境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅠ
第十五章『授業場の付き合い人』
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アデーレは、二年梅組の教室内で、前から二番の目の席にいる。
教員、オリオトライの正面に近いが、視線を合わせると気を遣ってしまう従士の性分を理解してか、最前列は正純が座ってくれている。
正純の右横、教卓前の席では、左にイトケンとネンジ、右にシロジロとハイディだ。
自分と教卓の緩衝材となる男らしいスライムと、快活なインキュバスは、先生の質問にもハキハキ答えるし、また、先生に近い位置故、授業中の空気を皆へと伝えるのも長けた存在だ。ともすれば暴走しがちな外道どもの授業を、鈴が静的に抑えるならば、彼らは嫌みや険の無い注意や手振りで抑え、場を作ってくれる。

「観光船を降りながら遠くの教導院を見つつ言うけど、説明が長いわね……」

「すみません! すぐ終わらせますんで!」
自分は窓際で、彼らの恩恵としての授業を真面目に受け、時折に日当たりの眠気なども得ているのだが、

……今日は何だか後ろが騒がしいようで……。
後ろをちらりと見る。
と、そこにいるのは、武蔵の騎士一等である番外特務だ。
彼女は、自分の上役ともいえる女騎士だ。
席順においても、やはり気遣いがあるのか、昔からずっと近くだった。
有り難い事だ。

「…………」

「す、すみません! 全体的に巻きますんで!」
従士の自分としては、有事の際には、まず番外特務の指揮下に入る事になる。
気は合っているし、番外特務の方からこちらへの気遣いもある。そして自分は足の速い突撃役で、向こうは防御役。
戦闘ではお互いの長所が充分に噛み合う。

……自分は恵まれた環境にいますよねー……。
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同級生や後輩の従士には、騎士との付き合いが無い者も多いのだ。
そういう従士は騎士連盟や現場で指示された騎士の下につくのだが、お互いの呼吸が読めていない関係は、大体がそこから崩壊する。
自分は、昔、番外特務が一匹狼としていろいろあった時期を知っている。外見としては今とさほど変わりない……、否、胸の事では無く……、ええ、つまりあまり派手な格好などもしない彼女が、そのままに荒れていた時期だ。
そんな彼女と昔からの付き合いがある自分は、中等部の前半では、よく従士としての責任を追及された。主に、番外特務が不敗を誇ったために、八百長的に”止められないのか”とせがまれた訳だが、

「無理なものは無理ですしー」
と、頭を掻いて笑っていればいいので気楽だ。番外特務も、浅間と自分には言葉を交わす時もあり、その時には必ずこう言うのだった。

「いつも御世話を掛けますわ」
反抗期、と言って片付けるには派手過ぎるが、憤りの時期だったのは確かだと思う。
あの頃に比べれば、今の番外特務は、

「……?」
今日は特に、アクティブだ。授業中だというのに、喜美の隣に座って、同じように席をずらして近寄っている浅間達と作戦会議中だ。
何の作戦かと言えば、

「あのー……、さっきから聞こえる、デートって、何ですか?」

「ククク、知りたいの!? 知りたいのねアデーレ! 知りたかったら五回回ってワンって言うの。――ファイブ!! ほら私の勝ち! 犬にもなれずに残念ね! 必要ならカモンよ!」
エンジンが掛かっているのでどうしようもない。
ただ、表示枠で地図を開いたり、それに指でラインを引いている三人の内、ミトツダイラに視線を向け直すと、自分はこうも思うのだ。
こういう平和な時間が来るというのも、昔には思わなかった事ですねー、と。
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浅間は、思案を巡らしていた。

……デ、デートですよ!
喜美とミトツダイラを接待して、満足させて、こっちの方に引き込まねばならない。
だが、当然のように自分は、神道所属で、己の事を堅いと自覚する人間だ。ならば、

……そんな方法、知ってる訳もないですね! 詰んだ! 詰みましたか自分!
だが、デートにおけるエスコート役というのは確かに存在する。
今回は喜美とミトツダイラだ。
接待する方が道を請うというのも変な話だが、

「じゃあ、午後に教導院を出たらどうします? まずは軽く一息でも入れますか?」
問うてみる。すると、

「フフ、カラオケでも行こうかしら、とか言いたくなるけど、それだとバンドネタから外れないわね。軽く話題の店でも行きましょうか」

「喜美、いいところ、知ってますの?」

「Jud.、――多摩の地下に、K.P.A.Italiaのジェラート屋で”アイスクリーム三十一房”ってのがあるんだけど」

「あの御店、最近、”Aun-Aun”に紹介されて、今は行列店ですのよ?」

「フフ、話には常に続きがあるのよミトツダイラ。――実は村山の中央吹き抜け公園でね? その”三十一房”で木人相手に修行した夫婦が屋台を出してるの。
”アイスクリーム十七条”ってやつ。これが、同じような味でいて、微妙に変化球多くてね? 柚胡椒とか、味醂ホッケとか、最近は梅ミルクが人気らしいわね。
あ、ミトツダイラ向けには、濃厚ミルクシチュー味があるわよ、確か」
聞いていて、全くついていけない。よく考えると、

「あの、私、アイス食べた事、ないんですけど……」
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片手を挙げて言うと、後ろの席に座っていたナルゼが勢いよく身を起こした。

「ちょ、ちょっと待って浅間! 何言ってるのアンタ!」
彼女は、トンボ枠型の魔術陣をこちらに回し、そこに描いていたものを見せた。

「折角、今、アンタが棒アイスを無意味に髪掻き上げながらチュパってるとこ描いてたのに! 設定無視よアンタ!」

「そんな設定立てられましてもー」

「解ってないわね。これから”あっ、神道アイスは溶けにくいですから、胸に挟むと気持ちいい……”とかネーム進行して、ああ、私もこういうネタを素で描くようになっちゃったわねえ、とか、そんな風に自虐して楽しもうかと思ってたのよ! それを、何て不出来な!」

「叱られましてもー」
ともあれ、という風に、ミトツダイラと喜美が顔を見合わせた。ややあってから、アイコンタクトをした二人の内、ミトツダイラの方が、

「アイス食べた事がないのは、教譜的な理由ですの?」
うむ、と教室の右後ろの方で、ウルキアガが頷いた。

「汝、アイス食うべからず……! 教譜というのは豚とか牛とか食うなとか酒飲むなとか平気で言うからな。神道の場合はアイス禁止とかあってもおかしくあるまい。
何しろただでさえ酒を飲むのだ。甘いものまでつけた二刀流は一発で糖尿になるぞ」

「いや、そんな教義はありませんって。大体、神道では食事の禁止物も無いですから」
どのようなものも、禊祓すれば清浄なものとなり、口にしていい。神が喜ぶ食材はあるが、基本的に何でも食べられるのが神道のいいところだ。
だから、アイスについては、

「単に食習慣の中に入ってないっていうか……。ちょっと昔に……」
と、右の方から声が飛んで来た。

「それはいけませんね!!」
御広敷だ。
彼は、実家が有名な料理店を営んでいる。
そして本人も調理部に所属し、農園部との提携を二年生ながらに取りつけ、学生主体の出店を行っている。実際の営業は部の代表としての三年生に預けてしまって、現場の美味しいところを持って行くのが御広敷らしい部分だ。
そんな彼から、料理関係としての意見が来ると思えば、

「いいですか! アイスは子供が大好きです! だから小生も大好きです! 異論はありませんね? しかし……、おっと、すいません。つい熱くなってしまいました。浅間君もミトツダイラ君も葵姉君も、既に十歳を超えていますね? ババ……、何睨んでるんですか女性陣。
ともあれストライクゾーンの遙か外の方々の話だったら別にどうでもいい事でした。話の腰を折ったようで申し訳ない」

「……言っている意味がよく解らないんですが、とりあえず風紀委員なので番屋に報告しておきますね?」
すると、今度は教室の前側の方から声が飛んで来た。
先程からこちらを気にしていたアデーレだ。
彼女は今、眉をたててこっちの方を見て、

「大丈夫ですよ浅間さん! アイスは贅沢品です! 滅多に食べられませんから! 正純さんもそうですよね!?」
前の席にいる、三河からの転入生に、アデーレが話を振る。
本多・正純。
男装、というには意味のある女の子。父が武蔵の暫定議員の有力者で、本人も政治家志望と聞く。彼女は、皆に振り向く事無く、

「いや、私は、たまに父が買ってきたりするので。御客様用の余りだろうが、たまに頂く」
ええ!? と声をあげたアデーレに、ネンジとイトケンが顔を向けた。
イトケンが、真剣な顔でアデーレに頷き、

「……頑張ろう」

「そうであるぞアデーレ殿。我々が本気になれば、明るい未来は得られるものぞ」

「そうだといいですね……!」
いろいろ大変ですね、と自分は思った。その上で、

……さて、どうしたものでしょう。
デートの計画と言っても、なかなか難しい。
故に己は、ふと、気になった事を問うてみた。

「喜美とミトは、どうしてこう、すらすら計画立てられるんですか?」
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浅間は、喜美の、そうねえ、という声を聞いた。

「私は情報草紙とか読んでるけど、実践としては愚弟がいるから。――ね?」
彼女が振り向く後ろ。
最後列の窓際では、彼が寝ている。
熟睡と言うまでには届かないが、力の抜けた顔が、交差で投げ出した腕の上にある。
途中まで授業にはついていこうとしたのだろう。
教科書が床に落ちているのが見える。
いつもの事だ。
教科書に気付いた喜美が、それを拾って、眠る彼の頭に載せる。
皆が彼を見て、ふ、と小さな息を漏らす。
そんな音を己は聞いた。
そして自分は、ミトツダイラに視線を向ける。

「ミトは、やっぱり、情報草紙で?」

「え? え、ええ、Jud.、それはまあ、ええ、そういう事ですわ」
成程……、と頷き、己は思った。自分もそういうものを読んだ方がいいんでしょうか、と。
だが、ミトツダイラの腕を、喜美が目を細めて肘でつついた。

「フフ、……脳内デート」

「な、何がですの!? た、単に情報誌として読んでるだけですわ!」

「え? ど、どういう事です?」
問うと、ミトツダイラがあたふたと手を絡めたりほどいたりする。そして彼女は、

「べ、別に、相手を想定してとか……、その、あの」
近くにいる者に聞かせたくないというように、声が小さくなっていく。
その態度と、ミトツダイラの赤面を見ていると、解ることがある。

……ああ。
喜美が弟を連れて行く”デート”とは違い、ミトツダイラのそれは”想像”でしかないのだ。
恐らく、相手は明確に決まっていない。ただ、

「大事な存在と共に行くなら、という想像はある訳ですね?」

「だ、だから、その……」
ふうん、と喜美が頷いた。彼女は、目を半目にしてミトツダイラを見据え、

「私の想定するデートコースと、ミトツダイラの想像コースって結構近似なんだけど……」

「な、何ですの?」
今までより、一層に小さな声となった疑問に、喜美が言う。

「フフ、それって、アンタが想像する”大事な存在”って、……私の御相手みたいなもの?」
半泣き顔になったミトツダイラが喜美に掴み掛かって、喜美がかわす。
それを廊下の窓から見ている影がある。

「学校見学で観光してるんですけど、御母様、御父様の事が気に掛かってましたのね?」

「ファー! 貴重な一瞬!」

「――うちの教室、廊下に窓ないぞ」

「大丈夫です! 廊下に聞こえてくる声を壁に耳当てて聞いてますから!」
学校見学でそれやったら一発番屋でアウトな気がしますが、今日はそういうの有りだということにしておきます。
ともあれ空を握った手を、銀狼はそのまま抗議の拳として、

「な、何で私のことを、私の王とそんな風に関連づけしますの!?」

「だって、私としては嬉しいもの」
え? とミトツダイラが、言葉を失う。
そして自分は、ミトツダイラと共に聞いた。
喜美が口を開き、告げるのは、

「皆が似た好みを想定してるなら、皆で一緒に行けるでしょ?」

「いや、あの、私、デート自体がよく解らないんですけど……」
言うと、喜美がこちらに身を向け直した。そして彼女は、

「楽しい時間を一緒に過ごす事よ? ――そうやって、お互いの距離を縮めていくというか、共有する時間を増やしたり、共有出来るものを理解していく訳」

「でも、もう既に、私達、お互いの事を結構知ってません?」

「どうかしら?」
喜美が小さく笑った。

「近くにいるからこそ、解ってない事もあるものよ」
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鈴は、浅間達の声を聞いていた。

……いいなあ。
デートというものが、どういうものか、自分は実際を知らない。
体験した事が無いからだが、しかし、おぼろげな知識はある。
たとえば、家では、両親が食事中などに神肖を見ている事が多い。
映像はこちらには解らないのだが、音で大体の想像が出来る。
映像的な表現が強くて解らない事は、親に聞けば教えてくれる。
だが、ドラマなどで”デート”となると、大体は難しい問題に直面する。
両親が沈黙するのだ。そして、時たまに、

「私達の若い頃は……」

「最近の子はすぐに……」
などとぼそぼそ始めるので、つまりデートとはあまり大人にとってはよくない事なのだろう。
先日も、父と母は、神肖からの音楽が激しくなった時に、

「はしたない……」

「あんな、噛みつくように、ねえ」

「けしからんなあ……」
何が起きているのか、ひどく興味があったが、流石に憚られた。

……大丈夫かなあ。
浅間と喜美とミトツダイラの内、誰が噛みつくのだろうか。
そういえば今日、ミトツダイラさんは、小さな犬のようなものを連れてるけど、あれで噛みついたりするのかな。
ただ、聞こえてくる浅間の声は、楽しそうだ。
思えば、昨日からそうだった。昨日はわずかに不安や揺れがあったようにも思ったが、今日はそれが期待の揺れを持っている。
火照っているという、そんな感覚。

……うん、
けしからぬ事だったり、はしたない事で、噛みつかれたりもするのだろうけど、

……楽しいと、いいね。
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「聖女がいるわ……。それに比べて……」

「おい、そこの壁に耳付けてる輩」

「ハア!? 何言ってんですか! 私が壁耳でハフハフしてるから鈴様の念話が聞こえてきてるんですよ!? つまり私の奇行には意味があります!」

「奇行って自覚ありますのね?」
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結局、デートコースとしては、まずは高尾の自然区画、高尾山で一息を入れ、そこから青梅経由で村山に行き、吹き抜け公園でアイスを食べつつ、夕食は鈴の湯屋で一風呂の後、どうしようか現地で考えると、そんな流れになった。
浅間としては、その流れで喜美とミトツダイラを接待すると考えたいところだが、

……高尾山も仕事でよく行く場所ですからね……。
浅間神社からは流体経路が繋がっていて、武蔵内の流体供給担当としては大家と店子に近い。
アウェーではなく、ホームの場から始まるのはいいのだが、仕事意識が抜けない気もする。
大丈夫でしょうか、と、そんな事を思いながら受ける授業は、しかし六限で確かに終了した。
宴が始まるのだ。