境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅠ
第七章『宿り場の雛鳥達』
○
戦闘が終わった処で、一息となった。
浅間が一つ思案していたのは、

「えーと、今、トーリ君の方とも通神帯で話しして、ホライゾンの方からも許可が出たんですが、――キッチンの使用を自由とします」
おお、という声が皆の中から生じ、手が上がった。

「――金は払うべきよね」

「何か悪い予感のする言い方に聞こえるのは、何故ですの」

「皆で頂くものの用意や、調理などはこちら持ちでいいですよ。個人で消費、という場合は代金を頂くと言うことで」

「じゃあ自費で取り寄せなどは問題ありませんわね」

「そういうことになります。
――今回はどちらかというと私やミトが話主になること多いので、すぐにキッチンに立つ、というのが難しそうなんですよね。
だから鈴さんやアデーレは、もうキッチンの概要知ってると思うので、ちょっといろいろ手配に立って貰えたら、と」

「あ、では私も。出来れば水回りや火の元の使い方を教えて頂けますか。――ジェイミーも来なさいな」

「あ、Jud.、――豊達は――」

「え!? そんな畏れ多い……!」

「キャンプか何かの水場だと思ってくれれば大丈夫ですよ」

「じゃ、じゃあ皿洗い担当みたいな感じで! 氷室の中とか見たら死んでしまうので……!」

「何かの神話に出て来る魔物かよ……」
ともあれ、それなりに人数を引き連れて、厨房でもあるキッチンの使い方を教えておく。水場だけでも出来る事は結構ある。

「じゃあ、炭酸飲料の造り方を教えましょうか」
○
などとキッチン側では主に年下勢が浅間を中心に盛り上がっているが、一方の広間側では、年上勢を中心に幾つかの表示枠が開かれていた。
その出所は、しかし広間にいる者からではない。

『面白いですねー。コレ、結構バランス感要りますよー』
と、表示枠で参加の竹中が広げるのは、瀬戸内海、安芸周辺の概要図だ。
その図形には、武蔵の航路が示されており、

「児島半島を経由して、地中海沿いに西へ。そして呉の湾に入っていますのね。そこに至るルートは、恐らく大坂湾を通っていますから、実の処、この時期の武蔵は欧州とP.A.Oda勢力を結ぶ中間貿易で利益を得ていることになりますのね」

「恐らく、児島半島と呉の間で一時停泊し、輸送艦を用いて六護式仏蘭西とも貿易をしているであろうよ。地中海沿岸はM.H.R.R.とK.P.A.Italiaがほぼ塞いでおるが、武蔵の輸送艦は領空範囲を超えた高度を行けるものも多い。
つまりM.H.R.R.-六護式仏蘭西・K.P.A.Italiaの間。本来なら敵対国家同士の間で、必要な資源を遣り取りしていたのが武蔵と、そうなるのだえ」

「この時期、商人団の大型輸送艦がよく東行きで出て行っていたのは、つまり、
・武蔵 :西行き航路で、M.H.R.R.や中東の品を欧州に持って行く。
・商人団:西行きの武蔵が欧州で買い付けたものを、M.H.R.R.や中東に持って行く。
――と、そういう二軸の貿易だよな、あれは」

『そうですねー。ある意味、世界は、武蔵を使って”なあなあ”で上手く回していた訳ですねー』
○
だよなあ、と正純は腕を組む。

「世界はいろいろと権益や何かで衝突しつつ、完全な敵対などはぎりぎり避ける方針で動いていた訳だ」

「この時期、羽柴は九州攻略を行っていましたが、それは中東やM.H.R.R.が九州とのルートを持った、ということでもありました」

「ええ。それは九州攻略のためだけではなく、貿易にも使われますから。
だから羽柴達がいろいろハシャいでいても、攻められる側にもまだリターンがあった訳ですわね」

「しかしこの時期、ちょっとした変動が生まれるでありますよ」
それが、と言った彼女が、厨房に視線を向ける。そこでは氷室の氷を使ってアイス作成の実演を見せるホライゾンがいて、

「――先に行われていた聖譜顕装に続き、大罪武装の配布であります」

「貿易による”富”が作る”なあなあ”の世界に、それ以外の変動要素が入ったんですのね。更には――」

「羽柴の九州攻略が終われば、それまで作られていた”中東-九州”間の貿易ルートが消えてしまう訳だのう。……これによって、P.A.Oda勢力と欧州勢力は定期的な連絡をつけることが難しくなる上に、”富”の偏重が始まる訳だえ」
だとすれば、という促しの答えを、それまで何も言っていなかった声が応じた。

『――教皇総長が大罪武装の無心を発想したのは、この時期やろうな』
○
ですよねー、と生徒会居室から武蔵上の夜景を見ながら、竹中は頷いた。

「ここで雅楽祭などを終えて武蔵が出港したらどうなるか。もはや羽柴の貿易ルートも消えていくのが解ってますから、中東方面と欧州を結ぶ大規模な貿易は今年いっぱいで終了。
ならば翌年の早い内、武蔵が三河にいる間に三河に向かい、大罪武装の無心をするのが常道でしょう。そしてそれが無理ならば――」

「三河にいる武蔵と交渉し、中東貿易などの強化を交渉する。または、武蔵に何か難癖つけて人質のようにして、三河と再交渉。……これは逆に、三河を人質にとって武蔵と交渉でもええな。
――そのくらい、当時の教皇総長なら、やってもええやろ」

『否定出来ないのが嫌な話だ……』

『ふふ。でも、ある意味、これが最後の”平和な欧州と中東”の時間だったんですわ。恐らくそれを見越して、アンヌはマクデブルクに入って守りを固めるように動いた訳ですし』

『うちの方では政宗の問題がまだ顕在化しとらんでの。駒姫も元気であったから、まあ惰眠をしておったよ』

『備蓄固めて、奥州の商業化交渉に乗って来れるのを惰眠とは言わんぞ』
まあまあ、と最上総長が小さく笑う。

『用意の有る無しは別として、描いていた絵図面と、大きく変わったのう』
○

「変動の予兆は各所で既に始まり、溜まっていたのであります。それが、羽柴による九州-中東ルートが消え、武蔵が極東を一周する貿易ルートを持つがゆえ、欧州の空白化が明確になったことで、動き出したのでありましょう。
教皇総長の三河行きは、先手を打つという意味で、優れた判断でありますよ」

『そのような流れの中、”三河騒乱”で武蔵が動いた訳や。
……つまり、私達は別に、世界の変動の始まりという訳ではあらへんのやな』

『そうですわね。ただ、”聖連に逆らう・しかも羽柴やP.A.Odaにも逆らう”という行為は、やはり武蔵だけが出来たものですわ。
武蔵が起こした三河争乱は”決め手”だったと、そう思いますの』

『Jud.、うちは、それを見ての反応だからな。やはり決め手は三河だ』
成程のう、と義光がつぶやいた。
地中海の概要図。武蔵の航路に、彼女は、九州と大阪を結ぶ貿易ルートを描き加え、

『既に世界は、武蔵勢と羽柴勢に乗せられていたのであろうよ。
そしてもはや全員が動き出さねばならないスタートラインとなるのは、恐らくここであり、一年後の三河が号砲そのものであったと、そういうことかえ』

『Jud.、これからも武蔵の記録など見ていると、いろいろ解っていくと思いますが、”そうしなければならない”ぎりぎりの処となると、ここじゃないのかな、と。
そういう意味で”バランス感”要る処ですよねー、コレ。
ちょっと間違ったら、”動き出していた”かもしれないんで』
だとすると、とクリスティーナが疑問した。

『何故、ここでいろいろあったことが、そういう火種にならなかったのでありましょうね』

『それは貴女なら、もう解っているのではありませんの? ――ええ。世界の動きとか無視してハシャぐだけの者達や、世界を騒がせないようにしようと、そう思っていた者達がいたんですのよ? 多分ね』
○
厨房でコンロの使い方を教えて貰いながら、誾は年上衆達の話を耳に入れていた。
当時の自分達は西側の”門”を使用したルートで新大陸の開拓を手伝っていたものだが、九州方面の動きは三征西班牙でもいろいろと話になっていたのだ。

……羽柴の影響が薄くなると共に、やはり定期的な貿易が無くなりますからね。
羽柴側の影響が減った流れに乗じたのか、この時期の春、九州方面では三征西班牙も巻きこむトラブルが生じている。
その騒ぎは、現武蔵副会長が三河から転入してきたばかりの武蔵にまで余波が及んだ。
結果、三征西班牙側と武蔵側の、”解釈”による解決が行われたと、世話子が報じていたが、

……そこで”いつもの騒ぎ”をしていた皆は、”ここ”を次の段階としていたと、そういうことですか。
大人達の思惑とは別で、まだ二年生だった皆。
彼ら、彼女達が、三河であのような判断を下し、自分達を負かしていく事が出来た理由。それを少しでも理解出来るかも知れない。

「……どうしたので御座る誾殿、考えこんで。何か菓子でも欲しいので御座るか?」

「よく考えたら貴女はこの時期の武蔵にいないのでしたね本多・二代……!」
この女に関しては”特殊”と、そういうことでいいのだろうか。ただ、

「ハイ! そんな感じで炭酸の蜂蜜ショウガと、ピクルスにフライドポテト出来ました! 補給しつつ、続き行きましょう!」

「Jud.! では続き、私達から行きます!」
●
夕方の空を高い位置から見上げながら、豊は感想した。

「武蔵に潜入成功――!」

「声がデカイですのよー!」
場所は多摩の市街。上陸方法としては正攻法だ。つまり、

「”能舞台”の騒動で武蔵に待避した艦に乗っていた、ということでいいのかしら?」

「その場合、設定としてはどうなるのかな?」

「この時期の私達はまだ表向きのデビューをしていませんから、基本、警戒はされないと思います。しかし羽柴の十本槍として襲名した名前を出すと入艦時にマークされてしまう筈ですね」

『Jud.、だから皆、入艦時は本名で、という風にした方が安全ですね。それ以外はいつもの呼び方でいいと思いますが。――あ、私は襲名が先行していて面が割れてるので、表示枠で行きます』
意外と設定が細かい、と思いつつ、他にも聞いておきたいことがある。

「私達の身分って、どんなもんなんです?」

『Jud.、表向きはM.H.R.R.に暫定支配された極東領地からの商人団ですね。要するに、羽柴による九州-中東ラインはこの時期ほぼ使えなくなってきていますが、極東勢力の行き来としては充分使えるので、中東やM.H.R.R.からの積み荷を積んで覆面貿易です。
これだと、K.P.A.Italiaとかの咎めも受けませんし、臨検などがあっても見逃されると思いますね』

「あー、タケがさっきから”Jud.”って言ってるの、この時期は”Tes.”じゃないのって思ったけど、そっか、極東側の所属として徹底したら”Jud.”でいいのか」

『あ、すみません。今のソレ、おねーさんは素で間違えてました』

「ウッカリで御座りますなあ」

『ともあれ皆、商人団という身分が面倒だったら護衛の戦士団や傭兵団でも大丈夫なので、武蔵上の観光してると良いと思いますよー』
○

『そんな感じで、瑞典総長の前振りに感謝しますねー』

『いえいえ。先に竹中様が何となく”振って”いたのでありますから、私はそれを利用しただけでありますよ』

「どういうことなんです?」

「ええ、教皇総長とガリレオ様の会話を担当しているとき、竹中様が”商人団の船”について加筆を指示されたので、最後にそれを加えたのであります。
これは要するに、商人団の船を何か仕込みに使うということでありましょうから、先程の各艦待避ムーブなどをつけ加えて、いろいろ動けるようにしたのでありますね」

「流石は情報とその推移による予測能力に優れた瑞典総長。これは大部分を任せていけそうよのう」

「あまり頼られると調子に乗るので駄目でありますよ!」

「フフ、じゃあ年下組が観光してる間、私の方で先を続けるわね?」
●
ステルス空間内に停泊している武蔵は、夜でも明るい。

「風情が無いけど、武蔵だけの風景と考えると、これも有りよね」
街の中、多摩の表層部を左舷側へと歩いていくのは喜美だ。
一度、武蔵野の自宅に戻ったが、誰もいないので、多摩の青雷亭へと行く途中だ。
腹が空いている。
昼の事件の収拾後、浅間神社で聞き取りなどを行っていたせいもある。
非神の持っていたリズムや動き、干渉の際に使用した術式の用い方など、浅間や、彼女の父親を相手に説明し、実演する必要があったのだ。それを記録する事で、今回の事件があった事を証明出来るし、次に同様の案件があった時も対処が早くなるからだ。
怪異への相対記録は大切なものだ。
何しろ、非神など、流体や地脈の変異による妖物や怪異は、人工物として設計された武蔵上では珍しい。設計段階から、そのような事が生じにくいようになっているため、武蔵の総長連合は元より、衛士や神仏関係者達も、怪異への対応には疎いものがある。
生憎武蔵は、各国からの亡命者や移住者も多いため、そういった事案の経験者の協力を得る事も可能だが、

……なるべく自前で、って、考えるものね。自立は大切な事だし。
彼女が見上げる空はステルス防護壁で白い。更には、

「夜であろうとも貿易は行われるから、行き来のための 表示枠 が各所に出る……」
ステルス防護壁は武蔵を隠すだけではなく、巨大物が空にいるだけで発生する大気流の音や、周囲の天候に与える影響も緩衝する。
だから、貿易において、内外を行き来する際は、仲介術式による穴を開け、防護壁を壊さないようにする。
現在は浅草側での貿易が盛んらしい。そちらの方に誘導を行う矢印や、発着や到着時間を告げるタイムテーブルの表示枠が空に出て、時折、重い音と共に輸送艦が空を行く。
耳を澄ませば、貨物の上げ下げを行うデリッククレーンの音も聞こえるだろう。
昔はこれらの音の意味も解らず、夜に怖い思いをした。だけど、

「一番怖いのは、港が休みで物音しない事よね」
と、昔を懐かしんで苦笑した時だった。浅間から実況通神の表示枠が来た。現在、武蔵内で試験段階の通神システムを利用した彼女の言は、

『――喜美、今日はお疲れ様でした』
●
喜美は、送られてきた表示枠を自分のものとして設定。
手指によるタイプよりも音声変換で言葉を作る。
青雷亭 への歩きを緩め、時間を確保した上で、

『フフ、――そっちこそお疲れでしょ? 私は余裕だから構わないわ。で、どうだったの? さっきの』

『はい。昼の”逆順”、臨時と言う事で”非神刀に引っ張られてそうなった”と父さんがまとめてくれるそうなので、安心して下さい』

『フフ、別に構わないのに。非神など、淀みや歪みの連中が持つ壊れたリズム合わせる術式なんて、まだ中位の私が持ってる筈ないものね。――逆順転換は禊祓の手順から行けば違法、そういう事でしょ?』

『父さんは、”心が成ってれば、手順は違っても神様認めてくれるけどね”って言ってましたよ?』

『私の心が成ってると思うのかしら?』

『父さん喜美のファンですから。三月の年度末祭も、喜美のソロ舞踊の時に最前列であの、光る棒、何でしたっけ』

『お楽しみ棒』

『あ、ええ、お楽しみ棒振りまくってましたから』

『ホントに言ったわこの巫女……!!』
え? という言葉が向こうから来た。ややあってから、

『うぉああああああ変なメーターが一気に! ちょ、ハナミ! 火消し! 割っていいから! いいからですよ!』

『少し落ち着きなさいよ浅間。落ち着くためのおまじないをスーパー賢姉が教えてあげるわ! 胸を下から持ち上げて”卯菩観氏の田を厭ふ”を大きな声で逆から三回言うのよ! ハイスタート!』
結果としてメーターが三回上がってかなり叱られた。
ああもう、と浅間が言葉を作る。が、 表示枠を見れば、彼女の現在位置の表記がある。それは浅間神社ではなく、

『――浅草行き? 何か巫女検閲入れる輸入エロゲでも見つかったの?』

『言っておきますけど、最近はトーリ君が大人しめなので武装巫女や風紀僧侶が拳振り上げて乗り込む事も少なくなりましたからね? 最後の密輸入エロゲは三河に入る時の”今川さんを夜這い朝駆け桶プレイ”でしたっけか』

『そこらへんは思い当たる事もあるけど、フフ、とりあえず浅草行きの理由は、コレ? 今、聞こえてるやつ』
音楽だ。雅楽バンドの奏でる音が、ここにまで遠く届いてくる。

『何? 浅草でリハ? 谷川城でリハしないの?』

『昼の事があるから、献堂の僧侶さん達が洗浄中です。谷川城は神社系だけど、だからこその見落としもありますから』
今、聞こえているのは、憶えがある。
確か昨年の学園祭で三番人気だった感染系デス弦楽ユニット”ペスター”の定番曲”黒死無双”だ。
あさおきたら むらがぜんめつ おれだけいきてて ソロハブり
どいつもこいつも リビングデッド おれだけねぶそく またハブりー

「ガッコのせんせは言いました 馬鹿は死ななきゃ治らねえ
だから 今日から 俺の戦いここにスタート
ずっと馬鹿でいる もっと馬鹿でいる 俺
不本意だけど 一人で生きている 俺」
口ずさむ通りに詞が聞こえてくる。最近増えてきた、物語を唄う歌詞だ。
主人公はこれから村の人々を全滅させた病気を治療する術を求めていくが、治療された 動死体 の村人達は、それによって単なる遺体となり、本当の死を安らかに迎えていくのだ。
どいつもこいつも頭がいい 墓穴掘りは 俺任せ
どいつもこいつもよく寝とけ 今まで起きてて 有り難う
心配させたよな もう大丈夫だ 俺
死にたいなんて もう言わねえよ 俺――
実際、中世の時代、欧州ではこのような事があったと言う。
体験や記録、そう言った実体験ベースの歌や舞は、出来が違うと自分は思う。

『夜リハとはいえ、歌や舞の場では地脈が活性化したり、歪んだりもしますから、結局私が整調役です。
まあ、正式舞台と違って、大型木箱上ですから、あまり気を遣わなくていいんですけどね。喜美も後でこっち来ます? 番屋の門限は、私のアシストと言う事で通しておきますから。ミトも呼ぼうと思いますし』

『巫女が不良育成してどうする気? こっちはこっちで、母さんのトコで夕食だし、その後は家に戻るわ。何処に行ってるのか解らない愚弟も帰ってると思うし』
と、聞こえる音が変わった。響く強化鼓の四つ打ちは、

『……これ、先輩達の?』

『うん。やってますね。浅草の三番積荷広場です。来ます?』

『だから行かないって。宜しく言っておいてくれる? 生徒会長には地下の花壇の方で世話になったり、別でなられたりしてるし』

『鳥居さん、喜美のこと結構好きですからねー……。同じ大椿系列ですから、あれ、かなり喜んでると思いますよ』
そんな事ないわ、と言おうと思ったが、認めているように感じたのでやめておく。
すると、チューニングが終わったのか、声が聞こえてきた。

『――ほえー!』
鳥居の声だ。やたら響く。

『……フフ、チューニング終わったんじゃないの?』

『鳥居さんのする事を気にしてたら負けです。
四月の生徒会長就任挨拶の時も、何処に行ったんだと思ってたら警備で飛んでる”猛鷲”に縄引っかけて武蔵周辺振り回されてキャッキャ喜んでましたし。あれ、向こうも気付かなかったの恥とかで見逃されましたけど、一艦くらい撃沈されても文句言えないですよね。トーリ君超喜んでましたけど』

『…………』

『……トーリ君と女の話は鬼門です、か……』

『そういう訳じゃないけど。あれ以来、愚弟が真似したがって困るのよね』
聞こえてくる。鳥居の歌だ。確かタイトルは”決まり事”。通る声で響いてくる。
――夜に出よう 町に出よう いつもの事 変わりない事
皆が出来る事 私が出来る事 囲まれた空 囲まれた夜
広げた両腕は 囲いの檻に届かない
夜の中にさしのべても 翳りもしない
ただ歌があれば ただ踊るならば
夜はいつもの空気 また私を誘う
●
皮肉な歌ね、と喜美は思う。
この極東は各国の暫定支配下にある。
重奏統合争乱と呼ばれた戦いに敗れ、極東は各国の、それも教導院と呼ばれる学校施設による”教導下”に置かれたのだ。
支配とは、自分達が制限されて、逆らえないと言う事だが、

……その制限に触れる事なんて、まず、無いんだもの。
政治的な平等や、立場の対等を各国に求めなければ、極東は平和だ。
本来ならば政軍の長である生徒会長や総長は、極東では各国の顔色窺いとして”無能”が就任する事が内外の慣例となっており、今年度は鳥居がそれだ。
だからだろうか。
極東の長として鳥居は唄う。
夜に踊ろう 町に踊ろう いつもの事 変わりない事
誰でも出来る事 私も出来る事 空を見上げ 夜を見透かし
そして抱いた胸の中 囲いの外を望むなら
私の中にある心は 鼓動を超える
ただいつもの中で ただいつも通りに
夜はいつもの私 また背中を押して
聞こえる歌声に、自分は浅間との通神にふと呟いた。

『……末世の期限も来年に控えているのに、どのくらい”無能”なのかしら、この生徒会長は』
●
どうなんでしょう、と、喜美の疑問に浅間は思った。
今、自分がいるのは浅草艦上。
幾つもの貨物が甲板よりも高く積まれた、その上だ。
大型木箱がガイドレールに沿って積まれ、天面で密度濃い広場を作り上げている場所だった。
積荷広場という俗称がそのまま通じているここは、前から三つ目のデリックの後ろ。つまり第三広場だった。
自分はそこから、リハーサルの状況を見る。
敷き詰められた大型木箱の群は、必ずしも平たく積まれている訳ではない。が、一段高く積まれたものをステージに、それ以外を客席に見る構図で、練習が行われている。
大体、二百メートル四方の広場だ。
それより外は、大型木箱が積まれたり、抜けていたりもする。が、積まれたものの上では、祭事実行委員が音響機器や照明の点検を行っており、こちらに気付くと挨拶を寄越してきた。
委員の一人、よく巫女のバイトで顔を合わせる先輩が、大型木箱の縁から、

「あと五つくらいやるよー。今日はフルじゃないから、すぐ終わっちゃうけどー」

「すぐの方が、整調の管理も少なくて楽ですよー」
と、視界の先、リハーサルのステージ上に見知った影が降り立った。
空から、不意に、虚をつくように降りて来たのは、司会の紹介によれば、

『さあ次は二年生の新進ユニット”愛繕”! マルゴット・ナイトとマルガ・ナルゼの二人組。
輸送業の宣伝兼ねて空からここにやって来ました! 三曲一気に行きます!』
二年生にはMC与えてくれないんですかねー、と思うが、ナルゼ辺りに喋らせたらキツい発言連打でどうなる事かとも思う。

……あ、でも、最近はそう言うの好きな人も多いんでしたっけ。
ナイトがギターや術式のジロフォン、ナルゼがヴィオラ。足りない音は 魔女の術式で補填する。どちらかというと術式の打ち込みが分厚く、二人の楽器は声代わりの部分もある。
ナイトが口を開き、

『――朝 起きた時 隣に君がいない』
ナルゼが続いて唇を動かし、

『いるのは 腕の中 距離感 失せていて』

『今日 何しよう 仕事もあるけど』

『いつもの 日常で 義務感 失くしてる』
二人とも、高等部に入ってから輸送業を始め、今は同業者達のレースに出たりと賑やかにやっている。
ナルゼの方は趣味で同人誌も描いていて、その内容は神聖ローマ帝国M.H.R.R.出身者らしく”現実主義”なので、つまり実在人物が被害者だ。
舞台上の二人、あまり大きくない動きによる位置の入れ替えや楽器のスイングなど見ていると、三年生と自分達の経験差と思い切りの違いを感じる。
萎縮している、というと言い方が悪いが、どのくらいまで自分を出していいか解らない、というのが本当のところだろう。
自分とて、神社関係の仕事などで”周囲に気を遣っても仕方無い”という事を理解するのには時間が掛かった。

『凄い内容が見えたからリハ中に集音器でいうけど、何ソレ? ”破壊の神、降臨”ってこと?』

「モノローグにツッコまなくていいんですよ……!!」
ともあれまだ”自分の力”がどのレベルなのか。
どう扱えば良いのか、判断が付きづらい時期だ。
ミトツダイラが防御専念になっている事も含め、実力主義の世界ではあるが、自分の力を”正しく出す”という意味で制御出来ている人は少ない。

「そう言った人達が、生徒会役員や、総長連合の役職者になるんでしょうね……」
来年の今頃には、代も替わって自分達の世代となっている。
どうなるんでしょうか、と、気の早さを自覚しながら自分は思い、 表示枠を開いた。周辺の地脈を検索し、整調の介入を始める。

「あ、やっぱり西方向への流れが強い……」
昼の事件の影響だ。
●

……整調が要りますね!
ステルス防護壁があっても、地脈自体の流れには関係が無い。昼に非神刀が出現し、砕かれた際、多くの流体が散っているのだ。その流体はやがて地脈に戻って行くが、一時的な希薄分を埋めるために、地脈の活性化が始まる。
非神刀の災難はあったけれども、それによって西の空の地脈が活性化するならば、雅楽祭は成功するんじゃないかと、そんな事を自分は思う。
だが、武蔵内の流体燃料経路が影響を受けるのは確かな事だ。だから、活性化方向と、負荷の掛かる部分を示した地脈マップを作り、武蔵野艦橋へと送っておく。

「ハナミ、御願い」

『拍手――!』
音楽のリハが行われている間で良かった。積荷広場は貨物や木箱ばかりで地脈の影響を受けにくい。
音楽による影響部分だけを引き抜くには楽な場所だ。
リハが終わるまでには何とか済ませよう、と思った時だ。

「また会ったねオパーイちゃあん――!」
いきなりの声を重ねて、後ろから胸を揉まれた。
●
え? と、自分は一瞬反応出来なかった。このような事をするのは、

……トーリ君!?
否、今聞こえた声は違う。女性のものだ。聞き覚えもある。その正体は、

「生徒会長!?」

「おいーす」
振り向くと、背に竹竿型の集音器を背負った鳥居がいる。彼女の背後には、副会長の忠世も、副長の大須賀も、そして、

……ええと、あの槍持ちの女の人は――。
視線を向けると、集音器をつけた鉄槍を手にしたまま、金髪の女性が、頭を下げる。

「第一特務、渡辺・守綱です。浅間神社には、母が商店の仕入れで御世話になってます」