言う事が出来、それゆえに、何処へでも行く事が出来、一人になる事も出来るようになった者達だ。
つまり俺達は、神の内包者だ。戒律も歌も、自分を正しく変え、神と共にある自分を保つためのものだ。そうだなあ? おい」
だが、と彼は言う

「――連中は、どこの環境にも、万物にも神が宿ると言い、ろくな戒律も持たない事で、自分を変えもしない。ただただ歌や舞で神々の機嫌を取り、自分達の居場所を安堵して貰う。
奴らは”人”にはならなかった。未開のままの連中だ。だが……」

「だが?」

「知ってるか? Tsirhc 教譜の下、人々が神の使いというだけではなく己の中に”自分”を取り戻すルネサンスまで、一千年以上を必要としたのだ」
ならば、とガリレオが言った。

「極東の人々は、私達よりも一千年以上、ずっと”自分”で有り続けてきたのかね?」

「――ルネサンスを経た今の俺達は”人”であり、”自分”でもあるさ。
神を内包した”人”ではない極東に対しては、俺達の方が上だ」

「元少年。――君はどちらを持ち上げたいのか全く解らないな」

「旧派は全てに平等だよガリレオ。但し、旧派の庇護の下でなあ。
――未開の異教が祭をやりたいというならば、それは俺達の赦しの下で平等に催される。そうだなあ? おい」
さて、とインノケンティウスが言った。

「全く、こういう事を、未開の連中は案じたり、悩んだ事も無いだろう。”人”である事というのは、大人であるという事だ。そうは思わないか? なあガリレオ」

「極東の学生は十八歳上限だから仕方あるまいよ、元少年。悩む前に学生としての全てが終わってしまう」

「ならば名実共に、大人の俺達が子供に空を貸してやる訳だ」
ハ、とインノケンティウスは笑いの顔を作らぬまま、息を地面に捨てた。

「子供の”自分”で、千年以上も”人”にならず過ごしてきた極東。その地脈整調技術である音楽と、神卸しの技は、文化として貴重だと、そう言っておいてやろうか」

「素直に褒めたらどうかね? 聴いていて良い音楽だ、と」

「おいおい、そうとも言えんぞ?」
何がかね? と問うガリレオに、教皇は苦笑を作る。

「周囲の空だ。
魔神族のお前に、流体の流れが見えていない筈が無いだろう?
どう見える?
あの、劇場艦に淀みが近づいてきているのが、――なあ? おい」
●
ガリレオは、ふと、空を見た。
音楽が止まっていて、劇場艦の上からも、これまであった動作の気配が消えている。

「Tes.、……元少年、援護を出すかね?」

「言っただろう。旧派は全てに平等で、異教の祭は認められた行為だ。
極東の連中にとって、祭とは、それまでの穢れを神を呼ぶ事で祓って貰う事らしいが、それはつまり、――穢れを祭の場に掻き集めるという事でもある。
ならば、これから起きる事は、極東の責任の下だ。だから俺達旧派は、不平等に格下を作る手助けは容易くしない。これから先、起きる事を、極東側が”祭の準備の一環”と出来るなら、全ては平等のままだ」
インノケンティウスが、水を口に含んだ。

「広報委員に伝えろ。武蔵から救援要請が来るか、極東側としての安芸が救援を求めるか、しかしどちらも、こちらに危害あると解るまで無視しろと、なあ。
――あと三分もせずに”来る”ぞ」

「何が来ると思うかね?」

「Tes.、末世の怪異の一種。流体の穢れが祓われたならば、そこに吸われるように飛び込んで来る淀みがある。多くは獣の様相で、だ」
さて、

「――さあ来るぞ。こちらに救援を求めても、極東の安芸側には反乱を避けるためにも非戦闘員ばかりだ。ならばどう動く? 武蔵の連中は」

「お手並み拝見……、と行きたい処だが、商人団の船が近いな……。記録を取らせる事としようか」
○

「プハ――! こんな感じでどうでありましょう」

「ウルバヌス八世は私の手によるものですけど、ちょっと余計なアクセントだったかもしれませんわね」

「いえ、実際そうではなかったとしても、記録の中で生きていくことを嫌う方ではないと思いますよ」

「何か、もの凄くやりにくい連中の会合だったな……」

「アンタのファンクラブK.P.A.Italia支部じゃないの?」
○

「ハアアアアアアアイ! そういうことで正純のファンクラブをここで正式に発足しまああああす! 会員資格が欲しい場合は私に権益の話を持ちかけると査定の上で何ヶ月有効か決めるから各員そのつもりで! ああ、期限が切れたら全ての会員情報と特権を白紙にして別のヤツに譲るからな! まず今月の特典は正純の蔵書リスト1/12でえええす!」

「ノブタン! ノブタン! ソッコで十二ヶ月分貪ってやろうというのが解る特権はどうかと思いますぞ! あと、会員ナンバー一番は、やはりノブタンが持って行くのですかな!?」

「ハアアアア!? 何言ってんだコニタン! 会員ナンバー一番など、権益の一番美味しいヤツを持ってきた輩にくれてやる! 大体、私はファンクラブの名誉会長だからな! 会員の貴様らとは住む世界が違うのだ! 解ったか!」

「ほ、保護者特権……! 流石、汚い! 汚いですぞノブタン……!」
○

「お前らも何だか多重にやらかしてたが、この頃の父達も、いろいろ大変だったろうなあ」
正純は、周囲の皆の情報交換などを見つつ、感想する。

……自分もまあ、こっちにやってきて、初手からいろいろ食らって大変だったし、ちょっとした敗北感からの仕切り直しの時期ではあったが。
だが、自分に何が出来るか、出来ないか、そういったものの見極めが、たとえば浅間などにもあったとは驚きだ。浅間神社代表として、当時からかなり大人っぽかったと思っていたが、

「皆、思案の時期か」

「アーまあそんな感じですね。中等部からのノリも一年生で大体終わって、じゃあこれからどうしようか、みたいなのが見えてくる感じで」
でも、と浅間が瑞典総長達の方を見る。

「さっき、何か仕込むようなこと言ってましたけど、何です?」

『あ、それは何となく入れておいたので。後は流れ次第で使うか使わないか、みたいな処ですねー。その際は解ると思うので判断御願いします』
はあ、と浅間が頷く一方で、ミトツダイラが小袖の袖をまくる。

「じゃあ、先に進めてしまいましょう。――ここから先、ちょっと賑やかになりますわよ」