境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅠ

第六章『祭でもなく』

「ククク、狼に気を取られた単純な刃の顕現なんて、いくら力を大きくしようとも根本が解りやすいのよ。

 そんなに刃を振るいたかったら空中ファックしてないで自分の身体で感触試してみるといいわ!」


 喜美は笑った。

 眉を立てる事なく、身を回し、全周の風と床と空を見渡して笑った。

 アハ、と声を作り、木床を踏んで音を立てる。その響きに目処をつけたように、風が幾つもの箇所から飛んでくる。

 飛来した。だが、


「馬鹿ね。可愛い子供。生まれたばかりで何も知らないのね」


 舞うこちらの近くに至った風刀は、どれもが周囲を回り込むように避けた。そして刃の全てがお互いにぶつかり合い、


「フフ、強がってもいいのよ。余裕で返してあげるわ。ホラ」


 砕けた。

 舞う己の周囲、莫大な量の氷片が風に散って、しかしそれすらも届いて来ない。

 何もかもが、こちらの舞の装飾品だ。

 そして陽光の範囲が広がり、散じた氷が輝いた。

 その中で自分は笑みのまま身を回す。

 手は指先までを使用して渦雲の軌道を先描き、足のステップは非神刀の身の揺れや足の動きに合わせて床を踏む。

 身をくねらせ、腰を突き上げたり、胸を抱く動きすら、風の動作を先に描いて、後を追わせるものでしかない。

 舞い、速度を上げながら、己は告げた。


「本当に駄目ね。

 何しろ夜を一度も越えていない。

 朝を一人で起きた事もない。

 孤独の意味も孤高の由来も知らない。

 生まれたばかりの刃は、だから鞘に収まるしかないという事を教えてあげるわ。

 ええ、優しく教えてあげる」


 言って速度を上げる。

 すると、周囲に新たな光が生まれた。

 こちらの足下を起点に、鳥居型と円弧を重ねた神道式の術式陣が、水平に倒れた状態で上がって来る。

 それは足場だ。

 術式紋章。

 直径約五メートルの円弧鳥居のフィールド。その背後に四つ、追加で鳥居型の表示枠が立っていく。


「音響術式よ。舞台にスピーカー。そして――、映像も、ね」


 言う間に空にも大型のものが上がり、そこにこちらの顔が大写しとなった。

 全てが揃った。だから、


「大椿系”足掛舞”、逆順で行くわ、曲は”星祭り”。――いいわね?」


 問うたと同時。

 肩のウズィが拍手を一つ。

 そして背後四つの 表示枠 が楽器のアイコンを映す。

 それらが震え、音を重ね、絞り、しかし一個の曲を流し始めた時。

 非神刀が吠えた。


『……!!』


 大きな、空を震わせるような声だった。だが、強大な響きですら、


「――――」


 こちらは既に、先読みで声を生んでいた。そして、


「ついてきなさい」


 言って己は加速する。

 舞を跳ねさせるようにして、術式紋章の舞台上で場の支配に入った。

 応じるように、非神刀が足を止めた。距離百メートルを空けつつも、こちらの動きと打ち合うように身を折り、


『――!!』


 風が、四方どころか八方以上から発生し、甲板上を薙ぎ払った。


 アデーレは、術式防盾を傘のように被って全域を見渡していた。


「うわ……」


 今、甲板上は嵐と陽光の激突する空間となっている。

 足を止め、甲板上に足先をついて攻撃を連射する非神刀と、それと高らかに向き合う喜美の舞。二つの動きが全てに見えて、しかし、


 ……音楽……!


 聞こえる。

 風が幾度と無く、暴風どころか暴波のように何度も激突し、白い飛沫をぶちまける向こう。喜美が悠然と踊りながら、バックバンド代わりの表示枠に演奏をさせている。

 髪踊り、手指が跳ね上がって脚が幾重にも組み換えられる。

 身は倒れそうになるかと思えば抜けるように回って、


「――――」


 表現が弾ける。


「ねえ ――明日は夏の日 星祭りの日」

 

 喜美が唄う声を、アデーレは風の炸裂の中から聞いた。


「溜息を幾度もついて 抗議の視線も送ったの」


 風が激突する。雲が、青の色を見せる空を閉じようとする。


「だけど耳に届くのは 私以外のことばかり」


 喜美のステップに、風が砕けた。腕の振りに空が広がった。


「いくら近くに 座ってみても」


 風刀が重なるように突っ走った。しかし、


「星灯りにしか見てくれない」


 喜美が笑みで振り返るだけで、風が砕け散った。そして、


「いいわ 明日は夏の日 星祭りの夜」


 己は見た。喜美の足下に、光の軌跡が生まれているのを、だ。


「星を見上げさせてあげる 見とれさせてあげるから」


 喜美の動きが、非神刀の動作パターンを読んで、それを譜面のように作っているのだ。


「いいわ 今日は夏の日 星祭りの夜」


 ララ、と喜美の声が耳に聞こえた。動きでも何でもない。言葉としても意味のない歌声だ。


「星は帰りもいてあげる」


 そして喜美が、こちらの眼前で今までに無い動きを取った。


「立ち止まってあげるから」


 己の身体を両の腕で抱いたのだ。まずは肩を、


「いいわ」


 直後。こちらの視界の中、喜美の向こうに立つ非神刀の肩が激震し、身が揺れた。

 喜美が舞と歌、音楽を通し、非神刀の流体を己に同期させたのだ。


「今日は夏の日 星祭りの後」


 喜美が腰を抱けば、非神刀の腰が打撃され、流体の破裂が生じた。

 更には、


「星を手に取らせてあげる」


 肩、胸、腰、そして身体に絡ませるように喜美が身を回しながら己を抱くと、非神刀の対応箇所が打撃され、砕け散った。その上で、


「ずっとさせてあげるから」


 声を、喜美が空に奏じた。それは笑みで、口を大きく開け、


「ララ……!」


 風を、貫くというよりも、押し広げるように声が張り、それが来た。

 青だ。

 自分達の頭上、空を覆っていた雲が割れていく。そして、正面に、陽光の道が出来た。

 喜美から非神刀までの、光の道は、彼女の声と共に広がっていく。

 道の中央には、一つの影があった。


「番外特務!」


 番外特務だ。

 今まで風に耐えていた彼女は、今こそ前に出た。

 流体で出来たシールドを両手で構え、


「――!!」


 番外特務が、崩れかけた非神刀の脚部に激突していった。

シールドアタックだ。


 ……砕きましたわ!


 と、ミトツダイラは手応えを確信した。

 距離は充分に詰め切っていた。

 喜美が敵の攻撃を引きつけた上で、場をある程度整調したからだ。

 シールドアタックが直撃する。

 そして硝子が割れるような音が響き、非神刀の左脚が砕けた。

 崩したのだ。

 弾け舞う流体光の欠片の中、己は敵を見上げながらも声を放つ。


「見事ですわ、喜美!」


 喜美は、後奏として舞を続けながら、ミトツダイラの声を聞いた。


 ……フフ、随分と上機嫌ね。


 防御役でありながら、敵に届いて砕く事が出来たからだろうか。

 ストレス溜まってるのかしらね、とも思うが、別に彼女が敵に至ったのは、自分だけの成果ではない。

 自分が舞い、唄うには、当然のように準備が要る。非神刀のリズムを読み、術式のためのステージを作るのは、手間の要る事なのだ。それが可能だったのは、


 ……ミトツダイラ、アンタが前に出たからよ?


 前半はミトツダイラが引きつけて自分が準備。後半は自分が引きつけてミトツダイラが前進する。そういう流れだ。

 あの騎士様は、昔の後ろめたさから、自分を評価しないクセがあっていけない。

 それはいい女のする事じゃない。

 そうやって自戒に浸る事こそが、次のステップに至れない足踏みだと早く気付けばいいのに。何をしているのかしら。


「これ、当時、当人に言ったらいろいろ問題が解決したようなことでしょうか」


「あの! もうちょっと情緒の余地と手加減を……!」


「というか、喜美みたいに割り切れる訳じゃあありませんのよ?」


「というかこの時期、お前らがそういう思考だったというのは意外だな……」


「副会長にどんな風に見られてたんですかね自分達……」


「フフ、ともあれチョイとシメに至る流れ、行ってみようじゃない?」


「ララ……」


 声が尽きていくのを、喜美は自覚した。

 息切れではない。

 非神刀がミトツダイラによって片脚を砕かれたため、こちらの想定したリズムとズレているのだ。

 今までと同じリズムで場を支配する事は、やがて不可能になる。

 では次の舞を準備すべきかどうか、自分は踊りながら思案した。

 だがすぐに、非神刀を差す陽光を見据え、己は考えを決めた。


 ……放置プレイでいいわよね!


 もはやあの怪異は、日の下にいるのだ。だから、


「――ま、何とかなるわね。ゆっくり考えればいい事だわ」


 言うなり、非神刀が二度目の破砕を得た。

 ミトツダイラが砕いたのとは逆脚、右の脚が、光の破片に散ったのだ。

 そこに激突した者。自分が作った陽光の道を突っ走っていったのは、


「よくやったわアデーレ!」


 ミトツダイラは、アデーレが成果を上げたのを見た。

 こちらが砕いたのとは逆の脚に、彼女が防盾を構えて一直線に激突したのだ。

 砕く。

 アデーレは旧派だ。

 使う術式防盾は反射型で、激突時には速度そのものが打撃力の大事なファクターとなる。

 そして自分は知っている。クラス内で、忍者の点蔵と比肩するか、それ以上の俊足が彼女だと言う事を。しかし、


 ……大丈夫ですの……!?


 こちらの視界の中、アデーレが”行きすぎ”ていた。

 防盾の反射性によって、その全身が浮いてしまったのだ。

 高速で突っ込んだがゆえ、弾かれた身が前方の宙に吹っ飛んだ。

 砕けた非神刀の脚や、自分の防盾の破片と共に、アデーレの全身が、


「あれえ――!?」


 明らかに”こんな筈では”という顔のアデーレが、回転しながら飛んでいく。

 それを見て、自分は手を伸ばし掛け、


「――――」


 届く筈もない。

 自爆気味のアデーレには、着地において、従士なりの根性を見せて貰うしかないだろう。

「というか何で旧派なのに神道の舞台現場にアデーレがいたんですかね」


「日々の生活のための日銭稼ぎではありませんの?」


「ご、御名答です! 吹っ飛びながら回答しますけど、最近は足場職人としてのコツを掴んで来てるんですよ!」


 匠の道である。

 今回は緊急と言う事で突撃メンバーに加えたが、頭でも打っていれば労災として相応の治療費が支給になるだろうから、結果としてアデーレも喜ぶ筈ですの。


「ちょっと番外特務! こっちに手が届かない言い訳が酷い方に言ってませんか!」


「おやおやアデーレ様、滞空時間が長いですな」


 振り向くと、P-01sがこちらに右手を上げて挨拶。

 自分も右手を上げて挨拶を返す。するとP-01sが一回だけ身を下に沈めてから、


「とう!!」


 派手な大跳躍で、乱れてきた渦雲の上まで飛んだ。

 すぐに見えなくなるが、恐らく魔女が箒で拾うのだろう。ええ、その筈ですわ。


『ひょ、表示枠経由でツッコミますが、ミト、何か今、諦めてますよね!』


『幻覚で処理出来た方が楽でしたわね、って、他人事のように思ってますわ。ええ』


「済みません! そろそろ着地したいんで、こっちに意識下さい!」


 そのようにする。


 ……と、ともあれ成果は出ましたわ!


 今、非神刀は両脚を砕かれ、姿勢を大きく崩している。

 無論、元々が霊的な存在なので脚の有無は形骸でしかない。浮上して移動するのが主という妖物だ。

 だが、全体を構成するパーツの内、大部分を占める両脚が破壊された事で、存在としての密度が崩れた。

 このまま崩壊に至るだろうと、己がそう思った時だ。


『!!』


 足下、ついてきていたケルベロスが吠えた。


 ……え?


 疑問に思ったのは、ケルベロスがいきなり吠えたからではない。

 その咆哮が、警戒を示すものだったからだ。

 何事、と、自分は小さな狼の咆哮を信用する。そして見た頭上、


『――!!』


 非神刀が、身を起こしていた。

 起立のために使うのは脚ではない。腕だ。

 今まで存在しなかった腕が、六本。どれも刀を上腕と下腕にしたようなもので、左右二本が蟹のような脚になろうとしている。

 どういう事かは解る。場を奪われ、身体を砕かれた事で、却って全ての力を自分に集中出来るようになったと、そういう事だ。

 外界に自分を広げる自己保存性より、自分の身を守る防衛性が前に出たのだろう。

 ハッチから、非神刀を見る安芸の学生が、その姿の正体を呟く。


「……牛鬼じゃないの、あれ」


 それは、伝承によって差異はあれ、極東西側、沿岸部や水場に現れる妖物だ。

 身体は蜘蛛のようで、頭部は角牛。

 武蔵でも、浅草近辺に出現した記録がある存在だった。ならば、


「牛鬼の”型”まで、この淀みは取り込んでいたという事ですのね……」


 非神刀の、一度落ちかけた身が持ち直した。身体を上げ、二本の刃を腕のように。残りの四本を脚として身を持ち上げ、


『……!』


 吠えた。

 だが、その吠声は、一瞬で砕かれた。

 非神刀が、破砕されたのだ。


 床に大の字に転がって目を回していたアデーレは、光を確認した。

 一直線の光撃が、非神刀の振り上げた左腕と胸部、そして右の前脚を斜めに貫いていた。

 貫通した光は、甲板に突き立つ。

 甲板上、炎ではなく収束する光を持ち、そして消えていくのは、


 ……矢!


 それが来たのは東の方向。

 今、そちらにある直近の空に”谷川城”が浮いている。

 その甲板縁に立っているのは、


「浅間さん……!」


「豊! 豊!? 血圧や脈拍や脳の調子は大丈夫ですの!?」


「…………」


「――豊?」


「…………」


「……死んでる……」


「豊ァ――!?」


「……御子息組は賑やかでありますねえ」


「御主もあまり変わらん処あるぞえ?」


「回復待たずに先行っていいですか?」


「どうぞどうぞ!」


 アデーレの視界の中、谷川城の舳先に、弓の残心を取っている浅間がいた。

 彼女は、持ち直そうとした非神刀が砕けていくのを見ていた。

 そしておもむろに新しい矢を手にすると、


「動かないで下さいアデーレ、追尾無しで行きますから」


「念のために聞いておきますけど、自分、動いたらどうなりますか!?」


「ええ、動かれると、つい狙っちゃうんですよね、これが」


「どういう意味ですか! どういう!」


 構わず射撃が来た。


 追加で二発、非神刀の脚を砕き、浅間は一息を吐いた。

 肩から力を抜いて現場を見れば、喜美とミトツダイラが、それぞれこちらに笑みと手を振っている。ミトツダイラの足下にいるケルベロスも、警戒を弱めているのが解る。

 現場として、問題は無くなって来ているという事だろう。

 頭を抱え、足を裏をこちらに見せて伏せているアデーレについては、


 ……そこまでやらんでも。


 肩を叩かれたので振り向くと、P-01sが、立てた右手を左右に振っていた。


 ……いやあ、MURIでしょう。


 ……いやいやいや、流石に顔見知りには当てませんって。


 ……え? 何か言った?

 ……というか昔、何か射たれたことあったよね。


 ……というか、何でモノローグで会話してますの?


 P-01sと魔女達が顔を見合わせた。ややあってからP-01sがこちらに右の手を挙げて、


「とう!!」


 大跳躍で、上空の雲の向こうに消えていった。


「…………」


「あー、誾ちゃん考えてる考えてる」


「流石ホライゾン様……」


「黙ってなさい本多・二代」


「いや、誾殿、ホライゾン様は八艘跳びに匹敵する技をこの時既に……」


「黙ってろと言っているのが解らないのですか?」


「返事を強要してないかしら?」


「というかチママ様、これは”有り”なのですか?」


「……持ち帰りと言うことで、今は”仕様”とします……」


「ともあれ何とかなりましたね」


「頭上げて大丈夫ですか?」


「はい。今は大丈夫だと思います」


「何で客観的な表現ですの?」


 いやまあ、と言っていると、表示枠が来た。


『……何か派手なことやってるようだな。しかし、何故、浅間だけが谷川城に残っていたんだ?』


『あ、それは私が武蔵の主社である浅間神社の者だからです。

 向こうの”能舞台”は安芸の厳島神社所属なので、私が乗り込んで鎮圧すると、厳島神社のメンツが潰れますから』


『だから智の方としては”西の空に検知出来た怪異を禊祓する”という解釈で砲撃したんですの』


『砲撃じゃないですけどね!』


『フフ、とはいえ確実に当てなければ、それはそれで浅間神社の恥よね。

 一方で矢の威力を上げるには、追尾とかに拝気振るよりも打撃力強化。

 だから私達でフィールドを明らかにした上で、相手の足を崩して止めたのね』


『非神刀が歩き出したときは流石に焦りましたけど、調整器から距離をとれたので智も狙いやすくなったと思いますわ』


 その通りだ。こちらが言うべきは、


『皆、どうも有り難う御座います』


 義眼”木葉”で見ている限り、砕けて散る非神刀の復活はないようだ。もしあったとしても、そこからは安芸側に任せていいだろう。

 こちらが為す事は、非神刀の持っていた流体の震動。固有のリズムを安芸側に報告し、禊祓なり封印なりの対処をとって貰う事となる。


「あ、少々すまないものでありますが、このあたり、少し、余地として手を入れさせて頂きたいものであります」


「え? あ、OKですよ。どうぞ」


 今、空は賑やかだ。

 安芸の方から、厳島神社の輸送艦が”能舞台”に向けて出港したし、近くの空にいた商人団や他国の貿易艦から、急ぎの救援や周辺防護の流れが生まれている。


「怪我人などはいないか……!?」


 それらの声に応じるようにして、”能舞台”は艦体周辺の仮想海を濃くし、艦の安定を図る。

 武蔵勢の方、谷川城にも、他国の艦が寄せてきて、無事の確認が始まる。

 武蔵側としては、それを受け容れざるを得ない。


「浅間神社の守りがあったので無用な干渉、と遠ざけることもできますが、ここで衝突しても意味が無いと判断出来ます。――以上」


「まあそうだね。乗じて貿易を、という向きもあるのだろうし、この突発事を予測して何か仕込んでおいた、なんて無理だろう。周囲空域の地脈安定が確認されるまで、武蔵の加護圏内にいてもいいと思うよ」


 Jud.、と”武蔵”が頷き、表示枠を出した。


「周辺空域、安全確認が完了するまでの退避場所としての寄港を認めます。

 安芸側、左舷の着港スペースの使用許可を出しますので、希望があれば管区港はそのように御願いいたします。――以上」


 成程、と浅間は武蔵艦橋からの指示などを見つつ、一息を入れた。


「ハナミ、今、空にいる艦の幾つかがこれから武蔵に待避してくるそうだから、春にやったのを参考に、一時入艦申請の手続き御願い」


『うん。ちょっと頑張るね――。拍手!』


 と、肩上のハナミが消える。

 流体経路を通じて武蔵側へと飛んだのだ。

 これで自分が手配しなくても、ハナミが一時避難者の管理を行ってくれる。


 ……春に三河で入艦管理とかいろいろやっておいて良かったですね!


『私が入艦した時のアレか』


『そうですね。いろいろあったので、私が管理者として常駐しなくてもいいよう、ハナミが大部分をオートメーション化出来るようになってます』


 だからここは任せておいて大丈夫。空域の安全確認としての一時退避であれば、さほどの人数でもない。

 ではこれからどうしよう。喜美達が向こうで調書をとって戻ってくるまで待つとして、


「えーと」


 楽器の確保もだけど、ちょっと何か練習しようかな、と思った。


 ……そうですねえ……。


 それこそ、神道の雅楽ではなく、流行の、耳に憶えのあるものでも少し試してみようかと考える。

 今ならば口うるさいのも周囲にいないし、神社の神域でもないのだから、何を弾いても自由。ここにいる人達は、自分がそんなことしても”特殊”だとは気付かないだろうし。

 ちょっと。ほんの少し、先っちょだけでも、みたいな?


「どういう意味ですの?」


「いや、Aパートくらいは、ってことですよ! というかミトはまだこっちに戻ってないから通神会話だったってことにしておきますねコレ」


 ともあれ、今、フリーだ。

 だからそういう、いつもと違うことをするのも”有り”ですかね、と内心で思案し、


「アー……」


 何となく、そんな風に思える程度には、己の興味が”今の自分が好きな曲”に、向いているのだと自覚する。


 ……しかし私、面倒くさい人ですねー……。


 やりたいことをするのに対し、言い訳が長い。しかもそのうえで、やらなかったりするから始末が悪い。

 どうしたものかと、そう思っていると、不意に後ろから声が掛かった。


「――うちの番外特務が、成果を出したか」


 背後、女性の声が聞こえた。


 ……この声は――。


 背後に振り向く。

 と、予測よりも遙かに近く、目の前と言える位置に、鎧姿の女生徒がいた。

 夏服の上に軽装の機動殻を纏い、右手に機殻式の突撃槍を携えたのは、


「――副会長」


 呼びかける先、相手の腕には”副会長:大久保・忠世”の名があった。

 と、副会長、忠世が視線をこちらに寄越した。彼女は、ああ、と笑みになり、長目の黒髪を揺らして、


「流石は浅間神社。出てこなくて良かったかなあ。――スガやツナ来てる?」


 呼びかけられ、浅間は慌てて首を横に振った。

 浅間神社という場所の人間であるが故、生徒会や総長連合を知ってはいる。が、副会長という存在と話す事は希で、笑みで話しかけられる事も初めてだ。

 そして自分は、相手の告げた相性から、ええと、と見当をつけ、


「いえ、副長や第一特務は――」


「副長ならここにいる」


 と、艦首側の縁、そこに座っている男がいた。

 太い男だった。

 丸太を立てたような体格の彼は、膝に太い木刀を載せ、じっと”能舞台”を見据えている。

 ”副長:大須賀・康高”という腕章の彼は、顎に手を当てて能舞台を見ると、


「番外、嬉しそうだな」


「いつも先に出るけど、相手には届かない盾役だもんね。騎士連盟の模擬戦でも同じだから、少し自縛し過ぎだと思うよ。五等の私に気を遣うくらいだから」


「いい上役は、下役に気を遣うものだ」


「だからって、出ない訳にもいかない」


 と、忠世が言う意味は自分にもよく解る。


「安芸側の騒動に、武蔵の総長連合と生徒会が出る算段がついたんですね?」


「浅間神社と番外がここまでやったからね。ここで安芸側が出て、崩れるだけの非神刀を潰したところで評判は下がるだけだ。だから、――『小事なので現場に近い私達にやらせておいた』で手を打とうという事だね」


「忠世。――言葉が悪いと思うのだな」


「諏訪系が言う言う」


 忠世が苦笑した。そして彼女は、高度差を利用して”能舞台”に跳躍で行こうとする。が、ふと忠世は、座ったままの大須賀に視線を向け、


「そっちは、ツナが来たら来なさいな。形なりとは言え、他の教導院下で動くから。第一特務の資料を得てからがいいものね」


「――Jud. 」


 と応じた彼の言葉に、忠世が跳ぶ。


 ……わ。


 忠世は武蔵騎士連盟五等。副会長だが、武断系でもあるのが彼女だ。風が未だ残っている”能舞台”に、軽い着地で忠世は降り立ち、


「―――― 」


 先に現場にいるミトツダイラに、手を挙げて走っていく。

 速いですね、と彼女の軽いステップを見ながら、己は大須賀に問うた。


「あの、総長兼生徒会長は?」


「鳥居なら解らんが、大方、渡辺を御供に遊んでいるのだろう。極東の総長と生徒会長は、無能でなければならんのだ」


 大須賀が、言いつつ身を甲板に戻す。その動きに、嘆息とも、安堵ともとれるような息がついているのを自分は聞いた。

 と、その時だ。


「なあにスガ! その大人っぽい雰囲気! 格好いいからどぉ――ん!」


 いきなりだった。

 軽いステップと共に、夏服をラフに着込んだ三年女子が、大須賀の巨体を、その尻を突き飛ばしたのだ。それも甲板の外へと、だ。


 ……え!?


 とこちらが思うまでもない。巨漢の大須賀だが、立ち上がり掛けの状態では如何ともし難い。突き飛ばされた勢いに一度大きく揺れ、


「ぉ――……!?」


 甘い疑問の声をつけ、大須賀が甲板から落ちていった。


 ……ええ!?


 いいの? 有りなの? と思うこちらの眼前。ラフの彼女は、おおおお、と感心したような声で大須賀の落下を見送り、そして、


「ねえ! 今の見た!?」


 いきなり視線を向けてきた。

 三年生。

 背はこちらより視線一つ低い。笑み顔は歯を確かに見せ、


「出場中の事故で武蔵副長が負傷って事に出来るよね!? これでまあ、ボクや安芸側のメンツも立つよね。行けるよねーん」


 屈託無く笑う彼女の肩には、腕章がついている。

 自分の視線の先には、こうあった。”総長兼生徒会長:鳥居・元忠”と。


 結局、非神刀が完全に破壊され、現場が安芸側に移譲されたのは三十二分後。

 落下途中で貿易用の輸送艦に拾われた副長が、安芸経由で戻ってくるまで、二時間五十七分の時間を有する事となった。

 浅間達が、ひとまずの寄る辺として浅間神社に戻ったのは、午後六時半を過ぎていた。

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