境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅠ
第十四章『方針の放心』
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喜美は、自分の事を真面目な女だと、そう思っている。
何しろ、一日の方針を朝起きたらちゃんと決めて、それを守って生きている。本日の方針は、

……基本的に何でも否定よ……!
昨夜、自分の弟に、気に掛かっている女性がいると知って、コンタクトもして、母とも話して、何となく自分の中の落ちどころも見えてはいる。
相手はいい子だ。

……ギャグの切れ味が違うものね!

……地面に倒れたまま念話で言うけど、その評価でいいの?

……いいに決まってるじゃない! 顔や性格や生まれは化粧や教育や捏造でどうにかなるけど、ギャグセンスだけはどうにもならないわ!
だが、それとは別で、姉としてお約束ともいえるものを楽しんだり、浸ってみたくもあるのだ。
どうせ、弟が本気で動き出したならば、また考え込むのだろう。
だけどその時は、自分について考え込むよりも、もう一人の自分ともいえる身近な存在を見守り、支えたり、万が一の戻り先でありたい。
そんな風にも思いはする。
だがそうなるには、今のうちに、やれる事をやっておこうと、自分は今朝、考えた。
やっておくべき事。それは本来ならばあるべき、突発事態にあった”姉としての我が儘な振る舞い”だ。
そんなお約束を、今、ここでやっておこうと、そう思い、

「駄目よ! ――告白なんて!」
自分は浅間の両手を掴み、自分の胸に当てて食い込ませて、

「ああんっ。だ、駄目よ浅間! そんな風に強引に迫っても、私、我慢出来ないわ!」

「何言ってるか全く解りませんけど大丈夫ですか頭の中!! あ、もう駄目ですよね!? ね!? それでいいですよね!?」
浅間が顔を真っ赤にしながら手を離す。そして一歩を離れた彼女に対し、自分は今度はミトツダイラの手を取り、食い込ませて、

「あ、ああっ、ミトツダイラまで! 私の魅力にメローンなのね!? そうなのね!? だから告白しようとしてるの!? でも駄目よ! 私、細胞分裂で自分愛するタイプだから!」

「初耳ですし微妙に心当たりのある勘違いぶっかけられてますのよー!」
ケルベロスが応じるように吠えるのを見るからに、主従関係は生まれているらしい。
さてまあ、と自分はミトツダイラの手を離し、浅間に向き直る。
腕を組み、右の踵を鳴らし、

「で? 一体何なのかしら浅間? 朝からこんなところに呼びつけて」
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「ええ、ちょっと込み入った話がありまして……」
浅間が、眉を浅く立てて、こちらを見た。
だが、彼女はすぐに肩から力を抜く。
気付いたような笑みを作って、右の手をひらひら振る、

「あ、ええと、気軽に考えて下さいね? さっき、ミトに話を持ちかけたら、ソッコ断られたので。気楽に気楽に」

こりゃあ重いわ……。
と自分は内心で嘆息する。
浅間がつとめて笑顔で振る舞う時は、相当に重い話題で、それも彼女自身に関する事というのが定番だ。だから、

「一体何?」
ええ、と浅間が中身の違う笑顔で言った。

「――バンドやりませんか?」

「誰と?」

「私と喜美で」
あ、あのっ、と背後でミトツダイラが声を発するが、とりあえず気にしないでおく。
今、己が思うのは、一つの事実だ。それは、

……成程ねえ……。
●
自分は、こう思った。
弟の事もだが、皆、自分以外の人間は、誰しも全てと言う訳では無いが、しかし、

……変わっていく部分があるのよねえ……。
●
ミトツダイラは、喜美の背が、こう言うのを聞いた。

「――ぃや」
否定だ。
浅間の申し出に対して、付き合えないという言葉。だから、対する浅間は、

「…………」
笑顔が、一瞬だけ、力を失う。しかし、

「ですよねー……」
笑みのまま、浅間は器用に吐息する。
そして彼女は手を小さく振り、

「あ、じゃあ、ええと、この話、無かった事にして下さい。聞かなかった事じゃなくて、無かった事に」

「い、いいんですの?」
思わず放った問いかけに、浅間が笑みを向ける。
いやあ……、と彼女は思案の前置きをして、

「やっぱりアウェイの部分が多い状態では始めたくないですから」
言っている意味は解る。
だが、新しい吐息が生まれた。
喜美だ。
彼女は腰に手を当て、落胆の息をつき、

「馬鹿ね。……ありありの落ち込みが、アンタのやる気そのものよ浅間。
それが無いならば、”アンタ、自分がやりたいなら、一人でもやるって言いなさいよ”って言うところだけど」
でも、と喜美が言った。

「今日の私も、アンタのそういう部分を責める資格はないのよね」

「え? 喜美、どういう事です? それって……」

「Jud.、簡単な事よ。――私の方も、自分でどうにかしていかないとね、って思うなら、一人でもいいからやっていけよ、って事」
つまり、

「一人で生きていけるかどうか、お手柔らかに試されてるのに、仲間を頼りそうになってどうするんだ、って事ね。無論、その突き放しが正解か陶酔かは解らないんだけど」

「一人で、って……」
浅間が首を傾げた。そして彼女が、こちらも抱いている懸念を問うた。

「トーリ君が、いるじゃないですか」
Jud.、と喜美が頷いた。彼女は、髪を揺らして、頬に手を当て、地面に崩れ、

「でもね? ――愚弟が、外に女を拵えつつあるのよ……!」
●

……女!?
喜美の言葉に、浅間は、反応を見失った。
長年の付き合いであるトーリに、好きな娘が出来たという事だ。
いつもエロゲを嗜み、女の子の尻や胸を凝視する事に躊躇いを抱かず、健康診断で女医がいると全裸で出向いていくような馬鹿な彼。
自分との関係は、馬鹿姉を含めた家族のようなものだが、

……はあ……。
そうなんですか、としか、今のところ、言いようが無い。
トーリ君、水くさいですねえ、とか、そんな事しか心の中に浮かばないのは、事実を理解していないという事か。
要するに、

「……現実感、無いですねえ」
どんな顔して、彼はその人に会いに行ったり、話をしているのか。
想像もつかないというか。尻や胸を凝視しようとしているいつものChikanアーツ状態ならば、それはそれでまた問題だと思う。
しかし、どう返すべきか。
喜美の態度が不安の裏返しなのか単にノリノリなのかが解らないという面もあるが、

「あの、喜美?」

「何!? 何浅間! この弟が手切れてしまって心が張り裂けそうになってズパアンとかドパアンとか、そんな擬音の姉の胸に、さあ飛び込んでおいでなさあい」

「言ってる意味が本格的に解りませんが――」
相手はどなた? と言おうとした瞬間だ。
自分は、音を体感した。
地響きだ。
何か太い力を真上から打ち込んだもの。校庭どころか、校舎正面の橋まで揺らす、その音の正体は、

……あ――。
何だか、厄介な方に飛び火した、と、そう思いながら、自分は喜美の向こうにいる人影に視線を向けた。
不機嫌の足踏みを、一つ校庭にぶち込んだ者。それは、

「ミト、何か言いたい事、ありますか?」
●

「べっつに! ……ありませんわ!」
ミトツダイラは、自分の瞳が鋭くなっているのを悟る。
これは相当に気合い入ってますわねー、と、客観する自分がいる一方で、抑えていたものを止められない自分もいる。
結構、マズい状態だ。
周囲をケルベロスがうろうろして、こちらの顔を窺ってるのをすまないと思いつつ、しかし、

……く……。
ともすれば、泣き出してしまいそうな自分もいる。だって、

「我が王……」
中等部時代、ある事件を経て、自分と彼は王と騎士の関係を持つ約束をした。
それ以後、実家のある六護式仏蘭西の勧めもあり、武蔵の騎士連盟にもちゃんと顔を出すようになり、今では現役学生という事もあって騎士一等だ。
己は、武蔵の騎士である。
だが、自分が誰の騎士かと言えば、彼しか無い。
そして、彼が、他人とそういう明確な”関係”を持ったのは、”姉”である喜美や、”家族的”や”術式契約者”である浅間を抜かせば、自分が一等だと、そういう自負もある。

「ファ――――!!」
観光船から奇声が届いてきましたの。

「ホエ――――!!」
多摩の方からカウンター奇声が発されましたの。

「…………」

「私に奇声は求められてませんわよね?」

「き、気にせず行きましょう!」
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ともあれ、王に対する自分の立ち位置は、当然のように王と騎士の関係だ。
好悪や愛憎では無い。それらを超えた、と自分が規定出来る、主従の信頼。
何があろうとも同じ目的のために道を共に行く関係。それが主従の信頼だ。
だが、

……女!?
無論、恋愛関係は、主従と信頼関係とは別のものだ。
同時存在していても問題ない。
だが、それは理屈の部分で、彼が自分自身の恋愛に気をとられる事で、

……私達の約束は、忘れられてしまいませんの?
ただでさえ、高等部に入ってから自分は放置気味だ。
こ・れ・は、と己は思った。
后にうつつを抜かした王と、それに仕える騎士という、そんな構図を感じているのかもしれませんわね、と。だが、

「喜美、それは確定ですの?」
一方的に疑う事は避けたい。一瞬、本気モードに入りかけたが、喜美の、

「Jud.、確定よ! 犬だったら三回くらい回るわ!! ホラ、回ってワン! ワンワン吠えて構って欲しいでしょ? そうでしょ? ねえねえ? そうでしょミトツダイラ~ん」

「これはこれで別方向に本気入りそうでどうしたものですの……!」
ともあれ、己は問うた。
浅間と二人で、

「……どういう事」
と言って、付け加えるように、

「……ですの?」
●
喜美は、一瞬だけ視線を校舎に走らせ、時間を確認した。
まだ、六時半を過ぎた辺り。
そろそろ体育会系部活の朝練が始まるが、彼らの邪魔にはならないだろう。
校庭にナルゼが血ダルマになって時折痙攣しているが、ナルゼの事だ、新しい遊びか何かと理解しておいた方がいいだろう。
触る時は遊ぶ時。
そういうものだ。
だが、自分は、ミトツダイラと浅間に挟まれる構図になりながら、

……浅間の方が、重症ねえ。
ミトツダイラは、自分の弟とは”王と騎士”という関係を持っている。
その関係のあり方は、弟の新しい生活をどう解釈するかの起点となるものだ。
しかし浅間にはそういうものが無い。
否、実際にはいろいろとあるのだが、自覚が薄い。
今も浅間は、んー、と首を傾げて、

「トーリ君もいつの間に……」
などと言い、ミトツダイラをナチュラルに逆なでしているが、これは浅間の方で、何の理解も出来ていないという事だ。
今、弟に起きている事が理解出来ないので、彼の事を”理解出来ないもの”として俯瞰しようとしているに過ぎない。
事態を理解するより、触れずに済む逃げ場を用意していると言うべきか。

……厄介な子ねえ。
頭良く振る舞うのは、感情以外の事にすればいいのに。
○

「ククク、思い返してみても大変ねえ、この無自覚衆は」

「ああああああ! そういうことは当時の内に口に出して言いましょうよ!」

「それはそれで理解が出来ていない時期ですから、悪い方に向かった可能性の方が高いですよ?」

「逆にいうと、こういうのが蓄積されたから、関東あたりでハジけたことを始めたんですね?」

「つまりホライゾンが嫁大家になる布石が既にここに……」

「今、私も巻きこまれて大ダメージ受けてますけど、出来るなら停滞せずに先に進めてくれません?」
●

……まあ、どうにかなるでしょう。そのくらいの補正力はあるものね。
そう評価する中、自分の方には落ち着きのようなものを自覚出来ているのは、やはり戸惑い者同士でありながら、軽症者が重症者を見る優越なのかもしれない。
成程ねえ、と、己は、浅間を見て、ミトツダイラを見て、こう呟いた。

「いずれ、全員、病を治す方法ってのもあるんだけどね」

「え?」
二人の疑問に、今ここで答える意味は無い。
ずっと遠く、万が一を重ね、自分以外のものが多く動いた時にのみ可能な”治療法”だ。それこそ、

「世界全体に喧嘩売って、あり得ないことや事実が成り立っての事だわ」

「何が――」

「何の話です?」
浅間とミトツダイラに問われ、己は思った。

……面白いわね。
自分は、自分の運命など解らない。
友人達のものも、当然、解らない。だが、

「自分達の現実が、ふと、変わる時があったら、面白いと思う?」
問うた。

「不可能だと思うどころか、そんな事があり得るのかも気付かなかった事。そんな事が叶って、――私たちの夢が叶う未来。あると思う?」

「? 不可能ですわ。観測も自覚も不能なことを”有り得る”ようにするなんて。
そんな夢物語――」
と、言ったミトツダイラは、気付いたらしい。
その内容を、浅間が言う。

「不可能を可能にする……。そんな、今、私達が気付いても無い方法を持った未来が、喜美には見えているんですか?」

「見えてはいないわ。だけど、――あってもおかしくないわね、って、そう思えるの。
それは状況では無く展開。
用意された基盤じゃなく、皆でひっくり返して辿り着く場所。
ただ……」
ただ、

「それのためにガツガツ動くのは私の性分じゃ無いわ。
今後、アンタ達が、望んだり望まなかったりして、そっちに近づいていったり、気付いた時、踊り子は手を引いてあげる。
そんな事だと思っておいて」

「何が何だか解りませんのよ……?」

「まあ、喜美のよく解らないのは昔からですけど……」
いいから、と自分は二人の肩を叩く。
○
アデーレは、喜美に対し、本舗組が土下座するのを見た。

「流石は喜美様、既にこの時点から、表に出さぬ気遣いを……」

「フフ、後になって出た結果に対し、思いつきの伏線をここで作ってるだけかもしれないのよ?」

「その言い方の時点で”そう”じゃないですよね!」

「まあ何はともあれ、喜美には敵いませんわ……」
○

「つまり喜美叔母様には御母様達の無意識の機微が見えていて、私達に繋がるような未来があるといいと、そういう思案がありましたのね」

「ファ!? つまり原作に対する二次創作としての私達はここでスタートしていたということなんですね!?」

「言い方! 言い方が悪すぎますの!!」

「フフ、まあこっちも、まだそこらへん地固めが出来てない状態よ。
それでも、”今”みたいになった方が面白いでしょうね、って思ってたけど」
●

……どうしようかしら。
自分はそれを望むべきか。
そうなったら面白いと、そう思う。
ただ、今日の方針は、否定だ。だから、

「私をその気にさせて欲しいわねえ」
ミトツダイラは大丈夫だろう。自分のあり方が決まっていて、怖いくらいにからかい甲斐のある相手だ。だから、

……巻き込んでも大丈夫そうねー。

「浅間、ミトツダイラ」

「な、何です?」

「――何ですの一体」
既に警戒されてるのは何故かしら、と思いつつ、自分は一歩を下がる。
二人に対し、腕を組み、胸を張り、

「全ての前振りとして、私をノセるために、――今日は私とデートするの。いいわね!」
●
喜美の告げた言葉に、ミトツダイラは、まず、ケルベロスを拾い上げた。
狂人の言う事を真に受けてはならない。
ええ、正面から直撃してしまいましたが、騎士であり、極東継承権第二位、ついでに総長連合番外特務の自分が、

……デート?
それはつまり、普通で言うと、恋愛関係のある男女が、行う事だ。
基本的に作戦行動は日中。
街で買い物したり、演劇を見たり、食事をして、場合によってはそのまま寝所を共にする。
つまりデートとは、関係を持つ、または、強化する、という事だ。
それも恋愛の。

「――え?」
まさか、と自分は、可能性を三つ思った。
1:喜美の弟が恋愛関係を他と持とうとしているため、喜美はいつものように気が狂って、張り合うようにそれをこちらに求めているのでは無いかという事。
2:右記と同様に、喜美がこちらの恋愛対象となる事で、彼女の弟に対する自分達の憤りを受け止めるつもりなのでは無いかという事。
3:喜美のいつもの不規則言動。
3が一番ありそうだが、だとしたら巻き込まれてはならない。
先程も、浅間と人間の常識が事故って、要らぬ誤解で損をした。
バンドの誘いが何処で女同士の告白タイムになったのか。しかも、

「あの、ミト?」

「な、なんですの?」

「……マーキング、途中で我慢していたようですが、大丈夫ですか?」

「してませんわよー!!」
こっちの誤解も残ったままだった。
だが、馬鹿姉の食いつきが早い、

「丁度いいわね! デートしなさいミトツダイラ!」
●

「全く話が繋がりませんのよ?」

「いいじゃない! 浅間は最近泉の中で生やして浮かせてるから、マーキングには困らないわ! 出来れば私の見てるところでなさい!」

「デカい声で何を捏造叫びしてるんですか!」
馬鹿姉が踊ってかわす。
そして彼女は身を回し、戻すと、そのままこちらと浅間を両の手で指さし、ポーズをとった上で、

「――じゃあ決まりね!」

「決まってませんのよー!」
しかし、異を唱える動きが来た。
浅間だ。
彼女は両の手を握って構え、顔を赤くしながら、

「き、喜美を満足させたら、バンド一緒にやってくれますか!!」

「いいわよ。ハードル高いけど」
あっさりと、踊る狂人が答えた。
え? と戸惑ったのは自分だ。何だかいろいろな事が棚上げされた上で、

……バンド参加問題、どうしたら……。
参加したいが、話としては断った事になってしまっている。
勘違いだったと言えばそれまでだが、どういう勘違いだったかと言うと、口には出来ない。だが、

「フフ、ミトツダイラ。――アンタも仲間に加えてあげてもいいのよ?」

「べ、別にそんな気遣い要りませんわ!」
●
ひいっ、と、自分は、己の強情さに恐怖した。

……人生、確実にこの要らんプライドで損をしていますわね!

……ネイト、念話で話しますけど、人生、素直になった方が五億倍は面白いですわよ?
母の幻聴がアドバイスしてきたが、母の倍率はそれどころではないだろうと思う。
だが、

……これはもう終わりですのね――……。
浅間が、頬を赤くした顔を、こちらに向けた。

「――ミトも、私が満足させたら、いいんですよね!?」
と、空から降りてきたマルゴットが、浅間の向こうで、”録音”と書いた魔術陣をこちらに向けている。
何かとてつもなく将来を危ぶむ事態が進行している気がするが、

「そ、そのつもりで問題ありませんわ!」
自分は、最後と感じられる機会を逃さぬように、こう言った。
バンドの事はマルゴットに聞かれないよう、言葉を濁しながら、

「今日はしっかり、満足させて頂きますからね……!? 私達の将来の為に!」
○
ファー、と浅間が後ろに倒れたのをミトツダイラは見た。
とりあえず濃いめの朝が終わった、ということだろう。

「しかし喜美がこの時点で現状をある程度想定していたというのは、驚きですわねえ……」

「全員が”勝ち”になるのってどういうことかしら、って考えたら、極小確率だけど勝ち筋はあるのよね。後はアンタ達が変に体裁とか気にしなければいいってこと。
だから私は何もしてないのよ?」
フフ、と喜美が笑った。

「――アンタ達が恥知らずで良かったわ」

「その言い方……!」

「でも良かったわホントに……。アンタ達が恥知らずだった御陰で、私もイベントで出す本では”勝ち”が得られているし」

「は、派生ルートまでは責任とれませんからね?」
だけど、とマルゴットが手を挙げた。

「ここから先は? デートの話?」

「浅間神社代表が話を進める流れなので、その一日を追うことになるのでしょうか」
と、そこでホライゾンが手を挙げた。何かと思えば、

「チョイと誰か、ホライゾンの記憶の成文化を御願いします。恐らくこの時点で、誰も遭遇していない情報をホライゾンが有しておりますので」

「あら? 誰? 愚弟や母さんだったら私が担当出来るけど?」

「では喜美様の手を借りた方が良さそうですね」
ええ、とホライゾンが頷いた。

「鳥居様について、です」
●

「鳥居ちゃん、それで満足なのかい? 今日も朝練の帰りだろうに、もっと食っていいんだよ? ――うちの儲けになるんだから」
女性の声が響く木の空間がある。
軽食屋兼パン屋”青雷亭”の中だ。
カウンター前のテーブル。
窓際の椅子に腰掛け、表示枠に片手でタイプしながら握り飯を口にしているのは、

「鳥居・元長。襲名者なんだから、もっと派手な生活すればいいのにねえ」
と、店主が鳥居の前に茶の湯飲みを置く。
すると鳥居が片手を挙げて店主を拝み、

「どーも。――でも襲名者っても、総長兼生徒会長になったからとりあえず貰ったようなもんだから、ボクあんまそこら辺は考えない方針でー」

「今更だけど、鳥居総長”ボクっ娘”だったのね……。と始業前に配達中の魔女が言ってみるわ」

「実は既に一回その自称やってますけど、こうして落ちついた状態じゃないと印象つかないですよね……。と始業前に一回地域の禊祓に来た浅間神社の巫女が言ってみます」

「今日は店の前を行き来する子達が多いねー」
告げた店主が、鳥居へと視線を戻す。

「しかし襲名の件、鳥居さんとで、二代続けて、でしょ?」

「――失敬、三河から本国に忘れ物で戻る途中に寄って見たのですが、――二代続けて? 少々意味が解らないのですが」

「あ、”鳥居さん”ってのは、教員。うちの子達を中等部で教えてたんだよ。
それでまあ、ここにいる”鳥居さん”はその娘」
Tes.、と三征西班牙の制服姿が頷いた。

「成程、ローカルな呼び方として、親子の”鳥居さん”が両立していたのですね。理解いたしました。では」
と彼女が店から出て行く。
それを見送ってから、鳥居が言葉を作った。

「――いや、親に続いて鳥居家を襲名先に選んだ方が、襲名もしやすいかな、ってね。そのくらいのことだよ」
それより、と鳥居が言った。

「トーリは?」

「ああ、昨日の夜来て、手渡し狙いでパン買いまくって帰ったから、今朝は来ないよ」
と、店主が肩越しに視線を背後に送る。カウンター側。そこにいるのは、銀色の髪を持った自動人形だ。

「オイッス!」
●
挨拶を受けた鳥居が頷いた。彼女は、ビスチェ型に改造した制服の胸を直しながら、

「元気ー? P-01s」

「Jud.、機能良好です。今日も朝からもりもり出ました」

「……すげえツッコミづらいボケを平然とぶちかましてくるよー」
まあまあ、と自動人形が手で制す。そして彼女は、

「スガ様やナベ様やオオ様は」

「最後は何かと思ったら大久保かー」
鳥居が、茶を飲んでから、視線を下に向ける。
黄色い塊。
オムレツだ。だが、

「きっちり火が通ってるっぽいねコレ。どっちかっていうと具入りの卵焼きって言わない?」

「食ってみりゃ解るけど中の具も均等入りだかんね」
成程ねえ、と鳥居が頷いた。
そしてテーブルの調味料置き場から塩と胡椒を取り出し、右手の指に両方を挟む。
手首のスナップで二つの小瓶を荒く振ると、

「――忠世は総長連合の方の朝練に出てるかな。スガは寝てるだろうし、ナベは情報集めと報告に暫定議庁舎に寄ってからだね。水曜は大体そんな感じ」

「水曜は、大体、ですか」

「P-01sはそういうテキトーなの苦手かー」

「把握の範囲が捉えづらいものは、苦手と言うよりも不得手と判断します」

「Jud.、それ、トーリに聞かせてやるといいよ」

「トーリ?」
問われ、鳥居が店主を見た。
店主は苦笑しているだけなので、鳥居は、ふーむ、と一息。とりあえず、という形で、彼女は高い天井を見上げ、

「不得手だったら大丈夫だよ、P-01s」
●

「そうなのですか」

「不得手って事は、得意じゃないけど、嫌いじゃないって事だかんね」

「……深い。深いですな鳥居様」

「いや、君が言った事なんだけど。そーなんだけどさー」
と、腕を組んで頷く自動人形を見ていた鳥居が、フォークを手にオムレツと向き合う。
迷うような事はせず、ただ中を窺うようにしながら、彼女がフォークを入れる。
店主の示唆の通り、火の通った卵焼きは裂けるように割れ、蒸気の底に野菜が現れた。
それを見た鳥居が、小さく笑って口を開いた。

「P-01s」

「何でしょう」

「これ、オムレツ?」
Jud.、とP-01sが応じた。
その応答を聞いて、鳥居が、むーん、と唸る。

「どっちかって言うと、コレ、三征西班牙のトルティーヤってやつじゃないかなあ……」

「残念ながらトルティーヤはもっと油を入れて硬くいきます」

「どのくらい硬く?」
P-01sが、ちょっと待て、と手で制す。
そして彼女はカウンターの前に来ると、両手で板を持つジェスチャーをして、

「……ふん!」
かち上げた膝で割る真似をした。その上で、手をはたくところまでやって、

「こんな感じの硬さで如何でしょうか」

「ボクにとっては参考になったけど、食う人にとってはどーかと思うんだわー」
鳥居が苦笑する。
彼女は、フォークに刺して引き上げた柔らかい熱の塊を口に入れる。
ほ、と一度だけ換気を頬に送ってから、

「凄いな。どうやったらこんな均等に作れるんだか」

「不思議ですねえ」

「自覚無い?」

「あると言えば、あります」

「どんな風に?」

「失敗するかもしれないならば、こちらの方がいいだろうと」
そっかー、と鳥居が頷いた。
彼女は、店主を見て、ややあってから、

「とりあえず、いろいろ言いたい事はあるけど、他の連中に任すかなー」

「他の連中?」

「Jud.、先に味を決めつけない連中」
つまり、

「見た目や表向きだけで君を判断せず、踏み込んでくる連中の事さ。――不得手の自動人形」
○

「こんな感じかしら。ホライゾンもよく憶えてるものねえ」

「Jud.! ホライゾン、一回見たり聞いたりしたものは一生憶えてる粘着気質なので」

「レベルの高い自己肯定で御座りますな……」

「というか鳥居総長のこういうシーン、貴重ですね……!」

「では、次は――」

「Jud.、その日の浅間さんを追っていく訳ですが、自分の方からの視点で入らせて下さい。ちょっと印象残ってることがあったので!」