境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅠ

第十三章『渡り処の隠れ者達』


 白の全周がある。

 航空艦、武蔵の朝だ。ステルス防護障壁に全域を囲まれた艦の周囲は、空だけでなく、下方も全て白い。外光は、障壁の全域に一方透過性を与えられているため、武蔵の周囲全体が白く発光しているようにも見える。

 空が見えているよりも武蔵は明るく照らされ、しかし、


「朝の光の淡さは、じれったさを感じますわね」


 という声は、影の中にいた。

 武蔵の中央後艦・奥多摩の後部に、前後二棟式の教導院がある。武蔵アリアダスト教導院の門札を持つそこは、入口から陸橋で校庭を渡り、二階の正面口に入る造りだ。

 早朝、まだ体育会系部員の練習すら始まっていない時間。

 校舎の時計を橋の下、影の中から見るのは、ミトツダイラだった。


 ……流石に五時半到着は、やり過ぎですの……。


 肩の上に乗せている小型のケルベロスも、時折に三首をがくりと落として眠気を表現している。

 その姿にふと笑みのようなものを得もするが、いずれ別れが来ると、そう思ってしまうのは、


「失い者の悪い癖、といったところでしょうか……」


 思い、しかし自分は校舎の時計を見た。

 午前五時五十五分。

 何となく得した気分になるのがどうしようもないが、そろそろ警戒をしなければなるまい。何故ならば、


「智が、……まさか、告白を……?」


 橋下や木の下は、学生の告白決行場としてメジャーだと本で読んだ。

 時間としては早朝がポイント。

 卒業シーズンならば数が増えるとも聞くが、逃げ場のない武蔵上では事情が違うとも聞いた事がある。

 しかし、そんな場所に来てくれと、何故、智が言いだしたのか。


 ……告白だとしたら――。


 誰に?


「――私に」


 何故?


「それは――」


 解らない。

 自分の一体何が、彼女にとってのアピールポイントであったのだろうか。

 昨夜も考えた通り、浅間は、神に仕える巫女の身として、女性同士の結婚を行い、領主である自分を頼って人生設計をしようとしているのか。


 ……ですけど、智の家の浅間神社の方が、実収入としては多いですわよねー。


 武蔵の神道や契約関係、流体管理をまとめ、通神関係や神道系の符や術具なども仕切っているのだ。 

 武蔵上における大企業よりも経済力があるのは確かだろう。ならば、


「まさか、わ、私のカラダが……」


 頬を赤くして呟いてしまうが、これは可能性としてはあり得るかもしれない。

 何しろ智は背も高くて胸も擬音で言うとゴゴゴとかドドドというような系であって、尻もまた椅子に座ってる時の残りスペース具合から想定するに擬音系で、あらあら私、今、何で俯いて橋の柱に拳を叩き込んでますの。


「じ、自分との比較はやめましょう……! アデーレ達のためにも!」


「そ、早朝のランニング中ですが、何か今、自分を巻きこみませんでしたか!?」


 幻覚が早朝のランニングをしているが、気にしないこととしますの。


 ともあれ富める者は貧しい者に何とやらの発想で、浅間はこちらに引かれて来たという事か。


 ……で、でも一応、うちは母がド派手な擬音系ですから。


 あれは反則だ。

 昔はあれが平均だと思っていたが、武蔵に来て毎年の身体測定をやっていてこう思った。


 ……私が平均というのは有りですの?


 無い無い、と皆が応じる幻聴が聞こえたので、己は柱を殴った。


「――ともあれ」


 自分は母があれだ。

 将来的には見込みがある。

 その筈だ。

 多分。

 父親似だったらどうしますのとか言わない。


「父親に似て貧乳! 素晴らしい見地ですなミトツダイラ様! あ、今は食堂にパンの配達中ですが幻覚なのですぐ消えます!」


 そう言って走って行く姿が消えていく。


「徹底してますわねー」


 しかし、どうしたものか。

 智の頭がおかしいのは昔から薄々解っていたが、やはり武蔵生え抜きだけあって真性だ。

 こちらの人生設計にまで踏み込まれてくるのは想定外だが、災害だと思えば解りやすい。

 ですが、と自分は思う。

 女性同士の結婚というのはいろいろ難度が高いものだが、自分は水戸松平の光圀公の暫定襲名者だ。

 襲名先としては男だから、歴史再現として女性との結婚は有りとも言える。

 と、視界の隅、教導院の時計が六時十分前を指した。


「あれ? 時間、戻ってません?」


 そういえばそうでしたわね。


『えー、武蔵が、朝、六時十分をお知らせします』


 とってつけたようなナイスフォローですわ。

 ともあれ、


「そろそろですわね……」


 と、己は身構えた。


 もうすぐ浅間が襲来する。

 こちらとしては正面から身構え、正しく相対しなければならない。

 だから自分は、橋下の陰から出て、艦首側に身を向けた。


「さて」


 頭の上のケルベロスと共に身構えた。

 肌と髪に感じるのは朝の風。

 ステルス防護障壁の中を回る、整調によって汚れを失った風に己は触れる。

 いい風ですわね、と思うが、


「く……、ん?」


 風に、人々の朝の生活の匂いが含まれ始めている。

 ここ、中央後艦の奥多摩は学生が多く、左右の高尾と青梅は極東人が多い。だから、


 ……これは――。


 焼き魚や炊かれた米の蒸気、味噌汁の塩気を含んだ菜物や大根の匂いが、艦尾側の学校へと流されてきて、


 ……く。


 思わぬ攻撃であった。


 朝食を、摂って来なかったのが災いした。

 口の中、下顎の縁辺りから粘度ある湿りが溢れ、一瞬、身が風にプレッシャーを感じて揺れた。

 一方、頭上のケルベロスは匂いが気になるようで、鼻を鳴らしながら前に前に身を伸ばし、結果として、


「あ、と……」


 頭上のケルベロスを落とさないように、自分は両腕を左右に伸ばし、己のバランスをとる。前に一歩、後ろに二歩とステップし、何とか堪えた。

 その時だった。いきなり背後から、


「ミト! 大丈夫ですか!!」


 浅間に肩を叩かれ、自分は気分的に死にかけた。


 浅間は、ミトツダイラが文字通りに跳び上がるのを見た。


 ……おお。


 頭上のケルベロスを落とさないよう、頭の高さはさほど変えず、尻を跳ね上げる動きだ。

 結構アドリブ上手いですよね、などと思うが、やや心配な向きもある。

 何しろ、先程から見ていたところ、ミトツダイラは橋の下でうろうろしたり、時に柱を殴りつけたりで少々おかしい。

 否、以前からミトツダイラにはおかしなところがあると思っていたが、つまりは真性だ。

 何しろ、普通の人間は自分の胸を不意に揉んで柱を殴った後でクンクンして千鳥足にならない。

 これはおかしい。

 うん、理論的です。

 今、滞空時間の長い跳び上がりから着地したミトツダイラがこちらに振り返る。

 彼女はボリュームのある髪を振って、真っ赤にした顔で、


「と、とととっと智!?」


「あ、はい。大丈夫ですか?」


「い、いえ、あの、その……!」


 やっぱりミト、おかしいですね、と己は内心で首を傾げた。

 いきなりここまで赤面されて狼狽えられるとは。

 何かおかしな現場でも、自分は見てしまったのだろうか。

 一体、先程のミトツダイラに、何があったのか。

 自分は、先程から見ていたミトツダイラの凶行について、思考を反芻する。


 ……物陰、半人狼、クンクンしてた、恥ずかしそうな狼狽え。


 そのキーワードから、自分は大体の事情を察した。


「ミト」


「な、何ですの!?」


 ええ、と己は辺りを見回した。

 誰もいないのを確認してから、袂よりハンカチを出してミトツダイラに渡す。

 そして彼女の両肩に手を乗せ、うん、と頷き、


「――大丈夫です。マーキングは、ワンコの生理現象ですからね。

 周囲に人の反応ありませんし、私は後ろ向いてますから続きをしちゃって下さい」


「何か私、変な子扱いですのよ――!」


「何か聞こえてきた変な声に興味本位で観光客は疑問するけど、例えば人狼系はマーキングとかするの?」


「流石に有りませんわよ? ええ。――うちの人にチョイとキツくしすぎた時は違う結果になりますけど」


「きーさーまーはーなあー?」


 ……あれ? 違うんでしょうか。ノットマーキング。


 うーん、と内心で首を傾げた浅間はミトツダイラを見る。

 至近。顔を真っ赤にして、身構えた彼女がいる。


 ……風邪? 熱、ありますよね絶対。


 己は、ふと、ミトツダイラの額に自分の額を当てた。


 ミトツダイラは、眼前に、擬音系のものを見た。


 ……な、何ですのコレ!


 デカい。

 目の前、自分より背が高い浅間が前屈みになって、こちらの額に己の額を当ててくる。その行為の意味はよく解らないが、両肩を押さえられた自分の視界には、極東女子冬服の理不尽な立体が存在した。

 片方分だけで、顔ほど、とまではいかないが、目幅くらいはある。


「――あ、リアルの方で話止めて申し訳ないけど、それ、本当なのかしら? 目幅って」


 喜明は、ネイメアの母の記述を見てから、豊の母を見た。


「えーと……?」


「いや、目幅もあったら相当な……」


「普通、そんなありませんわよねえ」


「自分を棚に上げて言うが、貴様今夜ノリノリ過ぎるぞえ?」


 凄くそんな気がする。

 と、そのタイミングで、総長の姉が手招きするので膝で寄って行く。すると、


「フフ、ちょっと顔貸しなさい」


 直後。いつの間にか、という手捌きで顎を指で摘ままれ、左を向かされた。


「……お」


 と向いた先、そこにあるのは、豊の母の理不尽な立体だ。

 間近であった。

 皆の視線の中、自分は、両の手を立てて立体の幅を計り、その上でネイメアの母に視線を向けた。


「虚偽だわ。間違ってる情報」


「大体何となく解りますけど、正確な情報はどのようなものですの?」


 Jud.、と己は応じた。


「片胸で、目幅の1.5倍はあるわ」


 向こうで従士先輩が床を殴りつける音が響いたけど気にしないこととするわね。


 片方分だけで、顔ほどどころではなく、目幅1.5倍くらいはある。

 そんなものを目の前にして、ミトツダイラはアデーレのように理不尽を感じた。


「いやいやいや! 拾わなくていいんですよ今のは!」


 また幻覚が走って行きましたの。

 しかし、


 ……こんなデカいと邪魔では!?


 戦闘時にて近接戦となれば、確実に足下や胴などを隠す遮蔽物だ。

 更にこれは、わずかに揺れるために遠近がとりづらい。しかし、


 ……悟りましたわ! これを不利と決めつけるのは素人ですのね!? ええ。実際は、ある方が、重量不備のリスクとは別で戦闘に有利ですの!


 胸が大きければ攻撃時のアンカーとして打撃力も増すのだ。


「”●”分けしてそんな強調することですかね……?」


「印象! 印象ですのよ!」


 ともあれ己は理解した。

 母が強かった理由も解る。

 重量物を制御する膂力があると言う事は、そもそも基礎的な力もあるという事。

 これは母に勝てない訳だ。

 仕方ない。

 巨乳にゃ勝てん。

 ええ、ふふ、仕方ありません、の……。


 ……って、な、何を私、心の中で泣いてますの。


 ともあれ謎は解けた。

 戦闘系としての自分の不利を感じる自分は、これからの訓練中は胸に重りのインゴットでもつけて行おうかと思い、


「――――」


 違いますわ! と己は内心で叫んだ。

 今は巨乳を愛でる時間帯ではない。

 浅間に告白をされる時間だ。

 しかし、どう考えても今は完全に相手に呑まれている。

 自分は防御系。受け側とはいえ、ここまで攻め込まれるとは心外だ。

 イニシアチブをとるために、距離を空けたい。だから己は反射的に、


「ちょ、ちょっと、智!」


 身を離して貰おうと、自分は浅間の身を突き放そうとした。

 両の手で、目の前の遮蔽物を左右下から押し返そうとして、


 ……え?


 思わず指が、埋まるように食い込んだ。


 ……ええええええ!?


 思わず、ある単語が浮かんだ。


 ……胸ロース!?


 ……あの、胸肉じゃ駄目なんですかね。


 ……それだと何となくササミを連想しそうで……。


 念話で話してる場合ではない。

 母の時もそういえばそうだった。 

 押し戻す張りと密度を感じるが、浅間の身はしかし押し戻せず、力を入れた分だけ遮蔽物が変形した。


 ……ショック吸収型のオパイアーマー……!


 とにかく浅間を向こうに押し返す事に専念しようと、そのまま手に力を入れた。

 すると浅間が、身を震わせ、


「ぁっ、ん」


 浅間の身が、反射的に、寄せた腿と腰を後ろに引いた。

 え? と思うまでもなく、浅間の顎がこちらの額に乗った。

 軽く反った彼女の身体はつまり押し返しにくい前傾バランスになったが、その一方で客観的に見て乳揉んでる自分はどうすべきか。

 というかひょっとして、私、オパイソムリエの道を開いてしまいましたの? と自分は思うが、己の当初の目的は、


 ……と、智の告白を断るつもりではありませんでしたの!?


 どう考えても、今、時代は逆に向かっている。

 更には浅間が仰け反り、結論を言うと落ちるオパイを自分が両手で支えている状態だ。


 ……ああ、太古の天地図で、母なる大地の重量を下から神々が支えているというのがありましたが、つまりはこういう事かもしれませんわねー……。


 だが、どうしたものか。

 この状態から浅間に告白されて、断るのは、状況的に不可能ではないだろうか。

 恐らく浅間にとって、人生有数の深揉み状態だ。

 自分だってこんなのそうそう無い。

 専門用語で言うと「お手つき!」というやつだ。しかも、


「ミ、ミト、手、動かさないで下さい……、っ」


 ……動かしてませんわよー!


 浅間が自ら身を動かすので、不動のこちらの手の中で向こうが変形しているに過ぎない。

 恐らく、浅間もこちらから離れようとしているのだろう。

 だが、身を引こうとして腰を揺らしても、バランスが前に来すぎているためにそれが叶わず、結果として、今、浅間の脳内では、


 ……わ、私が率先して揉んでる事になってますのねー!?


 これで告白を断ったら、浅間にとっては揉まれ損だ。

 浅間神社名義で慰謝料請求くらいは覚悟しなければならないかもしれない。しかし、


「は」


 と浅間が、熱のある息を吐いた瞬間だった。


「あら、一勝負終えて来てみたら、朝から何してんのアンタ達」


 と、右手側に、空から黒い翼が降りてきた。


 浅間の視界の中、ナルゼが、校庭に着地する。

 彼女は既にこちらを見ており、着地と同時に、


「おはよう」


 着地の勢いで鼻血を噴いた。

 そのまま膝を着いて校庭に前向きダウンしていく匪堕天を見て、己はミトツダイラと共に動きを止めた。

 視線の先、校庭に血の池を広げていくナルゼの手が、びくびく動いて宙にネームを切っているのが見えるが、救った方がいいだろうか、無視した方がいいだろうか。

 ともあれ、これは何となくヤバい気がすると、自分はそう思った。

 ナルゼに見つかった事もだが、ナルゼ自身が勝手に事件現場を造成しつつあるのもヤバい。

 更には、


「と、智っ」


 半ば抱きかかえるような格好になっていたミトツダイラが、身を下げた。こちらの身体の下をくぐるようにして、距離を取る。

 対し、自分も引き気味にしていた腰を立てるように、背を後ろにすれば、


「ミト」


 言葉を投げた先、顔を真っ赤にしたミトツダイラが、こちらを見ていた。

 そして彼女は、己の胸に手を当て、こう言った。


「い、今みたいな事しでかしておいて、こんな事をこちらから言うのも何ですけど、……と、智の申し出は、受け入れられませんわっ」


 断られた。


 浅間は、自分の中にある心の有り場所が、下にちょっと落ちたのを感じた。

 断る言葉の、前半部分はちょっと意味が解らないが、残念、と言葉に出来る一方で、


 ……やっぱり駄目ですか……。


 ミトツダイラは、極東の継承権を暫定ながらに第二位で有する上に、武蔵の騎士の一等に位置し、自分でも企業を持っている。

 立場というものがやはりあるのは、浅間神社の一人娘である自分としても、理解が出来る。

 そうして考えてみると、ミトツダイラは自分の立場に真面目で、己の方は浮かれていると、そんな事でもあるのだろうか。

 うーん、と、内心で、昨夜からの熱を冷まされたような焦りも得る。しかし、


「あ」


 気付けば、ナルゼが動かなくなっている。


「だ、大丈夫ですかナルゼ!」


 駆けつけてひっくり返すと、目を開けた幸せそうな笑顔でセルフ血ダルマになっている匪堕天が見えた。

 うわあ……、と、うっかり元に戻しそうになって、とりあえず息は出来るように横向きにしておく。

 有翼系は意外と重いので、無理に運ぼうとして翼を傷めるよりも、


「放置がベストですわね……」


「いえ、一応、ナイト辺りを呼んでおきましょう。向こうの方が専門ですから」


 と、ナイトに通神で言葉を送る。


『あ、ナイトですか? 浅間です。何だかナルゼが空から着地して鼻血噴いて終わったんですけど、病気ですかコレ。どうした方がいいでしょう』


『あー、昨夜の後、”気合い入れるから!”って焼き鳥屋でハツとかレバーとか食べまくってたから地味に反動来たんじゃないかなー』


 近親食? と思うが、そういうものなのかもしれない。

 ただ、ナルゼが意識朦朧としつつ、表情そのままでリリカルな歌を力無く唄い出したので、


「大丈夫そうですね」


「走馬燈でも見てるんじゃありませんの?」


『あー、制服の替え持って、とりあえずすぐ行くすぐ行くー』


 はいはい、と返答を送って、自分はナルゼの保護のため、彼女の近くに小型の玉串を挿しておく。

 櫛の上端から小さな鳥居型の表示枠が出るので、場の整調と被体の体調保護を指定し、起動のために表示枠を捻ってオン。

 するとナルゼを中心に直径三メートル程の空間が、薄い霧のようなもので満ちる。

 流体による整調作用が働いているのだ。

 そして、放置をどうしたものかと思いつつ、


「えーと」


 本来の用件を忘れていた。


 自分は、ミトツダイラに向き直る。

 正面に、朝から呼びつけてしまった銀狼を置き、わずかに揺れる金色の瞳を見て、


「じゃあ、ミト、いろいろとすいませんでした」


「いえ、最後に凄いのが来ましたから、別に構いませんのよ?

 私としては、自分の方の立ち位置もありますもの。

 ただ、今回の申し出、場合によっては受ける判断もあったかも、と、そんな風には思いますけどね」


 フォローしてくれるのが有り難い。

 ただ、改めて誘っても乗ってはくれないでしょうね、と、そんな事を思いつつ、自分は、


 ……場合によっては喜美と二人とか、一人でも……。


 そう思う思考を、消す。

 今はミトツダイラと向き合っているのだ。

 自分が云々は、無し。

 だから己は深く頭を下げる。


「本当に申し訳ございませんでした。ミトの本心無視して突っ走ってしまって」


 あ、いえ、とミトツダイラがフォローの言葉を掛けてくれる。


「私の方も、立場が楽なものでしたら、了承していたかも、と、そんな事を思いますわ」


 そう言って貰えると、有り難いと共に、もうその機会は無いのだな、と思わされる。

 ただただ現実は厳しいという、単純な事実だ。

 だから己は笑みで顔を上げ、こう言った。


「ホントにすみません。――バンドをやろうなんて、いきなり無茶ですよね」


 ……初耳ですのよ――!!!


 ミトツダイラは、内心で後ろに倒れるほどに仰け反った。


 ……バンドって何ですの!? 乳バンド!?


 告白シーンの筈では無かったのか。

 だから胸を揉……、支えるにまで至って、二人で妙な空気を得たのでは無かったのか。

 しかし、よく考えてみれば、昨夜から今まで、浅間の側から、この待ち合わせの理由を聞いていない。


 ……あ、私、馬鹿かもしれませんわ……。


 早とちり、というところだろう。

 しかし、いきなりバンドをしたいとは。

 否、意味は解る。

 ただ、それが浅間の方からいきなりアイデアとして出た事や、自分が誘われたという事に、己は戸惑いを得た。


 ……私とて、音楽に興味が無いわけではありませんのよ?


 否、

 むしろ理解も技術も持っている。

 実家では父が弦楽を嗜んでいて、自分もそれを父から習い、母と一緒に踊ったのだ。

 自分とて、音楽に興味が無いわけでは無い。否、むしろ理解も技術も持っている。実家では父が弦楽を嗜んでいて、自分もそれを父から習い、母と一緒に踊ったのだ。


 観光船の甲板で、義光は八艦の朝が進んで行くのを見ていた。

 そろそろ武蔵一周コースが終わるのう、と思いつつ、 

「人狼女王は、やはり音楽や踊りを収めておるのかえ?」


「ええ。よく、夜に庭で食事した後、うちの娘と一緒に踊ったりしましたのよ? 私の加護力の伝播で、テンションがうちの人や娘に乗り移って行きますの」


 それは何となく解る。やはりクラスの高い自分も、娘や周囲の人々にはテンションで影響を与えていたからだ。しかし、


「貴様の方は、感情を元にした存在ゆえ、その傾向が強かろう」


「そうですわね。だから、娘の方からのフィードバックがあって、楽しんでいましたわ」


「? どういうフィードバック?」


「ええ。幼い娘の口調が乗り移ってしまったりしますの。ちょっと自分で制御出来なくて、困る一方で、結構楽しんでましたわね」


 母は凄かったですわね、とミトツダイラは思った。

 そうやって月の下で踊った夜。母はこちらの口調が移ったのを楽しんでいた。

 だから深夜、父と母の部屋から幼い口調で、


「ふふ、どうでちゅか~? こうして欲しいんでちゅの~? それともこっちでちゅの~? 今の頑張ってる状態から、更に十回我慢出来たらやめてあげまちゅよ~。あらあら、もっと素直に。い~ち、に~い、……ふふ、大丈夫でちゅのよ~? 我慢できなくっても、また、おっきするの手伝ってあげますからね~。ほら、つづけまちゅよ~? さ~ん、さんてんい~ち」


 などと、父のうわずった長い悲鳴や泣き声と一緒に聞こえてくる事があったが、よく考えたらこれはまた別だ。

 今、気付く、新事実。


 ……改めて教育に悪い家でしたわねー……。


「おい。人狼女王。――こっち向け貴様。おい」


「アラー、ステルス障壁の壁は真っ白なんですのねー」


「棒読み! 棒読み!!」


「……ネイ子が設定上ここにいられなくて良かったわね」


 ともあれどういう事だろうか。

 浅間は今まで、雅楽、それも神道の方に傾倒していて、流行歌や洋楽などは無視する方向にあった筈だ。

 なぜ、いきなりバンドのアイデアが出たのか、解らない。

 だが、その一方で、理由の云々を抜きにして、


 ……智となら、いいかもしれませんわね。


 自分も武蔵の騎士一等で、いろいろな立場のある存在だ。

 浅間がどういう判断でバンドをやろうと思ったのかは解らないが、自分が同じような事を思案した場合、やはり個人だと躊躇する。

 自分の芸風と、合わないのではないか、と。

 浅間の発想も、そんなものかもしれない。

 もう自分達も高等部の二年、極東学生としては実質の中堅だ。

 しっかりしなければ、という一方で、いろいろと出来る事が増える時期でもある。

 ならば、と己は思う。


「あの」


 前言撤回だ。

 告白と間違えていた事を説明するかどうかは別として、結論だけ言うと自分もバンド仲間に加えて欲しい。

 趣味が欲しい、というのもあるが、友人達と何か、自分一人では出来ない大きな事を共有出来る時間があれば、と、そんな事も思うのだ。

 だから己は口を開いた。こちらに背を向けようとする浅間に対し、


「智、ちょっと」


 待って下さいな、と言おうとした時だ。

 不意に後ろの髪から吠え声がした。

 ケルベロスだ。

 先程、浅間がこちらの額に顎を乗せてきた時、後ろに落ちたのだろう。

 三つの首の持ち主は、自分の髪のロールの内、後部二つの間に引っかかって、しかし、


『……!』


 警戒の声が響いた瞬間だった。

 こちらの正面。背を向けた浅間の向こうに、不意の影が落ちた。


 ……マルゴット!?


 違った。

 マルゴットの翼と間違えたのは髪だった。橋上から身軽に飛び降りてきたのは、


「……喜美!?」

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