境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅠ

第八章『上の人達』

 乗艦してから、散歩でいろいろと確認中の豊は、血圧の上がる光景を見た。


「だ、誰ですか! 母さんのオパイを揉んでるのは! 母さんのオパイを揉んで良いのは父さんと喜美叔母様とホ母様とネ母様と鈴様だけですよ!」


「結構いるのですね」


「というか豊! 落ちつきますのよ――!」


 何か外弦側の方で観光客らしき集団が騒いでいるが、浅間としては気にしないこととした。


「ここで記録の補正とか、面倒ですからね!」


『通神で言いますけど、気にしない理由事態が補正対象になってませんの?』


 そんな気もしますね。

 ともあれ先輩格から自己紹介を受けたのだ。

 渡辺・守綱。

 ああ、と思い至るのは、青梅地下三階の商店の事だ。


「調理器具専門店の”なべ式”ですね?  賢鉱石仕込んだ調理器具をいつもどうも」


「いえいえ、御陰様で。成り立っております」


 と渡辺が下げた頭を上げ、自分は正面に総長連合と生徒会の四人を見る。

 会計、書記は産業委員長や渉外委員長が兼任。総長連合の他特務も、委員長や副長麾下の人員が兼ねるので、武蔵の現生徒会、総長連合の主力は、彼女達という事になる。

 四人とも小等部からの付き合いらしい。


 ……自分達と似てますね。


 と浅間は思った。


 鳥居達が集まる三年梅組は、自分達の二年梅組のように、殆どが小等部からの付き合いで集まっていると聞いた。

 学長である酒井辺りの手が入っているのだろうか。

 四人は今、それぞれの楽器を手にしたり、担っている。

 ふと、浅間は興味をもって聞いてみた。


「” 鑑 “ですよね? 生徒会長のバンド……」


 Jud. 、と頷いたのは大須賀だ。彼は大琵琶を担ぎ直し、


「この馬鹿が、自分家の神社の祭で奏でる雅楽が解らないから、適当に手伝えと言ってな。それが始まりだな。三年前か」


「四年と三ヶ月前です。スガ君」


「そうだったか渡辺。それだけやっていたか。 ……付き合いでやっていても、四年と三ヶ月もあればそこそこにはなるものだな」


 ハ、と笑ったのは、副会長の忠世だ。彼女は舞台用の鎧に小さく音をたてさせながら、


「スガが一番練習してるじゃないの。――この男はね?」


 と、忠世がこちらに視線を向けた。


「実は鳥居が苦手な恋歌の作詞をやってる」


「お前らが頼んでおいて笑うなら、二度とせんぞ」


 忠世が、まあまあ、と大須賀の背を叩き、視線を向けてきた。


「スガが歌詞作ってるって、笑える?」


「え? いえ、あの、タイトルが解りませんから――」


「”不釣り合い”とか”花曜日”とか」


 ……うわ結構好きな曲……!!


「え!? かなり好きな曲だよソレ……!」

 

「マジなのかしら……」


「軽い観光のつもりが、思わぬ処から衝撃の事実で御座りますな」


 外弦側にいつ観光客の集団が、こちらの陣容に気付いてか、何か指差して言っている。

 この人達、目立ちますからねー、と思うが、自分の方でも聞きたいことがあった。


「あ、あの、前から思ってたんですが、”鶏スタン”の最後、『そして世界は涙味』って、つまり”鶏は塩”だって事ですか? それとも深読みで”現実はタレ優勢”という事なんでしょうか」


「オパイちゃん、七味ってのもあると思うんだよねー」


「その手もありましたね」


 とりあえず表示枠にメモをする。


「塩だけじゃなくて七味も有り……」


 今度、神酒を消費する時に肴として憶えておこう。

 だが、こちらの反応を悟ったのか、忠世と鳥居が大須賀の背を叩く。

 特に鳥居は連打を入れて、


「おっしゃ行けるねスガ! 今後も任す! お前の乙女脳は本物だ……!」


「厄介事、全部こちらだな、お前ら」


「――だって恋歌とか恥ずかしいじゃなーい」


「だったら人に頼むな……!!」


 大須賀の声に、自分は、ふと、首を傾げる。


「副長は恥ずかしいんですか?」


 うんうん、と忠世がこちらに視線を向けた。


「君はさ、”好き”とか、”愛してる”とか、……感情込めて人前で空振り出来る?」


「え?」


 己は考えた。

 好きとか、愛してるとか、そういう事を歌詞にし、己で唄う事。

 祝詞であるならば言祝ぎの言葉はたくさんある。だから仕事では、それを使うことはよくある。

 だが、個人として考えると、


 ……大声で、そういう言葉をポンポン言う事だってある訳で。


 言霊を用いる巫女にとっては、感情や、意志を決定づける言葉は大事なものだ。

 それを量産したり、誰にともなく告げるのは”はしたない”事で、しかし、


「…………」


 想像すると、首から頬の辺りに熱が来た。

 夜でなければ、完全に赤面がバレているような熱だ。だが、意味が解らない。自分がそのような感情を今持っている訳でも無いだろうし。

 ただ、本来なら秘め事となる感情を、唄うとなったら、


 ……自分だけ晒さないといけないんですよね……。それも感情込めて、本気で。


 相手がいないのに、”好き”とか”愛してる”と、客席に向かって本気で言わねばならない。

 しかし、観客は、そういうものを晒していない。聞きに来て、見に来ているだけだ。

 こちらだけが、相手のいない感情を晒さねばならないのだ。

 それに慣れるには、割り切りが必要だろうし、何よりも経験が無い。

 だから、思わず黙ってしまったこちらの眼前。忠世が小さく笑って大須賀の腹を叩く。


「ほら、スガはどうなの?」


「天下に出すものに恥を感じている筈がなかろう」


 即答だった。


 ……本物ですね!


 と思うこちらの眼前、鳥居が大須賀の背後から右の親指を上げてくる。

 と、自分は鳥居の周囲に光を見た。流体光の欠片だ。これは、


 ……喜美と同じ、術式舞の際に纏うもの。


 鳥居は大椿系の巫女だ。芸能を主とする大椿系は三河に本拠があるため、武蔵内では浅間神社の管轄下に入っている。

 大椿系の巫女は浅間神社を経由して三河の本拠の力を得るのが基本だが、鳥居は浅間神社を経由せず、大椿本拠との直接契約を行っている。

 武蔵が三河から離れると力が弱まるが、直接契約の強みとして、術式の豊富さや、契約の手間と費用の軽減がある。

 そして、距離比例の弱体化について、鳥居は一つの手を取っていた。


 ……春に三河に着いた時、上位承認を行いましたよね。


 武蔵の総長と生徒会長は、暫定支配する他国との軋轢回避のため、無能である事が必須とされる。

 だが鳥居は、三年になって三河に着いた時、大椿神社で巫女としての上位資格をパスした。

 一種の抜けがけだ。

 自分も、来年に浅間神社の上位資格を得ようとしているが、神社の種別構わず、上位を獲得するのは至難だ。

 それをパスした鳥居は、上位の術式舞から生じた流体光を手で振って、


「これ貰うのも皆の力借りたねー」


「大椿の上位試験で、選択科目に実技二つも選ぶからだよ。御陰で総長連合と生徒会を一日完全に空ける事になった。三河じゃなかったらヤバいってね」


「あの、……聖連なんかから睨まれなかったんですか?」


 純粋な疑問として問うた先、忠世が手を左右に振る。


「鳥居のは、舞と音楽の術式ばかりだからね。

 何かあっても、舞と音楽が終わったら終わりになる。

 基本は祭や日常の盛り上げ用。

 永続的じゃないなら、却って武蔵内のガス抜きになると、そんな意味もあってね。それに――」


 それに、


「鳥居は襲名者だから、さ」


「え?」


 自分が疑問したのは、鳥居が襲名者だという事に対してではない。

 襲名者である事が、何故、聖連に対し、睨まれない理由となるか、だ。

 しかし、先輩達は答えない。

 ただ、忠世が鳥居の後ろから胸を揉み、


「馬鹿でエンタメ系しか能が無いのに、襲名扱いって。このけしからん胸のせいか」


「おおおおタダヨンもうちょい上上上、あああそこそこそこ」


「――あひぃん!」


 周囲の建物全ての窓の灯りが点いた。


「反応がいい……」


 と言ってる間に、大須賀が鳥居の頭をいい音で叩く。


「総長が変な声出すな……!!」


「……うん。通りすがったことにして頷くが、それは深く同意する……。不規則言動とかもやめろよな本当に……」


「Jud.、通りすがりのパンの配達屋ですが、極東一の奇声を出すホライゾンからしてみると、トーリ様の奇声はちょっとウケをとろうとしすぎですよね」


「通りすがりの観光客だけど、じゃあ”ウケをとろうとしない奇声”って……」


「通りすがりの配送業だけど、アサマチ大丈夫?」


「こ、このくらいだったらそのまま行きますんで……!」


 慣れとは強い。

 ともあれ大須賀のツッコミに頷く眼前、鳥居がビキニスタイルの胸布を直しながら笑う。


「いやー、身体正直者でさー。

 でもホント、よく試験通ったよねー……。実技の時にナベが一応”過去二百年分の受験生の合格率とポロリ確率の統計”とってくれて、確かにポロった方が三割アップだってあったけどねえ。ノリ良かったからやんなかったけどさ」


 うん、と鳥居が頷き、こちらの胸を指さす。


「来年上位受ける時、ポロると三割増しだから憶えといて! 約束! 約束ね!?」


「いや、私はサクヤ系なので……」


 喜美に言うといい情報だろうか。そんな事を思っていると、渡辺が手を軽く上げた。


「三人とも、そろそろ向こう、祭事本部の方に報告に」


 自分達の番で生じた音響や出力の情報を検討に行くのだ。

 右舷側、長机と検知機材の置かれたスペースでは、担当の学生達が早く来いと手を振っている。

 気付けば、舞台となっている大型木箱の前、リハを終えたナイトとナルゼが、舞台側の担当者から諸情報の表示枠を受け取ってもいる。

 リハーサルが進行していくのだ。

 じゃあ、と忠世が言い、大須賀も頷いた。そして渡辺を先頭に三人が行き、鳥居も続こうとして、


「あさまみこ」


 呼ばれた。振り向けば鳥居が、後ろ歩きにこちらを見ており、


「……言って気付いたけど、一字違いで偉い事になるね今の」


「やったあ! 通りすがりの観光客ですけど、私、浅間神社の子だから浅間神社の新サイト名を”あさま●こ”って伏せ字無しでやって叱られたとき、照れも狼狽えも無かったから私の勝ちですね!」


「通りすがりとして言いますけど、人間性の部分で完敗してますのよ?」


 ここは削除な気がする。

 そおして鳥居が言葉を直した。


「えーと、あさまん」


「何でヤバい方に近づいていくんですか?」


「えーと、総長命令」


 ……えーと、で言われる総長命令って……。


 どうしたものかと思っていると、鳥居が告げた。


「昼のアレでさ。一バンド抜けるんだって。安芸側で出られなくなったのが三つくらいあって、うちの方、イタ出身のがメインやってる”ROMるっすREMるっす”が、ああ、うん、MC長いよねアイツら。でもまあ、安芸側の穴埋めに行くんだって」


 だから、


「――昼、ケッコいい音させてたじゃん? だからちょっと、バンドで参加してみない?」


「……え?」


 言われている意味が、理解出来ていたが、把握出来なかった。だから、


「ちょ、ちょっと、それ、どういう……」


「Jud. 、あさまんくらいだったら、テキトーにメンバー見つかるんじゃない? 整調も出来るから、飛び込みでも全然調整利くし、万が一の時にも安全だしね。

 ――センター辺りに組むようにしとくからさ。もし出来るなら、前日までに紙出しといてオッケ?」


 じゃ、


「ケントーしといて、あさまんバンド。総長ちょっと聴いてみたいのねーいやケッコー」


 ミトツダイラは、眠る前の髪繕いをしつつ、今日あったことを思い出していた。

 戦闘。そして勝利。


 ……連携の見事さは、私の方の実力が上がっていると、そういうことでもありますわね。


 嬉しかったのは、あの後、皆が自分を武蔵の番外特務として扱ってくれたことだ。

 中等部時代、荒れていて、いろいろと迷惑を掛けたものだが、その名残は一切無かった。

 良かったですの、と思う一方で、少し引っかかる処もある。


 ……我が王は、どう思ってますかしら。


 当然といえば当然だが、今回の事件は安芸側のものだ。武蔵の方では、総長連合と雅楽祭の関係者ならばそれなりに知っているが、そうではなければ、概要的に知らされる程度となる。

 王からは今の処、何も無い。明日、教導院で会って、話があるだろうか。そもそも情報を耳に入れてなければどうしようもないが、その場合、自分から今日のことを言うべきだろうか。


「うーん……」


 どうしたものか。ただ、最近よく思い出すのは、昔のことだ。


 中等部の頃。

 朝の早い時間、教導院に呼び出されて行ってみたら、自分の王がそこにいて。


 ……私は王の騎士となったんですわ。


「”床の染み”として言いますけど、知ってますのソレ! 御母様と御父様の大事な話ですのね!」


 あらあら未来の私はお喋りですのね。


「ふふ、大事な過去は、印象が強いですわよね。あ、私も”床の染み”ですの」


 同意ですけどこの床の染み、デカ過ぎませんの?


「”床の染み”として疑問しますが、コレ、どういう”染み”なのです?」


「”床の染み”として回答しますと、”床の染み”が誰かに見えることから、その誰かの幻聴扱いとして”染み”の介入が許可されているのですね」


「いや、許可は……、あ、いえ、もう全て遅いのでいいです。はい。――あ、私も”染み”です」


「今夜は”染み”が騒がしいですわね……」


 ともあれ何となく思う。あの頃に比べて、自分はそれなりに騎士らしくなったと思うが、


「……今度は私が、朝の教導院に我が王を呼びつけて、騎士としての私はどうかと聞いてみるというのも、有りかもしれませんわね」


 無論それは、王を利用した”はしたない自己承認”だから、出来っこ無い。それに、


「……朝の告白とか、中等部の頃に読んだ小説みたいな話ですわね」


 苦笑を自覚していと、通神の呼び出しが不意に来た。

 それは浅間からのもので、声も浅間のものなのだが、


『ミ、ミミミっ、ミトっ、ミミミミトトトトトトトミ――トミ――ト』


 一回無言で切った。しばらくしたらまた表示枠が来たので、


『智? 智? ラップ調でお肉とは洒落てますのね? でも変ですわよ貴女? どうなさいましたの? やはり長年の蓄積で脳がヤレましたの?』


『やはりって何ですか! あの、ええと、あのですね!? いいですか!?』


 一体何だろうか。

 しかしこっちは寝る前だ。自分は人狼種族ゆえ、加護として身繕いがある。だからブラシの手を途中で止めてもいいのだが、


「あの、ちょっと、ブラシを先まで通させて下さいます?」


『ええ!? ちょ、ちょっと、ち、違うというか、その、ちが、ち、ち、バ、バンド』


「乳バンド……? 私に挑戦しますのね? 智……?」


『いや、――え!? あ、ちょ、ちがっ、ええと』


 浅間が息を吸い、こう言った。


『明日の朝、六時に校舎前の橋の下で、私の話を聞いて下さい!』


 言うなり通神が切れた。

 その断絶と、言われた内容に、自分は一瞬呆然とし、そして吟味し、こう思った。

 まさか、これは、今さっき自分が思っていた事だが、


 ……まさか告白!?


「ミトっつぁんの屋敷の古い壁の染みとして言うけど、無い無い、それは無い」


「同じく並んだ人型の染みとして言うけど、導入としてマッハ展開ありだから、今度使わせて貰うわね」


「壁の染みに独り言してしまいますけど、ちょっとフリーダムが過ぎませんの!?」


 ともあれ意味もなく、血の気が首筋から頬上にまで上がってきたのを自分は感じた。

 急ぎ、髪にブラシを通し、


「え? ちょ、ちょっと? もし?」


 自分以外に染みしかいない屋敷の中。

 誰にともなくあたふたと己は確認を取る。

 話しかける相手を捜し、


「ケルベロス……」


 三首の狼は、ベッド中央で伏せた大の字になって寝ている。


 ……あ、私、今日、床寝かソファ寝かもしれませんの……。


 敗北を悟りながら、己は辺りを見回した。

 だが、当然のように言葉を聞いてくれるような相手はいない。

 だから、口から漏れるのは、壁の染みに対して、


「……ど、どういう事ですの……? 何故、智が私に朝の学校で告白をしようと?」


「壁の染みの消えかかった部分として言うけど、そういう告白ジンクスって、うちの学校にあったっけ?」


「天井の染みとして言いますが、プールから勢いよく”デアッ!”と飛び出しながら告白すると一発OKとか」


「床の染みとして言うけど、効果は別として絵としては想像しやすいわね……」


「窓横の染みとして言うけど、スローモーション掛かってるわよね、ソレ」


「うちの屋敷、染みばかりになってる気がしますけど、ちょっと我が王とのいろいろを思ってた処だったので、脳がそっち方面に行ってますわねコレ」


「フフ、絨毯の染みとして言うけど、恥ずかしくてちょっと罪悪感ある話を考えていたときに、”そのもの”みたいなのが来たからハマっちゃったのね」


 そういうことだ。


「じゃあベッドの布団の染みとして言いますけど、以後、ミトの方はそういう思考にハマってるものとして扱いますね」


「ベッドの布団の染みは粗相みたいですから無しにして貰えます?」


 カーテンに染みが移動した。

 ほとんど怪奇現象だが、まあいいですの。この屋敷、来年には吹っ飛びますし。


 さて、と己は窓際に座って考えた。


 ……何故、智が、私に告白を?


 否、そうではない可能性もある。というか、そっちの方が強い。

 ゆえに落ちつきなさいネイト・ミトツダイラ。精査するのです。

 浅間がこちらに告白する可能性。


「床のデカイ染みですけど、一般的に考えて、それは、当然、恋愛とかもですけど、将来的な支えとか、いろいろですわよね」


「いきなり来ましたけど、――智は巫女で、神職ですのよ? 将来的な支えは浅間神社が保証してますわ」


「今晩は、ドアの染みです。

 ――あの、巫女は神に身も心も捧げるもので、基本的に禁欲の世界に生きています。

 何ですか皆、その目は。

 ええ。

 まあそれが基本ですが、応用的には知らんですね」


「でも、智は基本に忠実な性格ですものね。だから神職ゆえ、巫女は、結婚して身を相手に捧げる事で神専属ではなくなりますわ。そして、その力が制限されるのが普通ですのよね?」


「フフ、絨毯の染みとして言わせてもらえば、じゃあ神職としての力を失わないよう、女性同士で形なりの”結婚”して、精神的支えを得るという手もあるんじゃない?」


「壁染みとして言うけど、私、この頃にそういうの描いたわ……」


「そ、そう、ナルゼの本で読みましたわ!!」


「廊下の染みとして言うと、根拠としては最悪ですね!」


「ところがドア染みの調査によると、このときの”浅間様が射てる・パイロット版”は馬鹿売れだったそうなので、世論的には問題ない筈です! セーフ!」


 アウトでは、と思うが、染みが増えそうなので言わないでおきますの。

 しかしまあ、


「床染みですけど、――智母様の方の動機はありますのね!」


「ええと、ちょっと意見あるでありますけど、何処の染みになるのが有りであります?」


「廊下が空いてますから、列になって頂けます?」


「じゃあ廊下の染みとして言うのでありますが、一体、どうしてそんな事になったのであります? 動機はあるとして、浅間神社代表の好意の理由は?」


 思い当たる一件は、いろいろある。


「廊下の染みとしていうと、番外特務が騎士らしいムーブすると、この時期からケッコー女子衆の間で人気あってファンもいたんですよね」


「ファ!? 知りませんわよそんなの!」


「壁染みとして言うけど、目に入ってないだけ、だけ」


「壁染みとして追加でいうけど、自分がそういう存在であるって、自己評価低いから、思いもしてないものねえ」


「フフ、絨緞染みとして言うと、うちの愚弟にスイッチ入れて貰わないと、上がらない自己評価だものねえ」


「誰か! 誰か強力な染み抜き洗剤を!!」


「とはいえ廊下の染みの見解ですと、直近だと昼の戦闘ですかね。あれでいいところ見せてしまったんじゃないでしょうか」


 あー、と己は言葉を作った。


「非神刀の脚を砕いたのは、いつも防御役の自分的には快挙ですわよね」


「そうね。壁染みの見解としては、よく考えたら浅間は弓矢で、矢は男性の暗喩。盾は女性の暗喩だとすれば……、ああ、いや、アンタの場合、胸は盾になるの?」


「疑問は却下でいいですわね?」


 しかし、こういう場合、どうすればいいのだろうか。

 告白に対し、とれる戦術を考えねばならないが、自分の方ではあまりにも経験値が低い。だから経験者を思い浮かべ、


 ……清々しいくらいいませんわね……。


 こういうとき、絨緞の染みは危険だ。

 廊下の染みの内、手前の方も経験者だったらそれはそれで怖い。

 ここにいない商人の染みはそんなの一気に通り越して銭の下僕だし、同じように機関部の染みは相談してもかわされる気がする。


『コルアアアア! 通神でツッコむけど勝手に染みにするな!』


『紙幣の染みだったらどうですの?』


『ありだね!!』


『……マーうちはフツーに壁の汚れとかあるからなあ……』


 何かすみませんの。 

 後はまあ、有翼っぽい壁染み二つはパックでゴールインだから、これもまた違う気がする。だとすると、残りは、


「ハイ! ハイ、ネイト! こっち! こっちですのよ?」


「一番危険ですわ――!!」


 母はマズい。あれはいけない。

 昔語りに父とのなれそめをよく聞いたものだが、今思い出してみると、あれはどう考えても「捕食・合体・融合・賢者」の連続だ。試しに数えたら二十日以上も戦闘していたようだが、校舎前の橋の下でそれは駄目だろう。ナルゼが喜ぶ。ならば、


「壁の染みの消えかかった部分……」


「私かよ」


 相談相手として、今年から編入してきた男装の彼女はどうですの、と、己はそう考えて、


「……彼女、携帯社務すら持ってませんでしたわねー」


 学費を己で払う生活をしているため、表示枠サービスすら受けていない筈だ。だとすると、後、残るのは、


「……我が王?」


 と、表示枠を開き、己は呼び出しを掛ける。だが、


『……あれ!? ネイト!? あ、ちょっと待て、今スプーン落とすから!』


 何してますの!? と思った自分は、声を作る前の咳払いをしつつ、ふと、相手の位置情報を見た。それは、


 ……青雷亭?


「ンンン!? いきなりの父さんは不意打ちですね!」


「あら? 御父様、この頃は青雷亭に行ってましたの?」


「フフ、じゃあ狼はこれから家の染み抜きに忙しいだろうから、ここからはちょっと私が変わってみるわね?

 じゃあ現場の私にズームイン……!」


 喜美は、その光景を見ていた。

 白く薄暗い空の下。

 自分の視線の先、十数メートルの向こうに、軽食屋兼パン屋の灯りがある。

 青雷亭。BLUETHUNDER。

 今、そのドアを開けて、一人の少年が出てくる。


 ……愚弟?


 自分の弟だ。

 青雷亭は、母が切り盛りしている店なので、彼がそこから出てくる事に問題はない。

 無論それは、彼が、この九年近く、そこに行かなかった、という前提を無視しての事だが。


 ……最近、確かに来るようになってるとは聞いたけど……。


 実際として目の当たりにすると、興味がわく。


 ……どういう事かしらね……?


 弟が、九年間、ある理由で立ち寄りもしなかった店に、いきなり来るようになった。それも、見たところ、夕食となるパンを袋に詰めて持ち帰りで、だ。

 彼は、こちらに気付かず、顔横に広げた表示枠に何か言いつつ、去っていく。行き先は左舷側、武蔵野に至る方だ。

 帰るらしい。

 だが、己は足を止めていた。

 自分の身は、往来の右側にいるが、建物の陰ではなくて良かったと思う。そして、弟が、表示枠に気を取られていて良かったと思う。

 隠れもせず、眼中に無いものとされたのでもないのだから。

 ただ、自分は動いた。ここから見える青雷亭の店内を見た。そこに、弟が、九年の間を空けてここに来た理由があるのではないかと思い、


「フ、いい女のする事じゃないわね。コスいわよ葵・喜美」


 二歩で息を整えると、己は青雷亭の扉をくぐりに行った。真っ正面から、


「母さん、――夕食」


「ヘイラッシャイ!!」


 店内に入った瞬間。いきなりの声に、こちらは動きを止めていた。

 真っ正面から行ったら、真っ正面からカウンターされた感だ。そして、


「あれ? トーリの次は喜美? 何一体、今夜は」


 それはこっちが聞きたい感だ。しかし、さっきから注文票を手にして小刻みに身を上下している自動人形が目の前に居るが、


「母さん、この子、何?」


「Jud.! タダ働きの代わりに住居と食事の世話になってる自動人形ホラ……、P-01sです!」


 そう言って、自動人形がこちらに視線を向けた。


「危ない処でした。もう少しで浅間様に迷惑を」


「うん。今、充分迷惑掛けてる気もするけど、つまり新しいバイト?」


「Jud! しかしナンタラ様、店主様との関係は?」


「ええ。店主様の娘だけど?」


 その言葉に、P-01sが半歩引いた。


「ナンタラ様! これは失敬を!」


「失敬だと思うなら喜美って名前を覚えて貰えるかしら?」


「Jud.! 憶えましたナンタラ様!」


「ホントに憶えたの?」


「Jud.! 明日の営業時間から採用させて頂きます! その時に忘れていたらまた御願いします!」


 三回くらいやれば憶えるかしら、と、そんなことを思う。一方でP-01sはこちらに軽く頭を下げ、


「しかしナンタラ様、先程は失礼を。店内に入ってきたとき、情報不足から”ヘイラッシャイ!”などと失礼な対応を致しました。可能であればやり直しをさせて頂ければと」


「フフ、殊勝な話ね。じゃあどうするの?」


「Jud.! ではナンタラ様が、店に入ってきた処からのやり直しで御願いします! あ、いえ、実際に出入りしなくていいので、そういうロールプレイで」


 成程、と思ったこちらは、ドアを開ける振りをした。


「ハイ、ドア開けてー、入ったわ。さあどうするの?」


 問うと、P-01sが即座に叫んだ。


「ヘイラッシャイ!!」


「母さん! 母さん! 私、この子気に入ったわ! 永続的に雇っておいて貰えると青雷亭のいい刺激になると思うんだけど、どうかしら!」


「Jud.! 永続的に住居と食事の世話を御願いします!」


「全体的に何言ってるか解んねえ……」


「しかし本当に永続的に住居と食事の確保が出来ましたよね……」


「Jud.! 浅間様とミトツダイラ様を引き込むことによって食事の多様性と安全も確保出来るという素晴らしい充実振りです」


「まあ、そういう意味ではこっちも同じように充実しているので、持ちつ持たれつですわねー……」


「え、ええと、じゃあちょっと、ここから先、私ね」

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