境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅠ
第十一章『渡し影の跳ね上がりども』
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白い空がある。
縦長の、繭のような、しかし広大な空だ。
空の中央には、左右三艦、中央二艦の八艦からなる航空艦が浮かんでいる。”武蔵”という総艦名を艦首側に刻印した艦群だ。
巨大な白と黒の船。その下方では、

「マルゴット! 後ろを御願い! これで今日の分の最後だから、試しの連携で行くわ!」
白い巨大な羽根箒にまたがった黒の翼が、右舷二番艦の下を三番艦の方に向かって行く。
武蔵の女子学生服を着た黒髪の少女だ。
羽根箒の後部に展開した魔術陣のナンバープレートに示されているのは、”マルガ・ナルゼ”という彼女の名前と、武蔵アリアダスト教導院二年である事、武蔵内航空配送業者組合に所属する魔女である事、そして『現状:訓練中:周囲警戒報告』。
空上での、戦闘訓練中なのだ。
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ナルゼは、後続のマルゴットを引き離すように前に出た。
風を切り、眼下に白のステルス障壁を、頭上に並ぶ艦底を見上げる彼女は、

「……見据えた!」
前方の空中。
右舷二番艦・多摩の艦底に沿うように、高速で飛翔していく姿がある。
白を主体とした甲殻は半竜のものだ。
両腕を前に突きだし、脚部を外に九十度回した飛行形態。腕部の主加速器で行くのは、

「自主訓練だってのに、毎回手を抜かないのは流石だわウルキアガ……!」
自分は右手を前に、トンボ枠型の魔術陣を描いた。
その中央に、先行する半竜の姿を素描し、効果線も付けてみる。だが、

……振り向いていない?
描いた図像の中、ウルキアガがこちらに顔を向ける素振りはない。それは、自分の接近に気付かれていないと言う事に見える一方で、

「どうかしら」
半竜の視界は広い。
眼球部分が眼窩を動く事で、航空機動中に首を回さずに後ろを確認出来るからだ。
だから、後ろや、側部方向から近づくのは危険だと自分は判断する。
何しろ、航空機動の早朝自主訓練は、初めてではないのだ。
今回で八度目。
ウルキアガは異端審問官としての戦闘技能訓練として、自分達は、配送業者内での序列を決めるレースや模擬戦用の訓練として、だ。
相手は航空系半竜。
人間サイズの存在として、単体の航空機動能力と物理的戦闘能力で、これ以上の種族を探すのは難しい。レア種族という事もあり、それと訓練を出来るのは僥倖だ。

……不思議なものね。
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己は思い出す。
中等部の時、ウルキアガと自分達は、お互い、明確な接点を持っていなかった、と。
無論、皆が言う冗談や意見の交換に混じり、肩を並べる事はあった。
でも、向き合うかどうかは別だ。
それが去年、不意にこちらに話を向けてきた。

「魔女として、拙僧の戦闘技訓練に付き合う気はないか」
どういう風の吹き回しかと思ったが、中等部時代、否、それ以前から、この半竜が自己鍛錬を重ねていたのを自分は知っている。
小等部の時、ウルキアガは、毎朝、各艦をランニングしていた。
中等部の時の彼は各艦の行き来と、基本的な航空機動をシングルで行っていた。

「観光船で観戦しつつ言うけど、そんな真面目なのが、何処のタイミングでああなったのかしら……」

「気質と性癖は別だよ! 別!」
名言だわマルゴット。
ともあれ当時の自分達も、配送業を営むための訓練や教習を行っていた。
だから、半竜が幾度か輸送業組合や番屋からの注意を受けていたのを見ている。
武蔵の各艦の上空や、艦間や艦外の行き来には免許が必要で、十二歳で得られるそれを、当時のウルキアガは持っていなかったからだ。
武蔵領内の航空移動の御免状。
その免許を得た後。
二年間の優良免状者と、通算飛行時間千百時間という証明をもって、限定解除試験が受けられる。
試験会場であった浅草には、自分達やウルキアガ、他の試験希望者がいるかと思えば、

……馬鹿共も大挙で来ていて。
浅間が大量の重箱を皆と運んでいたのや、その運搬の多くを、当時また合流したミトツダイラが担当していたのは、今でもよく憶えている。
そして、合格発表前の昼食時、不慣れな極東の食事を美味いかもと思いつつ、

……あの馬鹿達が、一体、誰を応援しに来たのか、聞く気は起きなかったけどね。
しかし、と自分は加速を羽根箒に指示しながら言葉を作る。

「お互い、あんな事されちゃあ、中途半端に飛べないってものよ」
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「ウヒョー! 何か格好良い空戦やってる!」
多摩のデッキウイング。外交港から観光用に定時で出る観光船の上。脇坂は朝食の握り飯を頂きながら、それを見ていた。

「さっきの続きね。――一応、私の立場だけど、伊達家は三征葡萄牙まで船を出す歴史再現が有るから、その下見として武蔵を港代わりに貿易していた、ということで」

「そうであるならば私も便乗しようかのう。伊達家の保護者枠で、義姫から頼まれたと、そういうことにしておこうかえ」
お忍びらしい伊達家副長が、これもお忍びらしい最上総長を横目で見ているが、現状無名に近い襲名者は何も言わないこととする。

「まあ! でしたら、地元が直近なので私もお忍びで来てしまいましたのよ?」

「そのデカさでお忍びは無理が……」

「…………」

「……野暮は無しね」

「ええ。それが粋というものですわ」

「これ、ネイ子と会ったらどうなんの?」

「母さんの補正力で、どっちかそのシーンから消して貰えば大丈夫ですよ!」
○

「大丈夫ですよ」

「大丈夫ですよ」

「大丈夫です! そうですね浅間様!」

「ええオッケーです! どんどん来て大丈夫ですよ!」

「……智? 雑な対応は避けるべきですのよ?」

「というか補正権限あるってことは、御褒美として自分に都合良く改変も出来るんだけど、浅間、そこらへん気付いてる?」

「…………」

「……まさかそんな」

「その顔! 顔!」

「……ともあれ第四特務から当時の戦闘記録も貰ったから、私の方でそれを少し再現してみるわ」
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成実は、観光船を下から一気にパスした黒の翼を見た。
黒魔女だろうか。否、後ろから来てる金髪の方が黒? じゃあ手前が黒で白?

「私が言うのも何だけど、ママ達、解りにくいわよね……」
頷いている間に、黒い白魔女が、前方、上を行く半竜に飛翔した。

「おおう。まっすぐ狙いに行くけど、大丈夫なのかな? 半竜の視覚って広いんだよね?」

「――いえ、死角はあるわ」

「……えっ?」

「…………」

「…………」

「何かしら」

「”終わり”って顔してないで、もうちょっと解説するとええぞえ」
ああ成程。面倒なことだが、説明は可能なので、することとする。

「高速で移動する半竜の姿勢は、俯せになって、顔を正面に向けた形。
空や地上にいる獲物を見つけて攻撃するため、水平から地上側まで確認が出来るよう、眼球のクリアランスがとれているわ。
後部側にも、それは同様」
だが、

「いかな半竜といえど、自分の身体を見通す事は出来ないの。
飛翔時の姿勢は、視覚に対して肩から胴体までが邪魔になり、胸下から下腹の方向が見通せないわ」

「それは、半竜に弱点があるってこと?」

「違うわね」
己は告げた。

「このあたり、空戦してる当人達は解ってると思うけど、どのような話になったのかしら」
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ナルゼは、ウルキアガに、一度、死角への対応を聞いた事がある。

「アンタ飛んでる時の腹がガラ空きなんだけど、飛んで追ってくる相手は無視出来ても、対空砲とかの撃ってくる高速飛翔体はヤバいんじゃない?」

「そういう時は対空砲火に飛び込まず、手前で地上に降りて対空設備を元気に蹂躙すればよかろ。
対空砲火の列に飛び込むなど、戦術的に間違っているからな」

「だけどそれ、誰でも出来るネタじゃないっしょ」

「貴様達だって出来るだろう?」

「あのね、対空砲設備のある場所なんて、地上側の防護も堅いわよ。そんなとこに平気で行けるなんて、甲殻で頑丈な種族の特権だわ」

「格好いいと思ったら素直に褒めてもいいのだぞ?」
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「格好付けすぎよ……」

「回想シーンにツッコミ入れておらんかえ?」

「…………」

「……浅間神社に御布施しておくわね。仕事中の浅間神社代表に何か飲み物を」
ライ麦焼酎を供出しておくことにする。

「度数高いけど味はないから御容赦」

『お気遣い有り難う御座います! 有り難う御座います! うちの主神は鉄火場だから焼酎オッケーです! 度数はそのまま燃料ですね!』

「パワーワードしかねえよ……」
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ナルゼとしては、ウルキアガの言葉に疑問を持ったものだ。
半竜という種族は戦闘好きだ。正直、そこでは相容れない。というか、

「戦術とか、何よ? アンタ審問官志望でしょ?」

「Jud.、二年で審問官の見習い試験に合格しておけば、総長連合第二特務への道も開けてくる」

「……どういう事?」
そうだな、と半竜が頷いた。

「第二特務は総長連合の司法を司る。ならば、それを経歴して審問官となれば、将来の保証はなったようなものだ。
無論、貴様らが魔女とは言え、訓練につきあってくれた分の見逃しはしてやろう」
口調に、”嘘”と思える言い張りのようなものがあった。
言っている内容は事実ではあるが、本心や、本筋とは違うという、そんな言葉の流れだ。
だが、他者に関与するのは魔女の流儀ではない。だから、

「将来を見逃して貰うために”今”の勝ちを譲るつもりはないから、覚悟しておくのね」
今とは、今だ。
今日で八度目の勝負。
武蔵の下を一周する間に攻撃を交わし合い、その結果を話し合う。
それを、朝の五時から六時まで繰り返す。一周ごとに交互に先行し、中盤からはどちらかが逆周して遭遇戦の状況も作る。最近は朝の空の流れも見えてきたので、艦下だけではなく、艦間や艦上の空間も飛んで起伏が入る。
そしてこの勝負が、恐らく今回の最後。

……だったら、奥の手から何から出すべきね。
今、ウルキアガは高尾の下に到達しようとしている。
そのまま彼は、速度に逆らわぬ緩い右折を行い、奥多摩の下を抜けて、

「……否」
半竜が肩を引いている。急な上昇や下降をする際に身を固める動きだ。
それを見て、自分は口の端を軽く上げた。右手に、流体描写式のペンを構え、

「死角潰しとは、考えたものね……!」
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ウルキアガのとった死角潰しを、後続のナイトは確認した。その方法は、

……上昇!
半竜は、己の腕や胴体によって視界を阻まれ、飛翔時に下腹側が確認出来ない。
ならば、

「上昇用に身体を傾け、視界を振るってわけだね……!」
下腹側を確認出来ないなら、全身を反らせる事で、後ろを一気に確認するのだ。
方法は単純だが、高速での航空機動中となると話は違う。
何しろまだ、高尾の下を抜けていない。
今から上昇を掛けたら艦底に激突してしまう。
更には、一瞬だけの確認では牽制にもならない。
以後、こちらが死角に入らないよう、示威する動きが必要だ。
そしてウルキアガが動いた。

「――!」
彼のとった手段は、単純な上昇軌道を得る事では無かった。
まるで、波に乗りに行くように、身体を反らせ、しかし即座の上昇はせず、

「出力調整して、斜めに反ったまま、前に行くって……!?」
コブラ機動だ。
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……やるねえ!
新技だ。
上昇姿勢でありながら、上に行かぬよう、落ちぬよう、高速度からの惰性と出力調整を用いて前に飛んでいく。
今、半竜の視界は後方を大きくカバーして、

「……!」
視線が合った。お互いに目など見えはしない距離だが、それは確信出来た。
だから自分は術式を展開した。傾く事で大きく見えたウルキアガの背と主翼に向かって、

「Herrlich……!!」
用いた術は加速術の二連。長距離狙撃用として開発中の加速術式だ。
速度で放つのは模擬専用の一円硬貨一枚。
風が鳴り、弾丸が、

「軽いから射程短いけど、このくらいなら行けるよね……!」
叩き込んだ。
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先行するウルキアガは、敵の厄介を悟った。

……このタイミングで射撃か!!
今までの勝負で用いられた射撃術とは違う。
倍近い遠距離からの、しかも精密射撃。
魔女の狙撃だ。
どのようなシステムかは解る。
これまでのナイトは、射撃用の加速術として魔術陣を一枚しか使用していなかった。
箒のブラシ側、自分の手元ともいえる位置に一枚を出し、そこに硬貨を投じる事で射撃していた。
だが、今回は射撃加速用の魔術陣が二枚だ。
箒のブラシ側と、先端側に一枚ずつ。それは、

「考えおったな」
貨幣弾を、手元の一枚でまず加速。更に先端側のもう一枚で再加速する。
そうやって初速を上げることで長射程射撃が行えるし、弾道も安定する。
術の展開と制御に手間が掛かるため、本来は地上で狙撃をするためのものだろう。
航空戦で用いる事が出来るかどうか、試験として突っ込んできたならば、

「……囮か!!」
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ウルキアガは確信した。
ナイトは囮だ、と。
今までに無い長射程の狙撃術。
それを見世物としてこちらの視界を引きつけさせるのだと。
半竜の視界は広いが、それは眼球の移動範囲によるものだ。眼球が獲物を捉え、固定されれば、視界は多くを得られず、狭くなる。
だから、ナイトはそれを狙ってきた。
囮だ。
加速術式二枚の狙撃術とは言え、ここは地上ではない。風は強く、更には、

「――海があるのだ!!」
頭上、高尾の艦底は、薄いながらも仮想海を纏っている。
それは武蔵の巨体に浮力を与えるため、常に下から上方向への発生をしている。
そうやって生まれる海は、大気の流れを浴び、または起こし、不確定な緩い気流を作る。だから、

「……!」
ナイトの放った弾道が揺らぎ、逸れた。
模擬専用の軽い一円硬貨という事もあろう。
十円であるならば、こちらに届いたはずだ。
しかし今は模擬戦上のルールで動いている。
届かなければ、意味は無い。ナイトが意味を作るとしたならば、囮として、

「そこだ……!!」
こちらの死角に入り続けているであろうもう一人。
ナルゼに向かって、ウルキアガは右目の視界を振った。
下方、こちらの下へと強引に飛び込んでくる姿がある。それは、

「来たかナルゼ……!」
眼下百メートル。
強引な速度で、自分の姿勢制御に合わせて死角を追ってくるのは、黒い翼だった。彼女は降下軌道を取りながら、頭上に、こちらに向けて右手を振り上げていた。
そこにあるのは、流体式のペンと、

……誘導式の射撃術!
来た。
手描きに近い弧を描いて、白の弾丸が二発、こちらへと飛翔してきたのだ。